西郷星(後編)2026年05月07日 05時35分06秒

(昨日のつづき)

ウィキペディアの「西郷星」の項には、次の絵が引用されています。

(ウィキペディア「西郷星」の項より)

画中には遠眼鏡を空に向けた男性が描かれ、説明文には、「大阪日報に此節毎夜一時頃より巽(たつみ)之方に現ハれる赫色の星を望遠鏡で能(よく)見ると西郷隆盛が陸軍大将の官服を着て居る体に見ゆるとて…」云々とあります。

また、昨日紹介した国利画「流行星の珍説」にも、「〔…〕識者是を見聞せんと千里鏡を以て写せしかバ其形人々(しんしん)にして大礼服を着し右手(めて)には新政厚徳の旗を携へ…」云々とあって、西郷星の風説に望遠鏡が一役買っていたように読めます。ただ、これらは風説に信憑性を持たせるために加えた、新時代ならでは文飾だろうと、これまでは思っていました。

   ★

しかし、次の一枚を見て「おや?」と思いました。

(平塚市博物館 平成15年秋季特別展「火星大接近 2003」図録に、「西郷星の珍説 永島辰五郎(歌川芳虎)画 千葉私立郷土博物館蔵」というキャプションとともに掲載。平塚博物館のサイトより)

(一部拡大)

どうでしょう、この火星、妙にリアルに感じられませんか?
これを見ると、実際に望遠鏡で火星を覗いた経験が、西郷星の風説流行にやっぱり一役買っていたのではないか…という疑問が湧いてきます。

    ★

1877年の火星接近は「超」の付くぐらいの大接近で、世界各地でスケッチが描かれ、写真撮影も試みられました。以下はその一例です。


火星の模様も時々刻々変わるとはいえ、これら大型望遠鏡による一連の火星イメージの中に、人の形らしきものを見出せるかといえば、正直厳しい気はします。

しかし不穏な国内情勢と、頭上で不気味に赤く輝く星を結びつけた上で、そこに何か模様らしきものが見えたとしたらどうか…? たとえそれが正確に人の形をしていなくても、人間は無意味なパターンに積極的に意味を読み取る存在ですから(パレイドリア現象)、ある種の期待や予断があれば、曖昧な模様は容易に人の形(大礼服を着た西郷さん)に見えてしまうことでしょう。

   ★

問題は、当時の日本の望遠鏡(多くは手持ち式遠眼鏡の類)で、火星の模様を視認できたかどうかです。

かつて清新な天文エッセイ『星のふるさと』(誠文堂新光社、1975)を著した鈴木壽壽子氏が取り組んだ火星スケッチは、60ミリ屈折望遠鏡を使って行われたものでした。火星観測用機材として、60ミリでは一般に力不足とされることが多いと思いますが、訓練を経た目にはそれが可能でした。

(『星のふるさと』より)

明治の初めの遠眼鏡は、鈴木氏の望遠鏡と比べても、はるかにロースペックなものですが、代わりに昔の人は、今より目が良かった可能性も考慮すべきかと思います。アフリカの自然で暮らす人の中には、視力10.0を超える人がいるそうですが、とんでもなく視力の良い(すなわち分解能の高い)人の目に映る火星像がどんなものかは気になります。

   ★

芳虎の絵は、彼が実見したイメージなのか、それとも他に元絵があったのかは分かりませんが、ひょっとしてこれは「日本で最初の火星スケッチ」かもしれません。まあ半分与太話ですが、与太話にしても夢のある与太話だと思います。

コメント

_ S.U ― 2026年05月07日 09時56分42秒

面白い仮説だと思います。

このリアルなスケッチ風は、西郷さんの両足の間がヘラス大陸で、胴体が大シルチスかもしれません。リアルと言われると私にはそう見えます。
 
 だとすると、西洋や学術界で出回っているスケッチは、望遠鏡の倒立像にもとづいて南が上になっているので、日本の風景として描くならそれを逆にして南を下にしないといけないという知識と認識があったことになるでしょうか。

_ S.U ― 2026年05月07日 10時00分58秒

訂正: 「ヘラス大陸」は、原語に忠実には、「ヘラス平原(盆地)」と呼ぶほうが正しいようなので、訂正します。

_ 玉青 ― 2026年05月09日 18時56分48秒

おお、ぼんやりと西郷さんの姿が!
…というのは典型的なパレイドリアかもしれませんね(笑)。

でもまあ、軍神マルスの惑星に自らが堂々と姿を印したことを知ったら、あの世の西郷さんも、きっと莞爾とされることでありましょう。私は特に西郷ファンではありませんけれど、せめて西郷ファンの方だけでも、火星を見上げて、そこに「サイゴウ大陸」や「サイゴウ平原」を探してほしいと思います。

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