クリスマスに寄せて…もう一人のアリス(中編) ― 2025年12月26日 17時03分36秒
今日は仕事納め。早々に仕事を切り上げて、日の高いうちに家路につきました。
昨日の雨で空は青く澄み、光がキラキラした粒のようです。
しかし風はとても冷たく、時々ごうごうと樹をゆらしました。
この時期の「明るく冷たい日」が私は好きで、しみじみ一年の終わりを感じました。
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さて、昨日のつづき。
この本は本文わずか7頁ですが、冒頭に立派な「序文」があります(序文は1頁半にわたります)。以下、試訳(適宜太字)。
<序>
日は沈み、薄暗き夜が 空にそのマントを広げた。
月もなく、星もまた、人の目には見えぬ。
日は沈み、薄暗き夜が 空にそのマントを広げた。
月もなく、星もまた、人の目には見えぬ。
人々が眠りにつき、一日の過酷な労苦に 疲れ果てた体を休めている間、
学生はただ独り、本を読み、「真夜中の灯火(ともしび)」を燃やし続ける。
やがて本は閉じられた。―― 彼は表へ歩み出し、 天の穹窿を仰ぎ見る。
星は見えず、その夜は月さえも 光を授けてはくれなかった。
歩みを進めるにつれ、彼の心には悲しみが満ち、 魂には重苦しい影が差す。
「この果てしない営みは、いつ終わるのだろうか」
「いつになったら、目的地へ辿り着くのか」
そう沈思に耽っているとき、一つの星が顔を覗かせた。
そして、次から次へと星々が現れる。
新たな勇気が湧き上がり、思考は流れ、
次のような言葉となって溢れ出した。
末尾の一句、「次のような言葉となって溢れ出した」というのは、すなわちこの後に続く一連の詩を指します。
ご覧の通り、本書は元祖『アリス』のようなナンセンス・ストーリーとは違って、結構まじめな調子で書かれています。でも、表紙の「Dedicated (without permission) to」のフレーズに漂う調子を考えると。著者はやはりユーモアを解する人だったでしょう。
全体の主語は「学生(the student)」で、著者は7人姉妹のお父さんではなく(最初はその可能性も考えました)、一人の青年であることを物語っています。そもそもお父さんだったら、上の4人の名前だけ出して、下の3人は「その他大勢」みたいな書き方はしないでしょう。ある人に言わせれば、著者は一家と親しい年上の従兄、あるいは姉妹の家庭教師ではないか…というのですが、その辺が正解のように思います。
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まず最初は長女・アリスに献じられた詩です。
<アリス>
そよ風に運ばれ、 私の心の奥底にまで届くあの音は何だろう。
またしても聞こえてきた。
そして私は その場を立ち去りがたく、足を止める。
そよ風に運ばれ、 私の心の奥底にまで届くあの音は何だろう。
またしても聞こえてきた。
そして私は その場を立ち去りがたく、足を止める。
ああ! それは君の甘い歌声が奏でる調べ。
夢を見るまで私たちを癒やしてくれる鳥のさえずりのようだ。
目覚めて、その響きが止んでしまったとき、
この世がいかに悲しく見えてしまうことか。
君こそが、その声を放つ星なのだ。
君の穏やかな光は、私の不安をすべて消し去ってくれる。
「天球の音楽」を絶えず導いているのは、
君の穏やかな光は、私の不安をすべて消し去ってくれる。
「天球の音楽」を絶えず導いているのは、
私には君であるように思えるのだ。
アリスは「天球の音楽」を甘美に歌う星だというのです。
序文では姉妹が「暗夜に現れ、青年を勇気づけた星たち」にたとえられましたが、詩の中でも、姉妹はそれぞれ星になぞらえて称賛されています。
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続いて、次女・アンに贈る詩。
<アン>
その昔、澄み渡る青き湖のほとりに、 一人の佳人が住んでいたという。
その湖面は、彼女の穏やかで美しい瞳のように、
その昔、澄み渡る青き湖のほとりに、 一人の佳人が住んでいたという。
その湖面は、彼女の穏やかで美しい瞳のように、
天空の弧からその色を写し取っていた。
そして彼女の肩には、混じりけのない黄金の波が、
太陽の光に染まった泉のように溢れていた。
幼き頃から、その最期の日まで、彼女は麗しかった。
幼き頃から、その最期の日まで、彼女は麗しかった。
この二番目の星が、私にその面影を思い出させる。
だが、その星は、かつての彼女の顔よりもなお明るい。
黄金の髪をなびかせたあの佳人も、確かに愛らしかった。
けれど、私にとっては、君の面差しの方がはるかに愛おしい。
文中、「二番目の星」とあるのは、言うまでもなくアンのことです。
星の7人姉妹といえば、プレアデスを連想しますが、この詩集は7人姉妹を北斗七星にたとえていて、次女のアンを「二番目の星」と呼んだのでしょう。
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この続きは、「後編」にゆずりますが、こうしたロマン主義全開の情調にはピンとくるものがあります。すなわち「星空浪漫、明治から大正へ」と題して、(1)(2)(3)の3回にわたって書いたことと、これは地続きだと思います。
佳人の面影に星の美を重ねる。
あるいは、星の光の向こうに麗しい人を思い浮かべる。
こうした文学的趣向が日本に移植されて、明治浪漫派の星菫趣味を生み、そこから野尻抱影や山本一清も育っていきました。それを考えると、この無名子の詩心は、まんざら現代の我々と無縁ではありません。
(この項つづく。次回完結予定)



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