花の粉、鼻の水2026年02月28日 13時51分38秒

世の中に絶えて花粉のなかりせば 
春の心はのどけからまし

冗談抜きでそう思っている方も大勢いらっしゃることでしょう。


スギ花粉は、昔の学習顕微鏡に付属するプレパラートセットの中では定番でした。
…と思いつつ、よく考えたら定番はマツの花粉だったかもしれませんが、とりあえずスギも準定番ということにして、話を進めます。


私が子供のころは、花粉症がまだほとんど話題になってなかったので(公害問題の方がよほど深刻でした)、スギ花粉を見ても「ふーん」で終わっていましたが、今の目で見ると、そこに複雑な思いが重なります。


こんな小さな相手に、なぜこれほど苦しまなければならないのか。
まあ、小さな相手だからこそ厄介なわけで、花粉がゴルフボールぐらいの大きさだったら、もうちょっと対策の仕方もあるでしょう。

とはいえ、私自身はくしゃみが出たり、目がムズムズしたり、花粉に反応はするものの、幸い未だ重篤な症状はないので、春の心はわりあいのどかです。でも、この先どうなるか。齢をとれば免疫力が低下し、花粉症も軽症化する…という説に期待したいですが、仮にそれが正しいとしても、それを手放しで喜べるかというと微妙です。

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秋の心と書いて愁(うれ)い。
「春愁」という言葉もありますが、今後はずばり春の心と書いて「うれい」と読む新字ができてもいいですね。

…と思ったら、「憃」という漢字はちゃんとあって、「おろか」「みだれる」と読むんだそうです。まあ愚かかどうかはさておき、春になると心が乱れるのは確かですね。

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年度末の片付け仕事でアップアップしているのと、来週木曜日に人前で話す機会があり、その準備に追われています。それを勘定に入れると、やっぱりあんまりのどかではなくて、記事の方はしばらく開店休業です。

月とホトトギスの装身具(3)2026年02月07日 08時33分23秒

今日登場するのは、簪(かんざし)ではなく櫛(くし)です。

(左右幅は 10.7cm)


漆を盛り上げた「高蒔絵」のホトトギス。
こういうのは時代判定が難しいですが、「閑清形」と呼ばれる櫛の形や、桑材に高蒔絵という趣向は、江戸後期~末期のものであることをうかがわせます(別にこの種のものに通じているわけではなく、装身具の解説書を眺めて一知半解で書いています)。


一方、月はといえば、裏側に凛然と浮かんでいます。
表と裏でひとつの絵柄とするというのも、時代の嗜好であり、職人の機知でしょう。
金のホトトギスと銀の月の対比が美しいと思いました。

もちろん、昔の物がなんでもかんでも良いわけではありませんが、こういうのは確かに精神的な豊かさの証で、床しく感じます。(省みて今の我々はどうか…と、つい問いたくなりますが、まあ、これは言わぬが花でしょう。)

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ホトトギス以外にも月の簪には佳品がまだまだあります。
月を身にまとう優雅さを愛でつつ、そちらはまた折を見て登場させることにします。

(この項とりあえず終わり)

月とホトトギスの装身具(2)2026年02月05日 21時03分54秒

私はジャパン・ルナ・ソサエティの会員なので、N市支部の例会では、お月様にちなむ品を紹介する義務を課せられてるんですが、そこでも一連の月の簪(かんざし)はなかなか好評でした。…というのは、会員云々も含め、すべて脳内の話ですが、こういう品を手にすると、ふとそんな空想にふけったりします。

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今日の簪は金工ではなく漆工作品です。

(全長20.5cm)

江戸~明治のものと思いますが、本体はべっ甲、そこに蒔絵が施されています。
簪といえば2本足が普通ですが、これは1本足です。たぶん笄(こうがい)との中間形態である「中差簪(なかざしかんざし)」と呼ばれるタイプだと思います。

先端に見える「耳かき」が簪の特徴で、幕府が奢侈品を禁じた時代、「これは贅沢品ではなく、立派な実用品です」と言い逃れるための工夫だと聞きました。それが明治以降もデザインとして踏襲されたわけです。


小指の爪に乗るほどの小さなホトトギス。その下の月は一見目立ちませんが、灯りにかざせば鮮やかに浮かび上がります。


これはべっ甲の透明な部分を活かした細工で、なかなか手が込んでいます。


さらにその下に見えるのは、おそらく藤の木でしょう。
藤にホトトギスとくれば、これは花札の四月の札で、風雅の中にユーモアと機知が光ります。これぞ江戸の粋という感じです。


これは無名の職人の作ではなく、銘が入っており、号は「良斎」と読めますが、詳細不明。

(この項つづく)

月とホトトギスの装身具(1)2026年02月04日 18時56分11秒

私が簪(かんざし)を手にしてもどうしようもないのですが、私は昔からこういう細かい細工物が好きで、しかもテーマが月となれば、これは当然食指が動きます。

簪は今でも作られているでしょうが、私が心惹かれるのは、江戸から昭和戦前まで、まだ和装が日常のものだった時代に、無名の職人たちが腕をふるった作品です。そうした品のうち、ホトトギスが登場するものを、ついでと言っては何ですが、この機会に一瞥しておきます。

(全長17cm)

これは間違いなく江戸時代にさかのぼる品と思います。


立体的で存在感のある月がいい感じですね。背景は雲でしょう。
文化・文政の頃から若い女性の間で流行した、いわゆる「びらびら簪」(残念ながら飾り金具がひとつ欠失しています)。

(裏面)

当時にあっては、格別高度な技ということもなく、おそらく身辺日常の品だったと思いますが、それだけに一層、往時の金工技術の水準をうかがうに足ります。

(この項つづく)

月と鳥2026年02月02日 19時22分38秒

昨日の月と燕のブローチを見て、個人的に連想するものがあります。

(全長18.5cm)

江戸~明治の「月にホトトギス」のかんざし。

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今もそうかもしれませんが、特に近代以前の西洋絵画は、象徴的表現(砂時計は有限の生、牧者はキリストを表す等)を多用するので、図像にこめられた意味を読み解くイコノロジーという学問も生まれました。

日本美術にも象徴的表現はあるでしょうが(松は長寿、蓮は仏を表す等)、それよりも文芸的伝統の中にある画題が一層優勢の気がします。


このかんざしも、百人一首に採られた「ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただありあけの 月ぞのこれる」の古歌をなぞって、風雅な趣を出しているだけのことでしょう。それは何か別のものを「象徴」しているわけではなく、月は月だし、ホトトギスはやっぱりホトトギスに過ぎません。こういう例ははなはだ多いです。日本では美術・工芸作品もまた本歌取りの伝統の中にある…ということかもしれません。


ですから、日英両国の「月と鳥」の装飾品の類似は、あくまでも表面上のものということになります。

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しかし…と、ここで私の思考は横すべりします。
そもそもなぜ古歌の作者(後徳大寺左大臣)は、月とホトトギスの配合に心を寄せたのか?

考えてみると、日本の伝統画題には「月に雁」もあります。あるいは「月に千鳥」や「月に鶴」というのもあります。月と鳥をいろいろ結び付けて、そこに興を覚えるというのは、やっぱりそこに何かあるのではないか?

鳥は地面に舞い降り、また飛び立って空を翔ける存在です。
そして月は無限の天上界にあって、いちばん地上に近い異世界。
地上に縛り付けられた人間が、天上世界へのあこがれを表現するとき、それを一番託しやすかったのが鳥と月ではなかったか…ということを、ちらっと考えました。

この辺になると西洋も東洋もなく、カルチャーバウンドな象徴が生まれる以前の、人間精神の古層に横たわるアーキタイプ(原型)ではなかろうか…と、いかにも思い入れたっぷりに書いていますが、まあこれは駄法螺の類で、駄法螺というのは、吹く方はなかなか楽しいものです。

月と燕2026年02月01日 09時00分47秒

昨夜は丸い月が皓々と輝き、そばに木星が寄り添う、ちょっとした天体ショーが見られました。

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月をモチーフにしたアクセサリーはほぼ無限にあるでしょうが、そこに込められた「意味」の方は無限というわけにはいきません。

(月の差し渡しは約5cm)

たとえば三日月と燕を組み合わせた、このヴィクトリア時代のブローチ。

月はそれ自体、「女性性」の象徴であり、さらに三日月は「新しい始まり」という独自の意味を帯びます。そして燕は、日本でいうオシドリと同様、生涯同じ相手と添い遂げる鳥とされることから「永遠の愛」や「貞節」を、あるいは毎年同じ巣に帰ってくることから「安全な帰還」を意味します、


以上の組み合わせから、三日月と燕の意匠は新婚期、特にハネムーン旅行に赴く女性が身に着けるものとして好まれたものだそうです。

(ブローチの裏側)

ただし、上のブローチが帯びているのはそれだけではありません。
この三日月が黒(ブラック・エナメル仕上げ)であることには、これがモーニング(mourning)・ジュエリー、すなわち死者を悼む服喪の際に身に着けたものであることを示しています。

結局のところ、このブローチは愛する夫を亡くした女性が、それでも永遠の愛を誓い、寡婦としての新たなライフステージを受け入れ、いつかまた天国で再会することを願うメッセージが込められたものというわけです。

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…というようなことは、今やAIがすぐに教えてくれるので、いわゆる「こたつ記事」はいくらでも量産できますが、しかしこれを目の前にして湧いてくる「思い」の方は、そういうわけにはいきません。

ヴィクトリア時代の古びた部屋の様子。
持ち主の女性の瞳の色。

それらを想像して、美しくも悲しい情調―そう言ってよければ一種の「ロマンス」―を感じるし、同時に女性に寡婦でいることを強いた抑圧的な社会の存在も感じます。そして、それを感じている私だって、遠からずこの世に別れを告げるのだろうという予感も重なって、一個のブローチが放つ「意味」はなかなか複雑です。おそらく見る時の気分によっても、その色合いは変わるでしょう。

…となると、「意味」の方もやっぱり無限に近いのでしょうか?
「込められた意味」だけでなく、「そこに読み取る意味」まで勘定に入れれば、おそらくそうでしょう。

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モノですらそうなのですから、ましてや人となれば、そうパキパキと相手を割り切って理解することはできません。

巳から午へ2026年01月01日 08時48分21秒

新年明けましておめでとうございます。

恒例となった干支の引継ぎ式。今年はヘビからウマにバトンタッチです。
小さなヘビの全身骨格(現生種)と、新生代・第四紀のウマの臼歯の化石を並べてみました。いずれも詳しい種名は不明です。


第四紀は260万年前以降、現代とは地続きのいちばん新しい時代。


産地はフロリダ州のサンタフェ川とラベルに記載があります。
ここは新第三紀の終わりから第四紀始めにかけての、哺乳類を中心とする化石の多産地だそうです。ヒトが圧倒的な力で自然を改変するのはまだ先のことで、北米大陸にも無垢の自然が広がり、家畜化される以前のノウマ(野馬)が駆け回っていた光景を想像します。

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人為による生物の大量絶滅(第四紀の大量絶滅)は現在も進行中で、ご承知のとおり関連のニュースを耳にしない日はありません(実際は「耳にしない年はありません」ぐらいかもしれませんが、それはニュースになっていないだけで、現実には日々絶滅が続いています)。

まことに恐るべきことです。
でも今の調子だと、行き着くところまで行かないと、引き返せないような気もします。
そして真に恐るべきことは、たとえ引き返そうと思っても、そのときにはもう引き返せなくなっていることです。それが分かっているのに引き返せない…というのは、まさに人間の業というほかありません。どんなに嘆いても悔やんでも、いったん失われたものは帰ってこないと、誰しも分かっているはずなんですが。

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なんだか正月向きの話題から遠いようですが、これも一休和尚がしゃれこうべを掲げて、「正月は冥途の旅の一里塚」と触れ歩いた類です。正月だからこそ、絶滅したウマの化石を眺めて、ヒトの未来に思いを凝らすのも意義あることと信じます。

(臼歯の咬合面)

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こんな調子で、今年もゆるゆる続けていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

ウミグモ2025年12月21日 09時38分00秒

地球研究室で購入した第3の品。


その正体はラベルに明記されているように、ウミグモの一種である「ヤマトトックリウミグモ」です。


それにしても、何と奇怪な姿でしょうか。
ウミグモ類(ウミグモ綱)は、節足動物の仲間で、系統的には昆虫よりもクモに近いのですが、クモ類とも進化の過程で、遠い昔に袂を分かった全く別のグループです。とはいえ、その進化や系統関係は、まだまだ不明の点が多い謎の生物群。

ウミグモ類は、化石種も含めると複数のサブグループに分けられますが、現生種はすべて「皆脚目(Pantopoda)」に分類されます。

「皆脚目」とはよくぞ名づけたものです。クモにしろ、カニにしろ、同じく足長のザトウムシにしろ、いずれも「胴体」と称する部位ははっきりしているのに、ウミグモは本当に足ばかりの姿です。

(裏面は樹脂の表面が少しざらついていて、透明度が低いです)

上は裏面から撮影した姿ですが。こうして較べても、どちらが背でどちらが腹かよく分りません。ウィキペディアの記述を引けば、「外骨格は他の節足動物で一般に見られる明確な上下区別(背板 tergite と腹板 sternite)はない」とのことなので、これもウミグモ類の大きな特徴でしょう。

その姿はいかにも原始的であり、ヒトの姿からは遠く、だからこそ感情移入もしにくいし、不気味な印象を受けます。幽霊や妖怪とは別種の、いわばエイリアン的な不気味さですね。でも逆説的に、だからこそ興味を覚えるし、私の心を捉えたのも、その不気味さと深海ロマンがまじりあった不思議な魅力です。


この樹脂封入標本はラベルの記載がきわめて詳細で、その点も理科室趣味に強く訴えかけるものがあります。採集日は2025年1月6日、静岡県戸田(へだ)港沖の駿河湾、水深380メートルの深海域で採取された個体です。

標本を製作したのは、田崎義勝氏が設立した深海調査研究会社、田崎物産「深海倶楽部」【LINK】です。同社は営利活動とは距離を置いており、その標本をオンラインで販売することも一切なく、唯一ハンズ名古屋店の地球研究室でだけ展示販売を行っている由(地球研究室のバイヤーさんが相当頑張ったのでしょう)。

その意味で、これは非常に貴重な標本であり、同社の姿勢にも少なからずロマンを感じます。

オキナエビス2025年12月20日 15時10分53秒

いよいよ年も押し詰まってきました。
何だかんだ仕事が重なり、慌ただしい年の瀬です。
“心を亡くす”と書いて「忙」、“心が荒れる”と書いて「慌」。
まあ何にせよ、繁忙は心によくありません。

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さて、先週末にハンズの地球研究室で、自分へのクリスマス・プレゼントとして3点、あるいは数え方によっては、2点の品を購入しました。

その1点目は巻貝の化石です。
貝の化石は、新生代のものが各地に産するので、木の葉石とともに化石採取の入門編として親しまれた方も多いでしょう。

でも、今回手にした化石は古いです。


約1億5千万年ないし2億年の昔、ジュラ紀の海に生きたオキナエビス類(オキナエビスは「オキナエビス科」に属する貝の総称)の化石です。

(Bathrotomaria 属の一種。マダガスカル産)

付属のラベルにあるとおり、オキナエビス類は、殻口から巻きの方向に沿って切れ込みのあるのが特徴で、英語では「スリット・シェル」と呼ぶそうです。


この化石も口縁部に大きな「欠け」がありますが、スリットに沿って破損が生じたためでしょう。

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オキナエビスが名高いのは、何といってもそれが「生きた化石」だからです。
それまで化石種しか知られていなかったのが、1856年に生体がカリブ海で発見されたという、その後のシーラカンス発見騒動(1938年)のようなエピソードとともに、その存在は広く知られるようになりました。

でも、それは学術的に記載されたのがその年ということで、「オキナエビス」という和名自体は、江戸時代の武蔵石壽(むさしせきじゅ、1766-1861)が著した貝類図譜『目八譜』(1844)に、エビスガイ(オキナエビスとはまったく別のグループ)の老成したものとして、「翁戎(おきなえびす)」の名とともに図示されているのが最初だそうです。

またさらに古く、木村蒹葭堂(きむらけんかどう、1736-1802)は、1755年に著書『奇貝図譜』において、紀伊産のベニオキナエビスを「無名介」〔介は貝に同じ〕として図示していることを、荒俣宏さんの『水生無脊椎動物(世界動物博物図鑑 別巻2)』で知りました。もちろん「生きた化石」とは知る由もなかったでしょうが、日本では古くから採取され、その存在が認知されていたようです。

地球研究室で買った2点目は、そのベニオキナエビスの標本です。

(このスリットは呼吸に用いた水や排せつ物の排出用)

(種小名のhiraseiは、明治の貝類学研究者・平瀬與一郎に献名されたもの)

これを手にする気になったのは、たまたま化石種と現生種の両方がショーケースにあったため、特に興味をそそられたからです。したがって、私の中でこれは2点で1点です。


2つのオキナエビスを見比べて、何を思うか。
地球の歴史、生物の歴史、その末端に位置するヒトの歴史。
思うことは多々あります。でも、2つの貝殻がものを言えたら、お互いの姿を見て、さらに多くのことを語り合うかもしれませんね。

ガラスの海(おまけ)2025年10月02日 18時58分13秒

たむらさんの世界に入り込む工夫として、このガラスの海の底にクジラを横たえてみようと思いました。


上はパラオ共和国が1983年に発行したクジラ切手です。


こんな風に両者を並べても、ビジュアル的に成功したとは言えませんが、まあすべてはイメージの世界の話です。

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1983年といえば、ちょうど「ガラスの海」につづいて、「クジラの跳躍」のアイデアが、たむらさんの脳内に萌した頃でしょう。
クジラはガラスの海と同時に、たむらさんの精神からの跳躍も果たしたわけです。