庭の倫理と法理2025年09月27日 14時06分14秒

庭にスズメバチが巣を作りました。
数日前まで気付きませんでしたが、いつのまにか大きな巣ができていました。

スズメバチの姿は前から目にしていましたが、どこか他所から飛んできたんだろう…ぐらいに思って、あまり気に懸けずにいました。しかし、このあいだ庭木を切ろうとしたら、2匹のハチが同じ場所から飛び立ったので、ようやく巣の存在に気付いたわけです。

(巣の直径は約20cm 。1匹が巣の入口を守っています)

この時期、ハイキング中の人が襲われたりしてニュースになるのは、攻撃性の強いオオスズメバチで、庭にいるのはコガタスズメバチですが、コガタと言っても、それはオオスズメバチと比べての話で、普通に考えれば十分大型です。しかも見た目がオオスズメバチそっくりなので、端的に言って怖いです。

(オオスズメバチ)

これでは枕を高くして眠れんぞ…と思って、ハチ用防護服と専用の殺虫剤をアマゾンで注文しました。

   ★

しかし、その到着を待つ間に、「待てよ…」と思いました。
私とハチはこの夏の間、ずっと平和裏に共存してきました。コロニーの拡大期も、先日不用意に巣に近づいた時も、彼らがこちらに積極的に害をなすことはありませんでした。

これはコガタスズメバチならではの事情が大きいようです。
九州大学大学院農学研究院の上野高敏氏による「スズメバチ事典」のコガタスズメバチの項【LINK】の解説に目を通してみます。

「本来は攻撃性の低い種で、巣がある木を揺らすなどしない限り、知らずに巣に近づいても警告すらしてきません。〔…〕蜂の活動が盛んになる頃の巣でも、バレーボールより小さめくらいの大きさから、せいぜいバスケットボールくらいの大きさまでで、オオスズメバチやキイロスズメバチの巣に比べてはるかに小型です。

事前に巣の存在に気がついたなら、巣のある木に震動を与えないとか、数メートル以内に近づくことを避けるようにしておけば、本種に刺されることはほぼないと思われます。
〔…〕女王蜂1匹による単独営巣期や、まだ働き蜂の数が少ない時期であれば、駆除は容易です。特に近づくこともない場所であれば、無理をして駆除を行う必要はありません。」

見かけは怖いですが、ずいぶんおとなしい種類のようです。
さらにその生活史をひも解けば、10月に新たな女王バチと雄バチが巣を離れたあと、残った働きバチも順次寿命が尽きて、11月後半には空っぽの巣だけが残る…ということのようです。

   ★

話は変わりますが、私は広島・長崎への原爆投下は倫理的に間違った行為であり、それを決定したトルーマン大統領とその周辺は、人道に対する罪を免れないと思います。

しかし、もちろんアメリカにも言い分はあるでしょう。

「原爆投下は、何も『平和に暮らしている無辜の民』を狙って落としたわけじゃない。あのとき日本とアメリカは戦争をしていたんだ。真珠湾以降、一体どれだけ多くのアメリカ人の血が流れたと思っているのか。戦争は遊びじゃない。強力な武器で戦争を早く終えることができるなら、むしろ積極的に使うべきじゃないか」
…とかなんとか。

だからといって非戦闘員を、ましてや小さな子供やお年寄りを、一瞬の業火で焼き殺していいはずがないし、原爆を落とさなくたって、あの時点で日本が既に継戦不能であったことは、日米双方の目に明らかだったので、原爆投下は不必要な殺戮行為以外の何物でもありません。

   ★

そのことを思うと、私がスズメバチに行おうとしていることは、倫理的に到底容認できないでしょう。何しろその行動理由は、単なる「漠然とした不安」のみで、アメリカの「屁理屈」にすら及ばないのですから。

スズメバチにはスズメバチの生活があり、その生活史の環はまもなく閉じられようとしています。それまで待っていけない理由はないので、殺虫剤の使用は当面見合わせることにしました。

   ★

仮に今後、スズメバチと私の間に新たな軋轢が生じたら?
そのときこそ、私は手元にある強力な矛と盾をふるうことになるでしょう。

私の行為に、アメリカの“蛮行”と違う点があるとすれば、この庭は私のテリトリーであり、私には相手を合法的に排除する権利がある…という点ですが、動物法廷が開かれたとして、その主張がどこまで認められるかはわかりません。(スズメバチ側も同様の論陣を張ってくる可能性があります。)

キトラの星宿早見箱2025年09月24日 19時33分48秒

奈良といえば、キトラ古墳に描かれた天文図を元にした星座早見盤、その名も「星宿早見箱」という素敵な品があります。

(表紙サイズは縦横13cm)

(「箱」というだけあって、本体はかなり厚みがあります)

本体にはコピーライト表示がありませんが、ニュースリリースは2年前、令和5年2月なので、発行されたのも同時期でしょう。

■キトラ古墳壁画発見40年/『天文図』星宿早見箱が完成しました!

(表紙を開けたところ)

使い方はふつうの星座早見盤と同じです。ただし、そこでクルクル回る盤は、キトラ古墳の天井壁画の撮影画像(壁画円盤)と、それをトレースして復元した天文図盤(壁画トレース円盤)の2枚です(早見箱にはこの2枚の盤が付属し、交互に取り換えて操作することができます)。


(壁画円盤の一部拡大)

箱の説明書きを読むと、


☆星宿早見箱の日時について
 石室の天井に天文図が描かれた西暦700年頃の日時で早見盤を作成しましたが、現在のカレンダー(グレゴリオ暦)と時刻で表記しております。

☆星空のズレについて
 地球の歳差運動(コマの首振りと同じ現象)のため、当時の星空の星の位置は、現在の星空とズレています。現在の星座早見盤と、星の位置を比較してみましょう!

…とあるので、さっそく星の位置を比較してみます。
※2025.9.27付記 以下、星図の異同を比較しやすいよう画像を貼り換え、文章を一部改めました。

ここでは後述の理由により、2月21日の21時の星空を眺めることにし、現代の早見盤(1986年発行の三省堂「新星座早見」)も、同月同日同時刻に合わせてみます。

(右側の三省堂の星座早見では、画面中央「+」マークの連なりが子午線です)

目印として、鬼宿の中央にある積尸気(せきしき)、すなわちかに座のプレセペ星団と、参宿(オリオン座)の位置に注目してください。

両者を比較すると、西暦700年の空では、積尸気(プレセペ星団)は、南中時刻をやや過ぎたあたり。対する現代の空では、まだ子午線の手前にあって、南中までは間があります。参宿(オリオン座)も、現代の空では中天高くかかっているのに、1300年前の空ではずいぶん西に傾いて、間もなく地平線に沈みそうです。

要するに、この1300年間で「星時計」の針は、顕著に巻き戻されているわけです。

   ★

ここで、より正確な比較のために、プラネタリウムソフト「ステラナビゲーターLite」で、当時と今の空を再現してみます。

(左:明日香村から見た西暦700年2月21日21時の空、右:同じく2025年の空)

2月21日21時を選んだのは、西暦700年の空では、ちょうどこのときプレセペ星団が南中するからです。しかしキトラの星宿早見箱では、上記のとおりピタリ南中とはいかず、その表示は正確さを欠きます。

キトラ天文図は、星の概略位置をフリーハンドで示しただけのものですから、それもやむを得ません。それでも、1300年間で「星時計」の針が、これぐらい巻き戻っているという結論は動かず、「世界で最も古い科学的星図」(※)の名に恥じません。

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以下、書かでものことではありますが、それにしても…と思います。

大陸や半島と活発に交流し、異国の文化を摂取することに殊のほか熱心だった飛鳥・天平の人々のことを思うと、「奈良の女」を名乗り「大和で育った」ことを誇りつつ、排外主義を唱えることが、いかに矛盾に満ちた振る舞いであることか。

それもこれも、本朝が「日出ずる国」から「日没する国」へと転じた証かもしれず、まこと紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき…の感が深いです。

(※)李亮(著)・望月暢子(訳)『中国古星図』、科学出版社東京(2024)、p.186 )

奈良の女とは2025年09月23日 08時38分37秒

NHKのサイトに「【演説全文】高市早苗氏 自民党総裁選挙」というのが掲載されていました(9月22日付)。

冒頭の馬だか鹿だかのくだり、あるいは家持の和歌の珍妙な披露(ご本人も「下手ですが」と断っています)に批判が集まっていますが、その下をずーっと読んでいくと、高市氏はこんなことも述べています。

 「坂本龍馬が言いました。3つ年上の乙女姉さんに宛てた手紙です。「日本を今一度せんたくいたし申候」。高市早苗これを頂きます。日本をいま一度、洗濯します。長いことかけてたまった染みや汚れ、すっきりさせます。公平で公正な日本を実現して若い方に「ああよかった」と思ってもらえるようにします。そのため、私、高市早苗は決意を強く、まっすぐに立って推進してまいります。」

破顔一笑…という表現は、こういうときに使うのか使わないのか分明ではありませんが、私が大笑いしたのは事実です。どうも高市氏は、ご自身もまた染みや汚れだとは露ほども思われてないようです。まあ、こんなところでダシにされた龍馬もいい迷惑でしょうが、少なくとも龍馬のこのセリフを、権力側の人間が口にするのはいかにも変だし、その珍妙さを自覚しない高市という人も、ずいぶん変な人だと思います。

   ★

ところで、テレビで高市氏を見るたびに、「醜怪」という言葉が私の脳裏に浮かびます。若い頃の写真を拝見すると、特に醜怪でもない、普通の人のように見えますが、年を重ねるとともに醜怪化している感があって、これは私自身の中に潜在するルッキズムやエイジズムのバイアスを考慮しても、なお強く残る印象です。

そして「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」というリンカーンの言葉に頷いたりするわけですが、ふとこの言葉の出典が気になりました。

探してみると、やっぱりその点を気にする人がいて、詳細な探索が既に行われていました。

■ Quote Origin: When You Are Young, You Have the Face Your Parents Gave You. After You Are Forty, You Have the Face You Deserve

確度の高い情報によれば、この言葉(に類するエピソード)は、リンカーン政権で財務長官を務めたエドウィン・M・スタントンに帰せられるべきもので、オリジナルの表現では「40歳」ではなく「50歳」だったとのことです。

ただし、その調査の過程で浮かび上がったのは、この「顔かたちは両親や神様から授かったものだが、人相にはその人の経験や生き様が表れる」という見解は、時代や国を超えて多くの人が述べており、上記コラムの結論も、「この変化に富んだ格言群は、その表現の多様性ゆえに、その起源を辿ることが困難であった。1891年の引用は、エドウィン・M・スタントンが1865年頃にこの短い格言を創作したことを示唆している。」というものでした。

それらの格言群が述べる「自分の顔に責任を持つべき年齢」は、20歳、30歳、40歳、50歳、60歳とだいぶ幅がありますが、まあどの年代でも、その年代なりの生きざまが顔に出る…というのが先人の意見なのでしょう。

いずれにしても、64歳となられた高市氏は、どの説に従っても自分の顔に責任を持つべきであり、その醜怪な印象は、氏の生き様の反映に他ならない…というのが私の個人的意見です。

街と星…美しい星座カード(後編)2025年09月22日 18時49分51秒

昨日は「リケット星図カード」の第1 シリーズのNo.2、4、5の3枚を載せました。このシリーズで私が持っているのは、この3枚だけです。しかしこのシリーズはたぶん12枚セットだろうと思います。というのは、シリーズ中のNo.12のカードが、他のカードのような星座ではなく、彗星の絵になっていて、これが最後のスペシャルカードだと推測されるからです。

(1858年に出現したドナティ彗星。前景はフランクフルトの大聖堂)

この“スペシャルカード”は、他に競り合う人がいて、落札し損ねました(参考として画像だけ保存しておきました)。

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そして。これが第1シリーズということは、当然第2シリーズもあるわけで、私は第2シリーズも3枚だけ持っています。


上は第2シリーズのNo.11、ライプツィヒの帝国裁判所としし座。

おそらく第2シリーズも12枚セットで、「リケット星図カード」は全体で24枚、あるいはさらに第3シリーズも加えて、全36枚で構成されていたと想像します(何せドイツから見える星座限定ですから、全天の星座を網羅する必要はないわけです)。


左はシュトゥットガルトのシュロス広場を見下ろすペルセウス座(No.10)、右は現ポーランドのヴロツワフ(当時はドイツ領・ブレスラウ)市庁舎とおおいぬ座(No.9)。

(この3枚の裏面は共通)

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第1シリーズと第2シリーズを比べると、前者は浅緑、後者は青みの勝った縹(はなだ)色で、こうした寒色系の色遣いのうまさも、その美しさの要因です。


そして「星景画」として見たとき、このカードセットには、実はもう一つ著しい特徴があります。それはダンキンの『真夜中の空』や、ギユマンの『天空』には見られない、「或る物」の存在です。

(左『真夜中の空』、右『天空』より)

比べればすぐにお分かりでしょうが、それは「雲」です。
実際、月の明るい晩には、夜の雲が美しく眺められることがあります。
しかし、星空を眺めるには雲がないほうがいいし、そもそも雲がくっきり見えるほど月の明るい晩は、星がよく見えません。

したがって、自ら微光を発しているかのような、この繊細な雲と、美しい星々の取り合せは、現実にはありえない光景であり、そのシュールな幻想味が、このシリーズの言い知れぬ魅力だと思います。

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これはいつかコンプリートしたいですが、残り少ない人生の中で、果たしてそのチャンスが巡ってくるかどうか、少し弱気な自分もいます。

街と星…美しい星座カード(前編)2025年09月21日 12時35分23秒

代表的な天文小間物のひとつに、天文モチーフのおまけカード(トレーディングカード)があります。この種のカードは19世紀~20世紀にかけて、ずいぶんいろいろな種類が発行され、魅力的な星の小世界を形作ってきました。

私も天文古玩趣味の徒として、これまで多くの作品を目にし、ひょっとしたらその全てを既に見切ったのではないか…とすら思ったこともありますが、もちろんそれは慢心であり、やはりまだ見ぬカードは存在したのです。しかもとびきりの逸品が。

(カードサイズは約11×7cm)

上はハンブルク港上空に浮かぶアンドロメダ座を描いた石版刷りの美しいカード。
ライプツィヒのお菓子メーカー・リケット社が、自社製品の販促用に頒布したカードで、下部欄外に「リケット星図カード シリーズI、No.5」の記載があります。時代的には1900年前後のものでしょう。

カードの下部には、詳しい星座解説が施されており、このカードが単に美しいばかりではなかったことが分かります(以下、適当訳)。

「この星座は、右上にある大星雲で有名で、これは肉眼でも見ることができます。(10世紀には既にアラブの天文学者に知られていましたが)ヨーロッパで初めて言及されたのは1612年、シモン・マリウスによってです。彼はこの星雲を、角灯を透かして輝くロウソクの光に例え、その美しさを巧みに表現しました。現代の高性能望遠鏡により、この星雲中には、約2,000個の小星団が観測されています。」

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都市のスカイラインと星空を対比するという趣向は、深夜のロンドンを舞台にしたE・ダンキンの『The Midnight Sky』(1869)や、同じくパリを舞台にしたA・ギユマンの『Le Ciel』(1865)でおなじみです。その向こうを張るかのように、ドイツの街を舞台にした作品が、おまけカードとして存在したことに驚きました。

もちろん、この1枚だけでダンキンやギユマンに匹敵すると称するのは誇大でしょうが、その後、他のカードも見つけたことで、全体としてみたとき、これはやはり逸品と称するに足ると思いました。


左は同じくカードNo.2のハノーファーのエルンスト・アウグスト広場上空に輝くおとめ座とからす座、右はNo.4のケルン大聖堂とカシオペヤ座です。

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(カード裏面は複数のデザインがあります)

リケット社については、ドイツ語版Wikipediaに説明がありました【LINK】
それによると同社は18世紀創業の老舗で、先祖はフランス人なので、その姓は元々「リケ」と読んだと思います。最初は紅茶・コーヒー・スパイス等の輸入商として出発し、19世紀末からはココア・チョコレート・菓子の販売をもっぱらとして、20世紀後半まで続いた会社の由。

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この「ドイツの街と星座」シリーズは、私にとってまだ全貌が明らかでなく、そもそも何枚セットなのかも不明ですが、かすかな手掛かりはあるので、その辺も含めて、残りの手持ちカードも載せておきます。

(この項つづく)

プラハ、百塔の都(後編)2025年09月16日 05時49分34秒

ステレオ写真が生み出す驚くべきリアリティについては、これまで何度か書いた気がします。今なら3DのVR技術で同様の経験ができるのかもしれませんが、古めかしい、いかにも観光絵葉書然とした写真が、突如奥行きをそなえた「一個の世界」へと変貌する瞬間は、やはり感動的です。しかも、その世界はステレオ写真というタイムマシンがなければ、決してたどり着けない「ロストワールド」なのです。


私の場合、たとえ壮麗な宮殿や教会であっても、ふつうの写真なら、そんなに時間をかけて眺めることはしません。「ほお」とか「ふーん」で大抵は終わりです。でもステレオ写真だと、印象がまるで違います。

高い天井に反響する、くぐもった声までも聞こえてくるような臨場感に包まれて、華麗な天井画を見上げたり、バロックのデコラティブな意匠の細部に目をこらしながら、かなり長い時を費やすことになります。

高い場所から撮ったパノラマ風景は、これまた圧巻です。
手前の木々の茂りの向こうに広々とした空間が広がり、遠近の塔がそれぞれの存在を主張する「大プラハ」の光景が鮮やかに眺められます。

   ★

ちょっとした小路や街頭の風景も捨てがたいです。


たとえば、これは日曜画家なのか、イーゼルを立て風景をスケッチしている男性を捉えた写真です。そのすべてが3次元的によみがえったとき、人はそこに何を見るか。まあ何を見るかといえば、現にこの写真に写っている以上のものは何もないのですが、それが「一個の世界」となる感覚は、なかなか言葉では説明が難しいです。


「世界の美しい図書館」という類の写真集には必ず出てくる、クレメンティヌム図書館。美しいカラー画像でいくたびも目にしたその室内ですが、それを3Dで見たときの感動は大きいです。たとえばいちばん手前に写っている金属製の天球儀、これが完全な立体としてよみがえり、薄い金属板を切り抜いて作った星座絵と台座の透かし彫りの向こうに、書棚の本の背表紙がはっきり見える様子は、平面的な写真からはとても想像ができません。


プラハで没したティコ・ブラーエの墓碑
3Dのリアルな光景を目にして、ようやくその墓前に額づくことができた気分です。




プラハ旧市街の中心に立つ天文時計「オルロイ」と周囲の景観。
このブログではおなじみのオルロイですが、どれも1945年の戦闘行為で被害を受ける前の姿であることが貴重です。

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こんな調子で、プラハ脳内観光は容易に終わりそうにありません。

歴史ある百塔の都。
お伽の国めいた古い建物が並ぶ通りを行き交う人々の姿。

そこには何の不安もないように見えます。
しかし、そもそもなぜ本書がドイツ語で書かれ、ミュンヘンで発行されたのか?

それは1943年当時、プラハはナチス・ドイツの占領下にあったからです(1938年、独軍侵攻)。そして本書を発行したラウムビルド社は、ステレオ写真集の版元としても有名ですが、同時にナチスのプロパガンダに協力した会社としても有名です。

本書は一見するとナチスの宣伝とは縁遠い、単なる名所旧跡案内のように見えます。
しかし、プラハの表面的静穏は、ナチスの苛烈な支配と抱き合わせのものであり、のんびり街角をスケッチする男性のそのまた向こうには、列をなしてテレジンやアウシュビッツの強制収容所に向かうユダヤ人の群れと、命がけで抵抗運動に挺身したチェコ人がいました。

本書に写っていないものにまで目を向けると、これらの立体写真に、さらに第4、第5の次元が備わり、まさに「歴史そのもの」が立ち現れてくるような気がします。

プラハ、百塔の都(前編)2025年09月15日 10時51分26秒

かつて皇帝ルドルフ2世が治めた都。
ティコ・ブラーエとケプラーが星を眺め、研究に没頭した町。
美しい天文時計「オルロイ」が時を告げる町。

プラハには今も美しい街並みが残り、数多くの古塔が林立することから、「百塔の都」の異名を持ちます。もし私が出不精でなければ、ぜひ訪れてみたい場所のひとつです。

   ★

しかし、出不精には出不精なりの旅の仕方もあります。
たとえば、どれだけ時間とお金をかけても、決して訪れることができない過去のプラハの町を自在に巡る旅もそのひとつ。

そんな「脳内タイムマシン」が下の本です。

(分厚い表紙に注目)

■Hermann Schoepf (著)
 『Das hunderttürmige Prag: die alte Kaiserstadt an der Moldau』
 (百塔の都市、プラハ―モルダウ〔ヴルタヴァ〕に臨む古の帝都)
 Raumbild-Verlag(ミュンヘン)、1943.


本書のタイトルページ。
向かって左側にチラリと何かが写っています。


表紙が妙に分厚い理由はこれで、表紙をくりぬいてセットされているものがあります。


すなわち昔のステレオ写真と、専用のビューアー。
これこそ本書の肝です。


ステレオ写真は裏表紙にも収納されていて、全部で100枚が付属します。


そこにプラハの歴史を説く115頁の本文が伴ない、本書は構成されています。


   ★

この本をお供に、今から82年前のプラハの町を訪ねてみることにします。


(この項つづく)

プラハの3人の男2025年09月13日 16時20分59秒

9月4日の記事で、チェコのプラネタリウムのハットピンを載せましたが、そのときチェコの「天文小間物」と同時に、「天文荒物」のことも思い浮かべていました。


神聖ローマ帝国の首都プラハの一隅で、かつてあったであろう歴史ドラマ。
1960年代頃、プラハの「チェコスロバキア教職員組合中央出版」から出版された教育用掛図です。紙面サイズは94×63cmと、「天文荒物」と呼ばれる資格は十分。


キャプションは、「チェコの歴史画 第23、V・ストリーブルニー画 『ルドルフ2世とティコ・ブラーエ』」


右手に立つのは、ディバイダを手に天球儀を指さしながら宇宙論を語るティコ・ブラーエ (1546—1601)、その話に耳を傾ける黒いローブ姿の人物は、ティコのパトロンだった神聖ローマ皇帝ルドルフ2世 (1552—1612)です。

ティコがルドルフに仕えるようになったのは、最晩年の1599年で、ティコはその2年後に死去していますから、二人の関係は驚くほど短かったわけですが、この絵では両者の風貌を似せることで、その親密さを表現しているのかもしれません。

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そしてもう一人注目すべき人物が、ふたりの間に亡霊のように立つ男。
タイトル中には一切言及がありませんが、画面のちょうど中央に描かれた彼こそ、この絵の隠れた主題であり、言うまでもなくヨハネス・ケプラー(1571—1630)その人だろうと思います。ティコやルドルフと比べて相対的に若い彼は、ここでは無髯の男として描かれていますが、細身の黒衣を着こなした姿は、肖像画でおなじみの姿そのままです。彼は、窓際で星明かりに照らされ、師匠ティコよりも一層「星の世界に近い男」であることが暗示されているようでもあります。

ケプラーは師匠の後任としてルドルフ2世に仕え、1612年にルドルフが死去するまでプラハにとどまりました。

ケプラーには「師匠の観測データを簒奪した男」という悪い風聞がつきまとい、あろうことか、生前から師匠毒殺疑惑までささやかれていましたから、この1枚の絵は科学史の一場面であると同時に、そうした複雑な人間模様を描いたものとして、教室で先生が絵解きをする際も、「ここから先は先生の想像だけどね…」と、生徒たちの注意を引き付けながら、思い入れたっぷりに語って聞かせる光景が、チェコスロバキアのあちこちであったんじゃないでしょうか。

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この絵は直接チェコの人から購入しましたが、その後、ニューヨークの George Glazer Gallery で、同じ絵が売られているのを目にしました。グレイザー氏による解説から、絵の作者に関する部分を引用させていただきます。

 「ウラジーミル・ストリーブルニー〔Vladimír Stříbrný, 1905—1970〕は、アカデミックで写実的なスタイルで風俗画、静物画、肖像画、裸婦像を描いたチェコの画家です。彼はプラハ美術アカデミーで学びました。プラハのトピッチ・サロンで個展を開催し、1940年代から50年代にかけて、当時のチェコスロバキア(現在のチェコ共和国)で定期的に展覧会を開催しました。プラハ美術家連合の活動的な会員でもありました。」

グレイザー氏は、この戦後に刷られたポスターにかなり心を動かされたらしく、4年前に見たときは、実に2,500ドルの値札をつけていました。まあ、さっき見たら【LINK】、900ドルに値下げされていましたけれど、それでもかなりの高評価です。もちろん私が払った代価はそのはるか手前で、グレイザー氏の値付けだったら購入する気にはならなかったでしょうが、この辺は各自の価値観のしからしむるところで、そこに買い物の妙味もあります。

Dr. Parallel2025年09月10日 05時37分12秒

鴨沢祐仁さんに続いて、たむらしげるさんのことを書こうと思います。
たむらさんのこういう↓作品をご存じでしょうか。


「ご存じも何も、ファンタスマゴリアに出てくるお店でしょ」
…たむらファンなら、そう即答されるでしょう。
たしかにこの店は、夢の惑星「ファンタスマゴリア」を描いた、たむらさんの映像作品に登場します。

(書籍版 『ファンタスマゴリア』(架空社、1989)より)

でも、本当にそうでしょうか。
今一度じーっと見ていただくと、どうでしょう?

そう、片方は「Coffee Bar」で、ファンタスマゴリアに登場するのは「Liquor Shop」です。コーヒーとリカーでは大違いなので、これは似て非なるお店です。

でも、このコーヒーバーは別にたむら作品のパチモンではありません。やっぱり、たむらさんの正規作品で、いうなればスピンオフ、あるいはセルフオマージュ。


以前(正確な時期は不明)、ドムドムバーガーが景品として、フープ博士のコーヒーカップを配ったことがあって、上の絵はその外箱に描かれたものなのでした。

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まあ、そうと知って見れば、ふーん…と、あまり奇異な感じはしないと思いますが、ただ改めて考えると、これはあのファンタスマゴリアの世界にも「平行世界」が存在することを意味しているんじゃないでしょうか(単に商売が傾いて、転業しただけの可能性もありますが、それはないと信じましょう)。

ファンタスマゴリアとは別の時空に、それとよく似ているけれど、微妙に違う町や人物が息づいている…と想像すると、まさに夢のまた夢で、なんだかとても不思議な気がします。

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このコーヒーカップは最近見つけました。カップとしては比較的小ぶりのものです。

(反対側のデザイン)

これは普通にコーヒーを飲むのに使うか、あるいはペン立てにしてもいいかな…と思案中。もし私に絵心があるなら、青系の色鉛筆を立てるのに使うのが、いちばんいいと思いますが、その案は平行世界に住む「絵心のある私」に任せることにします。

クシー君の夢の町(3)2025年09月08日 05時57分13秒

さて、「夢の町」には当然クシー君が必要だし、レプス君にもいてもらわないと困ります。そこでふたりに来てもらいました。


届いたのはふたりのマスコットキーホルダーで、私は2セット購入したので、1セットはキーホルダー部分を外して、フィギュアとして使うことにします。


この品は北原照久さんが運営する(株)トーイズのオンラインショップ「Toys Super Store」で、今も購入可能です。



どうやらトーイズが企画し、バンダイが1999年に発売したものらしく、当時は鴨沢さんも健在でしたから、当然その制作に関わられたでしょう。


この2体は、もともと自立することを目的としていないので、立たせてもすぐに倒れてしまいます。でも、二人を並べるとちゃんと立つ…というのがミソ。両者の関係性がよく表れています。

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「夢の国」にはもう一人、ぜひいてほしいキャラがいます。


銀色のロボットです。こうして並べても、サイズ的に違和感はないですね。


仲間には赤いロボットもいます。いずれもブリキ製。
頭部からひもが出ていますが、この2体の「正体」はクリスマス・オーナメントです。


メーカーはマサチューセッツのシリング社
同社は1975年創業なので、格別「老舗」というほどでもありませんが、当初からレトロ玩具に力を入れており、このオーナメントもその線上にある品です。現在は中国で生産している模様。
コピーライト表示が1997年なので、クシー君たちと年恰好も合いますね。


このオーナメントシリーズは、どれもカラフルで、ポップで、レトロで、「夢の町」 にふさわしい気がしたので、せっせと買い込みました。

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でも、私が頑張ったのもここまでです。
これらを並べても、まだ「夢の町」には程遠いし、懐事情も含めて先の見通しが立たなかったので、計画はやむなく中断し、これらの品もすべてお蔵入りになったのでした。「夢の町」というより、これぞ「夢の跡」、いかにも中途半端です。

でも目をつぶれば、今もあの町の情景がぼんやりと浮かぶし、耳をすませば、彼らの洒落た会話や靴音が、かすかに聞こえてきます。


(この項おわり)