大著『ウラノグラフィア』がやってきた2024年12月01日 13時10分19秒

19世紀最初の年、1801年にドイツのボーデ(Johann Elert Bode、1747-1826)が上梓した巨大な星図集『ウラノグラフィア(Uranographia)』については、以前もまとまった記事を書きました。

■星座絵の系譜(3)…ボーデ『ウラノグラフィア』

4年前の自分は、

 「天文アンティークに惹かれる人ならば、『ウラノグラフィア』が本棚にあったら嬉しいでしょう。もちろん私だって嬉しいです。でも、さっき検索した結果は、古書価460万円。これではどうしようもないです。さらに探すと、原寸大の複製(複製本自体が古書です)が16万円で売られているのを見つけました。

 ホンモノが16万円だ…と聞けば、分割払いで買うかもしれません。でも、460万円ですからね。じゃあ、複製本を16万出して買うかといえば、よく出来た複製だとは思いますが、そこまでするかなあ…という気もします。」

…と、何となく物欲しげなことを書きつつ、『ウラノグラフィア』の縮刷版を買うことで、かろうじて留飲を下げていました。

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しかし、気長に待っていればいいこともあるものです。
これまで何度か話題にした、ドイツのアルビレオ出版から、先日うれしいメールが届きました。天文古書の複製本をリーズナブルな価格で提供する同社が、こんどは『ウラノグラフィア』を俎上に載せたというのです。


気になるお値段は169ユーロ(今日のレートで約26,800円)、しかも12月いっぱいまでは特別価格の149ユーロ(同23,600円)。日本までの送料として、別途46ユーロ(約7,500円)がかかりますが、それを計算に入れても、大層リーズナブルな買い物です。

(手前が解説書)

しかも星図には別冊解説書も付属し、この解説書もカラー刷りでなかなか豪華です。


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ただし、この複製本にもちょっとした弱点はあります。
それはオリジナルよりもサイズが縮小されていることで、オリジナルは高さ65cmという途方もなく巨大な判型ですが、この複製本は高さ41.5cm(表紙サイズ)と、約64%に縮小されています。


しかし、届いた本はそれでも十分に巨大です。アンティーク星図ファンの書棚には、恒星社の『フラムスチード天球図譜』が並んでいると思います。あれだって決して小さな本ではありませんが、この『ウラノグラフィア』と並べれば、その差は歴然です。

アルビレオ出版のカール=ペーター・ユリウス氏は、このサイズこそ「図版の読みやすさに影響を与えることなく、しかも扱いやすいサイズであり、最小の文字もはっきり読み取れる」と説明しています。若干強がりっぽい感じがなくもありませんが、これは概ね事実と認められます。



落ち着いたクロス装の表紙を開けば、あの大著の風格が堂々と感じられ、これはやっぱり紙でペラペラやりたい本です。


各図版とも裏面は白紙で、その白紙に刻まれた経年の染みまで忠実に再現されているのも高評価。


気になる印刷精度はどうでしょうか。オリオン座とおうし座を中心とした上の星図を部分拡大してみます。


雄牛の目を中心とした部分。この画像で左右幅は25mmです。ユリウス氏の言う通り、たしかに微細な文字も十分読み取れます。


こちらはかみのけ座の中心付近で、左右幅は40mm。一面に散在する微細な点刻模様も十分な精度で再現されています。これらは当時その正体が議論されていた「星雲・星団」の類で、今では「かみのけ座銀河団」と呼ばれる系外銀河の集団であることが分かっています。

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待てば海路の日和あり。
長生きをすれば、嫌な経験もする代わりに、嬉しい経験も増えていくのだなあ…と、師走を迎えて大いに感じ入りました。

快著 『中国古星図』2024年11月24日 17時18分57秒

風邪から回復しました。

で、おもむろに記事を書こうとしたんですが、書きたいことはいっぱいあるのに、どれもうまく書けない気がして、筆が進まない…。こういうことが時々あります。でも、暇つぶしのブログを埋めるのに、別にうまく書く必要もないし、とりあえず何でもいいので書き始めた方がいいことは経験的に分かっているので、ぼんやりした気分のまま書き出します。

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このところ、興味をそそられる本に立て続けに出会いました。
中でも驚いたのが以下の本です。


■李亮(著)、望月暢子(訳)
 『中国古星図』
 科学出版社東京株式会社、2024.(B5判、211p)

帯には「中国天文学と古星図を包括的に紹介/悠久の歴史を持ち、独自の発展をとげた中国天文学と古星図。最新の考古学資料を含む350余点のカラー図版を駆使した稀有な一冊!」とビックリマークが付いていますが、これは大げさではなく、相当ビックリな本です。

科学出版社は、北京に本拠を置く中国最大の学術書の出版社で、本書の版元はその東京の子会社です。原著は親会社から2021年に出た『灿烂〔燦爛の簡体字〕星河 —中国古代星图(華麗な銀河 ―中国古代の星図)』です。

著者の李亮氏は、中国科学院自然史研究所のスタッフ紹介【LINK】によると、天文学史および中国と諸外国の科学技術交流史が専門で、2008年に博士号を取得後、ドイツのマックス・プランク科学史研究所やフランス国立科学研究センター、パリ第7大学で研鑽を積んだ、少壮気鋭の研究者のようです。

その意味で、本書は相当本格的な解説書で、私のようにコーヒーテーブルブック代りにしてはいけないのですが、帯にあるように、美しいカラー図版を満載した紙面は見るだけで楽しいものです。

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しかも意外なことに、中国の古星図についてまとめた書籍は、中国本土でもこれまでほとんど例がないそうです。著者が序文で挙げている例外は、陳美東氏が編纂した『中国古星図』(1996)と、潘鼐(ハンダイ)氏による『中国恒星観測史』、『中国古天文図録』(いずれも2009)ですが、前者は明代の星図に特化した論文集であり、後2者はその力点と記述密度からして、古星図論としては不十分なもので、図版もモノクロが大半だそうですから、本書のように通史として十分な内容を備え、最新の資料も漏らさず、しかもカラーでそれらを紹介した一般書はまことに稀有、本邦初どころか世界初ということになるのです。

(おなじみの「淳祐天文図」ですが、星図の下に刻まれた跋文の全訳が載っているのは有益)

しかも(‘しかも’が多いですね)、本書が取り上げるのは中国国内のみならず、その影響を受けた朝鮮半島や日本の古星図についても特に章を設けており、東アジア世界の古星図を俯瞰する上で、まことに遺漏がありません。

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以下に、各章の章題のみ挙げておきます。

 第1章 中国星図の歴史
 第2章 中国古天文学に関する基礎知識
 第3章 墳墓と建築の星図
 第4章 石刻星図
 第5章 紙本星図
 第6章 洋学と星図
 第7章 実用星図
  〔※航海星図や占星用星図など〕
 第8章 地理関連文献の星図
 第9章 識星の文献と星表
  〔※識星の文献とは中国星座の基本を教える『歩天歌』など〕
 第10章 器物星図
  〔※日常器物に描かれた星図や天球儀など〕
 補章A 朝鮮の古星図
 補章B 日本の古星図
(その他、巻末には参考文献と図版リストが掲載されています。)

(第10章 器物星図より)

まさに全方位死角なし。
西洋星図の歴史については、これまで多種多様な本が編まれてきましたが、東アジア世界の星図についても、ようやくそれらに匹敵する歴史書が出たわけです。まさに近来稀に見るクリーンヒットな出版物だと思います。

(補章B 日本の古星図より。この福井県・瀧谷寺所蔵の「天之図」は初見でした)

(同上。司馬江漢の「天球十二宮象配賦二十八宿図」のようなマニアックな図もしっかり解説されており、著者の目配りの確かさが窺えます)

…と、書いているうちに気分が上向いてきました。
やっぱりこういうときは「書くのが薬」です。

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今日は晴れ晴れとした好天気でした。
ブログを書いたり、庭仕事をしたり、地元の選挙に行ったりする合間に散歩をしていたら、街なかの木々もすっかり色づいているのに気づきました。考えてみれば、あとひと月でクリスマスですね。


兵庫ではまた妙な騒動が持ち上がっているようですが、地元の名古屋はさてどうなるか。師走を前にいろいろ気ぜわしいです。

江戸の星形を追う…アンサー篇2024年11月08日 18時44分12秒

まさに打てば響く。
昨日の記事の末尾で、「こうして書いておけば、きっと今後の展開もある」と書いたのが、こうも早い展開を見せるとは!こういうのを「啐啄の機(そったくのき)」というのかもしれません。

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「江戸の星形」については、すでに詳しい論考があることを、コメント欄でS.Uさんに教えていただきました。

■中村 士・荻原哲夫
 「高橋景保が描いた星図とその系統」
 国立天文台報 第8巻(2005)、pp.85-110.

大雑把にいうと、日本の江戸時代に流布した星図には2系統あり、1つは東アジアで独自に発展し、李氏朝鮮の『天象列次分野之図』の流れを汲む星図、もう1つはイエズス会宣教師が中国にもちこんだ西洋星図や星表が彼の地で漢訳され、日本に輸入された結果、生まれた星図です。

中村・荻原の両氏は、前者を「韓国系星図」、後者を「中国系星図」と呼んでいます。シンプルに、それぞれ「東洋系星図」、「西洋系星図」と呼んでもいいのかもしれませんが、ただ、ここでいう「西洋系星図」に描かれているのは、西洋星座(ex. オリオン座)ではなくて、やっぱり東洋星座(ex. 参宿)なので、無用な誤解を避けるため、ここは原著者に従って「韓国系」「中国系」と呼ぶことにしましょう。

ここで、「両方とも東洋星座を図示してるんだったら、「韓国系」と「中国系」は何が違うの?」と思われるかもしれません。その最大の違いは、「韓国系」は、星の位置情報のみが小円で表示されているのに対し、「中国系」は位置情報のみならず、星の明るさ(等級)の違いに関する情報が表現されていることです。そして問題の星形は、ここで登場するのです。

(中村・荻原の上掲論文(p.102)より転載。等級差の表示記号を両氏は「星等記号」と呼んでいます)

江戸の古星図に関して、私の目にはこれまで「韓国系」だけが見えていて、「中国系」の存在が欠落していた…というのが私の敗因なのでした。しかし、「中国系」の星図は、決して孤立例・散発例などではありません。上記論文はその作例として、高橋景保の『星座の図』(享和2年(1802))や、伊能忠誨(ただのり)の『恒星全図』、『赤道北恒星図』、『赤道南恒星圖』のような肉筆作品、さらには石坂常堅の『方円星図』(文政9(1826))や、足立信順の『中星儀』(文政7年(1824))(※)のような版本も挙げています。

この論文を読んで学んだことを、自分の関心に沿って整理すれば

① 江戸時代も後期に入ると、確かに『星形の星』が存在した
② その起源は、中国経由でもたらされた西洋由来の星の等級記号らしい
③ それは孤立例・散発例ではなく、一定の広がりをもって使用されており、もっぱらプロユースの星図上において使われた

…ということになろうかと思います。

   ★

「江戸の星形」に関して残された問題は、この「星形の星」が江戸時代の人にどれだけのリアリティをもって受け止められたか、つまり星の等級を識別するための、便宜的な記号という以上に、「なるほど、星を虚心に眺めれば、小円よりも、こういうトゲトゲした形の方が実際に近いよなあ…」と思ったかどうかです。

まあ、本当のことは、タイムマシンで当時の人に聞かないと分からないのですが、こういう「星形の星」が星図の世界を飛び出して、たとえば歌川広景の「江戸名所道戯尽三十六 浅草駒形堂」【参考LINK/リンク先ページの作例⑤】や、歌川国貞の「日月星昼夜織分」【天牛書店さんの商品ページにリンク】のような浮世絵にも顔を出しているところを見ると、ある程度の――全幅のとは言いませんが――リアリティを喚起したんじゃないかなあ…と想像します。


(※)中星儀については、以下に図入りで詳細な解説があります

ある星座切手が秘めた主張2024年11月02日 08時49分36秒

10月は「他愛ないものを買う月間」でした。
お尻を叩く絵葉書もそうだし、下の切手シートもそうです。


値段は送料込みで数百円。そのわりにずいぶんきれいな切手です。

元絵は、ローマの北50kmに位置するカプラローラの町にあるファルネーゼ宮(パラッツォ・ファルネーゼ)に描かれた天井画です。絵の作者はジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(Giovanni de' Vecchi、1536–1614)

(五角形をしたファルネーゼ宮。撮影:Fábio Antoniazzi Arnoni)

「ファルネーゼ」と聞くと、現存する最古の天球儀をかついだアトラス神像、「ファルネーゼ・アトラス」【LINK】を思い出しますが、このファルネーゼ宮こそ、かつてアトラス像が置かれていた、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(Alessandro Farnese、1520-1589)の邸宅にほかなりません。

ファルネーゼ宮の中には、「世界地図の間(Sala del Mappamondo)」と呼ばれる部屋があって、四方の壁には世界地図が、そして天井にはこの星座絵が描かれているというわけです。


ファルネーゼ枢機卿が、星の世界にどこまで心を惹かれていたかは分かりませんが、彼は古代ローマ彫刻の大コレクターだったらしく、ギリシャ・ローマの異教的伝統に連なる、星座神話の世界に関心を示したとしても不思議ではありません。いずれにしても、ここが天文趣味と縁浅からぬ場所であることは確かでしょう。

   ★

豪華絢爛な邸宅からチープな切手に話を戻します。
この切手は1986年のハレー彗星接近と、その国際観測協力を記念して発行されました。


4枚の切手の隅には、VEGA(ソ連)、PLANET-A(日本;日本での愛称は「すいせい」)、GIOTTO(欧州宇宙機関)の各探査機の姿が印刷されています。当時、ほかにも多くの探査機がハレー彗星に向かって打ち上げられ、「ハレー艦隊」と呼ばれました。



この切手は南太平洋の島国ニウエ(Niue)が発行したものです。

…と言いながら、私は恥ずかしながらニウエという国を知りませんでした。イギリス国王を元首とする立憲君主制の国だそうです。国連に正式加盟はしていませんが、日本は国家として承認している由。2022年現在の人口は1681人で、バチカン市国に次いで世界で2番目に人口の少ない国だ…とウィキペディアに書かれています。切手が外貨獲得の手段であるのは、小国にありがちなことで、この切手もそのためのものでしょう。

(絶海の孤島、ニウエ)

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私は最初、「たしかに美しい切手だけれど、このデザインはハレー彗星と関係ないし、他所から星にちなむ絵をパクってきただけじゃないの?」とも思いました。でも、それは私の浅慮で、ここにも切手デザイナーの深い配慮は働いていたのです。

(世界地図の間・天井画 https://www.wga.hu/html_m/v/vecchi/2mappa1.html


そう、切手化するにあたり、元絵が鏡像反転されているのです。
ファルネーゼ宮の元絵は、天球儀の星座絵と同様、地上から見た星の配列とは反対向きに描かれているのですが、切手の方はそれを再度反転させて、地上から見たままの姿になっています。

これは切手の方に文句なしに理があると思います。
何せ天井画なのですから、実際に星空を見上げた時と同じ姿になっていないと変だし、天井に描いた意味がないと思います(実際、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂や、サンタ・クローチェ教会の天井に描かれた、15世紀の星座絵は地上から見た姿で描かれています)。

…というわけで、たしかにハレー彗星とはあんまり関係ないにしろ、一見安易なこの切手にも、ある種の「主張」があり、そこに小国の気概みたいなものを感じました。

我らが星図作者、逝く2024年07月12日 18時52分03秒

現代を代表する星図作者ウィル・ティリオン氏が、先週7月5日に亡くなられたというニュースを目にしました。享年81。例によってメーリングリストで教えられたのですが、その投稿はさらに「スカイ・アンド・テレスコープ」の以下の記事にリンクを張っていました。

■WIL TIRION, 1943–2024
 By Govert Schilling (2024年7月9日付)

(Wil Tirion(1943-2024)、Alex P. Kok撮影。Wikimedia Commonsより)

「オランダの星図作者ウィル・ティリオンは、我々の時代における最も美しい星図を生み出した人として記憶されるだろう」という書き出しの記事を読み、私は初めてティリオン氏の個人的な事柄を知りました(そもそも、彼がオランダ人だということも、恥ずかしながら知りませんでした)。



ベストセラー『スカイアトラス 2000.0』(第2版、1998)の表紙には、その名がはっきりと記されています。でも、「WIL TIRION」という文字列が、私にとっては無機的な記号列のように感じられ、そこに生きた作者の存在を想像することがなかったなあ…と、今反省をこめて思います。


現代の星図は、膨大な星のデータを計算機が読み込んで、自動的に出力されるようなイメージが何となくあります。実際、機械の助けなしに現代の星図が成り立たないのも事実でしょう。しかし「美しくて見やすい星図」は、やはり人の目と手による繰り返しの調整作業の賜物に違いありません(星図制作の現場を知りませんが、おそらくは)。


この美しい星図を生み出したティリオン氏の略歴を、上記の記事をつまみ食いして述べてみます。

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ティリオン氏は、アマチュア天文家だった12歳の頃から星図づくりに魅了されていました。しかし、その作品が初めて公になったのは30代半ば、1979年にコリン・ロナンの「天文学百科事典」に5枚の星図が掲載された時のことです。

その星図の質の高さが知られるにつれて、星図作成の依頼が寄せられるようになり、彼の初期の代表作『スカイアトラス 2000.0』の初版は1981年に出ています。当時はまだコンピュータ導入前なので、そこに含まれる43,000の星はすべて手描きです。

当時のティリオン氏は、グラフィックデザイナー兼イラストレーターが本業で、星図制作はあくまでも「余技」だったのですが、次々に寄せられる依頼に応えるため、1984年に本業を辞め、星図づくりに専念するようになります。

その後は、大著『ウラノメトリア 2000.0』(1987-8)をはじめ、数々の傑作星図を生み出し、コンピュータによる作図に力点を移したあとも、そのエレガントな芸術的感覚を生かした星図づくりで確固たる地位を築いたのでした。

「魅力的で非常に気さくな人柄だったウィル・ティリオンは、彼が愛してやまない夜空の最新星図に取り組んだわずか数週間後に、短いが致命的な病気を発症して亡くなった。「小惑星4648ティリオン」は、彼の名前にちなみ、1993年に命名されたものである。ご遺族として奥様のコッキー、二人のお子様マーティンとナーラがあとに残された。その死はまことに惜しまれる。」…と記事は結ばれています。

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長い歴史をもつ星図制作史の1頁が、今まさに閉じられた瞬間に我々は居合わせたことになります。ティリオン氏のご冥福をお祈りします。

酷暑と克暑2024年07月06日 12時26分10秒

猛暑到来。やるせないほど暑いですね。

夏の酷暑を英語で「Dog days」と呼び、これはおおいぬ座のシリウスが「ヘリアカル・ライジング」、つまり日の出前のタイミングで東の空にのぼることに由来し、遠く古代ローマ、ギリシャ、さらにエジプトにまでさかのぼる観念の由。

(1832年出版の星座カード『Urania’s Mirror』複製版より、おおいぬ座ほか)

夜空にシリウスが回帰することは、エジプト人にとってはナイルの氾濫と豊作のサインでしたが、人間や動物にとってはいかにも苛酷な時期ですから、Dog days には退嬰と不祥と節制のイメージが伴います。

(同上拡大)

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ただし、そこはよくしたもので、今は地球が太陽から最も遠い時期に当たります。
今年、地球が太陽から最遠の「遠日点」に達したのは、ちょうど昨日でした。昨日、地球は太陽から1.017天文単位〔au〕(1auは、地球と太陽の平均距離)まで遠ざかり、これから楕円軌道に沿って徐々に太陽に近づき、来年1月4日に0.983au の「近日点」に至ることになります。

(Willam Peck『Handbook and Atlas of Astronomy』(1890)より、水星~火星の軌道図)

ごくわずかな違いのようですが、太陽に対する垂直面で考えると、遠日点にあるときは近日点にあるときよりも、受け取るエネルギーは約7%も少ない計算で、これは結構な違いです。これぞ神の恩寵、天の配剤と呼ぶべきかもしれません。

それを思うと、近日点と夏が重なる南半球の人はさぞ大変だろうなあ…と同情しますが、そのわりに暑さの最高記録が北半球に偏っているのは、あちらは海洋面積が北半球よりも圧倒的に広く、水が大量に存在するためでしょう。これまた天の配剤かもしれません。

【おまけ】

星座早見をくるくるやって、シリウスのヘリアカル・ライジングを探してみます。


秘蔵の<紀元2世紀のアレクサンドリア用星座早見盤>で試してみると、シリウスの出現は、7月上旬で午前5時頃。そしてアレクサンドリアの日の出もちょうどその前後ですから(今日の日の出は5:02)、今がヘリアカル・ライジングの時期ということになります。

でも、これは緯度によっても大きく変わります。


試みに戦前の三省堂星座早見をくるくるすると、シリウスが東の地平線上にのぼるのは、今の時期だと午前7時すぎで、当然肉眼では見えません。あとひと月半もすると、午前4時半ぐらいになるので、日本でもようやくヘリアカル・ライジングを迎えることになります。

白と金 vs. 青と黒2024年07月05日 05時44分28秒

星座早見盤の収集ガイド本【詳細はこちら】の著者、ピーター・グリムウッド氏は、本の冒頭、「イントロダクション」の中で、“こういう画像中心の本を編む場合、印刷の色チェックがきわめて大事である”と力説しつつ、自身の苦い体験を述べています。曰く、「私は2017年にeBayでマング社〔独〕の青い星座早見盤を購入したが、実物を見たら、それはほとんど黒に近いものだった!」

(問題の早見盤。左がたぶん購入時の商品写真でしょう)

ああ、これはがっかりしたろうなあ…と、その気持ちは本当によく分かります。

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色覚に限らず、ヒトの目と脳は往々にして騙されがちで、そこに見る者の予期・予断が作用すればなおさらです。

今日のタイトルは、以前ネットで話題になった下の画像から採っていますが、この服の色は<白と金>の縞か、<青と黒>の縞か、当時(2015年)もはげしい論争があったし、今でも見る人の目を大いに惑わせることでしょう。


この論争で面白かったのは、<白と金>を主張する人は<青と黒>を絶対に認めず、逆もまた然り、互いに自説を曲げず、そこに妥協の余地がなかったことです。これは両者が無駄に我を張っているわけではなく、実際当人の目にはそうとしか見えないのですから、仕方がありません。議論によって歩み寄れない問題というのも、世の中にはたしかにあります。

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最近、半年前に購入した1枚の星図を取り出す機会があり、グリムウッド氏の嘆きを思い出しました。この星図のことは、配送の途中で歌手のマドンナのポスターと取り違えがあって、すこぶる困惑した…という形で話題にしましたが【LINK】、その現物(商品写真)が以下です。



この美しい色合いはどうでしょう。古風な星座絵のバックに広がる澄んだ碧瑠璃。現代の星図としては出色の出来と思って、ネットで見るなり即座に注文したのでした。

しかし、届いたものはちょっと印象が違い、正直がっかりしました。
そこには商品写真に見られた繊細な碧瑠璃はなく、ひどく単純な青色があるばかりだったからです。


ただ、急いで付け加えると、自分で撮った上の画像も実物の色とは違います。商品写真よりは実物に近いですが、色味をどう調整しても実物の色は出せませんでした。ですから、売り手の人を一方的に責めることもできないんですが、それでも当てが外れたというか、見合い写真と本人の落差に驚いたというか、とにかくこの星図には、2度びっくりさせられました。

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色の世界は奥が深いです。

Constellations a la Rococo2023年12月21日 18時00分31秒

先日、スウェーデン生まれの美しい星図を話題にしたとき(LINK)「そういえば、この星図は例の本に載っていたかな?」と気になりました。
「例の本」というのは、星図コレクターのロバート・マックノート氏が編んだ、19世紀~20世紀前半の作品を中心とする大部な星図ガイドブックです(下記参照)。

■星図収集、新たなる先達との出会い

で、さっそく本棚から引っ張り出してきたんですが、さしものマックノート氏もこの星図にはまだ気付いてないようで、収録されていませんでした。こういうのは、たとえつまらない慢心と言われようと、あるいは「お前さんは、単にdubheさんの受け売りに過ぎないじゃないか」と言われようと、なんとなく誇らしいものです。

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そのついでに、しばらくぶりにマックノート氏の本をパラパラやっていたら、こんな星図が目にとまりました。


星図といっても書籍由来のものではなく、フランスで発行された宣伝用カードです。ベルサイユチックというか、ロココ調というか、星図そのものはともかく、そのカードデザインにおいて繊細華麗をきわめた品。

以下、マックノート氏による解説を引かせていただきます(一部抜粋、適当訳)。

星座のトレーディングカード、1900年頃
パリ、Hutinet〔ユーティネ〕社
豪華な金色の背景を伴う多色石版による3枚の宣伝用カード。
4.5インチ×3.25インチ〔11.5×8.3cm〕


この種のカードは、19世紀にしばしば6枚セットで発行され、さらに多くの枚数から成るシリーズ用として、カード保存用の専用アルバムも用意されていた。ここに挙げた2つの星座は、一般には代表的星座とは見なされないので、これら3枚も、おそらくはもっと多くのカードを含むセットの一部なのだろう(ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している)。

非常に希少な品。私が購入したカード専門のオークションサイトでも、もちろん「レア」と記載されていたし、当時インターネット上では何の情報も得られなかった。数年経つ今でも、私はまだ他の例を見たことがない。」

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この「激レア」カードは私の手元にもあります。


記録をさかのぼると、私は今からちょうど10年前にこれを購入していて、特に珍品とも意識せずにいましたが、マックノート氏にここまで書かれると、再び慢心がつのってきます。しかも、こちらは自前で見つけた品ですからなおさらです。



(裏面はすべて白紙)

私の手元にあるのは、いずれも星座単独のカード10枚で、北天星図カードが欠けているので、残念ながらこちらもコンプリートではありません。

では元のセットはいったい何枚で構成されてたのか?
ひょっとして、これは全天星座を網羅した一大シリーズなのだろうか?
…と思案するうちに、「ただし、はくちょう座もりゅう座も、下の北天カードに登場している」というマックノート氏の言葉に、はたと膝を打ちました。


この北天星図を凝視すると、

おおぐま座、こぐま座、ヘルクレス座、りゅう座、ふたご座、おうし座、アンドロメダ座、ペガスス座、はくちょう座、いるか座、こと座

の11星座が金色で刷られています。そして、こと座を除く10星座が私の手元に揃っています。これは即ち上記の11星座に北天星図を加えた、全12枚でセットが構成されていたことを意味するのではないしょうか(あるいは、さらに南天星座12枚セットも作られたかもしれませんが、この北天シリーズが12枚セットというのは動かないと思います)。

…というわけで、マックノート氏と私のたくまざる協働によって、幻の星座カードの全容まであぶり出されたわけで、まずはめでたしめでたし。

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ちなみに発行元のD. Hutinet社は、トレーディングカードの大手「リービッヒカード」(リービッヒ社のスープの素に入っていたおまけカード)も一部請け負った印刷会社のようです。またネットで検索すると、19世紀パリの写真機材メーカーに同名の会社が見つかりますが、両者の関連は不明。

(メーカー名は隅っこに控えめに書かれています)

なお、マックノート氏はこのカードを「1900年頃」と記載していますが、私的には「19世紀第4四半期」あたりのように感じます。

スウェーデン生まれの極美の星図2023年12月16日 07時47分05秒

(前回のつづき。今日は2連投です)

この地図帳と星図の存在は、dubheさんのツイートで教えられました。

博物画を専門に商い、豊富な知識と鋭い鑑識眼で知られるdubheさんをして、「星図は個人的には19-20世紀で最も美しい図版と思ってます」と言わしめた、この極美の星図をどうして手に入れずにおられましょうか。それが苦労の末に届いた時の喜び、それをどうか思いやっていただきたいのです。

(第49図)

(第50図)

第49図は黄道帯付近、第50図は南北両極を中心とした星図です。
いずれも見開きに左右振り分けで2枚の図が収録されているので、星図としては都合4枚になります。


それにしても、この表情といったら…。
厚手の高級紙、しかも私好みのニュアンスのある無光沢紙に、絶妙の色合いで刷られた夜空と星、そして繊細な星座絵。


煙るような銀河の表現は、本当にため息が出るほどです。


私を含め、多くの方がdubheさんの言葉にうなずかれるのではないでしょうか。


スウェーデンの天文古書というと、基本的に他国の翻訳物が多い印象がありましたが、こんなふうに卓越したデザイン能力と印刷技術を見せつけられると、もっと本腰を入れて探すべきではないかと思いました。

北欧世界地図帳2023年12月16日 07時40分52秒

今日はひさしぶりの休日。記事を再開します。

   ★

前回登場したいわく付きの地図帳ですが、あの地図帳には、さらに長い前史…というほどでもありませんが、経緯があります。あれを注文したのは、前述のとおり今年の9月でしたが、私は同じ本を5月にも一度注文しています。しかし、オランダの本屋さんからは待てど暮らせど発送の連絡がなく、メールで問い合わせても梨のつぶて。結局しびれを切らして、3か月目にキャンセルしました(このときは古書検索サイトが、古書店に代わって返金処理をしてくれたので助かりました)。

その後、2度めのチャレンジの結果がどうなったかは、前回書いたとおりです。

しかし、あの地図帳をどうしても手に入れたかった私は、スウェーデン王立図書館の権威を振りかざす怪しい古書店と揉めている最中、別の店に3度めの発注をかけました。幸い「二度あることは…」とはならず、今度は無事に真っ当な商品が届いて、ほっと胸をなでおろしました。正直、2軒めの店のせいで、スウェーデンの印象もだいぶ悪化していましたが、やはりスウェーデン人の多くは実直で、2軒めの店主が特異なのでしょう。


三度目の正直で届いたのがこちら。


50枚の図版を含むだけあって、36枚の図版しか含まない問題の地図帳(上)と比べると、判型は同じでも、厚さがずいぶん違います。

改めて本書の書誌を記しておきます(ちなみに36図版バージョンも、同出版社・同書名・同発行年なので要注意)。

■S. Zetterstrand & Karl D.P. Rosén(編著) 
 Nordisk Världsatlas(北欧世界地図帳).
 Nordisk Världsatlas Förlag (Stockholm), 1926.
 表紙40×26 cm、見開き図版50図+解説136頁+索引48頁

書名で特に「北欧」を謳っているのは、一連の地図の中でも、特に北欧エリアが詳細だからでしょう(「北欧」のパートには全11図が含まれています)。



上質の紙に精細に刷り上げた美しい石版の地図帳は、大戦間期の世界を覗き込む興味はもちろん、紙の本ならではの「めくる愉しみ」に富んでいます。
それだけなら、36枚版でもいいのでしょうが、私が50枚の図版にこだわったのにはワケがあります。


STJÄRNHIMMELN ――すなわち「星図」。
この地図帳の最後を飾る第49図と第50図は美麗な星図で、それをどうしても手に入れたかったからです。

(この項つづく)