ゴシックの館 ― 2021年08月28日 10時27分16秒
自分が強く心を惹かれる対象があって、自分の中でははっきりしたイメージがあるんだけれども、果たしてそれを何と呼んでいいか分からない。それを名状する言葉がない。
…時として、そういうもどかしい状態があると思います。
ブログ開設当初の自分も、そういう思いを強く抱いて、試みに「理科趣味」という言葉を作り出し、それが指し示すものをせっせと掘り下げてきました。その甲斐あって、この言葉にはある程度内実が備わり、今や分かる人には分かる言葉になったと思います。
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似たような言葉に、自分の身を置く空間を指す言葉として「理科室風書斎」というのがありました。まあ単純に、昔の理科室みたいな趣を備えた書斎ということなんですが、これはあまり一般化もしなかったし、理科室という言葉で自分の理想のすべてが言い尽くされているわけでもないので、言葉としてちょっと弱かったですね。
書斎の写真集(紙の本でもネットでも)を見ると、あきれるほど素晴らしい空間がたくさん紹介されています。中でも自分が強く惹かれる一連の部屋があって、でもそのスタイルを一体何と呼べばいいのかが謎でした。
ところが、です。
今日たまたま画像を探していて、その有力な候補を見つけました。
その検索語は「gothic home library」。
言われてみれば「なーんだ」ですが、ゴシックスタイルと書斎を結び付けて考えたことはこれまでありませんでした。でも両者が結び付いたとき、「自分が惹かれるのは、要はこういう空間なんだな」ということが、何となくスッと分かりました。
(gothic home library の画像検索結果)
上の画像は少なからず金満的な匂いがしますが、私の場合、金満という以上に「暗く静謐」というのが大事な要素なのでしょう。
そして以下の解説記事を目にして、その思いを一層強くしました(以下はMike & Margarita のYarmish夫妻によるインテリアサイト「DigsDigs」のコンテンツです)。
紹介されている写真を順々にご覧いただくと分かりますが、中には理科趣味のきわめて濃い部屋もあります。そして、言葉本来のゴシック趣味を反映したアーチウィンドウとか、教会風の内装であったりとか、(無論お金はかかっているのでしょうが)金満というよりも、むしろ精神性に強く訴える部屋もあったりで、そういう風情を好ましく思う自分がいます。
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おそらくこのブログの周辺の方には、同じような嗜好の方もいらっしゃると思うので、今後の方向性を考えるための参考に供します。
天文古書の森、クロウフォード・ライブラリー ― 2021年01月10日 11時10分41秒
自分が今いる部屋は本に囲まれているので、落ち着くと言えば落ち着きます。
でも、狭いといえばこの上なく狭いし、現状がベストなわけでは全然ありません。
よく骨董の目利きになるには、“とにかくホンモノを見ろ、本当に良いものを見ろ”と言いますね。この小さな部屋を、より味わい深いものにしようと思ったら、世界の優れたライブラリーを眺めて目を肥やすに限る…というわけで、ちょっと覗き見をしてみます。
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エジンバラ王立天文台に付属する「クロウフォード・ライブラリー」。
この世界有数の天文貴重書コレクションの概要は、以下のページに書かれています。
■The Crawford collection at the Royal Observatory Edinburgh
かいつまんで言うと、その名称はスコットランド貴族で「第26代クロウフォード伯爵」を名乗ったジェイムズ・ルドヴィック・リンゼイ(James Ludovic Lindsay、1847-1913)に由来し、アマチュア天文家であり、愛書家でもあったリンゼイが、自分の個人コレクション(総数11,000冊)を生前に寄贈して成立したものです。
上のページからは、さらにグーグルのストリートビューにリンクが張られていて、内部の様子を360度見渡すことができます。
(https://tinyurl.com/y498qvh5 リンク先に飛び、左上の本の画像をクリック。撮影はLeonardo Gandini 氏)
このライブラリーには、天文学史の古典――コペルニクスの『天球の回転について』とか、ケプラーやガリレオの諸著作――が、大抵初版で収まっていて、さらにリンゼイの興味はコペルニクス以前の世界にまで広がり、中世の彩色写本などもコレクションに含まれています。
(上の画像に続いて Leonardo Gandini氏の写真を寸借。以下も同じ)
ここに写っているのは、彼の11,000冊のコレクションの中でも、さらに貴重書を選りすぐった一室ではないかと想像しますが、まことに壮観です。
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まあ、財力のしからしむるところで、クロウフォード・ライブラリーを直接お手本にすることもできませんし、リンゼイの目指したものが私のそれと同じという保証もありません。
でも、北極点踏破を目指さなくても、北極星を目指して歩けば、北の町にあやまたず到達できるし、真北を目指さない人にとっても、北極星はナビゲーションツールとして依然有効です。
それに先達はあらまほしいもの…というのは、クロウフォード・ライブラリー自身が、身を以て教えてくれています。リンゼイの場合は、ロシアのプルコヴォ天文台付属図書館という当時最高のお手本があり、台長のオットー・ストルーヴェから直接指南を受けられたことが、その成立にあずかって大きな力があったと、上のリンク先には書かれています。
ちなみに、その「大先達」であるプルコヴォの蔵書。こちらはドイツ軍の猛攻が続いた第2次大戦中も疎開して無事だったのに、1997年の放火火災で大半が焼失・損耗してしまった…と、英語版Wikipedia「Pulkovo Observatoy」の項に書かれていました。やんぬるかな。まあ、こんなふうにコレクションの諸行無常ぶりを教えてくれるのも、大先達の「徳」なのでしょう。
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現在のクロウフォード・ライブラリーに、強いてケチをつけるとしたら、部屋がいかにも「普通の部屋」であることです。空調も効くでしょうし、その方が本の管理もしやすいのでしょうが、もうちょっと重厚感があると、なお良かったかな…と、これは個人的感想です。
(例えばこんな雰囲気。オックスフォードのボドリアン図書館。出典:De Laubier他、『The Most Beautiful in the World』、Abrams、2003)
澁澤邸のアストロラーベ(1) ― 2019年04月27日 13時50分08秒
稀代の文人、澁澤龍彦(1928-1987)。
その生没年を年号でいえば、すなわち昭和3年と昭和62年です。いわば、彼はまるまる昭和を生きた人。まあ、いちいち年号にとらわれる必要もないですが、平成が終わろうとする今、澁澤なき時代も早30年を超えたんだなあ…と思うにつけ、当時のことがしみじみ思い出されます。
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彼の書斎については以前も書いたことがあります。
あのたたずまいに憧れた人、そして深い影響を受けた人は少なくないでしょう。私もその一人で、今でもふと、自分が「澁澤ごっこ」をしてるだけなんじゃないかと、後ろめたく感じるときがあります。
しかし澁澤の場合、「オブジェ好き」を自認してはいても、コレクター的偏執は薄かったので、わけもなく物量に走ることなく、あの洒落た部屋に見苦しいまでにモノが堆積することがなくて済んだのは、彼自身にとっても、彼のファンにとっても甚だ幸いなことでした。
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ところで、澁澤が手元に置いた品の性格に関していうと、彼は自然万般への関心は強かったでしょうが、特に天文に傾倒した形跡はないので、その収集物にも天文関係の品はごく少ないように見えます。そうした中で異彩を放つのが、彼が自らイランの古道具屋で求めた、大小のアストロラーベです。
(澁澤の書斎の一角。篠山紀信撮影「季刊みづゑ」1987年冬号より)
(同拡大)
「昭和の日」を前に、澁澤のアストロラーベに一寸こだわってみます。
(この項つづく)
ステンドグラスのある風景 ― 2018年04月30日 11時45分48秒
前回のおまけで、もう1回ステンドグラスについて書きます。
ステンドグラスへの憧れは、教会音楽への関心なんかといっしょに芽生えたのかなあと思いますが、今となってはよく思い出せません。
ただ、それを書斎の窓際に置きたいと思ったのには、はっきりとした理由があります。
それはユングの書斎の光景が、心にずっと残っていたからです。
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875-1961)は、フロイトともに人間の無意識を探求した人。オカルティズムに近い色眼鏡で見られることもあるし、各界には自称ユンギアンが大勢いて、好き勝手にいろんなことを放言するので、ユング自身も胡散臭い目で見られることが多いですが、彼が人間理解の幅を広げた、知の巨人であることは確かでしょう。
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多くの人と同様、私も河合隼雄氏の著作でユングを知った口です。
昔、そのうちの一冊の口絵で見た写真が、上に書いたところの「心に残るユングの書斎風景」で、その本はいまも手元にあります。
(C.G.ユング他著、河合隼雄監訳『人間と象徴(上)』、河出書房新社、1975より。なお、手元の本は1980年の第12版です)
十代の私にとって、それは理想の家であり、理想の書斎に見えました。
そして、書斎の窓を彩るステンドグラスも、静謐で瞑想的な雰囲気を醸し出すものとして、書斎になくてはならぬものだ…という刷り込みがそこで行われたのです。まあ、幼稚な発想かもしれませんが、若いころに受けた影響は、侮りがたいものです。
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今改めて思うと、日本の若者の目に、ユングの家がかくまで理想的に映ったのは、ユングの家には、若き日のユング自身の理想が存分に投影されていたからだ…という事情もあった気がします。
ユングは、1908年にチューリッヒ湖のほとり、キュスナハトの町に家を建て、終生そこで暮らし、治療と研究に専念しました。晩年には、「家が広いと手入れも大変だ…」と、月並みな愚痴をこぼしていたそうですが、この家を建てるにあたって、彼は設計段階から、建築家と尋常ならざる熱意をもって綿密な打ち合わせを行いました。
(キュスナハトのユングの家の外観。左・1909年、右・2009年撮影。
Stiftung C.G.Jung Küsnachtが2009年に刊行した、『The House of C.G.Jung: The History and Restoration of the Residence of Emma and Carl Gustav Jung-Rauschenbach』裏表紙より)
ユングは、人形やおもちゃの建物などを砂箱に並べて、個人の内的世界を表現させる「箱庭療法」を創始しましたが、この愛すべき塔のある家を築くことは、ユング自身にとって、一種の箱庭療法の実践だったように思います。それぐらい、家とユングは一体化していました。
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ユングの家は、夫妻の没後も子孫に受け継がれ、今は保存のための財団によって管理されています。2階にある彼の書斎は生前のまま残され、例のステンドグラスもそのままです。
キリストの受難を描いたこの3連パネルは、中世のステンドグラスの複製だそうです。私は何か由緒のある品と思っていたので、その点はちょっと意外でしたが、ユングは「古美術品」を収集していたわけではなく、古人が抱いた「観念」に興味があったので、別に本物にこだわる必要はなかったのでしょう。
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ユングには、若い頃ずいぶん心を惹かれました。
たぶん、死が身近に迫るころ、もう一度その著を紐解くのではないかと思います。
中世がやってきた(2) ― 2018年04月29日 15時46分50秒
わが家にやってきた、ささやかな「中世」。
それは、窓際に置かれたステンドグラスの残欠です。
その姿はブラインドの角度を変えると現れるのですが、ご覧のように書斎の窓は隣家の窓と差し向かいなので、気後れして、腰を落ち着けて眺めることができないのは残念です。
でも、思い切ってブラインドを上げると、こんなふうにアクリルフレーム越しに「中世の光と色」が部屋に差し込みます(隣家の壁と窓は、ゴシックの森か何かに、脳内で置き換えて味わってください)。
目にパッと飛び込む星模様に…
華麗な甲冑姿の騎士。
何百年も色褪せない、鮮やかな赤、青、緑、黄のガラス絵。
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その技法から、おそらく1500年代にドイツ語圏(スイスかもしれません)で作られたものらしく、ちょっと「中世」と呼ぶには苦しいですが、近代以前の作であることは間違いありません。それに、ステンドグラスの制作は、16世紀後半~18世紀にひどく衰退し、19世紀になって俄然復活したので、その断絶以前の「中世ステンドグラスの掉尾を彩る作例」と呼ぶことは、許されるんじゃないでしょうか。
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ところで、上の写真で明らかなように、このステンドグラスは絵柄がバラバラです。
これは古いガラス片を寄せ集めて、再度ステンドグラスのパネルを拵えたためです。
誰が何のためにそんなことを…というのを考えるために、ここで記事を割って書き継ぎます。
中世がやってきた(1) ― 2018年04月28日 07時46分15秒
理系アンティークショップ、すなわち天文や博物趣味にかかわる古物を扱うお店は、往々にしてその手の品とともに、宗教アンティーク(ここでは主にキリスト教の)も扱っていることが多いようです。
科学と宗教はしばしば対立するものとされるので、これは一見不思議な光景です。
でも、両者は等しく「目に見える世界の背後を説くもの」であり、いわば「異世界を覗き見る窓」ですから、この二つの世界に共に惹かれる人がいても、不思議ではありません。かく言う私も、理科趣味を標榜する一方で、妙に抹香臭いものを好む面があります。
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「中世趣味」もその延長線上にあります。
中世というのは、日本でも西洋でも、戦乱と疫病に苦しんだ暗く冷たい時代で、そこにお伽チックなメルヘンとか、深い精神性とか、侘び寂びの幽玄世界を重ねて、むやみに有り難がるのは、現代人の勝手な思い込みに過ぎないというのも事実でしょう。
(日本の中世文学史家である、田中貴子氏の『中世幻妖』(幻戯書房、2010)は、「近代人が憧れた時代」の副題を持ち、帯には「小林秀雄、白洲正子、吉本隆明らがつくった<中世>幻想はわたしたちのイメージを無言の拘束力をもって縛りつづける」とあって、その辺の事情をよくうがっています。西洋でも事情は似たようなものでしょう。)
…と、予防線を張ったところで、やっぱり中世って、どこか心惹かれるところがあるんですよね。これは子供時代からの刷り込みもあるので、ちょっとどうしようもないです。
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そんな中世趣味の発露が、見慣れた光景の向こうに潜んでいます。
わりと最近わが家にやってきたもので、理科趣味とも天文趣味とも縁遠い品ですが、一種のヴンダー趣味ではあるし、これまた前から欲しいと思っていたモノなので、この辺で登場させることにします。
(この項つづく)
理科室少年の部屋 ― 2017年01月10日 22時59分23秒
仮想現実がいくら進化しても、自らが身を置くリアルな物理環境を、思いのままに作り上げたいと願うのは、人間として自然な感情でしょう。
そういうわけで、昔も今もインテリアに凝る人は少なくありませんし、私も素敵な部屋の写真を眺めるのは結構好きです。まあ、見ても自室が整うわけではないのですが、彼我の懸隔が大きいところにこそ、憧れも生まれるのでしょう。
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別件で画像検索していたら、「RoomClip」(http://roomclip.jp/)という、インテリア好きの人たちが写真を共有するサイトに行き会いました。そして、そこで「理科室少年のインテリア実例」とタグ付けされた写真が並んでいるのを発見し、「あ、これはいいな」と思いました。

■理科室少年のインテリア実例 http://roomclip.jp/tag/415076
驚いたのは、これが全てR-TYPEさんという、ただお一人の方が投稿されたものであることです。R-TYPEさんは、さまざまなアンティークや標本を蒐集され、それを魅力的にディスプレイして、博物館的なお宅を目指されているという、僭越ながらまことに共感できる趣味嗜好の方です。
もちろん、R-TYPEさんと私とでは、「快と感じる散らかり具合」や、色彩感覚も多少異なるので(私はどちらかといえば混沌とした空間を好みますし、いく分暗い感じの方が落ち着きます)、R-TYPEさんのお部屋をダイレクトに目指すことにはならないのですが、それでもこういう方の存在を知って、とても心強く思いました。
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最近は、以前ほど「理科室風書斎」の話題を語っていませんが、久方ぶりにそっち方面の話題も出してみようかな…と思いました。
秋爽好日 ― 2016年10月29日 10時10分00秒
「彼」のこと ― 2015年12月28日 21時03分55秒
今日が仕事納めだった方も多いことでしょう。
お互いやれやれですが、まあ何はともあれ一年間お疲れさまでした…と、ご同輩にねぎらいの言葉を贈りたいと思います。
お互いやれやれですが、まあ何はともあれ一年間お疲れさまでした…と、ご同輩にねぎらいの言葉を贈りたいと思います。
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私も何だかぐったりと疲れました。
こういうときは音楽を聞きながら、いつもの部屋で、いつもの彼と一杯やると。
こういうときは音楽を聞きながら、いつもの部屋で、いつもの彼と一杯やると。

見かけはあどけない子供ですが、実年齢からすれば、彼もだいぶ人生に疲労を覚えてきた頃でしょう。はたからは箱入り息子のように思われながら、人知れぬ苦労も随分重ねてきたはずです。
いつも何かにじっと耐えながら、瞳に万感の思いを込めて立っている彼は、つい弱音を吐く私よりも、たしかにずっと大人です。ああ、私も彼のようになりたい…とは思わないですが、こういうときに愚痴を聞いてくれる相手がいるのは、とても心強いことです。
悔悟と迷いと不安と―。
長い冬の夜、彼と話すべきことは山のようにあります。
長い冬の夜、彼と話すべきことは山のようにあります。
My Dear Caterpillars ― 2015年11月26日 21時59分51秒
昔、さる旧制高校に「青虫(カタピラー)」とあだ名された、非常に篤学の教師がいました。彼は学校の蔵書の充実を図ることに異常な努力を傾け、結果として、同校の図書館はある偏倚な傾向を帯びてはいたものの、特定の専門分野に関しては、大学図書館をも凌ぐ質と量を誇るに至りました。
「青虫」は一種偏屈な奇人と目されていましたが、その驚嘆すべき学殖は、最も怜悧な一群の学生たちにも畏敬の念を起こさせるものがありました。
ある日の深更、「青虫」の殊遇を得て、図書館内の一室に起居する権利を得た学生・黒川建吉のもとを、友人の三輪与志が訪ねます。
―君だね。
と、再び呟きながら、彼は三輪与志の前へ椅子を押しやった。
―青虫(カタピラー)の部屋にはまだ電燈がついているようだった。もう十二時…過ぎではないかしら。
―あ、そう。さっき此処からアキナスの『存在と本質』を持って行ったっけ…。
黒川健吉が傍らに差出した椅子に目もくれず、三輪与志は卓上に拡げられた書物を覗いた。
―『存在と本質』…あれは独訳だったかしら。青虫(カタピラー)はまだ神にへばりついているのかね。
舎監室の気配を窺うように、三輪与志は躯を曲げたまま、顔を傾けた。
と、再び呟きながら、彼は三輪与志の前へ椅子を押しやった。
―青虫(カタピラー)の部屋にはまだ電燈がついているようだった。もう十二時…過ぎではないかしら。
―あ、そう。さっき此処からアキナスの『存在と本質』を持って行ったっけ…。
黒川健吉が傍らに差出した椅子に目もくれず、三輪与志は卓上に拡げられた書物を覗いた。
―『存在と本質』…あれは独訳だったかしら。青虫(カタピラー)はまだ神にへばりついているのかね。
舎監室の気配を窺うように、三輪与志は躯を曲げたまま、顔を傾けた。
この日、二人の共通の友人である矢場徹吾が謎の失踪を遂げ、それから幾年かの後、三輪は癲狂院に収容されている矢場と再会を果たす…というところから、埴谷雄高(はにやゆたか)の形而上小説『死霊(しれい)』のストーリーは幕を開けます。
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とはいえ、『死霊』の内容を今となっては全く思い出せません。
いや、そもそも学生時代にリアルタイムで読んだときだって、全然理解できていなかったと思います。まあ、そこが形而上小説と呼ばれるゆえんなのでしょうが、ただ上に記した冒頭の描写は妙に印象に残っています。
いや、そもそも学生時代にリアルタイムで読んだときだって、全然理解できていなかったと思います。まあ、そこが形而上小説と呼ばれるゆえんなのでしょうが、ただ上に記した冒頭の描写は妙に印象に残っています。
暗い雰囲気の中で延々と続く衒学的な会話と、それを盛る器としての古風な四囲の描写に、若い頃の私はいたく心を奪われ、カタピラーの存在にも微かな憧憬を抱いたのでした。
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本当は『My Dear Caterpillars』と題された、別の本の話をしようと思ったのですが、ゆくりなくも『死霊』のことを思い出し、話題が横滑りしました。肝心の本の話は次回に。
(この項つづく)
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