「あこがれ論」…天文古玩趣味の根っこを考える2024年03月24日 08時14分07秒

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ふつうに年度末で忙しいのに加え、ちょっと天文関係から横道に逸れて、よそ見をしていたというのもあります。よそ見というのは、かなりミーハーな気もしますが、大河ドラマの影響で、平安時代に興味を向けていたのです。いわゆる「王朝のみやび」というやつです。そして、このよそ見は私に少なからず省察を迫るものでした。

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今年は大河ドラマ「光る君へ」の影響で、紫式部と源氏物語に世間の関心が集まっていますが、今から16年前、2008年にも紫式部と源氏物語のブームがありました。それは『紫式部日記』の寛弘5年(1008)の条に、紫式部のことを源氏物語の作者としてからかう人物が登場することから、この頃に物語として一応の完成を見たのだろう…と見なして、2008年を「源氏物語の成立1000年」として、記念のイベントや出版が相次いだことによります。

(特別展「源氏物語の1000年―あこがれの王朝ロマン―」図録、横浜美術館、2008)

当時(今も?)、各地の展覧会では「王朝へのあこがれ」というフレーズが盛んに使われました。少し皮肉に考えると、展覧会を企画するにしても、紫式部の同時代のモノは――道長の自筆日記『御堂関白記』という途方もない例外を除けば――ほとんど残ってないので、展覧会の尺を埋めるには、近世の品も大量に混ぜる必要があり、そうなれば自ずと「江戸の人々の王朝へのあこがれ」という視座になるのでした。

ただ、江戸の人が王朝にあこがれたのは事実なので(雛飾りや源氏絵の盛行はその一例です)、それにいちゃもんを付ける理由はありません。さらに江戸の人ばかりではなく、実は室町時代の人も、鎌倉時代の人も、院政期の人も、みんな平安中期にあこがれの目を向け、源氏物語の世界に夢を託してきたことが、展覧会の図録や解説書を読むと深く頷かれます。

もっといえば『源氏物語』自体が、作者のあこがれの産物であり、その時代設定は、紫式部や道長の頃よりも100年ばかり前、醍醐天皇の「延喜の御代」を念頭に置いて、フィクショナルな王朝絵巻を作者は描いたのだと言われます。

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我々の先祖があこがれたのは、時間を超えた過去ばかりではありません。
空間的に隔てられた「異国」の文物に対するあこがれが、『源氏物語』の世界には繰り返し描かれています。すなわち「唐物(からもの)」に対する強烈な嗜好です。

(河添房江・皆川雅樹(編)『唐物とは何か』、勉誠社、2022)

唐物というのは、中国に限らず広く異国から輸入された品ということで、後の言葉でいう「舶来品」と同じ意味です。そして後世の「舶来品信仰」と同様、唐物は質が良くて高級なのだ…という理解が、人々に共有されていました。(もともと財力のある人しか手にできない「威信財」の側面があったわけですから、唐物は実際良質ではあったのでしょう。でも、そこには「どうだ、こいつは舶来品なんだぜ!」と誇る気持ちが露骨にあって、実際以上に下駄を履かされていた側面もあったと思います。)

唐物嗜好は、奈良・平安にとどまらず、その後も長く日本文化の基層をなし、後には南蛮貿易や長崎貿易を介してヨーロッパ文化へのあこがれを生んで、そのまま近代に接続しています。

(各種展覧会図録。千葉市美術館(編)『江戸の異国趣味―南蘋風大流行』、2001/北海道立函館博物館・神戸市立博物館(編)『南蛮・ハイカラ・異国趣味』、1989/京都文化博物館・京都新聞社(編)『Winds From Afar 異国の風―江戸時代 京都を彩ったヨーロッパ』、2000)

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遠い時代へのあこがれ。
遠い異国の文物へのあこがれ。

あこがれの根っこには、常に時間的・空間的な隔たりがある。…というと、「じゃあ、『身近な先輩へのあこがれ』みたいなのはどうなの?」という問いも出るでしょうが、たとえ時間的・空間的に近接していても、その先輩はやっぱりどこか遠い存在なんだと思います。つまり物理的遠さならぬ心理的な遠さ。

「あこがれ」の古形は「あくがれ」で、原義は「本来の居場所を離れてさまようこと」の意味だと、語源辞典には書かれています。そこから「心が肉体を離れてさまよう」、「心が対象に強く引きつけられる」という意味に転じたとも。

この「(心が)本来の居場所を離れてさまよう」というニュアンスは、今の「あこがれ」にも色濃く残っている気がします。

(荒木瑞子『竹久夢二の異国趣味』、私家版、1995/鹿沼市立川上澄生美術館(編)『南蛮の川上澄生』、同館、1993)

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冒頭にもどって、「王朝のみやび」が私に省察をせまったのは、こうしたあこがれの本質が、私の天文古玩趣味にも色濃くにじんでいると思ったからです。

星はそれ自体遠い存在なので、普通の天文ファンも、星に対する強いあこがれを掻き立てられていると思います。その上さらに「古人の星ごころ」という迂回路を経由して星の世界に接近しようというのは、迂遠な上にも迂遠な方法ですが、そうすることで一層あこがれは強まり、思いが純化されるような気が何となくするのです。

そういえば、唐物趣味の話のついでにいうと、紫式部の時代は唐(618-907)が滅び、王朝が北宋(960-1127)に交代したあとの時期ですが、当時のいわゆる「国風文化」の人々があこがれた中国文化とは、実は同時代の北宋の文化ではなく、すでに失われた唐の文化だったという指摘があります(注)。そういう話を聞くと、天文古玩趣味の在り様とまさにパラレルだと感じ、ドキッとします。

まあ、日本が憧れた中国の人だってインドや西域に憧れたし、ヨーロッパの人はといえば、東洋の鏡写しのようにシノワズリやジャポニズム、オリエンタリズムに入れ込んだので、「今・ここ」でない、「どこか遠い対象」に心を寄せるというのは、ある意味普遍的な文化現象であり、ヒトの本性でもあるのでしょう。

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「来てみれば さほどでもなし 富士の山( 釈迦や孔子も かくやあるらむ)」

昔から有名な川柳/狂歌ですが、遠いからこそ貴く感じる人間の心意を上手くうがっています。と同時に、好奇心の赴くまま、遠い道のりをものともせず富士山頂まで押しかけ、聖賢の道を求めずにはおられない人間の性(さが)や業もうかがえて、そこに『2001年宇宙の旅』の作品テーマなんかを重ねると、さらに深い味わいがあるような気がします。


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(注)皆川雅樹「人・モノ・情報の移動・交流からみた「日本文化」―「唐物」と「国風文化」をめぐる研究の狭間から考える」(河添房江・皆川雅樹(編)『唐物とは何か』(勉誠社、2022)所収)に引用される佐藤全敏氏の所論。

コメント

_ S.U ― 2024年03月27日 07時16分14秒

1970年頃でしたでしょうか。自分の周りで「舶来品嗜好」→「国産品志向」への激変を感じた時代がありました。それまでは、文具でもカメラでも時計でも外国製が良いと言われていましたが、急に国産が良いということになってしまいました。それでも、外国製には、金髪の職人さんが作って見知らぬ異国から海を渡ってきたという憧れもあるので、多少の心の戸惑いを感じました。でもそういうことを感じていたのは子どもだけで、大人にとっては、戦前から文具でも日用品でも外国製がいくらでもありました(国産化されていないものが多かった)のでそういう感覚はなかったかもしれません。

 そういう意味で、「舶来品趣味」も世代によって盛衰があるものなのでしょう。私は、平賀源内は、舶来品の国産化を推し進めた堅実な実学家の面もあったと思いますが、なかなか当時の世の中に理解されなかったのではないかと思います。自身からエレキテルを見世物にしてしまったことには相当の心の葛藤があったと思います。

 今は、世界中、世の中平板になってきましたね。どこでも、スマホが使われ、コンビニがあり、異国趣味もなくなりました。「異国」というと、今やロココやスチームパンクの趣味の画像を描くしかなくなったのではないでしょうか。日本のキモノ、チョンマゲのイメージが海外で復活する日も近いかもしれません。

_ 玉青 ― 2024年03月31日 18時03分32秒

戦後、日本が裕福になるにつれて大学生も気楽に海外に行く時代を迎え、海外(欧米)は憧れの対象ではなくなりましたが、今また円安と低賃金で海外旅行が難しくなり、「舶来品」も買いにくくなっているので、ふたたび異国への憧れや舶来品信仰が復活する素地はあるかもしれませんね(ネットでダイレクトに情報だけは来るのが、昔とは少しく違うところですが)。

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