天候早見盤2021年11月23日 11時29分36秒

前回のポケット・プラネタリウムの色使いから連想した品。


■Raymond M. Sager(監修)
 Guest Weathercaster
 Dial Press(New York)、第4版1961(初版1942)、25p.

これは星座早見盤ならぬ「天候早見盤」です。
題名は「客員気象予報士」といった意味でしょうか。一瞬、キワモノ商品かと思いましたが、初版が1942年に出た後、少なくとも20年近く版を重ねているので、結構まじめに作られ、まじめに受容された品のようです。監修者のレイモンド・セイガーは、1937年から「ニューヨーク・デイリーニューズ」紙で天気予報を担当していた人の由。

(裏表紙を飾るのは、アメリカの気象警報信号旗の一部)

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「早見盤」は4層構造の円盤から構成されています。


これを外側から順に合わせることで、天候が予測できるというので、早速占ってみたいと思います。アメリカと日本では、気象条件がずいぶん違う気はしますが、表紙に「北緯25度以上用」とあるので、その言葉を信用しましょう。材料とするのは、本日午前6時の名古屋の気象データです(日本気象協会のページを参照)

(1)まず一番大きな「風向ダイヤル(WIND DIAL)」から合わせます。


名古屋の風は西北西。ダイヤルは8方位表示なので、とりあえず「WEST」に合わせてみます。さらに副目盛りとして、「BACKING-STEADY-VEERING」というのがあって、「steady」は一定方向の風が続いている状態、「veering/backing」は、過去数時間で風向きが「時計回り/反時計回り」に変化した状態を指します。名古屋では過去6時間で北西から西北西に風向が変化したので、「BACKING」を選んでみます。

(2)次は「気圧ダイヤル(BAROMETER DIAL)」です。
数値はアメリカ式に「水銀柱インチ(inHg)」で表示されています。1水銀柱インチ=33.86ヘクトパスカル(hPa)に相当します。名古屋の気圧は1002.7hPa=29.61inHg なので、「29.5 TO 29.7」の目盛に合わせます。

(3)次は「気圧変化ダイヤル(BAROMETER CHANGE DIAL)」です。
6時間前と比べて気圧が上昇しているか下降しているか、それを下図を手がかりに、気圧の日内変動も考慮して判別し、目盛を合わせます。

(赤線が通常の気圧の日内変動)

昨日24時の名古屋の気圧は、1001.1hPa=29.57inHgだったので、「RISING SLOWLY」を選びます。

(4)最後は「現在の天気ダイヤル(PRESENT WEATHER DIAL)」です。
名古屋は良く晴れているので、「CLEAR」に合わせます。

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(再掲)

こうして4つのダイヤルを合わせると、▼マークのところに「T521」というコードが読み取れます。このコード番号を、巻末のコード表を使って「天候予測キー(Weather Prediction Key)」に変換します。(「早見盤」と言いながら、あんまり「早見」になってない気がしますが、何しろ本品は科学的正確さを売り物にしているので、そこは我慢です。)


最終的に得られた予測は「CF7」

●最初のアルファベットは晴雨予想で、「C」は「Fair and cooler(晴れて寒い)」を意味します(coolerやwarmerというのは平年との比較においてです)。
●次いで2番目のアルファベットは、今後12ないし24時間の間に予想される風速で、「F」は「Fresh(やや強い風)」の意味。風速でいうと時速19~24マイル、すなわち秒速8.6~11mで、日本の天気予報だと「静穏」から「やや強い風」に相当します。
●そして3番目の数字は、今後12時間の風向予測で、「7」は「West or Northwest winds(西または北西の風)」を意味します。

(天候予測キー解説一覧)

日本気象会による12時間後予測、すなわち午後6時の天候は、「晴れ、気温10度、西北西の風4m」です。また、この間の最高気温は13度、風向は「北西ないし西北西」、風速は「3mないし5m」となっています。風速を除けば、全体としてこれは結構当たってるかもしれませんね。

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自前の観測設備がない限り、これを使うには気象サイトを参照せざるを得ず、そこには天気予報も当然載っていますから、この早見盤の出番は結局ないことになります。でも、実際にこれをくるくる回してみると、天候を予測するには、現在の気圧や風向だけでなく、直近6時間の変化が重要なパラメーターであることも分かって、にわか気象予報士の気分を味わえます。

「ハリー・ポッターと魔法の歴史」展によせて(5)…薬草学(下)2021年09月24日 17時53分17秒

書いていてちょっと疲れてきました。
思うに、ハリー・ポッター展にかこつけて手元の品を紹介しても、それで何か新しい事実が明らかになるわけでもないし、ポッター展の見方が深まるわけでもないので、そろそろ羊頭狗肉的な記事は終わりにしなければなりません。

ただ、ポッター展に触発されて、身辺に堆積したモノを眺めるとき、「はるけくも来たものかな…」と、個人的には感慨深いものがあります。(そして本の虫干しもできたわけです。)

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感慨といえば、「薬草学」の章の冒頭に登場した、ニコラス・カルペパー『英語で書かれた療法と薬草大全(English Physician and Complete Herbal)』、あれも個人的には思い出深い本です。手元の一冊は、7年前の冬にペンシルバニアの古書店から購入したものですが、その店主氏の困苦を思いやって以下の記事を書いたのでした。

何とてかかる憂き目をば見るべき

彼は今どうしているのだろう…と思って、(余計なお世話かもしれませんが)検索したら、お店は無事に存続しているようで、大いにホッとしました。良かったです。

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虫干しついでに、本の中身も見ておきます。
手元にある本は第1巻の標題ページが欠けており、正確な刊年は不明ですが、1794年ごろの版のようです。

(第1巻といっしょに綴じられた第2巻の標題ページ)


内容は上のような解説編と、さらに図版編からなり、解説編の方はイギリス国内向けに、植物名がラテン語ではなく、すべて平易な英語名になっているのが特徴です。その名称も「犬の舌」とか「聖ヨハネの麦芽汁」とか、いかにも民俗的な面白さがあります。和名を当てれば、それぞれ「オオルリソウ」と「セイヨウオトギリソウ」で、特に後者は非常にポピュラーな薬草です。



図版編の方は、上のような小さな植物図を収めたプレートが全部で29枚含まれていて、なかなか見ごたえがあります。


さらにその後ろに、朱刷りで解剖学の知識を伝える図が全11枚つづきます。


この本は、いわば当時の『家庭の医学』であり、18世紀の一般人の医学知識がどんなものだったかを知る意味でも、興味深いものがあります。


そして最後の1枚は、12星座と身体各部の対応関係を示す、古風な「獣帯人間」の図。19世紀を前にしても、まだまだミスティックな疾病観は健在で、本書がハリー・ポッター展に登場する資格は十分にあります。

そういえば、著者のカルペパーは薬剤師免許を持たなかったので、ロンドンの医師会と衝突し、1642年に魔術を使った廉で裁判にかけられた…というエピソードが、展覧会の図録に書かれていました。(結局無罪になったそうです。)

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以下、補足のメモ。昨日の文章に、「ヨハン・シェーンスペルガー(Johann Schönsperger the Elder、1455頃-1521) が手がけた、『健康の庭(Gart der Gesundheit)』」という本が出てきました。記事を書いてから気づきましたが、ハリー・ポッター展では、この本は「魔法薬学」のコーナーに登場しています。

(チラシより)

ただし、チラシにはヤコブ・マイデンバッハという名前が挙がっており、また図録には『Hortus Sanitatis』というタイトル――同じく「健康の庭」という意味のラテン語です――が記されています。

書誌がややこしいですが、シェーンスペルガー(別名 ハンス・シェーンスバーガー)は、1485年に出たアウグスブルク版(ドイツ語版)の版元であり、マイデンバッハは、1491年に出たマインツ版(ラテン語版)の版元です。

そして、この二つの『健康の庭』は内容がちょっと違っていて、ラテン語版はドイツ語版をタネ本にしつつも、そこに動物や鉱物由来の薬物を大幅に増補したものです(ドイツ語版は薬草専門)。まあ著作権のない時代ですから、そういう図太いパクリ本も横行したのでしょう。

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まだまだ関連して触れたい本はありますが、冒頭で書いたように、強いてハリー・ポッター展と絡める必然性は薄いので、それらは折を見て、また単品で扱いたいと思います。(錬金術や、魔法生物の話題もちょっと手が回りかねるので、今回は割愛します。例によって例のごとく竜頭蛇尾也。)

(この項おわり)

「ハリー・ポッターと魔法の歴史」展によせて(4)…薬草学(中)2021年09月23日 12時13分34秒



昔の本草書の破片たち。破片だけでは、ものの役に立ちませんが、当時の雰囲気を味わうにはこれで十分です。ちょっとしたホグワーツ気分ですね。そしてまた時代を追って見ていくと、学問や印刷技術の進歩が見て取れて、なかなか興味深いです。


これが昨日いった「インキュナブラ」の例で、1485年にヨハン・ペトリ(Johan Petri、1441-1511)が出版した『Herbarius Pataviae』(「パドヴァ本草」と訳すのか)の残欠。

いかにも古拙な絵です。この挿絵で対象を同定するのは困難でしょう。
キャプションには、ラテン名は Fraxinus、ドイツ名は Espenbaum とあります。でも前者なら「トネリコ」(モクセイ科)だし、後者の espen は aspen の異綴で、「ヤマナラシ、ポプラ」(ヤナギ科)の由。確かに葉っぱはポプラっぽいですが、トネリコにしろポプラにしろ、背丈のある樹木ですから、こんなひょろっとした草の姿に描かれるのは変です。下の説明文を読めば、その正体が明らかになるかもしれませんが、この亀甲文字で書かれたラテン語を相手に格闘するのは大変なので、これは宿題とします。

ちなみに、この1485年版の完本(ただし図版1枚欠)が、2014年のオークションに出た際の評価額は、19,200~24,000ユーロ、現在のレートだと約250~300万円です(結局落札されませんでした)。もちろん安くはないですが、同時代のグーテンベルク聖書が何億円だという話に比べれば、やっぱり安いは安いです。そして150枚の図版を含んだ本書が、1枚単位で切り売りされたら、リーズナブルな価格帯に落ち着くのも道理です。


こちらも1486年に出たインキュナブラ。ヨハン・シェーンスペルガー(Johann Schönsperger the Elder、1455頃-1521) が出版した、『健康の庭(Gart der Gesundheit)』の一部で、描かれているのはベリー類のようですが、内容未確認。

この風情はなかなかいいですね。中世とまでは言えないにしろ、中世趣味に訴えかけるものがあります。「いい歳をして中二病か」と言われそうですが、ここはあえて笑って受け止めたいです。

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これが100年経って、16世紀も終わり近くになると、植物の表現もより細かく正確になってきます。


アダム・ロニチェル(Adam Lonicer、1528-1586)が著した『草本誌(Kräuterbuch)』の1582年版より。これなら種の同定もできそうです。

(同書の別のページ。本書は6葉セットで買いました)

また図版の配置も整い、本の表情がいかにも「植物図鑑」ぽいです。植物図譜にも近代がやってきた感じです。


上はフォリオサイズの大判図譜の一部。イタリアのマッチョーリ(Pietro Andrea Mattioli、1501-1577頃)による、『Medici Senensis Commentarii』(これまたよく分かりませんが、「シエナ医学注解」とでも訳すんでしょうか)の1572年版(仏語版)より。

ここには植物(※)を慕う虫たちの姿が描かれていて、生態学的視点も入ってきているようです。後の植物図譜にも、虫たちを描き添える例があるので、その先蹤かもしれません。

(※)左側は「Le Cabaret」、右側は「Asarina」とあります。
キャバレーは、今のフランス語だとパブやナイトクラブの意らしいですが、植物名としては不明。見た目はナスタチウム(金蓮花)に似ています。アサリナは金魚草に似た水色の花をつける蔓植物とのことですが、これもあまりそれっぽく見えません。あるいはカンアオイ(Asarum)の仲間かもしれません。

(珍奇な植物がどんどん入ってきた時代を象徴するサボテン)

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ハリー・ポッター展から離れてしまいましたが、会場に並んでいるのも、要は“こういう雰囲気”のものです。会場に行けない憂さを、こうして部屋の中で晴らすのは、慎ましくもあり、人畜無害でもあり、休日の過ごし方としてそう悪くはないと信じます。

(さらに「下」につづく)

あの日、鉛筆は青いノートに虫たちの生を記録した2021年08月27日 06時27分54秒

夏休みももう終わりです。
でも、今年は夏休みが終わるのか終わらないのか、混乱している現場も多いと聞きます。夏休みが伸びて嬉しい…と、子どもたちが心底思えるならまだしもですが、やっぱりそこには不安な影が差していることでしょう。

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そういえば今年の夏休みが始まるころ、1通のメールが届きました。
古書検索サイトの「探求書リスト」に登録してあった本が見つかったという知らせでした。リストに登録したのはもう何年も前なので、一瞬キョトンとしました。

実のところ、本自体の記憶も曖昧です。しかし、小学校の図書室で繰り返し読み、それを繰り返し読んだ時の「気分」だけは、ずっと後まで残っていました。その気分をもう一度味わいたくて、一生懸命探した努力がようやく実ったのです。

それは『昆虫の野外観察』という本です。


■杉山恵一(著)
 昆虫の野外観察 (カラー版観察と実験14)
 岩崎書店、1974


内容は身近な昆虫の生態を、小学生向けにやさしく解説した本で、格別特色のあるものではありません。「では、昔の自分はなぜこの本に夢中になったのか?」と考えながらページをめくっていたら、その理由が分かりました。


それは本の最後に「野外観察のしかた」という章があって、さらに「観察記録の実例」というのが載っていたからです。子ども時代の私がくり返し読んだのは、この「観察記録の実例」でした。以下はその一例です。


「1963年4月23日 晴
 東京都町田市
 道路わきの電柱にキイロアシナガバチがとりついて、その表面からセンイをけずりとっているのを見た。頭を上にしてとまり、6本の足をふんばり、少しずつ下にさがりながら、口でセンイをけずりとっている。ときおり口をはなし、前足を口のあたりにもってゆく。センイを丸めているらしい。5分間ほどで仁丹粒ほどのかたまりをつくって飛びたった。電柱の表面には、ナメクジが通ったようなかじりあとがついていた。そのほかの箇所にも何本もこのようなあとがあるところから、この電柱にはかなり多くのハチが、巣の材料をとりにきたことがわかる。」

おそらく、著者の杉山氏自身の実見であろう、こういう観察記録がそこにはたくさん載っていました。もちろんそれまでも昆虫の生活をじっと覗き見ることはありましたが、それを客観的な記録にとどめるということが、当時の私には非常に科学的な営みに感じられたのです。単なる「虫捕り」で終わらずに、小さな昆虫学者たらんとするならば、こうした活動こそやらねば!…みたいな気分だったのでしょう。「ファーブル昆虫記は、ファーブル先生でなくても書けるぞ!」という心の弾みもあったかもしれません。

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当時、リング綴じの小さな青いノートを野帳としてポケットに入れていたのを覚えています。そこには杉山氏の文章をまねて、いくつかの観察記録が書かれていました。でも、ここが私の限界で、鈍(どん)な私はそこからさらに鋭い観察眼をはぐくむことなく、この観察ブームは一時のことで終わったのでした。

それでも一時のこととはいえ、身近な自然観察を真剣にやったのはとても良いことでした。今もその真剣さを懐かしく思うからこそ、何十年も経ってからこの本を探したのだと思います。

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これは私個人のちっぽけな経験に過ぎませんが、こういう小さな経験が人生において決定的に重要であったりします。似たような思い出のある方ならば、おそらく頷いて下さるのではないでしょうか。

望遠鏡と顕微鏡2021年03月04日 22時32分14秒

昨日の記事には、下の写真を添えると良かったかなと、後から思いました。


R.A. Proctorの『Half Hours with the Telescope』(1902)と、Edwin Lankesterの『Half Hours with the Microscope』(1898)。日本の新書版とほぼ同じサイズの、ごく小ぶりの本です。もちろん専門書ではないし、特にマニア向けの本でもありません。タイトルから分かるとおり、ひと時とは言わず、せめて半時を趣味に充てて楽しもうじゃないかと、一般の読者に呼びかけている本です。

このブックデザインは、当時、望遠鏡趣味と顕微鏡趣味を「好一対」のものと感じる人が、少なからずいたことを物語るようです。博物学が依然として隆盛だった頃ですから、せめてどちらか一方に通じていることが、紳士・淑女のたしなみだ…ぐらいの雰囲気だったかもしれません。

しかし、同じレンズを覗き込むのでも、両者の違いは歴然としていました。


望遠鏡の向こうに広がるのは、どこまでも深い闇と、かそけき光の粒と雲です。
いっぽう顕微鏡の視野を満たすのは、複雑な形象と鮮やかな色彩。

それぞれが世界の秘密を分有するビジョンとして、そこに優劣はないのでしょうが、やっぱり天文趣味は、地味は地味ですね(少なくとも眼視の場合はそうでしょう)。視力よりも想像力が求められる趣味だ…と呼ばれるゆえんです。

100年前の原始世界2021年02月11日 20時39分08秒

これもついでと言えばついでですが、前回の星図と同じ意図のもと作られた、テオドール・ライハルト・ココア社の別シリーズのカードを見てみます。

(巨大な肢骨を手に、感慨にふける古生物学者)

■Kakao-Compagnie Theodor Reichardt(編)
 『Tiere der Urwelt in 30 Kunstblättern nach wissenschaftliche 
 Material bearbeitet.』
 (科学的資料に基づく全30枚の美しい図版で見る原始世界の動物たち)
 刊年なし(1900年頃)、多色石版画 全30枚

これまた上の写真に写っているのはポートフォリオで、この中に30枚の図版カードがはさまっています。


静かにまたたく星座よりも、太古の動物は一層子供たちの心を捉えたのでしょう。
この動物セットは、その後すぐに続集が出ました。

その辺の書誌がいくぶん複雑なのですが、まず手元にあるのは、1900年ごろに出た同シリーズの第1集です。その後、あまり間をおかず、同じポートフォリオ・デザインで第2集が出て、全60枚のセットになりました。

その後、1910年代になってからだと思うのですが、上記60枚に新たに30枚を加えた全90枚を、図版の順序等を入れ替えて、新たに全3集に編集しなおした新シリーズが出ました。こちらはポートフォリオ・デザインが翼竜の表紙絵に変わっています。

(全3集からなる新シリーズ。ネット上で拾った画像です)

   ★

さて、実際の図版をさらに見に行きます。


原始世界の動物…というと、恐竜が思い浮かびますが、その前に新生代の哺乳類もいろいろ登場します。編集の方針としては、あたかも地表から化石を掘り進めるように、新しい時代から古い時代へと、時間をさかのぼるように図版が配列されているようです。


カラフルな多色石版は、目で見て愉しいのですが、100年後の目で見ると、どれも微妙に変な感じがします。


その「変な感じ」の大きな要素は、もちろん化石骨から生体を復元する、学的水準の変化でしょう。ステゴサウルスの姿もその例にもれません。

(犬塚則久(著)『恐竜復元』、岩波書店、1997より)

上の本も、今となってはちょっと古いかもしれませんが、左上のマーシュによる1891年の復元図と、右下の1990年代の復元図とを比べれば、頭部から尻尾まで大きく逆U字を描いた「昔のステゴサウルス」と、頭をぐっと反らし、尻尾もピンと持ち上げた「今風のステゴサウルス」の違いに目を見張ります。この動物シリーズに出てくるステゴサウルスは、もちろん「昔のステゴサウルス」です。(実のところ、私の中のステゴサウルスも、こちらに近いです。)


このイクチオサウルスも、いかにも変です。今だと完全にイルカ化した姿で描かれますが、当時はそこに「恐竜っぽさ」を加味しないと、何だか落ち着かなかったのでしょう。

   ★

ただ、ここに漂う「変な感じ」は、どうもそれだけではなさそうです。
最初は分かりませんでしたが、しばらく考えたら、その理由が分かりました。




そう、動物たちがやたらと同種で、あるいは異種で、戦っているのです。
100年前の人々にとって、原始の世界は「絶えざる闘争の世界」とイメージされており、そこらじゅうで阿鼻叫喚が上がっていた…と考えていた節があります。

そこには現実の帝国主義的な植民地獲得競争と、社会的ダーウィニズムの流行が、当然影を落としているのでしょう。

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それと、もう一つ「変な感じ」の理由を挙げることができます。


岩礁に上がり、沈む夕日をじっと見つめる古生代の甲冑魚。
甲冑魚がこんなふうに陸に上がったのかどうか、そこも不審ですが、それよりも気になるのは、この図に典型的に見られる「不自然な擬人化」です。これまた100年前の博物学には、たっぷりあった成分だと思います。

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原始世界のタイムスケールに比べて、100年という時間はいかにも短いです。
それでも結構な勢いで、原始世界のイメージは上書きされ続けています。それは取りも直さず人間世界の変化の速さの反映でしょう。

ただ、今日の記事は何となく現代の目線で、100年前の世界を指弾する調子で書いていますが、擬人化傾向ひとつとっても、本当に現代は100年前よりも「正しい」対象の捉え方に近づいているのか…というと、何だか心もとないところもあります(だからこそ「新型コロナとの戦い」みたいな言い方が好まれるのでしょう)。

科学の目…科学写真帳(後編)2020年12月20日 08時52分28秒

ミクロの世界ばかりではなく、科学の目はマクロの世界にも向けられます。


上はウィルソン山天文台の100インチ望遠鏡で撮影したオリオン座の馬頭星雲


こちらはパロマー山天文台の200インチ望遠鏡が捉えた「かに星雲」。左は赤外線、右は深紅色の帯域(crimson light)で撮影されました。波長によって対象の見え方が劇的に変わる例です。

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いずれも天文ファンにはおなじみのイメージであり、依然として興味深い天体だとは思いますが、宇宙的スケールでいうと、ずいぶん「ご近所」の天体を選んだものだなあ…という気もします。「天体、遠きがゆえに貴からず」とはいえ、この辺のチョイスは、60年余りの時を隔てた宇宙イメージの変遷を如実に物語ります。

今、もし同様の企画が立てられたら、写真の選択は随分変わるでしょう。
地球周回軌道上の宇宙望遠鏡の登場、補償光学の発展、デジタル撮像と画像処理技術の進歩によって、我々の宇宙イメージは劇的に変わったからです。天界のスペクタクルは一気に増えましたし、宇宙を見通す力は100億光年のさらに先に及び、超銀河団からグレートウォールの構造まで認識するに至りました。

科学の進歩は実に大したものです。
とはいえ、この静謐なモノクロ写真は、最新の科学映像とはまた別の美と味わいを感じさせます。そこに優劣はないのでしょう。

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ついでなので、本書に収められた写真の細部も見ておきます。


この写真集は、写真原版をハーフトーン(網点)で製版しています。


各図版の周辺には印刷時の圧痕がくっきりと見られます。圧をかけたということは凹版印刷を意味し、しかもこれだけ痕が残るのは、相当プレスした証拠です。要は、通常の印刷とは異なる一種の美術印刷なのだと思いますが、背景の黒のマットな仕上がりが美しく、いかにもアートなムードが漂います。

科学の目…科学写真帳(中編)2020年12月17日 06時56分42秒

(昨日のつづき)

こんな写真集を見つけました。


■Franklyn M. Branley(編)
 『Scientists' Choice: A Portfolio of Photographs in Science.』
 Basic Books(NY)、1958

編者のブランリーは、ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムに在籍した人です。
表題は『科学者が選んだこの1枚』といったニュアンスでしょう。各分野の専門家が選んだ「この1枚」を全部で12枚、それをバラの状態でポートフォリオにはさみ込んだ写真集です。さらに付録として、『Using Your Camera in Science(手持ちのカメラで科学写真を撮ろう)』という冊子が付属します。


裏面の解説を読んでみます。

 「ここに収めた写真は、その1枚1枚が芸術と科学の比類なき組み合わせである。いずれも、一流の科学者が自分の専門分野の何千枚という写真の中からお気に入りの1枚を選んだものばかりだからだ。電子やウイルスから、飛行機翼や星雲に至るまで、幅広いテーマを扱ったこれら一連の写真は、多様な科学の最前線、すなわち風洞、電子顕微鏡、パロマー望遠鏡、検査室等々におけるカメラの活躍ぶりを示している。どの写真も、科学者であれ素人であれ、それを見る者すべてに、自然と物質のふるまいに関する新しい洞察をもたらし、その美しさの新たな味わい方を教えてくれる。」


1950年代に出た科学写真を見ていると、当時の科学の匂いが鼻をうちます。


表紙を飾った酸化亜鉛の電子回折像
酸化亜鉛の結晶を電子ビームが通過するとき、電子が「粒子」ではなく「波」として振る舞うことで、その向こうの写真乾板に干渉縞が生じ、ここではそれが同心円模様として現れています(形がゆがんでいるのは、電子線が途中で磁石の力で曲げられているためです)。奇妙な量子力学的世界が、写真という身近な存在を通して、その正当性をあらわに主張している…というところに、大きなインパクトがあったのでしょう。


美しい放射相称の光の矢。
これも回折像写真で、氷の単結晶のX線像です。(撮像もさることながら、単結晶の氷を作るのが大変な苦労だったと…と解説にはあります。)


科学写真が扱うのは、硬質な物理学の世界にとどまりません。こちらはショウジョウバエの染色体写真。2000倍に拡大した像です。
本書の刊行は1958年ですが、当時すでに染色体の特定の部位に、特定の形質(翅の形、目の色・大きさ等)の遺伝情報が載っていることは分かっていました。そして1953年には、あのワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見があり、生命の秘密の扉が、分子生物学の発展によって、大きくこじ開けられた時代です。

   ★

ときに、「当時の科学の匂い」と無造作に書きましたが、それは一体どんな匂いなのでしょう?個人的には「理科室の匂い」です。薬品の匂いと、標本の匂いと、暗幕の匂いが混ざった不思議な匂い。

でも、それだけではありません。そこには「威信の匂い」や「偉さの匂い」も同時に濃く漂っています。この“科学の偉さ”という話題は、おそらく「科学の社会学」で取り扱われるべきテーマでしょうけれど、何にせよ当時の科学(と科学者)は、今よりも格段に偉い存在でした。本当に偉いかどうかはともかく、少なくとも世間は偉いと信じていた…という点が重要です。

「偉い」というと、何だかふんぞり返ったイメージですが、むしろ光り輝いていたというか、憧れを誘う存在でした。その憧れこそ、多くの理科少年を生む誘因となったので、当時の少年がこの写真集を手にすると、一種の「望郷の念」を覚えると思います。いわば魂の故郷ですね。そう、これはある種の人にとって、「懐かしいふるさとの写真集」なのでした(…と思っていただける方がいれば、その方は同志です)。

(この項つづく)

科学の目…科学写真帳(前編)2020年12月16日 18時36分04秒

なかなか寒いですね。昨日は初雪。

年内に雪が降るのは久しぶりな気がします。でも、今調べてみたら、この20年間で12月に初雪が降らなかったのは3回だけで(名古屋の話です)、昨シーズンが2月10日と飛び切り遅かったので、何となく早く感じただけのことです。前回の末尾で「人間の目と心は案外いい加減」と書きましたが、記憶もかなりいい加減ですね。

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昔、NHKの科学番組で「レンズはさぐる」(1972-78)というのがありました。
さまざまな事象を科学的に検証し、それをビジュアルに見せる番組で、子供の頃に見て大層おもしろかった記憶があります。


早野凡平さんが体を張って「雨の降り方が一定なら、走っても歩いても濡れ方は同じだ」と喝破した回などは、今でも知識として大いに役立っています(走れば濡れる時間は短い代わりに、前面から雨を浴びやすくなるためです)。

さらにそれ以前は、「四つの目」(1966-72)という子供番組があって、こちらは記憶が曖昧ですが、狙いは同じものでした。(4つの目とは、「拡大の目、透視の目、時間の目、肉眼の目」で、テーマに応じて、いろいろ撮影の工夫を凝らしていました)。

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この手の番組は、テレビが普及する前からあって、岩波映画製作所が老舗です(1950年設立)。ここは“雪の博士”中谷宇吉郎が中心になって設立された…というのは、さっき知ったんですが、紙媒体の「岩波写真文庫」と並んで、多くの良質の映像作品を生み出し、そのうちの1つである「たのしい科学」というシリーズは、半ば伝説化しています。

(岩波写真文庫7 『雪』、1950)

戦後の一時期、科学映画と呼ばれる一群の作品が確かにありました。
そして、風景写真や人物写真と並んで「科学写真」というジャンルもまたあったのです。これは日本だけのことではありません。

(この項つづく)

夏の日の研究室にて2020年08月15日 11時49分22秒

昨日、よんどころない事情があって――というのは、プリンターのインクカートリッジを取り換える必要があって――机脇の本を移動させました。その過程で、1冊の本が顔を出して、「おっ」と思いました。

(装丁は著者自ら行い、表紙絵も著者)

■中谷宇吉郎(著) 『寺田寅彦の追想』、甲文社、昭和22(1947)

雪の研究で知られる中谷宇吉郎(1900-1962)が、恩師・寺田寅彦(1878-1935)に寄せた随筆を、一書にまとめた文集です。(個々の文章自体は、昭和13年(1938)に出た『冬の華』(岩波書店)をはじめ、既刊の自著からの再録が多いです。)


それをパラパラ読んで、「うーむ、読書というのは良いものだな」と思いました。
名手の文章を読むのは、本当に贅沢な時間です。なんだか心に滋養分がしみこむような感じがします。

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季節柄、「寅彦夏話」というのを読んでみます(初出は昭和12年8月)。


 「先生は夏になると見違へるほど元気になられて、休み中も毎日のやうに実験室へ顔を出された。そしてビーカーに入れた紅茶を汚なさうに飲みながら、二時間くらゐ実験とはとんでもなく懸けはなれた話をしては帰って行かれた。」

‘理科系あるある’で「ビーカーでコーヒーを飲む」というのがありますが、あの風習は、どうも戦前からあるみたいですね。で、そこで出たのが「化物の話」。(〔 〕は引用者)

 「僕〔=寅彦〕も幽霊の居ることだけは認める。然しそれが電磁波の光を出すので眼に見へるとはどうも考へられない。幽霊写真といふやうなものもあるが、幽霊が銀の粒子に作用するやうな電磁波を出すので写真に写るといふ結論にはなかなかならないよ。」

寅彦先生は歯切れがいいですね。

 「海坊主なんていふものも、あれは実際にあるものだよ。よく港口へ来ていくら漕いでも舟が動かなかったといふ話があるが、あれなんかは、上に真水の層があって、その下に濃い鹽水の層があると、その不連続面の所で波が出来る為なんだ。漕いだ時の勢力(エネルギー)が全部、その不連続面で定常波を作ることに費やされてしまふので、舟はちっとも進まないといふやうなことが起るのだ。」

こんなふうに怪異を科学的に解説するところが、理学者らしいわけですが、寅彦の真骨頂は、むしろそうした尤もらしい解説以前に、現象への向き合い方に現れています。

 「人魂なんか化物の中ぢゃ一番普通なものだよ。あれなんかいくらでも説明の出来るものだ。確か、古いPhil. Mag.(物理の専門雑誌)に」

…と、具体的な誌名を挙げて、人魂に関する原論文を読むよう、若き日の中谷博士に勧め、博士はさっそくそれを実行します。

 「読んでみたら、その著者が人魂に遭ったので、ステッキの先をその中に突っ込んで暫くして抜いて、先の金具を握って見たら少し暖かかったとかいふ話なのである。〔…〕要するにそれだけのことで案外つまらなかったと云ったら、大変叱られた。」

寅彦は弟子をこう諭します。

 「それがつまらないと思ふのか、非常に重要な論文ぢゃないか。さういふ咄嗟の間に、ステッキ一本で立派な実験をしてゐるぢゃないか。それに昔から人魂の中へステッキを突っ込んだといふやうな人は一人も居ないぢゃないか。
 先生の胃の為には悪かったかもしれないが、自分にとってはこれは非常に良い教訓であった。自分は急に眼が一つ開いたやうな気がした。」

こんな風に、寅彦は暑中休暇のつれづれに弟子たちと閑談し、目の前の平凡な現象の奥に、いかに重要な論点がひそんでいるか、それを実に面白くてたまらないといった口調で語りつづけ、「時間があれば自分で実験したいのだが…」と、弟子を盛んに焚きつけます。

そこで出た話題は、線香花火の火花の形金平糖の角の生成墨流し(マーブリング)の膠質学的研究…等々で、その論を聞いて中谷博士もまた大いに悟るところがあったのでした。いかにも暢気なようですが、そこには真剣で切り結ぶような真率さもあり、真剣なようでいて、やっぱり暢気さが感じられる。実にうらやましい環境です。

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この本は中谷博士の自筆献辞入りなので、大切にしていたものです。

(献呈先は丁寧に削り取られています。贈られた人が本を売り払うとき、いろいろ斟酌したのでしょう)

しかし、本の山の中に埋もれさせることを、ふつう「大切にしていた」とは言わないので、ここは中谷博士に赦しを乞わなければなりません。


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【閑語】

今年は夏休みが短いので、夏休みの宿題も例年とはずいぶん違うのでしょう。

ともあれ、夏休みの宿題への取り組み方は、その後の人生の縮図です。
最初にパッとやってしまう子、コンスタントにやり続ける子、最後の最後にようやく腰を上げる子、最初にパッとやろうとして根気が続かず、結局最後になってしまう子…そういう傾向は、大人になっても変わらないことを、私は会う人ごとに確認して、大半から「まさにその通りだ」という証言を得ています。

みんな違って、みんないい…かどうかは分かりませんが、人間、そういうものなのです。

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ここに来てしきりに思うのは、「人生の宿題」への取り組み方も、同様だということです。私は最後の最後にようやく腰を上げるタイプなので、まだ全く手つかずで、だからこそ「早くやらなくちゃ」と、ジリジリ焦りを感じています。

ただ問題は、「人生の宿題」が何であったか、忘れてしまっていることで、確かに何か宿題を与えられた気はするのですが、それが何だか思い出せません。

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夏休みも、人生も、宿題が完成しようがしまいが、容赦なく終わってしまいます。
「だから、やらなくてもいいんだ」とまで悟れれば別ですが、なかなかその境地にも達しがたいです。