大きな太陽、小さな太陽2024年08月03日 07時17分43秒

連日酷暑が続きます。
なんだか太陽ばかりが元気で、少し憎らしい気もしますが、最近の炎暑はもっぱら地球側の要因によるものなので、太陽を恨むのは逆恨みのような。


ガラスキューブの内部に造形された太陽。この品は既出です。


ガス球内部で生じた膨大なエネルギーは、対流と輻射によって表面まで運ばれ、目のくらむような光となり、巨大なプロミネンスや爆発するフレア、そして無数の磁力線ループを生み出します。これらは太陽がまさに生きている証しです。

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一方、こちらは原生生物の仲間、タイヨウチュウ
ウサギノネドコさんのSola cube Microシリーズの1つです。


「タイヨウチュウ」は、Helios(太陽)の名を負った欧名「Heliozoa」の直訳ですが、その姿を見れば、名前の意味するところは一目瞭然です。


球形の本体と、そこから伸びる無数の軸足。内部で絶えず生じる原形質流動。タイヨウチュウもまた、それを可能にするエネルギー代謝こそが、その生を支えています。


こうして比べてみると、自然とはつくづく不思議なものです。
でも、マクロとミクロの太陽が、いずれも<球体と中心からの放射>という共通の構造、ないし形態を持つのは、たぶん我々の宇宙の基本構造――様々なレベルでの対称性――に根差すものであって、そこには偶然以上のものがあるのかもしれんなあ…と思ったりもします。

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ところで、タイヨウチュウをあっさり「原生生物の仲間」と呼びましたが、分類学の発展に伴い、「原生生物」も、その一グループである「タイヨウチュウ」も、近年になってその位置づけにドラスティックな変化が生じているようです。

海産動物ならなんでも「魚」、けもの以外の小動物はすべて「虫」と呼んでいた状態から、昔の博物学者の努力によって、より緻密で洗練された分類体系が生まれたのと同じようなことが、今、ミクロの世界で起きているのでしょう。

生物が生きているのと同様、生物学もまた生きています。
でも、その生を支えるものは何でしょう? 

月の風流を嗜む2023年11月16日 18時40分58秒

昨年、ジャパン・ルナ・ソサエティ(JLS)のN市支部を設立し【参照】、その後も活動を続けています。

毎月の例会では、当番の会員が月に関する話題を提供し、みんなで意見交換しているうちに、いつのまにやら座は懇親の席となり、座が乱れる前に散会するという、まさにこれぞ清遊。しかも支部員は私一人なので、話題提供するのも、意見交換するのも、懇親を深めるのも、肝胆相照らすのも、常に一人という、気楽といえばこれほど気楽な会もなく、毎回お月様がゲストで参加されますから、座が白けるなんてことも決してありません。

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N市支部では会員の意向にもとづき、もっぱら月にちなむモノを披露し、それを品評するという趣向が多いのですが、最近登場した品はいつになく好評でした。


漢字の「月」の字をかたどった襖の引手金具です。
オリジナルは京都の桂離宮・新御殿一の間に使われたもので、“これは風流だ”というので、後世盛んに模倣されましたが、今回の品はその現代における写しで、真鍮の輝きを強調した磨き仕上げにより、本物の月のような光を放っています。

(出典:石元泰博・林屋辰三郎(著)『桂離宮』、岩波書店、1982)

(有名な「桂棚」のあるのが新御殿一の間です。出典:同上)

古風な姿でありながら、その質感はインダストリアルであり、風変わりなオブジェとして机辺に置くには恰好の品だと感じました。



この品は京都にある、家具・建物の金具メーカー「室金物」さんのサイト【LINK】から購入しました。

七夕の雅を求めて(5)…琵琶の空音2023年07月05日 06時06分01秒

乞巧奠とは、読んで字のごとく「技芸のなることを星に(まつり)」という意味で、もとは織物や針仕事の上達を願ったものでしょうが、時代と共に意味が広がって、後には書道や歌道の上達のほうがメインになった感があります。

また、古式の七夕の絵を見ると、乞巧奠の卓には、琵琶や琴が付き物で、たびたび話題にした冷泉家の例や、『七夕草露集』の挿絵にもそれが登場しています。これも星に音楽を捧げるというよりは、音楽のスキル向上を願うための工夫でしょう。

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ここで梶の葉に続いて、雅な楽器を用意することにしました。


いろいろ探した末に見つけたのは、琵琶をかたどった染付の水滴(水注)です。


琵琶の器形もさることながら、これは硯に水を入れるための道具ですから、音楽と書道のダブルで乞巧奠に関係があるし、染付というのも夏向きで、これは我ながら風流な趣向だと思いました。(自画自賛に眉をひそめる方もおられましょうが、今回の企画は私なりに相当力が入っているので、つまらない自慢も、どうかお目こぼしいただきたいです。)


だいぶ時代が付いており、文人趣味の殊に盛んだった天明前後、ないし文化文政期のものと想像するんですが、いずれにしても江戸時代の品であることは間違いないでしょう。

  琵琶鳴りをしつつ七夕竹さやぐ  鈴木しどみ

(この連載もあと2回、ちょうど七夕当日に終了の予定です)

七夕の雅を求めて(4)…梶の葉の鏡2023年07月04日 19時22分33秒

昔から七夕には梶の葉が付き物で、「笹の葉に短冊」という子供向け(?)の行事に飽き足らない“本格派”は、今でも七夕になると、しきりに梶の葉を座敷に飾ったりします。ただし、梶の葉は単なる飾り物というよりは、本来そこに文字をしたためて星に捧げるための具であり、いわば短冊の古形です。先の冷泉家の場合もそうでした。

(画像再掲)

ただ、梶の葉と短冊とでちょっと違うのは、梶の葉の場合「水に浮かべる」行為と結びついていることです。


冷泉家の乞巧奠の場面だと、衣桁に掛けた五色の布にぶら下がった梶の葉にまず目がいきますが、よく見ると古風な角盥(つのだらい)にも梶の葉が浮かんでいます。


これは梶の葉に託した思いを天に届けるという意味らしく、そのことを説いた下のページには、旧加賀藩の七夕風俗の絵が参考として掲げられています。

■七夕のお願いは何に書くの?笹と梶の葉っぱのお話。

(巌如春(1868-1940)が、石川女子師範学校のために描いた歴史考証画。昭和8年(1933)制作。金沢大学所蔵。)

これは、七夕の晩には角盥に水を張って「水鏡」とし、そこに映った星を拝む習俗と対になったものでしょう。つまり水面に星を映し、梶の葉をそこに浮かべれば、星に直接願いが届くだろう…と、古人は考えたわけです。

(水鏡に映した七夕星。

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そんなわけで、我が家の七夕にも梶の葉があってほしく、またそれを水鏡に浮かべたいと思いました。でも、本物の梶の葉を本物の角盥に浮かべるのは、スペース的に無理なので、ここは「見立て」を利かせることにします。


見つけたのは、背面に梶の葉を鋳込んだ柄鏡。
鏡面の直径8cmという、ごく小さなものですが、これで「水鏡に浮かぶ梶の葉」の代用たらしめようというわけです。(それと「織姫さまは女性だから鏡のひとつも欲しかろう」という、これはまあ古川柳にありそうな“うがち”ですね。)


梶の葉は家紋としてもポピュラーなので、これも本来は梶の葉紋にゆかりのある女性が使ったのでしょう。「天下一藤原作」の銘は、当時のお約束みたいなもので、大抵の鏡に似たような銘が入っています。


この鏡は当然江戸時代のものでしょうが、もとの鏡材が優秀なのか、近年研ぎに出したのか、今でも良好な反射能を保っています。これなら、明るい星なら本当に映りそうです。19世紀前半まで、反射望遠鏡はもっぱら金属鏡を使っていたことを思い出します。

(この項まだまだ続く)

七夕の雅を求めて(3)…七夕香2023年07月03日 06時00分31秒

『七夕草露集』には、昨日の一文に続けて、

「香家米川流に星合香 七夕香の組香あり。其作前(さくまい)誠に高雅にて。二星(ふたほし)も感応(かんをう)あるべき弄(もてあそ)び也」

とあります。米川流は志野流から分かれた香道の一派で、今は廃絶の由ですが、ここにいう七夕香は「組香」とあるので、複数の香木の香りを順々に聞くことで七夕をイメージさせるもののようです。

あるいはそれとは別に、足利義政の時代に定められた六十一種名香(有名な蘭奢待もそのひとつ)のうちにも「七夕香」があると、『貞丈雑記』に書かれていました。こちらは単独の香木でしょう。

まことに雅なものですが、いずれも容易に経験し難いので、ここは別の「七夕香」の力を借ります。


用意したのは、仙台香房・露香LINK】が製した「仙台四季香 七夕」。
香立て用のトンボ玉が付属しています。


商品の紹介ページには「仙台の夏の風物詩、仙台七夕祭りにちなんだ爽やかな香りです」とあります。仙台は学生時代を過ごした懐かしい街なので、一筋の香煙の向こうにいろいろな想念が次々と湧いてきます。そして、香煙の微粒子はそのまま時間も空間も超えて、私の思いを星まで届けてくれそうな気がします。


線香立てに使った皿は、無数の気泡が満天の星のように入ったガラスの豆皿。
和雑貨を扱っている中川政七商店LINK】のリアル店舗で見つけました。

大正時代から東京でガラス器を作っている岩澤硝子LINK】とのコラボ商品で、ガラスの種を回転する金型に落とし、高速で回転させることによって成形する「スピン成形」という方法で作られたそうです。回転によってできた水紋のような同心円が特徴で…と聞くと、まさに回転する銀河のようで、星まつりにふさわしい気がします。

(この項つづく)

七夕の雅を求めて(2)…糸巻香合2023年07月02日 12時11分00秒

早速訂正です。

昨日、冷泉系の七夕祭(乞巧奠)を近世に復興されたものと書きました。しかし冷泉為人氏による解説文を読んだら、「乞巧奠は近代になって復興されたものと伝えている」と書かれていました(『五節句の楽しみ』p.96)。つまり、同家の乞巧奠は近世どころか近代(明治)になって復興された行事で、いよいよ新しいものでした。

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ただし、冷泉家にはそれとは別の七夕行事も伝承されており、そちらがより古態を伝えています。以下、冷泉為人氏の文章から引用します。

 「冷泉家の七夕では、〔歌道の〕門人が中心になる乞巧奠と、家族が中心になるものの二つがある。〔…〕

 一方、七夕の行事は家族を中心として行われるもので、乞巧奠より古い伝承をもっている。座敷の南庭の西に机を一脚出し、その上に火口(ほくち)が七つある特別の火皿を載せた一台の手燭を置き、その七つの火口へは七組の灯心を用意して、二星への手向けとするのである。同じく机上に秋の七草を活けて捧げる。もし新調の衣類があれば、広蓋に入れてこれも机上に置く。

それに対して座敷の上ノ間に机を置き、そこに梶の葉と梶の葉の描かれた硯箱一式を用意して。家族のもの各自が一枚ずつ梶の葉に「天川とほきわたりにあらねども 君が舟出は年にこそまて」の古歌を散らし書きにする。そのとき、かつては芋の葉に置く露を集めた水で墨をすったと伝えている。

 夜になると、七口の灯心に火を入れて、家族各人が七夕に関する七つの題について一首ずつ七種の和歌を詠み、各自が一枚の懐紙にしたため、庭に設けた祭壇に進み机上に置き、二星(たなばた)に手向けて拝礼するのである。」
(前掲書pp.96-7)

家族がめいめい和歌を奉納するというのは、和歌の家ならではですね。
まあ、派手な乞巧奠のほうがマスコミ受けはするのでしょうが、この身内のみで営まれる静かな七夕行事のほうが、趣がいっそう深く、七夕の宵にふさわしいものと感じられます。

(七夕の床。『五節句の楽しみ』より)

床に掛かるのは竹内栖鳳による団扇絵の軸。床の造作といい、掛物の選択といい、冷泉家だからといって何か特殊なものがあるわけではなく、この辺は京の伝統町家のしつらえと何も変わりません。

我々は冷泉家に対して、ときに過剰な歴史ロマンを求めがちで、乞巧奠もそれに応えて、一層派手派手しくなった面があるような気がします。

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さて、我が家の七夕飾りに話を戻します。
七夕はすなわち「棚機(たなばた)」であり、織女(織姫)を祭る行事ですから、織物にちなむものがなければいけません。そこでこんな品をまず見つけました。


西村宗幸作「寄木七夕蒔絵糸巻香合」
西村氏は現代の山中塗の蒔絵師で、この品も昭和末~平成に作られたもののようです。


高さは5cmほどしかありませんが、色味の違う材を寄木細工で組み合わせ、七夕飾りの蒔絵を施した、なかなか手の込んだ品です。

ここでいう「糸巻」は、裁縫箱に入っているあの丸い糸巻ではなくて、昔の紡織作業で使われた道具のこと。織物を作るには、当然その前に糸を作らなければならないわけですが、原料をつむいで出来た糸を、くるくる巻き取るための枠が糸車で、「糸枠」とも呼ばれます。

(糸車。ヤフオクの商品写真を寸借)

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ここでは糸車そのものではなく、糸車をかたどった香合を取り上げました。
この香合は、茶道でいう「七夕の茶事」で用いられるものでしょうが、どうもこの御香というのが、七夕には欠かせぬものらしいです。

江戸時代中期、天明年間に出た『七夕草露集』には、「天ハ人間の臭気を嫌ひ給へバ香を炷(たく)こと星宿へ第一の供(そなへ)なるべし」とあって、とにかく香を焚かねば七夕は始まらないようなことが書かれています。

そういうわけで、香合のみならず、次にお香そのものを見てみます。

(この項つづく)

金と銀2023年06月24日 06時28分23秒

昨日の金色の世界時計から、似たような姿かたちの星座早見を連想しました。


ただし、こちらはクロームメッキの銀の円盤です(以前の記事にLINK)。


厚みは違いますが(星座早見はガラスがドーム状に大きく盛り上がっています)、それ以外はほぼ同大。


外周の時刻表示を見ると、24時のところが三日月マークになっている点までそっくりです。ただし、金のほうは時計回りに「1、2、3…」、銀の方は反時計回りに「1、2、3…」と数字が振られています。

最初は「これって、実は同じ工場で作られたんじゃないか?」とも思いました。
でも、星座早見盤は2000年代の日本製であり、世界時計の方は、流通した国こそアメリカですが、実は台湾製です(この事実も、この品が東西冷戦期の、つまり中国が「世界の工場」になる前の時代の産物ではないか…と思った理由のひとつです)。
結局、生まれた国も時代も違うので、これはやっぱり他人の空似なのでしょう。

いずれもペーパーウェイトですから、自ずと適当な大きさというのは決まってくるでしょうし、24時間の回転盤を組み込んだ実用品でもあるので、互いにデザインを真似たり、真似されたりしているうちに、似たような姿になることもあるのでしょう。


これが日米台を超えて再会を果たした生き別れの兄弟だったら、もちろん感動的ですし、まったくの他人の空似だとすれば、それはそれで不思議です。プロダクトデザインにも、収斂進化や擬態がある例かもしれません。

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さあ、これから足穂の待つ京都に行ってきます。

東と西2023年06月23日 06時15分00秒

一昨日の続きめきますが、太陽が時計代わりになるのは、もちろん地球がくるくる回っているからで、この巨大な時計の心臓部は、太陽ではなく地球の方です。


地球がくるくる回っていることから活躍するのが、こういう「世界時計」
時計とはいっても、これ自体は時を刻まないので、「時刻早見盤」と言ったほうが正確かもしれません。本体は金ぴかで、真新しく見えますが、外箱の古び方と付属のタイプ打ちの説明書の感じから、1970~80年代、いわゆる東西冷戦期の品ではないかと想像します。


盤全体は、時刻を刻印した「蓋」と、各都市の名を記した「身」に別れていて、蓋をくるくる回せば、「東京が(パリが、ニューヨークが…)〇〇時のとき、モスクワは(シドニーは、リオは…)××時だ」と即座に分かる便利グッズです。

まあ、別に珍しくもなんともない品ですが、手元にあると何かと便利で、「さっきニュースで見た町は、今頃夕餉の頃合いか…」とか、いろいろな気づきがあります。


NYやLAやHK(香港)にまじって、一番上の「DL」というのは何だろう?…と思ってよく考えたら、これは地名ではなくて日付変更線(Date Line)の略でした。

ちなみに中央のロゴの文字が読めますか?
何となくフォルクスワーゲンっぽいですが、違います。
最初、私も首をひねりましたが、上下を逆にして眺めると、そこに浮かぶ文字は「AAA」で、これは「アメリカ自動車協会」の記念グッズなのでした(AAAはアメリカのJAFみたいな組織です)。

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上で「東西冷戦」を持ち出したのは、アンカレッジからの連想もあります。
アンカレッジの名を耳にしなくなって久しく、その名に思い入れがあるのは、或る世代まででしょう。

アラスカのアンカレッジ空港は、日本からヨーロッパに飛ぶ際の経由地としてお馴染みでした。冷戦期は、シベリア上空を「西側」の飛行機が飛ぶことができなかったため、遠回りせざるを得なかったからです(南アジア~西アジアを経由する「南回りルート」というのもありました)。

もちろん、子供時代の私が飛行機で世界中を飛び回ってたわけはありませんが、アンカレッジの名は、テレビやラジオを通じて身近でしたから、今でも懐かしく耳に響きます。(でも、アンカレッジは別に廃れたわけではなく、現在も重要な空港都市だそうです。)

豆カメラ2023年06月19日 06時29分43秒

クラフト・エヴィング商會のおふたりが営々と続けてこられた「架空の商品づくり」。
関連する本は多いですが、その中で『星を賣る店』(平凡社、2014)には、架空のモノと実在のモノが混在していて、両者が一体となってクラフト・エヴィング商會の世界を表現しています(この本は同年開催された、クラフト・エヴィング商會の展覧会図録を兼ねています)。


架空のモノというのは、「星屑膏薬」とか「雲砂糖」とか「バッカスのタロット」とかです。そして実在するモノというのは、「夜光絵具の広告」とか「煙草のピース缶」とか「『星を賣る店』の初版本」とかです。いずれも美しさと幻想性をそなえた「不思議なモノたち」というくくりなのでしょう。

で、架空の商品はどうしようもないんですが、ここに登場する実在の物には、少なからず食指が動きました。それが「星を賣る店」に至る通路のような気がしたからです。中でも大いに心を揺さぶられたのが「豆カメラ」です。


これぞ「オブジェの中のオブジェ」といえるもので、愛らしさとメカメカしさを同時に備えたその表情に惚れ惚れとします。


その流れで見つけたのが、この豆カメラです。
革ケースは幅6cm、カメラ本体だけだと幅5cmちょっとしかありません。


革ケースに捺された「MADE IN OCCUPIED JAPAN(占領下日本製)」の刻印が、その時代と素性を物語っています。

敗戦から1952年(昭和27)の独立にいたるまで、当時の日本はがむしゃらに物を造りましたが、中でも光学製品は当時、有力な輸出品でした(輸出先は主にアメリカです)。豆カメラももちろんその一部で、こちらはさらに進駐軍の兵士相手の土産物としても、大いに売れたらしいです。


豆カメラは数が作られたので、そんなに珍しいものではないと思いますが、これはアメリカからの里帰り品で、革ケースに加えて、外箱と「GRADE C」のラベルも付属しており、一層時代の証人めいて感じられました。


豆カメラは、当時いろいろな中小メーカーが手掛けており、手元のはTOKO(東洋光機)の「Tone(トーン)」という品です。このカメラについては、以下のページに詳しいですが、それによれば作られたのは1949~50年(昭和24~25)だそうです。

■見よう見まねのブログ:東洋光機Toneの調査

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繰り返しますが、このカメラ、とにかく小さいんですよね。


いかにも「ちょこなん」とした感じで、本当におもちゃみたいですが、それでもちゃんとカメラの機能と表情を備えているのが、健気で愛しいです。
この実用と非実用の、そして現実と非現実の間(あわい)を行く感じが、いかにもクラフト・エヴィング商會っぽいです。

ねこ元気?2023年06月18日 09時21分57秒

先日、Etsyでこんな品を見つけました。


この小さなダンボール箱に商品が入っているのですが、より正確にはこの箱を含む全体が商品で、私はまだ箱を開けかねています。何せ、この「世界一有名な思考実験。シュレディンガーの猫」と書かれた箱を開けた瞬間、この宇宙は二つに分裂してしまうというのですから。


商品写真をお借りすると、箱の中に入っているのは、下に写っている青か赤か、どちらかのピンバッジです。


どちらが入っているかは、注文主である私にも分かりません。
猫が生きているか死んでいるか、箱を開けてみるまで、2つの事象は重ね合わせの状態にあるのです。


この商品を注文する際、さらに興味深いオプションがありました。
2個同時に買うと、「1個は青、もう1個は赤」と、中身を指定できるのです。

もちろん、どちらに何が入っているかは、これまた不明です。
上記の通り、いずれの猫も生死不確定の重ね合わせの状態にあって、ただし一方の箱を開けて猫が生きていれば、もう片方の猫は死んでいることがただちに確定します。これは2つの箱が何光年隔たっていても同様で、その情報は瞬時に伝わります。

これがシュレディンガーの猫と並んで有名な「量子もつれ」の現象で…と、まあ、あまり真面目に受け取ってはいけませんが、一種の比喩としては秀逸で、商品考案者の機知に感心しました。

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