三味線を弾く男 ― 2023年03月17日 17時13分48秒
今日は「現代天文文化論の試み」と題して、天文学史研究会でお話をさせていただきました。まあ、話した内容は、いつもこのブログに書いているようなことです。
すなわち、日本で特異的に進化した「天文アンティーク」をめぐる最近の文化的ムーブメントについて、そしてそこに影を落としている、野尻抱影由来の天文ロマンチシズムとか、漫画文化の影響とかいったようなことです。
しかし、話しているうちに、だんだん自分がほら吹き男爵になったような、図々しさと後ろめたさがないまぜになったような気分になって、いささか背中に汗をかきました。でも、冷静に考えると、このブログは最初から「駄法螺ブログ」の色合いが濃いので、たまたま真っ当な議論の場で、真っ当な光を照射されたために、その事実が改めて露呈したに過ぎない…とも言えます。
さはさりながら、世間の潤滑油として、駄法螺には駄法螺なりの効用もあり、これからも懲りずに駄法螺の開陳を続けることにします。
怪しい笑みを浮かべつつ、マンドリンの弾き語りをする男。
日本語で「三味線を弾く」といえば、適当なことを言って調子を合わせたり誤魔化したりするという意味ですが、なんとなく今の気分はこんな感じですかね。
モノの方は、ドイツのポスタースタンプ、つまり切手の形を模した販促用のおまけシールです。多色石版刷りで、時代は20世紀初頭と思います。エッセンのクルップ鋳鋼社(Krupp Stahl)が販売していた、「コメット」ブランドのスチール弦の宣伝用シールのようです。
お知らせ ― 2023年03月07日 07時08分04秒
今度、「現代天文文化論」と銘打って、日頃ここで書いているような天文趣味史をめぐる話題について話をする機会が得られました。現在、その準備をしています。これまで自分が言ってきたことを反芻しつつ、考えをまとめるのに時間がかかっているので、ブログの方はしばらくお休みです。
突如、工作人(ホモ・ファーベル)たらんとす ― 2023年01月22日 16時54分20秒
この前、星座のゲームのことを話題にして以来、私の中でむくむくと動くものがありました。それはずいぶん前から私の中に潜在していたのですが、要するにある天文ゲームをなんとかして手に入れたいという願望です。
ただ、いろいろ調べてもそれは遠い過去に廃絶しており、古物も含めて、市販品は一切なさそうでした。ですから、それを手にするには自分で作るしかなく、そのため昨日と今日はせっせと頭と手を動かしていました。
その結果については、モノが完成してからまた話題にしようと思います。
ただ、ここで先回りして予防線を張っておくと、私は手先が不器用で、しかも最近は目も悪くなっているので、その仕上がりについては、小学生の工作以上のものではありません。しかし当のゲームそのものについては、このブログに書き付ける価値が十分あるので、もっぱらその方向で期待していただければと思います。
(Photo by Ekrulila)
歳末に厄を拾う ― 2022年12月21日 22時37分10秒
このところPCがずっと不調だったのですが、とうとうダメになりました。
その症状は特徴的で、最初はディスプレイにピンクの横線がチラチラ何本か入るところから始まります。じっと見ていると、その横線が徐々に増えて、ついには画面全体がピンクになり、やがてそれが緑になり、水色になり、黄金色になり、再びピンクになり…。その律動的に輝く画面は、あたかもマジックマッシュルームを口にしたときのサイケデリック体験のようで、それはそれで興味深いのですが、PC本来の機能はまったく果たしてないので、とても困ります。
これまでは30分ぐらい辛抱強く待っていると、自然に症状が回復したので我慢して使っていたのですが、それが1時間になり、2時間になるとさすがにお手上げです。
背に腹は代えられないので、PCを買い替えることにしました。いずれにしても、Windows8もいよいよサポート終了ですから、買い替え時ではあったのです。ただ、新しいPCを買うのはボーナスをはたいて何とかするとしても、そんな幻覚状態にあるPCからデータをどうやって移行するか? 何となくディスプレイ以外は正常っぽいので、画面のミラーリングをすればいいのかなと思ったんですが、実際にやろうとすると、そこにはいろいろ壁があって断念しました。
それでも1時間待ち、2時間待ち、少しでも機械の機嫌のいいときを狙って、何とか移せるものは移しました。その夜なべ仕事ですっかり憔悴しました。
こんなふうに機械に振り回されるのは良くないことだと思います。
でも、それはこういう特別な機会だから意識したことで、実はマシントラブルのない普段から、私は機械を使役しているつもりで、機械に使役されているのだろう…ということも思いました。
記事のほうは少し身体を休めてから再開します。
コメントへのお返事も後ほど改めて。
夜の散歩 ― 2022年12月15日 17時53分01秒
先週の話です。空には明るい月のそばに、赤い星が2つ並んでいました。
ひとつは火星、もうひとつはおうし座のアルデバランです。月の光に負けないアルデバランも1等星の見事な輝星ですが、最接近を遂げたばかりの火星は、さらにそれを圧倒する明るさで、ぎらりと赤く光っているのが、ただならぬ感じでした。
そんな空を見上げながら、足穂散歩を気取ろうと思いました。
いつものようにイメージの世界だけではなく、今回は実際に足を運ぼうというのです。
私が住むNという街。
お城で有名な、概して散文的な印象を与えるこの街で、あたかも戦前の神戸を歩いているような風情を味わうことはできないか?―そう思いながら、実は数日前から想を練っていたのです。
★
私はまず地下鉄の駅を降りて、大通りからちょっと折れ込んだところにある小さなビルを訪ねることにしました。階段を上がると、2階の廊下のつきあたりに、ぼうっと灯りのついたドアが見えます。
ドアには「星屑珈琲」という表札のような看板がかかっています。
その店名は以前から気になっていたのですが、入るのははじめてです。
「いらっしゃいませ」の声に迎えられて、数席しかない店内に入ると、すでに何人か先客がいました。しかし店内はひどく静かです。
星屑珈琲は店名が素敵なばかりでなく、大きな特徴があります。
それは「ひとり客専用喫茶」ということ。そのルールは複数名で入店して、離れた席に座ることもダメという、かなり厳格なものです。したがって、この店は茶菓を供するだけでなく、「静かな時間を売る店」でもあるのです。店内は、時折
「いらっしゃいませ」
「ご注文は?」
「ありがとう、ごちそうさまでした」
というやりとりが小声で交わされるだけで、あとは静かな音楽がかすかに聞こえるのみです。でも、人々はその空気に大層心地よいものを感じていることが私にも分かりました。
星屑珈琲は、あえてカテゴライズすれば「ブックカフェ」なのでしょう。
目の前のカウンター席にも、ずらっと本が並らび、手に取られるのを待っています。
私はこの店で読むために持参した本をかばんから出して、先客の仲間に加わりました。
(店内で写真を撮るのが憚られたので、これはいつもの机の上です)
1冊は新潮文庫の『一千一秒物語』です。もはや注釈不要ですね。
(Marion Dolan(著) 『Astronomical Knowledge Transmission through Illustrated Aratea Manuscripts』、Springer、2017)
そしてもう1冊は、ギリシャ・ローマの天文古詩集『アラテア』写本に関する研究書で…というと、我ながら偉そうですが、背伸びして買ったもののずっと読めずにいたのを、こういう機会なら読めるかと思って持参したのです。実際、星屑珈琲の空気と一椀のコーヒーの力を借りることで、見開き2ページ分を読めたので上出来です。
★
知らぬ間に時間は過ぎ、私はずいぶん長居していました。
星屑珈琲は23時まで開いているので、閉店時間を気にする必要はないのですが、ここにずっと居坐っては散歩にならないので、そろそろお暇しなければなりません。私は勘定を済ませ、そっと店を出ました。
明るいショーウィンドウを眺めながら繁華な通りを歩き、じきに靴音のひびく靜かな一画に来ると、そこからさらに陰々としたお屋敷街へと折れ込んでいきます。これから木立に囲まれた家々の先にある、とある屋敷を訪ねようというのです。
訪ねるといっても、その家の主を訪問するわけではありません(そもそも私は主が誰だか知りません)。その屋敷の夜の表情を見たかったのです。それは素晴らしく大きな邸宅で、本当に個人の家なのか怪しまれるほどでしたが、以前その前を通ったとき、塔を備えたロマネスクの聖堂建築のような佇まいにひどく驚いたので、「あの家は果たして、こんな晩にはどんな表情で立っているのだろう?」と、好奇心が湧いたのです。そして、そんな酔狂な真似をする自分自身が、何だか足穂の作中の人物のように思えました。
細い道を進み、角を曲がれば目当ての屋敷です。
人気のない森閑とした小路で、屋敷は灯火にぼんやりと巨躯を浮かび上がらせ、建物の内からは暖かな光が漏れて、いかにも居心地が良さそうでした。しかし、不用意に立ち止まったりすれば、見る人に(誰も見てはいませんでしたが)不審の念を呼び覚ますでしょう。私はこの屋敷の夜の表情を一瞥できたことで満足し、その前をさらぬ体で通り過ぎようとしました。
でも、そのときです。屋敷の門がおもむろに開き、一人の少年が出てきたのです。
少年は私に軽く会釈をすると、「お待ちしていました。塔の上では父が先ほどから望遠鏡を覗きながら、あなたのことをお待ちかねですよ」と私を中に招じ入れ、すたすたと先に立って歩きだしました。
…というようなことがあればいいなあとは思いましたが、少年の姿はなく、やっぱり私は屋敷の前を足早に通り過ぎるよりほかありませんでした。でも名残惜し気に振り返ったとき、塔の上に月と火星とアルデバランが輝いているのを見て、私は心の内で快哉を叫びました。その鋭角的な情景ひとつで、当夜の散歩の目的は十分達せられたわけです。
(フリー素材で見つけたイメージ画像)
★
これが足穂と連れ立っての散歩だったら、彼はどんな感想をもらしたか?
「くだらんな」とそっけなく言うかもしれませんし、ひどくはしゃいだかもしれませんが、まあ一杯のアルコールも出てこなかったことについては、間違いなく不満をもらしたことでしょう。
人鳥哀歌 ― 2022年12月11日 17時59分58秒
いささかくたびれました。漢字で書けば「草臥れた」。
実際、作業の合間に草むらに腰を下ろして、しばし無言でいました。
作業というのは、例の鳥インフルの対応です。
先年も豚コレラ(豚熱)で駆り出されましたが、今度は鳥インフルです。白い防疫服の一団がせっせと作業しているニュースをご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、私もそこにまじってごそごそやっていたわけです。まあ豚のときとは違って、今回は凄惨な殺生がすでに終わったあとで現場入りしたので、気分的にはだいぶ違いましたが、それでも慣れない力仕事は、老いを迎えつつある身にひどくこたえました。
…と改めて文字にすると、「大して働きもしなかったくせに、大げさな奴だ」と自分でも思いますけれど、私の小さな労苦の向こうには、もっと大変な労苦を味わった人がおり、期せずして災厄に遭った農場関係者がおり、さらには何の咎もなく突如屠られた数十万の鶏がいるのです。そこには生まれてまもない雛たちの姿もあったはずで、傷ましいことこの上ないです。
望むべくんば、人々の労苦に思いをいたすとともに、無辜の鶏たちの菩提を共に弔っていただければと念願します。
(京都檀王法林寺「鳥之供養塔」。Googleマップより。撮影:Hiroto Okada氏)
あおみどりの光 ― 2022年11月30日 19時17分32秒
昨夜は本降りの雨でしたが、気まぐれで遠回りをして帰りました。
雨に濡れた路面に映る灯りがきれいに感じられたからです。乾いた町が水の中に沈み、いつもと違う光を放っているのが、夕べの心の波長と合ったのでしょう。
店舗の灯り、道路に尾を曳くヘッドライトとテールランプ、そして黒い路面にぼうっと滲んだ青信号の色。あれは実に美しいものです。
ごく見慣れたものですが、私は青信号の青緑色を美しいもののひとつに数えていて、「でも、あの色って、自然界にはあるかなあ?」と、考えながら夜の道を歩いていました。
南の海、ある種の甲虫、鳥ならばカワセミ、石ならばエメラルド。
どれも似ているけれども、どれもちょっと違うような気がしました。
考えているうちに、ふと思いついたのは「夜光貝」。
サザエの仲間であるヤコウガイに限らず、磨いた貝殻の遊色の中に、あの青緑があるような気がしたのです。これは純粋に自然の色といっていいのか、もちろんそこには人為も加わっているのですが、条件によっては自然条件下で遊色を呈することもあるでしょう。
(磨き加工をしたパウア貝。手前はアンモナイトの一種(クレオニセラス)の化石。そこにも似た色合いが、かすかに浮かんでいました)
思いついたのが水に縁のあるもので、そのことがちょっと嬉しかったです。
七夕短冊考(その7) ― 2022年08月04日 18時39分24秒
身近にひたひたとコロナの足音が迫るのを聞いたかと思うと、気が付いたら自分自身が斃れていた…。まあ本当に斃れたわけじゃありませんが、布団に倒れ込んでいたのは本当です。先週の金曜日から様子がおかしくて、土曜日に検査したら陽性。39度台の高熱が出たのは最初の2日間ぐらいで、今はこうして机の前で普通に過ごしています。
この間ずっと、いつもブログの写真に写り込んでいる書斎に布団を持ち込んで、そこで缶詰になっているんですが、この部屋は元々狭いうえに、いろいろなモノが集積しているので、布団をきちんと敷くこともままなりません。そして自分の趣味とはいえ、剥製とか標本とか人体模型とかに見下ろされて、その隙間で体をくの字にして寝るというのは、病気療養のあり方として好ましいものではありません。呼吸器の病気にはことによろしくない感じです。
一晩だけならまだしも、連日連夜この空間に閉ざされていると、何だかいたたまれない気になって、このままここで入定して即身仏と化すんじゃないか…という気すらしました。今は気分的に楽になりましたが、一昨日ぐらいは残りの療養期間が途方もなく長く感じられたということもあります。
そこで即身仏の積ん読本を読み出したら、現実のミイラ仏の背後には、なかなか切実な事情があることを知って、粛然としました。即身仏になるのも大変です。(でも、条件がそろうと、人間の遺体は意外と簡単にミイラ化するそうですね。沙漠地帯ばかりでなく、湿潤な日本でも、お寺の土塀のくぼみとか、橋の下とか、ひょんなところからミイラが発見された例が本には書かれていました。)
★
さて、ブログを放置しているうちに、今日はいつの間にか8月4日です。
以前書いた旧暦の七夕がいよいよ今日。だらだら書いた短冊の話も、ちょっと中だるみの感があるので、この辺で話をおしまいにしなければなりません。以下、はしょって書きます。
戦後の幼児教育の本として、今回以下の3冊を眺めてみました。

■松石治子(著)『子供のための幼児教育十二か月』(ひかりのくに昭和出版、1958)
■富永正(監修)・奈良女子大学幼稚園(編)『園の年中行事』(同、1962)
■舘紅(監修)『心にのこる園行事(保育専科別冊)』(フレーベル館、1979)
これらの中に「短冊の謎」はもちろん書いてなくて、そもそも短冊への言及もほとんどありません。力が入っているのは、むしろ各種の七夕飾りの製作です。
例えば1962年に出た『園の年中行事』を見ると、「ささ飾りをするにしても、従来のきまりきった短冊などにこだわらず、画紙・色紙・セロファン紙などを使って工夫創作することを教え」云々とあって(p.104)、短冊は雑魚キャラというかモブ扱いですね。ただ裏返すと、この書きぶりからは旧来の「天の川」「七夕さま」式の短冊が、まだこの頃は健在だったのかな…という推測も成り立ちます。
(園行事としての七夕。『園の年中行事』より)
以下は、そのもうちょっと前、1958年に出た『子供のための幼児教育十二か月』の1ページです。
イラストの笹飾りには、たしかに「天の川」と書かれた短冊がぶら下がっています(p.111)。さらに、同じページには、「七夕まつりの仕事」として、以下の活動例が挙がっています。
○短冊形の紙に画をかく(自分のすきな画をたてにかく)
○折紙で輪つなぎを作る
○折紙ですきな物を折る
○色紙で短冊やあみ等を作る
○色紙できものやほおずきを作る
○画用紙で星や胡瓜やすいか等を作る
○大きい星形の冠を作って彩色をして、それを冠ってリズムあそびをする
○笹竹を飾ってみんなで歌やリズムやおはなしなどをしてあそぶ
○折紙で輪つなぎを作る
○折紙ですきな物を折る
○色紙で短冊やあみ等を作る
○色紙できものやほおずきを作る
○画用紙で星や胡瓜やすいか等を作る
○大きい星形の冠を作って彩色をして、それを冠ってリズムあそびをする
○笹竹を飾ってみんなで歌やリズムやおはなしなどをしてあそぶ
今とあまり変わらない感じもしますが、ただ戦後13年が経過したこの時点でも、「短冊イコール願い事」という定型(お約束)の成立は、まだ確認できません(別の個所(p.113)には、「七夕の笹に、色紙や短冊をかざりますね。短冊に自分の名前や、天の川、と書きますね。」ともあって、やっぱり願い事は書いてなかったようです)。ただ、短冊形の紙に自由画を描くという活動が、その萌芽のようにも思えます。(余談ながら、ここに出てくる「きものやほおずきを作る」とか、「胡瓜やすいか等を作る」とかは、相当古い習俗をとどめていますね。民俗が園の中で生きていた時代でもありました。)
最後の『心にのこる園行事』(1979)を見ると、七夕飾りにもプラスチック工作が登場していたり、すっかり今風になっています。
(p.86。左上のプラボトル製の魚に注目)
この本で興味深く思ったのは、「七夕のいわれ」というコラム記事です。
そこには「〔…〕江戸時代になると、一般にも広く行われるようになって、現在のように竹や笹の枝にいろいろな願いを書いた短冊などを結びつけて飾ったり、これを川に流したりするようになりました。」と書かれていました(p.83)。
もちろん、こんなふうに話が単純だったら、私がここまで字数を費やす必要もないわけで、この記述は明らかに事実誤認を含むのですが、この1979年の時点では、保育現場で短冊に願い事を書くことが自明視されるまでになっていたことを示すものだと思います。
★
他にも、これは小学校での例ですが、毎年七夕の時期になると、教え子に願いごとを作文に書かせ、それを文集にまとめた先生の実践記録とか[1]、班ごとに七夕飾りを製作し、短冊に書いてある自分の願い事を発表しあった例とか[2]を目にしました。いずれも1960年代後半のことです。
ひょっとしたら、短冊に願いごとを書くのは、小学校での教育実践が先行しており、それが幼稚園・保育園に下りてきた可能性もあります。いずれにしても、全国津々浦々で、七夕竹に願いごとを書いた短冊がぶら下がるようになったのは、1960年代を画期として始まり、70年代に入ると、それが新たな習俗として確固たるものとなった…という新たな仮説を提示して、一応この項を結んでおきます。
無理やり七夕に間に合わせましたが、どうもあまりパッとしない内容で、空の方も今夜は涙模様ですね。今年の七夕はいろいろあかんかったです。
(この項おわり)
--------------------------------
【註】
[1] 鴨井康雄(編)『明日を呼ぶ子ら―重い障害をもつ子どもと教師の記録』、明治図書、1970. pp.58-59.及びpp.102-110.
[2] 今回の記事はGoogleの書籍検索にだいぶ助けられました。その中で見つけたのが、次の引用文です。
「できあがってから七夕祭をしました。各班ごとにできあがるまでのようすを発表しあい、ひとりひとりが立ちあがってたんざくに書いてある自分の願いを読みあげぎ(とうもろこし)早くくいたいなあ」。はじめ子どもたちは前の経験から「七夕 ...」
これが引用の全文で、前後は一切分かりません。Googleの書籍検索でひっかかる古い資料は、たいていアメリカの大学がスキャニングしたもので、著作権の関係で日本からだと断片しか読むことができません。しかも、多様なレイアウトの資料を無理やり機械に読ませているので、意味不明の判じ物のようなものが多く、内容を確かめるには別途原典に当たらないといけないのですが、これはまだ原典に行きついていません。
一応の出典は、「Bunka hyōron - 第 76~81 号 - 12 ページ - 1968」となっていて、おそらくは「文化評論」(新日本出版)第78号(1968年3月号、特集・教師の記録―次代の日本のために)掲載の文章ではないかと想像しています。ちなみに同号の12ページは吉成健児氏による「分校の子どもたち」という記事です。国会図書館からコピーを送ってもらえばはっきりするのですが、そこまでするか?という気もするので、これは今のところ参考引用です。
700 対 70 ― 2022年06月12日 07時11分43秒
昨日の件は、結局送料70ドルで決着がつきました。ああ良かった。
まあ、普通に考えれば70ドルでも結構な額ですが、何せ話の前段があるので、そこに仮想的な割安感が生じるわけです。でも、話の前段である「送料700ドル」というのも、実は私の心のおびえが生んだ早とちりで、ブセボロードさんは単に「品代が700ドル」と言いたかっただけかもしれません(昨日の適当訳の原文は、“The package you were interested in would cost 700$ for both”です)。こういのを「疑心暗鬼を生ず」というのでしょう。
そして700ドルといえば、これまた極めつけに高価ですが、それがブセボロードさんを応援し、ウクライナ経済を支援することにつながるならば、ボーナスをはたく価値は十分あると信じます。(…と言いつつ、それも荷物が無事届くことが前提で、もし途中で行方不明になったら、そう勇ましいことも言ってられません。己の卑小さを恥じます。)
しばらくは毎日そわそわしながら、トラッキング情報を見ることになるでしょう。
(ウクライナと日本。ウィキメディア・コモンズより)
モノは万里の波濤を越えて ― 2022年06月11日 15時55分00秒
ずいぶん長いことブログを放置していました。
この間何をしていたかといえば、ひとつは前にも書いたように、ハーシェル展の準備作業をしてたわけですが、それともう一つ家の片づけに精を出していました。これは家人が職場に置いていた大量の資料を持ち帰ることになったため、いやでも応でも片付けざるを得なかったのです。
そのため、今回はかなり本格的に片付けを行いました。
おげでだいぶ部屋がスッキリしました。…というのはちょっと誇大で、見た目はそう変わらないんですが、今回はまさに「アンタッチャブル」だった物入の奥にも手を伸ばし、それまでデッドスペースだったところを蘇らせたのは、我ながら上出来です。つまり、見えないところが片付いたわけです。見えないところに堆積した物というのは、意外に潜在意識に圧迫感を与えるもので、それが無くなっただけでも、気分的にずいぶん楽になりました。
(ふと脇に目をやると机の上にプレーンな面がある…という、当たり前のことが無性に嬉しかったりします。これも片付けの成果です。)
★
最近は急速な円安で、海外からモノを買うのが難しくなっています。
まあ、せっかく部屋を片付けたのだから、再びモノを増やすのも良くないし、当面は自重したいと思います。
それでも、「これだけは…」と思ったものがあります。本ブログではおなじみのブセボロードさんの新作です。新作が出たということは、即ちブセボロードさんとお仲間の製造ネットワークが復活したことを意味するので、これは祝賀の意味でも購入しないわけにはいきません。
問題は現在のウクライナからの配送状況です。
ブセボロードさんのオンラインショップの冒頭には、「ANY PURCHASES YOU MAKE AT THIS STORE ARE AT YOUR OWN RISK」 と大文字で書かれています。
自己責任は元より承知。しゃにむに注文を入れると、ブセボロードさんから以下の返信がとどきました。
「玉青さん、あなたが関心を持たれた品2点を送るには700ドルかかります(注:送料込みで700ドルではなくて、送料が700ドルです。そう、70ドルではなくて700ドル!)。ですから、代金の支払いは少しお待ちください。送料をもっと安くする方法を思案中です。
以前もお話ししたように、ウクライナ発着の国際配送業者、たとえばUPSとかFedexとかは、現在国内で営業を停止しています。したがって唯一可能な方法は、国営郵便だけです。でも今回の荷物は、私がふだん国営郵便に任せる品よりも高価ですし、今春、アジアに送った唯一の品は4月末に発送したものですが、それがまだ先方に到着しないので、少なからず不安に思っています。
しかし、もう一つ方法があるのを思い出しました。ノバ・ポストです(注:ノバ・ポストはウクライナの宅配会社らしいです)。同社は通常ウクライナ国内向けしか扱っていないのですが、同社にはノバ・ポスト・グローバル(NPG)というハイブリッドオプションがあります。これは外国のハブまで自前で荷物を運び、そこでUPSに荷物を引き継ぐというものです。UPSよりも若干安価で、若干長い時間がかかります。
私は去年1回それを試してみましたが、悪夢のような経験でした。係員はウエスタンビッド経由で発行された自社の追跡番号が分からなかったし、私は手続きのため、アプリをインストールしなければならず、そもそも社員はNPGの仕組みを知りませんでした。彼は倉庫からプリンターを持ってきて、コンピュータにつなぎ、ようやく必要な書類を打ち出しました。1時間を無駄にして、私はもうNPGは使わないぞと心に誓いました(ウクライナ国内であればノバ・ポストの配送はとてもスムーズなのですが)。しかし、今の状況では、NPGも選択肢のひとつだと思います。私たち二人が配達を待って数か月無駄にするより、私一人が1時間無駄にするほうがましです。」
以前もお話ししたように、ウクライナ発着の国際配送業者、たとえばUPSとかFedexとかは、現在国内で営業を停止しています。したがって唯一可能な方法は、国営郵便だけです。でも今回の荷物は、私がふだん国営郵便に任せる品よりも高価ですし、今春、アジアに送った唯一の品は4月末に発送したものですが、それがまだ先方に到着しないので、少なからず不安に思っています。
しかし、もう一つ方法があるのを思い出しました。ノバ・ポストです(注:ノバ・ポストはウクライナの宅配会社らしいです)。同社は通常ウクライナ国内向けしか扱っていないのですが、同社にはノバ・ポスト・グローバル(NPG)というハイブリッドオプションがあります。これは外国のハブまで自前で荷物を運び、そこでUPSに荷物を引き継ぐというものです。UPSよりも若干安価で、若干長い時間がかかります。
私は去年1回それを試してみましたが、悪夢のような経験でした。係員はウエスタンビッド経由で発行された自社の追跡番号が分からなかったし、私は手続きのため、アプリをインストールしなければならず、そもそも社員はNPGの仕組みを知りませんでした。彼は倉庫からプリンターを持ってきて、コンピュータにつなぎ、ようやく必要な書類を打ち出しました。1時間を無駄にして、私はもうNPGは使わないぞと心に誓いました(ウクライナ国内であればノバ・ポストの配送はとてもスムーズなのですが)。しかし、今の状況では、NPGも選択肢のひとつだと思います。私たち二人が配達を待って数か月無駄にするより、私一人が1時間無駄にするほうがましです。」
★
ブセボロードさんは信頼できる人だと改めて感じるとともに、ウクライナの日常の一断面を見る思いがします。戦争の影響は、本当にいろいろなところに及ぶものです。
21世紀になり、紛争当事国からでもメッセージやデータは一瞬で届くようになりましたが、モノの方はやっぱりそうはいきません。当面は遣唐使のころとあまり変わらない気分で、首を長くしてモノを待たねばなりません。(でも、将来的にVR世界がリアル世界を圧倒するようになると、人とモノの関係も大きく変わるのかもしれません。)
最近のコメント