夢の収蔵庫 ― 2024年04月27日 14時32分13秒
せっせと資料を集めていると、なんだか「自分だけの小さな博物館」を作っているような気分になることがあります。
自分だけのミュージアムを持てたら…。
これは私にとっての夢であると同時に、多くのコレクターにとっての夢でもあるでしょう。そこにどんなものが並ぶかは、人それぞれだと思いますが、お気に入りのモノに囲まれた世界にずっと身を置きたいというのが、そのモチベーションになっていることは共通しているはずです。
まあ、中には例外もあります。たとえば“私設戦争犯罪資料館”があったとして、そこに並ぶ品がオーナーにとって「お気に入りのモノ」とは思えないし、江戸の春画コレクターにしても、その世界にずっと身を置きたいとは思わないでしょう。
そんな例外はあるにしても、「お気に入りのモノに囲まれた世界にずっと身を置きたい」というのは、わりと普遍的な観望だと思います。
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今の私の部屋はさながらコックピット状態で、「お気に入りのモノに囲まれる」という部分だけ取り出せば、すでに目標達成といってもいいですが、じゃあこれが理想の姿かと言われれば、もちろん違います。
たとえ小さな博物館でも、博物館を名乗るからには、「展示」と「収蔵」、さらに「調査研究」のためのスペースが分離していてほしいわけで、今の環境はそのいずれも満たしていません。たしかにモノはそこにあります。でも、単にモノが堆積している状態は「展示」とも「収蔵」とも言わないでしょう。収蔵とは、きちんとモノが整理され、必要な時に必要なモノにアクセスできることをいうのだと思います。
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そんな願望から、7段のトレイが付いた小引き出しを手に入れました。
これが私のイメージする収蔵庫のミニチュアで、何だかいじましい気もしますが、千里の道も一歩からです。
これを購入したのはもちろん実際的な理由もあって、ウクライナのブセボロードさんを知って以来、アストロラーベやそれに類する天文機器が急に増えたので、それを効率的に収納する必要に迫られたからです。
平面的なモノを収めるには、こういう浅いトレイの引き出しが便利で、ほかにも対象に応じて、いろいろな物理的収納形態が考えられます。中には気密性の有無が重要になる品もあるでしょう。
いずれにしても、深浅大小さまざまな引き出しが壁一面にあって、モノを自由に取り出したりしまったりできたら嬉しいですね。そして(もちろん)ゆったりとした書棚があり、ガラス戸つきの大きな戸棚があり…となると、だいぶ理想のミュージアムに近づいてきますが、いかんせんそれらを置く空間を作り出すことが難しいので(神様ならできるかもしれませんが)、今のところは単なる夢想に過ぎません。
(スミソニアン国立自然史博物館の鉱物標本収蔵庫。出典:Abigail Eisenstadt,、「Iconic Photos Give Rare Glimpse of Smithsonian’s Storage Rooms」、Smithonian Magazine、2022年5月18日号)
コメント
_ S.U ― 2024年04月28日 09時19分15秒
この平たい引き出しは、私の博物趣味なら、植物の押し葉押し花標本か貝殻の標本を入れたいところです。蒐集家に尋ねてまわると面白そうですが、アストロラーベ派が何人いらっしゃることか。
_ 玉青 ― 2024年04月28日 11時01分55秒
ああ、いいですねえ。
アストロラーベ類は、純粋に収納の便を考えて今の形に落ち着いたのですが、博物標本の場合は、その標本棚自体に何とも言えぬ魅力があります。
S.Uさんとの間ではおなじみの、足穂の『水晶物語』の主人公の博物標本棚がまさにそうですよね。彼(おそらく足穂その人)が尋常ならざる努力を傾けて作った「自分の標本戸棚」は、最下段が「毛氈苔や虫取菫や狸藻や、その他羊歯類の押葉、緑や褐や紅の海草を貼りつけた紙片」で、その上段に貝類、さらに上段には「フォルマリン漬のモロコやイカや龍の落し子」が入っていて、それから上は全部鉱物類でした。この年になった今でも、あの主人公の胸の高鳴りはよく分かるし、それに憧れのような気持ちを感じます。
アストロラーベ類は、純粋に収納の便を考えて今の形に落ち着いたのですが、博物標本の場合は、その標本棚自体に何とも言えぬ魅力があります。
S.Uさんとの間ではおなじみの、足穂の『水晶物語』の主人公の博物標本棚がまさにそうですよね。彼(おそらく足穂その人)が尋常ならざる努力を傾けて作った「自分の標本戸棚」は、最下段が「毛氈苔や虫取菫や狸藻や、その他羊歯類の押葉、緑や褐や紅の海草を貼りつけた紙片」で、その上段に貝類、さらに上段には「フォルマリン漬のモロコやイカや龍の落し子」が入っていて、それから上は全部鉱物類でした。この年になった今でも、あの主人公の胸の高鳴りはよく分かるし、それに憧れのような気持ちを感じます。
_ S.U ― 2024年04月28日 18時46分15秒
そうですね。植物採集も貝類の採集も『水晶物語』も私のベースになっています。私の場合、そのベースの上で、今なにをしているわけでもないのですが、まあとにかくベースなのですとしかいいようがありません。
_ 玉青 ― 2024年04月30日 17時38分58秒
語感的に、この場合は baseやbasicというよりも、fundament とか、fundamental の方がしっくりくるかもしれませんね。いうなれば、S.Uさんが波動で表現されるとして、その周波数成分の「基本波」みたいなものではありますまいか。
_ S.U ― 2024年05月01日 06時47分33秒
なるほど、baseというのは数学的な感じで、fundamentalというのは心理学的ですね。これはまずは人間の心理の話なので、fundamentalが適切なのでしょう。
関連して、足穂の話ですが、このような理科室感覚が人類の全員ではないにせよ多くの人にあって共感を呼ぶことには少なからぬ人々が気づいてきたことと思いますが、足穂の功績は、それを、学問的には何というのか知りませんが、宇宙・生命・宗教・心理学的に、宇宙にある人間の身体の幾何学と結びつけて普遍的必然的に言葉で説明しようとしたことだと思っています。足穂が『水晶物語』の視点を持ったのは戦中頃の時代だと思いますが、どの時代に哲学論として形成されはじめたのか、また、その頃にあったという宗教上の啓示のようなものと関係しているのか、そろそろ落ち着いて現代の者が分析をしてみないといけない時期になったのではないかと思います。
関連して、足穂の話ですが、このような理科室感覚が人類の全員ではないにせよ多くの人にあって共感を呼ぶことには少なからぬ人々が気づいてきたことと思いますが、足穂の功績は、それを、学問的には何というのか知りませんが、宇宙・生命・宗教・心理学的に、宇宙にある人間の身体の幾何学と結びつけて普遍的必然的に言葉で説明しようとしたことだと思っています。足穂が『水晶物語』の視点を持ったのは戦中頃の時代だと思いますが、どの時代に哲学論として形成されはじめたのか、また、その頃にあったという宗教上の啓示のようなものと関係しているのか、そろそろ落ち着いて現代の者が分析をしてみないといけない時期になったのではないかと思います。
_ 玉青 ― 2024年05月03日 18時29分39秒
足穂というと、正直今でも色物扱いの気配があって、世に「タルホロジー」と称するものも、足穂をだしにして勝手に面白がっているだけ…というと怒られるかもしれませんが、生身の足穂と正面から対峙し、その思想をきちんと跡付けようという人は意外に少ないかもしれません。今後に残された大きな宿題だと思います。
(でも足穂を前にすると、やっぱり面白がりたくなるんですよね。それが彼の人徳であり、尽きせぬ魅力の秘密なのかもしれません。)
(でも足穂を前にすると、やっぱり面白がりたくなるんですよね。それが彼の人徳であり、尽きせぬ魅力の秘密なのかもしれません。)
_ S.U ― 2024年05月04日 05時56分58秒
>タルホロジー
足穂の作品には、確かに「色物」と「シリアス物」の種別があるようですが、本人の込めた気持ち気合い的には区別はなかったと想像します。読み手(分析手)としては、何でもよいので自分がとっつきやすい作品から、彼の思想全体のキーとなるものを探っていくというのが適当な方法ではなかろうかと思います。そのへんまではわかったつもりで、私はリアル天文学から攻めようとしたのですが、今後どう全体に適用できるかは不明です。世間のだいたいの論評もキーを得たところで終わっているように思います。
足穂の作品には、確かに「色物」と「シリアス物」の種別があるようですが、本人の込めた気持ち気合い的には区別はなかったと想像します。読み手(分析手)としては、何でもよいので自分がとっつきやすい作品から、彼の思想全体のキーとなるものを探っていくというのが適当な方法ではなかろうかと思います。そのへんまではわかったつもりで、私はリアル天文学から攻めようとしたのですが、今後どう全体に適用できるかは不明です。世間のだいたいの論評もキーを得たところで終わっているように思います。
_ 玉青 ― 2024年05月05日 10時29分59秒
さっきCiNiiで博論検索したら、夏目漱石が88件、芥川龍之介が67件、宮沢賢治が40件ヒットしました。現代の人だと、大江健三郎と村上春樹が同点の29件です。では稲垣足穂はというと、わずかに2件。ちなみに澁澤龍彦も2件でした。こういうところに何となく彼の「色物っぽさ」というか、真面目に研究する対象ではないと思われているフシが感じ取れます。
去年は『一千一秒物語』刊行100年でした。そして来年は足穂生誕125年で、3年後には没後50年を迎えます。この辺で、そろそろ足穂も真摯な考究の対象になってほしいですし、それだけの内実を備えた作家だと信じます(彼自身はそれを望まないかもしれませんが…)。
去年は『一千一秒物語』刊行100年でした。そして来年は足穂生誕125年で、3年後には没後50年を迎えます。この辺で、そろそろ足穂も真摯な考究の対象になってほしいですし、それだけの内実を備えた作家だと信じます(彼自身はそれを望まないかもしれませんが…)。
_ 透子 ― 2024年05月15日 23時05分11秒
自分だけの小さな博物館、素敵な夢ですね🌌。
澁澤龍彦もドラコニアと云う書斎の王国の住人でしたし、仰られる様に、或る種の愛書家や好事家の人の普遍的な願望なのでしょうね💎。
澁澤龍彦もドラコニアと云う書斎の王国の住人でしたし、仰られる様に、或る種の愛書家や好事家の人の普遍的な願望なのでしょうね💎。
_ 玉青 ― 2024年05月17日 17時43分13秒
おお、ドラコニア!
そう仰っていただき、まさに我が意を得たりの思いです。
澁澤もまた私にとっては忘れがたい先達のひとりで、今ちょっと彼に関して考えていることがあるので、そのうちまた記事にしようと思います。
そう仰っていただき、まさに我が意を得たりの思いです。
澁澤もまた私にとっては忘れがたい先達のひとりで、今ちょっと彼に関して考えていることがあるので、そのうちまた記事にしようと思います。
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