鈴木敬信氏と春の大曲線 ― 2026年04月29日 10時27分48秒
そういえば…のメモ書きです。
先日、『アストレア(星乙女)』という天文古書に触れた際、おとめ座がらみで「春の大曲線」に言及しました。この「春の大曲線」について、ウィキペディアは「この呼び名を考案したのは日本の天文学者 鈴木敬信である」と自信満々に言い切っています。

(鈴木敬信、1905-1993)
でも、そこで出典として挙がっている、原恵氏の『星座の神話』(恒星社厚生閣、初版1975/新装改訂版1996)の該当箇所を見ると、「この曲線を「春の大曲線」と呼んだのは、鈴木敬信氏であったと思うが、〔…〕」 (新装改訂版p.67)と、いくぶん慎重な書き方になっています。
★
鈴木敬信氏の名を聞くと、私はただちに石田五郎氏による人物評を思い浮かべて、「ひたすら怖いおじいさん」をイメージします。
「敬信についてはさまざまなエピソードがある。戦後のことである。日本天文学会の年会が木造バラックの麻布飯倉の東大天文学教室で開かれた頃である。〔…〕上座の大先生から自己紹介が始まる。末座の私が立ち上がったとき、間髪を入れず、
「H君に嫌われて天文台を追い出されたのはキミか」と、丁度芝居でいえば大向うの掛声、これが敬信であった。また大先生の叙勲パーティーでこの天文界のドンに献辞として、
稔るほど 頭の垂るる 稲穂かな
といって満座をシンとさせたのも敬信である。まだ物凄いのがあるが、私怨に類するので割愛する。そして書評の筆致も辛辣激越をきわめた。時にはあやまちを指摘して「噴飯もの」とか「抱腹絶倒」という表現までつかう。我々後輩の徒はひそかに「ガラ先生」とよんで畏怖した。」 (石田五郎著 『星の文人 野尻抱影伝』、中公文庫、p.175)
「H君に嫌われて天文台を追い出されたのはキミか」と、丁度芝居でいえば大向うの掛声、これが敬信であった。また大先生の叙勲パーティーでこの天文界のドンに献辞として、
稔るほど 頭の垂るる 稲穂かな
といって満座をシンとさせたのも敬信である。まだ物凄いのがあるが、私怨に類するので割愛する。そして書評の筆致も辛辣激越をきわめた。時にはあやまちを指摘して「噴飯もの」とか「抱腹絶倒」という表現までつかう。我々後輩の徒はひそかに「ガラ先生」とよんで畏怖した。」 (石田五郎著 『星の文人 野尻抱影伝』、中公文庫、p.175)
「ガラ」とはガラガラヘビのことで、敬信氏が巳年の生まれだったことに掛けたあだ名です。まあ、これだけでも相当なものですが、さらに凄いエピソードがあるというのですから、控えめに言っても「性、狷介、自ら恃む所頗る厚」き方ではあったのでしょう。
その怖いおじいさんが、「春の大曲線」という優美な名の生みの親なのか?
石田氏の前掲書によれば、敬信氏は東大を卒業後、上野の科学博物館の主任研究員をつとめ、多くの天文解説書を執筆するとともに、戦前を代表するプラネタリウム「東日天文館」の開設に関わって、そのパンフレットも手がけたそうですから、学者仲間に対してはともかく、一般の天文ファンには親切な啓発家の顔も見せていたようです。
「春の大曲線」の直接の出典は未詳ですが、氏の経歴を考えると、いかにもプラネタリウムの解説の中で編み出された言葉という気はします。
★
ただし、「春の大曲線」という名称は日本独特としても、春の大曲線に相当する概念(=星の見つけ方)は、他国にもありました。
たとえば、E. C. Clarke の『Astronomy from a Dipper』(1909)を見ると、下の図とともに、「北斗の柄(え)をごらんなさい。そして、その柄が描くカーブを想像し、およそ北斗と同じ長さだけ伸ばしてごらんなさい。曲線の先にはアルクトゥールスがあるでしょう。これはオレンジ色をした、最も明るい星のひとつです。さらに曲線を同じ長さだけ延長してみましょう。その先にはスピカがあります。こちらは純白の一等星です。」と解説されていて、まさに春の大曲線です。たぶん、探せばもっと古い用例も見つかるでしょう。
この星探しの方法は、ボーイスカウト活動の中で一般化し、「Follow the arc to Arcturus, then spike to Spica」という韻文のフレーズとともに覚えた人が多いようで、検索すると、そのバリエーションを含め、関連ページがたくさん見つかります。


最近のコメント