神の矢尻2023年01月03日 10時12分27秒

頭足類で、イカの近縁にあたる「ベレムナイト」
その柔らかい身体が化石として残ることは極めて稀ですが、いわゆる「イカの甲」に当たる、軟体内部の細長い砲弾型の殻は、各地で化石として普通に産出します(この辺の事情は、同時代を生きたアンモナイトの化石と同様です)。


その化石は、日本でも「矢石」と呼ばれるように、ちょうど尖った矢尻の形をしていて、昔の人はこれを「神様が使った矢尻」だと考えたらしいです。そして神の矢は激しい雷光とともに放たれ、地面を射抜けば、そこに先日のフルグライトが形成されるのかも…という、一種の見立てをコメント欄でいただきました。


コメントの主は、このブログではおなじみの、ウクライナのブセボロードさんで、同地におけるここ数日の激しい戦闘のニュースを見ていると、今や人間は、太古の神々以上の攻撃力を備えるに至ったことを痛感します。

しかし武器はどんどん進化しても、「中の人」はあまり代わり映えがしないので、そこにこそ人間の悲劇はある…というのは、月並みな感想かもしれませんが、月並みでも何でも、繰り返し反芻しなければならない真理だと思います。

どうか、この「神の矢」が破魔矢となり、世の悪心を祓ってくれますように。
ブセボロードさんのご無事と、彼の地に平和が早く訪れることを心から祈ります。

雷の化石2022年12月27日 09時50分46秒

雷にも大きいもの、小さいもの、いろいろありますが、中でもとびきり大きいやつがドーンと砂地に落ちると、そこが瞬間的に高温となって珪砂が溶融し、それがまた冷却固化することで、雷が砂地を走り抜けた形のままに、筒状の構造物が残ります。


それが「フルグライト(雷管石)」と呼ばれるものです。
手元の品は、アレクサンドリアの星座早見盤と一緒に藤井さんから頂いたもので、同じく北アフリカの、こちらはサハラ砂漠由来の品です。


ドーンと大地に落ちた雷は、この口を通ってバリバリと砂の層を貫通し、その波打つ電撃が、このこぶこぶした形を砂層に印象しました。


中は中空。フルグライトは溶けた珪砂を主成分とする、いわば天然のガラス管なので、内壁はツルツルしています。

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大神ゼウスは、あらゆるものを溶かす雷霆(らいてい)を武器とし、北欧神話の戦神トールは、その槌から雷撃を放って、あらゆる敵を倒したといいます。雷は昔の人にとって最も強力な武器のイメージだったのでしょうが、そこは今もあまり変わりがなくて、創作の世界には雷属性のキャラがたくさんいます。

天地が出会うところに生まれた不思議な石、フルグライト。
その穴を覗き込めば、リアルな雷の威力は、ときにそうした人間の想像力をも超えて凄まじいことを感じます。

青く澄んだ土星(後編)2022年12月14日 05時26分44秒

(昨日のつづき)

特にもったいぶるまでもなく、サファイヤと土星で検索すると、現在大量にヒットするのは「サファイアは土星を支配する石だ」という占星術的解釈です。私は今回初めて知ったのですが、これだけヒットするということは、占星術やパワーストーンの話題に強い方には周知のことかもしれません。

これは確かに気になる結びつきで、偶然以上のものがそこにはあるような気がします。
でも、果たして本当にそっち方面に結びつけてよいかどうか?これは賢治の読書圏内に、そうした知識を説いた本があったかどうか?という問いに関わってくることです。

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宝石と占星術のかかわりは中世、さらにさかのぼれば古代に根っこを持つらしいですが、ヨーロッパ世界には、主にアラビア語文献から翻訳された「ラピダリオ(宝石の書)」の諸書を通じて、その知識が入ってきました。特に13世紀のカスティリヤ王、アルフォンソ10世が翻訳させた「ラピダリオ」は有名です。(参考リンク:スペイン語版wikipedia 「Lapidario」の項

(アルフォンソ10世の『ラピダリオ』写本。1881年に石版で再現された複製本より)

ただ、そこでは宝石と星座の結びつきこそ詳細に説かれるものの、宝石と惑星の結びつきは顧みられなかったとおぼしく、サファイアと土星の件も、近代(19世紀)のオカルト復興の流れで、インド占星術の知識として紹介されたものが核になっているようです(この辺はネットを徘徊してそう思っただけで、しっかりした文献を読んだわけでありません)。

たとえば、これはオカルト文献ではありませんが、Googleの書籍検索で見つけた、William Crookeという人の『北インドの民間信仰と民話入門(An Introduction to the Popular Religion and Folklore of Northern India)』(1894)という本【LINK】で、次のような記述を目にしました。前後の文脈が不明ですが、取りあえず関係箇所を適当訳してみます。

 「宝石類も同様の働きをする。「ナウラタナ(9つの宝石)」として知られる、ある特別な9種類の組み合わせは、殊のほか効果がある。すなわち太陽に捧げるルビー、月の真珠、火星の珊瑚、水星のエメラルド、木星のトパーズ、金星のダイヤモンド、土星のサファイア、ラーフ〔羅睺/らごう〕のアメジスト、ケートゥ〔計都/けいと〕のキャッツアイの9種類である。〔…〕

 また、「サニ」(土星)に捧げるサファイアの指輪は、状況次第で幸運または不運のいずれももたらすとされる。そのため、それを身に着ける人は、3日間、すなわち土曜日(土星に捧げられた日)から火曜日まで指にはめ続けるようにし、もしこの間に災難がなければ、土星の影響力が良からぬ期間もそのままはめ続けるが、3日間のうちに災難があった場合、その指輪はバラモンに与える。」 (pp195-196)

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問題は、こうした知識が賢治の目に触れた可能性があるかどうか。
サファイアと土星――これはどう考えても天文書には出てきそうもありません。
出てくるとすれば、宝石学の本に含まれる「宝石の俗信と伝承」的な章節(※)か、「インドの説話と民間伝承」といった類の本じゃないかと想像します。

賢治は宝石にもインド説話にも関心が深かったので、そうした可能性は十分あると思います。ただ、ここから先は、賢治の同時代文献に広く当たる必要があるので(日本語文献だけでは終わらないかもしれません)、とりあえず作業仮説のままペンディングにしておきます。結局、肝心の点はブラックボックスで、完全に竜頭蛇尾なんですが、作業仮説としては、まあこんなものでしょう。

(※)たとえば大正5年(1916)に出た鈴木敏(編)『宝石誌』には、「第十六章 宝石と迷信」の章があって、サファイアと土星のことは皆無にしろ、「宝石と迷信/二十有余種の宝石の威徳/誕生石/同上に慣用せる十二種の宝石」の各節が設けられています。

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そういえば、今回の記事の直前で、アルビレオ出版を話題にしました。
はくちょう座のアルビレオは、青と黄の美しい二重星で、『銀河鉄道の夜』に出てくる「アルビレオの観測所」では、サファイアとトパーズの透明な玉がくるくる回っています。

“アルビレオ―サファイア―賢治”と、なんだか三題噺のようですが、ここでさらに現実の黄色い土星と、幻の青い土星を二重写しに眺めた賢治の心象なり、色彩感覚なりを想像するのも一興かもしれません。(個人的にはふとウクライナの国旗を思い出しました。)


【2022.12.15付記】
その後、久米武夫(著)『通俗宝石学』(1927)を見たら、鋼玉石の解説中「第六節 迷信」の項(pp.357-359)に、「サファイヤは其の歴史が極めて古い結果、古来この石に対して種々の迷信並に象徴等が行はれたのであった。〔…〕この石は宗教的にも多く用ひられ天体の金星(ヴィーナス)及び木星(ヂュピター)を代表し、又天体の牡牛宮を象って」云々の記述を見つけました。

ここでは土星と木星が入れ替わっているし(単純誤記?)、発行年も賢治の詩が詠まれた翌年なので、両者に直接の関係はないはずですが、惑星とサファイアの関係を説いた同時代資料として、参考までに挙げておきます。

青く澄んだ土星(前編)2022年12月13日 21時25分36秒

先日、天王星を思わせる青いブローチのことを記事にしました。


それに対して、透子さんからコメントをいただき、そこで教えていただいたことが気になったので、ここで文字にしておきます(透子さんに改めてお礼を申し上げます)。

まず、透子さんと私のコメント欄でのやりとりを一部抜粋しておきます。

透子さん 「今読んでいる宮沢賢治詩集の注解に、✻サファイア風の惑星 土星。と書いてあるのですが、宮沢賢治さんには土星は青いイメージだったのでしょうか?」

「土星は肉眼で見た印象も、望遠鏡で覗いても、黄色の惑星ですから、賢治はどこでサファイア色の土星のイメージを紡いだのか不思議です。これを単なる「詩人のイマジネーション」で片づけてよいか、ほかに何か理由があるのか、自分なりにちょっと調べてみようと思います。」

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問題の詩は、宮澤賢治の『春と修羅 第二集』に収められた「暁穹〔ぎょうきゅう〕への嫉妬」という詩です。ちなみに『春と修羅』は賢治の生前に出た唯一の詩集ですが、その続編たる第二集は、賢治自身せっせと出版準備を進めたものの、結局未刊に終わりました。「暁穹への嫉妬」も残っているのは下書きだけです。

筑摩版の『新修宮沢賢治全集』には、その最終形と初形が収録されています。

(最終形)

詩の冒頭近くに、「その清麗なサファイア風の惑星を/溶かさうとするあけがたのそら」という句があります。この「サファイア風の惑星」の正体は何かといえば、すぐあとのほうに「ところがあいつはまん円なもんで/リングもあれば月も七っつもってゐる」と出てくるので、常識的に土星と解釈されています。

(ベルヌイ法による合成サファイア)

しかし繰り返しになりますが、土星とサファイアは色味がまるで違うので、この比喩は不思議です。

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こういう考証ならば、天文啓発家にして賢治マニアでもあった草下英明氏の出番ですが、残念ながら今回はハズレでした。氏の『宮澤賢治と星』(學藝書林、1975)を見たら、たしかに「賢治文学と天体」の章(pp.100‐111)でこの詩が採り上げられていましたが、サファイアの謎については特に言及がありませんでした。

では…と、草下氏が賢治の天文知識の重要な情報源として挙げた、吉田源治郎(著)『肉眼に見える星の研究』(1922)も見てみましたが、「土星 洋名は、サターン。光色は鈍黄。」(p.328)とあるだけで、当然サファイアのことは出てきません。

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この詩は「あけがたの空」を詠んでいるので、徐々に明るさを増す空の青みが、惑星にも沁みとおって感じられた…ということでしょうか?

あるいは、この詩が詠まれたとされる1925年1月6日の極寒の明け方に、「過冷な天の水そこ」で光る星が、青みを帯びて感じられた…ということでしょうか?(ちなみに気象庁のデータベースによると、この日の盛岡(花巻はデータなし)の最低気温は、マイナス9.1℃だったそうです。)

そうした可能性も、もちろんあるとは思います。
でも、ここでは別の可能性も指摘しておきたいと思います。

(長くなったので、ここで記事を割ります)

あおみどりの光2022年11月30日 19時17分32秒

昨夜は本降りの雨でしたが、気まぐれで遠回りをして帰りました。
雨に濡れた路面に映る灯りがきれいに感じられたからです。乾いた町が水の中に沈み、いつもと違う光を放っているのが、夕べの心の波長と合ったのでしょう。

店舗の灯り、道路に尾を曳くヘッドライトとテールランプ、そして黒い路面にぼうっと滲んだ青信号の色。あれは実に美しいものです。
ごく見慣れたものですが、私は青信号の青緑色を美しいもののひとつに数えていて、「でも、あの色って、自然界にはあるかなあ?」と、考えながら夜の道を歩いていました。

南の海、ある種の甲虫、鳥ならばカワセミ、石ならばエメラルド。
どれも似ているけれども、どれもちょっと違うような気がしました。

考えているうちに、ふと思いついたのは「夜光貝」
サザエの仲間であるヤコウガイに限らず、磨いた貝殻の遊色の中に、あの青緑があるような気がしたのです。これは純粋に自然の色といっていいのか、もちろんそこには人為も加わっているのですが、条件によっては自然条件下で遊色を呈することもあるでしょう。

(磨き加工をしたパウア貝。手前はアンモナイトの一種(クレオニセラス)の化石。そこにも似た色合いが、かすかに浮かんでいました)

思いついたのが水に縁のあるもので、そのことがちょっと嬉しかったです。

記憶の果てに2022年10月26日 06時50分53秒



前回の記事を書いた直後に、舞い込んだ1枚のはがき。
そこには「記憶の果てに」と書かれていました。


八本脚の蝶、遠い呼び声、そして記憶の果てに――。
これは私一人の感傷に過ぎないとはいえ、こうした一連の表象が全体として新たな意味を生じ、私の心に少なからずさざ波を立てたのでした。


差出人は、「秩父こぐま座α」さん。
秩父はまだ訪れたことがなく、まったく聞き覚えのないお名前です。そこに謎めいた興味を覚え、しげしげ眺めると、はがきの隅に時計荘さんのお名前を見出し、ようやく合点がいきました。


時計荘の島津さゆりさんによる、ツイッター上での告知()を下に転記しておきます。

■時計荘展 「記憶の果てに」
 秩父・こぐま座α @cogumazaa にて
 11/11(金)~11/21(月)の金土日月曜のみ営業 11~17時 ※ワンオーダー制
 画像のような新作のほか、人形作家の近未来さん @pygmalion39 のギャラリーカフェにちなんで、人形作品を入れて遊べるジオラマ作品もお持ちします。
 いつでもお立ち寄りください。そして気軽にお声がけいただければ嬉しいです。

   ★

私から見ると遠い秩父の町。
しかし秩父の名に、私はある親しみを感じます。秩父は稲垣足穂の少年時代の思い出と連なっているからです。足穂少年が手元に置いて、日々愛読した鉱物入門書には、鉱物採集の心得として、「東京近郊には先ず秩父がある」の文句があり、足穂はなぜかこのフレーズが脳裏を離れず、皇族「秩父宮」の名を新聞で見ただけで、即座にその鉱物書を連想した…と、彼は『水晶物語』で述懐しています。

秩父は鉱物の郷であり、水晶の郷です。
そこに分け入って、時計荘さんの鉱物作品と出会う場面を想像するだけでも、私にとっては至極興の深いことです。

(遠い記憶の果ての、さらにその向こうに…)

鉱物標本を読み解く2022年10月04日 21時03分04秒

昨日、ツイッターで以下のようなツイートが流れてきて、「お、いいね」と思いました。
ツイート主は、ケンブリッジ大学ホイップル博物館の公式アカウントです。


写っているのは、同博物館に保管されている、19世紀後半~20世紀初頭の鉱物・化石の標本セットで、小さな箱にきっちりと詰まった様子が、いかにも標本らしい表情をしています。そして、単に見た目にとどまらず、その先を追ってみたら、話がいよいよ深いところに入っていったので、ますます「いいね」と思いました。

上の標本に注目し、ホイップル博物館のメイン展示室に陳列したのは、台湾出身のグエイメイ・スーさんです。たぶん漢字で書くと、徐(または許)貴美さんだと思うのですが、スーさんは、レスター大学の博物館学の学生として、ホイップル博物館でワーク・プレースメント(実習を兼ねた短期就労)を経験し、その実習の仕上げとして、オリジナルのミニ展示を企画するという課題を与えられました。

以下はスーさん自身のサイトに書かれた、事の顛末です。


スーさんに与えられたのは、わずか110×70センチ、高さは22センチのガラスケース。このスペースで、何か博物館学的に意味のある展示をせよ…という、なかなかチャレンジングな課題なのですが、スーさんが紆余曲折の末に到達したテーマが「国家収集:ナショナリズム、植民地主義、近代教育における地質学(Collecting the Nation: Geology in Nationalism, Colonialism, and Modern Education)」というものでした。

そこに展示されたのは、まずチェコで作られた教育用の小さな化石標本セット
その標本ラベルが、すべてチェコ語で書かれていることにスーさんは注目しました。これは当たり前のようでいて、そうではありません。なぜなら、チェコで科学を語ろうとすれば、昔はドイツ語かラテン語を使うしかなかったからです。ここには、明らかに同時代のチェコ民族復興運動の影響が見て取れます(※)。そして、標本の産地もチェコ国内のものばかりという事実。この標本の向こうに見えるナショナリズムの高揚から、スーさんは故国・台湾の歴史に思いをはせます。

あるいは、イギリスで作られた鉱物標本セットと、それに付属する論文抜き刷りの束。そこに書かれた、あからさまに植民地を軽侮する言葉の数々―。

(上記「Placement Reflection 3」より寸借)

そしてもう一品は、1960年代に頒布された、アメリカ版「○年の科学」のような理科教材(Things of Science)に含まれる鉱物・化石標本です。
これはミニサイズの鉱物標本の長い伝統と、鉱物学習においてきわめて重要な側面、すなわち「触覚的側面」を思い起こさせるものとして、展示に加えられました。この触覚的側面こそ、コロナ禍のオンライン学習では決定的に不足したものです。

これらを組み合わせて、スーさんは「国家収集:ナショナリズム、植民地主義、近代教育における地質学」という企画をされたわけです。

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古い鉱物標本を見て、「趣があるねぇ…」ということは簡単です。
しかし、モノはいろいろな文脈に位置付けることができ、そこからいろいろな意味を汲み取ることができます。客観を旨とする自然科学の標本であっても、歴史的・社会的に価値フリーということはありえません。

しかも、これらの標本セットは、スーさんも指摘するように、「博物館のミニチュア」でもあって、こうした展示を博物館で行うことの入れ子構造と、博物館そのものに浸み込んだ国家主義と植民地主義を逆照射する面白さが、そこにはあります。
総じていえば、「メタの視点の面白さ」を、今回の一連の記事から感じました。

私の部屋の見慣れた品々も、掘り下げてみれば、まだまだいろいろな顔を見せてくれることでしょう。


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(※)チェコ民族復興運動との関連では以下の記事も参照。

 ■彗星と飛行機と幻の祖国と

三葉虫を懐かしむ2021年11月28日 15時54分52秒

昨日のオレノイデス社のロゴを見ながら、三葉虫のことを思い出していました。


三葉虫はその形態の多様性から、世界中にコレクターが多いと聞きます。
私ももちろん気にはなりましたが、集め出すとキリがないのを悟って、いわゆる「沼」に陥ることはありませんでした。それでも当時――というのは15年か20年ぐらい前、ゼロ年代のことです――の品が入っている引き出しを開けると、その頃の記憶や、さらに遠い理科室の思い出がよみがえってきます。


初期の小さくて単純な形状から適応放散により多様な形態へと分化し、中には驚くほど巨大な種も出現した三葉虫の仲間たち。



古生代に栄えた三葉虫は、私の個人史を1000万倍ぐらい引き延ばしたタイムスケールの存在なので、「三葉虫の化石を見て懐かしむ」なんて、考えてみればおこがましい話かもしれません。三葉虫に言わせれば、「お前さんなんかが懐かしむのは、1億年早い」といったところでしょう。

それでも、やっぱり三葉虫は懐かしいです。
何しろ、私だって10億年の生命進化の歴史を母胎内で経験しているし、生まれ落ちてからだって、三葉虫の1個体にくらべれば、優にその1000万倍を超える記憶を有しているはずだから、懐かしむ資格はあるぞ…と、三葉虫に理解を求めたいところです。

昔の鉱物趣味の七つ道具(後編)2021年04月14日 05時28分47秒

(前回の続き)

(画像再掲)

この27cm幅の木箱をパカッと開けると、


各種の器具と試薬がきっちり収まっています。


蓋の裏に貼られたラベル。この吹管分析セットは、イングランド西部・トルーローの町で営業していた「J.T. Letcher」という科学機器メーカーが、19世紀後半(1880年頃)に売り出したものです。

ラベル中央には、"SOCIETY OF ARTS. SUPERIOR BLOWPIPE SET WITH EXTRA APPARATUS"と麗々しく書かれており、「ソサエティ・オブ・アーツ監修・特上吹管セット。付属装備一式付き」といった意味合いでしょう。

「Society of arts」というのは、「Royal Society of Arts」のこと。
この「アーツ」は芸術に限らず、広く専門技術の意味で、「王立技芸協会」と訳されます。現在は対貧困やSDGsといった、社会改良運動に力点を置いているようですが、19世紀には科学教育の普及にも熱心で、リーズナブルな価格の顕微鏡のコンテストを開いたりしていましたから、この吹管セットも同じ文脈で考案されたのだと想像します。


こう見ると完品ぽいですが、この下段にもいろいろ備品を収納するスペースがあって、そちらが何点か欠失しています(だから私にも買えました)。

(右端はアルコールランプ)

内容のいちいちについては、私自身よく分かってないので立ち入りませんが、セットの主役である吹管がこちら↓になります。


ラッパだったら、この反対側に口を付けてプーと吹くわけですが、気流を集中させたい吹管の場合、それでは役に立ちません。吹管はこの「ラッパ」に口を付けて息を吹きます。


これが吹管の全体。「ラッパ」の反対側、L字型に横に突き出た尖端から空気が噴出します。


試薬一式の入ったトレーを取り外すと、その下にガラス管や小さな管ビンが収まっています。またその脇に真鍮製の円筒缶が見えますが、その中身は木炭です。そこに試料を入れたり載せたりして、吹管の炎で強く熱し、試料の変化を観察するわけです。

   ★

鉱物趣味とは、言うまでもなく鉱物を愛でること。
でも鉱物に限らず、趣味人は同じ趣味の人とつながり、互いに経験を分かち合うことことで、一層趣味に味わいが出るように思います。

そして、そうした人とのつながりは、ときに時代をも超えます。こういう古い品を前にすると、異なる時代を生きた鉱物趣味人の肉声が聞こえてくるような気がします。

朋あり遠い過去より来たる、また楽しからずや。

昔の鉱物趣味の七つ道具(中編)2021年04月12日 09時46分21秒

吹管、すいかん。

「すいかん」と言いますが、「吸う」のではなく、「吹く」のです。英語で言うと「blowpipe」。この名称は、吹き矢の意味もあるし、ガラス職人が溶けたガラスに息を吹き込むときに使う長い筒の意味でも使われます。

それが鉱物の同定とどう関係するかと言えば、その実際を見ていただくのが早いです。


■Centennial Blowpipe Demonstration
 (Smithsonian's National Museum of Natural History)

リンク先では、オイルランプの炎に吹管で息を吹き込んで、さらに高温の炎を作り、それによって木炭に載せた粉末試料を加熱し、その反応や生成物を確認しています。

ウィキペディアの「吹管分析」の項(LINK)は三省堂の『化学小事典』を引いて、以下のように述べていますが、動画と説明を見比べると、そこで行われていることが、何となくわかってきます。

 「鉱物や合金などの金属成分を検出する古典的な分析法の一つ。固体の試料粉末を四角柱に削った木炭の中心に開けた穴に詰め酸化炎や還元炎などの吹管炎を吹き付け、その変色や溶融状態、化学変化を観察し成分を判定する。なお、現在は他の分析法の発達に伴い使われる頻度は少なくなっている。」

もう少しやわらかく解説したものとして、以下のページを拝見しました。(「天文古玩」もいい加減<老舗化>していますが、こちらの個人サイトは1999年から続く老舗で、しかも今も更新が続いており、本当にすごいなと思います。理科趣味界の鉄人ですね。)

■鉱物たちの庭:ひま話(2002.1.24)

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今は流行らなくなった吹管分析ですが、かつてはプロ・アマを問わず、盛んにおこなわれました。


手元に、岩崎重三(著)『実用 鉱物岩石鑑定吹管分析及地質表』(内田老鶴圃刊)という本があるんですが、初版は明治30年(1997)に出ており、手元にあるのは大正6年(1917)発行の第7版ですから、少なくとも20年にわたって息長く版を重ねていたことが分かります。


言ってみれば試料に炎を当てるだけの分析法ですが、実際にやってみるとなかなか奥が深くて、炎色反応を見たり、ガラス管や木炭上に生じる生成物をさらに分析したり、溶球試験(ホウ砂球試験やリン塩球試験)によって金属の呈色反応を見たりして、徐々に鉱物の正体に迫っていきます。



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そうした吹管分析を自宅でも手軽にできるよう、19世紀には吹管分析セットが盛んに販売されました。それが今や「鉱物古玩」として、欧米の理系アンティークの店先を飾っています。

(かつてオークションに出ていたドイツ製の吹管分析セット。

これは素敵だ…というわけで、私も苦労してひとつ手に入れました。


話が長くなったので、肝心の中身については次回に回します。

(この項つづく)