七夕の逢瀬 ― 2025年07月25日 17時18分58秒
少しまとまった記事を書き終わって、ボンヤリしています。
あれは例によって調べながら書いたので、連載開始の時点では、個々のゲリッシュ資料の素性や意味合いは、まだほとんど分かっていませんでした。しかし、考えながら書いていると徐々に分かってくるもので、泥縄式の未熟な内容ですが、やっぱり書けば書いただけのことはあります。
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時に、アマースト日食観測隊のことを書くために、この時期いつも話題にする七夕のことを書き洩らしました。そのため先日もちらっと書いたように、旧暦の七夕(今年は8月29日)前後に、今年は七夕の話題を出そうと思いますが、その前に小ネタをひとつ。
しばらく前に、七夕を描いた明治物の錦絵が目に付いて、購入しようかなあ…と思っているうちに買い漏らしました。その商品画像だけ保存しておいたので、ここでちょっとお借りします。
明治30年(1897)、「風俗通」と題して出版された、美人画のシリーズ物の一枚で、作者は宮川春汀(みやがわ しゅんてい、1873-1914)。「風俗通」は、明治の同時代風俗ではなく、江戸時代の風俗を懐古的に描いたもので、この七夕の図も近世の町家における七夕行事を描いたものになっています。
そんなわけで、七夕に関する資料として見た場合、本図はリアルな1次資料とは言い難く、七夕行事について何か目新しい事実が提示されているわけでもありませんから、それもこの絵を買いそびれた理由です。
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でも、右上に書かれている文字がふと気になりました。
調べて見ると、これは以下の漢詩の転句と結句を取り出したものです。
「七夕」 朱文公
織女牽牛双扇開 織女牽牛 双扇開く
年年一度過河来 年年一度 河を過ぎ来る
莫言天上稀相見 言うこと莫れ 天上稀れに相見ると
猶勝人間去不回 猶ほ勝れり 人間の去りて回(かへ)らざるに
織女牽牛双扇開 織女牽牛 双扇開く
年年一度過河来 年年一度 河を過ぎ来る
莫言天上稀相見 言うこと莫れ 天上稀れに相見ると
猶勝人間去不回 猶ほ勝れり 人間の去りて回(かへ)らざるに
作者の朱文公とは、朱子学の開祖・朱熹(しゅき、1130-1200)のこと。
「1年に1回しか逢えないなんて、七夕様は可哀そうだな…」と、地上の人間はときに優越感まじりに呟いたりします。でも、そうやって可哀そうがっている人間こそ、実は一瞬でこの世を去り、ふたたび帰ってくることはない、小さく果敢ない存在です。「だから天上の星々の逢瀬こそ、人間のそれよりはるかにまさっているのだ」と、朱文公は言うわけです。
あざやかな視点の転換です。
そう言われてみれば、見慣れた星の光がただならぬものと目に映るし、自らの限られた生が途端に強く意識されもします。
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でも…と、ここでもういっぺん考えます。
現代を生きる我々は、星もまた有限の存在であることを知っています。
永劫の時に較べれば、星の逢瀬もやはりかりそめのものに過ぎません。そうした観点に立てば、星の逢瀬も人間の逢瀬も等質のものであり、そこに優劣はないし、ともにいとしいものだ…という新たな共感の心が生まれてきたりもします。


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