8月のソーダ水2014年08月03日 11時46分39秒



『8月のソーダ水(太田出版、2013)
『睡沌氣候』(スイトンキコウ)に続く、コマツシンヤさんの第2作品集です。
(『睡沌氣候』については、http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/01/12/ を参照。)

『睡沌氣候』では、シュールな、暗い影の差す作品も多かったですが、今回はそういったものの一切ない、本当に8月のソーダ水のような、明るく、青く、白い作品に仕上がっています。以下は、コマツさん自身の「あとがき」より。

  入道雲の浮かぶ空、水平線、ビー玉、灯台、漂流物、
  結晶のような白い街並み、貝殻、昼の月、
  ラムネ瓶、海沿いを走る電車、炭酸水、夏の終わりを告げる風……
  そんなもの達の詰め合わせのようなマンガが
  描けないものかなあ、と随分前から考えていました。
  (後略)

舞台は架空の街、翠曜岬(すいようみさき)。
主人公は、おばあちゃんと二人で暮らす少女、海辺リサ。

彼女は、昼間は友人のもな子ちゃんと一緒にかき氷を食べ、日が暮れればラムネ玉の中にクジラと一緒に泳ぐ自分を夢見ながら眠りに落ちるような、のんびりした日々を送っています。そうした日常の中に、孤島で貝を研究する老人との出会い、歩く灯台に揺られて眺めるヒマワリ畑、数十年に一度、月の大接近に伴い町が水没する「海迎えの日」のざわめき…といったエピソードが点綴されています。


そこに格別複雑なストーリーが展開するわけではありません。また、人間の心の奥が描破されているわけでもありません。でも、この作品は何と言うか、空気感がいいですね。海沿いの街に流れる、永遠に続く夏休みのような、ある種の気分がこの作品の魅力だと感じます。


全ページフルカラーの美しい本です。
各話1ページのショートコミック「うわのそらが丘より」を併せて収録。

Wandering Parcel2014年03月06日 22時39分59秒



 フープ博士が月へ向けて故郷の街を出発してから、二年の歳月が流れた。その間、何の知らせも届かなかった。人々は探検が失敗したものと思い、偉大な科学者の死を悲しんだ。

 そんなある日、もはや解散寸前となった科学探検倶楽部のもとに、一通の手紙が届けられた。どこをどのようにして配送されて来たかは不明だが、様々な異国のスタンプがびっしりと押され、まっ黒になった手紙の差し出し人の名を見ると、Doctor Hoop on the Moon, と、ペン書きされていた。

   (たむらしげる「月からの手紙」、『フープ博士の月への旅』、青林堂、1980所収)


   ★

先月の初め、ドイツから荷物(星座に関する本)を送ってもらいました。
それが待てど暮らせど来ないので、先方にトラッキングナンバーを確認しました(3度聞いて、3度目にやっと教えてくれました)。

さっそく追跡してみたところ、ドイツからは難なく飛び立ったものの、なぜか降り立った先はカナダ。そのままカナダの税関を通って(それも解せない話)、ひと月たった今もカナダの郵便局にあると知って、ちょっとやるせない思いです。

しかし、最初はカナダの大西洋岸にあった荷物が、今は太平洋岸の都市までにじり寄って来ていることを、トラッキング情報は告げています。このまま太平洋を越えて、日本まで送り届けるつもりかもしれません。あるいは結局ドイツに返送されるのか?はたまた「彼」は、更に多くの国を経て、たくさんの土産話を携えて日本にやって来るのか?

何だかやけに長くなったトラッキング情報を見て、フープ博士のことを思い出しました。

   ★

今回の配送業者はDHLですが、DHLは以前も同じようなミスで、到着が大幅に遅れたことがあります。ネット上でもあまりいい評判を聞きませんし、DHLはちょっと鬼門です。とりあえずフープ博士の手紙を待つつもりで、もう少し待ってみます。

虹のかけら(7)…虹の正体2014年02月15日 11時36分44秒

虹にちなんで、このシリーズも7回で語り納めにしますが、これまで書いたことには、実は大きな誤りがあります。というのは、虹の正体は決して光のスペクトルなどではなのです。この点に関して、読み手の誤解を招いたことを、幾重にもお詫びします。

   ★

虹が単なる光学現象ではない証拠に、北半球の中緯度地方にある、「虹の谷絵具工場」では、固形化した虹を削り取って絵の具の材料にしていることが、早くから報じられています。(1)


虹は明らかに手で触れることのできる、物質的存在です。

   ★

しかし、実は虹にも多くの種類があって、そのすべてが物質的存在というわけでもないことに注意してください。中には記号の連鎖から構成された、すぐれて抽象的な虹も存在することが分かっています。(2)


その記号を解析すれば、世界のすべての謎が解ける…そう確信した某少年は、記号の転写を熱心に試みますが、何度やっても途中でごちゃごちゃになってしまうことを嘆いていました。

しかし、ある日、少年はその目で見ます。山高帽の男たちが、精巧な装置を用いて、虹の記号をこの上なく正確に読み取っているのを。


男たちの正体と、虹の記号が物語る世界の真実が何であるかは、残念ながらまだ明らかではありませんので、少年のさらなる探求に期待したいと思います。

   ★

虹には、まだまだ多くの秘密があります。
虹の収集と分類こそ、21世紀の博物学にとって恰好のテーマではないでしょうか。


【参考文献】
(1)たむらしげる、『PHANTASMAGORIA』(架空社、1989)、p.13.
(2)コマツシンヤ、「記号の虹」、『睡沌気候』(青林工藝舎、2011)、pp.28-33.

青い宇宙を翔ぶ2014年01月16日 22時55分49秒

この時期、ちらちら白いものが舞うと、鴨沢祐仁氏のことを思い出します。
氏は孤独死されたので、正確な忌日は不明ですが、推定2008年1月12日没。
早いもので、今年はもう七回忌です。

先日、天文ゲームの話題があったので、鴨沢氏やクシー君が好みそうなゲームを、お供えとして載せておきます。


フリドリンの宇宙旅行ゲーム。
フリドリンは、1920年代のドイツ語圏で絶大な人気を誇った少年雑誌「愉快なフリドリン」のタイトルロゴとなったキャラクターで、イルカ号に乗って縦横に飛び回る人物として造形されています。


このゲームは同誌の版元 Ullstein 社が出したもので、外袋の裏を見ると、他にもいろいろゲームが出ている中、これはその第1作。袋絵とゲーム盤のデザインは、同誌に漫画を連載していたフェルディナント・バーログ(1895-1955)が手掛けました。


イルカ号を駆って空をゆくフリドリン。


ゲーム用の駒とか、カードとか、他にも付属品があったように思いますが、今残っているのは、外袋とこのボードのみです。
明るく輝く星々と、その背後に広がる青い宇宙。この石版で刷った青色が、何ともいいですね。

   ★

冬の星座が木々の梢越しに震える晩、赤々と燃えるコメットクラブの暖炉脇に陣取り、こんどクシー君や鴨沢氏とこれで遊んでみようと思います。

【参考】
■「愉快なフリドリン」誌について
 http://members.aon.at/zeitlupe/derheiterefridolin.html
■フェルディナント・バーログについて
 http://www.lambiek.net/artists/b/barlog_ferdinand.htm

天体議会の世界…Smoking Boys(1)2013年09月24日 20時14分20秒

「天体議会」の銅貨と水蓮、あるいは「クシー君シリーズ」に登場するクシー君とイオタ君のふたりが、「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカンパネルラのふたりと大いに異なるのは、彼らがやたらにタバコをふかすところ。
この点において、彼らは「賢治の子」であるばかりでなく、「足穂の子」たる資格をも十分備えています。

(「まあ一服」とクシー君とイオタ君。鴨沢祐仁作「流れ星整備工場」より)

   ★

それにしても、タバコほど、ここ四半世紀で、その社会的意味合いを大きく変えた嗜好品も珍しいでしょう。ちょっと前まで喫煙は「大人の象徴」であり、成長過程における通過儀礼的意味合いすらありましたが、今やスモーカーは社会的不適合者と見られかねない勢いです。

私自身は昔も今もタバコをやらないので、そうむきになってタバコ擁護論を展開するつもりはありませんが、しかし、かつては確かに<喫煙文化>や<紫煙の美学>というものがあり、社会の側もそれを公認していた事実は、はっきり指摘しておかねばなりません。

(ロボットも一服。鴨沢祐仁作「1001 bit STORY」より)

「足穂の子」がシガレットを口にするのも、それが明らかに「カッコいい所作」と受け取られていたからで、こういう当たり前のことも、今のような状況が続くと次第に分からなくなっていくかもしれません。

(ちょっぴりへそ曲がりなことを言うと、社会的害悪という点では、アルコールの方がはるかに罪深いはずで、その怖さは脱法ドラッグの比ではないでしょう。そのことは酒毒で苦しみぬいたタルホ御大自らが証明しています。)

そんなわけで、昔のタバコのパッケージは、実力派デザイナーの腕の振るいどころであったとおぼしく、今の目で見ても「うわ、カッコいいな」と思うものが多くて、その方面のコレクターも大勢いるはずです(eBayではそれ単独でカテゴリーが作られています)。

   ★

以下に、天体議会のメンバーが好んで吸っていた(と私が想像する)銘柄を挙げておきます。


まずは「STAR FIELD」。これは言うまでもなく議会メンバー御用達のブランドで、議会招集の折には絶対に欠かせない品(のはず)。


箱の裏側中央に注目。ちょっと見にくいですが、「Star Field」の文字の下に、スターシガレットでおなじみの(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/01/15/5637492)イギリスのWills社の星マークが見えます。もちろんこの「STAR FIELD」も同社の製品です。


厚地のパッケージの他に、薄紙の包装紙も見つけたました。

(この項つづく)

書斎プチ改造(3)2013年03月17日 16時42分12秒

部屋の雰囲気は、照明によってガラッと変わると聞き、新たな照明器具を置こうと思いました。今まで暗がりになっていた一角に光を届ける、何か新たなデバイスがないか?いろいろ考えた末に、凝った照明はやめにして、素朴な電球をポツンと点すことにしました。

電球というのは、私の中ではたむらしげる氏の世界と結びついています。
それは氏が創造した幻影の世界「ファンタスマゴリア」に、巨大な電球が登場するのを見たせいでしょう。

(DVD版「a piece of PHANTASMAGORIA」パッケージ)

そこは4500年前の古代遺跡。砂に半ば埋もれた巨大なガラスの球体は、時々まばゆく発光するものの、何のために作られたかは解明されていない…という設定でした。

私はガラスドームが無性に好きなんですが、素通しの電球もそれと同じで、覗き込むと何かそこだけが独立した異世界のようで、不思議な気分になります。
そういえば、以前ご紹介した、コマツシンヤさんの『睡沌氣候(スイトンキコウ)』にも、ファンタジックな電球祭りの宵を描いた「でんじんさま」という作品が収録されていました。電球は一部の人の空想をいたく刺激する存在のようです。

(コマツシンヤ作「でんじんさま」より)

そんなわけで、時代には逆行しますが、白熱電球を買いに出かけ、たまたま見つけた復刻版エジソン電球というのを連れて帰りました。

(ガラスの中の別天地)

(フィラメントの知恵の輪)

   ★

この電球を部屋の隅に立てて、スイッチをひねれば…


さっと温かな光があふれ、部屋に不思議な表情を与えてくれます。


【おまけ】

我が家のタイプライターは基本的にディスプレイ用ですが、一応完動品と聞いたので、試しに打ってみました。


インクリボンが古いせいか、字がかすれていますが、とりあえず打てました。今後活用の機会があれば、またパチパチやってみようと思います。

大みそかの調べに乗せて2012年12月31日 16時45分38秒

年末の風物詩、N響の第九演奏会が、今晩8時からEテレで放送されます。
今年の指揮者は、イギリス出身のロジャー・ノリントン。

   ★

フープ博士たちが暮らす、惑星「ファンタスマゴリア」でも、毎年1回、この時期に冬のコンサートが開かれます。


空の上でスノーマンたちが、
巨大な六方晶の氷の彫刻をせっせとこしらえ、
それが地上にゆっくりと落ちてくる晩。


楽団員たちは、深海2千メートルの「ネプチューン・シティ」にそびえる
巨大な巻貝型のコンサート・ホールに集い、
1年間きたえた、すばらしい楽の音を披露します。


コンサート・ホールは送信器を兼ねており、
その音楽を聴こうと、惑星中の人々は巻貝を耳に押し当て…

   ★

1986年に出た、たむらしげるさんの「冬のコンサート」(単行本『水晶狩り』所収)より。
たむらさんの作品世界にも、時代とともに自ずと変遷があるのでしょうが、私としてはこの時期のものがいちばんしっくり来ます。(己の若さを懐かしむ気分も混じっているのでしょう。)

   ★

地上に矛盾が渦巻いた2012年もまもなく終わりを迎えます。

こうして巻貝を耳に当てても、残念ながらファンタスマゴリアの楽の音は聞こえません。
でも、美しい世界に憧れる心の向こうに、たしかにファンタスマゴリアは存在するのでしょう。いや、むしろタルホが発見した薄板界のように、それは案外この世界のすぐ隣に在るのかもしれません。

それに…と思います。
心静かに見渡せば、草木も、虫も、鳥も、石くれも、星も、不思議な美しさに満ちあふれており、ファンタスマゴリアにだって、おさおさ引けを取るものではありません。
厄介な人間の心も、深く分け入ってみれば、山あり谷あり泉あり、なかなか興味の尽きない一大世界です。

来年は早くも8年目に入る「天文古玩」。
いささか足取りがヨタヨタしてきましたが、まだまだ杖にすがって、この不思議な世界を旅して回ろうと思います。気が向いたときには共に歩み、言葉を交わしていただければ幸いです。

それでは皆さん、よいお年を!

クリスマスイヴ、黒猫にみちびかれて(前編)2012年12月24日 16時19分30秒



鴨沢祐仁さんが24歳のときに描いた、初期の代表作「流れ星整備工場」(1976)。

主人公は(もちろん)クシー君イオタ君
舞台はクールなプラトーン・シティ。
そして季節はクリスマスを目前に控えたある晩です。

森の中の天文台を訪れたふたりは、空に輝く星がすべてプラネタリウムから生まれたものであり、見慣れた市電車庫は、実は流れ星を再生して、もう一度夜空に放つための「流れ星整備工場」だと聞かされて……というファンタジックな作品。
 

発表誌は「ガロ」ですから、もちろん単なる子ども向けの童話ではなくて、いろいろひねった設定や、洒落た小道具が登場します。

そのひとつが、作品の中で重要な役を演じる、1匹の謎めいた黒猫。
クシー君とイオタ君を天文台まで導いたこの猫、実は天文台の主・キセノン博士の愛猫(名前はテクネチウム)だったことが、途中で明らかになります。
 


    ★

さて、クシー君たちが「黒猫のしっぽ線」に乗り込んだころ、
ちょうど私の前にも黒猫が…

(後編につづく)

ハイボール片手に不思議な夜を… Black Comet Club2012年08月11日 11時07分38秒

こころの霧もはれ、ぼちぼち再開です。
(ちなみに、こころの霧というのは家族のことでした。さいわい何事もなくてよかったですが、天文古玩趣味などというのは、平凡な日常があってこそのものだなあ…と、つくづく感じました。まあ、何が起ころうと自分の世界を堅持できる強い人もいると思いますが、私は全然ダメです。)

   ★

最近の記事の中に、サロン・ド・六甲昆虫館Lagado研究所鉱物BAR といった、一連の素敵スポット・素敵イベントがいくつか登場しました。
こういう素敵な場が、最近あちこちに増えているのは大いに喜ばしいことです。
そして、今日もまたとびきり素敵なお店のオープンをお伝えすることができます。


HIGHBALL BAR  Black Comet Club
 http://blackcometclub.com/
 福島市陣場町 8-11 茂木ビル 1F
 TEL 024-573-1325
 営業時間 18:00-24:00 (日曜・祝日定休 )

お店のロケーションが、関東でも関西でもなくて、ちょっと伏兵的な場所・福島だというのが、「ここではない何処か」への憧れを誘います。

   ★

Black Comet Club との出会いは、けっこう以前にさかのぼります。
きっかけは、鴨沢祐仁氏の「クシー君」について検索していて、店主・サイトウヒツジさんによる同名のブログに行き会ったのが最初だと記憶しています。その後、しばらく更新がないな…と思っていたら、突如こんな素敵なお店が誕生していました。本当に魔法を見るようです。

(クシー君とイオタ君の待ち合わせ場所は、高台にあるコメット・クラブ。今夜の合言葉は「ネオン!」「アルゴン!」。鴨沢祐仁、「流れ星整備工場」(1976)より。)

以下、同店トップページの自己紹介文より。

  月と星と押し入れの中の秘密。
  稲垣足穂・澁澤龍彦。
  QUEEN・The Beatles・David Sylvian・The Books。
  鉱物。クシー君。
  あがた森魚・矢野顕子・谷山浩子。
  土星の輪。すべての音楽。猫。
  髑髏。
  サーカス。
  夏祭り。
  化石。夕暮れの外灯の影に佇むヒト。蝙蝠。
  なんだかわからないけれど、懐かしいナニカ。
  
  僕の大好きなそんなものたちとともに飲むお酒はなんだろう?と考えたときに、
  やっぱり大好きなハイボールを選びました。
 
  落とした照明と、ほんのり灯油の香りがするランプ。
  出来たてのポップコーン。
  博物趣味を感じさせるモノたち。
  楽器たち。
  そんなモノたちの中で、お客様それぞれがいろいろな想いの中でお酒を
  楽しんでいただければ幸いです。

ああ!「なんだかわからないけれど、懐かしいナニカ」。
なんだかわからないけれど、本当によくわかる気がします。
この感覚、一言でいえば、やはり「郷愁」でしょうか。見たはずがないものへの郷愁。
…いや、やっぱりどこかで見たのかもしれません。自分が、かつて自分以外のものであった頃に見た記憶。

(稲垣足穂、「THE BLACK COMET CLUB」全文。『一千一秒物語』(1923)所収。)

空をゆく彗星を思いつつ、グラスの向こうに、その微かな記憶を追ってみたいです。
そしてふと気がつけば、隣でクシー君が咳払いをしている…とか。

(サイトウヒツジさんからのメールによると、右側に写っている土星のガラス模型は、拙ブログ経由でお知りになったそうで、ちょっと鼻が高いです。)

懐かしい未来2012年03月24日 19時16分45秒

鹿島茂さんの古書エッセイに、「二十世紀」というのがあります(白水社刊 『それでも古書を買いました』 所収)。ヴェルヌの同時代のSF作家、A.ロビダの未来小説、『二十世紀』(1883)について触れたもので、鹿島氏はこう書いています。

「〔…〕挿絵本の歴史からいうと、この本はある大きな意味をもっている。それは、この『二十世紀』において、別刷の挿絵についに写真製版が導入された点である。

 〔…〕これは当時としては画期的なことで、この未来予測の本に大きな付加価値を与えることに貢献したはずである。

 ところが、写真製版が当たり前になってしまった現代から見ると、当時においては付加価値となったこの画期的な技法が逆に古本としての価値を大いに減ずる結果になっているのである。すなわち、『二十世紀』の挿絵は、「写真製版にすぎない」というわけだ。これは新しいものが価値をもつ期間はごく短く、それが当たり前のことになれば、むしろマイナスの価値にしかならないという科学史の法則を裏付ける格好になっている。」

(A.ロビダ作・挿絵、『二十世紀』、1883年。東洋書林刊 『ジュール・ヴェルヌの世紀』より)

なるほど、これは鋭い指摘。

   ★

私にも、最近似たような感想を持った本があります。

たむらしげるさんの『標本箱/博物編(架空社)という本は、フープ博士、標本、博物…という、私の好きなキーワードを並べた本なので、理論的には、この本は私のお気に入りになるはずでした。


しかし、そうはならず、古書店から届いた本を開いた瞬間、
「あ、これは…」と思いました。

                         (「翼竜」)
(同上、解説)

                                (「星を眺めるビル」、部分)

この本が出たのは1991年。週刊「TV Station」の表紙絵をあつめたもので、絵自体は80年代末に描かれたものかなと思います。

たむら氏は、早期から作画にPCを使っており、その後一貫してマシンとソフトの更新を続けていらっしゃるので、現在の氏の絵とはまったく感じが違いますが、当時はこれこそが「新しい線」でした。

今、このギザギザの粗い線を見ると、「これなら手で描いた方がよっぽどいいんじゃないか?」と思いますけれど、当時は「機械で描く」こと自体に、新鮮な魅力があった…ような気がします。

(今の目で見ると、単に過渡期の作、あるいはいっそ下手(げて)な作とも見られますが、しかしだからこそ、そこには明瞭な時代の刻印が押されているとも言えるわけで、これがいつか「20世紀の素朴画」として再評価されるときが来ないとも限りません。)

   ★

ときに、天文古玩というのは、これは一体なんなのかなあ…と、ふと思いました。
懐かしの天文趣味とか理科趣味というのは、今だからこそ懐かしく感じるわけで、当時の人は別に「懐かしさ」を楽しんでいたわけではないでしょう。むしろ「現代的なもの」であるがゆえに、価値を感じていた人の方が多かったはずです。

まあ、結局はこちらの一方的な思い込みに過ぎないのでしょうが、できることなら、21世紀にこういう妙な思い込みを抱いている人間がいることを告げて、19世紀の人がどう思うか、その辺の感想を聞いてみたいものです。