夫は太陽を射落とし、妻は月へと逃げる2023年10月01日 08時03分55秒

(昨日のつづき)

羿(げい)はたしかに英雄ですが、女人に対しては至らぬところがあったらしく、妻に逃げられています。

羿は、西王母から不老不死の仙薬を譲り受け、秘蔵していたのですが、ある日、妻である嫦娥(じょうが)がそれを盗み出して、月まで逃げて行った…というのが、「嫦娥奔月(じょうがほんげつ/じょうがつきにはしる)」の伝説で、まあ夫婦仲がしっくりいってなかったから、そんなことにもなったのでしょう。

ただ、このエピソードは単なる夫婦の諍いなどではなくて、その背後には無文字時代から続く長大な伝統があるらしく、その意味合いはなかなか複雑です。いずれにしても、満ちては欠け、欠けては満ちる月は、古来死と復活のシンボルであり、不老不死と結びつけて考えられた…という汎世界的な観念が、その中核にあることは間違いありません。

嫦娥はその咎(とが)により、ヒキガエルに姿を変えられたとも言いますが、やっぱり臈たけた月の女神としてイメージされることも多いし、嫦娥自身は仙薬の作り方を知らなかったのに(だから盗んだ)、月の兎は嫦娥の命を受けて、せっせと杵で仙薬を搗いてこしらえているとも言われます。

この辺は、月面にあって無限に再生する巨大な桂の樹のエピソード等も含め、月の不死性に関わる(おそらくオリジンを異にするであろう)伝承群が、長年月のうちに入り混じってしまったのでしょう。そんなわけで、物語としては何となくまとまりを欠く面もありますが、中国では月の女神といえば即ち嫦娥であり、中国の月探査機が「嫦娥1~5号」と命名されたのは、記憶に新しいところです。

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嫦娥にちなんで、こんな品を見つけました。


この古めかしい箱の中身は、大型の墨です。



側面にある「大清光緒年製」という言葉を信じれば、これは清朝の末期(1875~1908)、日本でいうと明治時代に作られた品です(「信じれば」としたのは、墨というのは墨型さえあれば、後から同じものが作れるからです。)


裳裾をひるがえし、月へと急ぐ嫦娥。


提灯をかざして、気づかわしそうに後方を振り返っているのは、追手を心配しているのでしょうか。


その胸には1羽の兎がしっかりと抱かれています。
月の兎は嫦娥とともに地上から移り住んだことに、ここではなっているみたいですね。

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夫は太陽を射落とし、妻は月へと逃げていく―。
夫婦別れしたとはいえ、宇宙を舞台に、なかなかスケールの大きい夫婦です。「嫦娥X号」の向こうを張って、将来、中国が太陽探査機を打ち上げたら、きっと「羿X号」とネーミングされることでしょう(※)

なお、この品は「和」骨董ではありませんが、他に適当なカテゴリーもないので、和骨董に含めておきます。


(※)これまた中国神話に由来する「夸父(こほ)X号」が、すでに運用を開始しており(現在は1号機)、報道等でこれを「太陽探査機」と呼ぶことがありますが、正確には地球近傍で活動する「太陽観測衛星」であり、夸父自ら太陽まで飛んでいくわけではありません。

太陽を射る2023年09月30日 13時25分13秒

昨晩は月が美しく眺められました。
盗っ人と天文マニアを除いて、月明かりが一般に歓迎されるのは、それが涼やかな光だから…という理由も大きいでしょう。彼岸を過ぎてなおも灼けつく太陽を見ていると、一層その感を強くします。

平安末期に編まれた漢詩アンソロジーに『本朝無題詩』というのがあります。
無題詩というぐらいですから、すべて題名のない詩ばかりですが、便宜上テーマ別に類纂されていて、その卷三には「八月十五夜翫月(はちがつじゅうごやに つきをめづ)」の詩が集められています。そこに、「一千餘里冷光幽(いっせんより れいこうかすかなり)」の一句を見出して、はたと膝を打ちました。作者は不明ですが、青みを帯びた月の光が、どこまでも海のように広がっている様を詠んだものとして、実に美しい一句です。

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さて、中国の古代神話に、羿(げい)という弓の名人が登場します。

羿は太陽を射落としたことで有名です。伝説によれば、かつて天には10個の太陽が存在し、最初は1個ずつ順番に世界を照らしていたのが、あるとき秩序に乱れを生じ、10個の太陽が同時に空に輝くようになりました。途端に地上は灼熱の世界と化し、耐え難い状況となったため、皇帝の命を受けた羿が10個の太陽のうち9つを射落とし、世界は事なきを得た…という話です。

今年の猛暑の最中、空を見上げては「今の世に羿はおらぬものか…」と思ったりもしました。でも、残り1個のかけがえのない太陽ですから、迂闊にそんなわけにもいきません。せいぜいおもちゃで、太陽を射る羿の気分でも味わうか…と思い出したのが、下のドイツ製の玩具です。これは以前も登場済みですが【LINK】、そのときは購入時の商品写真でお茶を濁したので、今回は撮り下ろしの写真で再度紹介します。


戸棚から出してきたら思いのほか大きくて、箱の横幅は約43.5cmあります。


箱の中には、射的の的と的を机に固定する金具、それに弓矢のセットが入っています。


ゴム製の吸盤がついた矢をつがえ、竹製の弓をきりきりと引き絞り…


見事太陽(左)に当たると、的がくるっと上下に回転して、裏面に隠れていた月が顔を出す(右)という仕組み。まあ、他愛ないといえば他愛ないし、ちゃちいといえばちゃちいゲームですが、それが表現するものはなかなか気宇壮大です。

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なお、以前の記事では、この品を大雑把に1950~60年代のものと書きましたが、今回改めて箱を見たら、下のようなラベルが貼られているのを見つけました。


製造元は東ドイツの「BEKA」で、「EVP 7.90 MDM」というのは、「小売販売価格7.90ドイツ中央銀行マルク」の意味だそうです。この「MDM」という通貨単位が使われたのは、1964~67年のごく短い時期なので、この品も1960年代半ばのものということになります。

月に祈る2023年09月29日 11時14分36秒

今日は旧暦の8月15日、中秋の名月です。
幸いお天気も好いので、明るい月を眺められそうです。


上はお月見の古絵葉書(石版手彩色)。おそらく大正時代、1920年前後のもの。


月を待つ若い母親と二人の幼い兄弟。
キャプションが英語なので、これは日本風俗を紹介する外国人向けの品らしく、そのまんま実景というよりは、少し演出が入っているかもしれません。それでも100年前の八月十五夜に流れていた穏やかな空気を思い起こすには十分です。


冒頭、「AUGUST」が「AUAUST」になっているのはご愛嬌。続けて読むと、「8月15日の夜に月を観ることは古来の習慣である。そして15個の団子とさまざまな果物を月前に供える」といったことが書かれています。

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この写真が穏やかであればあるほど、その後の苛烈な時代を、彼らがどう生きたか気になります。だいぶ時間軸がねじれている気もしますが、「どうか皆、無事であれかし…」と、今宵の月に向かって祈りたいと思います。

賢治先生、よい旅を!2023年09月27日 18時49分24秒

――賢治先生!

おや、あなたは?

――はじめまして。先生がボクのことをご存知ないのは当然です。ボクは先生没後のファンなんです。

ああ、そうなんですね。

――このたびは没後90周年、おめでとうございます。

ありがとう…というのも妙な気分ですが、もうそんなになりますか。

――ええ。何せ先生が亡くなられた後に生まれたボクの父が、先年老衰で亡くなったぐらいですから。

なるほど。でもそんなに長い間、私のことを覚えていてくれる人がいて嬉しいです。

――ボクだけじゃありません。本当に多くの人が先生のことを思ってるんです。

それをうかがうと、私がなかなか彼岸に出立する決心が付かなかったのも道理ですね。

――先生のお袖を引いたみたいで申し訳ありません。でもお会いできてよかった。そういえば、お彼岸の時期には間に合いませんでしたが、先生の旅のお供にと思って、こんなものを見つけました。


おや、これは?

――盛岡高等農林特製のクールミルク…先生はこの品をご記憶じゃありませんか?ぜひ母校の味を味わっていただければと思ったんですが。

これはありがとう。懐かしいですね。ただ、これは私の在学中の品じゃありません。もう少し後に出たものでしょう。

――それはちょっぴり残念です。でも、お口にされたことは?

ええ、飲んだことがあるのは確かです。でも味の記憶がちょっと曖昧で…。

――何だか微妙な感じですね。

(旧・盛岡高等農林学校 門番所。ウィキペディアより)

そもそも、あなたはこれをどんな飲み物だと思われますか?

――なんでしょう、コンデンスミルクみたいなものですか?

見た目はたしかにそんな感じですが、でも味はもっと酸っぱいです。大正8年…というと1919年ですが、私が高等農林を卒業して、そのまま研究生として学校に残っていた時分に、例のカルピスが発売されて、盛岡でもかなり評判になりました。それから8年後、昭和2年には森永から「コーラス」という類似品まで出て、これまた結構売れたんです。ちょうどその頃でしょう、カルピスやコーラスの人気にあやかって、盛岡高等農林の畜産実験室がその「まがい物」を商品化したのは。

――3倍に薄めて飲むというのは、なるほどカルピスっぽいですね。

当時としては、教育機関がこんな商売に手を染めるのは異例のことですから、卒業生の間でも相当話題になって、私のところにもひと瓶送ってきました。だから私も確かに口にしたはずなんですが、味の方はカルピスの記憶とごっちゃになってしまって…。まあ、印象に残らないほどの味だった、ということかもしれませんね(笑)。

――すみません、どうも旅のお供には、ふさわしくなかったようで。

いやいや、そんなことはありません。味にしたって別に不味かった記憶もないんですから、ふつうに美味しかったにはちがいないんです。それに懐かしさという点では、カルピスなんかよりも数倍上ですから、この世の思い出として、彼岸への道中でのどを潤すには恰好の品です。本当にありがとう。

――そう言っていただき、ホッとしました。では、どうぞ道中お気をつけて。

ええ、また気が向けばこちらにお邪魔することもあるでしょう。それまであなたもどうぞお元気で。この手向けの品はありがたく頂戴します。では!

――賢治先生、よい旅を!



【注】 上記のことは、1枚のラベルから想像をふくらませて書いたので、事実とまったく異なるかもしれません。そもそも、これがカルピスの「パチモン」として作られたというのは私の憶測にすぎません。でも何となくそんな気がしています。

夜の真ん中で2023年09月24日 08時27分11秒

月夜の幻灯というと、こんなのもあります。


In The MIDDLE of the NIGHT 「夜の真ん中で」

世界が青い夜の底に沈む時。
夜会帰りなのでしょうか、パイプを口にした伊達男が、深夜0時を告げる時計塔と、か細い月をぼんやり眺めています。


ニューヨークの幻灯メーカー、Maurice Workstel 社が売り出した「ソングヒット・スライド」シリーズの1枚。これは当時の流行曲を歌詞入で紹介する体のもので、上に掲げたのは、Billy Rose 作詞、Walter Donaldson 作曲の「In the Middle of the Night」の冒頭部。この曲は1925年に発表されており、スライドもたぶん同時期のものでしょう。

(アメリカのAmazonで当時の楽譜が売られていました)


同曲の冒頭につづく1枚。こちらはヴェネツィアらしい異国の夜景です。
青紫の空。水面にきらきら反射する月明かり。そしてゴンドラの中では、きっと男女が睦言を交わしているのでしょう。

手元にはこの2枚しかありませんが、元はもっとたくさんあったはずで、歌詞のほうは

In the middle of the night, 
the moon was bright, 
and by its light I kissed you. 

In the middle of a kiss 
you sighed with bliss, 
and whispered this "I missed you" 
in the middle of a glance.....

と続くらしいです。いかにも甘い男女の曲ですね。

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ときに上の2枚を比べると、月相が大きく異なります。
深夜の中天にかかるのは、当然2枚目のように満月であるべきで、1枚目のように夜明け前に顔を見せる「有明月」では変なのですが、これは孤独な男の心象風景…ということかもしれません。

月夜のドラマ2023年09月22日 19時13分06秒

彼岸を迎え、夏ともしばしの別れです。
これからは秋の夜長を味わいつつ、本を読み、沈思するのが相応しい季節ですね。古風な言い方をすれば「灯火親しむの候」ですから、ここでは一枚の幻灯を眺めてみます。


木枠におさまった、おそらく19世紀後半の品。
これだけだと何だかわかりませんが、灯りに透かしてみると…


謎めいた湖畔(海辺?)の町と、それを見下ろす月が描かれています。


題して「THE SLEEPING CITY No.1」(眠れる町、第1景)
No.1ということは、続きがあって、ここから何か物語が始まるのでしょうが、手元にはこれしかないので、それがどんな物語かはまるで分かりません。その謎めいた感じに惹かれて購入した1枚です。


ふと気づけば、幻灯が影を落とした白紙の上で、すでに不思議な物語は始まっているようでした。

銀河忌2023年09月21日 18時13分52秒

先日も書いた通り、今日9月21日は宮澤賢治の命日です。
そして、今年は彼が亡くなってから90年目の節目の年です。


思うに1933年の世相と2023年のそれは、不思議とよく似ています。
どちらも重苦しい不景気が世を覆い、貧しい者は飢えに泣き、排外的で好戦的な世論が活気づく一方、学問は世情に膝を屈し、マスコミの筆鋒はきわめて鈍いです。

くしくも前年の1932年には犬養首相が、そして2022年には安倍首相が暗殺されました。両者の背景は大いに異なりますけれど、一国の宰相が公然と凶弾に斃れるというのは、まことに不穏な話で、このままいくと1936年の「226事件」に続き、2026年に新たなクーデターが起こっても、私は決して驚きません。
付記: すみません、安倍氏は「元首相」であり、「元宰相」でしたね。訂正します。】

もし賢治が今の世を見たら、何を思うでしょう?
顔をしかめるか、苦笑いするか、それとも静かに慰めの言葉をかけてくれるか?
いずれにしても、彼は「人の本当の幸せ」を追い求める物語を再び綴り始め、それを止めることは決してないでしょう。

(賢治が愛読した島地大等著『漢和対照 妙法蓮華經』より「見宝塔品(けんほうとうほん)」の冒頭)

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今年は賢治の霊前にぜひ何かお供えを…と思って、新たに見つけた品があるので、それが届いたらまた記事にしようと思います。

リリパット・プラネタリウム2023年09月20日 18時22分59秒

プラネタリウムの模型というのは、ありそうでないものの1つです。
もちろん、小型のホームプラネタリウムは山のようにありますが、あの古風なダンベル型のフォルムをした、机辺に置いて愛玩するに足る品は、ほぼ無いと言っていいでしょう。

ここで「ほぼ」と頭に付けたのは、以前、古い真鍮製のペーパーウェイトを見たことがあるからで、絶対ないとも言えないのですが、あれは極レアな品ですから、まあ事実上「無い」に等しいです。

(Etsyで見つけた商品写真。見つけたときには既に売り切れでした。ねちっこく探したら、過去のオークションにも出品された形跡がありましたが、稀品であることに変わりはありません。)

あれを唯一の例外として、あとは自分で図面を引いて3Dプリントした方とか、100均で手に入るパーツを組み合わせてDIYされた方とか、皆さんいろいろ工夫はされているようですが、入手可能な製品版というのは、ついぞ見たことがありません。プラネタリウム好きの人は昔から多いことを考えると、これはかなり不思議なことです。

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…という出だしで記事を書きかけたのは、今年の春のことです。でも、そんなボヤキだけでは記事にならないので、それは下書きで終わっていました。

しかし、昨日次のような情報に接して衝撃を受けました。


本文には、「タカラトミーアーツから、プラネタリウム100周年記念事業の公認企画商品「プラネタリウム100周年記念 ZEISS プロジェクター&ミニチュアモデル」がカプセルトイに登場! 2023年9月から全国のカプセル自販機(ガチャマシン)で順次発売」とあります。

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ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』…というのは一種の自己啓発本で、昔はしょっちゅう新聞に広告が出ていましたが、さっきアマゾンで見たら、今でも着実に版を重ねているらしく、「へえ」と思いました。あの手の本としては古典中の古典なので、コンスタントな人気があるのかもしれません。

私は自己啓発が苦手なので、もちろん読んだことはありませんが、「思考は現実化する」というフレーズだけは記憶に残っていて、ふとした折に口をついて出てきます。今回も半ば呆然としながら、このフレーズを呟いていました。

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この手のものを買うのは久しぶりですが、この機を逃すときっと後悔するでしょうから、さっそく予約しました。

ヘイデン・プラネタリウムのペンダント2023年09月19日 17時54分44秒



ニューヨークのヘイデン・プラネタリウムで、かつてお土産として売っていたペンダント。気楽なお土産品ですから、全体の作りは安手な感じですが、青緑の背景に光る銀のプラネタリウムは、なかなか美しい配色です。

(ペンダントの裏側)

で、気になったのは「これって、いつぐらいのものなのかな?」ということ。
鉄アレイ型の古風な投影機のシルエットは、これが少なからずビンテージな品であることを物語っています。

下はWikipediaの「Zeiss projector」の項に挙がっている同館の投影機の変遷を日本語化したものです(Zeissの型式呼称は、「Mark 〇〇」とか「Model 〇〇」とか、表記が揺れていますが。Zeiss社自身は後者を採用しているようなので、ここでも「モデル〇〇」で通します)。


ヘイデンは一貫してツァイス社の製品を使っており、そこには長い歴史があります。このうち明らかに異質なのは、ずんぐりしたお団子型のモデルIXです。

(ヘイデンの現行機種であるモデルIX。American Museum of Natural Historyのサイトより「Zeiss Projector」の項から転載)

日本でも最近はこういう形状のものが大半なので、「プラネタリウムというのはこういうもの」というイメージにいずれ変っていくのでしょうが、私にとってはやはり旧来の「ダンベル型」のイメージが強烈です。

下はヘイデンを被写体にした同時代の報道写真で、eBayで見かけた商品写真をお借りしています。


左は1935年、右は1960年とクレジットされていたので、それぞれモデルIIモデルIVでしょう。本体の見た目はそんなに変わりませんが、昆虫の脚っぽい支柱がすっきりしたのが目立つ変化です。これはその後のモデルVIも同様で、モデルVIになると、さらに支柱のみならず、投影機の胴体周りも幾分すっきりしています。

(ヘイデンの画像が見つからなかったので、これはシュトゥットガルト・プラネタリムに設置されたモデルVIの写真です(1977)。出典:ZEISS Archive

ペンダントに描かれた投影機はデフォルメと簡略化が著しいですが、もろもろ考え合わせると、どうやらモデルVIの時代(1973~1997)のものらしく、全体がピカピカと新しいのも、この推測を裏付けています。


とはいえ、これでもすでに四半世紀以上昔の品であり、「プラネタリウム100年」の歴史の一コマを飾る品と呼ばれる資格は十分ありそうです。

インドラの網のその彼方へ2023年09月17日 10時09分34秒

Etsyに出品している方に、こんなものを作ってもらいました。

(木製フレームの外寸は25cm角)

ブルガリア在住のその方は、時刻と場所を指定すると、その時・その場で見える星空を正確に計算して、こんなふうに宝石を散りばめた星図として作ってくれるのでした。主に大切な人への誕生日のプレゼント用のようです。しかし、私が今回あつらえたのは誕生日ではなく、ある人とのお別れの日を記念するためです。


SEPT 21. 1933/HANAMAKI, IWATE/39°23′N 141°7′E

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90年前の9月21日、宮澤賢治は37歳で息を引き取りました。
上のキャプションには年月日までしか書かれていませんが、時刻は13:30、賢治の臨終のときに合わせてあります。

 「九月十七日から鳥谷ヶ先神社祭礼。連日、店先へ下りて人の流れや鹿踊り、神輿を観る。二十日、容態が変る。急性肺炎。しかし夜七時頃肥料相談に来た農民には衣服を改め一時間ばかり正座して応対した。夜、並んで寝んだ清六に原稿を託す。翌二十一日午前十一時半、喀血。国訳法華経一千部の印刷配布を遺言し、自ら全身を、オキシフルに浸した綿で拭ったのち息絶え、魂はとび去った。午後一時三十分だったという。」 (天沢退二郎(編集・評伝)、『新潮日本文学アルバム12 宮沢賢治』より)

(出典:同上)

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その作品を通して、空を色とりどりの宝石で満たした賢治。


 「いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。素敵に灼きをかけられてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の砂も一つぶずつ数えられたのです。
 またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。」

心象風景を美しい散文詩で描き出した『インドラの網』の一節です。


「『ごらん、そら、インドラの網を。』
 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互いに交錯し光って顫えて燃えました。」

全天を覆う赤経・赤緯線とそこに散りばめられた星座たち。
現代の星図は、まさに「インドラの網」さながらに感じられます。


昼日中のこととて、人々の目には見えませんでしたが、賢治の旅立ちを見送った(あるいは迎え入れた)星たちは、たしかにこんな顔触れだったのです。

(この星図には、太陽・月・諸惑星の位置もきちんと表示されています)

思うことは多々ありますが、今は贅言を慎んで、間もなく訪れる90年目の忌日を静かに迎えたいと思います。