星空の教え…君たちはどう生きるか2025年02月23日 18時02分22秒

2020年1月15日――国内で初めて新型コロナの患者が確認された日です。
その直後にダイヤモンド・プリンセス号の騒動が持ち上がり、新型コロナは一気に我々の日常になだれこんできました。それ以降のあれこれについては、皆さんそれぞれ記憶に新しいところでしょう。まったく散々な「あれこれ」でした。
そして2023年5月8日、新型コロナはインフルエンザと同等の扱いである「5類」に移行し、医学的にはともかく、政治的にはこれで「コロナ禍」は終息したのでした。

この間、3年4カ月。それを長いと感じるか短いと感じるかは、人によっても違うでしょうが、私にはずいぶん長く感じられます。

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一方、2022年2月24日は、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した日です。
明日で丸3年。コロナ禍も大変でしたが、それとは比較にならないぐらい苛烈で苛酷な経験をウクライナの人は重ねてきました。この3年間は、ウクライナの人にとって、長い長い3年間に感じられるのではないでしょうか。

そうしたウクライナの人にとって、トランプ大統領のあの傲慢な顔つきはどう見えているのでしょう。しかも戦闘で家族を失ったウクライナの人だったら…。想像するだに苦いものが腹の底からこみ上げてきます。

もちろんバイデン政権だって、ウクライナのことを人道的に慮って軍事支援していたわけではなく、アメリカの対ロシア政策の「駒」、あるいは「人間の盾」としてウクライナを利用していたにすぎない…という見方もできます。でも、「思し召しより米の飯」で、ウクライナの人にとって、バイデン政権の思惑はどうであれ、その援助は戦火の中でずいぶん心丈夫に感じられたはずです。

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トランプという人は、個人の人生も、世界の在り様も、めちゃくちゃにしようとしている「絶対悪」と私の目には見えていますが、そのトランプについて、ひと月前、すなわち第2次トランプ政権が成立した直後に、いつもの天文学史のメーリングリスト上で、興味深いやりとりがあったのを思い出しました。

最初の投稿は、「以下の記事に興味を持たれる方もいるのでは?」と、ネットメディア ProPublica1月30日付の記事を紹介するものでした。

「先駆的な女性天文学者のレガシーの書き換えは、
 トランプの DEI〔diversity, equity, and inclusion/多様性、公平性、包括性〕
 パージがどこまで進むかを示している」
 “The Rewriting of a Pioneering Female Astronomer’s Legacy Shows 
 How Far Trump’s DEI Purge Will Go”

<以下、内容抜粋>

 ドナルド・トランプは、その第一期政権在任中、連邦の資金援助を受けた天文台に、天文学者の故ベラ・ルービン(Vera Rubin)の名前を冠する議会法案に署名した。同法案は、ダークマター、すなわち宇宙の大部分を構成する目に見えない謎の物質に関する彼女の画期的な研究を称賛し、彼女が科学の世界において女性が平等に取り扱われ、代表権を有すべきことを明確に主張していたことに言及していた。

(Vera Rubin, 1928-2016。出典:上記記事)

 「ベラ自身、科学により多くの知性が参画することで何が起きるかを示す優れた実例となっている」と、同天文台のサイトはルービンについて述べていた――つい最近までは。

 月曜の朝までに、「彼女は科学界における女性の擁護者だった」と題する彼女のオンライン伝記の項目は削除されていた。そして、多様性・公平性、・包摂性プログラムに反対するトランプのキャンペーンで連邦政府が混乱する中、その日のうちに、ひどく簡略化された形で再び掲載された。

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この投稿に対するリストメンバーの反応。

「ああ、何と!」

「こうして歴史の『浄化』が始まる…」

「米国は今、未曾有の大惨事の真っ只中にあります。30年間政府にいた私たちも、このようなことは見たことがありません。このべラ・ルービンのエピソードはほんの一例にすぎず、今や何千ものウェブサイトが削除されています。科学は価値を貶められ、歴史は書き換えられつつあり、まったく専門知識のない人々が高官に就任しています。私たち歴史家は、徐々に不足しつつあるファクトを擁護する義務を負っています。 一歩一歩、奈落の底へ…。」

「そう、一歩一歩、奈落の底へ。そして我々ヨーロッパ人もそれに続くでしょう!」

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こうした嘆きの声の中で、最初の投稿者であるマクマホンさんは。次のような感想も漏らしました。

「まったく同感です。…しかしひょっとして…本当にひょっとして…ほんの一瞬かもしれませんが…眼前の出来事を逃れてホッと一息つけるかもしれません。その明白な単純さゆえに、あらゆる物事を見通せる何かさえあれば。

そのために…この辺りには街灯やポーチの明かりがあちこちあるにもかかわらず、私は寒い(華氏10度/摂氏-12度)晴れた晩に外に出て、通りの向こうで濃紺の空にシルエットを描いている、落葉した巨大なオークの木の上に高く浮かぶ金星と三日月の美しい光景を眺めずにはいられませんでした。

お見込みのとおり、私はそこで一瞬、最近の国家政治に起こっている出来事の重苦しさから逃れることができたのです。」

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星を眺めることは、苦しい現実を逃れる一服の清涼剤であるにとどまりません。
宇宙を見つめることは、自分の生き方を見直し、物事の見方や捉え方に一本芯を通す行いでもあります。

マクマホンさんは、自分の思いを伝えるために、さらに「カルビンとホッブス」の一コマを採り上げます(「カルビンとホッブス」は、6歳の少年カルビンと、ぬいぐるみの虎のホッブスを主人公にした漫画で、1985年から95年まで連載が続いた、アメリカの人気コミックだそうです)。


カルビン:もしみんなが毎晩外に座って星を眺めていたら、きっともっと違った生き方をしていたにちがいないよ。
ホッブス:え、そうかな?
:うん、キミだって無限の世界を見ていたら、みんなが一日中やっていることよりも、もっと大切なことがあるって気づくさ。
:ボクたちは一日中、小川の岩の下を覗いて過ごしたじゃないか。
:まあ、他の人たちだったらってことさ。

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そう、こういう時代だからこそ、我々は空を見上げ、星を眺め、宇宙の深淵にじっと目をこらし、眼前の出来事に一体どんな意味があるのか、繰り返し考える必要があるのです。

別に満天の星を求めて遠い場所に行く必要はありません。都会の夜空だって、その濃紺のベールは、月よりも、惑星よりも、恒星よりも、はるかに遠い無限遠の空間へと通じています。その事実に我々は繰り返し圧倒されるべきであり、その事実を踏まえて日々生きるべきではなかろうか…と、愚考します。

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世界がトランプ禍を乗り越え、まっとうな理屈の通る、まっとうな世の中が訪れることを、ウクライナ侵攻3年目を前に強く念じます。

十年一日、一日千秋2025年01月18日 17時21分13秒

今日の記事のおまけ。

同じ人間が書いているので当たり前ですが、自分の書いていることは、ちょっとカッコよくいえば変奏曲、有体にいえば十年一日、なんだかずっと同じことを言ってる気がします。今回そう思ったのは、以下の過去記事に目が留まったからです。


■無限の時、夢幻の出会い

13年前の自分は、ある男女の切ないストーリーに触発されて、「たとえ3日が60年に伸びても、別れの苦しみは変わらないし、反対に60年分の思いを3日間に詰め込むことだってできないわけではない」と書きました。さらに虫たちの生と死に「ヒトの有限性に根ざす、心の中の「根源的寂しさ」」を感じ、「永遠は一瞬であり、一瞬は永遠である」と、もっともらしく他人の褌を借りています。

まあ、表現の細部は違えど、今日の記事で言いたかったことは、13年前の自分もしんみり感じていたことです。「成長がないなあ…」と思いますが、しかし「ヒトの有限性」は私にとってこの13年間でいっそう切実なものとなったし、話の力点も男女の機微から寂滅為楽へと移ったことを思えば、やっぱりそこに幾分「成長」もあるわけです。

我ながら頼もしいような、心配なような。
いずれにしても13年という歳月は、面貌ばかりでなく、心にもしわを刻むのに十分な時間です。

閑語…情報戦の果てに2024年11月18日 19時34分24秒

今朝に続いて無駄ごとを述べます。

戦国時代を舞台にしたドラマを見ると、「らっぱ」とか「すっぱ」とか呼ばれたリアル忍者を敵の領国に送り込み、根も葉もない噂を流して、敵にダメージを与える謀略の場面が出てきます。戦国時代のことは知らず、風雲急を告げる幕末には、薩摩藩がいろんな怪文書をまいて、情報の攪乱と人心の動揺を画策したと聞きます。近代戦でも情宣活動は重要な柱ですから、旧日本軍の特務機関も大陸で相当暗躍していた形跡があります。

あるいは、特にそんな工作をしなくても、大正震災における朝鮮人虐殺の惨劇のように、人は容易に流言飛語に乗せられ、軽挙妄動に走りがちで、そういう人間の性質を熟知した者の手にかかれば、コロッと行ってしまう怖さが常にあります。

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人間とは<情報>を欲する存在だ…と、つくづく思います。
そして多くの場合、情報のvalidityは不問に付され、「そういう情報がある」という事実が何より人を動かすもののようです。そうなると、初手から騙す気満々で来る相手には、情報の受け手側は分が悪く、無防備な人がそれに騙されるのはやむを得ないともいえます。


そんなわけで、今回の選挙でも、「兵庫の人はいったい何をしてるんだ」と責めるのは、いささか酷で、公正に見れば、騙されるよりも、騙す方が格段にタチが悪いし、そういう手合いにはそれなりの接し方をせねばなるまい…なんていう無粋なことを、趣味のブログに書かねばならぬことを遺憾に思います。

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さはさりながら、「天網恢々」、徒に妄言を振りまく人間の末路をこそ見定むべけれ。

西の方より黒雲生ず2024年11月18日 07時02分39秒


(海洋気象台(神戸)編 『雲級図』 (大正11年)より 「乱雲 Nimbus」 

晴々とした気持ちで――いかにも晴々とした画像まで貼りつけて――、“さあ新たな一歩を”みたいなことを書きましたが、とたんに心に雲がかかる出来事がありました。ほかでもない兵庫県知事選挙のことです。

私にとっての兵庫は、憧れの神戸の街と足穂のふるさと明石に代表されるのですが、そんな素敵な町に暮らす人々が、なぜわざわざ悪事を好むよこしまな人間を知事に戴こうとするのか? 既得権益に斬り込む…と口で勇ましいことを言いながら、その実、彼を取り巻くそれこそ「権益」に群がる有象無象が、強力な選挙戦を仕掛けたとも側聞しますが、まことに心胆を寒からしめる光景です。

公益通報制度をないがしろにし、人を死に追いやり、パワハラ行為を繰り返し指弾され、最終的に議会でその任を解かれた人物が、何の反省もないまま(もちろん反省がないから立候補したのでしょう)、それでも再選されてしまうという、この常識の底の抜け方には言うべき言葉がありません。

しかし、「兵庫の人はいったいどうしてしまったんだ?阿呆やなあ」と、傍で言っていれば済む問題なのか、実は同じことが今や日本中で起きる可能性があるのではないか…と考えると、そのことが一層心を曇らせます。

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先日の衆院選では野党が躍進し、自公政権にNoを突き付けました。そのことで、「国民の理性はまだ健全なのか」と安堵したのは事実ですが、しかし改めて考えると、今回の「斎藤現象」とその根っこは同じなのかもしれません。

すなわち、それは理性とは縁遠い、単なる「現状変革願望」に過ぎず、カーゴ・カルト的心性や、「ええじゃないか」の狂騒に近いものではないか…そう思うと、心に雲がどんどん湧いてきて、黒雲鉄火を降らしつつ、数千騎の鬼神が暴れまわる様が眼前に浮かんでくるのです。まさに末法の世なる哉。

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この場に足穂氏がいたら、今回の件を何と評したか?
「またえらいケッタイな花火が上がりよったな。まあ100年経っても、魔法を使える人間がおるゆうんなら、おもろいやないか」とでも言って、自若としているかもしれませんが、しかし、それにしたって…と思います。


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(※)この雲級図は、昔記事にしたことがあります。
 ■雲をつかむような話(1)

黄泉比良坂を越えて2024年10月31日 19時29分37秒

ハロウィーンのイメージで既出の品を並べてみます(物憂いので元記事は省略)。



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ハロウィーンというと、今や不気味なもの、ホラーチックなものであれば、なんでもありの感じですが、本来は日本のお盆と同様、死者が帰ってくる日、死者儀礼の日なのでしょう。

昔、スプラッタムービーが流行っていた頃、原題を無視して、「死霊の○○」という邦題をつけた映画がやたらありました。中でも「死霊の盆踊り」というのが印象に残っていますが、今にして思えば、ハロウィーンはまさに「死霊の盆踊り」みたいなものかもしれません。(…というか、盆踊りはそもそも「死霊の踊り」であり、盆踊りの輪の中には、知らないうちに死者の顔が混じっているよ…と言われたりするのも、そういう意味合いからでしょう。)

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「今宵、月の光で子供たちが影踏み遊びをしていると、いつのまにか死者がその中に紛れ込んでいて、死者に影を踏まれた子は…」という小話を考えました。

「…」の部分は、「命をとられる」とか、「魂を抜き取られて言葉が話せなくなる」とか、「発狂して悪夢の世界から帰ってこれなくなる」とか、いろいろ考えられます。あるいは「子供の姿がふっと消えて、その子がこの世に存在した痕跡がすべて消えてしまう」というのも怖いですが、でも、そこにかすかに残った小さな足跡を見た両親が、「不思議だな、ひどく懐かしい気がする」、「あら、あなたも?」…といった会話をする場面を想像すると、ひどく哀切な気分になります。

たぶん、我々はみな何か大切なものを忘れてしまった経験を持っているからでしょう。

【閑語】 The Shape of the Nation2024年09月28日 07時50分20秒



石破首相誕生というニュースと同時に、「石破ショック」「日本終わった」というフレーズがネット上に溢れました。でも、話を聞いてみると、そう言っている人の「日本終わった」の中身は、「株価が下がった」ということらしく、きっとその人の頭の中はそれで一杯なんだろうなあ…と思いました。まあ、経済の問題も大切ですが、そればっかりというのもさもしい話です。

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今回不思議に思ったのは、高市という人が石破氏と競ったことです。

高市という人は、その極右的イメージから「日本のルペン氏」みたいな人だという印象を持っていましたが、改めて考えると、ルペン氏は「フランス第一主義」を掲げてEUからの独立を志向するとともに、「貧困層の擁護者」を自認し、いわゆる新自由主義とは対立する立場です。そういう主張が、苦しい生活を送る国民のルサンチマンの受け皿になるのは理解できます。アメリカでトランプ氏が支持される構図も似たようなものでしょう。

でも、かたや高市という人は、対米従属に異を唱えるでもなく、企業優遇策に異を唱えるでもなく、そういう人がなぜ「岩盤保守層」の支持を得て、ポピュリズムの旗手となり得るのか、いかにも不思議な気がします。

ふたたび思うに、そこに共通するのは「栄光のフランス」と「栄光の日本」のイメージであり、表面的な政策の違いはあっても、その「栄光」のイメージこそが、人々の支持を集めた肝なのかもしれません。

個人と同様に国家も、本当に自信に満ちているときは、わざわざ虚勢を張る必要もないわけですが、「栄光」を声高に叫ぶということは、それだけ人々が自国の綻びと劣後を感じ取り、自信を失っている証拠なのでしょう。でも、虚勢は虚勢に過ぎないし、虚勢を張ったからといって国家が再生するわけでもありません。

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私は高市という人が首相にならなくてよかったと思いますが、石破氏も名にし負うタカ派ですから、剣呑なことには変わりがありません。それでも、外交にしろ経済政策にしろ、<反・安倍的なるもの>を今後どこまで打ち出せるのか、そしてタフ・ネゴシエーターとしての力量を発揮できるのか、その点に注目しながら、政権の舵取りを見守りたいと思います。

【閑語】東京湾を眺めながら2024年08月14日 16時05分31秒

「東京湾と一口にいうけどさ、海岸線を近くでよーく見ると、出っ張ってるところや引っ込んでいるところが一杯あってね、立派な岬もあれば、名のある支湾もあるんだよ。だから、これはまあ、君が思っているほど単純な世界じゃないのさ。」

…と訳知り顔でいう人がいたとして、それで「東京湾は湾である」という明白な事実が覆るわけではありません。


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「イスラエル政府のやっていることは、単なる虐殺行為である」という主張も、東京湾が湾であるのと同じぐらい明白なことと私には思えます。さかしらなことを言ったり、あえて煙に巻こうとする人がいたら、大局的に見てダメなものは、やっぱりダメだと、はっきり言わないといけません。

先日の長崎の一件で、アメリカをはじめとする各国大使の言い分を聞きながら、そんなことを思いました。

業火灑水(ごうかしゃすい)2024年08月06日 18時05分34秒

水がめの中を元気に泳いでいたメダカが黙って浮いていました。
連日の暑さで水が煮えてしまったせいでしょう。
メダカにとっては、この水がめの中だけが「世界」でしたから、彼らはたぶん世界が終わる地獄を見たのだと思います。不憫なことをしました。

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メダカがいなくなった水がめを前に、79年前のあの日、人々が見た光景はどんなものだったろう…とぼんやり考えます。


一杯の水を求めて亡くなった方たちへ。
甘露よりも何よりも、そのとき切実に欲したであろう一杯の水を謹んで捧げます。

【閑語】責任と無責任2024年07月12日 19時07分38秒

「職責を果たすことが私の責任の取り方」みたいな言い回しがありますけど、「職責を果たす」のはデフォルトで当たり前のことであって、何ら特別なことではありません。ですから、「どう責任をとるのか?」と問われて、こう答える人は、結局「責任をとるために、私は特別なことは何もしません」と言ってるに等しいです。

(東京都につづき、他所の首長のことではありますが、例の兵庫県知事の件でも、相当カチンと来ています。)

【閑語】緑と黒2024年07月07日 17時36分57秒



小池百合子さんを表現するのにぴったりの言葉って何かなあ…と歩きながら考えていて、最初は「邪悪」かと思いましたが、何かもっとぴったりの言葉があるような気がして、「虚栄」とか、「我欲」とか、「専制」とか、いろいろ考えているうちに、「陰険」という言葉が自分的にはいちばんしっくりくるなと思いました。次点は「腹黒」ですかね。

まあ、小池さんの悪口を感情的に言い募るだけでは何の意味もないんですが、でも私が都民だったら、あの人を首長にいただくのは耐え難い気がします。陰険な人は本当に困ります。そして陰険な上に邪悪で腹黒で、虚栄と我欲にまみれた専制を敷かれたら、本当に救いがないです。

私の地元である名古屋市長の河村たかしさんも大概な人で、首長としてはまったく支持できないんですが、河村さんには後ろ暗い醜聞や疑惑がついて回らないのは特筆すべき点で、その点では小池さんと同日の談ではありません。