西郷星(前編)2026年05月06日 17時42分18秒

「維新の功労者・西郷隆盛は、後に新政府とたもとを分かち、鹿児島で兵を起こした。世にいう西南戦争である。薩軍は九州各地で官軍と乱戦を繰り広げたものの、衆寡敵せず、勇将西郷もついに城山の地で自刃して果て、ここに明治最大の内戦は終わった。ときに明治10年(1877)9月24日のことであった。」

…というのは歴史で習うことです。
西郷という人は江戸開城の立役者ですから、江戸っ子からすれば敵役と見られても不思議ではありませんが、当時の庶民層には存外人気がありました。素朴な英雄崇拝というか、いっそ世直し大明神的立ち位置だったかもしれません。庶民層ばかりでなく、維新で生活に窮した旧幕臣の中にも、自分たちの代弁者として、心の内で支持する人は少なくなかったと思います。

そんなことから「西郷星」の風説が生まれ、錦絵が何枚も刷られたのでしょう。
「西郷星」とは、折しも1877年9月に大接近した火星のことです。人々はその異様に明るい赤い星を見て、「これは西郷大将が星となって顕現したものに違いない」と考えました。

今、手元に2種類の西郷星の錦絵があります。

(歌川国利画「流行星の珍説」(二枚続き)、版元・羽田冨治郎、明治十年八月十日御届)

(山崎利信画「西郷星桐野星」、明治十年九月御届)

それぞれ西郷隆盛と、薩軍の参謀・桐野利秋に見立てた星を人々が盛んに拝み祈っています。ここで「桐野星」というのは、このときたまたま火星の近くに位置した土星のことで、西郷星と対をとってこう呼んだのだそうです。

それぞれ拡大すると、



こんな具合に、二人の武人が威儀を正して星の光に包まれています。

西郷星の故事は有名なので、屋上屋を架すことになりますが、これに関連してちょっと気になることがあるので、書いておきます。

(この項つづく)

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