Iron Insects2022年09月02日 09時00分58秒

机辺に置かれた鋳鉄製の虫。


手元の買物帳には、「1996 11/25 インド鉄工芸品 虫3種 800×3 LOFT」とあるので、もう26年もの付き合いになります。

もっとも、彼らは26年間ずっと机辺に棲んでいたわけではありません。
ご覧の通り至極他愛ない品なので、長いこと引き出しにしまいっぱなしでした。でも、このあいだ久しぶりに見つけて、手にしたときの重みがいいなと思って、こうして復活させました。


こちらはバッタの類で、


こっちはタマムシ類のイメージでしょうか。いずれも、ごく素朴な造形です。

こういう品を買った個人的動機としては、当時何となく自然を感じさせるものが欲しかった…というのがあります。この点は以前の記事でも省察しました。ちょうど下の記事に出てくる魚やクワガタの工芸品と同じ時期、同じ動機に基づいて、この鉄の虫たちも買ったのだと思います。(当時のエスニックブームも影響していたかもしれません。)

■虫と魚

ちなみに、買物帳には「3種」とあるのに、2種類しかないのは、もう1種がヘビトンボLINK】のような姿をしていたからです。最初はそうでもなかったんですが、だんだんヘビトンボそっくりに見えてきて、私はヘビトンボがひどく苦手なので(咬まれたことがあります)、結局処分してしまいました。かわいそうな気もしますが、見るたびにネガティブな連想が働くものを、手元に置くことは忍び難かったです。

ぎょちょうもく、申すか申すか2022年08月13日 11時00分30秒

みんなで輪になって座り、魚・鳥・木の名前を言い合う「魚鳥木(ぎょちょうもく)」という伝承遊びがあります。考えてみれば、あれはなかなか博物趣味に富んだ遊びでした。

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ドイツのカードゲームを見ながら、そんなことを思い出しました。


外箱には愛らしいベニテングタケの絵の脇に「Naturgeschichtliches Quartett Spiel」(博物学カルテットゲーム)とあって、さらに、「美麗な多色カード。花、虫、鳥、などなど」、「印刷・発行 エルンスト・カウフマン社 バーデン州ラール市/ニューヨーク、スプルースストリート7-11」と書かれています。

カウフマン社は1816年の創業。驚くべきことに現在も盛業中です【公式サイト】。
初代はあの石版技術の発明者・ゼネフェルダーに直接学び、その後、多色石版の流行とともに事業を拡大し、ニューヨークを含む海外に出店したのは1880年のことだそうです。このカードゲームも1880~90年代のものと思います。


中身のカードは、いろいろな生物が4枚1グループになっていて、全15グループ、総計60枚のカードから成ります。


Iグループは甲虫の仲間です。絵の下に2列4行にわたって生物名が書かれていますが、一番上に書かれているのが、当該カードの生物名です。左側はドイツ語、右側はフランス語の一般名。そして残り3行が、同じグループを構成する他の生物名で、これを手がかりに「仲間集め」をするわけです。


上段からV(果樹)、VI(野菜)、VII(実のなる木)の各グループ。


同じくXII(キノコ)、XIII(野の花)、XIV(ベリー類)。
カウフマン社ご自慢の多色石版技術が光っています。


中にはちょっと不思議なグループもあって、中段(IX)の鳥の巣も突飛だし、上段(VIII)は蝶グループのようですが、左端には蛾が1匹まじっています。まあ、分類学的に両者は同じ仲間だし、ドイツ語では蝶と蛾を区別しないので、これは理解できます。でも、下段(X)の蜂グループに、トンボが1匹まじっているのは、かなり苦しいです。


このXIグループになると、毛虫、アリ、クモ、バッタと、強いて言えば「雑多な虫」でしょうが、もはやグループの体をなしていません。

まあ、ごく少数のカードで博物趣味を語るとすれば、多少正確さが犠牲になるのもやむを得ません。それよりも、こういう愛らしいカードで身近な生物に対する関心を育み、ゲームを通じて「分類」という作業に慣れ親しむのは、大いに是とすべきことで、その意気に感じます。

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以下、おまけです。

カルテットゲームは、カードをやりとりしながら、4枚1グループの「仲間」をできるだけ揃えた人が勝ちという遊びです。これまで天文モチーフのカルテットゲームを集めていた関係で、手元には既に何種類もあるのですが、実のところ、その詳細な遊び方はよく知りませんでした。この機会にそれを調べてみたので、メモ書きしておきます。

カルテットゲーム(Quartett Spiel)は、上述のように4枚1グループの「仲間」集めをすることからその名があります。でも、ゲームの性質を考えると、これは別に5枚1グループでも、6枚1グループでもよく、またグループ数も、たまたま今回のものは15グループですが、これまた任意のグループ数で差し支えないわけです。

カルテットゲームはドイツの専売特許ではなくて、英米にも、フランスにもあって、英語圏だと「ゴーフィッシュ」の名称がポピュラーで、そう聞くと、私もかすかに遊んだ記憶があります。あれは普通のトランプを使って、同じ数字のカード4枚をグループに見立てて遊ぶカルテットゲームの一種だったわけです。

あるいは「ハッピー・ファミリーズ」という、専用のカードを使って遊ぶゲームもあります。こちらは「○○家」の家族メンバーを揃えていくという遊びですが、こちらは5枚で1グループだったり、6枚で1グループだったり、いろいろバリエーションがあります。

で、私は知らなかったのですが、この「ハッピー・ファミリーズ」は日本にも古くから移入されていて、「家族合わせ」の名称で、戦前から親しまれていたそうです。その家族合わせゲームの詳細を、ネットで解説されている方がいて、そこから遡って本家のカルテットゲームの遊び方も、ようやく見当が付いた次第です。

■伝統ゲーム紹介:家族合わせ(概要)
■同:家族合わせの遊び方
(ここには3種類の遊び方が解説されています。カルテットゲームもきっと同じでしょう。)

蝶の翅2022年06月13日 19時25分42秒

今回家を片付けて、これまで目に触れなかったものが、いろいろ表に出てきました。
例えば、三角紙に入った蝶の標本。


これは完全な虫体ではなしに、翅のみがこうして包んであります。長いこと仕舞いっぱなしだったわりに、虫損もなく、きれいなまま残っていたのは幸いでした。

(クロムメッキのケースも、今回引き出しの奥から発見。本来は医療用だと思いますが、密閉性が高いので、改めて標本ケースに転用)

種類も、産地も、系統立ったものは何もないし、翅も破れているものが多いので、標本としての価値はほとんどないと思います。でも、これは特にそういうものをお願いして、知り合いの知り合いの方から譲っていただいたのでした。

なぜかといえば、それは鱗粉を顕微鏡観察するためです。
別に研究的意味合いはなくて、あたかもカレイドスコープを覗き込むように、単に好事な趣味としてそうしたかったのです。


鱗粉の名の通り、鱗状の構造物が視界を埋め尽くし、不思議なタイル画を描いているのも面白いし、モルフォ蝶などはステージが回転するにつれて、黒一色の「タイル」が徐々に鮮やかなエメラルドに、さらに一瞬淡いオレンジを呈してから輝くブルーに変わる様は、さすがに美しいものです。

(下半分はピンボケ)

でも、忌憚のないところを言えば、私の場合、鱗粉の美しさを愛でるというよりも、まさに鱗粉を顕微鏡で眺めるという行為に酔いしれているところがあって、この辺は子どもの頃から進歩がないなと思います。


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私の人生の蝋燭もだんだん短くなってきましたが、夏の思い出はまた格別で、ふとした瞬間に、あの日あの場所で見た陽の光、木の葉の香り、友達の声を思い出します。

今年も理科室のノスタルジアの扉が開く季節がやってきました。

あの日、鉛筆は青いノートに虫たちの生を記録した2021年08月27日 06時27分54秒

夏休みももう終わりです。
でも、今年は夏休みが終わるのか終わらないのか、混乱している現場も多いと聞きます。夏休みが伸びて嬉しい…と、子どもたちが心底思えるならまだしもですが、やっぱりそこには不安な影が差していることでしょう。

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そういえば今年の夏休みが始まるころ、1通のメールが届きました。
古書検索サイトの「探求書リスト」に登録してあった本が見つかったという知らせでした。リストに登録したのはもう何年も前なので、一瞬キョトンとしました。

実のところ、本自体の記憶も曖昧です。しかし、小学校の図書室で繰り返し読み、それを繰り返し読んだ時の「気分」だけは、ずっと後まで残っていました。その気分をもう一度味わいたくて、一生懸命探した努力がようやく実ったのです。

それは『昆虫の野外観察』という本です。


■杉山恵一(著)
 昆虫の野外観察 (カラー版観察と実験14)
 岩崎書店、1974


内容は身近な昆虫の生態を、小学生向けにやさしく解説した本で、格別特色のあるものではありません。「では、昔の自分はなぜこの本に夢中になったのか?」と考えながらページをめくっていたら、その理由が分かりました。


それは本の最後に「野外観察のしかた」という章があって、さらに「観察記録の実例」というのが載っていたからです。子ども時代の私がくり返し読んだのは、この「観察記録の実例」でした。以下はその一例です。


「1963年4月23日 晴
 東京都町田市
 道路わきの電柱にキイロアシナガバチがとりついて、その表面からセンイをけずりとっているのを見た。頭を上にしてとまり、6本の足をふんばり、少しずつ下にさがりながら、口でセンイをけずりとっている。ときおり口をはなし、前足を口のあたりにもってゆく。センイを丸めているらしい。5分間ほどで仁丹粒ほどのかたまりをつくって飛びたった。電柱の表面には、ナメクジが通ったようなかじりあとがついていた。そのほかの箇所にも何本もこのようなあとがあるところから、この電柱にはかなり多くのハチが、巣の材料をとりにきたことがわかる。」

おそらく、著者の杉山氏自身の実見であろう、こういう観察記録がそこにはたくさん載っていました。もちろんそれまでも昆虫の生活をじっと覗き見ることはありましたが、それを客観的な記録にとどめるということが、当時の私には非常に科学的な営みに感じられたのです。単なる「虫捕り」で終わらずに、小さな昆虫学者たらんとするならば、こうした活動こそやらねば!…みたいな気分だったのでしょう。「ファーブル昆虫記は、ファーブル先生でなくても書けるぞ!」という心の弾みもあったかもしれません。

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当時、リング綴じの小さな青いノートを野帳としてポケットに入れていたのを覚えています。そこには杉山氏の文章をまねて、いくつかの観察記録が書かれていました。でも、ここが私の限界で、鈍(どん)な私はそこからさらに鋭い観察眼をはぐくむことなく、この観察ブームは一時のことで終わったのでした。

それでも一時のこととはいえ、身近な自然観察を真剣にやったのはとても良いことでした。今もその真剣さを懐かしく思うからこそ、何十年も経ってからこの本を探したのだと思います。

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これは私個人のちっぽけな経験に過ぎませんが、こういう小さな経験が人生において決定的に重要であったりします。似たような思い出のある方ならば、おそらく頷いて下さるのではないでしょうか。

鉱物趣味のアイコンとは2021年03月24日 06時54分34秒

河の流れは常に一方向ですが、仔細に見れば早瀬もあり、淀みもあり、中には渦を巻いて、全体の流れとは逆行する動きも生じます。
常に動き行く世界の片隅で、生活の糧を得るために今も呻吟していますが、河が全体としてどちらに向かって流れているのか、それを見失わないようにしたいものです。

…とひとりごちたところで、暢気な話のつづきです。

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「昆虫好きな人」といっても実態は多様でしょう。
でも、依然として最もポピュラーなのは、「昆虫採集趣味の人」じゃないでしょうか。つまり、自ら野山で網を振るって、せっせと標本をこしらえる人。最近だと、捕虫網をカメラに持ち替えて、昆虫写真のコレクションに励む人も多いかもしれません。その場合も、虫たちの住む場所まで出かけて、その場の空気を肌で感じながら…という点は同じです。要するに「現場派」ですね。

昆虫標本のコレクションを形成するには、自分で採集する以外に、よその土地の同趣味の人と標本を交換したり、専門の業者から購入することも実際多いのでしょうが、依然として「捕虫網と毒びんと三角紙が昆虫趣味のアイコンだ」というのが、当事者を含む多くの人の共通理解じゃないでしょうか。

   ★、

そんなことを持ち出したのは、鉱物趣味の立ち位置を考えたかったからです。

鉱物趣味の場合も、過去のある時期、たぶん昭和の頃までは、「自採」という活動が非常に大きなウェイトを占めていたと思います。しかし、現在、「趣味は鉱物集めです」と聞いて、リュックをしょって山に分け入る姿をイメージすることは、ほとんどありません。

もちろん、自由に動き回る昆虫と、地面にひっついている岩石や鉱物とでは、採集にあたってのハードルが異なる(=地上権や採石権が発生して、ややこしい)ので、ひとくくりにはできませんし、辺境の地に産する珍奇で美しい鉱物を入手しようと思ったら、業者からの購入に頼らざるを得ないのは当然です(後者の点は昆虫趣味も同じです)。

しかし、金銭と引き換えに手に入れた美しい鉱物を眺めながら、その産地のことを全く考えないとしたら、それはいささか寂しいことです。

そこに広がっているであろう景色、風の音、土の匂い、遠い山並みの稜線、そして鉱物の生態環境たる地質条件。そうしたものを思い浮かべつつ鉱物を手にしてこそ、大地(geo)の学問たる地質学(geology)の愛好者と称するに足るのではないか…と、地質学のことを何も知らない私が力説してもしょうがないんですが、そんなことを思います。(もっと言ってしまうと、新派の鉱物好きの人の視線が、宝石箱を覗く貴婦人のようになっているのが気になっています。)

   ★

上のような印象は、以前も文字にしました。

■「鉱石倶楽部」の会員章(後編)

その中で書いたように、昆虫趣味のアイコンが「捕虫網、毒びん、三角紙」ならば、「ハンマー、つるはし、スコップ」が、旧来の鉱物趣味の三種の神器。鉱物趣味に憧れる者として、私も象徴的にその神器を手にすることにしました。


ひとつはアメリカ生まれで、


もうひとつはオーストリア生まれです。


かつて正真のミネラロジストが手にし、あまたの岩肌に触れたであろう、古い鉱物採集用のハンマーとつるはし。自分がこれらを手にして山に行く可能性はゼロだし、全く意味のない買い物とえばそうなのですが、それを鉱物標本の傍らに置けば、石たちの声がより明瞭に聞こえてくるような気がします。

ヴィクトリア時代のプレパラート標本(その2)2021年03月02日 18時22分26秒

(前回のつづき)


トレイが12段、各段6枚ずつ、全部で72枚のプレパラート標本がここには収納されています。


箱に貼られたラベルにはロンドンの「Millkin & Lawley」社のラベルがあり、さっそく前回の記事でリンクしたアンティーク・プレパラートのページを見ると、ここは1820年の創業で、1854年以降に「Millkin & Lawley」名義になった…とあります(個人商店だと、代替わりや合併に伴って、社名が変わることはよくありました)。店をたたんだ時期は書かれていませんが、別のネット情報によると、1930年代まで存続したそうです。

ただし、中身の標本もすべて同社の製作かというと、各標本に貼られたラベルに見られるメーカー名は様々で、おそらく外箱だけが同社の製品で、中身の方は購入者が自前で揃えたのでしょう。(セットにはメーカー名のない、元の所有者の自製と思われる標本も多く含まれます。)


ここに含まれる標本は実に多様です。
でも、そもそもこんな風にすっきりと標本を整理できるようになったのは、スライドグラスの規格が統一されたおかげで、それは1840年に、ロンドン顕微鏡学会(現・王立顕微鏡学会)が創設されたことが機縁となっています。そして、このとき決まった3×1インチ(75×25ミリ)という規格が、今でも世界中で使われているのだ…と、前々回に引用したターナーの本には書かれていました。

(アンティーク・プレパラート標本のいろいろ。下に並ぶのは規格化後、その上は規格化前のもの。L’E Turner 前掲書より。)

さて、上で“多様”と書きましたが、元の持ち主の興味・関心を反映して、この標本セットには、ある明瞭な特徴があります。それは蟲類(昆虫やクモ等)の標本が大半を占めることで、元々私も昆虫好きな子供だったので、これはちょっと嬉しかったです。


12枚ある各トレイは、それぞれ内容の類似したものでまとめられていますが、トレイ数で大雑把にいうと、蟲類が8、珪藻類が2、その他もろもろの動植物が2…という構成。

(左・イトトンボの一種、中央・ハサミムシの一種)

そして、その標本づくりの方法がこれまた多様で、上の写真のように虫体を丸ごと薄く熨(の)してプレパラートにしたものもあれば、

(右・ミツバチの口器)

こんな風に、虫体を解剖して部分的に標本化したものもあります。

(中央・ゾウムシの一種)

中には、厚みのある空間に、虫体をそのまま封じ込めた標本もあって、こうなるとプレパラート標本というよりも、普通の昆虫標本に近いですが、なかなか面白い工夫です。

   ★

こんな風に見ていくと際限がありませんが、最後に「その他もろもろ」のトレイで見つけた素敵な標本を載せておきます。


木材やユリの茎の切片に挟まれて、美しく輝く「何か」。


その正体は、ハチドリの羽の輝きを封じ込めたプレパラートです。

科学の目…科学写真帳(中編)2020年12月17日 06時56分42秒

(昨日のつづき)

こんな写真集を見つけました。


■Franklyn M. Branley(編)
 『Scientists' Choice: A Portfolio of Photographs in Science.』
 Basic Books(NY)、1958

編者のブランリーは、ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムに在籍した人です。
表題は『科学者が選んだこの1枚』といったニュアンスでしょう。各分野の専門家が選んだ「この1枚」を全部で12枚、それをバラの状態でポートフォリオにはさみ込んだ写真集です。さらに付録として、『Using Your Camera in Science(手持ちのカメラで科学写真を撮ろう)』という冊子が付属します。


裏面の解説を読んでみます。

 「ここに収めた写真は、その1枚1枚が芸術と科学の比類なき組み合わせである。いずれも、一流の科学者が自分の専門分野の何千枚という写真の中からお気に入りの1枚を選んだものばかりだからだ。電子やウイルスから、飛行機翼や星雲に至るまで、幅広いテーマを扱ったこれら一連の写真は、多様な科学の最前線、すなわち風洞、電子顕微鏡、パロマー望遠鏡、検査室等々におけるカメラの活躍ぶりを示している。どの写真も、科学者であれ素人であれ、それを見る者すべてに、自然と物質のふるまいに関する新しい洞察をもたらし、その美しさの新たな味わい方を教えてくれる。」


1950年代に出た科学写真を見ていると、当時の科学の匂いが鼻をうちます。


表紙を飾った酸化亜鉛の電子回折像
酸化亜鉛の結晶を電子ビームが通過するとき、電子が「粒子」ではなく「波」として振る舞うことで、その向こうの写真乾板に干渉縞が生じ、ここではそれが同心円模様として現れています(形がゆがんでいるのは、電子線が途中で磁石の力で曲げられているためです)。奇妙な量子力学的世界が、写真という身近な存在を通して、その正当性をあらわに主張している…というところに、大きなインパクトがあったのでしょう。


美しい放射相称の光の矢。
これも回折像写真で、氷の単結晶のX線像です。(撮像もさることながら、単結晶の氷を作るのが大変な苦労だったと…と解説にはあります。)


科学写真が扱うのは、硬質な物理学の世界にとどまりません。こちらはショウジョウバエの染色体写真。2000倍に拡大した像です。
本書の刊行は1958年ですが、当時すでに染色体の特定の部位に、特定の形質(翅の形、目の色・大きさ等)の遺伝情報が載っていることは分かっていました。そして1953年には、あのワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見があり、生命の秘密の扉が、分子生物学の発展によって、大きくこじ開けられた時代です。

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ときに、「当時の科学の匂い」と無造作に書きましたが、それは一体どんな匂いなのでしょう?個人的には「理科室の匂い」です。薬品の匂いと、標本の匂いと、暗幕の匂いが混ざった不思議な匂い。

でも、それだけではありません。そこには「威信の匂い」や「偉さの匂い」も同時に濃く漂っています。この“科学の偉さ”という話題は、おそらく「科学の社会学」で取り扱われるべきテーマでしょうけれど、何にせよ当時の科学(と科学者)は、今よりも格段に偉い存在でした。本当に偉いかどうかはともかく、少なくとも世間は偉いと信じていた…という点が重要です。

「偉い」というと、何だかふんぞり返ったイメージですが、むしろ光り輝いていたというか、憧れを誘う存在でした。その憧れこそ、多くの理科少年を生む誘因となったので、当時の少年がこの写真集を手にすると、一種の「望郷の念」を覚えると思います。いわば魂の故郷ですね。そう、これはある種の人にとって、「懐かしいふるさとの写真集」なのでした(…と思っていただける方がいれば、その方は同志です)。

(この項つづく)

蝉の世、人の世2019年08月31日 08時35分50秒

俳句の季語でいう八月尽(はちがつじん)、今日で8月も終わりです。

今年の夏も猛暑続きでしたが、個人的に気になったのは、「今夏はツクツクボウシが聞かれない」という事実。いつもだと、甲子園の決勝が終わる頃から、その盛りになって、晩夏を惜しむ気持ちが募るのですが、今年は今に至るまで至極まばらです。

これは「13年ゼミ」みたいに、ツクツクボウシの発生にも周期性があって、当たり年とそうでない年があるせいかな…と、思ったのですが、下のページを拝見すると、ツクツクボウシの幼虫期間は1~2年と短く、そもそも日本に周期ゼミはいないそうなので、上の考えは当たっていません。ひょっとして、ツクツクボウシの生息数そのものが減っているのかもしれず、これは来年もよく観察せねばなりません。

■村山壮吾氏「蝉雑記帳」:3と4の偶然(「素数ゼミへの反論」)

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さて、陋屋の改修が来週から本格的に始まります。

もちろん意図しての断捨離はしないんですが、この機会に多少物を減らすことを迫られています。そういう目で見ると、たとえば蒐集の初期に手に入れたモノたちは、今の目で見ると選択の基準が甘いので、彼らがまず「首切り」の候補に挙がってきます。でも、彼らこそ草創期から私の周囲を彩ってくれたモノたちであり、付き合いも長いので、そうバッサリ切ることもためらわれます。まあ、「糟糠の妻」みたいなものですね。

そんなこんなで、他人から見ればどうでもよいことに心を悩ませつつ、今年の秋を迎えます。

 法師蝉 不語禅定の 八月尽  玉青


ハンミョウの教え2018年02月19日 20時14分15秒

ほぼ半月ごとにやってくる「二十四節気」。
節分後の立春に続いて、今日は「雨水(うすい)」。このあとは「啓蟄」、「春分」…と続きます。そう聞けば、春寒のうちにも真の春が近づいたことを知ります。

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ふと思いついて、今日は昆虫の話題です。



ハンミョウは、「キキンデラ・ヤポニカ」の学名どおり、日本の固有種で、ハンミョウ科の中では日本最大の種でもあります。「ハンミョウ」という語は、ハンミョウ類の総称としても使われるので、特にこの種を指すときは、「ナミハンミョウ」という言い方もします(「アゲハ」と「ナミアゲハ」の関係と同じです)。


生きているときは、妖しいほどに美しい甲虫ですが、死後はすみやかに色が褪せてしまいます。この標本も、これだけ見ると美麗な感じですが、宝石のような生体とは比ぶべくもありません。何となく「落魄(らくはく)」という言葉を思い浮かべます。

(ウィキペディアより)

ハンミョウの美しい色彩は、命の輝きそのものです。
そして、ハンミョウのような目に見える華麗さはないにしろ、人間だって、他の生物だって、生きている限りはこんな輝きを放っているに違いないと思うのです。

ここで私の心には、さらに二つの思いが去来します。
「どんなに立派な輝きを放っても、死んでしまえば終わりじゃないか」という思いと、「だからこそ、その輝きが大切なんだよ」という思い。もちろん、どちらが本当で、どちらが嘘ということはなくて、いずれも真実です。

個人的な実感を述べると、人生が長く感じられた若い頃には、前者の思いが強く、余生が乏しくなった現在は、後者の思いに、よりリアリティを感じます(若い頃は、何となく後者を建前のように感じていました)。身近な人のことを考えるとき、一層その思いは強く、今を精いっぱい輝いて欲しいと願うばかりです。

ハンミョウの命の輝きを奪った当の本人に、果たしてこんな述懐が許されるのか、疑問なしとしません。でも、死せるハンミョウは、蓮如上人の「白骨の御文」よりも、腐朽する屍に生の無常を観ずる「九相図」よりも、さらに鮮やかに生と死の意味合いを、私に告げてくれている気がします。

甲府余談…胡蝶の教え2017年09月22日 07時11分53秒

年々歳々花は相似たり
歳々年々人同じからず

人間社会の移ろい易さと、自然の不変性――。
この詩句は古来多くの人の共感を誘ったことでしょう。
私も齢を重ねるにつれて、そうした思いに頻々と捉われるようになりました。

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先日、甲府の武田神社で一服していたら、すぐ近くの地面に一匹の蝶が舞い降りて、吸水行動を始めました。それを見て「ん?」と、軽い違和感を覚えました。


「アゲハ?…じゃないよね…あれはいったい?」
不審の念に駆られて、パシャッとやったのが上の写真。

帰宅後にネットを見たら、その正体はすぐに知れました。
すなわち、アカボシゴマダラ

日本には、もともと奄美周辺のみにいたのですが、2000年前後に大陸産の別亜種が流入し(人為的放蝶が原因と推定されています)、現在、関東を中心に分布を拡大中の由。

私の昆虫知識はほぼ40年前で止まっていますから、その姿に違和感を覚えたのは当然で、むしろ「お前さん、まだまだオツムはしっかりしてるじゃないか」と、妙な自信を感じたぐらいです。

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身近な日本の自然も、私が子供の頃に親しんだそれとは、既に異なるものとなっていることを、一匹の蝶に教えられました。そして、人為と自然は切り離せないし、自然は不変でもないことを痛感させられます。

さらに、こんなふうに「見慣れぬものの出現」は気づきやすいですが、本当は「見慣れたものがいつの間にか消えている」ことの方が、ずっと多いんだろうなあ…ということも思いました。ヒトの認識は、容易にそれに気づかないようにできているようです。

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歳々年々人同じからず
年々歳々花もまた同じからず

ちょっと寂しい気もするし、少なからず不安も覚えますが、それが真実ならば受け止めるしかありません。それに、仮にヒトがいなくたって、自然の変化はやむことがないし、生物たちはそれぞれ進化の歩みを続けることでしょう。