懐中星座早見の世界(2)…飛行機乗りの友 ― 2021年11月14日 09時59分38秒
(前々回のつづき)
■Francis Chichester
The Pocket Planisphere
George Allen & Unwill Ltd. (London)
The Pocket Planisphere
George Allen & Unwill Ltd. (London)
その名もずばり「ポケット星座早見盤」という名の、これまた二つ折り式のツイン早見盤です。サイズは約13×14cm、刊年が記されていませんが、ネット情報によれば1943年刊。
(おもて表紙と裏表紙を開いたところ)
先日の西ボヘミア製の早見と比べると、左右の円形星図と、それを覆う「窓」のページが独立しており、全体が4層構造になっている点がちょっと違います。
(「窓」を南北の星図にかぶせたところ)
違いは他にもあります。この前のは「ヨーロッパ目線で見た南の空と北の空」を2枚の星図に描き分けたものでしたが、今日のは文字通り「南天・北天」用で、北緯50度用と南緯35度用の2枚の早見盤がセットになっています。いわば世界中どこでも使えるユニバーサル早見盤です(「実用目的としては、北緯70度から南緯60度まで、どこでも使える」と作者は述べています)。
さらに円形星図の表現も大きく違います。
(北天用)
(南天用)
ご覧のとおり、そこには通常の星座がほとんど描かれていません。はくちょう座やオリオン座、さそり座なんかはありますけれど、それ以外はいくつかの明るい星と、それらを結ぶ曲線があるのみです。
この早見盤の最大の特徴は、それが通常の「星見の友」ではなくて、飛行機乗りが星を目当てに飛ぶ際のナビゲート目的で使うものであることです。そのため、目当てとなる明るい星を捉えやすいように、こうした表現をとっているわけです。
そして「窓」のページの裏側には、通常の星座名ではなく、輝星のみを大づかみにグルーピングした「北斗グループ」や「大鎌グループ」、「オリオン近傍グループ」といった名称が記されています。
★
ここまで読んで、思い出された方もいるかもしれませんが、この早見盤はまったくの新顔ではありません。以前も、同じ作者、同じ用途、同じ構造の早見盤を取り上げたことがあり、今日の品はその小型版です(ですから、上の説明はちょっと冗長でした)。
(画像再掲)
■飛行機から見た星(前編)(後編)
以前の記事を引用すると、「著者のフランシス・チチェスター(1901-1972)は、手練れのパイロットにして天文航法の専門家。星図出版当時は、英国空軍志願予備軍(Royal Air Force Volunteer Reserve)に所属する空軍大尉でしたが、年齢と視力の関係で、大戦中、実戦に就くことはありませんでした。そして、戦後は空から海に転身し、ヨットマンとして後半生を送った人」です。
見かけはかわいい「飛行機乗りのための早見盤」ですが、時代を考えると「軍用機乗りのための早見盤」と呼ぶ方が正確で、かわいいとばかり言ってられない重みがあります。
★
小さい早見盤(※)は他にもっとあるような気がしたんですが、手持ちの品を探してみたら、これで打ち止めでした。したがって、えらい竜頭蛇尾ですが、「懐中星座早見の世界」と称して書き始めたこの連載も突如終了です。
(※)差し渡し(四角いものなら一辺、円形のフォルムなら直径)が15cm以下のものを、「小さい早見盤」と仮に呼ぶことにしましょう。
ちひさなほしそら…懐中星座早見の世界(1) ― 2021年11月11日 21時26分57秒
枕草子に曰く、「ちひさきものはみなうつくし」。
小さいものは、それだけで人の心に訴えかけるものがあります。
星座早見盤もまたしかり。小さければ小さいほど、その小さな身体に無限の星空を宿していることが不思議であり、いとしくも感じられます。
古いものに限っても、これまで小さい早見盤はいろいろ取り上げました。
○左上: イギリスのフィリップス社製の小型早見盤
○中央: 冷戦下のチェコスロバキア製早見盤
○下: 昨日登場したばかりの西ボヘミア製ツイン早見盤
落穂ひろい的な感じはありますが、これまで登場する機会のなかったものを載せます。
(この項つづく)
ツイン星座早見盤 ― 2021年11月10日 21時23分19秒
小さな星図からの連想で、小さな星座早見盤を取り上げます。
これも数年前に届いた品です。
14×15cmのかわいいサイズですが、紺のクロス装に金文字が渋さを感じさせます。
全体は二つ折りになっていて、表紙を開くと、左に南の星空、右に北の星空が見開きで並んでいます。
(裏表紙。この星図は貼り付けてあるだけで、回転はしません)
ここでいう「南の星空」「北の星空」は、いわゆる「南天星座」「北天星座」の意味とはちょっと違って、ヨーロッパ(北緯50度付近)から見て、南を向いた時に見える星空と、北を向いた時に見える星空を、2枚の星図に描き分けたものです。(南を向けば左が東、北を向けば右が東になるので、2つの円形星図は互いに鏡像関係になっています。)
(南の空)
(北の空)
上の2枚はそれぞれ11月10日の夜8時に合わせたところ。いずれも「窓」の下辺が地平線で、上辺は天頂をちょっと超えたあたりです(気になるのは、この「窓」の形がどのように決まったのか、そこに合理性はあるのかで、私にはうまい説明が思い浮かびません)。参考までに、普通の星座早見盤だとどうなるか、同日同時刻のフィリップス社の早見盤を挙げておきます。
★
ここで改めて、表紙の文字情報を確認しておきます。
Taschen-Sternkarte (Doppelkarte)
von G. Gebert, Oberlehrer.
Altzedlisch (Westböhmen)
Selbstverlag
ポケット星図(二重星図)
上級教師 G. ゲバート(作)
アルトツェドリッシュ(西ボヘミア)
私家版
von G. Gebert, Oberlehrer.
Altzedlisch (Westböhmen)
Selbstverlag
ポケット星図(二重星図)
上級教師 G. ゲバート(作)
アルトツェドリッシュ(西ボヘミア)
私家版
表記はドイツ語ですが、作られたのは西ボヘミア、現在のチェコです。アルトツェドリッシュは、現在はスタレー・セドリシュチェ(Staré Sedliště)と呼ばれる町のドイツ名。
ゲバートの肩書である「Oberlehrer」は、手元の辞書に「上級教師(功労のある小学校教諭の称号)」とあって、これはだいぶ古風な言い回しのようです。たぶん日本で言うところの「訓導」とか、そんな語感でしょう。いずれにしてもこの早見盤は、専門の天文学者ではない、一小学校の先生の手になるものです。
発行年は書かれていませんが、全体の感じとしては1900年前後、あるいは少し後ろにずらして20世紀の第1四半期といったところでしょう。おそらくは1918年にチェコスロバキア共和国が成立する前の、ハプスブルク治下の産物と想像します。
★
この珍品といってよい早見盤も、例のグリムウッド氏の星座早見盤ガイド【LINK】にはちゃんと載っていて、さすがと思いました。
ただ、同書には「サイズ不明」とあって、氏も現物はお持ちでなかったようです。
…と思いながら、写真を見ているうちにハッとしました。
ここに写っているのは、今私の手元にある品と同じものではありませんか(余白の鉛筆書きまでそっくり同じです)。
一瞬「あれ?」と思いましたが、おそらくグリムウッド氏は、オークションの商品画像を資料として保存し(これは私も時々やります)、本を編むにあたって、それを利活用されたのでしょう。さらに想像をふくらませると、このとき私は、自覚せぬままグリムウッド氏に競り勝っていた可能性だってあります。
こうなると、「さすが」という思いがグルっと一周まわって自分にかえってくるわけで、何だか妙な気分ですが、それにしても世界は狭いなと思いました。
(この早見盤は、かつてウィーンのサロ・ルービンシュタイン古書店の棚に並んでいました。まったくの余談ですが、同店主のルービンシュタイン氏は1923年に没し、娘であるマルガレーテさんが跡を継いで商売を続けていたのですが、彼女は1942年に、ナチの手でテレジン強制収容所に送られ、1943年に絶命した…とネットは告げています【LINK】)
ガラスの星空 ― 2021年08月25日 07時16分24秒
昼はツクツクボウシの声を聞き、夜はコオロギの声を聞く。
暦はすでに秋を迎え、実感としても秋近しですね。これでコロナが収束してくれれば、言うことはないのですが、こちらの方はとてもそんな長閑な話ではなさそうです。
とはいえ、気分だけでもちょっと涼しげな品を載せます。
★
14cm×15cmという、わずかに横長の箱。
パカッとふたを開けると、
中にこういうものが入っています。
そこに書かれた文字は、「COELUX Das kleine Schulplanetarium」――「コールクス 小さな学校用プラネタリウム」。うーむ、なんとも素敵な名前ですね。「Coelux」という商品名は、たぶんラテン語の「宇宙 Coelestis」と「光 Lux」をくっつけた造語でしょう。
★
これが何かといえば、要は幻灯機で拡大して眺めるガラス製の星座早見盤です。
いかにプラネタリウム大国のドイツとはいえ、全国津々浦々の学校でプラネタリウムを演示するのは無理ですから、こういう愛らしい工夫が求められたのでしょう。
メーカーはシュトゥットガルトにあったテオドア・ベンツィンガー幻灯社(Theodor Benzinger Lichtbilderverlag)で、考案者はクルト・フランケンバーガー(Kurt Frankenberger)という人です。
フランケンバーガー氏は伝未詳ですが、ベンツィンガー社の方は、ネット情報によれば20世紀初頭から半ばにかけて営業していた会社のようです(参考LINK)。よく見ると「D.R.P angem.」とも書かれていて、これは「ドイツ帝国特許出願中 Deutsches Reichtspatent angemeldet」の意味ですから、1945年以前の品であることは確実で、全体の雰囲気としては1930年代頃のものと思います。
裏返すと、これが星座早見盤であることがよく分かります。使い方も全く同じです。
光にかざすとこんな感じ。実際にはこれが何倍にも拡大されて、教室の壁に投影されたわけです。そして盤をくるくる回しながら、先生が星空の説明をするのを、生徒たちがじっと見守った…そんな光景がありありと目に浮かびます。
★
同工の品としては、以前フィリップス社の幻灯早見盤を採り上げました。
(ただし、グリムウッド氏が製造年代を「1950年頃」としているのは、上に書いたような理由で若干訂正が必要と思います。)
★
下界の憂いをよそに、まもなくガラスのように澄んだ空に、秋の星座が静かに光りはじめます。
名碗披露 ― 2020年12月31日 15時19分07秒
雪が霏々として降る静かな大晦日です。
茶道の茶会に招かれると、茶を一服喫した後で「お道具拝見」となり、亭主自慢の碗やら掛物やらを感心した面持ちで眺め、箱書きとともにその由来を聞かされる…ということになるらしいです。茶会に招かれたことがないので、しかとは分かりませんが。
かく言う私も、このたび世にも稀なる名碗を手に入れたので、大いに自慢に及ぼうと思います。ただし、これはお茶を飲むお碗じゃありません。星を眺めるためのお碗です。
★
今年の5月ごろ、戦後日本の星座早見盤について集中的に記事を書いていました。
資料が乏しい中、その中で渡辺教具製の「お椀型早見盤」についても、分かっていることを書きました(※)。
同社のお椀型早見盤は、バージョンアップを繰り返しながら、少しずつ進化してきましたが、以前の記事で書いたように、そこには大きく7つの段階があって、その絶対年代は以下の通りと推測しています。
【渡辺教具製 星座早見盤編年表 2020.06.17版】
〇第1期 1955年頃?~1960年前後?(始期・終期とも曖昧)
〇第2期 1960年前後?~1962年頃(始期は曖昧)
〇第3期 1962年頃~1975年頃
〇第4期 1975年頃~1980年
〇第5期 1980年~2000年
〇第6期 2000年~?
〇第7期 ?~現在
※第6期と第7期は、現在両方とも市場に並んでいて、正確な交代時期は不明。
〇第1期 1955年頃?~1960年前後?(始期・終期とも曖昧)
〇第2期 1960年前後?~1962年頃(始期は曖昧)
〇第3期 1962年頃~1975年頃
〇第4期 1975年頃~1980年
〇第5期 1980年~2000年
〇第6期 2000年~?
〇第7期 ?~現在
※第6期と第7期は、現在両方とも市場に並んでいて、正確な交代時期は不明。
(※)細かいことを言うと、木でこしらえたのが「椀」、焼き物が「碗」で、さらに金属製の「わん」には「鋺」という別の字があります。渡辺教具さんのは厳密には「お鋺」でしょうが、面倒なので以下「お椀」で統一します。
★
私が今回見つけたのは、幻の「第1期」のお椀です。
まだ特許取得前、そして同社が株式会社に改組する前の製品です。
しかもですね、このお椀には箱と箱書きが付属するのです。
この箱は、非常に珍しいです。世に二つとない…とまでは言いませんが、少なくとも私は初めて見ました。この箱はいずれ崩壊しそうなので、資料的意味合いから、詳細をここに載せておきます。
「星座早見盤」のレタリングが懐かしい。
問題の裏面の解説はこうなっています(文字が読み取れるよう、大きなサイズで画像をアップしました)。「本星座盤の特色」として、「ほんとうに大空をあをいているような感じを与えること。」「とても見やすく、楽しいこと。」と書かれています。ああ、しみじみ良いですね。何にせよ、楽しいことは大事です。
ただし、この箱書きをもってしても、正確な製造年は依然不明です。この紙質、文字遣い・言葉遣いの雰囲気から、1950年代前半(昭和20年代後半)に遡らせても良いように思うのですが、どんなものでしょうか。
それ以外の細部も見ておきます。
「冠」「蛇つかい」「牛かい」…。星座表記に漢字が入るのが古風です。
「南の魚」の「魚」の字がいいですね。「いんどん」は「いんど人」の間違いで、今の「インディアン座」のことですが、この辺も大らかといえば大らか。
以前気になった裏面はこんな感じ。解説の文字はやっぱり一切ありません。
この品が古物商の手に渡ったということは、取りも直さず、永井くん・永井さんも既に鬼籍に入られたか…。
★
ちょっと先回りして、12月31日から1月1日へと日付が変わる深夜0時に目盛りを合わせてみます。
星の配置は、まだ戦争の記憶が濃かったあの時代と何も変わりません。
人の世は変われども、星の世界は変わらぬもの哉―。
天をつらぬく棒のごとき銀河を眺めながら、明年もどうぞよろしくお願いいたします。
恒星社 「新星座早見」 ― 2020年11月01日 16時57分07秒
雑談ばかりではしょうがないので、本筋のことも書きます。
★
ヤフオクで、最近こんな星座早見盤を見つけました。
(差し渡し16.7cm、円盤の直径は15cm)
これは嬉しい発見でした。しばらく前に話題にして、その画像だけは目にしていたものの、その実物に接するのは初めてだったからです。
■日本の星座早見盤史に関するメモ(14)…恒星社『新星座早見盤』
上に掲げた写真は、北緯35度の地点で、北を向いたときに見える星空で、裏返すと…
今度は南を向いたときに見える星空が描かれています。
よく見ると、運がよければ南の地平線すれすれに見えるカノープスが、顔をのぞかせています。
この製品は、以前も書いたように、恒星社(※)が戦後まもなく出したもので、考案者は京大の宮本正太郎博士ですが、宮本博士の名前はどこにも表示がありません。また発行年の記載もありませんが、脇に捺された検印から、手元の品は「昭和23年8月28日」に完成したことが分かります。
今回、実際に現物を見て分かったのは、クルクル回る円形星図が、どこにも固定されておらず、地平盤の「ポケット」に挿入されているだけだったことです。
(星座名は、戦前のままの古風な漢字表記)
そして南天用の星図には、日本からは見えない星座もきちんと描かれており、表裏をひっくり返して「ポケット」に入れれば…
地平線から35度の位置に、不動の天の南極があって、その周囲を南の星座がぐるぐる回転しているのが見えます(方位が逆転しているので、「北」は「南」に読み替えてください)。すなわち、これは南緯35度の土地(シドニー、ブエノスアイレス、ケープタウン等)から見た星空なのです。
そして北の方角を向けば、
(上と同じく図中の「南」が、真北の方角になります)
はくちょう座が地平線の近くを低く飛び、日本の北の空を彩る周極星(北斗やカシオペヤ)は、常に地平線下にあって、決して見ることのできない「幻の星座」であることも分かります。
★
デザイン的には地味ですが、端正な表情をした、機能的にも興味深い佳品です。
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(※)メモ:恒星社について
恒星社は「恒星社厚生閣」が正式名称ですが、私は「恒星社」の下に引っ付いている「厚生閣」というのが何なのか、今一つ分かっていませんでした。さっき調べたら、下のブログにその経緯が詳しく書かれており、結論から言うと、両者はもともと別の会社です。
しかし、人的つながりや、業務上の関係が以前からあって、戦時下の企業統合で合併したまま今に至っている由。さらに、恒星社を起こした土居客郎(1899-1966)は、「土井伊惣太(どい・いそうた)の別名で活動していたことも、これを読んで初めて知りました。
■出版・読書メモランダム:
古本夜話739 土居客郎、恒星社、渡辺敏夫『暦』
日本の星座早見盤史に関するメモ(14)…恒星社『新星座早見盤』 ― 2020年06月25日 06時27分04秒
さっそく自力で新しい発見があったので、追記します(ちょっとしつこいですね)。
連載第6回「昭和50年頃の早見盤界」に出てきた、恒星社版の星座早見の正体が分かりました。記事中では「南北天両面式」「直径15cm」という説明だけが、かろうじて判明していた品です。
夕べ、古い天体観測入門書を見ていたら、図入りでその説明がありました。
■鈴木敬信・中野繁(著)
『中学・高校生の天体観測』 (誠文堂新光社、昭和27年/1952)
『中学・高校生の天体観測』 (誠文堂新光社、昭和27年/1952)
「星座早見にも市販のものがいくらかあるが、窓の形の不正確なものがかなりある。楕円形にしたり、あるいはそのほか勝手な曲線にしたりしている。信頼できるものをあげると
(1)日本天文学会編 星座早見(北緯35°用) 三省堂刊
(2)水路部編 星座盤(北緯30°用)
(3)宮本正太郎案 新星座早見(北緯35°用) 恒星社刊
などがある。(1)、(2)はほぼ同じようなものであるが、(2)は日本近海を航海する船が利用するようにつくってあるので、基準緯度が低くなっている(郵船会社その他海図を売っている所にある)。印刷が美しい上に、回転部分がガタつかないように、入念につくってあるので、きわめて使いよい。(3)は小型でポケットにはいる程度である。天の赤道をさかいにして、それより北の空と南の空とが、別々に現れるようになっているので、なれないと使いにくい。
(1)(2)型の星座早見では、星図が北極中心になっており、南の星ほど図の外側にくるので、南極に近い星座ほど、南北にくらべて東西がのびており、星座の形がいちじるしくずれている。さそり座・いて座など東西にひどくのびて、初心者は実際の空と比較するときに、とまどうほどである。(3)では星図が、天の赤道をさかいして、北極中心のものと、南極中心のものと2枚にわかれているので、(1)(2)に見られるような南天星座の変形はない。この点はひじょうにべんりだ(よくいうことだが、天はニ物を与えたまわぬようだ)。」 (pp.34-5、太字は引用者)
(1)日本天文学会編 星座早見(北緯35°用) 三省堂刊
(2)水路部編 星座盤(北緯30°用)
(3)宮本正太郎案 新星座早見(北緯35°用) 恒星社刊
などがある。(1)、(2)はほぼ同じようなものであるが、(2)は日本近海を航海する船が利用するようにつくってあるので、基準緯度が低くなっている(郵船会社その他海図を売っている所にある)。印刷が美しい上に、回転部分がガタつかないように、入念につくってあるので、きわめて使いよい。(3)は小型でポケットにはいる程度である。天の赤道をさかいにして、それより北の空と南の空とが、別々に現れるようになっているので、なれないと使いにくい。
(1)(2)型の星座早見では、星図が北極中心になっており、南の星ほど図の外側にくるので、南極に近い星座ほど、南北にくらべて東西がのびており、星座の形がいちじるしくずれている。さそり座・いて座など東西にひどくのびて、初心者は実際の空と比較するときに、とまどうほどである。(3)では星図が、天の赤道をさかいして、北極中心のものと、南極中心のものと2枚にわかれているので、(1)(2)に見られるような南天星座の変形はない。この点はひじょうにべんりだ(よくいうことだが、天はニ物を与えたまわぬようだ)。」 (pp.34-5、太字は引用者)
なるほど、「南北天両面式」というのは、南十字星のような南半球の星図と、北半球の星図が両面に描かれているのかな…と思ったら、そういうわけではなくて、あくまでも日本国内から見上げた星空を、北の方角を向いたときと、南の方角を向いたときとで描き分けたものだったのですね。(そうすることで、星座の形と大きさの歪みが小さくなるメリットがあるわけです。)
考案者の宮本正太郎氏(1912-1992)は、京大の花山天文台長もつとめられたプロの天文学者。一般向けの本も多く書かれたので、オールド天文ファンには親しい名前かもしれません。
その宮本氏が1952年、ないしそれ以前の段階で、こういうものを世に問うていたというのは、時期的にも相当早いですし、内容も斬新ですから、日本星座早見盤史にその名を記し、記憶にとどめる価値が十分あります。(ただし、このアイデア自体は、ドイツの古い早見盤に先行例があります。)
★
そしてまた、印刷が美しく入念な仕上げが施された、水路部編の『星座盤』というのも、これまた目にしたことはありませんけれど、大いにそそられるものがあります。
こうして探索の旅は、さらに続くのです。
(今度こそ本当に、一応この項おわり。でも追記は随時します)
日本の星座早見盤史に関するメモ(13)…いくつかの訂正、そして探索の旅は続く ― 2020年06月23日 21時02分06秒
「一応おわり」と書いたそばから何ですが、自分の狭い見聞だけに凝り固まっては、やっぱりダメだと気付きました。
★
以下は、大阪市立科学館で学芸員をされている嘉数次人(かずつぐと)氏の個人サイトです。これまで拙ブログが何度もお世話になり、星座早見盤のことも確かに目を通していたはずですが、やっぱり自分なりの問題意識を持ってないと、「見れども見えず」の状態になってしまうのでしょう。
■なにわの科学史のページ:星座早見盤の世界
上のリンク先から、「星座早見盤のいろいろ」というページに入ってください。
そこには同科学館が所蔵する、さまざまな星座早見盤が紹介されていますが、今のタイミングで再訪して、愕然とする事実を知りました。今回の連載で書いたことの何点かは、ただちに訂正が必要です。
(1)戦前の製品版早見は、三省堂版以外にもあった。
一連の早見盤の中に、宮森作造編『ポケット星座早見』というのが紹介されています。嘉数氏の解説をそのまま引用させていただきます。
「1929(昭和4)年発行。厚紙布張り二つ折りの豪華なつくりである。編集は天文同好会(現在の東亜天文学会)の宮森作造。この早見盤は、1929年8月に初版発行の後、同年12月には第4刷が発行されている。当時における早見盤の需要の一端をうかがうことができよう。」
おそらく販売部数では三省堂に及ばないでしょうが、この品が当時、繰り返し版(ないし刷)を重ね、一定の面的普及を見ていたことは確実です。したがって、「三省堂版が唯一」みたいな書き方は、正しくありません。なお、ネット情報によれば、宮森作造氏(1891-1976)は、大阪の熱心なアマチュア天文家の由ですが、『日本アマチュア天文史』(恒星社)に名前が見えず、詳細は不明。
(2)三省堂版『新星座早見』は、1958年(これは前述のとおり1957年が正しいように思います)の初版発行から、1986年の『新星座早見 改訂版』発行までの間に、一度モデルチェンジを経ている。それは1972年のことである。
嘉数氏のページには、そのスリーショットが載っています。
私の今回の連載に登場した早見盤は、その1972年のモデルチェンジ後のものでした。同じく「初版の外袋」というのも紹介しましたけれど、その中身は1972年版とはデザインが幾分異なる品だったのです。何事も早とちりは禁物ですね。
(3)日本の星座早見盤界は想像以上に広く、かつ美しい。
大阪市立科学館の所蔵品を見て、宮森作造氏の『ポケット星座早見』にしろ、佐伯恒夫氏の『星座案内』にしろ、また古風な紙製『星時計』にしろ、日本にこんなにも愛らしく、雅味のある逸品がいくつも存在したとは、本当にうれしい驚きです。これぞ天文古玩道の奥深さです。
当然のごとく、所有欲をはげしくそそられるわけですが、いずれも売り物を目にしたことはないので、どれも相当な稀品でしょう。でも、探すだけの価値は十分あります。
★
いや、それにしても斯道深し。
この思いを噛みしめるのは、はたして何度目でしょうか。
日本の星座早見盤史に関するメモ(12)…三省堂『ジュニア星座早見』 ― 2020年06月22日 20時40分21秒
三省堂の『新星座早見』に、ただの『新星座早見』と、『新星座早見 改訂版』があったのと同様、『ジュニア星座早見』にも、ただの『ジュニア星座早見』と、『ジュニア星座早見 改訂版』がありました。――ここでも略称を使って、前者を「ジュニア元版(もとはん)」、後者を「ジュニア改訂版」と呼ぶことにしましょう。
ジャケットを並べるとこんな感じ。右上が「ジュニア元版」、左下が「ジュニア改訂版」です。
昨日も貼り付けた、三省堂サイトの在庫ページ↓に出てくる『ジュニア星座早見』は、改訂版の方で、その親に当たる『新星座早見』(こちら改訂版の方です)と同時に、1986年に発行されています。そして、ともに仲良く品切れ中です。
「ジュニア元版」が「新星座早見」の子供であり、「ジュニア改訂版」が同じく「新星座早見 改訂版」の子供であることは、このふた組の親子のジャケットを比べれば、一目瞭然です。裏面を並べれば、これまた下のような感じ。
(ジュニア元版の親子)
(ジュニア改訂版の親子)
ジャケットのデザインも、そこに書かれた文句も、本当によく似た親子です。
しかし、似ているのはジャケットだけで、その中身はまったく違います。
(左:「ジュニア元版」、右「ジュニア改訂版」。円形部分の直径はそれぞれ19.8cm、21cm。まったく同じように見えますが、改訂版の方がちょっぴり大きいです。)
そう、『ジュニア星座早見』は、元版も改訂版も、共に4本角タイプであり、しかも素材は厚紙と、その親とは似ても似つかぬ姿で、むしろ祖父母である「旧版」の形質を色濃く受け継いでいるのです。
(祖父母の肖像)
三省堂版に限りません。
フィリップス社のアンティーク星座早見盤をはじめ、かつて各メーカーが盛んに試みたクラシカルな4本角のフォルムは、こうして極東の地で細々と生き延びて、まさに星座早見界のガラパゴス的様相を呈しているのでした。
★
ところで、「ジュニア改訂版」は、1986年生まれとはっきりしているのですが、「ジュニア元版」の方は、本体にもジャケットにも記載がないので、正確なことは不明です。
(「ジュニア」元版・裏面)
(同・拡大)
まあ、手元の品に限定すれば、そのジャケットデザインから、これも1970年代の品と想像されるのですが、途中でジャケットデザインの変更があって、その生年自体はもっと古い可能性が捨てきれません。
この点は、先日コメント欄で、S.Uさんに耳より情報を教えていただきました。
ツイッター上に、関連する画像が投稿されているというのです。
さっそく件のツイート【LINK】を見に行ったら――ツイート主は、倉敷の素敵な書店「蟲文庫」さんです――、そこにはズバリ「1961年」のコピーライト表示がありました。これぞ“元版の元版”に違いありません。親にあたる「新版」が1957年の誕生ですから、ジュニアの方は、それから4年遅れで世に出たことになります。
星座早見盤という存在自体、当初から「教育用品」の色彩を帯びていましたが、ここにはっきりと「子供向け市場」が形成され、それが拡大しつつあったことを物語るエピソードではあります。
★
ついでに星図の細部も見ておきます。
(ジュニア元版)
(ジュニア改訂版)
時代の変化は、当然『ジュニア星座早見』にも及んでいます。
元版の左下に見える「インドじん座」は、さすがに古風ですね。画像には写っていませんが、改訂版だとちゃんと「インディアン座」に直っています。
★
さて、以上で三省堂と渡辺教具製の星座早見については、その変遷が何となく分かりましたが、他のメーカーの品については依然さっぱりです。でも、今のところ手元に何も材料がないので、連載の方はこれで一区切りつけます。所詮は「メモ」ですから、また判明したことがあれば、のんびり書き継ぐことにします。
(一応この項おわり)
日本の星座早見盤史に関するメモ(11)…三省堂『新星座早見改訂版』(下) ― 2020年06月21日 11時17分26秒
(昨日のつづき)
リーフレットの冒頭には、こんなことが書かれていました。
「この『新星座早見 改訂版』は、永らくご愛用いただいた『新星座早見』にかわるものとして、企画されたものです。」
ふむふむ。
「我が国における星座早見盤の歴史については必ずしも明らかではありませんが、明治41年版の天文月報に三省堂から星座早見盤の広告が掲載されておりますので、少なくとも80年近い歴史があることがわかります。」
え! …と、読んでいる途中で声が出ました。
三省堂は、言うまでもなく、日本における星座早見盤の最老舗です。
私はこの文章を読むまで、同社には日本天文学会と取り交わしたであろう、昔の権利関係の書類とか、往時の事情をリアルに物語る資料が、当然あるのだと思っていました。でも、当の三省堂自身が、「必ずしも明らかではありません」と言い、昔のことは当時の広告で推測するしかないのであれば、やっぱり資料はほとんど残っていないのでしょう(注)。
明治・大正・昭和・平成、そして令和―。
5代の長きに及ぶ三省堂の星座早見盤作りの歴史が、早くも昭和の頃には分からなくなっていたとは、痛恨の極みです。であれば、しかしこの駄文にも多少の意味はあるでしょう。
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さて、「改訂版」の続きです。
改訂版には、昨日書き洩らした工夫が、もう一つ凝らされています。
それが、この「高度方位角図」で、ジャケットの中には、白封筒に入った5枚の方位角図が付属します。これらは、本体に印刷された北緯25度~45度まで5度刻みの地平線の「窓」の大きさ・形に、それぞれ対応しています。
これは、おそらく渡辺教具製「お椀型」のアドバンテージを奪おうという野望の表れでしょうが、実際に「窓」にあてがっても、下の星図は見えません。ではどうするか。
この「高度方位角図」の使い方も、リーフレットに解説がありました。
「観測地に近い緯度の高度方位角図を選び、上の盤の窓に転写して使います。用心のためにコピーをとっておいてから、使用する高度方位角図を南北の線で2つに切りはなします〔注:縦に真っ二つに切るのです〕。次に〔…〕窓の下に挿入します。地平線に相当する周囲の線をよく一致させ、窓に高度方位角の線を極細のフェルトペンなどで転写しましょう。」
何だか面倒くさいですね。手先が不器用だと、悲惨なことになるかもしれません。
それに実際に転写してしまうと、他の緯度に移動したとき使いにくくなるので、リーフレットも「観測地があまり変化しない方は利用されるとよいでしょう」と、特に断わりを入れています。若干企画倒れの感なきにしもあらず。
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しかし、三省堂(と日本天文学会)の「野望」はこれで尽きることなく、新たに『世界星座早見』を生み出すことになります。2003年のことです。
盤の直径は27.5cmとさらに大型化し、対応する緯度も25度から50度にまで拡大。さらに、盤の両面に南北の星図を載せて、世界の主要地点のどこでも使えるようにしようという、大変な意欲作です。
高度方位角図も、こんどはシートに印刷済みのものを、回転盤にクリップ(写真の下に白く見えています)で固定するよう、工夫を凝らしています。以上のことから、『世界星座早見』が「改訂版」の延長線上にあって、それを改良したものであることは明らかです。
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では、改訂版はすでに過去の商品なのか?
そして『世界星座早見』こそが、その後継なのか?
この点は、三省堂の出版案内【LINK】を見れば明らかになります。
「改訂版」は、その後どうなったわけでもありません。今も現行の商品です。たしかに「品切れ中」ではありますが、「絶版」になったわけではありません。
明治生まれの旧版の正当な後継者は、今も「改訂版」であり、『世界星座早見』は、そこから派生したスピンオフという位置づけなんだろうと思います。
そして、旧版、新版、改訂版という太い進化の幹から分岐した、もう一つのスピンオフ作品が『ジュニア星座早見』で、この愛すべき品を次に見ておきます。
(この項つづく)
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(注)
「三省堂書店」と出版社の「三省堂」は、今は別の会社ですが、元は当然同じ会社なので、『三省堂書店百年史』は、星座早見盤出版当時のことも扱っています。ただ、『百年史』の目次をこちら【LINK】で読むことができますが、早見盤のことは独立した項目にはなっていないので、一寸した言及ぐらいはあるかもしれませんが、詳細な記述はなさそうです(機会があれば確認してみます)。
また、日本天文学会百年史編纂委員会(編)の『日本の天文学の百年』(恒星社厚生閣、2008)には、「第2章天文の教育と普及」の一節として、星座早見盤のことが1か所だけ出てきます。
「天文学会が教育、普及を意識して組織されたものであることが、星座早見盤から読み取ることができる。天文学会が設立されたのは1908年1月であるが、早くもその前年の9月に平山信編集、日本天文学会発行と印刷された星座早見盤が出版社を通じて販売されている。この星座早見盤は1958年に大幅に改訂されて「新星座早見」となり、現在は「世界星座早見」、「光る星座早見」として編集、発行され今なお根強い人気を保っている。」(P.251)
学会設立よりも前に星座早見盤が出ていたことは、言われるまで気づかなかったので、「へええ」とういう感じですが、情報量としてはこれだけなので、やはり往時の事情はさっぱりです。なお、「1958年に大幅に改定」というのは、以前書いたように「1957年」が正しいと思います。
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