月と燕2026年02月01日 09時00分47秒

昨夜は丸い月が皓々と輝き、そばに木星が寄り添う、ちょっとした天体ショーが見られました。

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月をモチーフにしたアクセサリーはほぼ無限にあるでしょうが、そこに込められた「意味」の方は無限というわけにはいきません。

(月の差し渡しは約5cm)

たとえば三日月と燕を組み合わせた、このヴィクトリア時代のブローチ。

月はそれ自体、「女性性」の象徴であり、さらに三日月は「新しい始まり」という独自の意味を帯びます。そして燕は、日本でいうオシドリと同様、生涯同じ相手と添い遂げる鳥とされることから「永遠の愛」や「貞節」を、あるいは毎年同じ巣に帰ってくることから「安全な帰還」を意味します、


以上の組み合わせから、三日月と燕の意匠は新婚期、特にハネムーン旅行に赴く女性が身に着けるものとして好まれたものだそうです。

(ブローチの裏側)

ただし、上のブローチが帯びているのはそれだけではありません。
この三日月が黒(ブラック・エナメル仕上げ)であることには、これがモーニング(mourning)・ジュエリー、すなわち死者を悼む服喪の際に身に着けたものであることを示しています。

結局のところ、このブローチは愛する夫を亡くした女性が、それでも永遠の愛を誓い、寡婦としての新たなライフステージを受け入れ、いつかまた天国で再会することを願うメッセージが込められたものというわけです。

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…というようなことは、今やAIがすぐに教えてくれるので、いわゆる「こたつ記事」はいくらでも量産できますが、しかしこれを目の前にして湧いてくる「思い」の方は、そういうわけにはいきません。

ヴィクトリア時代の古びた部屋の様子。
持ち主の女性の瞳の色。

それらを想像して、美しくも悲しい情調―そう言ってよければ一種の「ロマンス」―を感じるし、同時に女性に寡婦でいることを強いた抑圧的な社会の存在も感じます。そして、それを感じている私だって、遠からずこの世に別れを告げるのだろうという予感も重なって、一個のブローチが放つ「意味」はなかなか複雑です。おそらく見る時の気分によっても、その色合いは変わるでしょう。

…となると、「意味」の方もやっぱり無限に近いのでしょうか?
「込められた意味」だけでなく、「そこに読み取る意味」まで勘定に入れれば、おそらくそうでしょう。

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モノですらそうなのですから、ましてや人となれば、そうパキパキと相手を割り切って理解することはできません。

月と鳥2026年02月02日 19時22分38秒

昨日の月と燕のブローチを見て、個人的に連想するものがあります。

(全長18.5cm)

江戸~明治の「月にホトトギス」のかんざし。

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今もそうかもしれませんが、特に近代以前の西洋絵画は、象徴的表現(砂時計は有限の生、牧者はキリストを表す等)を多用するので、図像にこめられた意味を読み解くイコノロジーという学問も生まれました。

日本美術にも象徴的表現はあるでしょうが(松は長寿、蓮は仏を表す等)、それよりも文芸的伝統の中にある画題が一層優勢の気がします。


このかんざしも、百人一首に採られた「ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただありあけの 月ぞのこれる」の古歌をなぞって、風雅な趣を出しているだけのことでしょう。それは何か別のものを「象徴」しているわけではなく、月は月だし、ホトトギスはやっぱりホトトギスに過ぎません。こういう例ははなはだ多いです。日本では美術・工芸作品もまた本歌取りの伝統の中にある…ということかもしれません。


ですから、日英両国の「月と鳥」の装飾品の類似は、あくまでも表面上のものということになります。

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しかし…と、ここで私の思考は横すべりします。
そもそもなぜ古歌の作者(後徳大寺左大臣)は、月とホトトギスの配合に心を寄せたのか?

考えてみると、日本の伝統画題には「月に雁」もあります。あるいは「月に千鳥」や「月に鶴」というのもあります。月と鳥をいろいろ結び付けて、そこに興を覚えるというのは、やっぱりそこに何かあるのではないか?

鳥は地面に舞い降り、また飛び立って空を翔ける存在です。
そして月は無限の天上界にあって、いちばん地上に近い異世界。
地上に縛り付けられた人間が、天上世界へのあこがれを表現するとき、それを一番託しやすかったのが鳥と月ではなかったか…ということを、ちらっと考えました。

この辺になると西洋も東洋もなく、カルチャーバウンドな象徴が生まれる以前の、人間精神の古層に横たわるアーキタイプ(原型)ではなかろうか…と、いかにも思い入れたっぷりに書いていますが、まあこれは駄法螺の類で、駄法螺というのは、吹く方はなかなか楽しいものです。

月とホトトギスの装身具(1)2026年02月04日 18時56分11秒

私が簪(かんざし)を手にしてもどうしようもないのですが、私は昔からこういう細かい細工物が好きで、しかもテーマが月となれば、これは当然食指が動きます。

簪は今でも作られているでしょうが、私が心惹かれるのは、江戸から昭和戦前まで、まだ和装が日常のものだった時代に、無名の職人たちが腕をふるった作品です。そうした品のうち、ホトトギスが登場するものを、ついでと言っては何ですが、この機会に一瞥しておきます。

(全長17cm)

これは間違いなく江戸時代にさかのぼる品と思います。


立体的で存在感のある月がいい感じですね。背景は雲でしょう。
文化・文政の頃から若い女性の間で流行した、いわゆる「びらびら簪」(残念ながら飾り金具がひとつ欠失しています)。

(裏面)

当時にあっては、格別高度な技ということもなく、おそらく身辺日常の品だったと思いますが、それだけに一層、往時の金工技術の水準をうかがうに足ります。

(この項つづく)

月とホトトギスの装身具(2)2026年02月05日 21時03分54秒

私はジャパン・ルナ・ソサエティの会員なので、N市支部の例会では、お月様にちなむ品を紹介する義務を課せられてるんですが、そこでも一連の月の簪(かんざし)はなかなか好評でした。…というのは、会員云々も含め、すべて脳内の話ですが、こういう品を手にすると、ふとそんな空想にふけったりします。

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今日の簪は金工ではなく漆工作品です。

(全長20.5cm)

江戸~明治のものと思いますが、本体はべっ甲、そこに蒔絵が施されています。
簪といえば2本足が普通ですが、これは1本足です。たぶん笄(こうがい)との中間形態である「中差簪(なかざしかんざし)」と呼ばれるタイプだと思います。

先端に見える「耳かき」が簪の特徴で、幕府が奢侈品を禁じた時代、「これは贅沢品ではなく、立派な実用品です」と言い逃れるための工夫だと聞きました。それが明治以降もデザインとして踏襲されたわけです。


小指の爪に乗るほどの小さなホトトギス。その下の月は一見目立ちませんが、灯りにかざせば鮮やかに浮かび上がります。


これはべっ甲の透明な部分を活かした細工で、なかなか手が込んでいます。


さらにその下に見えるのは、おそらく藤の木でしょう。
藤にホトトギスとくれば、これは花札の四月の札で、風雅の中にユーモアと機知が光ります。これぞ江戸の粋という感じです。


これは無名の職人の作ではなく、銘が入っており、号は「良斎」と読めますが、詳細不明。

(この項つづく)

月とホトトギスの装身具(3)2026年02月07日 08時33分23秒

今日登場するのは、簪(かんざし)ではなく櫛(くし)です。

(左右幅は 10.7cm)


漆を盛り上げた「高蒔絵」のホトトギス。
こういうのは時代判定が難しいですが、「閑清形」と呼ばれる櫛の形や、桑材に高蒔絵という趣向は、江戸後期~末期のものであることをうかがわせます(別にこの種のものに通じているわけではなく、装身具の解説書を眺めて一知半解で書いています)。


一方、月はといえば、裏側に凛然と浮かんでいます。
表と裏でひとつの絵柄とするというのも、時代の嗜好であり、職人の機知でしょう。
金のホトトギスと銀の月の対比が美しいと思いました。

もちろん、昔の物がなんでもかんでも良いわけではありませんが、こういうのは確かに精神的な豊かさの証で、床しく感じます。(省みて今の我々はどうか…と、つい問いたくなりますが、まあ、これは言わぬが花でしょう。)

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ホトトギス以外にも月の簪には佳品がまだまだあります。
月を身にまとう優雅さを愛でつつ、そちらはまた折を見て登場させることにします。

(この項とりあえず終わり)

【閑語】明日は…2026年02月07日 14時31分12秒

…投票日です。
超短期決戦というだけあって、今回は妙に早いですね。

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「あの人は政治家ではなく、政治屋だ」みたいな言い方があります。
これはもちろん「けなし言葉」ですけれど、でも、このところの政治を見ていると、政治屋ならまだ上出来の部類だ…という気がしなくもありません。なにしろ政治屋なら、少なくとも政治はしているわけですから。

昔から修身・斉家・治国・平天下といいますが、そもそも修身の段階でつまずいている候補者も散見され、天下国家を論ずるには100万年早いと、わが身を省みず嗤いたくなるときもあります。

大国の覇権主義が横行する世界で、今は誰が国の舵取りをしても難しいことに変わりはないでしょうが、それでも相応の見識と想像力を持ち、説得力のある議論を展開できる人にそれを任せたいと思います。

やたらと大向こう受けを狙う人、人の話を聞けない人、自己愛の強い人、権勢欲をギラギラさせた人、結局誰のために政治をやってるんだろうと首をかしげたくなる人。一見もっともらしいことを言っても、人間の地金は自ずと表れるもので、そういう人に今の政治を任せる気にはとてもなれません。

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私は高市氏に批判的なので、自民圧勝の予想に苦いものを感じていますが、とはいえ党内基盤の弱い高市氏が、この後も長期安定政権を築くことは難しいでしょうし、今後の政治のありようについては、少し長いスパンで見据えて、自分なりの意見をしっかり持ちたいと思います(別に政治家でなくても、国民には国民なりの見識が当然あってよいわけです)。

月を眺めて40年2026年02月08日 19時05分58秒

絵本とコミックをテーマにした雑誌、月刊「MOE(モエ)」
現在は白泉社が版元ですが、昔は偕成社から出ていました(白泉社に移ったのは1992年だそうです)。


その「MOE」の1986年11月号を手にしました。
振り返ればもう40年も前です。元号で言えば昭和61年。
当時、私はまだ大学生でした。その頃はこういう甘いメルヘンやファンタジーは敬遠していたので、リアルタイムで読んだことはありません(読む漫画と言えば、花輪和一さんや丸尾末広さんでしたから、およそ接点がないわけです)。


今になって買う気になったのは、月の特集号だと知ったからです。
松岡正剛、荒俣宏、まりのるうにい、稲垣足穂、宮沢賢治…その顔ぶれを眺めると、大いに心を動かされますが、でも「もっと若い頃に読んでいたらなあ…」とは思いません。やっぱり出会いにはタイミングというものがあるからです。


今読むとなかなか興味深いのですが、中でも惹かれたのは、「イメージ遊戯 月的なるもの」というコラムです。


最初のピンクは、まりのるうにいさんの選択です。「キャンデーや煙草をつつんでいる薄い銀紙、夜の庭、池、古代のガラス、黒猫…」
そのお隣のクリーム色はイラストレーターの東逸子さんで、「博物館の入口、すりガラス、太刀魚の銀色の鱗、銀、湖に石を落とした時のポトンという音…」
他にも、パントマイミストのヨネヤマママコさんは「ゆかた、ピアノの音、尺八の音、横笛、リボン…」を、編集者の下中美都さんは「万華鏡、ホログラム、ガラス製の実験用品、幻燈…」等々を挙げています。

こういうのは想像力をいたく刺激されますね。
私だったら、「鏡、冬の林、電球、経帷子、女性の背中…」なんかを挙げるでしょう。



そして、今の私がいちばん関心を持つのは、月を身近に感じるたづきとなってくれる形あるモノたちです。具体的には月の絵本やおもちゃ、酒器、絵葉書、灰皿、文具…等々。

40年前は、ネットを通じて情報やモノが簡単に手に入る世界ではなかったので、今の目で見ると、そこに並んでいるのは素朴な品々が多いですが、でも当時も「月ごころ」を抱いて、月のアイテムをせっせと集める人がいたのは、嬉しい事実。

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当時の白面の書生は、頭ばかり白いものが目立つようになりました。
その分、心にしわを刻み、月も一層の陰影を帯びて目に映るようになりました。
40年の時を隔てて、当時の月派の人々と酒を酌み交わしてみたい気がしみじみします。

二廃人、選挙をふり返る2026年02月09日 16時22分36秒

やあ、選挙が終わったね。

ああ、ずいぶん極端な結果だったな。

ぼくはもうちょっと与野党が拮抗するかと思ってたよ。

まさに地滑り的大勝利だな。

今回の選挙は、なんだかずいぶんふわふわした、妙な手触りだったね。リアリティの感じられない選挙というか。

ふわふわどころか、今回の選挙はまさにワンイッシューの選挙だったじゃないか。

え、そんなものあったかい?結局、何が争点かよく分からなかったけど…。

ワンイッシューは、高市さんそのものさ。

なるほど、「サナちゃん選挙」か。

そう。「これは私への信任を問う選挙です」みたいなことを勝手に宣言して、全部自分の土俵に乗っけて、自分の支持率が高いうちに勝負に出りゃ、そうなっても不思議はない。ありゃ大阪で府知事と市長がつるんで、ひと芝居を打ったときの手口に学んだのかもしれんな。

自民党の大勝ということは、野党…この場合は立民と公明だけど、彼らの大敗と裏表だろ。そっちはどうしてなの。

「サナちゃん選挙」となれば、野党は手も足も出ないよ。何せ論点がないんだから。何をどう訴えればいいのかわからない。まさに垂直の壁を前にしたようなものさ。生活者ファーストなんて、当たり前すぎて何のインパクトもない。

なるほどなあ、高市さんも大した知恵者だ。でも「大義なき選挙」とかはみんな言ってたけど、そういう明白なカラクリにはあまり気づいてなかったね。

手品をやるときは堂々とやらないとダメさ。

それにしても、世間の人はそんなに自民党をありがたいものと感じているのかなあ…。統一教会とか、裏金問題とか、いかがわしいニュースは一体どこに消えちゃったんだろう。

たしかに情報操作もうまかったんだろ。「文春砲」も打つタイミングが悪かった。選挙期間中は報道も追っかけをしないから。

これからどうなるんだろうね。

改憲発議とか、きな臭い話がくすぶるのは間違いなかろうよ。しかし咲けば散り、満ちては欠ける世のならい。高市天下がこのまま続くってこともないだろ。

まあ自民党内の暗闘だってあるだろうし、これだけ議員を抱えれば、身持ちの悪い議員の不祥事だって出るだろうしね。でも、プーチン体制みたいになったらヤダね。

確かにな。まあ、そうなったら万事休すだけど、意外にその前にフェーズが変わるんじゃないかな。

というと?

今後の分水嶺は、期待した「飴」がもらえなかったときに、人々がどう反応するかだと思う。安倍さんのときもそうだったけど、高市人気の巨大な源泉は「株」さ。儲かりさえすれば、せっせと高市大明神にお神酒を供える人だって、貧乏神の影がちらつき始めたら、さてどう出るか。思想信条に基づいて支持している人を除けば、世間は存外シビアだからな。

なるほどね。それを思うと、老後資金問題で「皆さんせっせと投資に励んでください」みたいな話になったとき、庶民までもがNISAだなんだで財布をはたいたのは、虎の子を政府の人質に差し出したのと一緒だね。あれで結構、政府にモノを言いにくくなった気がする。

まあ、お前さんにしても、俺にしても、その点は何の心配もいらないからな。これからも大いにモノ申していこうじゃないか。

よし、それならこっちもお神酒といこう。ちょうどここに、こんないいものがある。

なんだ、結局そうなるか。まあいいや、よし持たざる者の意地に乾杯!

乾杯!

月街星物園2026年02月11日 13時41分14秒



イラストレーター、まりの・るうにいさんの『月街星物園(つきまちせいぶつえん)』(北宋社、1979)は、るうにいさん初の画文集です。その成立事情は、「あとがき」にこう記されています。

「古本屋をぐるりぐるりとまわっているうちにみつけたのが、星の散りばめられた青い表紙の本、稲垣足穂著『宇宙論入門』でした。読み終わってすぐに描きあげたのが、「『青い花』の断片」です。それ以来ルフランのパステルでタルホ・コスモスの飾画があっという間に二百枚ほどできあがり、そのなかから三十数枚の作品を選びだしまとめられたのがこの画文集です。」

(タイトルページ。ブック・デザインは羽良多平吉(はらたへいきち))

上の文章の後に続けて、「ここに収録した作品は主に一九七三・四年までのものが中心です」ともあるので、るうにいさんと足穂の出会いは1970年代初頭のことと想像します。

1970年代以降、るうにいさんは絵筆で、パートナーの松岡正剛さんはペンで、足穂の魅力を存分に描き、足穂ブームの牽引役を果たされました。この『月街星物園』も、1977年に没した足穂に捧げる玲瓏とした花束だと感じます。

(土星酒場)

足穂との出会い…というと、多くの人が挙げるのは『一千一秒物語』でしょう。
るうにいさんも、もちろん同書に親炙されたはずですが、「タルホ画」制作のきっかけとなったのは、あくまでも『宇宙論入門』でした。何かそこに意味があるような気がして、私も「星の散りばめられた青い表紙」の『宇宙論入門』を取り寄せることにしました(1947年に新英社から出た初版です)。届いたら、それを眺めながら、るうにいさんにとってのタルホイメージを、今一度考えてみようと思います。

(ウェルズ氏の最後のラッパ)

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ところで、『月街星物園』には、ここで紹介したオリジナル版のほか、2014年にLIBRAIRIE6(シス書店)から出た再版もあります。

(手前が再版。判型がひと回り小さくなりました)

ただし、「再版」といっても、その内容はかなり異なります。
画文集の「文」の方は6篇のエッセイで変わりませんが、「画」の方はオリジナル版がカラー8点、モノクロ22点の計30点を収めるのに対して、再版はカラー12点のみです。

参考として、両者の収録作品一覧を挙げておきます。

(薄青の網掛けが両者で共通する作品)

ご覧の通り、オリジナルと再版で共通するのは7点のみです。
したがって、るうにいファンや足穂ファンは、これは両方入手して然るべきで、そうしても決して無駄にはなりません。

Paper Comet2026年02月14日 11時39分08秒

このところ、「普通の天文の話題」が少なかったですね。
先日、こういうものを見つけました。

(左右幅は約20cm)

前回のハレー彗星接近(1985~6)を見込んで販売された、彗星の軌道模型です。

(裏側から見た状態)

厚紙を抜いた小型の円形のパーツと大型の山形パーツを組み合わせてあります。


売り出されたのは1982年、販売者はカリフォルニアのDavid Chandler

この名前には聞き覚えがあります。以前、ステレオ画で恒星宇宙を俯瞰する立体星図を話題にしたとき、1977年にチャンドラー氏が出した『DEEP SPACE 3-D』という作品を紹介したことがあります。

3-D宇宙…『DEEP SPACE 3-D』(1977)

(上記ページより画像再掲)

どうやらチャンドラーさんは、いろいろな天文教具を工夫するのが好きだったようですね。この『COMET HALLEY 1985-1986』も、ハレー彗星の動きを、人々によりリアルに感じてもらうための工夫のようです。


ただし、裏面から見た画像↑に見える切れ込みには、本来何か別のパーツがはめ込まれていたはずで、手元の品はそれを欠いています。たぶん、ひとつは全体を支える<架台パーツ>で、もうひとつは円形パーツ(地球軌道)と山形パーツ(彗星軌道)を一定の角度に保つ<傾斜角保持パーツ>でしょう。

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ハレー彗星の公転軌道は、地球の公転軌道と同一平面上にはなく、両者の軌道面は一定の角度でクロスしています。その角度(軌道傾斜角)は約162度。

傾斜角0度の天体は、地球と同一平面上を、同一方向に公転しています(傾斜角は公転方向も考慮して決めます)。これが傾斜角180度になると、その公転面はやっぱり地球軌道と同一平面上にあるわけですが、上下がくるッとひっくり返って、公転の向きが地球と反対向きになります。同様に傾斜角162度の場合は、傾斜角18度と一見同じに見えますが、公転方向が地球と反対向きになります。


したがって、厚紙で18度の角度を作り、


下からあてがってやれば、太陽・地球・彗星の位置関係がリアルに再現されるわけです(公転方向は、地球と彗星とで最初から反対向きに印刷されています)。


あとは、1985年8月から1986年7月までの1年間、外周上のドットで表現された地球の位置と、同時期の彗星の位置(彗星の方は予想される尾の長さも表現されています)を見比べながら、両者の出会いと別れを脳内で再現し、この76年ぶりの天体ショーを楽しめば良いわけです。

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もちろん、今ならCGでその動きは簡単にシミュレートできるでしょう。
でも、これは自前の脳で再現するから、一層深い理解が得られるような気もするし、第一、紙とハサミと鉛筆で同じことができるなら、その方がスマートじゃないでしょうか。

なんとなくアインシュタインの奥さんの有名なエピソードを思い出します。(夫と共にウィルソン山天文台を訪問した際、彼女は担当者から「我々はこの巨大な望遠鏡を使って、宇宙の構造を調べているのです」と聞かされ、「あら、うちの主人は同じことを古封筒の裏と鉛筆一本でやってますわ」と答えたとかいう逸話です。ただし、この話は真偽不明だとか。)