黄泉比良坂を越えて2024年10月31日 19時29分37秒

ハロウィーンのイメージで既出の品を並べてみます(物憂いので元記事は省略)。



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ハロウィーンというと、今や不気味なもの、ホラーチックなものであれば、なんでもありの感じですが、本来は日本のお盆と同様、死者が帰ってくる日、死者儀礼の日なのでしょう。

昔、スプラッタムービーが流行っていた頃、原題を無視して、「死霊の○○」という邦題をつけた映画がやたらありました。中でも「死霊の盆踊り」というのが印象に残っていますが、今にして思えば、ハロウィーンはまさに「死霊の盆踊り」みたいなものかもしれません。(…というか、盆踊りはそもそも「死霊の踊り」であり、盆踊りの輪の中には、知らないうちに死者の顔が混じっているよ…と言われたりするのも、そういう意味合いからでしょう。)

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「今宵、月の光で子供たちが影踏み遊びをしていると、いつのまにか死者がその中に紛れ込んでいて、死者に影を踏まれた子は…」という小話を考えました。

「…」の部分は、「命をとられる」とか、「魂を抜き取られて言葉が話せなくなる」とか、「発狂して悪夢の世界から帰ってこれなくなる」とか、いろいろ考えられます。あるいは「子供の姿がふっと消えて、その子がこの世に存在した痕跡がすべて消えてしまう」というのも怖いですが、でも、そこにかすかに残った小さな足跡を見た両親が、「不思議だな、ひどく懐かしい気がする」、「あら、あなたも?」…といった会話をする場面を想像すると、ひどく哀切な気分になります。

たぶん、我々はみな何か大切なものを忘れてしまった経験を持っているからでしょう。

コメント

_ S.U ― 2024年11月01日 11時52分56秒

>「今宵、・・・」~「…」の部分
 恐い話ではないですが、日本のお盆(仏教)の教えにひっかけて、影を踏んだのは、遊びに来たその子のご先祖様で、「ご先祖様を大事にする良い子どもになり、大きくなってから世の人のために尽くす名高いに人になりました」という教訓的ハッピーエンドはどうでしょうか。

_ 玉青 ― 2024年11月02日 09時10分27秒

あ、なるほど。尻馬に乗ると、これは攻守ところを替えて、

「…見知らぬ子供(=遊びに来た亡者)はひらりひらりと巧みに身をかわし、子供たちは誰もその影を踏めずにいたが、その動きをじいっと観察していた一人の子供が、ズバリその影を踏んで見せた。「あっ」と声を挙げて亡者は姿を消し、それを見た子供たちは肝をつぶして一斉に逃げ出したが、影を踏んだ子供のみ一人呵々大笑。その子は長じて武勇の誉れ高き大将に(あるいは才知並びなき学者に)なった」

…という稲生物怪録的展開にすると、一層話の首尾が整うのではありますまいか。

_ S.U ― 2024年11月03日 05時04分09秒

なかなかリアリティが出てきましたね(笑)
子どもが参加する宗教行事というのは、ポジティブな意味があるはずで、子どもが神仏や死者の世界との連絡役として適任であると見られたこととともに、子どもが心身ともに健やかに成長して出世することを祈願するという意味もあるのでしょう。それにしても、「物乞い」めいた trick or treat という、特に托鉢でも芸をするわけでもない子どもの風習というのは、どういう心身発達上の意味や願いがあるのか、よくわかりません。物乞い職業体験のようなものでしょうか。でも、乞食は軽犯罪法違反ですよね。

_ 玉青 ― 2024年11月04日 11時46分57秒

西洋のことは不案内ですが、日本ではこの種の民俗行事が昔から盛んで、柳田国男は『こども風土記』(昭和16)の中で各地の例を挙げています(この本は今では青空文庫で読めるのをさっき知りました)。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/53809_49722.html

「東北では正月の春田打ち、または田植と称する行事が、土地によっては今もまだ少年少女の領分である。
  明の方から早乙女が参った
といったり、または、
  田人に来たよ 小苗ぶちが来いした
などといって、彼ら自身もなんのことだか知らずに、ただまわってあるけば餅が貰えるものだと思っている。それに相応の受け答えをして、心よく用意の餅を出して与えるのみか、それが来なくなるのをなんとなく淋しく思っている家もまだ多い。正月はもちろん田植の季節でないが、もとは一年のはじめに一通りそのわざを演じて、農作成功のまじないとする風があって、それには外部からこういって来る者のあることを、一つの瑞相として歓迎したのであった。ところが他の土地ではもうそのための職業団体ができたり、または貧しい人たちが顔を包んで、門に立ったりすることがはじまって、なんだか品の悪いものとして、親も学校も制止するようになり、子どもの正月の楽しみはまた一つ失われた。

 これと似よった例は四国の粥釣や御祝いそ、中国地方のコトコト・ホトホト、またはトロベイ・トヘイなどというもの、九州・奥州の両端にあるカセドリなど数えきれぬほどの種類を私は知っている。起源は少しずつちがっているかも知らぬが、いずれも正月に子供の口から、めでたい言葉を聴こうとした趣意は一つで、もしもはじめから賤しいと見られる所作であったら、真似をするはずもないのだから、いわば児童はお株を取られたのである。」

柳田の解釈だと、子供が神様代わりに祝い言を唱え、餅やら何やらをもらうのが古形で、それが職業的な門付けとなり、賤業視されるようになったのは、後世の退化だ…ということになります。まあ、これは柳田説をただちに肯定もできませんが(以前、蟹と琴と月の話題で万葉歌を引用した際、上代にはすでにこうした門付け芸人がいたらしいことに触れました)、いずれにしても、日本版「trick or teat」の伝統は相当長いもののようです。

_ S.U ― 2024年11月04日 19時10分17秒

「それが来なくなるのをなんとなく淋しく思っている家もまだ多い」という言葉が心にしみます。子どもは神の使いなのでしょうが、それとともに、自分の子どもが他所の家々を回ってくれると嬉しいという親バカ的な気持ちの思い出があり、老人になってからも、それを懐かしむということもあったのではないかと思います。
 ただ、私もこれが門付けの走りかどうかは疑わしいと思います。ずっと大昔、まだ日本が未開であって、縄文やアイヌの文化があったころは、原始共産主義的な考えがあり、単純な物の売り買いや物乞いはすでに賤業と見なされたと思います。互いの贈り物として交換や宗教的意義を伴う贈与が正しい取引だった可能性があります。芸や工芸の技術のある人は、かなり昔から実質上は宗教的意義を伴って職業化していたのかもしれません。

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