西郷星(おまけ) ― 2026年05月09日 18時35分53秒
以下、前回のおまけ。
前回の記事を書いてから思い直したんですが、当時、火星を大きな望遠鏡で覗くと模様が見えることは、書物を通して日本でも知られていましたから、西郷星の騒動に乗じて、誰かが何かもっともらしいことを述べて、それにまた尾ひれがついて…なんてことも十分にあり得ると思います。
たとえばですが、幕末から明治の初めにかけて版を重ね、一般への影響も大きかった科学解説書に『博物新編』というのがあります。そこにも火星の図と火星の模様に関する説明が載っています。以下は明治4年(1871)に鹿児島県で出版されたエディションに掲載の挿絵と説明文です。
説明文の方は「火星論」という章に出てきます。傍線部は、「天文学者によれば、大きな望遠鏡で覗き見るとこの惑星の表面には黒い箇所があって、大地の縁や半島の形状を思わせるとのことである」…といった意味だと思いますが、この書きぶりは、前回引用した錦絵の文句、「識者是を見聞せんと千里鏡を以て写せしかバ其形人々にして」云々に通じるものを感じます。
また以下は、明治4年頃に出た『星学図彙』掲載の火星図。
これまた「大千里鏡」で見た火星だと注されています。
この本はアメリカで出た『Smith’s Illustrated Astronomy(スミスの図解天文学)』(1849)を翻刻したものなので、原書の図版もついでに挙げておきます。
較べてみると、上段右から2番目および下段右端の図は陰陽が反転しており、版を起こすときに間違えたんだと思いますが、前者の図は確かに人が座った形に見えなくもありません。類似の図を載せた書物は、当時他にもあったでしょうし、この辺が「大礼服を着た西郷さん」の発想源だったかもしれませんね。
★
まあ、遠眼鏡で火星を覗いた明治の日本人が、独力でその模様を(再)発見したと考えるよりも、たしかに夢はないですが、こちらの方がおそらく可能性は高いんじゃないでしょうか。
鈴木敬信(著)『天文台』 ― 2026年05月02日 18時29分00秒
「春の大曲線」のおまけ。
その後、思い立って国会図書館のデジタルコレクションで「春の大曲線」を探してみました。それによると、戦前~戦中の用例はなくて、雑誌「科学朝日」1946年4月号に、「〔…〕に列なる。いはゆる「春の大曲線」である」という形で登場するのが、いちばん早い例です。この雑誌は国会図書館に行かないと見られない、館内限定資料なので、前後の文章は不明ですが、ただ、「いはゆる「春の大曲線」」とある以上、1946年の時点で、「春の大曲線」の名称は、一部では一般化していたことがうかがえます。
一般図書だと、ほぼ同時期に野尻抱影が自著でこの語をさかんに使っています。でも、「二星へ曳くカーヴを「春の大曲線」と呼ぶ學者もあります。」といった書き方をしているので(『新星座めぐり』、1947)、これは抱影の造語ではなく、他の「学者」によるものと分かります。ひょっとして、それが鈴木敬信氏なのかなあ…と想像はするものの、今のところ確証はありません。
いずれにしても、「春の大曲線」は1946年をさかのぼること、あまり遠くない時代、おそらく昭和になってから使われ出した言葉でしょう。
【2026.5.3付記】
「春の大曲線」の初出に関して、manami sh.さまから非常に重要なご指摘をコメント欄で頂戴しました。詳細は本記事のコメント欄をご覧ください。
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ところで、鈴木敬信氏の一般向けの本として、こんな本を見つけました。
■鈴木敬信(著) 『天文台』
新教育事業協会(発行)、昭和24(1949)
新教育事業協会(発行)、昭和24(1949)
(奥付)
先回りして言うと、この本に「春の大曲線」は出てきません(それを期待したのですが)。内容は「はしがき」にあるとおり、
「天文学の研究に使う器械やそれに関連したこと、および天文学の歴史と私たちの日常生活との関係などであります。書名は天文台とはつけてありますが、これは天文台見学にかこつけて話を進める形式からつけた名前で、天文台のことだけを説明したわけではありません。」
…という次第で。本書の前半は、由紀子さんと輝夫くんの姉弟が、お父さんと一緒に三鷹の東京天文台を見学し、お父さんの知り合いである天文台職員から光学器械の説明を聞く話、後半は由紀子さんが、学校の科学研究会で天文学の歴史を発表することになり、他の生徒や先生と問答する話で、いずれも対話形式の親しみやすい文体で書かれています。とはいえ、内容はかなり歯ごたえがあって、対象読者は小学生ではなく、新制の中高生であることが、末尾に書かれています。
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読んでいると、思わず「!」と感じる“敬信節”がちらちら顔を出していますが、それはさておき、本書で注目すべきは、この表紙絵を岡本太郎(1911-1996)が描いていることです。
あまり天文台とは関係なさそうですが、知的好奇心にあふれた姉と弟を、明るく描いたのかもしれません。
岡本太郎美術館で開催された「岡本太郎のグラフィック・デザイン」展(2003~2004)のパンフレットを参照すると【LINK】、岡本は活動初期の1940年代から本の装丁を手掛けており、『天文台』もその一冊ということになります。ただ、上記展示リストに『天文台』は載っておらず、岡本の周辺でもあまり知られていない作品かもしれません。
まだ戦争の記憶も生々しい1949年、鈴木敬信と岡本太郎という二人の個性的な人物が、一冊の本を仲立ちに出会った事実に、ここでは注目したいと思います。
【付記】
とはいえ岡本の起用は、別に敬信氏の意向ではなく、単に版元の都合だったように思います。というのは、巻末の書籍広告を見ると、天文とは無関係の他の本(『おかねのはなし』)も岡本が装丁を担当しているからで、そちらは上記リストに載っています。
紫の佳人…『女性のための天文学』 ― 2026年04月25日 17時21分02秒
さて、今日も天文古書です。
前回登場した『アストレア』と、いわば同工異曲の作品。
■Wilhelm Plath
『Sternkunde für Frauen』(女性のための天文学)
J.H. Meyer(Braunschweig)、1872.
『Sternkunde für Frauen』(女性のための天文学)
J.H. Meyer(Braunschweig)、1872.
同工異曲と書いたのは、これまた架空の女友達に宛てた手紙形式の本だからです。副題には、『中部ドイツで見える星座の知識、および太陽系の一般的な状況に関する手引き ― ある女性の友人へ宛てた書簡形式による通信 ―』とあります(例によって昔の本はタイトルが長いです)。
(『アストレア』と並べたところ。判型は相対的に大きく、厚さはやや薄いです)
女性のための本ということで、これまた装丁が非常に凝っているのが目を引きます。
紫のクロス装にくっきりとしたエンボス加工、そこに金箔押し。まことに美麗です。
天・地・小口の三方金と、これまた豪華。
(目次)
内容はというと、第1書簡「序論。星空の光景が人間の心に及ぼす影響」、第2書簡「天球儀とその欠点」、第3書簡「地極と天極の関係についての異論を排す」…等々、全35篇の書簡形式の章節から成ります。
ただ、本書が『アストレア』と違うのは、176頁の本文中には挿絵がなく、巻末に29点の星図を含む32点の図版がまとめられていることです。しかも「29点の星図」は、純粋な星図と、それと重なる星座絵の2枚がセットになっているので、星座パートだけで58葉(ページ数にすると116頁分)という、星図のウェイトが非常に大きいのが本書の特徴です。
たとえば上はおとめ座の絵ですが、
そこにこのような星図が重なります(下にうっすらと星座絵が透けて見えます)。
ちょっと不思議なのは、こういう工夫をする場合、普通は星図の上に星座絵を重ねるのに対して、本書では星図の下に星座絵が来ることです。でも考えてみれば、星座を眺めるときは、星の配列がまず眼前にあって、そこにぼんやりと星座絵を重ねて想像するわけですから、本書のやり方のほうが一層リアルな気もします。
うみへび座とその周辺。
うみへび座とポンプ座にはさまれて、ちんまりといるのは「猫座」。
この絵はちょっと体形が変ですが、猫好きのラランドが設定したと言われる、現存しない星座です。その他は「らしんばん座」と「ろくぶんぎ座」。
(星図以外の挿絵はこんな感じです。裏面はすべて白紙)
さらに末尾には大きな折り込み図が付きますが、
こちらは星図ではなく、太陽系の図です。
★
なお、著者のヴィルヘルム・プラート(Wilhelm Plath、1795-1873)は、ハンブルクの医師で、科学啓蒙活動で知られた人の由。医師としては産科を専門とし、助産師教育にも努めた…というところが、本書の執筆動機と重なっているように思えます。
★
なんだかんだ言って、1週間に1回ぐらいしか更新できない状態が続いていますが、諸事情を勘案すると、当分はこんな感じだと思います。
星乙女の本 ― 2026年04月19日 12時36分54秒
この季節の空をいろどる「春の大曲線」。
北斗七星の柄杓を延長すると、うしかい座のアルクトゥールスを通って、おとめ座のスピカまでのカーブが描けるという、星好きにはおなじみの曲線です。
日本の民俗語彙では、アルクトゥールスは「麦星(むぎぼし)」の名を得ています。
ちょうど晩春から初夏にかけて、麦が熟す「麦秋(ばくしゅう)」の空に輝く星で、その色合いも、熟した麦の実にぴったりの好い名前です。
いっぽう西洋星座では、おとめ座が手にする麦の穂先がスピカで、これまた麦に縁があります。アルクトゥールスと同じく、麦の収穫期に輝く星であり、おとめ座が農耕神の性格を持つのも、そのためでしょう。
★
先日届いた本。
■F. E. Bernhardi
Asträa: Briefe über Astronomie an eine Dame
(アストレア―ある貴婦人への天文書簡)
Carl Rümpler(Hannover)、1858(第2版)、387頁
Asträa: Briefe über Astronomie an eine Dame
(アストレア―ある貴婦人への天文書簡)
Carl Rümpler(Hannover)、1858(第2版)、387頁
(タイトルページ)
アストレア(アストラエア)は「星乙女」の意で、おとめ座と同一視されるギリシャ神話の女神。おとめ座の神格については、複数の伝承がありますが、おとめ座のルーツは古代ギリシャ以前に遡るので、それらはいずれも付会であり、細かい詮索はあまり意味がないように思います。いずれにしても遠い昔、農耕生活に入った人類が常に頭上に仰いできた「農事の星」が、おとめ座であり、スピカです。
『アストレア』は、星乙女が表紙を飾る美しい本。
もちろん想定読者が女性だからこその星乙女であり、判型も16折判(ほぼ葉書サイズ)と愛らしいのも、女性向けを意識しているようです。
(背表紙にも麦の穂)
著者のベルンハルディは、ドイツの教育者、アドルフ・テルカンプ(Johann Dittrich Adolf Tellkampf 、1798-1869)の変名で、当時はやった書簡形式で書かれた天文学入門書です。
(目次)
内容は、第1書簡「天文学に関する本書簡集を執筆するに至った動機。受け手の要望に応えることの難しさ」、第2書簡「宇宙体系の予備的な図解。特に地球の公転および自転について」に始まり、第42書簡「天体現象についてフォン・フンボルトが語ったこと」に至るまで、さる御婦人(もちろん架空の存在)に宛てた42通の手紙によって、天文学の基礎を説くものです。
表紙の美しさにひきかえ、中身は当時の天文古書にありがちですが、わりと地味。
巻末に折り込み星図があるほか、文中にところどころ挿絵があるぐらいで、字が多めです。
でも、公的な科学教育から疎外されがちだった当時の女性が、この小さな本に読み取った星ごころを想像すると―ドイツ語が読めないので、想像するだけですが―、この本は地味どころか、なかなか滋味を感じさせます。
(裏表紙には同じ星乙女が空押しされています)
明治の望遠鏡についてのメモ ― 2026年02月17日 06時04分20秒
これまでぼんやりと疑問を感じながら、知識が空白のままになっていたことがあります。
まあ私の場合、そういう空白はたくさんあるのですが、その一つが明治の望遠鏡事情です。すなわち明治時代の日本には、望遠鏡を製造していたメーカーが果たしてあったのか、なかったのか。もちろん事情通の方は先刻ご承知かもしれませんが、私はそれをはっきり知らずにいました。
★
江戸時代の日本では、盛んに遠眼鏡が作られ、浮世絵にも描かれました。
(葛飾北斎、連作「風流無くてなゝくせ」のうち『遠眼鏡』。出典:ウィキペディア「遠眼鏡」の項)
ですから、望遠鏡製作の基礎はすでに十分あったわけで、文明開化とともに、そこに新来の技術が加わり、新しい望遠鏡づくりの職人が生まれ…というのも、十分ありうるストーリーではあります。ただ、それは頭の中で想像するばかりで、実態は杳として知れませんでした。
★
私の蒙を啓いてくれたのは、1冊の小冊子です。
(財)科学博物館後援会(発行)、『わが国の望遠鏡の歩み』(全57頁)。
昭和39年(1964)、ガリレオの生誕400年にちなんで、特別展「わが国の望遠鏡の歩み」が科博で開催された折に作られたものです(各項の執筆者は無署名で、「あとがき」を村山定男氏が書かれています)。
(目次と冒頭)
何せ60年以上前の資料ですから、情報としては古いのですが、少なくとも私の知識の空白を埋めてくれる役は十分果たしてくれました。
★
問題の記述は、「3.日本の望遠鏡の歴史(2) ―明治以降―」(pp.21-28)に出てきます。いくつか記述を書き抜いてみます(太字は引用者)。
「江戸時代からの伝習による一閑張の望遠鏡なども初期にはまだいくらか作られていたようであるが、やがて舶来の新式望遠鏡が続々と入ってきた。後にはそれらを模倣して国産品をつくりだす努力がはじめられたが、しばらくは舶来万能であった」(p.21)
つまり、日本の望遠鏡製造史は、江戸と明治の間に大きな断絶があり、「遠眼鏡時代」と「国産望遠鏡普及時代」の間に「舶来万能時代」がはさまっている…というのが大まかな構図です。ですから、上で述べた私の想像は端的に言って間違いです。
ただし望遠鏡はそうであっても、レンズ研磨に関しては部分的に合っていた点もあります。引用を続けます。
「掛け眼鏡の玉も、昔は一つ一つ手工業的にみがかれていたが、明治6年オーストリヤのウィーンに開催された万国博覧会に参加した人達によって、他のいろいろな技術と共に西洋流のレンズ研磨法も持ちかえられた。眼鏡研磨法を伝習して帰ったのは朝倉松五郎という人で、レンズ研磨機もこの時はじめて持ちかえられ、また研磨に紅殻を用いたのもこのときがはじめてであったという。
この朝倉は明治9年わずか34才で没したが、その弟子たちによって、眼鏡玉の製造をはじめ、わが国のレンズ工業のもとがきずかれた。」(pp.21-22)
この朝倉は明治9年わずか34才で没したが、その弟子たちによって、眼鏡玉の製造をはじめ、わが国のレンズ工業のもとがきずかれた。」(pp.21-22)
なるほど、望遠鏡よりは眼鏡の方が圧倒的に需要も多かったわけですから、そちらの国産化の方が先行したのは至極当然です。
★
では肝心の国産望遠鏡はいつからか?といえば、それは明治も最末期のことです。
明治42年(1909)に、元海軍技師の藤井竜蔵が「藤井レンズ製造所」を設立し、明治44年(1911)に「ビクター双眼鏡第1号」を完成。
(藤井竜蔵に関する記述(部分))
その後の歴史は広く知られるとおり、大正6年(1917)に、藤井レンズ製造所と東京計器製作所の光学部門、岩城硝子製作所の探照灯製造部門が合併して、「日本光学工業株式会社」(現ニコン)が創設され、日本の光学機器製造に画期がもたらされました。といっても、この頃はまだ「舶来品」も幅を利かせていたのですが、光学製品の国産化はその後着実に進展していくことになります。
そして、大正15年(1926)には、同社から独立した五藤斉三が「五藤光学研究所」を創設し、アマチュア向け望遠鏡の本格供給も始まりました。
★
明治41年(1908)に日本天文学会が、大正9年(1920)に東亜天文協会が設立されたのは、こうした国産望遠鏡製造のタイミングとぴたりと重なりますが、望遠鏡の供給体制と天文趣味の興隆は、いわば「ニワトリと卵」の関係かもしれません。
メアリー・プロクター『天空の本』 ― 2026年02月15日 08時21分01秒
円安の影響もあって、海外から天文古書を買う機会がずいぶん減りました。それでも先日、「あ、これは」と思って発注した本があります。
■Mary Proctor
The Book of the Heavens.
Harper(London)、1926. 268p.
The Book of the Heavens.
Harper(London)、1926. 268p.
著者のメアリー・プロクター(1862-1957)については、本書の2年前に出た『Evenings with the Stars』(1924)を以前紹介しました。【LINK】
(画像再掲)
そちらはアールデコの美しいブックデザインでしたが、今日の本は前代のビクトリアンな雰囲気を引きずった装丁です。
私が買ったのはジャケット(日本で言うカバー)付きが評価されて、ちょっと高かったのですが、カバー無しの状態でも、ご覧のとおり美しい造本です。
見返しには、1932年にこれを買ったペック氏と、1992年にそれを古書店で購入したゴッドフリー氏のサインが入っています。本が出てちょうど100年、私は少なくとも3代目の所有者ということになるのですが、本というのはこうして受け継がれていくのだなあ…としみじみします。
(パラパラめくったら、アンカットの頁がありました。きっと前の持ち主も通読しなかったのでしょう。そんなところにも親近感を覚えます。)
本書の内容は、言ってみれば「普通の天文入門書」です。
「第1章 太陽の話」「第2章 月の話」から始まって、惑星、彗星、流星、太陽の固有運動、著名な星座、天の川の話が続き、最後は「第21章 ウィルソン山天文台と分光器」で終わっています。
類書には事欠かないので、屋上屋を架すことになると思いましたが、それでもあえて本書を買ったのは、イヴリン・ポール(Evelyn Maude Blanche Paul、1883-1963)の描く4枚の原色挿画が入っていたからです。
(「孤独な空の番人」)
彼女はラファエル前派の影響を強く受けた、中世画風の挿絵画家として有名な人だそうですが、ここで彼女が描くのは、抒情的な美しい天文画です。
(「パリで見られたハレー彗星」
そして何よりも上の1枚。
時系列で言うと、私は上の絵がバラで切り売りされているのを見て、「ああ、なんて美しい絵だろう」と思ったのが最初の出会いでした。でも、バラものにしてはやけに高かったので、購入を断念。それでもやっぱり諦めきれず、タイトルと作者の名前から検索して、本書の存在を知りました。結果的にこれは一冊まるごと買って正解です。
まあ、もう少し時代が早ければ、この絵は繊細な多色石版で刷られたはずで、その方が一層良かったと思いますが、そこは絵自体の魅力に免じて目をつぶることにします。
クリスマスに寄せて…もう一人のアリス(後編) ― 2025年12月27日 13時22分28秒
「星の七姉妹」を詠んだ連作詩は、第3の星・ルーイ、第4の星・ローザへと続きます。
<ルーイ>
遠くの方から、新たに ひとつの星が輝きわたる。
(他の星たちに負けぬほど明るく)
その喜びに満ちた微笑みは、魂を勇気づけてくれる。
たとえ雷鳴が轟き、 困難という名の嵐がしばし吹き荒れようとも。
光り輝く人よ、それは君のことだ。
太陽の光を宿したその瞳、
そして、天使たちでさえ宝物にするであろう、その微笑み。
(他の星たちに負けぬほど明るく)
その喜びに満ちた微笑みは、魂を勇気づけてくれる。
たとえ雷鳴が轟き、 困難という名の嵐がしばし吹き荒れようとも。
光り輝く人よ、それは君のことだ。
太陽の光を宿したその瞳、
そして、天使たちでさえ宝物にするであろう、その微笑み。
<ローザ>
もう戻らねばならぬ時間だ。
だが私は今も、 星のちりばめられた天の天蓋を見つめている。
そこには、清らかで淡い光を放つ一つの星が見える。
その輝きは、あの「輝かしき七星」の中でも 決して見劣りするものではない。
それは何に似ているだろうか。
明るく、清らかなバラのつぼみ。
私の目に映る、バラを司る天使のようだ。
立ち去る間際、私はそよ風の中にそっと囁く。
「愛しき友よ、かわいいバラのつぼみよ、どうか私のことを忘れないで」
だが私は今も、 星のちりばめられた天の天蓋を見つめている。
そこには、清らかで淡い光を放つ一つの星が見える。
その輝きは、あの「輝かしき七星」の中でも 決して見劣りするものではない。
それは何に似ているだろうか。
明るく、清らかなバラのつぼみ。
私の目に映る、バラを司る天使のようだ。
立ち去る間際、私はそよ風の中にそっと囁く。
「愛しき友よ、かわいいバラのつぼみよ、どうか私のことを忘れないで」
恋愛詩と見まごうばかりの女性崇拝の美辞が続きます。ステロタイプな表現も多く、とびきりの名詩とは思えませんけれど、これがヴィクトリア朝の教養層の文芸作法なのでしょう(何となくですが、作者はオックスブリッジの学生、あるいは卒業生のような気がします)。それに今でこそ陳腐に感じられても、往時はもっと清新な感じが伴ったことでしょう。
★
これまで名前の出た年長の4人に続いて、年下の3人は「The Children」のタイトルで一括されています(表題上の3つの星に注目)。彼女らが「その他おおぜい」扱いなのは、詩を献じるにはまだ幼い、文字どおり「子供たち」だったからだと想像します。
<子供たち>
それから私は、去り際にふと思った。
暗い地上から、頭上の輝く星々を仰ぎ見て。
この世はいかに冷たく、不親切で、不実なことか。
愛しき子供たちよ、
君たちの心根とはなんと懸け離れていることだろう。
世界は本心を悟られまいと仮面を被るが、
子供の心は、自らの秘めた思いをありのままに差し出す。
君たちこそが星々だ。
その鮮やかな輝きは、俗世に生きる者の心を導き、
暗闇から光の中へと連れ出してくれるのだ。
暗い地上から、頭上の輝く星々を仰ぎ見て。
この世はいかに冷たく、不親切で、不実なことか。
愛しき子供たちよ、
君たちの心根とはなんと懸け離れていることだろう。
世界は本心を悟られまいと仮面を被るが、
子供の心は、自らの秘めた思いをありのままに差し出す。
君たちこそが星々だ。
その鮮やかな輝きは、俗世に生きる者の心を導き、
暗闇から光の中へと連れ出してくれるのだ。
本書の末尾は、こんな言葉で結ばれています。
(すぐ上の画像の拡大)
<結び>
さて、これでお別れだ。
さて、これでお別れだ。
どうか悪く思わないでおくれ。
(今はちょうど、クリスマスの季節だから)
(今はちょうど、クリスマスの季節だから)
君たち全員に、これを贈らせてもらうよ。
それは――― *
それは――― *
【編者注】 おそらく作者は、最後の一語を書く前に眠りに落ちてしまったようです。何が彼をこれほど夢見心地にさせたのか、私には本当のところはわかりません。 ―― 編者より
伏せ字扱いの箇所、原文では「I send you all a ------*」となっていて、そこに注が付けられています。もちろん「編者」とは作者本人に他ならず、一種の照れ隠しの修辞でしょう。ここに入る言葉は、おそらく「kiss」。この辺のユーモア感覚も、元祖『アリス』を連想させます。
★
この詩に登場する星は、天文学が対象とする天体とは大いに異なります。
でも、物理的実体を伴わないから「無い」とも言えません。それは心理的にやっぱり「有る」ものです。
人は自分の中にある光や影を天体に投影し、そうやって生み出された「人の似姿としての星」に憧れたり、それを畏れたりします。その思いはロマンチックな詩に限らず、天体観望や天体写真の撮影に励む現代の天文ファンにも分有されているし、あるいはひょっとしてプロの研究者の心の底にも潜んでいるのかもしれません。
「星ごころ」とは結句そういうものではなかろうか…と、いきなり風呂敷を広げますが、もう一人のアリスに導かれて思いました。
【余談】
さて、ここで告白です。
本書の英語は古風な詩文なので、私にはちょっと難しくて、今回はAIの助けを借りました。その結果は上に見る通り、実に驚くべきものでした。彼は古語に堪能で、文学的比喩やユーモアを十二分に解して、たちどころに日本語訳を作ってくれました。この詩の作者が年上の従兄ないし一家の家庭教師だろうと推測したのも、最後の一語が「kiss」だと見抜いたのも彼です。私は半ば恐怖すら覚えました。
インターネットという基盤が作られ、SNSというメディアが生れ、スマホというデバイスが登場し、そして今や生成AIが異常な発達を遂げつつあります。私はそのすべてをリアルタイムで経験しました。ひとりの人間の一生にも満たない、ごく短期間ですべてが起こったのです。
これから人間とその社会が否応なく経験するであろう変革の帰結は分かりません。
でも、そこから新たなプロメテウスの神話が生れることは間違いないでしょう。
クリスマスに寄せて…もう一人のアリス(中編) ― 2025年12月26日 17時03分36秒
今日は仕事納め。早々に仕事を切り上げて、日の高いうちに家路につきました。
昨日の雨で空は青く澄み、光がキラキラした粒のようです。
しかし風はとても冷たく、時々ごうごうと樹をゆらしました。
この時期の「明るく冷たい日」が私は好きで、しみじみ一年の終わりを感じました。
★
さて、昨日のつづき。
この本は本文わずか7頁ですが、冒頭に立派な「序文」があります(序文は1頁半にわたります)。以下、試訳(適宜太字)。
<序>
日は沈み、薄暗き夜が 空にそのマントを広げた。
月もなく、星もまた、人の目には見えぬ。
日は沈み、薄暗き夜が 空にそのマントを広げた。
月もなく、星もまた、人の目には見えぬ。
人々が眠りにつき、一日の過酷な労苦に 疲れ果てた体を休めている間、
学生はただ独り、本を読み、「真夜中の灯火(ともしび)」を燃やし続ける。
やがて本は閉じられた。―― 彼は表へ歩み出し、 天の穹窿を仰ぎ見る。
星は見えず、その夜は月さえも 光を授けてはくれなかった。
歩みを進めるにつれ、彼の心には悲しみが満ち、 魂には重苦しい影が差す。
「この果てしない営みは、いつ終わるのだろうか」
「いつになったら、目的地へ辿り着くのか」
そう沈思に耽っているとき、一つの星が顔を覗かせた。
そして、次から次へと星々が現れる。
新たな勇気が湧き上がり、思考は流れ、
次のような言葉となって溢れ出した。
末尾の一句、「次のような言葉となって溢れ出した」というのは、すなわちこの後に続く一連の詩を指します。
ご覧の通り、本書は元祖『アリス』のようなナンセンス・ストーリーとは違って、結構まじめな調子で書かれています。でも、表紙の「Dedicated (without permission) to」のフレーズに漂う調子を考えると。著者はやはりユーモアを解する人だったでしょう。
全体の主語は「学生(the student)」で、著者は7人姉妹のお父さんではなく(最初はその可能性も考えました)、一人の青年であることを物語っています。そもそもお父さんだったら、上の4人の名前だけ出して、下の3人は「その他大勢」みたいな書き方はしないでしょう。ある人に言わせれば、著者は一家と親しい年上の従兄、あるいは姉妹の家庭教師ではないか…というのですが、その辺が正解のように思います。
★
まず最初は長女・アリスに献じられた詩です。
<アリス>
そよ風に運ばれ、 私の心の奥底にまで届くあの音は何だろう。
またしても聞こえてきた。
そして私は その場を立ち去りがたく、足を止める。
そよ風に運ばれ、 私の心の奥底にまで届くあの音は何だろう。
またしても聞こえてきた。
そして私は その場を立ち去りがたく、足を止める。
ああ! それは君の甘い歌声が奏でる調べ。
夢を見るまで私たちを癒やしてくれる鳥のさえずりのようだ。
目覚めて、その響きが止んでしまったとき、
この世がいかに悲しく見えてしまうことか。
君こそが、その声を放つ星なのだ。
君の穏やかな光は、私の不安をすべて消し去ってくれる。
「天球の音楽」を絶えず導いているのは、
君の穏やかな光は、私の不安をすべて消し去ってくれる。
「天球の音楽」を絶えず導いているのは、
私には君であるように思えるのだ。
アリスは「天球の音楽」を甘美に歌う星だというのです。
序文では姉妹が「暗夜に現れ、青年を勇気づけた星たち」にたとえられましたが、詩の中でも、姉妹はそれぞれ星になぞらえて称賛されています。
★
続いて、次女・アンに贈る詩。
<アン>
その昔、澄み渡る青き湖のほとりに、 一人の佳人が住んでいたという。
その湖面は、彼女の穏やかで美しい瞳のように、
その昔、澄み渡る青き湖のほとりに、 一人の佳人が住んでいたという。
その湖面は、彼女の穏やかで美しい瞳のように、
天空の弧からその色を写し取っていた。
そして彼女の肩には、混じりけのない黄金の波が、
太陽の光に染まった泉のように溢れていた。
幼き頃から、その最期の日まで、彼女は麗しかった。
幼き頃から、その最期の日まで、彼女は麗しかった。
この二番目の星が、私にその面影を思い出させる。
だが、その星は、かつての彼女の顔よりもなお明るい。
黄金の髪をなびかせたあの佳人も、確かに愛らしかった。
けれど、私にとっては、君の面差しの方がはるかに愛おしい。
文中、「二番目の星」とあるのは、言うまでもなくアンのことです。
星の7人姉妹といえば、プレアデスを連想しますが、この詩集は7人姉妹を北斗七星にたとえていて、次女のアンを「二番目の星」と呼んだのでしょう。
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この続きは、「後編」にゆずりますが、こうしたロマン主義全開の情調にはピンとくるものがあります。すなわち「星空浪漫、明治から大正へ」と題して、(1)(2)(3)の3回にわたって書いたことと、これは地続きだと思います。
佳人の面影に星の美を重ねる。
あるいは、星の光の向こうに麗しい人を思い浮かべる。
こうした文学的趣向が日本に移植されて、明治浪漫派の星菫趣味を生み、そこから野尻抱影や山本一清も育っていきました。それを考えると、この無名子の詩心は、まんざら現代の我々と無縁ではありません。
(この項つづく。次回完結予定)
クリスマスに寄せて…もう一人のアリス(前編) ― 2025年12月25日 18時52分49秒
1862年の夏、筆名「ルイス・キャロル」で知られる、オックスフォードの数学講師、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(1832-1898)は、先輩上司の娘であるリデル家の三姉妹とピクニックに出かけ、そこで彼が子どもたちに語って聞かせたたお話しが元になって、あの『不思議の国のアリス』(1865)が生まれたことはよく知られます。
『不思議の国のアリス』が商業出版される前年に当たる1864年、ドジソンはリデル家の次女、アリス・リデルの求めに応じて、手書きの物語『地下の国のアリス』を完成させ、これをアリスへのクリスマス・プレゼントとしました。言うまでもなく、これが『不思議の国のアリス』の原型であり、挿絵も文字もドジソンの肉筆という、世界でたった一冊の珍本です。これは後に富豪たちの手から手へと渡り、最終的に大英図書館の蔵書となりました。
(『不思議の国のアリス・オリジナル』と題して、1987年に刊行された『地下の国のアリス』の原本複製)
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同時代のイギリスには、ドジソンと似たようなマインドの人が他にもいたのでしょう、先日…といっても、ずいぶん前ですが、不思議な本を目にしました。
(判型は新書版よりわずかに大きいサイズ)
ごく薄手の本ですが、総革装で、天地と小口に金箔を押した、いわゆる「三方金」の立派な造本です。表紙に光る金文字は、「A. A. L. R. とその姉妹たちに(許しを得ることなく)捧ぐ」。
見返しも至極上質の模様紙で、この本に込められた愛情のほどが察せられます。全体の感じは、この本がヴィクトリア朝中期、まさに『アリス』と同時代の作であることを窺わせます。
これがタイトルページ。
題して、『Septentriones. A Christmas Vision(北斗七星。あるクリスマスの夢)』。
ご覧のとおり、本書は挿絵も文字もすべて手描きで、まさに『地下の国のアリス』と同工の作品です。そして本を捧げられた「A. A. L. R.」とは、「Alice, Ann, Louie, Rosa」の4人の頭文字で、これまたアリスつながり。3番目のルーイは男女両用の名前ですが、その内容からやっぱり女の子らしく、こちらのアリスは、「その姉妹たち」も含めて、女の子ばかりのきょうだい――タイトルの「北斗七星」から察するに7人姉妹――の長女なのでしょう。
ちなみに、ドジソンの小さな友人・アリスの方は、長女ロリーナ (Lorina)、次女アリス(Alice)、三女イーディス (Edith) の有名な三姉妹以外に、2人の兄、2人の妹、3人の弟がおり、早世した兄と弟を除くと8人兄弟姉妹の3番目でした。当時の人は実に多産です。
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これがドジソンの作品だったらすごいのですが、まあそんなことはなくて、無名の人物の筆のすさびに過ぎませんが、そこに漂うフレーバーは、ドジソンの『アリス』の世界を彷彿とさせ、興味は尽きません(それとも当時は、お手製の本をクリスマスにプレゼントするのが流行ってたんでしょうか)。
そして、私がこの本に興味を覚えたのは、そればかりではなく、これが姉妹を星になぞらえた、一種の「夜想詩集」だったからです。
(次回、本の中身を見てみます。この項つづく)
トルーヴェロ天体画集 ― 2025年12月13日 08時27分22秒
最近の買い物から。
天体画の名手、エティエンヌ・トルーヴェロ(Étienne Léopold Trouvelot、1827-1895)による天体画を、絵葉書サイズでプリントした15枚セット。
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その名前から分かるように、トルーヴェロはもともとフランスの人で、20代でアメリカに渡り、最初は昆虫学者として世に出ようとしましたが、途中で天文学に転身し、天体画家として名を成した人です。
彼は昆虫学も天文学もアマチュアの立場でしたが、並外れた画力の持ち主だったので、最初はハーバード大学天文台に、次いでアメリカ海軍天文台にスタッフとして招かれ、あまたの天体スケッチを描きました(その後フランスに戻り、晩年はムードン天文台で働きました)。
(Étienne Léopold Trouvelot。出典:Wikipedia同人の項)
その作品の中でも最高レベルのものを15枚精選して、石版で再現したのが、『トルーヴェロ天体画集(Trouvelot’s Astronomical Drawings)』です(Charles Scribner's Sons〔NY〕、1881/ 82。各図版のサイズは約41×51cm)。
ニューヨーク・パブリックライブラリーの解説によれば【LINK】、当時おそらく300部程度が刷られ、現存する完品は4セットが知られるのみとのことです。
トルーヴェロの作品は“美術作品”ではなく、あくまでも“科学資料”でしたから、天体写真の進歩とともに、その資料的価値が失われた(と考えられた)ことで、各地の図書館もずんずん廃棄するし、マーケットに流れた分も速やかに散逸した…という事情があるようです(ニューヨーク・パブリックライブラリーと並んで、その完品を所有するカリフォルニアのハンティントン・ライブラリーの解説が、その点に触れています【LINK】)。
このスケッチ集が厳密な科学資料である証拠として、そこに詳細な解説書(『The Trouvelot astronomical drawings manual』)が付属し、観測データが明記されていることが挙げられます。このマニュアルは現在オンラインで読むことができます【LINK】。
まあ何にせよ、この石版画は今では非常な稀品で、入手困難と思います。
以前、海外の古書店で1枚だけバラで売っているのを見ましたが、それにはウン十万円もの値がついていました。したがって私にはとても手の届かない「夢の逸品」ですが、いつか実物を拝めるなら拝みたいものです。
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このカードは、トルーヴェロの名品を手にとって眺めるためにEtsyで買いました。(眺めるだけならネット上でも簡単にできますが、それだと手に取ることができません)。
まあ、公開されている画像データをインクジェットでプリントしただけの品ですから、通常の意味での「印刷」ですらないんですが、しかし発色の良い紙を使っているおかげで、見る分にはなかなか美しい仕上がりになっています。
(同じものを買われる方への注意喚起ですが、このカードは決して個袋(アクリルポケット)から出してはいけません。指ずれしてインクが剥落します。私もそれで失敗して、1枚作り直してもらいました。)
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今ではこういうプリント作品を、もったいぶって「ジクレー版画」と呼んだりする向きもあるようですが、少なくともこれは版画ではないですね(何しろ「版」がありませんから)。こういうのを「版画」とネーミングすること自体、「印刷よりも版画の方がえらい」という思い込みが、売り手にも買い手にもあることの証しでしょう。























































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