月を眺めて40年2026年02月08日 19時05分58秒

絵本とコミックをテーマにした雑誌、月刊「MOE(モエ)」
現在は白泉社が版元ですが、昔は偕成社から出ていました(白泉社に移ったのは1992年だそうです)。


その「MOE」の1986年11月号を手にしました。
振り返ればもう40年も前です。元号で言えば昭和61年。
当時、私はまだ大学生でした。その頃はこういう甘いメルヘンやファンタジーは敬遠していたので、リアルタイムで読んだことはありません(読む漫画と言えば、花輪和一さんや丸尾末広さんでしたから、およそ接点がないわけです)。


今になって買う気になったのは、月の特集号だと知ったからです。
松岡正剛、荒俣宏、まりのるうにい、稲垣足穂、宮沢賢治…その顔ぶれを眺めると、大いに心を動かされますが、でも「もっと若い頃に読んでいたらなあ…」とは思いません。やっぱり出会いにはタイミングというものがあるからです。


今読むとなかなか興味深いのですが、中でも惹かれたのは、「イメージ遊戯 月的なるもの」というコラムです。


最初のピンクは、まりのるうにいさんの選択です。「キャンデーや煙草をつつんでいる薄い銀紙、夜の庭、池、古代のガラス、黒猫…」
そのお隣のクリーム色はイラストレーターの東逸子さんで、「博物館の入口、すりガラス、太刀魚の銀色の鱗、銀、湖に石を落とした時のポトンという音…」
他にも、パントマイミストのヨネヤマママコさんは「ゆかた、ピアノの音、尺八の音、横笛、リボン…」を、編集者の下中美都さんは「万華鏡、ホログラム、ガラス製の実験用品、幻燈…」等々を挙げています。

こういうのは想像力をいたく刺激されますね。
私だったら、「鏡、冬の林、電球、経帷子、女性の背中…」なんかを挙げるでしょう。



そして、今の私がいちばん関心を持つのは、月を身近に感じるたづきとなってくれる形あるモノたちです。具体的には月の絵本やおもちゃ、酒器、絵葉書、灰皿、文具…等々。

40年前は、ネットを通じて情報やモノが簡単に手に入る世界ではなかったので、今の目で見ると、そこに並んでいるのは素朴な品々が多いですが、でも当時も「月ごころ」を抱いて、月のアイテムをせっせと集める人がいたのは、嬉しい事実。

   ★

当時の白面の書生は、頭ばかり白いものが目立つようになりました。
その分、心にしわを刻み、月も一層の陰影を帯びて目に映るようになりました。
40年の時を隔てて、当時の月派の人々と酒を酌み交わしてみたい気がしみじみします。

コメント

_ S.U ― 2026年02月09日 08時19分47秒

"MOE"という雑誌は題名しか知りませんでした、そんな特集をする雑誌だったのですね。ちょっと印象と違ったので意外です。また、この1986年に月を取り上げたのも何か屈折がありそうで興味深いです。
 当時は、宇宙事業は帰路に立たされていて、1986年1月にはチャレンジャー爆発事故、レーガンのぶちあげたSDI計画の実効性が疑問視され始めた時代でした。この頃に、おもに資源探査を目的とした有人月開発への回帰が始まっていたのではないかと思います。当時、私は、"Lunar Landers Janan"というNASAの下請けのような民間団体の日本支部に入会しました。が、すぐに解散になったのか二度ほど英語資料をおくってきただけで立ち消えになりました。アポロの後のスペースシャトルの時代に月への火を消すなという趣旨のものでしたが、一応の成果を得たのか旗色が悪くてあきらめたのかはわかりません。

 この”MOE”はそれとも関係無い別の文脈の特集なのでしょうが、当時の宇宙関係には、月再来ブームというか、かつて熱狂の月のノウハウをここらでストックしておこうという地味な動機が関係していたとみることができるのではないかと思います。記事の趣旨はいかがでしょうか。

_ 玉青 ― 2026年02月09日 16時17分15秒

おそらく…なんですが、この場合、1986年という年には意味が薄いと思います。
何となれば、当該特集の内容は、松岡正剛さんの言う「ルナティックス(月知学)」の上澄み的なもので、ファンタジックな話題として「MOE」編集部が、たまたまこのタイミングで取り上げたんだと思いますが、松岡氏自身の月への関心は、それよりも早く1970年代半ば~後半にすでに十分熟成が進んでいたからです。むしろ問われるべきは、月探査の成果が70年代の松岡氏にどう作用したかだろうという気がします。

たしかに月探査と月の文化史学は、松岡氏の中で連動していました。
氏は単行本『ルナティックス―月を遊学する』(作品社、1993)の中で、アポロの月着陸が、氏の月知学の出発点になったことを述べています。しかし、それは一種の反面教師としてで、その「荒んだ月面の光景に落胆し」、「ここにいたって、私は月を擁護するための論陣を断固として張らなければならないとおもった」という動機が書かれています。(もっともそのあとで「仮に月面が荒涼とした表情しか見せてくれなかったのだとしても、むしろ「それが月のいいところなんだ」とか「無にすら風情があるじゃないか」と開き直るべきだった」とか、「月は科学的にも饒舌なのである」とも述べています。)

ただ、そうした「松岡流 月知学」が、80年代後半から再び世の脚光を浴びるようになった背景に、第2の月探査計画の存在があるのではないか…というところまで深く掘り下げると、その可能性もないとは言えず、これは継続検討の対象にしたいと思います。

_ S.U ― 2026年02月09日 19時02分36秒

ご考察ありがとうございます。たしかに復活とまでいうのは、後の歴史を知ってからの後知恵(あるいはその時代では一部の指導者の意図)のように思えます。

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