再び小さな月の工芸品…「月と薄」 ― 2023年01月05日 18時33分21秒
話にはずみがついたので、もう一回話を続けます。
これまた小さな月の工芸品。左右は3.9cmほどで、人差し指の先にちょこんと乗るぐらいのサイズです。
月に薄の図で、三日月とススキの穂に金箔を置いたのが、渋い中にも華やかさを感じさせます。よく見るとススキの葉に小さな露が玉になっていて、こういうところが細工士の腕の見せ所。
これは「目貫(めぬき)」、つまり日本刀の柄(つか)を飾った金具で、昔の侍というのは、威張っているばかりでなく、なかなか風雅な面がありました。
月に薄の取り合わせは、お月見でもお馴染みですし、ふつうに秋の景色を描いたものとして、特段異とするには足りないんですが、実はこの目貫は2個1対で、もう一つはこういう図柄のものでした。
こちらは烏帽子に薄です。「これはいったい何だろう?」と、最初は首をひねりました。昨日の記事で「文化的約束事」ということを述べましたが、こういうのは要は判じ物で、分かる人にはパッと分かるけれども、分からない人にはさっぱりです。私もさっぱりの口だったんですが、ネットの力を借りて、ようやく腑に落ちました。
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まず、ここに描かれているのは烏帽子ではなくて、「冠」だそうです。
正式には巻纓冠(けんえいかん)と呼ばれるもので、特に両耳のところに扇形に開いた馬の毛の飾り(老懸・おいかけ)が付いているのは、武官専用の冠であることを示しています。
そして、この冠の主は下の人物だと思います。
(在原業平像 狩野探幽筆『三十六歌仙額』)
在原業平(825-880)は歌人として有名なので、文人のイメージがありますが、その官職は右近衛権中将で、れっきとした武官です。したがって狩野探幽が業平を武官姿で描いたのは正確な描写で、彼は古来「在五中将(在原氏の五男で中将を務めた人)」の呼び名でも知られます。
そして業平といえば、『伊勢物語』です。中でもとりわけ有名な「東下り」と武蔵国でのエピソードが、この「薄と冠」の背景にはあります。したがって「月と薄」の方も、単なるお月見からの連想というよりは、和歌で名高い「武蔵野の月」(※)をモチーフにしたものであり、ここに共通するテーマは「武蔵野」です。
(「武蔵野図屏風」江戸時代、根津美術館蔵)
(※)たとえば源通方が詠んだ、「武蔵野は月の入るべき峯もなし 尾花が末にかかる白雲」(続古今和歌集所収)など。
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何だかしち面倒くさい気もしますが、文芸的伝統の本質とは、幾重にも重層的な「本歌取り」の連続にほかならず、そうした伝統の末に、次のような表現も生まれたような気がします。
「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえを吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしました」 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より「六、銀河ステーション」の一節)
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえを吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしました」 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より「六、銀河ステーション」の一節)
小さな月の工芸品 ― 2023年01月04日 06時10分35秒
一昨日のつづきで、少し話をふくらませます。
門外漢の言うことなので、あまり当てにはなりませんが、日本では装身具があまり発達しなかった気がします。端的にいって、指輪、ネックレス、ブレスレット、イヤリング、ブローチ、宝冠…等々を身につける習慣がなかったし、特にジュエリーの類は、ヨーロッパ世界との懸隔が目立ちます。
近世は奢侈品が禁じられたので、やむを得ない面もありますが、それ以前だって、あまりポピュラーだったとは思えません。まあ、別に装身具が発達したからエラい、しなかったからダメという話ではなくて、単に文化の在りようが違うといえばそれまでです。
ただ、仏典には「七宝」の記述があるし、菩薩像の絢爛たる宝冠、瓔珞、腕輪などの造形を考えれば、日本人がそういうものの存在を知らなかったはずはないので、そこはちょっと不思議な気がします。(あるいは逆に、そこに「仏臭さ」を感じて、自ら身に着けることを忌避した…ということかもしれません。)
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そんな中で近世にあっては、女性ならば櫛やかんざし、男性ならば提げ物(煙草入れなど)とそれに付随する装飾が、装身具として独自の発展を遂げました。また刀も身に帯びるものですから、凝った刀装具を、装身具の一部に数えていいかもしれません。こうした日本独自の細密工芸品は、海外でも国内でも、コレクターが多いと聞きます。
月のモチーフ限定ですが、私もそうした細々した品に惹かれるところがあって、一昨日の兎のかんざしも、その流れで手にしたものです。さらに今日はもうひとつ、提げ物の金具を見てみます。
これは形状から留め具と思われる品で、左右2.8cmのごく小さな細工物です。モチーフは波にもまれる月。ここに兎は登場しないし、海上の月はそれ自体独立した画題でもありますが、それでも例の「月海上に浮かんでは 兎も波を奔る」(竹生島)の連想は自然に働きます。
一方、こちらは典型的な波乗り兎。おそらく煙草入れの前金具で、左右は4.8cmと一寸大きめです。こちらは逆に月が描かれてませんが、文化的約束事として、この兎は月をシンボライズしているので、見た目は違っても、結局両者は「同じもの」だと思います。
「月の登場しない月の工芸品」というのは一見奇妙ですが、シンボルとはそういうもので、西洋の人が白百合の絵を見て、「ここには聖母マリアが描かれている」と言ったりするのも同じことでしょう。
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以前、天文モチーフのアクセサリを探していたとき、「そういえば、日本にこういうのはないなあ…」と一瞬思ったんですが、でも改めて考えたら結構あるような気もして、そのことを思い出しつつ、今日は日本文化論を一席ぶってみました。(新春大放談ですね。)
(おまけ。今年の年賀状に使った柴田是真筆「玉兎月宮図」(部分))
波乗り兎のこと ― 2023年01月02日 11時02分24秒
ウサギと天文といえば「うさぎ座」という、そのものズバリのものがありますけれど、ここではちょっと方向を変えて、月のウサギにちなむ品を採り上げます。
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私の趣味嗜好として、月をかたどった品は昔から気になるもののひとつで、特に集めているわけでもないんですが、目についたものをポツポツ買っているうちに、少しずつ集まってきました。
そうしてやってきたひとつが、この月と兎のかんざしです。
全体は銀製。文字通り「銀の月」に赤珊瑚の兎が乗っています。
角度をちょっと変えると、兎の造形も達者だし、
正面から見ると、鼻先から口元にかけて珊瑚の白い部分が生かされていて、なかなか芸が細かいです。かんざしの細工が高度に発達したのは、江戸時代よりもむしろ明治の末~大正頃で、これもその頃のものだろうと売り手の方から聞きました。
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「波乗り兎」は和の文様としてポピュラーですが、この「月・兎・波」の3点セットは、謡曲「竹生島」の以下の詞章に由来します。
「緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり
月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか」
月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか」
琵琶湖に浮かぶ竹生島明神へ参詣の折、船からあたりを眺めると、島影と月が湖面に鮮やかに映り、あたかも魚が木に登り、月に棲む兎が波の上を走るようだ…という美辞です。
岩波の日本古典文学大系の『謡曲集』注解は、同時代の文芸作品にも似たような表現が複数見られることを指摘していますが、いずれにしてもこれは中国に典拠のない、純国産の表現のようです。そして近世以降、謡曲の知識が庶民層に普及する中で、それに基づくデザインの方も人気を博すようになったのでしょう。
このかんざしは、波の表現もダイナミックで、水上を奔る兎の勢いが感じられます。
胸元のブループラネット ― 2022年11月10日 19時11分42秒
「青い惑星」といえば地球。
そして、この前多くの人が目撃した天王星もまた青い惑星です。
地球の濃い青は海の色であり、豊かな生命の色です。
一方、天王星の澄んだ青は、凍てつく水素とメタンが織りなす文字通りの氷青色(icy blue)で、どこまでも冷え寂びた美しさをたたえています。
(ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した天王星。原画像をトリミングして回転。原画像:NASA, ESA, Mark Showalter (SETI Institute), Amy Simon (NASA-GSFC), Michael H. Wong (UC Berkeley), Andrew I. Hsu (UC Berkeley))
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以前、土星のアクセサリーを探していて、こんなブローチを見つけました。
見た瞬間、「あ、天王星」と思いました。
アメリカの売り手は天王星とは言ってなかったし、普通に考えれば土星をデザインしたものだと思うんですが、自分的には、これはもう天王星以外にありえない気がしています。
(裏側から見たところ)
飾り石はブルーカルセドニー(青玉髄)のようです。
『宮澤賢治 宝石の図誌』(板谷栄城氏著/平凡社)を開くと、「青玉髄」の項に、賢治の次のような詩の一節が引かれていました。
ひときれそらにうかぶ暁のモティーフ
電線と恐ろしい玉髄(キャルセドニ)の雲のきれ
電線と恐ろしい玉髄(キャルセドニ)の雲のきれ
(「風景とオルゴール」より)
賢治の詩心は、明け方の蒼鉛の雲に青玉髄の色を見ました。
そこは天上の神ウラヌスの住処でもあります。
だとすれば、はるかな天王星をかたどるのに、これほどふさわしい石はないのでは…と、いささか強引ですが、そんなことを思いました。
月を着る ― 2021年09月28日 19時18分54秒
昨日に続いて、メタルピクチャー・ボタンです。
三日月と星と彗星(ないし流れ星)を描いたボタン。直径は25ミリ。
こちらは19世紀後半、ヴィクトリア時代の品と聞きました。
(裏面)
ボタンの丸いベースに、別に作った三日月を爪で留めて、それ以外の星たちは一つひとつ手で彫り込んであります。(焼付け塗装を彫ることで、地金の金色が見えています。)
三日月の顔のまわりがもやッとしていますが、これも錆や曇りではなく、月がぼうっと光っている様を、細かい毛彫りで表現したもので、非常に凝った細工です。
三日月の表現としては、それこそ「月並み」な感じがなくもないですが、肝心なのはこれがブローチとかではなくて、あくまでもボタンだということ。19世紀には確かにこんなボタンの付いた服があり、それを着ていた人がいるのです。洒落てるなあ…と思うし、その星ごころは心憎いばかりです。
それにしても、一体どんな服に付いてたんでしょうね?
そしてどんな人が着ていたのでしょう?
月と舟 ― 2021年09月27日 20時24分04秒
真鍮製の、いわゆるメタルピクチャー・ボタン。
直径は38ミリで、ボタンとしては大型です。時代ははっきりしませんが、あてずっぽうで言うと、20世紀前半ぐらいでしょうか。原産国も不明ですが、売ってくれたのはアリゾナの人です。
夜空には月と星、その下の波立つ川面を金色のゴンドラが進んでいきます。
表現が稚拙な分、いかにも童画チックなかわいらしさがあります。
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「月夜のゴンドラ」が人の心を捉えるのは、もちろんそれがベネチアの風俗と相まって、ロマンチックな連想を呼ぶからでしょうが、さらにまた「月と舟」のシンボリズムが、そこに通奏低音のように響いているから…というのもあるかもしれません。すなわち、月は天上をゆく舟であり、舟は水に浮かぶ月である、というイメージです。
手元の『イメージシンボル事典』(大修館書店)を開くと、三日月は「眠りの小舟」だとあります。またキリスト教の異端、グノーシス派の説くところによれば、月は肉体を離れた魂を運ぶ天上の船だとも書かれています。いずれも出典が書かれてないので、どこまで普遍化できるかは分かりませんが、何といっても日本には、柿本人麻呂の秀歌があるので、月と舟の連想は、ごく自然なものに感じられます。
天の海に雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ
まあ、あまり難しく考えなくても、三日月とゴンドラは、単純にその形状から似合いのペアですから、空と水に仲良く浮かんでいるのを見るだけで、気分が良いものです。
(Ida Rentoul Outhwaite (1888 - 1960) 作 "The Moonboat Fairy" 1926頃)
月の流れ星 ― 2020年12月27日 09時59分00秒
差し渡し2.5cmほどの小さな月のピンバッジ。
不思議なデザインです。月が尾を曳いて翔ぶなんて。
まあ、デザインした人はあまり深く考えず、漠然と夜空をイメージして、月と流星を合体させただけかもしれません。
でも、次のような絵を見ると、またちょっと見方が変わります。
(ジャン=ピエール・ヴェルデ(著)『天文不思議集』(創元社、1992)より)
邦訳の巻末注によると、「天空現象の眺め。ヘナン・コレクション。パリ国立図書館」とあって、たぶん16世紀頃の本の挿絵だと思います。
キャプションには、「月が火星の前を通過することがあるが、この現象を昔の人が見て解釈すると上の絵のようになる。火星は赤い星で戦争の神である。月は炎を吹き出し、炎の先にはするどい槍が出ている。」とあります。
月の横顔と炎の位置関係は逆ですが、このピンバッジにも立派な「槍」が生えていますし、何だか剣呑ですね。
【12月28日付記】
この「炎に包まれた槍」を、火星のシンボライズと見たのは、本の著者の勘違いらしく、その正体は、流れ星の親玉である火球であり、それを目撃したのはあのノストラダムスだ…という事実を、コメント欄で「パリの暇人」さんにお教えいただきました。ここに訂正をしておきます。詳細はコメント欄をご覧ください。
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月による火星の掩蔽(火星食)は、割と頻繁に起こっていて、国立天文台の惑星食のページ【LINK】から最近の火星食を抜き出すと、以下の通りです。
2019年07月04日 火星食 白昼の現象 関東以西で見える
2021年12月03日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2022年07月22日 火星食 日の入り後 本州の一部で見える
2024年05月05日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2025年02月10日 火星食 日の出の頃 北海道、日本海側の一部で見える
2030年06月01日 火星食 白昼の現象 南西諸島の一部を除く全国で見える
2021年12月03日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2022年07月22日 火星食 日の入り後 本州の一部で見える
2024年05月05日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2025年02月10日 火星食 日の出の頃 北海道、日本海側の一部で見える
2030年06月01日 火星食 白昼の現象 南西諸島の一部を除く全国で見える
“頻繁”とはいえ、昼間だとそもそも火星は目に見えませんから、月がその前をよぎったことも分かりません。好条件で観測できるのはやっぱり相当稀な現象で、古人の目を引いたのでしょう。
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【閑語】
幕末の日本ではコレラが大流行して、大勢の人が亡くなりました。
庶人これを「コロリ」と称し、時代が明治となってからも、コロリはたびたび猛威を振るい、それらを「一コロリ」とか「三コロリ」と唱えたものだそうです。
今の世も一コロナ、二コロナ、三コロナと、新型コロナは三度の流行を繰り返し、人々の心に暗い影を落としています。
大地震があり、流行り病があり、攘夷を叫ぶ輩が横行し、士道退廃が極まり…本当に今は幕末の世を見る心地がします。これでスカイツリーのてっぺんから伊勢の御札が降ってきたら、ええじゃないかの狂騒が始まるのでは…と思ったりしますが、昔と今とで違うのは、暗い時代になっても宗教的なものが流行らないことです。その代わりに陰謀論が大流行りで、多分それが宗教の代替物になっているのでしょう。
小さな町に彗星が降る ― 2020年07月30日 07時17分54秒
もうじき7月も終わり。
今月はネオワイズ彗星の話題で、星好きの人たちは盛り上がっていましたが、いかんせん曇天続きですし、町中から鮮やかに見えるほどではなかったので、私は結局目にすることができませんでした。その代わり、小さな画面にその姿を偲んでみます。
家並みの上に広がる漆黒の空。そこを音もなく飛ぶ彗星。
指輪をする習慣はありませんが、その静かな光景に魅かれるものがありました。
オニキスに人造オパールを象嵌したもので、ナバホ族の人の「インディアン・ジュエリー」から派生した現代の作品と聞きました。したがって、モチーフとなっているのも、アメリカ南西部の伝統集落(プエブロ)らしいのですが、そこまで限定することなく、どこか「心の中にある小さな町」と見ておきたいです。
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それにしても、疫病と長雨続きの中、昔の人なら彗星を凶兆として大いに恐れたでしょう。そこはやっぱり世の中が開けたのかな…と思います。願わくは、そうした難事に処するための方策の方も、十分賢にして明なものであってほしいです。
星座ボタン ― 2020年06月12日 20時41分46秒
星座の範囲がカクカク定まって、科学がずんずん先に進んでも、人々の星座観は旧来のイメージを引きずっていて、その辺は今でもあまり変わりがなさそうです。(そもそも星座という存在が古代の残滓なので、古めかしくて当然です。)
上の写真に写っているのは、星座絵のガラスボタンです(直径2㎝)。
売ってくれたのはカリフォルニアの人ですが、ガラスボタンといえばチェコなので、元はチェコ製かもしれません。黒いプレスガラスに手彩色で仕上げてあります。
(ボタンの背面)
時代はよく分かりません。1930年代かもしれないし、1950年代と言われれば、そんな気もします。20世紀前半~半ばのものと言えば、大体当たっているでしょう。
それにしてもこのボタン、遠くから見たら何だかよく分からないし、近くから見てもやっぱり分かりません。至近距離でじっと見つめて、初めて星座の絵柄が分かるので、こうなると江戸小紋の美学みたいなものです。西洋の人も、こういうのを「粋」と思うんですかね。
ハレー彗星来たる(その2) ― 2020年02月02日 11時18分29秒
17世紀は「科学革命の時代」と持ち上げられますが、その一方で魔女狩りもあり、ペスト禍もあり、地球規模で寒冷な時期だったせいで、人々は素寒貧だったし、ヨーロッパの王様は戦争ばかりやってたし、まるで中世の再来のように暗い面がありました。
ハレー彗星は17世紀に2回来ています。すなわち1607年と1682年です。
それが人々の心にどんなさざ波を立てたのか、詳らかには知りませんが、1607年の彗星は間違いなく超自然的な凶兆だったでしょうし、1682年のときだって、程度の差こそあれ、人々を不安にしたことは間違いありません。
それが1758年になると、さすがは啓蒙主義の時代、ハレー彗星も「単なる科学ニュース」になっていた…というのが、前回書いたことでした。
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さて、その次は1835年です。
この間に、ハレー彗星のイメージはどう変わったのか?
1835年も、ハレー彗星は立派な科学ニュースでした。その点はたぶん同じです。
でも、それだけではありません。
このとき、彗星は新たに「ファッション」になったのです。
言い換えると、ここにきて彗星はにわかに「カッコいいもの」になったのです。これこそが、19世紀の新潮流でした。
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ブローチのデザインの一種に、「彗星ブローチ」というのがあります。
ジュエリー関係の人は、しばしば1835年のハレー彗星こそ、そのきっかけになったと語ります(これは主にeBay業者の言い分ですが、ハレー彗星コレクターであるスチュアート・シュナイダー氏も、自身のサイトで「ハレー彗星は1835年に、彗星を記念する新しいジュエリースタイルによって歓迎された」と書いているので、おそらくそうなのでしょう。)
手元にあるアメシストのブローチも、1835年当時のイギリス製と聞きました。
イギリスではヴィクトリア女王が即位(1837)をする直前で、「ヴィクトリアン様式」のひとつ前、「ジョージアン様式」に分類される古風な品です。
この形は、一見どっちが頭(コマ)で、どっちが尾っぽか分かりませんが、いろいろ見比べてみると、どうも大きい方が頭のようです。我々は、写真に納まった“長大な尾を引く彗星”のイメージに慣れすぎていますが、たいていの彗星は、尻尾よりも頭の方が明らかに目立ちますから、素直に造形すれば、確かにこうなるわけです。
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その後も彗星ブローチは作られ続けました。
特に意識して集めているわけではありませんが、しばしば目に付くものですから、小抽斗の中には、新古取り混ぜて彗星ブローチがいろいろたまっています。そのデザインは千差万別で、人間の想像力の豊かさを感じさせますが、これは実際に彗星の形が多様ということの反映でもあります。
天空を翔び、胸元を飾るそのフォルムに注目した「彗星誌(Cometography)」を、いつか書きたいと思っているので、彗星ブローチの件はしばらく寝かせておきます。
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話を元に戻して、19世紀に入って、彗星がなぜ「カッコいい」存在になったかですが、その理由はしごく単純で、19世紀の幕開けとともに、一般のホビーとして「天文趣味」が成立し、それがファッショナブルになったからじゃないかなあ…と思います。
市民社会の成立は、多くのホビーを生み出しましたが、その中でも科学的装備をこらして、遥か天界の奥を窺う天文趣味は、何となく高尚で「カッコいい」行為となり、暗夜にきらめく星空はロマンの尽きせぬ源泉となりました(その流れは今も続いていると思います)。
中でも変化と動きに富む彗星は、まさに夜空のヒーローであり、その天空ショーがまた新たな天文趣味人を生むという好循環によって、19世紀は天文趣味が大いに興起した100年となったのです。
(次の回帰は1910年、ハレー彗星はいよいよ時代の人気者となっていきます。この項つづく)
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