ティコ・クレーター2026年06月01日 19時21分18秒


月を売る店があれば、月を買う客もいます。
現に私はこれまでずいぶん月を買ってきました。

   ★

月面を覆う無数のクレーターの中でも、その鮮やかな光条でひときわ目立つ「ティコ・クレーター」

("Tycho Crater on the Moon", ©NASA/Goddard/Arizona State University.

直径85kmという堂々たる大きさで、その面積は東京と埼玉の合計を上回ります。まあこの譬えは、「なんだ、そんなものか」という感想を誘発するかもしれませんが、阿蘇の外輪山(直径20km内外)を見て「でかいなあ!」と感嘆する人は、それをはるかに超える巨大な凹地を前にしたら、きっと言葉を失うでしょう。双眼鏡を手にすれば、その姿は地上からもはっきり見ることができます。


上の写真は真に迫って見えますが、3Dプリンター製品です。
単色樹脂で成形したあと、実物写真をもとに色付けしてあるため、なかなかリアルな外観です。


この品は5年前に、Little Planet Factory という英国のメーカーから送ってもらいました。でもさっき見たら、同社はこの屋号ではもう営業していなくて、Shapeways という3Dプリント応用の工業部品専業メーカーになっていました。まあ、会社としては進化なのでしょうが、遊び心がなくなるのは、ちょっと寂しい気がします。できることなら、より高性能な3Dプリンタを駆使した、より精細な月を生み出す方向に進化してほしかったですが、それで利益を確保するのは難しいでしょう。


深さ4.8km、富士山よりもはるかに高い外輪に取り囲まれた雄大な姿を想像してみてください。

ウィキペディアを見ると、「1億800万年前にできたと推定されている比較的新しいクレーター」(太字は引用者)と書かれていて、これまた雄大な話です。きっとジュラ紀の恐竜はその誕生を閃光とともに目撃し、白亜紀の後輩たちも、その輪っかを不思議そうに見上げたことでしょう。

それから長い時が流れ、ティコ・ブラ―エ(1546-1601)は、宇宙の新たな体系づくりに挑んだ功績で月に名を残し、そこからさらに400年足らずという驚くほどの短期間で、人類は自ら月面に足跡を残すまでになりました。(いわばミニサイズのクレーターを新たに作ったわけです。)


こうして手のひらにティコ・クレーターを載せて眺めていると、ふと「モノリスが埋まっていたのもここだったな…」と気づいて、また新たな想念が湧いてきます。


【2026.6.6付記】 上の記事中、「ジュラ紀」云々とあるのは、「1億800万年前」を「1億8000万年前」と空目したための間違いです。月面の閃光を目撃したのは、ジュラ紀ではなく白亜紀の恐竜でした。ここに訂正します。

コメント

_ S.U ― 2026年06月02日 09時27分10秒

ティコクレーターから、晴れの海の方向に伸びている光条がいちばん長く、しかも遠くまではっきりしています。これは、昔からナゾですが、隕石衝突でクレーターができたとき、こっちの方向に土壌が特別にたくさん飛んだのだそうです。その原因は、衝突点の局所的な障壁構造にあったといいます。しかしながら、ご紹介のモデルによると、クレーター自体はきれいな円形です。もっと小さなスケールの非対称性があったことになります。

と思って、クレーター内部の中心の山の構造を見ると、これは非対称に小山がついていて(いちばん下の写真でお手の反対方向)、それが晴れの海の方向にだいたい当たりそうです。そっちにはクレーターのすぐ外にリッジがあります。関係ある話をしているかどうかはわかりません。

_ 玉青 ― 2026年06月06日 14時36分01秒

>関係ある話をしているかどうか

いやあ、関係があるような無いような(無いかもしれませんね・笑)、いずれにしてもクレーターの形状については、とんとお返事しかねるのを甚だ遺憾とします。

それにしても、月面にドガーンと小天体がぶつかって(すべては無音のドラマですが)、派手に土壌が飛び散った跡が、今もそのまま残っているというのは、考えてみるとすごいことですね。要は1億年あまりもの間、それを攪乱する作用が働かなかったということですから、やはり月は死せる世界である証しなのでしょう。

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