我らが星図作者、逝く2024年07月12日 18時52分03秒

現代を代表する星図作者ウィル・ティリオン氏が、先週7月5日に亡くなられたというニュースを目にしました。享年81。例によってメーリングリストで教えられたのですが、その投稿はさらに「スカイ・アンド・テレスコープ」の以下の記事にリンクを張っていました。

■WIL TIRION, 1943–2024
 By Govert Schilling (2024年7月9日付)

(Wil Tirion(1943-2024)、Alex P. Kok撮影。Wikimedia Commonsより)

「オランダの星図作者ウィル・ティリオンは、我々の時代における最も美しい星図を生み出した人として記憶されるだろう」という書き出しの記事を読み、私は初めてティリオン氏の個人的な事柄を知りました(そもそも、彼がオランダ人だということも、恥ずかしながら知りませんでした)。



ベストセラー『スカイアトラス 2000.0』(第2版、1998)の表紙には、その名がはっきりと記されています。でも、「WIL TIRION」という文字列が、私にとっては無機的な記号列のように感じられ、そこに生きた作者の存在を想像することがなかったなあ…と、今反省をこめて思います。


現代の星図は、膨大な星のデータを計算機が読み込んで、自動的に出力されるようなイメージが何となくあります。実際、機械の助けなしに現代の星図が成り立たないのも事実でしょう。しかし「美しくて見やすい星図」は、やはり人の目と手による繰り返しの調整作業の賜物に違いありません(星図制作の現場を知りませんが、おそらくは)。


この美しい星図を生み出したティリオン氏の略歴を、上記の記事をつまみ食いして述べてみます。

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ティリオン氏は、アマチュア天文家だった12歳の頃から星図づくりに魅了されていました。しかし、その作品が初めて公になったのは30代半ば、1979年にコリン・ロナンの「天文学百科事典」に5枚の星図が掲載された時のことです。

その星図の質の高さが知られるにつれて、星図作成の依頼が寄せられるようになり、彼の初期の代表作『スカイアトラス 2000.0』の初版は1981年に出ています。当時はまだコンピュータ導入前なので、そこに含まれる43,000の星はすべて手描きです。

当時のティリオン氏は、グラフィックデザイナー兼イラストレーターが本業で、星図制作はあくまでも「余技」だったのですが、次々に寄せられる依頼に応えるため、1984年に本業を辞め、星図づくりに専念するようになります。

その後は、大著『ウラノメトリア 2000.0』(1987-8)をはじめ、数々の傑作星図を生み出し、コンピュータによる作図に力点を移したあとも、そのエレガントな芸術的感覚を生かした星図づくりで確固たる地位を築いたのでした。

「魅力的で非常に気さくな人柄だったウィル・ティリオンは、彼が愛してやまない夜空の最新星図に取り組んだわずか数週間後に、短いが致命的な病気を発症して亡くなった。「小惑星4648ティリオン」は、彼の名前にちなみ、1993年に命名されたものである。ご遺族として奥様のコッキー、二人のお子様マーティンとナーラがあとに残された。その死はまことに惜しまれる。」…と記事は結ばれています。

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長い歴史をもつ星図制作史の1頁が、今まさに閉じられた瞬間に我々は居合わせたことになります。ティリオン氏のご冥福をお祈りします。

酷暑と克暑2024年07月06日 12時26分10秒

猛暑到来。やるせないほど暑いですね。

夏の酷暑を英語で「Dog days」と呼び、これはおおいぬ座のシリウスが「ヘリアカル・ライジング」、つまり日の出前のタイミングで東の空にのぼることに由来し、遠く古代ローマ、ギリシャ、さらにエジプトにまでさかのぼる観念の由。

(1832年出版の星座カード『Urania’s Mirror』複製版より、おおいぬ座ほか)

夜空にシリウスが回帰することは、エジプト人にとってはナイルの氾濫と豊作のサインでしたが、人間や動物にとってはいかにも苛酷な時期ですから、Dog days には退嬰と不祥と節制のイメージが伴います。

(同上拡大)

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ただし、そこはよくしたもので、今は地球が太陽から最も遠い時期に当たります。
今年、地球が太陽から最遠の「遠日点」に達したのは、ちょうど昨日でした。昨日、地球は太陽から1.017天文単位〔au〕(1auは、地球と太陽の平均距離)まで遠ざかり、これから楕円軌道に沿って徐々に太陽に近づき、来年1月4日に0.983au の「近日点」に至ることになります。

(Willam Peck『Handbook and Atlas of Astronomy』(1890)より、水星~火星の軌道図)

ごくわずかな違いのようですが、太陽に対する垂直面で考えると、遠日点にあるときは近日点にあるときよりも、受け取るエネルギーは約7%も少ない計算で、これは結構な違いです。これぞ神の恩寵、天の配剤と呼ぶべきかもしれません。

それを思うと、近日点と夏が重なる南半球の人はさぞ大変だろうなあ…と同情しますが、そのわりに暑さの最高記録が北半球に偏っているのは、あちらは海洋面積が北半球よりも圧倒的に広く、水が大量に存在するためでしょう。これまた天の配剤かもしれません。

【おまけ】

星座早見をくるくるやって、シリウスのヘリアカル・ライジングを探してみます。


秘蔵の<紀元2世紀のアレクサンドリア用星座早見盤>で試してみると、シリウスの出現は、7月上旬で午前5時頃。そしてアレクサンドリアの日の出もちょうどその前後ですから(今日の日の出は5:02)、今がヘリアカル・ライジングの時期ということになります。

でも、これは緯度によっても大きく変わります。


試みに戦前の三省堂星座早見をくるくるすると、シリウスが東の地平線上にのぼるのは、今の時期だと午前7時すぎで、当然肉眼では見えません。あとひと月半もすると、午前4時半ぐらいになるので、日本でもようやくヘリアカル・ライジングを迎えることになります。

白と金 vs. 青と黒2024年07月05日 05時44分28秒

星座早見盤の収集ガイド本【詳細はこちら】の著者、ピーター・グリムウッド氏は、本の冒頭、「イントロダクション」の中で、“こういう画像中心の本を編む場合、印刷の色チェックがきわめて大事である”と力説しつつ、自身の苦い体験を述べています。曰く、「私は2017年にeBayでマング社〔独〕の青い星座早見盤を購入したが、実物を見たら、それはほとんど黒に近いものだった!」

(問題の早見盤。左がたぶん購入時の商品写真でしょう)

ああ、これはがっかりしたろうなあ…と、その気持ちは本当によく分かります。

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色覚に限らず、ヒトの目と脳は往々にして騙されがちで、そこに見る者の予期・予断が作用すればなおさらです。

今日のタイトルは、以前ネットで話題になった下の画像から採っていますが、この服の色は<白と金>の縞か、<青と黒>の縞か、当時(2015年)もはげしい論争があったし、今でも見る人の目を大いに惑わせることでしょう。


この論争で面白かったのは、<白と金>を主張する人は<青と黒>を絶対に認めず、逆もまた然り、互いに自説を曲げず、そこに妥協の余地がなかったことです。これは両者が無駄に我を張っているわけではなく、実際当人の目にはそうとしか見えないのですから、仕方がありません。議論によって歩み寄れない問題というのも、世の中にはたしかにあります。

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最近、半年前に購入した1枚の星図を取り出す機会があり、グリムウッド氏の嘆きを思い出しました。この星図のことは、配送の途中で歌手のマドンナのポスターと取り違えがあって、すこぶる困惑した…という形で話題にしましたが【LINK】、その現物(商品写真)が以下です。



この美しい色合いはどうでしょう。古風な星座絵のバックに広がる澄んだ碧瑠璃。現代の星図としては出色の出来と思って、ネットで見るなり即座に注文したのでした。

しかし、届いたものはちょっと印象が違い、正直がっかりしました。
そこには商品写真に見られた繊細な碧瑠璃はなく、ひどく単純な青色があるばかりだったからです。


ただ、急いで付け加えると、自分で撮った上の画像も実物の色とは違います。商品写真よりは実物に近いですが、色味をどう調整しても実物の色は出せませんでした。ですから、売り手の人を一方的に責めることもできないんですが、それでも当てが外れたというか、見合い写真と本人の落差に驚いたというか、とにかくこの星図には、2度びっくりさせられました。

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色の世界は奥が深いです。

Constellations a la Rococo2023年12月21日 18時00分31秒

先日、スウェーデン生まれの美しい星図を話題にしたとき(LINK)「そういえば、この星図は例の本に載っていたかな?」と気になりました。
「例の本」というのは、星図コレクターのロバート・マックノート氏が編んだ、19世紀~20世紀前半の作品を中心とする大部な星図ガイドブックです(下記参照)。

■星図収集、新たなる先達との出会い

で、さっそく本棚から引っ張り出してきたんですが、さしものマックノート氏もこの星図にはまだ気付いてないようで、収録されていませんでした。こういうのは、たとえつまらない慢心と言われようと、あるいは「お前さんは、単にdubheさんの受け売りに過ぎないじゃないか」と言われようと、なんとなく誇らしいものです。

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そのついでに、しばらくぶりにマックノート氏の本をパラパラやっていたら、こんな星図が目にとまりました。


星図といっても書籍由来のものではなく、フランスで発行された宣伝用カードです。ベルサイユチックというか、ロココ調というか、星図そのものはともかく、そのカードデザインにおいて繊細華麗をきわめた品。

以下、マックノート氏による解説を引かせていただきます(一部抜粋、適当訳)。

星座のトレーディングカード、1900年頃
パリ、Hutinet〔ユーティネ〕社
豪華な金色の背景を伴う多色石版による3枚の宣伝用カード。
4.5インチ×3.25インチ〔11.5×8.3cm〕


この種のカードは、19世紀にしばしば6枚セットで発行され、さらに多くの枚数から成るシリーズ用として、カード保存用の専用アルバムも用意されていた。ここに挙げた2つの星座は、一般には代表的星座とは見なされないので、これら3枚も、おそらくはもっと多くのカードを含むセットの一部なのだろう(ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している)。

非常に希少な品。私が購入したカード専門のオークションサイトでも、もちろん「レア」と記載されていたし、当時インターネット上では何の情報も得られなかった。数年経つ今でも、私はまだ他の例を見たことがない。」

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この「激レア」カードは私の手元にもあります。


記録をさかのぼると、私は今からちょうど10年前にこれを購入していて、特に珍品とも意識せずにいましたが、マックノート氏にここまで書かれると、再び慢心がつのってきます。しかも、こちらは自前で見つけた品ですからなおさらです。



(裏面はすべて白紙)

私の手元にあるのは、いずれも星座単独のカード10枚で、北天星図カードが欠けているので、残念ながらこちらもコンプリートではありません。

では元のセットはいったい何枚で構成されてたのか?
ひょっとして、これは全天星座を網羅した一大シリーズなのだろうか?
…と思案するうちに、「ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している」というマックノート氏の言葉に、はたと膝を打ちました。


この北天星図を凝視すると、

おおぐま座、こぐま座、ヘルクレス座、りゅう座、ふたご座、おうし座、アンドロメダ座、ペガスス座、はくちょう座、いるか座、こと座

の11星座が金色で刷られています。そして、こと座を除く10星座が私の手元に揃っています。これは即ち上記の11星座に北天星図を加えた、全12枚でセットが構成されていたことを意味するのではないしょうか(あるいは、さらに南天星座12枚セットも作られたかもしれませんが、この北天シリーズが12枚セットというのは動かないと思います)。

…というわけで、マックノート氏と私のたくまざる協働によって、幻の星座カードの全容まであぶり出されたわけで、まずはめでたしめでたし。

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ちなみに発行元のD. Hutinet社は、トレーディングカードの大手「リービッヒカード」(リービッヒ社のスープの素に入っていたおまけカード)も一部請け負った印刷会社のようです。またネットで検索すると、19世紀パリの写真機材メーカーに同名の会社が見つかりますが、両者の関連は不明。

(メーカー名は隅っこに控えめに書かれています)

なお、マックノート氏はこのカードを「1900年頃」と記載していますが、私的には「19世紀第4四半期」あたりのように感じます。

スウェーデン生まれの極美の星図2023年12月16日 07時47分05秒

(前回のつづき。今日は2連投です)

この地図帳と星図の存在は、dubheさんのツイートで教えられました。

博物画を専門に商い、豊富な知識と鋭い鑑識眼で知られるdubheさんをして、「星図は個人的には19-20世紀で最も美しい図版と思ってます」と言わしめた、この極美の星図をどうして手に入れずにおられましょうか。それが苦労の末に届いた時の喜び、それをどうか思いやっていただきたいのです。

(第49図)

(第50図)

第49図は黄道帯付近、第50図は南北両極を中心とした星図です。
いずれも見開きに左右振り分けで2枚の図が収録されているので、星図としては都合4枚になります。


それにしても、この表情といったら…。
厚手の高級紙、しかも私好みのニュアンスのある無光沢紙に、絶妙の色合いで刷られた夜空と星、そして繊細な星座絵。


煙るような銀河の表現は、本当にため息が出るほどです。


私を含め、多くの方がdubheさんの言葉にうなずかれるのではないでしょうか。


スウェーデンの天文古書というと、基本的に他国の翻訳物が多い印象がありましたが、こんなふうに卓越したデザイン能力と印刷技術を見せつけられると、もっと本腰を入れて探すべきではないかと思いました。

北欧世界地図帳2023年12月16日 07時40分52秒

今日はひさしぶりの休日。記事を再開します。

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前回登場したいわく付きの地図帳ですが、あの地図帳には、さらに長い前史…というほどでもありませんが、経緯があります。あれを注文したのは、前述のとおり今年の9月でしたが、私は同じ本を5月にも一度注文しています。しかし、オランダの本屋さんからは待てど暮らせど発送の連絡がなく、メールで問い合わせても梨のつぶて。結局しびれを切らして、3か月目にキャンセルしました(このときは古書検索サイトが、古書店に代わって返金処理をしてくれたので助かりました)。

その後、2度めのチャレンジの結果がどうなったかは、前回書いたとおりです。

しかし、あの地図帳をどうしても手に入れたかった私は、スウェーデン王立図書館の権威を振りかざす怪しい古書店と揉めている最中、別の店に3度めの発注をかけました。幸い「二度あることは…」とはならず、今度は無事に真っ当な商品が届いて、ほっと胸をなでおろしました。正直、2軒めの店のせいで、スウェーデンの印象もだいぶ悪化していましたが、やはりスウェーデン人の多くは実直で、2軒めの店主が特異なのでしょう。


三度目の正直で届いたのがこちら。


50枚の図版を含むだけあって、36枚の図版しか含まない問題の地図帳(上)と比べると、判型は同じでも、厚さがずいぶん違います。

改めて本書の書誌を記しておきます(ちなみに36図版バージョンも、同出版社・同書名・同発行年なので要注意)。

■S. Zetterstrand & Karl D.P. Rosén(編著) 
 Nordisk Världsatlas(北欧世界地図帳).
 Nordisk Världsatlas Förlag (Stockholm), 1926.
 表紙40×26 cm、見開き図版50図+解説136頁+索引48頁

書名で特に「北欧」を謳っているのは、一連の地図の中でも、特に北欧エリアが詳細だからでしょう(「北欧」のパートには全11図が含まれています)。



上質の紙に精細に刷り上げた美しい石版の地図帳は、大戦間期の世界を覗き込む興味はもちろん、紙の本ならではの「めくる愉しみ」に富んでいます。
それだけなら、36枚版でもいいのでしょうが、私が50枚の図版にこだわったのにはワケがあります。


STJÄRNHIMMELN ――すなわち「星図」。
この地図帳の最後を飾る第49図と第50図は美麗な星図で、それをどうしても手に入れたかったからです。

(この項つづく)

金緑の古星図2023年10月14日 18時29分09秒

これまた東洋趣味の発露なんですが、韓国郵政(Korea Post)が2022年に、こんな美しい切手シートを出しているのを知りました。

(左側の円形星図の直径は約14cm)

切手といっても、ミシン目のある昔ながらの切手ではなく、最近はやりの「切手シール」による記念シートです。

テーマとなっているのは、朝鮮で作られた古星図、「天象列次分野之図」
同図には、李氏朝鮮の初代国王・太祖の治世である1396年に制作(石刻)された「初刻」と、それを第19代国王・肅宗の代(1674-1720)に別の石に写した「再刻」があり、いずれも現存します。この切手のモデルになっているのは、後者の再刻のほうです。

(奈良文化財研究所 飛鳥資料館発行『キトラ古墳と天の科学』より)


世上に流布しているのは、「原本」にあたる碑石から写し取った拓本ですが、その墨一色の表現を金彩に変え、輪郭線のみだった銀河を金緑で満たしたのは鮮やかな手並みで、なかなか美しい仕上がりです。



印刷精度も良好で、すぐ上の画像は、左右幅の実寸が約65mmしかありません。


私は面倒くさがりなのでやりませんが、これは額装して飾ってもいいかもしれませんね。


【参考】 天象列次分野之図については、以下に詳しい説明がありました。

■宮島一彦「朝鮮・天象列次分野之図の諸問題」
 『大阪市立科学館研究報告』第24号(2014)、 pp.57- 64. 

インドラの網のその彼方へ2023年09月17日 10時09分34秒

Etsyに出品している方に、こんなものを作ってもらいました。

(木製フレームの外寸は25cm角)

ブルガリア在住のその方は、時刻と場所を指定すると、その時・その場で見える星空を正確に計算して、こんなふうに宝石を散りばめた星図として作ってくれるのでした。主に大切な人への誕生日のプレゼント用のようです。しかし、私が今回あつらえたのは誕生日ではなく、ある人とのお別れの日を記念するためです。


SEPT 21. 1933/HANAMAKI, IWATE/39°23′N 141°7′E

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90年前の9月21日、宮澤賢治は37歳で息を引き取りました。
上のキャプションには年月日までしか書かれていませんが、時刻は13:30、賢治の臨終のときに合わせてあります。

 「九月十七日から鳥谷ヶ先神社祭礼。連日、店先へ下りて人の流れや鹿踊り、神輿を観る。二十日、容態が変る。急性肺炎。しかし夜七時頃肥料相談に来た農民には衣服を改め一時間ばかり正座して応対した。夜、並んで寝んだ清六に原稿を託す。翌二十一日午前十一時半、喀血。国訳法華経一千部の印刷配布を遺言し、自ら全身を、オキシフルに浸した綿で拭ったのち息絶え、魂はとび去った。午後一時三十分だったという。」 (天沢退二郎(編集・評伝)、『新潮日本文学アルバム12 宮沢賢治』より)

(出典:同上)

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その作品を通して、空を色とりどりの宝石で満たした賢治。


 「いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。素敵に灼きをかけられてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の砂も一つぶずつ数えられたのです。
 またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。」

心象風景を美しい散文詩で描き出した『インドラの網』の一節です。


「『ごらん、そら、インドラの網を。』
 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互いに交錯し光って顫えて燃えました。」

全天を覆う赤経・赤緯線とそこに散りばめられた星座たち。
現代の星図は、まさに「インドラの網」さながらに感じられます。


昼日中のこととて、人々の目には見えませんでしたが、賢治の旅立ちを見送った(あるいは迎え入れた)星たちは、たしかにこんな顔触れだったのです。

(この星図には、太陽・月・諸惑星の位置もきちんと表示されています)

思うことは多々ありますが、今は贅言を慎んで、間もなく訪れる90年目の忌日を静かに迎えたいと思います。

銀河鉄道の道しるべ2023年06月29日 06時09分25秒



昨日の黒い帽子の下には、この黒いビニール製のフォルダーが写っていました。


中身はこんな黒々とした星図です。
素材はプラスチックで、大きさは24.5×38.7cm。
表現されているのは、明るく目立つ星だけなので、何となくおもちゃめいた感じもします。


でも、それだけに星の並びが鮮明で、右下の北十字(はくちょう座)からさそり座を経由して左上の南十字に至る「銀河鉄道」のルートが一目瞭然です。


付属の透明グリッド板を重ねれば、星の方位や距離を読み取ることもできるし…


惑星の位置を書き込めるよう、レモンイエローの油性鉛筆(chinagraph pencil)まで付属していることを考えると、この星図はおもちゃどころか、相当渋い品です。

(星図裏面に書かれた惑星の記入要領)

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改めてこの星図が何かといえば、英国空軍省(Air Ministry)が発行した天文航法用星図――すなわち、飛行機乗りが星を頼りに方位を見定めるためのツールです。

英国空軍省は、第一次世界大戦末期の1918年に創設され、1964年に海軍本部および戦争省とともに、現在の国防省に統合された…という主旨の記述がウィキペディアにあります。本体がプラスチック製ということを考えると、これは戦後の1950~60年頃に作られたもののようです。

賢治と軍隊というと。いかにも縁遠い気がしますが、これはずばり「空を飛ぶための星図」ですから、銀河鉄道の旅にはいっそふさわしいかもしれません。

黄金の星図集(後編)2023年02月26日 08時31分00秒



そこにあるのは、例えばペガスス座とカシオペヤ座のこんな姿です。

本書はまぎれもなく天文書であり、これは星図なのですから、当然といえば当然ですが、その星の配置はきわめて正確です。しかし、その星の並びを覆い尽くすように描かれた星座絵の何と華麗なことか。



しかも、その絵柄がすべて金一色で刷られていると知ったときの驚き。

美麗にして豪奢、19世紀ウィーンに乱れ咲いた、まさに宝物のような星図集です。まあ、実際に星見のガイドに使うことを考えると、星よりも星座絵のほうが目立ってしまって使いにくいと思いますが、ここまでくれば、それはあまり大した問題ではないでしょう。

おとめ座とへびつかい座)


(さそり座とりゅう座・こぐま座)


こんな具合に、本書は32枚(すべて裏面は空白)の「黄金の星図」によって北半球から見た星空を描き、



さらに巻末にはこんなアレゴリカルな図が載っているかと思えば、



冒頭を彩るのは、美しい12星座の口絵で、



しかも折り込みで、さらに大判の豪華な北天星図まで付属するのですから、もはや何をか言わんやという感じです。

 

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ここに収められた星座絵を、私は「ユーゲント・シュティール」、すなわちフランスのアール・ヌーヴォーに相当するドイツ語圏の様式と見たんですが、ユーゲント・シュティールが幅を利かせたのは、19世紀も末のことなので、本書が刊行された1858年とは年代が合いません。果たしてこういう様式を何と呼ぶべきか、あるいはイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動がウィーンにまで飛び火したんでしょうか?識者のご教示をいただければと思います。


【2月26日夕刻 付記】 いろいろ考え合わせると、年代的・様式的に符合するタームは「ラファエル前派」ですね。ただ、イギリス生まれのラファエル前派とウィーンの媒介項は依然不明です。



これら一連の石版画を制作したのは、「ライフェンシュタイン&レッシュ芸術社(Artistische Anstalt von Reiffenstein & Rösch)」で、ネットで検索すると同社の手掛けた作品がいろいろ出てきますが、その歴史は今一つはっきりしなくて、19世紀のウィーンで活動した石版工房という以上の情報は得られませんでした。