へびつかい些談(2) ― 2025年01月03日 10時16分26秒
星座絵で蛇遣いが抱えているのは、ニシキヘビみたいな大蛇ですが、そもそもヨーロッパに大蛇はいないんじゃないでしょうか。
アスクレピオスの蛇のモデルとされるのが、ヨーロッパ原産のZamenis longissimus、英名Aesculapian snakeで、和名のクスシヘビ(薬師蛇)もアスクレピオスにちなんだ訳語です。
(クスシヘビ。荒俣宏『世界大博物図鑑』第3巻「両生・爬虫類」編より)
属レベルで異なるものの、日本のシマヘビやアオダイショウと同じナミヘビ科に属します。体長は大きいもので2mちょっと、普通は1.1~1.6mぐらいだそうなので、「大蛇」という感じでは全然ないですね(それでもヨーロッパでは最大のヘビだそうです)。
(ローマ時代のAD150年頃、より古いギリシャ彫刻を模して作られたファルネーゼ天球儀【参考LINK】の18世紀における模写図より。出典:Ian Ridpath’s Star Tales: The Farnese Atlas celestial globe)
現存する最古の天球儀、「ファルネーゼ天球儀」に刻まれた蛇も、まあ大きいといえば大きいですが、それほど大蛇感はありません。
(紀元前3世紀のアラトスが著した『天象詩(Phaenomena)』のラテン語訳註解を書写した、通称「ライデン・アラテア」(複製)より)
上の9世紀の古写本に描かれた蛇もずいぶん細くて、ある意味リアルな描写だと思いますが、当時のヨーロッパの人がイメージするヘビは、まあこんなものでしょう。
16世紀以降、へび座が大蛇化したのは、大航海時代を迎えて、ヨーロッパの人が実際に大蛇に触れる機会が増えたからかもしれません。
…というような、どうでもいい話を枕に、次回は本題である蛇遣いとアスクレピオスの関係について考えてみます。
(この項、さらに続く)
へびつかい些談(1) ― 2025年01月02日 15時44分39秒
年明けの話題は自ずと蛇になります。
蛇の星座といえば、うみへび座(Hydra)や、みずへび座(Hydrus)もありますが、海蛇にしろ水蛇にしろ、蛇界ではマイナーな存在なので、ここでは普通にへび座(Serpens)とへびつかい座(Ophiuchus)を採り上げます。
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へびつかい座は夏の星座で、さそり座を踏みしめ、ヘルクレスと背中合わせに立っています。今の季節だと、ちょうど近くに太陽があるので、その姿を見ることはできません。
(日本天文学会編『新星座早見・改訂版』(三省堂、1986)より)
上の星座早見に描かれた線画は、星座絵でおなじみの蛇遣いの姿そのままで、星座の中でも、へびつかい座はわりと「名」と「体」が一致している部類でしょう。
(恒星社版『フラムスチード天球図譜』より)
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ところで「蛇遣い」というと、ピーヒョロ笛を吹いて、かごの中からコブラを誘い出す「インドの蛇遣い」を連想します(あれをネタにした東京コミックショーの記憶が私の中では強烈です)。でも、星座の蛇遣いはどうもそんな風でもないし、あの人は大蛇を抱えていったい何をしているのか?
もちろん、星座神話の本をひもとけば、あれは古代ギリシャの医神アスクレピオスが天に昇った姿で、彼は蛇の絡みついた杖を携えていたことから、蛇が一緒に描かれているのだ…と書いてあります。でも星座の蛇遣いは杖も持ってないし、古代のお医者さんだって、薬草を調合したり、瀉血術を施したりするのがメインだったはずで、大蛇を抱えていては治療がしにくかろうと、なんだか釈然としないものを感じます。
(アスクレピオスの石膏像(AD 160)。後期古典期のギリシャ彫刻をローマ時代にコピーしたもの。エピダウロス考古学博物館蔵。ウィキメディアコモンズより)
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そもそも「へびつかい座」という和名が、あんまりよくないんじゃないか…と思います。原語の「Ophiuchus」にしろ、その異名である「Serpentarius」にしろ、本来の語義は「蛇を手にした者(Serpent-handler、Serpent-holder)」であり、何か積極的に蛇を使役するイメージはありません。
(Serpentariusと記されたへびつかい座。BC1世紀の著述家・ヒュギヌスの作とされる『天文詩(Poeticon Astronomicon)』のヴェネチア版刊本(1485)複製より)
明治43年(1910)に出た日本天文学会編纂の『恒星解説』では、「蛇遣(へびつかひ)」となっていて、現行の名称はこの頃定まったものと思いますが、それ以前は「提蛇宮」とも訳されていて(※)、語呂はともかく、意味としては「提蛇座」とした方が原義に忠実という気がします。
(※)明治35年(1902)刊・横山又次郎著『天文講話』。ただし直接参照したのは明治41年(1908)第5版。
(おせちを食べつくした重箱の隅をつつきながら、蛇遣いの話を続けます)
辰から巳へ ― 2025年01月01日 09時18分33秒
年末はきのこ ― 2024年12月31日 11時14分57秒
年を経るごとにだんだんいい加減になってきているものの、年の暮れともなれば、やっぱり大掃除をしないと落ち着きません。というか、「大掃除のときにやろう」と先送りしていた課題が山積みで、いよいよやらざるを得ないというのが実情です。
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とはいえ、忙中おのずから閑あり。
大掃除の合間に、師走の町でのんびり古本を探す折もあります。最近、動植物などの博物系の本を買うことが少なかったですが、のんびり気分にはのんびりした本がいいと思って、一冊のキノコの本を買いました。
『岡山県菌類方言図譜』。
和本仕立てで、それだけでものんびりした感じですが、中身がまた「ガリ版手彩色」という素朴な印刷で、一層のんびり感を掻き立てます。
本書はその名の通り、岡山県内における、各種キノコの地方的呼称を図入りで類纂したものです。図は原則としてすべて実物大、そこに淡彩を施し、きのこの名称を添えていますが、昔は食用キノコにしても、村々の狭い生活圏の中で流通が完結していたのか、岡山県の中でも、その名称は実に多様です。上の右図では、「マツタケモドキ(赤磐郡葛富村)」、「シバタケ(岡山市)」、「オバサン、マッタケノオバサン(久米郡加美村)」という4つの名を挙げています。
上の図は堂々とした、いかにも人目につきやすいキノコですが、
村人たちは、このように地味なキノコにも目を留めて、名を与えていました。ただ、和気郡伊里(いり)村の人は、いずれも「モトヨセダケ(モトヨセタケ)」と同じ名で呼んでいたものの、これはどうみても違う種類だろう…ということで、著者は別図で紹介しています(他にも同名異種のものがいくつかあって、これらもすべて別図に描かれています)。
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さて、本書の書誌と成立事情です。
奥付を見ると、発行は昭和8年(1933)12月、著作者は桂又三郎、発行・印刷所は中国民俗学会となっています。住所は同じなので、同学会を主宰していたのが桂又三郎であり、その自宅に事務局を置いていたのでしょう。
桂又三郎(1901—1986)は、国会図書館のデータベースによると、昭和初年から岡山県の方言と民俗に関する著作を次々と発表し、当初はもっぱら岡山県の郷土史家として活動していましたが、その後、備前焼の研究に進み、戦後は備前焼をはじめとする古陶研究家として知られた人です。
(ワタリウム美術館(編)・萩原博光(解説)『南方熊楠菌類図譜』新潮社、2007)
民俗学と菌類といえば南方熊楠(1867—1941)を連想する方も多いでしょうが、桂もまた熊楠同様マルチな人で、『岡山県菌類方言図譜』も、彼のマルチな関心の中で生まれた著作なのだと思います。
(本書所収のキノコの図はすべて著者が実物からスケッチしたもので、一部は断面図を付しています)
ただ、熊楠ほど桂の関心は菌類そのものに向かわなかったようで、その記載が生物学的に不十分なのは惜しまれます(序文には「学名或は標準和名を附すべきであるが、之は専門家の鑑定によらざれば危険なるため、後日別冊として提供することにした」という断り書きがあります)。
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それにしても、本書を手にし、桂のような人の存在を知ると、戦前の民俗学―すなわち柳田国男(1875-1962)がいうところの「郷土研究」が、地方の有為な人々をどれほど魅了し、いかに多くの知的エネルギーがそこに注ぎ込まれたか、改めて実感されます。野尻抱影(1885-1977)の星の和名採集が、短期間であれほどの成果を挙げたのも、当時の郷土研究熱なくしては考えられません。
序文には「和気郡伊里村の資料は全部正宗敦夫先生の厚意によるものである」とあります。正宗敦夫(1881-1958)は、作家・正宗白鳥の実弟で、国文学者・歌人として知られた人ですが、この頃はやっぱり民俗熱に当てられていたのでしょうか。
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本書は1種=1図=1頁の構成で、全60図を収めています。
それらを1枚1枚眺めていると、やっぱりのんびりした気がします。
なんとなく江戸時代の本草書を見ているようで、そこがまた実にいいと思いました。
変わる歳末風景 ― 2024年12月30日 10時39分58秒
今年は郵便代の値上げのせいで、年賀状じまいをされた方も多いと思います。
私もご多分に漏れず、今年は賀状を書くのをやめてしまいました。「年賀状じまいの挨拶」すらさぼったので、かなり義理を欠くことになりますが、まあ自分は“その筋”の関係者でもないし、それほど義理を重んじることもなかろう…と達観することにしました。
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(Prosit Neujahr ! 新年おめでとう!)
20世紀初めにドイツで刷られた古絵葉書。
空で行きずりの挨拶を交わす三日月と彗星、それを望遠鏡で見上げるスノーマン親子を、クロモリトグラフで仕上げたかわいい作品です。
消印を見ると、1909年12月31日に、ドイツ東部の田舎町ゲリングスヴァルデで投函されたものと分かります。
この種のカードは今も大量に残されていて、紙モノマーケットで一大勢力を誇っています。上のカードは日本の年賀状と同趣旨の、もっぱら新年の挨拶用ですが、クリスマスカードと一体化しているものも多く、この辺は国によっても多少習慣が異なるのでしょう。
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ときに、ふと気になったのが、昨今のクリスマスカード事情です。
ひょっとして日本の年賀状離れと同様のことが、海の向こうでも起こっているのかなあ…と考えつつ検索すると、ただちに関連記事がいくつも出てきます。
たとえば、下はWEB版「The Citizen」誌に、同誌のシニア・レポーターであるPaul Owere 氏が寄せた記事で、つい先日、今年の12月25日に掲載されたものです。
(クリスマスカードの凋落:テクノロジーはいかに祝日の伝統を衰退させたか)
かつて年末の風物詩であったカードのやりとり。
12月の声を聞くと、そそくさとカードを準備し、一通一通メッセージを書き、投函したあと、お返しのカードが届くのが待たれたあの時間―。しかし、デジタル時代の到来とともに、少しずつ変化が生じました。メールが、インスタントメッセージが、そしてSNSが、人々の意識と行動を最初はゆっくりと、やがて急速に変えたのです。
Owere氏は述べます。
「人々がカードの必要性を疑問視し始めるまで、そう時間はかからなかった。単に祝日仕様の電子カードを送信したり、インスタグラムでお祝いのミームを共有したりするだけで済むのに、なぜカードを購入する費用、時間のかかる手書きのメッセージ、郵便代を気にする必要があるのか。
〔…〕多くの点で、テクノロジーは、ホリデーシーズン中に大切な人と有意義な形でつながるという、クリスマスカードの本来の目的に取って代わったようだ。
デジタルメッセージを送ると、より速く、より効率的で、多くの場合、より気楽に感じられるようになり、紙のカードを受け取ることで得られる期待感や親密さが失われた。封筒を開いて心のこもったメッセージを見つけ、マントルピースや冷蔵庫にカードを飾るという魔法は、薄れ始めたのだ。」
〔…〕多くの点で、テクノロジーは、ホリデーシーズン中に大切な人と有意義な形でつながるという、クリスマスカードの本来の目的に取って代わったようだ。
デジタルメッセージを送ると、より速く、より効率的で、多くの場合、より気楽に感じられるようになり、紙のカードを受け取ることで得られる期待感や親密さが失われた。封筒を開いて心のこもったメッセージを見つけ、マントルピースや冷蔵庫にカードを飾るという魔法は、薄れ始めたのだ。」
日本の状況と不気味なほど似ています。
別に日本人とアメリカ人が話し合って決めたわけでもないのに、まったく同じ現象が同時に進んでいるというのは、結局、ヒトは類似の環境に置かれれば、国家・民族・宗教の違いを超えて、自ずと類似の行動をとるからでしょう。
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ただ、Owere氏も述べるように、クリスマスカード(や年賀状)の習慣がすたれ、送ることが稀になればなるほど、そこに一層明瞭な意味が生じるのもまた確かです。自分が出さずにいてなんですが、それらは温かい思いやりや、個人的親密さの表現として、たぶんロングテールで生き残るんじゃないでしょうか。
ユピテルの神殿を拝す ― 2024年12月27日 06時06分24秒
クリスマスも終わりましたが、気になるプレゼントはどうなったか?
サンタさんは、良い子ばかりではなく、良い大人のところにもプレゼントを届けてくれます。特に私の場合、鏡を見ればいつでもそこにサンタさんがいるので、鏡の向こうのサンタさんにお願いすれば、プレゼントが届くことは必定。ただし、サンタさんの懐にも限界があるので、なんでも願いが叶うわけではありません。
その辺のさじ加減を考えながら、今年お願いしたプレゼントがこちらです。
どうでしょう、このメカメカしいガラス円筒の表情は。
このガラスの塔を登った先は…
小さなガラスドームになっていて、そこに極小のオーラリーが鎮座し、
実際にくるくると回るのです。
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嶋村亮宏氏が主宰するOlenoides(オレノイデス)の「vitro jupiter」。
その細部と諸元は、メーカーサイトをご参照いただければと思います。
■vitro jupiter
このオーラリーは、太陽系ではなく、木星の周囲を回る四大衛星を表現しており、その動きは各衛星の公転周期を正確に反映しています。
同社のオーラリーは以前も話題にしましたが【LINK】、今回もまた「やられたなあ」感が強く、感嘆のほかありません。こんなものをよく思い付き、よく形にしたと思います。
碩学の書斎から ― 2024年12月26日 05時51分32秒
「なんたること…なんたること!」と、2回心の中でつぶやきました。
いや、1回は心の中だけではなく、たしかに声に出しました。
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クリスティーズの主催する古書・手稿の売り立てが、来年1月、オンラインで開催されると聞きました。会期は1月14日から28日までの2週間です。
出品品目は全部で231点。それだけならたぶん「ふーん」でしょうが、今回心に響いたのは、天文学史の泰斗、故オーウェン・ギンガリッチ氏(Owen Jay Gingerich、1930-2023)の蔵書がそこに含まれていると聞いたからです。
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ギンガリッチ氏のことは、その訃に接した直後、昨年6月1日の記事で採り上げ、さらに3日、4日、5日と4回連続で話題にしており、そのときの自分がどれほど動揺していたか分かります。以下がその一連の記事。
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今回の売り立てのうち、ギンガリッチ氏の蔵書に由来するのは74点で、以下のページにその内容が詳述されています。もちろんこれがギンガリッチ氏の蔵書の全貌ではなくて、今回出品されるのは、そのハイライトたる古典籍だけです。
冒頭のアストロラーベは何だかフェイク臭いぞ…と思いましたが、そこはクリスティーズで、フェイクとこそ書いてないものの、「19世紀以降、インドかイランで旅行者向けのお土産用として作られたものだろう」と正直に書いています。それでも4千~6千ドルと結構な評価額なのは、ギンガリッチ氏旧蔵品という有難みが上乗せされているからでしょう。
まあ、アストロラーベはご愛嬌として(ギンガリッチ氏も誰かにお土産でもらったのかもしれません)、今回の目玉である古典籍を見ると、コペルニクス前夜からティコ、ケプラー、ガリレオに至る15~17世紀の稀覯本がずらりで、さすが碩学の書斎はすごいなあ…と驚き、さらにその評価額を見て再び驚くことになります。
ギンガリッチ氏のお父さんは、アメリカの地方大学で歴史を教えた先生で、教養はあったでしょうが、格別財産があったとも思えないので、ギンガリッチ氏の蔵書も刻苦勉励の末、一代で築かれたもののはずで、そのことも大いに尊敬の念を掻き立てます。
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ギンガリッチ氏は天文学史を研究し、その分野の古典籍のコレクターでした。
そして、私がさらに氏を敬仰するのは、氏は一方で博物趣味の徒でもあり、貝類の一大コレクターだったからです。その素晴らしいコレクションは、亡くなる直前に自身が教鞭をとったハーバード大学の比較動物学博物館・軟体動物部門に寄贈されたそうです。
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以下は「Astronomy」誌のWEB版に載ったギンガリッチ氏の追悼記事。
その写真から、在りし日のギンガリッチ氏の書斎の様子が偲ばれます。
■Owen Gingerich, historian of astronomy, passes away
Copernicus, Pluto, and many, many books: Astronomical
Copernicus, Pluto, and many, many books: Astronomical
research loses a legend.
By Samantha Hill (2023年6月19日)
By Samantha Hill (2023年6月19日)
氏のデスクのすぐ背後に飾られているのは、ティコが領したフヴェン島の古地図(※)で、同じものが私の書斎にも飾られていることは、何の衒(てら)いもなく自慢できることです。
そして、古典籍でなくてもいいので、ギンガリッチ氏の蔵書票が貼られた旧蔵書が1冊手に入れば、私は氏の書斎に足を踏み入れたも同然ではなかろうか…と、無駄なようでいて、私にとって決して無駄ではない次の算段もしています(今回の古典籍はちょっとどうにもならないですね)。
(上記クリスティーズのページより)
(※)1572年から1617年にかけて全6巻で出た、Georg Braun とFranz Hogenberg の『Civitates Orbis Terrarum(世界の諸都市)』からの一枚。
A Holy Night of Chocolate ― 2024年12月25日 09時27分49秒
1855年にフランス人、André Mauxion(1830-1905)がドイツで興したチョコレートの老舗、Mauxion社。他社に吸収合併された今も、ブランド名として生き残っています。社名としてはドイツ風に「マウクシオン」と読むのだと思いますが、下はそのマウクシオン社の広告(1925年)。
(シートサイズは25.5×20.5cm)
Mauxion wünscht fröhliche weihnachten!
マウクシオンから良いクリスマスを!
マウクシオンから良いクリスマスを!
キューピッド風の少女を引き連れ、チョコを配り歩く細身の麗人天使。
空には三日月と星、そして一筋の尾を引いて飛ぶ彗星が見えます。
冴え返った夜の気配を伝える、洒落た広告ですね。
この彗星の頭部は、西洋の城塔を模した同社のロゴで、これは創業家から経営を引き継いだエルンスト・ヒューター(Ernst Hüther)の頭文字、EとHの組み合わせだそうです。
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この広告が出た前後、大戦間期のマウクシオン社は、高級チョコのブランドイメージ確立のため、広告戦略に力を入れており、世間の評判を呼ぶ広告を次々と発表していました。日本で言えば、後のサントリーや資生堂みたいな感じだったのでしょう。商業主義というと一寸浅薄な感じもしますが、その背景には平和な世と豊かな市民生活があったわけですから、必ずしも悪いことではありません。そして才能あるクリエイターにとっても良い時代だったと思います。
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日本を振り返れば、稲垣足穂がまさに彗星のごとく現れた時代で、『一千一秒物語』(1923)、『星を売る店』(1926)、『第三半球物語』(1927)、『天体嗜好症』(1928)を立て続けに出した時期にあたります。
私がこの広告に惹かれた理由も、これがまさにタルホチックだからで、足穂の作品世界と、この広告の時代感覚は、必ずどこかでつながっている気がします。
リンゴと望遠鏡 ― 2024年12月21日 07時22分13秒
もうじきクリスマスですね。
12月25日に降誕したのは、もちろんイエス・キリストですが、かのアイザック・ニュートン卿も、1642年の12月25日の生まれだそうです。もっとも、この日付はユリウス暦のそれで、グレゴリオ暦に直すと1643年1月4日だそうですが、イギリスは当時まだグレゴリオ暦の導入前で、イエス様だってグレゴリオ暦は使ってなかったのですから、まあ両者は同じ誕生日といっていいでしょう。
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(名刺サイズよりちょっと大きい64×104mm)
上は1900年前後に刷られたクロモリトグラフの宣伝用広告カード。
広告主は、アメリカ東部のロードアイランド州でケータリング業(パーティ用配食サービス)を営んでいた、「L. A. Tillinghast」というお店です。
(裏面は白紙)
単にかわいい絵柄だな…と思って買ったんですが、その時の販売ページを見直したら、売り手であるバーモント州の紙モノ専門業者は、かなりこだわった紹介の仕方をしており、私も何だかひどく絵柄が気になりだしました。
「L. A. ティリングハーストは、ケータリング業者と書かれているが、この種の宣伝カードではあまり見かけない業種だ。リンゴ(?)の左側に「ソーダ」の文字があるが、どういう意味だろう?飲み物のことを言ってるなら、アップルソーダのことか?」
1900年前後というと、1892年にアメリカでボトルの王冠が発明され、炭酸水の輸送の便が生まれたことで、ソーダ水飲料が巷で大いに流行り出したころ…という背景がありそうです。
「もしこの絵がリンゴだとして、それが天文学といったいどう関係するのか?ひょっとして1890年代の市民の目には、この絵の意味するものが明瞭だったのかもしれないが、私の目にはもはやその意味がわからない。」
なるほど、アメリカの人にも分からないんですから、日本人の目にはいっそうわけが分かりません。
「この天文学者の服装は、魔法使いか道化師のもの?もし彼がリンゴを眺めているのだとしたら、いったいなんのために?カードにそう書かれているわけではないが、「〔ソーダが〕何よりも大事(apple of his eye)」ということだろうか。」
最後の一文、英語には「apple of one’s eye」という言い回しがあって、”My cat is the apple of my eye.”「うちの猫は目に入れても痛くない存在だ」のように使うそうで、そういわれると確かにそんな気もしてきます。
とはいえ、リンゴと天文学者といえば、誰でもニュートンの故事を真っ先に思い浮かべるでしょうし、地球と引っぱり合う存在である天体は、いわば「巨大なリンゴ」であって、それを小さな天文学者が望遠鏡で覗いているのは、大いに理にかなっています。
でも、それがケータリングやソーダ水とどう関係するのかは、私も売り手同様さっぱり分からず、ここはやはり1890年代のアメリカ市民に聞いてみるしかないのかもしれません。
(アップルソーダならぬアップルサイダーはクリスマスに付き物。Nicole Raudonis氏のApple Cider Christmas Cocktailのレシピはこちら。画像も同ページより)
羊飼いの暦 ― 2024年12月19日 05時57分51秒
「羊飼いの暦」という言葉をネットで検索すると、真っ先に出てくるのがシェイクスピアと同時代の英国の詩人、エドマンド・スペンサー(c.1552-1599)の 詩集『羊飼いの暦』(1579)です。
しかし、今回話題にするのは、それとは別の本です。
学匠印刷家のひとり、ギー・マルシャン(Guy Marchant、活動期1483-1505/6)が、1490年代にパリで出版し、その後、英訳もされて版を重ねた書物のことで、英題でいうとスペンサーの詩集は『The Shepheardes Calender』で、後者は『The Kalender of Shepherdes』または『The Kalender and Compost of Shepherds』という表記になります(仏題は『Le Compost et Kalendrier de Bergiers』)。
マルシャンの『羊飼いの暦』は、文字通り暦の本です。
当時の常として、暦にはキリスト教の祝日や聖人の縁日などが細かく書かれ、さらには宗教的教訓詩や、星占い、健康情報なども盛り込んだ便利本…のようです。想定読者は文字の読み書きができる人ですから、その名から想像されるような「農民暦」とはちょっと違います(この「羊飼い」はキリスト教でいうところの司牧、迷える民の導き手の意味と思います)。
★
暦や占星への興味から、マルシャンの『羊飼いの暦』を手にしました。
(1493年パリ版)
もちろん本物ではなく、1926年にパリで作られた複製本ですが、複製でも100年近く時を経て、だいぶ古色が付いてきました。
一般民衆向けの本なので、言葉はラテン語ではなく、日常のフランス語です。…といっても、どっちにしろ読めないので、挿絵を眺めて楽しむぐらいしかできません。我ながら意味の薄い行為だと思いますが、何でもお手軽に流れる世情に抗う、これぞ良い意味でのスノビズムではなかろうか…という負け惜しみの気持ちもちょっとまじります。
さて、これが本書の眼目である「暦」のページ。
読めないなりに読むと、左側は10月、右側は11月の暦です。冒頭の「RE」のように見える囲み文字は、実際には「KL」で、各月の朔日(ついたち)を意味する「kalendae」の略。そこから暦を意味するKalender(calendar)という言葉も生まれました。
(12月の暦よりXXV(25)日のクリスマスの挿絵。こういうのは分かりやすいですね)
これは月食の時刻と食分の予測図でしょう。
星を読む男。
占星学の基礎知識もいろいろ書かれていて、ここでは各惑星が司る事柄が絵入りで説かれています。左は太陽(Sol)、右は金星(Venus)。
何だか謎めいていますが、たぶん天象占い的な記事じゃないでしょうか。
身体各部位を支配する星座を示す「獣帯人間」の図。
これも健康情報に係る内容でしょう。
恐るべき責め苦を受ける罪人たち。最後の審判かなにかの教誨図かもしれません。
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印刷術の登場により情報の流通革命が生じ、世の中が劇的に変化しつつあった15世紀後半の世界。
それでも庶民の精神生活は、キリスト教一色だったように見えますが、庶民が暦を手にしたことで、教会を通さず自ら時間管理をするようになり、そして星の世界と己の肉体を―すなわちマクロコスモスとミクロコスモスを―自らの力で理解するツールを手にしたことの意味は甚だ大きかったと想像します。
その先に「自立した個の時代」と「市民社会」の到来も又あったわけです。
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