明けぬ梅雨2023年07月11日 07時55分06秒

激しい雨によって、九州を中心に甚大な被害が出ました。
梅雨明けが近いと言われながら、「夜明け前がいちばん暗い」の言葉通り、容赦のない雨が続いています。今回被害に遭われた方はもちろん、雨と炎暑に苦しめられている多くの方々にお見舞い申し上げます。

私の方は、ここに来てにわかに本業に追われだしたので、しばらく記事の更新頻度を下げます。

京都にて2023年06月26日 09時25分05秒

世の中は 三日見ぬ間の 桜かな。
私が一泊二日で京都に行っている間に、ロシアでは大変な花火が上がり、世間は大騒動でした。まこと世界は常に動いていますね。


そんな騒動をよそに、私は足穂イベントの翌日、洛北・圓通寺を訪ねました。ここは江戸時代の初期、後水尾天皇が造営した「幡枝(はたえだ)離宮」の跡をそのまま臨済宗寺院としたもので、美しい庭で知られます。


朝一番に訪問したせいで、他に観光客の姿もなく、比叡全山を借景に取り込んだ雄大な庭を前に、ひとり(と言っても連れ合いが一緒でしたが)、昨夜のことをぼんやり反芻していました。


そして帰り道、ふと見上げた寺の棟飾に三日月を見つけ、何か不思議な暗合めいたものを感じたのです。

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寺を辞したあとは、山道を抜けて深泥池(みどろがいけ、みぞろがいけ)を見に行きました。ここはジュンサイで有名ですが、市街地にほど近いロケーションでありながら、トンボをはじめとする豊かな生物相で知られる場所です。

(写真を撮り忘れたので、上はウィキペディアからの借用)

ちょうど地元の方たちが、池の清掃を兼ねて生物調査中で、投網を打っては、捕獲した魚類を詳細にカウントし、ブルーギル何尾、カムルチー(雷魚)何尾、ウシガエルのオタマジャクシ何尾…と、記録を取っておられました。それは何となく理科趣味を感じる光景ではありましたが、そんな呑気な感想とは別に、この豊かな池もご多分に漏れず、外来生物の侵入には手を焼いているようで、ここでも世界は常に動いていることを痛感したのでした。

「うーむ…」と思ったこと2023年06月14日 19時06分12秒

話を蒸し返しますが、プラネタリウム100周年を話題にしたとき、改めてプラネタリウム関連の品をいろいろ探していました。そこで見つけたうちのひとつが、「カール・ツァイス創立125周年」を記念して、1971年に当時の東ドイツで発行された切手です。

でも、現物が届いてじーっと見ているうちに、「あれ?」と思いました。
何だかすでに持っているような気がしたからです。


ストックブックを開いたら、たしかに同じものがありました。
すでに持っているのに気づかず、同じものを買ってしまうというのは、日常わりとあることですが、それはたいてい不注意の為せるわざです。

今回、自分が日頃気合を入れている趣味の領域でも、それが生じたということで、「うーむ…」と思いました。モノが増えたということもあるし、自分が衰えたということもあるんですが、いずれにしても、これは自分の所蔵品を自分の脳でうまく管理できなくなっていることの現れで、これはやっぱり「うーむ…」なのです。


切手に罪はなく、52年前の切手は変わらず色鮮やかで、そのことがまた「うーむ…」です。まあ、今後こういうことがだんだん増えていくんでしょうね。

A Shadow of an Evil Magician2023年05月20日 19時03分47秒



私事ながら(個人のブログですから常に私事ですが)、今日は少なからず困憊しました。

毎月今ぐらいの時期に、カードの引き落とし額確定の通知が来るんですが、最近の利用明細を眺めているうちに、1回の買物でウン十万円という利用履歴を見つけて、「!!!!」と思いました。言うまでもなく、カード情報を抜かれて不正利用されたのです。

頭に血が上りつつ、即座にカード会社に連絡をとり、もろもろの手続きをとったことは言うまでもありません。それにしても、フィッシング詐欺には日頃注意しているし、機械にも一応のセキュリティは施してあるので、いったいどこでやられたのか、まったく想像も付きません。まこと不善の者の悪知恵は際限がなく、今回は完敗でした。

これをご覧の方も、どうか以て他山の石としていただきたいです。
まあ、原因が分からないので、何をどう参考にするといいのか判然としませんけれど、問題があれば即対応できるよう、利用履歴をこまめにチェックすることは簡単にできて、効果があるかもしれません。発生予防にはならなくても、AEDがあれば助かる命もあるのです。

ああ、それにしても…(ブツブツ)

晴読雨読2023年05月04日 08時50分05秒

家人が「あー、本を読まないとバカになる」と言うのを聞いて、なるほど一理あると思いました。ネットが生活に入り込んだことで、読書量が目に見えて減ってしまい、私自身もずいぶんバカになっている自覚があります。いろいろ興味を惹かれるテーマがないでもないので、この連休は少しまともな本を読もうと思います。そんなわけで、時間的にはわりと余裕があるんですが、ブログの更新はゆっくりです。皆様もどうぞ好い連休をお過ごしください。

呪粉2023年04月27日 06時35分52秒

えらい目に遭いました。
こないだ風邪っぽくて、ずっと寝ていたと書きました。そしてそれは回復したとも。
実際、そうには違いないのですが、しかし、あれは前駆症状だったのかもしれません。

昨日は朝から鼻水がとまらず、くしゃみも立て続けに出るし、目も涙目だし、これはどう見ても花粉症です。私は幸いなことに、これまで花粉症とは無縁で、しかも今年のスギ花粉シーズンもそろそろ終わりですから、なんで今さら?と、まさに青天に霹靂を聞く思いでした。でも花粉症というのは、出るときは突然出るものらしいですね。

何にせよ滝のように出る鼻水には勝てないので、仕事帰りにクリニックに寄ってきました。先生曰く、「今日は朝からあなたのような人が非常に多い。症状は確かに花粉症だが、雨と風で何かが巻き上げられたのかもしれない。たとえば黄砂とか…」という話で、とりあえず薬を飲んで1週間様子を見ることになりました。

花粉症じゃないといいなあと、祈るような気持ちですが、思うに私は今まで周囲の花粉症の人に冷淡過ぎました。前非を悔い、そうした人々の輪に加わり、共感共苦の連帯の道を歩むよう天が示された、これはすなわち天意であるのかもしれません。でも、天意でも何でも、やっぱり花粉症はいやなので、1週間おとなしく様子を見ることにします。

(アグネス・チャン 「風媒花(たんぽぽ)」、1980

 届け、届け、届け、あなたに届け。
 届け、届け、届け、風に負けるな。
 届け、届け、届け、遥かな町へ思いを伝えて。

ここでアグネス・チャンさんが思いを託しているのは、タンポポの綿毛なんでしょうが、風媒花が飛ばすのは花粉であって、あんまり遥かな町まで届いてほしくはないですね(そもそもタンポポは虫媒花です)。

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結局、本来の記事はまた書けませんでした。
でも頭出しだけしておくと、今年は「プラネタリウム100年」なので、プラネタリウムの話題を書こうと思っています。

Player 1、応答せよ2023年04月25日 06時31分20秒

週末は風邪症状で、ずっと寝ていました。
1日10数時間以上も眠り続けていたので、風邪というよりは、単に疲れが溜まっていただけかもしれません。

そして、私が眠りこけている間にも世間ではいろいろな事が起こり、目覚めてみれば、国内では衆参補欠選挙で自民辛勝、国外ではスーダン情勢がさらに緊迫というニュースが流れていました。世界は常に動いていますね。

選挙のたびに投票率の低下を憂う声が上がります。私も主権者の権利放棄という意味で、それを嘆かわしいことだと感じます。でも、投票しない人もまた投票しないことによって世界を動かしていることは確かです。

今や78億に達した世界の人々は、その一人ひとりが全て歴史というゲームに参加しているプレーヤーであり、そして選挙と違って、この歴史ゲームのプレーヤーたることは、彼/彼女が生きている限り、決して棄権することができません。

…そんなことを思いながら、ニュースを見ていました。

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さて、さまざまな天文レリクス(遺物)の向こうに、往古の歴史ゲームを振り返ろうという本来の記事は次回に。

残花2023年04月14日 17時01分57秒

桜はもうすっかり散って、ソメイヨシノは葉桜の装いです。
でも、よく注意して眺めると、まだ枝ごとに一、二輪の残り花を見ることができます。
生き遅れ、死に遅れた花たち。

もし花に自意識があったら、かつて無数に咲き誇った仲間の存在を聞かされた時、どんな気持ちがするでしょうね。


そういえば、シーズン最後の蝉の声を聞いたときも、似たような感慨を持ちました。
彼はいったい何のために鳴いているのだろう? おそらく彼に配偶者はもう現れないし、周囲には競い合うライバルだって一匹もいないのに、なぜそんなに声を張り上げているのか?

もちろん、花は無心に咲き、蝉は無心に鳴いているだけのことで、こんな感慨は時代に遅れた人間が、眼前の対象に自己を投影しているにすぎません。でも…。

我ながら感傷的だと思います。
春の愁いはもう少し続くことでしょう。

Midspring Night’s Dream2023年04月12日 19時51分16秒

ここのところ、ちょっとぼんやりしていました。花粉と黄砂のせいかもしれません。
ぼんやりついでに、昨日は仕事帰りに、名古屋・伏見のantique Salonさんをひさしぶりに訪ねて、店主の市さんとあれこれ話し込んでいました。

何か珍しいものはないか?という、いつもの挨拶代わりの話題に始まり、仕入れの苦労、年齢をめぐる話、さる富豪の噂、そして将来のイベント構想など、互いに微苦笑の交じるひと時を過ごした後、「そのうちのんびり酒でも飲みながら、星でも眺めたいですね…」というところに話は落ち着きました。

長っ尻のわりに何も買わない、そんな客ともいえない客を迎えて、市さんにとってはご迷惑だったと思うんですが、ぼんやりした頭を抱えて、春の夕刻にそんな話をして時を過ごすというのは、とても贅沢な時間の使い方だと感じられました。しかも顔を上げれば、棚には解剖模型が並び、目を落とせば義眼と目が合う仄暗い空間に身をおいて、互いにくぐもった声でやりとりするのですから、なんだか目を開けながら夢を見ているような気分です。

「酔生夢死」というのは、無駄に生きることを指す、一般には好ましからざる言葉なのでしょうが、こういう時を過ごした後では、むしろ理想の生き方のようにも思えてきます。

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電車に揺られて家に帰ると、京都の古書店から古書市の案内が届いていました。

カラー図版の美しい目録を眺めているうちに、「あ、この本いいな」と思える古書が見つかりました。でも当然のごとく値が張るので、一体どうしたものか…と腕組みをして考えていたんですが、しばらく見ているうちに、なんだかこの本はすでに持っているような気がしました。

さっそく本棚をひっくり返すと、なるほど確かにありました。
「やったー」と喜びながら、でも何かおかしいぞ…と思いました。自分の欲しいと思う本が、そんなに都合よく本棚から出てくるはずがありません。ひょっとしてこれは夢を見ているのだろうか? 夢だとしたら、自分は一体いつから夢を見ているのだろう? 京都から届いた目録というのは、本当に現実に属するものなのか?

そこまで考えると、antique Salonさんで市さんと話したことも、本当のことなのか自信がなくなってくるし、「存在の不確かさ」みたいなものが、ひたひたと周囲から押し寄せて、春の闇はいよいよ濃く深くなってゆくのでした。

(今日の晩酌の友は「よなよなエール」)

寺田寅彦と牧野富太郎2023年04月05日 06時23分00秒

かつて「明治科学の肖像」と題して、東京帝国大学理科大学の古い卒業写真を採り上げたことがあります。


そこには、学生・教員とりまぜて、日本の科学を先導した偉人たちが居並んでいるのですが、そのうちの1人が寺田寅彦で、記事を読まれた寺田寅彦記念館(高知市)の関係者からご連絡をいただき、画像データを同館に提供させていただいたことがあります。

たったそれだけの御縁にもかかわらず、寺田寅彦記念館友の会様からは、会報「槲(かしわ)」を毎号お送りいただいており、さすが土佐の人は情誼に厚いと、大いに感じ入っています。

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先日も会報の第96号が届き、興味深く拝読したのですが、その中に宮英司氏による「寺田博士と牧野博士のご縁」という記事が掲載されていました。

寺田寅彦と牧野富太郎は、ともに高知出身の科学者ですが、両者にはこんなエピソードがあった…として、以下にように書かれています。一部を引用させていただきます。

 「寺田博士(1878~1935年)と牧野博士(1862~1957年)は同じ時代を生きている。この2人に関しては興味深い話が残されている。高知県越知町の横倉山自然の森博物館ニュースの「不思議の森から」(2006年1月号)を以下に引用する。(著者は当時の同博物館の安井敏夫副館長兼学芸員)

     *

 高知県出身の動物学(魚類学)の大家・田中茂穂博士がかつて東京の私電の中で、寺田寅彦博士と同車した際、たまたま土佐出身の人物の話になり、田中博士が「ときに寺田さん、貴方は土佐出身者で誰を一番偉いと思いますか」と尋ねたところ、寺田博士はすぐさま「牧野富太郎」と答えたという。後日、田中博士が牧野博士に会った時、同じ質問をしたところ、牧野博士は直ちに「寺田寅彦」と答えたといわれている。」
 (「槲」第96号〔令和5年2月〕、pp.8-9.)

これだけでも、だいぶ引用の連鎖が伸びていて、究極の出典は今のところ不明です。話としては、なんだか出来すぎのような気もします。しかし、古来「英雄は英雄を知る」と言いますから、他に抜きん出た存在として、両博士は互いに深く感ずるところがあったのでしょう。

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NHKで朝ドラ「らんまん」が始まり、主人公の牧野富太郎(今はまだ子供時代のエピソードですが、成人後は神木隆之介さんが演じる由)に注目が集まっています。それはそれで興味深く、大いに盛り上げてほしいですが、その人間的魅力やドラマ性においては、寺田寅彦もおさおさ劣りませんから、こちらもいずれぜひ作品化してほしいと思います。(上掲の記事で、筆者の宮氏もそのことに触れられていました。)