いつもの例の話2024年11月10日 14時26分53秒

うーむ…と思いました。
いつもの天文学史のメーリングリストに今日投稿された1通のメッセージ。

 「私は 1955 年 9 月号から 「S&T(スカイ・アンド・テレスコープ)」誌を定期購読しており、「S&T DVD コレクション」に収録されている 2010 年以前の号(厚さにして12フィート分)は、紙の雑誌の方はもはや不要なので、送料さえ負担してもらえれば、すべて寄付したい思います。どこかでお役に立てていただけないでしょうか?」

今やどこにでもある話で、その反応もある程度予想されるものです。

A氏 「あなたのS&Tに早く安住の地が見つかりますように。私の手元にある某誌もずっと寄贈先を探しているのですが、うまくいきません。」

B氏 「数年前、私は S&T やその他の天文雑誌を、すべて UNC の学部生に譲りました。私は天文学部の教授である隣人を通じて彼と知り合いましたが、何でもオンラインでアクセスできる今の時代、そのようなもののハードコピーを欲しがる人を見つけるのは本当に大変です。幸運を祈ります!」

C氏 「私が退職したときは、ケニアで教えていた同僚が、私の歴史ジャーナルのコレクションを、自分が教鞭をとっていた大学に送ってくれました。海外とご縁があるなら、同じことを試してみてもいいかもしれませんね。」

D氏 「数年前、私もS&T について同様の状況に直面し、ずっと受け入れ先が見つからなかったため、結局、観測関連の記事だけは切り抜いて、将来の観測に備えてバインダーに保存することにしました。残念ながら、それ以外のものは一切合切、地元の古紙回収ステーションに出さざるをえませんでした。」

そう、表現はさまざまですが、要するに皆さん異口同音に言うのは、「それはもうただのゴミだ!」という冷厳な事実です。まあ、私は決してゴミとは思わないんですが、世間一般はもちろん、天文学史に関心のある人にとっても既にそうなのです。それに、かく言う私にしたって、「じゃあ送料はタダでいいから、あなたのところに送りましょう」と仮に言われたら、やっぱり困ると思います。

(eBayでも大量に売られているS&Tのバックナンバー)

   ★

ただ一つのポジティブなメッセージは、アマチュア天文家にして天文学史に造詣の深いロバート・ガーフィンクル氏(Robert〔Bob〕Garfinkle)が寄せたものでした。

 「私の S&T 誌のコレクションは、前身である「The Sky」と「The Telescope」誌にまで遡ります。私も会員になっているイーストベイ天文協会の友人から、シャボット・スペース&サイエンスセンターが、製本済みのS&Tを処分すると聞いたとき、私の手元には、ほぼ完全な未製本雑誌のコレクションがありました。シャボット から譲られたのは第 1 巻から第 67-68 巻 (1984 年) までで、その間の未製本雑誌はすべて箱詰めしてあります。製本済みの方は、約 7,000 冊の天文学の本、いくつかの天文学の学術誌の全巻、数十枚の月面地図、1800 年代から今日に至るまでの数百枚の月写真、そしてローブ古典文庫の約 3 分の 1 の巻とともに、今も私の書庫の棚に並んでいます。
 なぜこんなにたくさんの本を持っているのかと何度も尋ねられました。その答は、私が原稿を書くのは夜間であり、ほとんどの図書館は夜には閉まっているからです。それに私の手元には、どの図書館も持ってない珍しい本が何冊かあります。そのうちの1冊は、これまで2冊しか存在が知られておらず、私の手元にあるのは、まさにそのうちの1冊なのです。」

いくら夜間に執筆するからといって、DVD版も出ている今、紙の雑誌を手元に置く理由にはならないですが、ガーフィンクル氏がこう言われるからには、氏にとって紙の雑誌には、デジタルメディアで置き換えることのできない価値が確かにあるのでしょう。

   ★

遠い将来、人間の思念が物質に影響を及ぼすことが証明され、さらに物質上に残された過去の人々の思念の痕跡を読み取ることができるようになったら、そのとき紙の本はたとえようもない貴重な遺産となるかもしれません。

しかし、そんな遠い未来を空想しなくても、私は古い紙の本を手にすると、ただちに元の持ち主の思いを想像するし、それが読み取れるような気がすることさえあります、そのことに価値を感じる限り、紙の本はこれからも私の身辺にあり続けるはずです。

他愛ない宇宙2024年11月04日 11時36分44秒

他愛ないといえば、こんな本も届きました。


■Child Life 編集部、『The Busy Bee SPACE BOOK』
 Garden City Books (NY)、1953

版元の Garden City Books も含めて、「Child Life」という雑誌は、今一つ素性がはっきりしません(同名誌が他社からも出ていたようです)。


裏表紙には、この「Busy Bee Books(働きばちの本)」シリーズの宣伝があって、いずれも幼児~小学生を対象としたもの。中でもこの「宇宙の本」は、いろいろな工作を伴うせいか、年齢層は相対的に高めで、小学校の中学年~高学年向けの本です。

   ★

その内容はといえば、


この「プラネット・トス」は、切り抜いて壁に貼り、粘土玉をぶつけて点数を競うゲーム。


あとは迷路遊びとか、数字の順に丸を線で結ぶと浮かび上がる絵とか、


色塗りしてパズルを作ろうとか、火星人と金星人の追いかけっこゲームとか、


「宇宙暗号を解読せよ」等々、中身は本当に他愛ないです。



工作ものとしては、この「スペース・ポート」がいちばん大掛かりな部類ですから、あとは推して知るべし。

日本の学習雑誌の付録にも、同工異曲のものがあったなあ…と懐かしく思うと同時に、当時の日本の雑誌に比べて紙質は格段に良くて、そこに彼我の国力の違いを感じます。

   ★

1953年といえば、日本では昭和28年。
エリザベス女王の即位や、朝鮮戦争の休戦、テレビ本放送の開始、映画では「ローマの休日」や小津の「東京物語」が公開…そんなことのあった年でした。

目を宇宙に向ければ、ソ連のスプートニク打ち上げ(1957)に始まる宇宙開発競争の前夜で、宇宙への進出は、徐々に現実味を帯びつつあったとはいえ、まだ空想科学の世界に属していた時期です。その頃、子供たちは宇宙にどんな夢を描いていたのか?…という興味から手にした本ですが、これが予想以上に他愛なくて、それ自体一つの発見でもありました。

でも、今となってはその他愛なさが貴くも感じられます。
「他愛ない」とは、けなし言葉である以上に褒め言葉でもあり、強いて英語に置き換えれば「イノセント」でしょう。


『星三百六十五夜』の書誌2024年09月24日 18時11分42秒

石田五郎氏『野尻抱影伝』(中公文庫)を手に取り、昨日も触れた抱影の『星三百六十五夜』との出会いのくだりを読んでいて、「あれ?」と思ったことがあります(最近「あれ?」が多いですね)。

ちょっと長くなりますが、以下に一部を引用します(引用文中、読みやすさを考慮し、年代を示す漢数字をアラビア数字に改めました。太字は引用者)。

   ★

 「抱影の『星三百六十五夜』が中央公論社から出版されたのは昭和31(1956)年のことである。「お前、こんな本知っているか」といって突然私の目の前にさし出されたのが赤い表紙の真四角のこの本で、開いてみると扉には星座の絵がある。」(p.220)

 「〔…〕さりとて助手の身分で楽に買える値段でもなく、奥付をしっかり目に入れて、帰り途の本屋で探した。麻布飯倉から虎の門、新橋、銀座、有楽町と大きな本屋の店頭で何軒もの「立ちよみ」のハシゴをした。〔…〕立ち読みの姿勢で最後の頁を閉じた。しかし四百円の定価は手が出せない。」(pp.226—9)

続いて30年後、思い出深いこの初版本に古書市で再会したくだり。

 「〔…〕何とか初版本が手に入らぬものかと心がけていたが、〔…〕昭和61年、池袋東武の古書セールの初日の雑踏の中で出会った。めぐりあったが百年目、まさに盲亀の浮木、ウドンゲの花である。六千円で「親の仇」を手に入れた。〔…〕カラフルな記憶は茶色の絵具を刷毛ではいたような外函の装幀であった。真紅の表紙に黒点を点じた蛇遣い座の絵も記憶の通りであった。」(pp.229-30)

   ★

今回の「あれ?」は、私の手元にある『星三百六十五夜』(下の写真)は、1956年ではなく1955年の発行であり、定価も400円ではなく800円、そして真紅の表紙ではなく青い表紙だったからです。

(表紙絵は、野間仁根による水瓶座と南の魚座)

(裏表紙には蠍座が描かれています)

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世はネット時代。机の前に座ってカチャカチャやるだけで、上の疑問はすぐ解けました。その書誌を概観してみます。(なお、以下に掲載の画像は自前の写真ではなく、各種の販売サイトで見かけた画像を寸借したものです。各撮影者の方に深甚の謝意を表します。)

『星三百六十五夜』は出版社を変え、判を変えていくたびも出ていますが、その「本当の初版」は1955年(昭和30)に出ています。それと石田氏が述べていた1956年(昭和31)版の奥付を並べた貴重な画像があって、これを見てようやく事情が分かりました。


上に写っているのは、昭和30年11月25日印刷、同年12月1日発行「本当の初版」で、青い表紙の本です。1500部の限定出版で定価は800円。これが私の手元にある本です。

そして下は昭和31年2月20日印刷、同年2月25日発行で、特に「新装版」とも「第2版」とも銘打っていないので、これだけ見ると「初版」のように見えますが、正確にいえば「普及版・初版」で、定価は半額の400円。表紙は赤です。

(1956年・普及版表紙)

(外函のデザインは、限定版も普及版も同じ)

あとから気づきましたが、この辺の事情は、1969年に恒星社から出た「新版」に寄せた抱影自身の「あとがき」にすでに書かれていました。

 「『星三百六十五夜』は初め、敗戦後の虚脱感から救いを星空に求めて日夜書きつづけた随筆集であった。それが図らずも中央公論社から求められて、一九五五年の秋に豪華な限定版を出し、次いで普及版をも出したその後しばらく絶版となっていたが、六〇年の秋、恒星社の厚意で改装新版を出すこととなり、添削を添えた上に約二十篇を新稿と入れ代えた。
 ここにさらに新版を出すに当たって再び添削加筆し、同時にこれまで「更科にて」の前書きで配置してあった宇都宮貞子さんの山村の星日記をすべて割愛して、二十四篇の新稿とした。従ってスモッグの東京となってからの随筆も加わっている。」

…というわけで、石田五郎氏の記述にはちょっとした事実誤認があります。

   ★

この2冊を皮切りに、『星三百六十五夜』はいろいろな体裁で出版され、上記のように時期によって内容にも少なからず異同があります。本書は多くの星好きが手にした名著ですが、人によって違ったものを見ている可能性があるので、コミュニケーションの際には注意が必要です。以下、参考として発行順にそれぞれの画像を挙げておきます。

(恒星社厚生閣「新版」、1960)

恒星社から最初に出た版です。
恒星社版は、この後も一貫して横長の判型を採用していますが、おそらく俳句歳時記にならった体裁だと思います。上述のとおり、改版にあたり約20篇が新しい文章に置き換わっています。

(恒星社厚生閣「愛蔵版」、1969)

恒星社から出た1960年版をもとに、さらに添削加筆したもの。
これ以前の版では「更科にて」と前書きして、信濃在住の宇都宮貞子さんが綴った星日記から、毎月2、3篇ずつを選んで収録していましたが、これらをすべて削除し、24篇を抱影自身の新稿に置き換えてあります。

(中央公論社, 1978年1月~2月)

中公から文庫版で出た最初のもので、上・下2巻から成ります。
カバーデザインは初版の外函のデザインから採っていますが、内容は恒星社から出た新版を底本にしているのでは?と想像するものの、未確認。

(恒星社厚生閣「新装版」、1988)

外函のデザインが変わりましたが、中身は69年版と同じです。

(恒星社厚生閣「新装版」、1992)

再度の新装版。外函デザインが本体に合わせて横長になりました。

(中央公論新社、2002年8月~2003年5月)

この間、中央公論社は経営難から読売グループの傘下に入り、「中央公論新社」として再出発しました(1999)。その3年後に、中公文庫BIBLIOから「春、夏、秋、冬」の4巻構成で出たバージョンです。

(中央公論新社、2022)

一昨年、クラフト・エヴィング商會のブックデザインで出た最新版。
再び「春・夏」、「秋・冬」の2巻構成に戻りました。

   ★

みなさんの記憶の中にある、あるいは書架に並んでいる『星三百六十五夜』はどれでしょう? こうして振り返ると、本当に息長く愛されてきた本で、まさに抱影の代表作と呼ぶにふさわしい作品です。来年で出版70年を迎えますが、これからもきっと長く読み継がれることでしょう。

『野尻抱影伝』再読2024年09月23日 10時28分36秒

野尻抱影(1885-1977)のことについて書くたびに、これまでたびたび石田五郎さん(1924-1992)『野尻抱影―聞書“星の文人”伝』(リブロポート、1989)から引用してきました。しかし、原著は古書でしか手に入らないので、読み手の方にとっても不便でしょうし、今では中公文庫で簡単に読めるので、今後はそちらを引用元として挙げようと思い、文庫版を購入しました。

(判型が四六判(188×127mm)からA6判(文庫本サイズ)に小さくなりました)

中公文庫版は2019年の初版で、『星の文人 野尻抱影伝』に改題されていますが、内容はオリジナルとまったく同じです(ただし、巻末の編集付記を読むと、底本中の明らかな誤植が訂正され、難読文字にルビが付加されている由)。

   ★

それともう一つの違いは、文庫本の常として「解説」が最後に付いており、本書では国立天文台副台長(当時)の渡部潤一氏(1960-)がその筆を執られています。同じ本を買い足すのは一見無駄なようですが、この解説文だけでも、買ってよかったと思いました。

そこには渡部氏自身の少年期の思い出が綴られています。
天文熱が高まった小学校高学年の頃に出会った石田五郎さんの『天文台日記』
これを渡部氏は「人生を変えた本」と呼んでいます。

その後、氏が本格的に天文学を志して大学に入学した際、親族から贈られたのが、抱影の『星三百六十五夜』でした。古本屋で入手したらしい、その歴史を感じさせる装丁に最初は戸惑いながらも、読み出したらこの「傑作」に「一挙に“はまって”しま」い、これこそ『天文台日記』の原典ではなかろうかと思った…とも書かれています。


専門の天文学者であると同時に、当代一流の天文啓発家である渡部潤一氏に、抱影と石田五郎さんが強烈に影響していたと知って、深く感じるものがありました。美しい星ごころが、世代を超えて伝達していくさまがまざまざと伝わってきたからです。天文学ならぬ「天・文学(てんぶんがく)」の系譜は、まことに重層的です。

(石田五郎さんと抱影。1957年5月に行われたラジオ対談の一コマ。石田さんの追悼文集『天文屋 石田五郎さんを偲ぶ』より)

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その石田五郎さんが抱影の『星三百六十五夜』に出会った思い出も、この『野尻抱影伝』には書かれています。

それは『星三百六十五夜』の初版が出た、昭和31年(1956)のことで、当時の石田さんは30代初めで、東大天文学教室の助手。当時の東京天文台長・萩原雄祐(1897-1979)に、「お前、こんな本知っているか」と差し出されたのが『星三百六十五夜』でした。

さすがに「大先生」である萩原に貸してくれとも言えず、かといって助手の給料で気楽に買える金額でもなかったので(公務員の初任給が9000円の時代、この本は定価400円でした)、石田さんはその頃麻布にあった天文学教室からの帰り道、大きな本屋をはしごしながら、ついに立ち読みで読破したといいます。

その後、普及版が出て入手は容易になりましたが、思い出の初版を手に入れようと雌伏すること30年。ついに昭和61年(1986)に、古書市で「めぐりあったが百年目、まさに盲亀の浮木、ウドンゲの花」と勢い込んで購入した顛末が、『野尻抱影伝』には書かれています。

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ふたたび渡部潤一氏の解説に戻って、氏はこうも書いています。

 「本書の中で異色な章が「第十一話 冬来菜葉、春唐辛子」である。唯一、著者である石田氏が、野尻氏との交友について紹介し、珍しく感情を吐露しているからだ。そこには学者としてだけで無く、能楽や歌舞伎、狂言などを愛する文化人として、手紙のやりとりをしていたことが紹介される。〔…〕いずれにしろ、石田氏が野尻氏を継ぐ人物なのは、十分に納得できる内容だ。そこでの手紙のやりとりを含め、〔…〕野尻氏の知られざる側面を、石田氏は本書で余すところなく紹介している。」

私もさっそく「冬来菜葉、春唐辛子」を読み返し(ときにこの章題を読めますか?「ふゆきたりなっぱ、はるとうがらし」です。もちろん「冬来たりなば春遠からじ」のもじりで、抱影はこういう伝統的な言葉遊び、地口(じぐち)」が好きでした)、さらにほかの章も再読したのですが、昔読んだ時よりも一層深い味わいがありました。

齢をとったせいで、いろいろ経験を積み、心にひだを刻んだということもあります。
さらにそればかりなく、この間に関係するモノの集積が続いたせいで、単なるイメージにとどまらない、抱影や石田五郎さんの追体験ができるようになったこと、そして両氏のリアルな体温を感じられるようになったとことが、何にもまして大きいです。

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本書を再読して、モノの力は自分が思っていた以上に大きいのかもしれないなあ…とも思いました。

グランヴィル 『Les Étoiles』2024年08月31日 10時01分01秒

オリンピックに続き、パラリンピックがパリで始まりました。
今日はパリにちなむ話。

   ★

西洋古書愛好家には、「19世紀フランス挿絵本」というジャンルが耳に親しいと思います。これはひとえにフランス文学者の鹿島茂氏が、古書エッセイでせっせと宣伝に努めたおかげだと思いますが、このジャンルの巨魁に、グランヴィル(J.J. Grandville、1803-1847)という挿絵画家がいます。

彼の風刺のきいた奇抜な挿絵は評判を呼び、いわゆる挿絵画家、すなわち文章に合わせて絵を描くのではなく、彼の絵に作家が文章を当てた著作が出るほどで、こうなるともう「挿絵画家」というより、単なる「画家」ですね。しかし、盛名をはせたグランヴィルも時流と運命には逆らえず、妻に先立たれ、次々と子を喪い、病を得た末に、最期は救貧院で息を引き取りました。

グランヴィルの死後、彼の遺作である「星に変身した女性」という11枚の連作に、Méryという人が文章を添えて出版されたのが、『Les Étoiles (レ・ゼトワール、‘星々’の意)』(1849)です。ただし、それだけだとボリューム不足ということで、こうして出来上がった「第1部: レ・ゼトワール、最後の妖精物語」に、フェリックス伯爵夫人が著した占星術入門書に、グランヴィルとは別人が挿絵を描いた「第2部: 貴婦人の占星術」というのを抱き合わせにして、無理やり一冊にしたのが、『Les Étoiles』でした。

   ★

…というのは、鹿島氏の『愛書狂』(角川春樹事務所、1998)の受け売りで、私もそう信じていましたが、ここには誤解があって、『Les Étoiles』の第2部は、占星術入門書ではなく、「貴婦人の天文学(Astronomie des Dames)」という、太陽系の諸天体や星座を解説する普通の天文入門書です(最後に「貴婦人の気象学(Météorologie des Dames)」という章が続きます)。

(「貴婦人の天文学」より。挿絵画家の名は表示がなく不明。天文学史の本で折々目にする、結構有名な絵ですが、その出典が 『Les Étoiles』です)

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『Les Étoiles』は印刷部数が少なかったせいで、グランヴィルの諸作品の中でも集めにくいものの代表で、鹿島氏もパリ在住中は、なかなか出会えなかったといいます。もちろん今は古書検索サイトのおかげで、状況が劇的に変わりましたが、結構なお値段であることは変わりません。試みにAbeBooksを見たら、現在の出物は11点、お値段はドル建てで627ドルから7,500ドルまでとなっていました。

(美しいカルトナージュ・ロマンチック装の一冊。価格は4,025ユーロ、日本円で64万6千円也)。

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星に関わる本ということで、私も13年前に奮発して1冊買いました。


ただし、ウン十万円というような買物ではなく、当時のレートで約1万3千円でした。これは背革装のぱっとしない本であることに加えて、冒頭のグランヴィルの肖像とタイトルページが欠けているという、決定的な「傷」があったからです。

(羊飼いの星)

(美しい星)

しかし、それ以外の13枚の図版はすべて含まれているので、確かに本としては傷物ですが、グランヴィルのオリジナル版画が1枚1000円で手に入ると考えれば、リーズナブルな買い物だともいえます。この辺はいろいろな価値基準が交錯するところでしょう。

(夕暮れの星)

(悪い星)

再び鹿島氏の『愛書狂』より。

 「〔…〕グランヴィルは『フルール・アニメ』を書き上げたあと、「私はこれまであまりに長いあいだ地上のほうにばかり目を向けてきた。だから、今度は天のほうを眺めてみたい」と二度目の妻に語っていたからである。あるいは、グランヴィルは『もうひとつの世界』でフーリエの宇宙観を絵解きしたことがあるので、人間の魂は地球に八万年住んだあと、今度は地球の魂に引き連れられてほかの惑星に移住するというフーリエの思想に影響をうけたのかもしれない。死期が近づくにつれて、星々が、自分よりもさきにみまかった先妻やその子供たちの住む場所に思えてきたという可能性は十分にある。なかでも、「悪い星」「ある惑星とその衛星」と題された絵は、グランヴィルを見舞った家庭の不幸の絵解きのような気がしてならない。」(p.127)

   ★

この本を売ってくれたのはパリ16区の古書店で、先ほど見たら今も盛業中でした。ただし、名物店主氏は、昨年8月に星界に召された由。まさに諸行無常、万物流転。

天文古書とアールデコ2024年08月10日 14時44分53秒

最近、人に問われて魅力的な装丁の天文古書について考える機会がありました。
自分なりにいろいろ考えてお答えしたのですが、そういえば下の本はまだ話題にしてなかったのを思い出しました。


■Mary Proctor
 Evenings with the Stars
 Cassell (London), 1924. 8vo. 212p.


厚みのある本なので、背表紙も表紙絵と同じデザインで小粋に彩られています。

著者は、父リチャード(Richard Proctor、1837-1888)とともに天文啓発家として名をはせた、メアリー・プロクター(1862-1957)。ふたりは多くの一般向け天文解説書を書き、英米両国で好評を博しました(プロクター家は1881年にイギリスからアメリカに移住しました)。

(本書は亡父に捧げられています)

(タイトルページ)

まあ装丁の美しさイコール中身の美しさではないので、本書も21 枚の図表と8 枚の写真(オフセット印刷)を含むものの、ビジュアル面では特に目を引かない、中身はごくふつうの星座ガイド本です。

(内容の一部)

   ★

しかし、この表紙はどうでしょう。1920~30年代に一世を風靡した「アールデコ」のブックデザインが洒落ています。


美しい装丁の天文古書というと、いかにもヴィクトリアンな、ときに装飾過多と思えるようなブックデザインがパッと思い浮かびますが、本書の造本感覚はそれとはちょっと趣が異なります。

アールデコとは何ぞや?…というのは、なかなか言葉で明確に述べ難いところですが、ざっくり言えば「装飾的モダニズム」であり、幾何学的・平面的・直線的デザインを多用し、オリエンタルなモチーフを、オリジナルの文脈を無視して盛んに引用するあたりが特徴かと思います。アールデコの例として真っ先に挙げられる、ニューヨークのクライスラービル(1930年竣工)の外観や内部はまさにそうですね(以下はウィキペディアから引っ張って来た写真)。



ただし、そういう外形的なものにとどまらず、アールデコというのは一種の時代精神でもあって、大戦間期の享楽的な大衆文化、いわゆる「ジャズエイジ」と切り離すことはできません。そうした軽躁的なムードは、ヴィクトリア時代を特徴づけた謹厳さとは、鋭く対立するものです。

   ★

時代を超越しているかのような天文書でも、やっぱりそのブックデザインには時代相が如実に表れる…というのが、興味深い点で、書物もやっぱり時代の子ですね。

そして、時代精神は本のデザインばかりではなく、著者のライフスタイルにも知らず知らず影響を及ぼすのでしょう。

(Mary Proctor(1862-1957)、1932年撮影。英語版wikipediaより

ヴィクトリアンな青春を送ったはずのメアリーも、時が経てばアールデコのファッションに身を包み、その精神生活の基調音も、すっかりアメリカ風にモダナイズされていたのかなあ…と、これは純粋な想像ですが、そんなふうに思います。

銀河鉄道1941(前編)2024年06月14日 05時17分21秒

世間には『銀河鉄道の夜』の初版本というのが流通しています。

(以前ヤフオクに出品されていた商品の画像を借用)

新潮社から昭和16年(1941)に出たものです。
一般に初版本は珍重されるし、ましてやあの名作の初版本ならば…ということで、15万とか20万とか、あるいはさらに高い値段がついていることもあります。

この初版本については、以前も書きました(17年も前のことです)。

■「銀河鉄道の夜」…現代のおとぎ話

でも、「銀河鉄道の夜」は賢治の没後に、すなわち賢治の文学的評価が定まってから出た「全集」に収録されたのが初出で、同名の単行本が作られたのは、さらにその後です。その点で、賢治の生前に出た『春と修羅』や『注文の多い料理店』の初版本とは、その成立事情が大いに異なります(発行部数や残存部数も当然違うでしょう)。以前の私は、その辺をちょっと誤解していました。

こういうことは今でもあります。たとえば雑誌に発表された作品が芥川賞をとり、その話題性を追い風に単行本化されたような場合、大量の「初版本」が存在するので、たとえ初版だからといって、当然それほど珍重はされません。

新潮社版『銀河鉄道の夜』も、事情をよく呑み込んだ良心的な古書店なら、そうあこぎな値段を付けることはないはずで、上の記事に出てくる5千円というのは、さすがに安すぎる気がしますが、それでも2万ないし3万も出せば、この本は手に入るんじゃないでしょうか(私も業者ではないので、そう自信満々に言うことはできませんが)。

   ★


その後、私も奮発してこの本を手に入れました。
上に述べたような次第で、私にも手の届く値段で売られていたからです。

でも、改めて手元の本を見て、「あれ?」と思いました。
上の写真を比べると分かる通り、ブックデザインが微妙に違うのです。

(左が手元の本。下段は裏表紙デザインの比較)

挿画・装丁はいずれも画家の野間仁根(のま・ひとね/じんこん、1901-1979)によるものですが、表紙絵がハチからチョウに、裏表紙は犬にまたがる少年から、犬とともに歩む少年に置き換わっています(ハチと思ったのは翅が4枚あるからで、アブなら2枚です)。

何でこんなことが起きたのか?本の奥付を見ると、


初版初刷りは、昭和16年(1941)12月に出ていますが、手元のは同じ初版でも昭和19年(1944)3月に出た第2刷で、増刷にあたってデザインを変更したことが分かります。

   ★

昭和16年12月、真珠湾攻撃によって日米開戦。
昭和19年3月、死屍累々のインパール作戦開始。

戦況の悪化とともに、国民生活がどんどん重苦しくなっていく中、賢治の童話を――それも「銀河鉄道の夜」を――子供たちに届けようとした、新潮関係者や野間仁根は、より平和的モチーフを採用することで、そこに密かなメッセージこめたのではないか?

(上図拡大)

もちろん真相は不明です。でも、「贅沢は敵だ」とばかり、奢侈品に対して昭和18年に導入された「特別行為税」が本の売価に上乗せされているのを見ると、時勢に抗してそんな行動に出る出版人がいても、ちっとも不思議ではない気がします。

   ★

本当は、昭和16年に書かれた坪田譲治の「あとがき」から、当時の「銀河鉄道の夜」に対する評価を振り返ろうと思ったのですが、いささか余談に流れました。以下、本題に戻します。

(この項続く)

19世紀に登場した予言の書2024年06月08日 14時02分06秒

聖徳太子作とされる予言の書、『未来記』。
言うまでもなく後世の偽書ですが、こういうあからさまな偽書が存在すること自体、未来を知りたいという人間の欲求が、いかに強いかを示すものでしょう。

聖徳太子ほどの人でも、未来を見通すことはなかなか難しいです。
しかし、「予言の書」は確かに実在します。偽書なんかではなしに。不気味なほど未来を予見し、その予言は必中という本が―。


ただし、その本は何でも予言できるわけではありません。
ごく狭い範囲の予言にとどまるものの、その限られた範囲では文字通り必中です。


■Theodor von Oppolzer(著)
 『Canon der Finsternisse』

すなわち、ハプスブルク家治下のオーストリアで活躍したテオドール・フォン・オッポルツァーが著した『食宝典』

(Theodor von Oppolzer、1841-1886)

『食宝典』というと何だかグルメ本のようですが、内容は過去から未来に至る日食・月食を総覧したデータブックです。収録されているのは、B.C.1207年からA.D.2161年までの8,000回の日食と、同じくB.C.1206年からA.D.2163年までの5,200回の月食。

(出版事項を記した副標題紙。中央には双頭の鷲。書名を記した本標題紙がこの後に続きます)

「帝国科学アカデミー紀要 数学・科学部門 第52巻」として、1887年にウィーンの帝室国立印刷局から刊行されました(原稿が提出されたのは、オッポルツァーが亡くなる直前の1885年10月で、本になったのは没後のことです。彼は本の完成を見ずに逝ったことになります)。

   ★

タネを明かせば「なあんだ」ですけれど、人類がこの“予知能力”を身に着けるまでに費やした努力の総量と、灰色の脳髄と2本の手だけで、この膨大な計算をやり遂げたオッポルツァーの情熱は、手放しで称賛してもよいでしょう(加えて延々と版を起こし続けた植字工の仕事ぶりも)。


オッポルツァーの骨の折れる計算は、


375頁に及ぶ大部な表と、


160枚もの日食経路図に結実しました。
そこにはもちろん、2035年9月2日に本州の真ん中で見られる皆既日食もしっかり「予言」されています。


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そういえば、前回話題にした「夜空の大三角」という記事は、2013年、今から11年前のものでした。11年といえば長いようですが、私の中ではわりとあっという間で、過ぎてしまえばそんなものです。そのことを思えば、11年後の2035年もこれまたきっとあっという間でしょう。

11年後に私が生きているか。たぶん生きている確率の方が高いですが、高齢になればいつ何があるか分からないので、この世にいないことも十分考えられます。でも、生きてこの目で見たいなあ…と心底思います。私はこれまで皆既日食を見たことがないんですが、日食については「噂ほどでもない」という人より、「想像以上にすごかった」という人の方が圧倒的に多いので、さぞかし壮麗なのでしょう。

ただ、日食というのは、仮に生きていたとしても、お天気次第ですべておじゃんなので、あんまり楽しみにしすぎるのも考えものです。がっかりしすぎて頓死…なんてのも嫌なものです。

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オッポルツァーが45歳の若さで亡くなったのは、計算のやり過ぎのせいではないか?と真剣に疑っていますが、実は彼は生涯で一度も日食を見たことがなかった…となると非常にドラマチックなんですが、もちろんそんなことはありません。


1868年8月18日、南アジアで見られた日食の際、アラビア半島南端近くのアデンの町(現・イエメン)で彼はそれを観測し、それが『宝典』編纂のきっかけだそうです。このときは、フランスのピエール・ジャンサンが、後にヘリウム由来と判明したスペクトルをインドで観測しており、この日食は科学史上もろもろ意義深いものとなりました。

天文学者のライブラリに分け入ってみたら…2024年05月17日 17時43分20秒

更新をさぼっている間、例の 『天文学者のライブラリ(The Astronomers’ Library)』を、せっせと読んでいました(無事読了)。

先日書いたこと(こちらの記事の末尾)を訂正しておくと、最初パラパラめくった印象から、「自分の書斎も、かなり理想のライブラリに近づいているんじゃないか」…と大胆なことを書きましたが、改めて読んでみると、それは幻想に過ぎず、収録されている書物の大半はやっぱり手元にありませんでした。

といって、「じゃあ、これから頑張って理想のライブラリを目指すんだね?」と問われても、たぶん是とはしないでしょう。この本に教えられたのは、「天文学史上重要な本」と「魅力的な天文古書」は必ずしも一致しないという、ある意味当然の事実です。


たとえばニュートンの『プリンキピア』(↑)は、天文学史のみならず自然科学史全体においても最重要著作でしょうが、それを手元に置きたいか?と問われたら、正直ためらいを覚えます。読む前から理解不能であることは明らかだし、挿図の美麗さとか、造本の妙とかいった、書物としての魅力に富んでいるとも言い難いからです。(『プリンキピア』を人間理性の金字塔とただちに解しうる人は幸せです。そういう人を除けば、たぶんその魅力は「分からない」点にこそあるんじゃないでしょうか。「分からないから有難い」というのは倒錯的ですが、仏典にしても、抽象絵画にしても、そういう魅力は身近なところにいろいろあります。)

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そうした意味で、私が本書で最も期待したのは、第5章「万人のための天文学 Astronomy for Everyone」です。著者はその冒頭でこう書いています。

 「この章を完璧なものとする方法はないし、これまでに出版された教育的天文書を網羅することも不可能だ。したがって、ここでは面白い挿絵のある本や、顕著な特色のある本をもっぱら取り上げることにしよう。率直に言ってこれらの本の多くは、単に目で見て面白いだけのものに過ぎないが。」

なるほど、「面白い挿絵のある本」や「目で見て面白い本」、こうした本こそ、私を含む天文古書好きが強く惹かれるものでしょう。確かに目で見て面白いだけのものに過ぎないにしても―。

とはいえ、この章における著者のセレクションは、あまり心に刺さらないなあ…というのが正直な感想でした。ここにはメアリー・ウォードの『望遠鏡指南 Telescope Teachings』(↓)も出てくるし、


ロバート・ボールの『宇宙の物語 The Story of yhe Heavens』や、愛すべき『ウラニアの鏡 Urania’s Mirror』(↓)も出てきます。


でも、この分野では不可欠といえる、カミーユ・フラマリオンの『一般天文学 Astronomie Populaire』は出てこないし、ファンの多いギユマンの『天空 Le Ciel』も、ダンキンの『真夜中の空 The Midnight Sky』も、スミスの『図解天文学 Smith’s Illustrated Astronomy』も、いずれも言及すらされていないのは、一体どういうわけか?

愛らしく魅力的な天文古書はいろいろあるのになあ…と思いつつ、現代の職業研究者(天文学者/宇宙物理学者)である著者は、こうしたポピュラー・アストロノミーの著作に必ずしも通じていないのだろうと想像されました。こういうと何となく偉そうに聞こえますが、別に私が偉いわけではなくて、やっぱりこの手の本は、今では学問的というよりも、完全に趣味的存在だということでしょう。

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というわけで、自分にとって理想のライブラリは、己の琴線に触れるものを一冊ずつ吟味し、拾い集めた末にできるものであり、そう考えれば、今の私の書斎こそ“私にとって”理想のライブラリにいちばん近いのだ…という結論に再び落ち着くのです。書斎とその主との関係を男女にたとえれば、まさに「破れ鍋に綴じ蓋」、「Every Jack has his Jill」じゃないでしょうか。

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うーん…ちょっと月並みな結論になりましたね。そして負け惜しみっぽい。
美しく愛らしい天文古書をずらっと紹介した本があれば、もちろん読んでみたいし、それを参考に購書計画を立ててみたいですが、でもそんな都合のいい本はなかなかないですね。

『星座の書』2024年05月05日 10時14分47秒

そういえば…なのですが、以前アル・スーフィ『星座の書』の写本のファクシミリ版(複製本)をエジプトの人から購入しました。



全編アラビア語で、解説ページめいたものもないので、書写年代や原本の所蔵先等は一切不明です(手書きのアラビア語の中にそうした情報が埋もれているのかもしれませんが、そのこと自体判然としません)。星座絵の描写は素朴というか、非常に粗略なので、絵に関しては素人の手になるものではないかと想像します。

で、アンドロメダ座とアンドロメダ銀河の一件から思いついて、手元の本をパラパラやってみました。


その姿形から、おそらくこれがアンドロメダ座なのでしょう。『星座の書』では、一つの星座について、地上から見上げた星の配列と、その鏡映像(天球儀に描かれるのはこちらです)の2枚が対になって描かれており、手元の本でもそのようになっています。
イスラム世界の描写なので、アンドロメダ姫は見慣れた半裸ではなく着衣姿で、囚われの姿を意味する手鎖も描かれていません。

この絵を見ると例の魚の姿がないんですが、手元の本には上の絵とは別に、下のような絵も載っています。


アンドロメダ本体は黄色、魚は赤で星がマーキングされており、ここでは両者が別の星座と認識されているのかな?と思いましたが、でも別の個所にはこんな図↓もあって、なんだかわけが分かりません。


…と思いつつ、ウィキペディアの『星座の書』の項を見たら、

「星座絵の中には、東洋化しただけではなく、アラビアの伝統的な天文学の影響を受けて、さらに変化した星座もある。例えば、「鎖に繋がれた女(アンドロメダ座)」には、『アルマゲスト』由来の標準的な星座絵の外に、脚に「魚」が重なった姿、胴に二匹の「魚」が重なった姿、と三通りの星座絵を描いている。」

とあって、ようやく得心が行きました。
さらに、この巨魚だけを独立させたらしい絵もあって、


その口元というか、鼻先に赤い小円が描かれており、これが「小雲」、すなわちアンドロメダ銀河だと想像されます。

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ちなみに、アンドロメダ座の脇に2匹の魚が控えている…というと、「うお座」との異同を気にされる方もいると思いますが、うお座はうお座で独立した星座として描かれており、アンドロメダに密着しているのは、やっぱりアラビア独自の巨魚座です。


またアンドロメダと巨魚といえば、アンドロメダ姫を呑み込もうとした海の怪物、すなわち「くじら座」のことも連想されますが、くじら座もまた別に描かれており、巨魚座とは別の存在です。

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Karen Masters 氏は、ペンシルベニアの名門ハバフォード大学で教鞭をとる天文学者/天体物理学者で、氏が著した『The Astronomers’  Library』は、天文学者の仮想図書館に置かれるべき本を一冊一冊吟味し、その内容を順次紹介しながら、天文学史について解説するという体裁の本です。いわば「本でたどる天文学の歴史」

本書をパラパラやりながら、今日のような複製本も含めれば、結構わが家も理想のライブラリーに近づいてるんじゃないか…と慢心しつつ、でもそのほとんどは積ん読状態なので、こうして解説してもらえると、本当に助かります。それだけでも本書を購入した意味はあります。

読書の方はまだまだ続きます。