火星の運河を眺める2024年11月30日 18時20分38秒

上海天文館について、ああだこうだ言いましたが、もちろん我が家にあれだけの質・量のコレクションがあるわけではありません。でも、上海天文館は建物も予算も、我が家とは4桁ぐらい違うはずなので、あの1万分の1に達していれば、「上海天文館と同規模のコレクション」と称しても良い理屈です(そんなこともないか…。でも、単位面積で比較すれば同等のはずです)。

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そんなわけで、上海ほど由緒正しい品ではないにしろ、我が家にもささやかな火星儀があります。


立派な架台もないし、直径90mmの小さな球体に過ぎませんが、あの「なつかしい火星」の表情をよく捉えています。


素材は樹脂で、アメリカの3Dプリンターメーカーが設立した子会社(だと思うんですが)「LittlePlanetFactory」が生み出した、商品名「Lowellian Mars」


その名は、火星の幻の運河を追い続けた天文家、パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell、 1855-1916)に由来します。

(よく見ると3Dプリンターによる積層の跡が同心円状に認められます)

制作にあたっては、近年の観測データを火星のテクスチャーのベースとして採用し、そこにローウェルの『Mars』(1895)掲載の運河図を重ねてプリントするという凝った作りで、なかなか真(?)に迫った火星儀ではないでしょうか。

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この品は数年前に購入したものと記憶しますが、今回記事を書くために検索したら、親会社であるShapeways 社は今年の7月に破産【参考LINK】、そしてLittlePlanetFactory もHP【LINK】は辛うじて残っているものの、全製品が「SOLD OUT」になっているのを発見しました。

まことに諸行無常の世の中です。
でも、こうなってみると、それでこそ果敢なく消えた火星の運河の思い出にふさわしい品であるような気もしてきます。

戦火の星2023年01月08日 12時48分53秒

先月最接近した火星は、まだまだ明るいです。
下は「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌、1909年11月27日号表紙より、「火星」と題されたイラスト(額装用に表紙だけバラして売っていました)。


作者は、画家・版画家のPierre Marie Joseph Lissac(1878-1955)で、こういうカリカチュアを描くときは「Pierlis」を名乗ったので、サインもそのようになっています。


火星を闊歩するのは、古代ローマ風の男性兵士と、それを指揮・督励している女性士官たち。


キャプションには「婦人参政権論者が雲上から地上に降臨させることを夢見るマーシャル文明」とあって、この「マーシャル」は、「戦闘的」と「火星の」のダブルミーニングでしょう。明らかに当時の「新しい女性」を揶揄した絵柄です。「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌は、1863年から1970年まで刊行された老舗総合誌で、誌名から想像されるような、いわゆる「女性誌」ではなかったので、こんなアイロニカルな挿絵も載ったのでしょう。

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火星は軍神マルスの星で、古来戦争と関連付けられてきました。火星の惑星記号♂も、盾と槍を図案化したものと聞けば、なるほどと思います。

野尻抱影は火星について、こんなふうに書いています。

 「何となく不気味で、特に梅雨の降りみ振らずみの夜などに赤い隻眼を据えてゐるのを見ると、不吉な感さへも誘ふ。西洋でこれを血に渇く軍神の星としたのも、支那で熒惑〔けいこく〕と呼び凶星として恐れてゐたのも、この色と、光と、及び軌道が楕円上であるため動きが不規則に見えるのとに由来してゐた。」(野尻抱影『星の美と神秘』、1946)

火星に不穏なものを感じるのは、洋の東西を問いません。
こうして「マーシャル」という形容詞が生まれ、上のようなイラストも描かれたわけです。

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【閑語】

ロシアがウクライナにふっかけた戦争を見ていると、そして過去の戦争を思い起こすと、戦争というのはつくづく損切りが難しいものだと思います。戦争というのは、そもそも構造的にそれができにくい仕組みになっているのでしょう。

なぜなら、自国の兵士が亡くなれば亡くなるほど、「彼らの流した血を無駄にするな!」という声が強まり、「徹底抗戦」へと世論が誘導されていくからです。本当は「これ以上犠牲を増やさないために、戦争を早く終わらせるべきだ」という判断のほうが、はるかに合理的な局面は多いと思うんですが、いつだって白旗を掲げるのは、損益分岐点を<損側>に大きく越えてからです。

この辺はギャンブラーの心理を説明した「プロスペクト理論」とか、現象としては「コンコルド効果」として知られるものと同じですが、戦場における人間の狂気と並んで、為政者(と国民)が下す判断の不合理性も、戦時における特徴として、ぜひ考えておきたいところです。その備えがないと、あまりにも大きなものを失うことになると思います。

夜の散歩2022年12月15日 17時53分01秒

先週の話です。空には明るい月のそばに、赤い星が2つ並んでいました。
ひとつは火星、もうひとつはおうし座のアルデバランです。月の光に負けないアルデバランも1等星の見事な輝星ですが、最接近を遂げたばかりの火星は、さらにそれを圧倒する明るさで、ぎらりと赤く光っているのが、ただならぬ感じでした。

そんな空を見上げながら、足穂散歩を気取ろうと思いました。
いつものようにイメージの世界だけではなく、今回は実際に足を運ぼうというのです。

私が住むNという街。
お城で有名な、概して散文的な印象を与えるこの街で、あたかも戦前の神戸を歩いているような風情を味わうことはできないか?―そう思いながら、実は数日前から想を練っていたのです。

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私はまず地下鉄の駅を降りて、大通りからちょっと折れ込んだところにある小さなビルを訪ねることにしました。階段を上がると、2階の廊下のつきあたりに、ぼうっと灯りのついたドアが見えます。


ドアには「星屑珈琲」という表札のような看板がかかっています。
その店名は以前から気になっていたのですが、入るのははじめてです。

「いらっしゃいませ」の声に迎えられて、数席しかない店内に入ると、すでに何人か先客がいました。しかし店内はひどく静かです。

星屑珈琲は店名が素敵なばかりでなく、大きな特徴があります。
それは「ひとり客専用喫茶」ということ。そのルールは複数名で入店して、離れた席に座ることもダメという、かなり厳格なものです。したがって、この店は茶菓を供するだけでなく、「静かな時間を売る店」でもあるのです。店内は、時折

 「いらっしゃいませ」
 「ご注文は?」
 「ありがとう、ごちそうさまでした」

というやりとりが小声で交わされるだけで、あとは静かな音楽がかすかに聞こえるのみです。でも、人々はその空気に大層心地よいものを感じていることが私にも分かりました。

星屑珈琲は、あえてカテゴライズすれば「ブックカフェ」なのでしょう。
目の前のカウンター席にも、ずらっと本が並らび、手に取られるのを待っています。
私はこの店で読むために持参した本をかばんから出して、先客の仲間に加わりました。

(店内で写真を撮るのが憚られたので、これはいつもの机の上です)

1冊は新潮文庫の『一千一秒物語』です。もはや注釈不要ですね。

(Marion Dolan(著) 『Astronomical Knowledge Transmission through Illustrated Aratea Manuscripts』、Springer、2017)

そしてもう1冊は、ギリシャ・ローマの天文古詩集『アラテア』写本に関する研究書で…というと、我ながら偉そうですが、背伸びして買ったもののずっと読めずにいたのを、こういう機会なら読めるかと思って持参したのです。実際、星屑珈琲の空気と一椀のコーヒーの力を借りることで、見開き2ページ分を読めたので上出来です。

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知らぬ間に時間は過ぎ、私はずいぶん長居していました。
星屑珈琲は23時まで開いているので、閉店時間を気にする必要はないのですが、ここにずっと居坐っては散歩にならないので、そろそろお暇しなければなりません。私は勘定を済ませ、そっと店を出ました。

明るいショーウィンドウを眺めながら繁華な通りを歩き、じきに靴音のひびく靜かな一画に来ると、そこからさらに陰々としたお屋敷街へと折れ込んでいきます。これから木立に囲まれた家々の先にある、とある屋敷を訪ねようというのです。

訪ねるといっても、その家の主を訪問するわけではありません(そもそも私は主が誰だか知りません)。その屋敷の夜の表情を見たかったのです。それは素晴らしく大きな邸宅で、本当に個人の家なのか怪しまれるほどでしたが、以前その前を通ったとき、塔を備えたロマネスクの聖堂建築のような佇まいにひどく驚いたので、「あの家は果たして、こんな晩にはどんな表情で立っているのだろう?」と、好奇心が湧いたのです。そして、そんな酔狂な真似をする自分自身が、何だか足穂の作中の人物のように思えました。

細い道を進み、角を曲がれば目当ての屋敷です。
人気のない森閑とした小路で、屋敷は灯火にぼんやりと巨躯を浮かび上がらせ、建物の内からは暖かな光が漏れて、いかにも居心地が良さそうでした。しかし、不用意に立ち止まったりすれば、見る人に(誰も見てはいませんでしたが)不審の念を呼び覚ますでしょう。私はこの屋敷の夜の表情を一瞥できたことで満足し、その前をさらぬ体で通り過ぎようとしました。

でも、そのときです。屋敷の門がおもむろに開き、一人の少年が出てきたのです。
少年は私に軽く会釈をすると、「お待ちしていました。塔の上では父が先ほどから望遠鏡を覗きながら、あなたのことをお待ちかねですよ」と私を中に招じ入れ、すたすたと先に立って歩きだしました。

…というようなことがあればいいなあとは思いましたが、少年の姿はなく、やっぱり私は屋敷の前を足早に通り過ぎるよりほかありませんでした。でも名残惜し気に振り返ったとき、塔の上に月と火星とアルデバランが輝いているのを見て、私は心の内で快哉を叫びました。その鋭角的な情景ひとつで、当夜の散歩の目的は十分達せられたわけです。

(フリー素材で見つけたイメージ画像)

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これが足穂と連れ立っての散歩だったら、彼はどんな感想をもらしたか?
「くだらんな」とそっけなく言うかもしれませんし、ひどくはしゃいだかもしれませんが、まあ一杯のアルコールも出てこなかったことについては、間違いなく不満をもらしたことでしょう。

火星探検双六(5)2021年02月25日 08時50分04秒

(昨日のつづき)

「10 見張」

「11 火星軍総動員」「12 物すごい海中城」

火星の恐るべき科学力は、ロボット兵士を作り出すに至っています。そのロボット部隊に動員が下り、海中にそびえる軍事要塞から次々に飛来。


「13 海蛇艇の包囲」
さらに人型ロボットは、巨大な龍型ロボットを操作して、鼻息荒く主人公に襲い掛かってきます。メガホンで投降を呼びかける人型ロボットに対し、ハッチから日の丸を振って、攻撃の意思がないことを示す少年たち。

「14 なかなほり」「15 火星国の大歓迎」
至誠天に通ず。少年たちの純な心が相手を動かし、一転して和解です。
あとはひたすら歓迎の嵐。

「16 王様に謁見」

これが以前言及した場面です。ふたりは豪華な馬車で王宮に向かい、王様に拝謁し、うやうやしく黄金造りの太刀を献上します。(火星人はタコ型ではなく、完全に人の姿です。)

「17 火星の市街」

空中回廊で結ばれた超高層ビル群。この辺は地球の未来都市のイメージと同じです。

「18 魚のお舟」

「19 人造音楽師」

「20 お別れの大宴会」

火星の娯楽、珍味佳肴を堪能して、二人はいよいよ地球に帰還します。

「21 上り 日本へ!日本へ!」

嗚呼、威風堂々たる我らが日本男児。
何となく鬼が島から意気揚々と引き上げる桃太郎的なものを感じます。

それにしてもこの麒麟型の乗り物は何なんですかね?日少号は?
日少号は置き土産として、代わりに火星人に麒麟号をもらったということでしょうか。

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今からちょうど90年前に出た1枚の双六。
ここでパーサビアランスのことを考えると、90年という時の重みに、頭が一瞬くらっとします。1世紀も経たないうちに、世の中はこうも変わるのですね。

しかも、一層驚くべきことは、この双六が出た30年後には、アメリカがアポロ計画をスタートさせ、それから10年もしないうちに、人間が月まで行ってしまったことです。

アポロの頃、この双六で遊んだ子供たちは、まだ40代、50代で社会の現役でした。当時のお父さんたちは、いったいどんな思いでアポロを見上げ、また自分の子供時代を振り返ったのでしょう?…まあ、実際は双六どころの話ではなく、その後の硝煙と機械油と空腹の記憶で、子供時代の思い出などかき消されてしまったかもですが、戦後の宇宙開発ブームを、当時の大人たちもこぞって歓呼したのは、おそらくこういう双六(に象徴される経験)の下地があったからでしょう。

(この項おわり)

火星探検双六(4)2021年02月24日 18時57分54秒

さっそく訂正です。
昨日の記事で、少年たちが麒麟に乗って地球に帰る直前、火星の王様と謁見し云々…と書きましたが、よく順番を目で追ったら、王様に謁見したあとも、いろいろなエピソードが続くので、この点をお詫びして訂正します。

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それでは改めて「火星探検大双六」のストーリーを、コマごとに見ていきます。


「1 ふりだし 富士山上を出発」
日の丸の小旗を振って見送る群衆。敬礼して振り返る凛々しい少年冒険家。
少年たちが乗り込むのは真っ赤な機体の「日少号」、推力はロケット式です。樺島双六に登場したのは、プロペラで飛ぶ飛行船式のものでしたから、これはかなりの技術的進化です。

「2 雷雲にあふ」
高度を上げる機体の前に、真っ黒な雷雲が立ちふさがります。もちろん、ここに太鼓を持った雷様の姿はありません。

「3 雷雲突破」「4 星雲に大衝突」

無事雷雲を突破し、大気圏外に出たものの、月に到達する前に星雲に衝突…というのも変な話ですが、作り手も「星雲」の何たるかを、明瞭に認識していなかったんじゃないでしょうか。おそらく「宇宙空間に漂う怪しいガス」ぐらいに思っていたのかもしれません。背景のやたら土星っぽい星が浮かぶ宇宙イメージにも注目です。

「5 月世界到着」「6 月の探検」

20世紀ともなれば、月は荒涼たる世界で、月世界人はいないことが既に前提になっています(それでも火星人はいることを、大勢の人が信じていました)。船外活動する二人が、立派な宇宙服を着ているのも、すぐれて科学的描写です。

「7 ヤッ彗星だ」

彗星との邂逅は、樺島双六でもありました。どうも宇宙探検で、彗星は外せないイメージみたいですね。

「8 火星軍現る」「9 電波で墜落」

さあ、いよいよ火星に到着です。
しかし二人は歓迎されざる存在のようで、すぐに火星軍が恐るべき兵器で襲いかかってきます。

(手に汗握りつつ、この項さらにつづく)

火星探検双六(3)2021年02月23日 09時52分10秒

大日本雄弁会(現・講談社)が出した「少年倶楽部」(1914-1962)と並んで、一時は最もメジャーな少年誌だったのが、実業之日本社の「日本少年」(1906-1938)です。

もう1枚の火星探検双六とは、この「日本少年」の正月号付録です。
前回登場した樺島双六の4年後、昭和6年(1931)に出ました。その名も「火星探検双六」。(書き洩らしましたが、前回の樺島双六のサイズは約53.5×78.5cm、大双六の方は約54.5×79cmと、その名の通りちょっぴり大きいです。)

(こちらもタタミゼして、背景は畳です)

原案は野口青村、絵筆をとったのは鈴木御水。
野口青村は、当時「日本少年」の編集主筆を務めた人のようです。一方、鈴木御水(1898-1982)は、「秋田県出身。日本画の塚原霊山や伊東深水に師事。雑誌「キング」や「少年倶楽部」に口絵や挿絵を描き、とくに飛行機の挿絵にすぐれていた。」という経歴の人。

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この大双六と樺島双六を比べると、いろいろ気づかされることがあります。
まず両者には、もちろん似たところもあります。


いきなり核心部分を突いてしまいますが、画面で最も目に付くであろう、この「上り」の絵。冒険を終えた二人の少年が、ペガサス風の聖獣麒麟に乗って、「日本へ!日本へ!」と凱旋の手を振っているところです。


そして、その直前の火星の王様に謁見する場面。二人は旭日旗を掲げ、恭しく太刀を王様に献上しています。はっきり言って、どちらも変な絵柄なんですが、こうしたお伽の国的描写において、大双六は樺島双六と共通しています(大双六の方が、いささか軍国調ではありますが)。

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その一方で、両者が著しく異なるのは、SF的要素の取り扱いです。

大双六には、樺島双六に欠けていた「最新空想科学」の成分がふんだんに盛り込まれており、火星探検ストーリーはお伽話ではなく、科学の領分であることをアピールしているようです。子供たちが科学に夢を抱き、火星にその夢を投影したというのは、戦後にも通底する流れですが、1931年当時、既にそれが少年たちのメインカルチャーとして存在したことを、この大双六は教えてくれます。(この点は、樺島双六でははっきり読み取れないので、何事も比較することは大事です。)

(科学冒険譚の細部に注目しつつ、この項つづく)

火星探検双六(2)2021年02月22日 21時38分47秒

(昨日のつづき)

おさらいとして、昨日の全体図を載せておきます。


双六なので、当然途中で行きつ戻りつがあるのですが、とりあえずマス目に沿って進みます。


地球を出発した飛行艇が訪れるのは、まず順当に月です。
ただ、その月は西洋風の「顔のある三日月」で、この旅がリアルな「科学的冒険譚」というよりも、「天界ファンタジー」であることを示唆しています。この辺は描き手の意識の問題であり(樺島画伯は明治21年の生まれです)、「少年倶楽部」という雑誌の性格もあるのでしょう。(これが「子供の科学」の付録だったら、もうちょっと違ったのかなあ…と思います。)


そして、月の次に訪れるのがなぜか土星で、さらに金星を経て、火星へ向かうというのは、順序としてメチャクチャなのですが、そこは天界ファンタジーです。そして途中で彗星に行き会い、いよいよ「火星国」に入ります。


火星国は、石積みの西洋風の塔が並ぶ場所とイメージされており、完全にファンタジックな夢の国です。


そして王国の首都らしき場所に入城し、「大運河巡遊船」に迎え入れられる場面が「上り」です。確かにそこは威容を誇る都ではありますが、いかにもサイエンスの匂いが希薄で、単なる「お伽の国」として描かれているようです。

もちろん、火星を科学文明の栄える場所として描くのも、まったくのファンタジーですから、そこは五十歩百歩と言えますけれど、後の「タコ足の火星人が、透明なヘルメットをかぶって『$#?@%#;+?~&@??』と喋っている」イメージとの懸隔は大きく、少なからず奇異な感じがします。

これが時代相なのか、それともやっぱり画家の資質の問題なのか、その辺を考えるために、もう1枚の火星探検双六を見てみます。

(この項つづく)

火星探検双六(1)2021年02月21日 15時00分39秒

NASAの火星探査機「パーサビアランス」が、無事火星に着陸しました。
火星では、これによって複数の探査車(ローバー)が同時にミッションに励むことになり、いよいよ火星有人飛行も視野に入ってきた感じです。

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イギリスのH・G・ウェルズが『宇宙戦争』を発表したのは1898年で、その邦訳は1915年(光用穆 みつもちきよし)、1929年(木村信児)、1941年(土屋光司)と、戦前に限っても3回出ています(LINK)。

アメリカのオーソン・ウェルズが、1938年に『宇宙戦争』をネタに、ドキュメンタリー風ラジオ番組を制作して、多くの人がパニックになった…と、面白おかしく語り伝えられていますけれど、少なくとも1900年代初頭まで、火星の運河が真顔で語られ、天文学者の一部は、火星人の存在にお墨付きを与えていましたから、それを笑うことはできません。(ちなみにイギリス人作家はWells、アメリカ人監督はWellesと綴るそうで、両者に血縁関係はありません。)

虚実の間をついて、人々の意識に大きな影響を及ぼした火星物語は、当然子ども文化にも波及し、日本では海野十三(うんのじゅうざ)が、『火星兵団』を1939~40年に新聞連載し、火星人と地球人の手に汗握る頭脳戦を描いて、好評を博しました。

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ちょっと前置きが長くなりましたが、そうした時代のムードを背景に作られた珍品を見てみます。1927年(昭和2)の「少年倶楽部」の付録、「火星国探検競争双六」です。

(双六だから畳でもいいか…と思って、背景は畳です)

原案は同誌編集局、絵筆をとったのは斯界の権威・樺島勝一画伯(かばしまかついち、1888-1965)。


正月号の付録ですから、当然前年中に発行準備が進んでいたのですが、何せ1926年という年は、大正天皇が12月25日に没するまでが「大正15年」で、「昭和元年」はほとんど無いに等しく、すぐ「昭和2年」となりましたから、修正が効かなかったのでしょう。欄外の文字を見ると、これは幻の「大正16年」新年号付録となっています。


振り出しは地球、それも東京のようです。
上部が見切れていますが、地球の上にもやもやと黒雲がかかり、2本の足が見えます。


その正体は何と太鼓をもった雷様。
火星探検と雷様が併存しているところが、大正末年の子ども文化の在りようでした。


ついでに言うと、この火星双六の裏面は「宮尾しげを先生画」の「弥二さん喜多さん東海道中滑稽双六」になっていて、これも時代を感じさせます。


さあ、雷様の妨害にも負けず、この雄大な飛行艇で火星に向けて出発です。

(この項つづく)

月の流れ星2020年12月27日 09時59分00秒

差し渡し2.5cmほどの小さな月のピンバッジ。


不思議なデザインです。月が尾を曳いて翔ぶなんて。
まあ、デザインした人はあまり深く考えず、漠然と夜空をイメージして、月と流星を合体させただけかもしれません。

でも、次のような絵を見ると、またちょっと見方が変わります。

(ジャン=ピエール・ヴェルデ(著)『天文不思議集』(創元社、1992)より)

邦訳の巻末注によると、「天空現象の眺め。ヘナン・コレクション。パリ国立図書館」とあって、たぶん16世紀頃の本の挿絵だと思います。

キャプションには、「月が火星の前を通過することがあるが、この現象を昔の人が見て解釈すると上の絵のようになる。火星は赤い星で戦争の神である。月は炎を吹き出し、炎の先にはするどい槍が出ている。」とあります。


月の横顔と炎の位置関係は逆ですが、このピンバッジにも立派な「槍」が生えていますし、何だか剣呑ですね。

【12月28日付記】
この「炎に包まれた槍」を、火星のシンボライズと見たのは、本の著者の勘違いらしく、その正体は、流れ星の親玉である火球であり、それを目撃したのはあのノストラダムスだ…という事実を、コメント欄で「パリの暇人」さんにお教えいただきました。ここに訂正をしておきます。詳細はコメント欄をご覧ください。

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月による火星の掩蔽(火星食)は、割と頻繁に起こっていて、国立天文台の惑星食のページ【LINK】から最近の火星食を抜き出すと、以下の通りです。

2019年07月04日 火星食 白昼の現象 関東以西で見える
2021年12月03日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2022年07月22日 火星食 日の入り後 本州の一部で見える
2024年05月05日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2025年02月10日 火星食 日の出の頃 北海道、日本海側の一部で見える
2030年06月01日 火星食 白昼の現象 南西諸島の一部を除く全国で見える

“頻繁”とはいえ、昼間だとそもそも火星は目に見えませんから、月がその前をよぎったことも分かりません。好条件で観測できるのはやっぱり相当稀な現象で、古人の目を引いたのでしょう。


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【閑語】

幕末の日本ではコレラが大流行して、大勢の人が亡くなりました。
庶人これを「コロリ」と称し、時代が明治となってからも、コロリはたびたび猛威を振るい、それらを「一コロリ」とか「三コロリ」と唱えたものだそうです。
今の世も一コロナ、二コロナ、三コロナと、新型コロナは三度の流行を繰り返し、人々の心に暗い影を落としています。

大地震があり、流行り病があり、攘夷を叫ぶ輩が横行し、士道退廃が極まり…本当に今は幕末の世を見る心地がします。これでスカイツリーのてっぺんから伊勢の御札が降ってきたら、ええじゃないかの狂騒が始まるのでは…と思ったりしますが、昔と今とで違うのは、暗い時代になっても宗教的なものが流行らないことです。その代わりに陰謀論が大流行りで、多分それが宗教の代替物になっているのでしょう。

古典に親しむ秋2020年10月07日 06時56分59秒

仕事帰りに空を見ると、異様に大きく、異様に赤く光っている星があります。
言わずと知れた火星です。赤といっても、ネーブルの香りが漂うような朱橙色ですから、それだけにいっそう鮮やかで、新鮮な感じがします。

西の方に目を転ずれば木星と土星が並び、天頂付近には夏の名残の大三角が鮮やかで、秋の空もなかなか豪華ですね。昨日は久しぶりに双眼鏡を持ち出して、空の散歩をしていました。

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ところで、最近、このブログのあり方をいろいろ省みることが多いです。
もちろん、これはただの「お楽しみブログ」ですから、そんなに真剣に考えなくてもいいのですが、それにしたって、天文の話題――特に天文学史の話題をメインに綴っているのに、天文学の歴史を何も知らないのも、みっともない話だと思います。

まあ、「何も知らない」と言うのも極端ですが、「ほぼ何も知らない」のは事実です。
たとえば、私は天文学上の古典をほとんど読んだことがありません。かろうじてガリレオ『星界の報告』は岩波文庫で読みました。でも、そんな頼りない知識で、もったいらしく何か言うのは、恥ずかしい気がするので、少し努力をしてみます。


まずは、コペルニクス『天体の回転について』です。
何せその出版は、歴史上の事件であり、革命と呼ばれましたから、これは当然知っておかなければなりません。幸い…というべきか、岩波文庫版は、コペルニクスの長大な作品の第一巻だけ(全体は6巻構成)を訳出した、ごく薄い本ですから、手始めにはちょうどよいのです。

これが済んだら、次はガリレオ『天文対話』で、その次は…と、心に期する本は尽きません。まあ、どれも斜め読みでしょうけれど、どんな内容のことが、どんなスタイルで書かれているのか、それを知るだけでも、今の場合十分です。

たとえて言うならば、これは見聞を広めるための旅です。
旅行客として見知らぬ町に一泊しても、それだけで町の事情通になることはできないでしょうが、それでも土地のイメージはぼんやりとつかめます。さらに一週間も滞在すれば、おぼろげな土地勘もできるでしょう。書物(学問の世界)も同じで、何も知らないのと、何となく雰囲気だけでも知っているのとでは、大きな違いがあります。

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古典を知れば、ものの見方も変わります。

たとえば、火星と木星と土星。この3つが、この順番で地球に近いことは、天動説の時代から理解されていました。星座の間を縫って動くスピードの違いの原因として、動きの速いものは地球に近く、遅いものは遠いと考えるのが、いちばん理に適うからです。そしてこの常識的判断は、結果的に正しかったわけです。(同じ理由から、あらゆる天体の中で、いちばん地球に近いのは月だ…ということもわかっていました。)

自分が古代人だったら、そのことに果たして気づいたろうか?
そんなことを考えながら、空を眺めていると、宇宙の大きさや、過去から現在に至るまでの時の長さを、リアルに感じ取れる気がします。

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晴観雨読―。この秋は、星空散歩をしつつ、書物の世界を徘徊します。