ハロー、CQ、CQ、こちらはバチカン天文台 ― 2023年03月19日 10時54分14秒
これも紙モノと言っていいのでしょうが、こんなものを見つけました。
「スペコラ・ヴァティカーナ」、すなわちバチカン天文台に設けられたアマチュア無線局「HV2VO」から送られたQSLカード(交信証明書)です。バチカンにハム(アマチュア無線)マニアがいたと知って、「へえ」と思いました。
珍しさついでに、細部に注目してみます。
右肩のスタンプは、カトリック・プロテスタント・正教会を包摂する「世界教会協議会」のロゴマークで、十字架のマストを立てて海に浮かぶ船は、キリスト教会のシンボルだそうです。
裏面を見ると、問題のバチカンのハムマニアは、エドムンド・J・ベネデッティという人です(最後の「S.J.」はイエズス会士を意味する、一種の称号)。
交信日は1985年2月16日、交信相手はW2NCG(ニューヨークに開設された無線局で、その主は戦中から無線趣味にはまっていた、Ralph Gozen(Golyzniak)というベテランの由)。使用周波数は7メガヘルツ帯で、交信はCW(電信)、すなわちトン・ツーのモールス信号で行われました。通信状況を示すRSTコードは最高度の「599」、すなわち「完全に了解可能で、電波も非常に強く、モールス信号の音調も問題なし」。QSLカードは、先にRalphさんの方から届いたので、「TNX(Thanks)」にチェックが入っており、末尾の「73」は、アマチュア無線家が交信を締めくくるときの符牒で「Best regards」の意味です。
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ハムには小学生の頃憧れたので、こういうのを見ると心にチカっと来るものがあります。それに何と言っても舞台がバチカン天文台ですから、二重三重に興味を惹かれます。
探してみるとこのバチカンのQSLカードはいろいろあって、もう1枚見つけたのがこれです。
ローマ教皇の離宮である、ローマ南郊のカステル・ガンドルフォ(ガンドルフォ城)と、そこに併設されたバチカン天文台の航空写真をデザインしたものですが、バチカン天文台は1980年代に入ってから、アメリカのアリゾナ州に観測拠点の移転を進めたので、これはバチカン天文台が、文字通りバチカンと結びついていた末期の姿ということになります。
こちらも裏面を見てみます。
こちらの交信日は1984年12月7日。交信相手はこれもアメリカにあったW2FP局です(主はニュージャージーのWalter Bernadynさんで、2015年に亡くなられた由)。このときも電信でのやり取りで、RSTは「599」でした。
このカードを見ると、バチカンのアマチュア無線局はHV2VOだけではなく、ベネデッティさんを含む5人が、それぞれ独自のコールサインを持って交信を行っていたことが分かります。こうなると、「よし、この5人のカードを全部集めるか!」と思ったりもしますが、そこまでいくと一寸やり過ぎなので、QSLカードはこれで打ち止めにします。
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バチカンのハムマニア、ベネデッティさんの事績は、『ヴァチカン天文台年報2016』【LINK】に、その訃報とともに載っていました(pp.51-2、以下改行と太字は引用者)。
「エドムンド・ベネデッティ・カリトウスキー神父(イエズス会士)が、〔2016年〕12月13日にバルセロナで死去した。
ベネデッティ神父は1920年にロンドンで生まれ、1935年にイタリアのトリノでイエズス会に入り、1950年にインドのダージリンで叙階され、80年間をイエズス会士として、また66年間を司祭として活躍した。彼は、その長く魅力的な人生の中で、南米でも幅広く活躍した。1950年代にロンドンでエンジニアとしての訓練を受け、1978年にバチカン天文台に入り、望遠鏡のエンジニアとして働き、趣味のアマチュア無線「ハム」に熱心なことでも有名だった。
観測陣がアリゾナに移転するのに伴い、1988年にはツーソンに着任し、1992年までVATT(Vatican Advanced Technology Telescope、バチカン新技術望遠鏡)の機器開発に参加した。彼の特筆すべき業績は、アリゾナとアルゼンチンの望遠鏡で広く使用された偏光計VATTPolの開発に携わったことである。
天文台での仕事を終えた後も、VATTの所在地からほど近いウィルコックスの教区司祭としてツーソンに留まり、天文台のコミュニティと関わりを持ち続けた。1998年には、テキサス州コーパスクリスティに移り、80代半ばまで教区の仕事を続けた。2004年、引退してスペインに移住(ブラジルへも何度か旅行した)。」
ベネデッティ神父は1920年にロンドンで生まれ、1935年にイタリアのトリノでイエズス会に入り、1950年にインドのダージリンで叙階され、80年間をイエズス会士として、また66年間を司祭として活躍した。彼は、その長く魅力的な人生の中で、南米でも幅広く活躍した。1950年代にロンドンでエンジニアとしての訓練を受け、1978年にバチカン天文台に入り、望遠鏡のエンジニアとして働き、趣味のアマチュア無線「ハム」に熱心なことでも有名だった。
観測陣がアリゾナに移転するのに伴い、1988年にはツーソンに着任し、1992年までVATT(Vatican Advanced Technology Telescope、バチカン新技術望遠鏡)の機器開発に参加した。彼の特筆すべき業績は、アリゾナとアルゼンチンの望遠鏡で広く使用された偏光計VATTPolの開発に携わったことである。
天文台での仕事を終えた後も、VATTの所在地からほど近いウィルコックスの教区司祭としてツーソンに留まり、天文台のコミュニティと関わりを持ち続けた。1998年には、テキサス州コーパスクリスティに移り、80代半ばまで教区の仕事を続けた。2004年、引退してスペインに移住(ブラジルへも何度か旅行した)。」

(Edmund Benedetti Kalitowski(1920-2016)。ほぼ御当人で間違いなかろうと思いますが、画像検索の結果からリンク先にうまく入れず、出典は不詳)
【参考記事】
■ヴァチカン天文台廃絶?
彗星はどこにでも ― 2023年03月18日 10時20分58秒
昨日の品は、他の2枚のポスタースタンプと一緒に、ドイツの古書店から買いました。
こちらは18世紀に遡るという老舗の食酢メーカー、キューネ(Kühne)社のコメット印のお酢の宣伝シールです。
こちらは「新たな彗星!(Der neue Komet !)」とビックリマークが付いていますが、ニョロっとした変な形の彗星だなあ…と思ってよく見ると、これは「フォアヴェルツ靴下(Vorwärts Strumpfwaren)」というメーカーの宣伝で、確かにこの彗星は靴下の形をしているのでした。
昨日のスチール弦は、音楽にちなむ分、いくぶん雅な要素がなくもありませんが、お酢とか靴下とか、ひどく散文的なところにも彗星が登場しているのが、むしろ興味深いです。
スチール弦も含め、いずれも彗星とは全然関係ない品々ですが、1910年にハレー彗星がやって来る前後、彗星は何となくカッコいい存在であり、カッコよさの記号として彗星が多用されたんだろうなあ…と想像します(たぶん、その感性は今も健在でしょう)。
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それにしても、これがまとめて売られていたということは、これをまとめて(古書店に)売った人がいるんじゃないでしょうか。「彗星をテーマにしたスタンプシール」という、ひどく細かい世界に執着した人が、私以前にもいたのかなあ…と想像すると、強い親近感を覚えます。
三味線を弾く男 ― 2023年03月17日 17時13分48秒
今日は「現代天文文化論の試み」と題して、天文学史研究会でお話をさせていただきました。まあ、話した内容は、いつもこのブログに書いているようなことです。
すなわち、日本で特異的に進化した「天文アンティーク」をめぐる最近の文化的ムーブメントについて、そしてそこに影を落としている、野尻抱影由来の天文ロマンチシズムとか、漫画文化の影響とかいったようなことです。
しかし、話しているうちに、だんだん自分がほら吹き男爵になったような、図々しさと後ろめたさがないまぜになったような気分になって、いささか背中に汗をかきました。でも、冷静に考えると、このブログは最初から「駄法螺ブログ」の色合いが濃いので、たまたま真っ当な議論の場で、真っ当な光を照射されたために、その事実が改めて露呈したに過ぎない…とも言えます。
さはさりながら、世間の潤滑油として、駄法螺には駄法螺なりの効用もあり、これからも懲りずに駄法螺の開陳を続けることにします。
怪しい笑みを浮かべつつ、マンドリンの弾き語りをする男。
日本語で「三味線を弾く」といえば、適当なことを言って調子を合わせたり誤魔化したりするという意味ですが、なんとなく今の気分はこんな感じですかね。
モノの方は、ドイツのポスタースタンプ、つまり切手の形を模した販促用のおまけシールです。多色石版刷りで、時代は20世紀初頭と思います。エッセンのクルップ鋳鋼社(Krupp Stahl)が販売していた、「コメット」ブランドのスチール弦の宣伝用シールのようです。
Every Jack has his Jill. ― 2023年02月18日 11時37分51秒
望遠鏡を熱心に覗く男の子。その先に輝くのは…
「きみは空でいちばん明るい星」
季節ネタとして、バレンタインに合わせて、こんなカードを紹介しようと思ったんですが、すっかり忘れていました。
このカードは一種の仕掛けカードで、下辺に覗くタブを操作すると、割りピンで留められた望遠鏡が左右に動くようになっています。1920年~30年代のアメリカ製で、他愛ないといえば他愛ない品ですが、こういう屈託の無さが当時のアメリカっぽいです。
この女の子が、記号的に美人に描かれてないところにも、何となくメッセージ性を感じます。アメリカのどこの町や村にも、こうした男の子と女の子がいて、彼らの数だけ小さな恋物語があり、当人たちはハラハラドキドキしながらも、全体として平凡で平穏な日常が世界を覆っていることを是とする態度といいますか。
「アメリカの良心」みたいなものが、漠然と信じられた時代だったのかなあ…とも思います。
ペーパーテレスコープ ― 2023年02月04日 08時19分08秒
「月月火水木金金」という文字を目にすると、私の脳内では即座に「げぇつげぇつかーすいもくきんきーん」という歌声が、メロディつきで再生されます。あれは、「隣組」と同類の戦時国策歌謡と思ってましたが(実際そういう側面もあるのでしょうが)、元はれっきとした海軍生まれの軍歌だそうですね。
まあ、軍歌の話をしたいわけではなくて、突如仕事が立て込んだせいで、脳内であのメロディが繰り返し再生され、発狂しそうである…という、そんな話です。
そんなわけで、なかなか記事を書くのもおぼつきませんが、有り体にいって仕事よりも天文古玩の世界に遊ぶほうが楽しいので、隙間時間を見つけてやっぱり記事を書いてみます。
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最近届いた1枚のシガレットカード。
(ペンは大きさ比較用)
英国コープ社(Cope Bors & Co)の製品で、同社は1848年から1952年まで、約100年間にわたって存続したリバプールのタバコメーカーです。他のメーカーと同様、ここもシガレットカードを煙草のおまけに付けて、大いに販売促進を狙いました。
(カードの裏面)
上のカードは1925年に出た「おもちゃモデルシリーズ」の1枚で、他社のシガレットカードと差別化を図るため、切り抜いて組み立てると小さなおもちゃができるのを売りにしていました。いわばシガレットカードとグリコのおまけのハイブリッドみたいなものですね。
(eBayの商品写真より)
いろいろな屋台店とか、乗り物とか、遊具とか、カラフルで楽しいシリーズですが、今回はその中から1枚だけ望遠鏡のカードを買いました。これも線にそって切り抜いて、要所を折り曲げて、ちょちょいと糊付けすれば、可愛くてしかも立派な望遠鏡が完成します。
望遠鏡の構造としてどうなの?という細部の詮索はおいて、ここに漂う愛らしさといったらどうでしょう。そして、1920年代の子どもたちにとって、望遠鏡は夢と憧れであったことも、このカードからわかります。
戦火の星 ― 2023年01月08日 12時48分53秒
先月最接近した火星は、まだまだ明るいです。
下は「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌、1909年11月27日号表紙より、「火星」と題されたイラスト(額装用に表紙だけバラして売っていました)。
作者は、画家・版画家のPierre Marie Joseph Lissac(1878-1955)で、こういうカリカチュアを描くときは「Pierlis」を名乗ったので、サインもそのようになっています。
火星を闊歩するのは、古代ローマ風の男性兵士と、それを指揮・督励している女性士官たち。
キャプションには「婦人参政権論者が雲上から地上に降臨させることを夢見るマーシャル文明」とあって、この「マーシャル」は、「戦闘的」と「火星の」のダブルミーニングでしょう。明らかに当時の「新しい女性」を揶揄した絵柄です。「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌は、1863年から1970年まで刊行された老舗総合誌で、誌名から想像されるような、いわゆる「女性誌」ではなかったので、こんなアイロニカルな挿絵も載ったのでしょう。
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火星は軍神マルスの星で、古来戦争と関連付けられてきました。火星の惑星記号♂も、盾と槍を図案化したものと聞けば、なるほどと思います。
野尻抱影は火星について、こんなふうに書いています。
「何となく不気味で、特に梅雨の降りみ振らずみの夜などに赤い隻眼を据えてゐるのを見ると、不吉な感さへも誘ふ。西洋でこれを血に渇く軍神の星としたのも、支那で熒惑〔けいこく〕と呼び凶星として恐れてゐたのも、この色と、光と、及び軌道が楕円上であるため動きが不規則に見えるのとに由来してゐた。」(野尻抱影『星の美と神秘』、1946)
火星に不穏なものを感じるのは、洋の東西を問いません。
こうして「マーシャル」という形容詞が生まれ、上のようなイラストも描かれたわけです。
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【閑語】
ロシアがウクライナにふっかけた戦争を見ていると、そして過去の戦争を思い起こすと、戦争というのはつくづく損切りが難しいものだと思います。戦争というのは、そもそも構造的にそれができにくい仕組みになっているのでしょう。
なぜなら、自国の兵士が亡くなれば亡くなるほど、「彼らの流した血を無駄にするな!」という声が強まり、「徹底抗戦」へと世論が誘導されていくからです。本当は「これ以上犠牲を増やさないために、戦争を早く終わらせるべきだ」という判断のほうが、はるかに合理的な局面は多いと思うんですが、いつだって白旗を掲げるのは、損益分岐点を<損側>に大きく越えてからです。
この辺はギャンブラーの心理を説明した「プロスペクト理論」とか、現象としては「コンコルド効果」として知られるものと同じですが、戦場における人間の狂気と並んで、為政者(と国民)が下す判断の不合理性も、戦時における特徴として、ぜひ考えておきたいところです。その備えがないと、あまりにも大きなものを失うことになると思います。
銅製のゾディアック ― 2022年11月02日 06時05分23秒
この前、マックノート氏の星図カタログを紹介しました。
あそこに載っている本で、私が持っていない本は多いですが、反対に私が持っている本で、あそこに載っていないものもまた多いです。
たとえば、関根寿雄氏の美しい星座版画集、『星宿海』。
あれも英語圏で出版されていたら、きっとマックノート氏のお眼鏡にかなったんだろうなあ…と思いました。『星宿海』については、過去2回に分けて記事にしたので、リンクしておきます。
(関根寿雄作『星宿海』 http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/06/10/6851030)
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その関根寿雄氏には、『黄道十二宮』という、これまた変わった本があります。
(左:外箱、右:本体。本体サイズは10×7.5cm)
■関根寿雄(造本・版画) 「黄道十二宮」
私家版、1978年
私家版、1978年
まず目を惹くのは、その装丁です。
著者自装によるその表紙は、星雲や太陽を思わせる形象を切り抜いた銅板の貼り合わせによって出来ており、表紙の表裏がネガとポジになっています。
関根氏は版画家として銅板の扱いには慣れていたでしょうが、かといって金工作家でもないので、その細工はどちらかといえば「手すさび」という感じ受けます。が、そこに素朴な面白さもあります。
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ただし、『星宿海』とは違って、こちらは星図集ではありません。
ご覧のように、黄道星座のシンボル絵集です。そして多色木版の『星宿海』に対して、こちらはモノクロの銅版なので、受ける感じもずいぶん違います。
(扉)
(奥付)
当時、100部限定で作られ、手元にあるのは通番98。
内容は銅版画16葉と木版3葉で、銅版16葉というのは、十二宮が各1葉、十二宮のシンボルから成る円環図、扉、奥付、そして蔵書票を加えて16葉です。
(銅版作品の間に挿入されている木版画は、いずれも天体をイメージしたらしい作品)
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掌サイズのオブジェ本。
版画作品としての完成度という点では、正直注文をつけたい部分もなくはないです。
しかし、その小さな扉の向こうに、広大な宇宙と人間のイマジネーションの歴史が詰まっている…というのが、何よりもこの本の見どころでしょう。
彗星ビール ― 2022年10月22日 19時15分37秒
昨日の話題から「彗星ビール」のラベルを話題にしたことを思い出しました。
で、紙物の整理帳を開いたら、上の2枚と同じところに、オランダの彗星ビールのラベルも綴じ込んであったので、そちらも登場させます。
左のラベルは、アムステルダムから40kmばかり東にあるアメルスフォールトの町で営業していた、クラーファー社の「コメット印のライトラガービール」、右は「コメット・ラガービール」とあるだけで、メーカー名は書かれていませんが、やはりクラーファー社のものかもしれません。時代ははっきりしませんが、いずれも石版刷りで、1930~50年代のものと思います。
この絵柄を見ると、いずれも彗星から白く伸びた尾が、ビールの泡立ちと重なるイメージで捉えられていたのかなあ…と想像します。彗星は頭部からサーッと尾を曳くし、ビール壜の口からは見事な泡が「It’s Sparkling」というわけです。
こうしてみると、コメットブランドのビールって、結構あちこちにありますね。
ひょっとして日本にもあるんじゃないか?と思って検索すると、果たして「赤い彗星」という発泡酒が、わりと最近売り出されたのを知りましたが、これはもちろんガンダムファン向けの品のようです。
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以下余談。
エールとビールって何が違うんだろう?とよく思います。
思うたびに調べて、そのつど分かった気になるのですが、しばらくするとまた「エールとビールって何が違うんだろう?」と思います。やっぱり分かってないのでしょう。ネット情報のつまみ食いで恐縮ですが、今回は記憶の定着のために、ここに書いておきます。
改めて分かったのは、「エールとビールって何が違うんだろう?」というのは、そもそも変な質問であり、エールは紛れもなくビールの一種だということです。つまりビールの下位区分に「エール」と「ラガー」の2種があり、本当は「エールとラガーは何が違うんだろう?」と問わないといけないのでした。でも、今では「ビール」イコール「ラガー」と思っている人が、英語圏の人にも多いらしく、英語サイトにも「エールとビールは何が違うのか?」というページがたくさんあります。たぶん、両者を「エールビール」と「ラガービール」と言い分けると、その辺の誤解は少なくなるのでしょう。
では、エールとラガーの違い何かといえば、それはずばり製法の違いです。
エールは上面発酵で醸造期間が短く、ラガーは下面発酵で醸造期間が長いという違いがあり、それが自ずと風味の差を生み、芳醇なエールに対し、軽くのど越しのよいラガーという違いがあるのだ…というのが、話の結論です。
(昨日の記事を書く一助に、「English style ale」を謳う缶ビールを買ってきましたが、肌寒くて飲まずにおきました。今日は日中汗ばむほどだったので、芳醇なエールが美味しかったです。)
彗星亭のマッチラベル ― 2022年10月21日 07時34分49秒
冷たい雨にも負けず、コオロギがリーリーと強く鳴き、金木犀の香りが鼻をうつ夜。そして雨が上がれば、歩道で落ち葉が風に吹かれてカサコソと音を立てる朝。
このところ、季節の歩みをしみじみ感じています。
私が使っている手帳は、日々の欄に数字が印刷されていて、今日は「294-71」。
今年が始まってから294日が経過し、残りは71日という意味です。なんとも気ぜわしいですね。
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さて、最近届いた1枚のマッチラベル。
私は自称・彗星マッチラベルのコレクターということになっているんですが(LINK)、久々に見つけた新しい品です。イギリスのシュルーズベリーにある「THE COMET」、すなわち「彗星亭」というパブのマッチです。
シュルーズベリーはイングランド中西部にある人口7万人の町。今も多くの歴史的建造物が残り、あのチャールズ・ダーウィンが生まれ育った場所だとか。
ネットは便利なもので、検索したら彗星亭の正体もすぐに知れました。
■Reviews of The Coach
■The History of The Coach Public House, Shrewsbury
彗星亭は、この町の中心近くに立つ古いパブです。最近屋号が変わって、今は「The Coach」の看板を掲げています。もとは「Comet Inn」を名乗った宿屋兼業の居酒屋でした。
マッチラベルで店名の下にある「リアル・エール」というのは、下のページによれば、「樽(カスク)の中で二次発酵をさせるタイプのビール」のことだそうですが、細かい定義はさておき、ニュアンスとしては「昔ながらの製法による、本格派のエール」という点を強調した言い方なのでしょう。日本酒ならば「純米大吟醸」とか「寒造り木桶仕込み」とかの語感に近いのかも。言葉としてはわりと新しく、1971年に生まれたとも記事には書かれています。
■ジャパン・ビア・タイムズ:What is Real Ale?
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ラベルのデザインとしては、黒一色に白い彗星がさっと描かれているだけで、素っ気ないことこの上ないですが、見方によっては、そのかそけき風情に深い詩情も感じられます。
このラベル自体は1970~80年代のものと思いますが、彗星亭の歴史は古く、19世紀にさかのぼります。その屋号は、定期運行の馬車便を、彗星になぞらえたことによるようですが、こういう屋号が登場したこと自体、そのころ彗星が“凶兆”から「カッコいい」存在に変化したことを物語るものでしょう。ちょうど1835年にハレー彗星が回帰したとき、彗星をデザインしたジュエリーがもてはやされたのと、軌を一にするものと思います。
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100円のものが150円になったら、率にして1.5倍ですから、たいそうな値上がりですが、金額にすれば50円の追加出費なので、まだ何とか持ちこたえられます(10万円のものが15万円になったら、それこそお手上げですが)。こうしたささやかな紙ものこそ、円安時代の強い味方であり、たとえ1枚のマッチラベルでも、いろいろ考証する楽しみは尽きません。
パリ天文台、再び華やぐ。 ― 2022年09月27日 06時57分55秒
1874年からさらに下って1935年。
暦が1回まわって、当時生まれた赤ん坊も、すでに61歳です。
この年の7月10日、パリ天文台で、またも華やかなパーティーが開かれました。
こちらは「イリュストラシオン」誌の1ページ。
天文台から漏れる明かりに照らされて、夜の庭園でくつろぐ男女の姿が、いかにも大人の雰囲気を漂わせています。
とはいえ、パリ天文台はしょっちゅうパーティーを催していたわけではありません。当然のことながら、普段は天体観測の本業に忙しく、そこで人々が笑いさざめくのは例外的な出来事です。
「宵っ張りのパリジャンにとって、天文台は気づまりな場所だ。暗闇の中をこそこそ人影が出入りし、その厳かな巨体から時折漏れる灯りは、いかにも謎めいた雰囲気を漂わせている。そこで働く科学者自身すら、自分たちが何やら孤独な、魔術めいた仕事に従事しているものと考えている。だがそうした光景は、7月10日に一変した。」
――適当訳ですが、記事はそんな書き出して始まっています。
この日何があったかといえば、国際天文学連合(IAU)の総会がパリで開かれ、その歓迎宴が、ここパリ天文台で開かれたのでした。1919年に設立されたIAUは、1922年のローマ総会を皮切りに、3年に1回のペースで総会を開き、このパリ総会が第5回です。
普段は天体観測の妨げになるためご法度の照明も、この日ばかりはフル点灯で、さらに建物自体もライトアップされているようです。
「優雅な夏の宵、天文台の庭前では、主催者が願った通り、まことに魅力に富んだ『炎の夕べ(nuit de Feu)』が繰り広げられた。天文学者はこの地上では生きられないなんて、いったい誰が言ったのか?」
…と、記事の筆者は書き継ぎます。いささか浮世離れしたイメージのある天文学者たちが、見事に「浮世の宴」を楽しんでいることに、驚きの目を向けているわけです。
それにしても、前回の記事と見比べると、男の人の姿はあんまり変わらないんですが、女性の姿は驚くほど変わりました。
(1874年の夜会風景。前回の記事参照)
かつて一世を風靡したバッスル・スタイル(スカートが大きく後ろに張り出したファッション)はとうに影も形もなくて、夜会に集う女性たちは、みんなゆったりしたイブニングドレスを身にまとっています。
前回の記事とちょっと違うのは、今回のパーティーに集っているのが一般の紳士淑女ではなく、天文学者(とその家族)限定ということですが、皆なかなか堂に入った伊達者ぞろいです。ただ、下の集合写真を見ると、やっぱり画工が相当下駄をはかせているんじゃないかなあ…という疑念もあります。
■IAU General Assembly 1935
まあ、いずれにしてもここに集った学者たちにとって重要なのは、夜会よりも学問的討議そのものなわけで、その内容については以下にレポートされています。
■The International Astronomical Union meeting in Paris, 1935
「The Observatory」、1935年9月号所収
この年のIAU総会では、アーサー・エディントンや、チャンドラセカールらによる、恒星の構造と進化に関する、当時最先端の議論があった一方で、「世界標準時」の呼称問題のような、どちらかといえば些末な問題が熱心に話し合われたようです(イギリスが推す「グリニッジ平均時(G.M.T.)」ではなく、「世界時(U.T.)」を使うべし、とかそういった議論です)。
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ちなみに上の記事の裏面は、月の地球照に関する記事になっていて、フラマリオン天文台が撮影した月の写真が大きく掲載されていました。素敵な偶合です。
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