ストックブックを開いて…再び太陽観測年の話 ― 2024年08月25日 15時43分52秒
北の海へ ― 2022年08月07日 18時16分28秒
冬至 ― 2020年12月21日 06時51分31秒
白瀬詣で(後編) ― 2019年05月05日 14時27分31秒
(2連投のつづき)
白瀬中尉の墓碑。「南極探検隊長/大和雪原開拓者之墓」と刻まれています。揮毫したのは元侍従長の藤田尚徳氏。
側面に彫られた戒名は「南極院釈矗徃(なんきょくいんしゃくちくおう)」。
「矗徃」とは「まっすぐにゆく」という意味のようです。なお、隣に並ぶのは、昭和26年(1951)に亡くなった安(やす)夫人の戒名。反対側の側面には、「昭和三十三年九月四日/吉良町史跡保存会建之」の文字があります。
今の豊田市で亡くなった白瀬中尉が、この地に葬られたのは、中尉が亡くなった翌年、次女である武子氏がこの地の中学校に勤務することになり、安夫人も遺骨を携えてここに転居したからです。その後、安夫人も亡くなったため、武子氏はここに遺骨を仮埋葬して東京に転居した…ということが、傍らの説明文には書かれています。
墓碑の向って左手に立つ「白瀬南極探検隊長墓碑建立の由来」碑と、その銘文。
これを読むと、昭和32年(1957)に郷里から親戚が訪ねてくるまで、ここが白瀬中尉の墓だとは、本当に誰も知らなかったみたいで、やっぱり不遇な晩年だったと言わざるを得ません。(今のように墓域が立派に整備されたのは、「ふるさと創生事業」の余得で、あの悪名高いばらまき事業も、ちょっとは世の役に立ったみたいですね。)
参考資料として、境内にある他の案内板の文面も掲げておきます。
(白瀬矗隊長略歴)
(南極観測船「しらせ」スクリューの解説)
(オーストラリア・ウラーラ市にある記念銘板の紹介)
なお、瀬門神社は「西林寺」という小さなお寺と隣接しており、最初の埋葬地は、上の説明文にあるようにお寺側だったようですが、現在はそれが神社側に移っているように読めます。
(西林寺山門)
★
白瀬中尉は南極点に立つことはなかったし、その足跡も大陸の端っこをかすめただけかもしれません。でも、彼はたしかに英雄と呼ぶに足る人物です。
そのことは、もしアムンゼンやスコットが、白瀬中尉と同じ装備・同じ陣容で南極に挑んだら、どこまでやれたろうか…と考えるとはっきりするのではないでしょうか。
試みにその旗艦を比べても、スコット隊の「テラ・ノヴァ号」は、全長57m、総排水量764トン、エンジン出力140馬力。アムンゼン隊の「フラム号」は、同38.9m、402トン、220馬力。対する白瀬隊の「開南丸」は、同33.48m、199トン、18馬力に過ぎません(数値の細部は異説もあります)。
一事が万事で、スタートラインがはなから違うので、彼らと比較して云々するのは、中尉にとっていささか酷です。
★
5月の木漏れ日はあくまでも明るく、緑の風がさわやかに吹いていました。
その中で、中尉が心穏やかに憩っているように感じられたのは、これまた感傷の一種には違いないでしょうが、陰々滅々としているよりは何層倍もいいです。
白瀬詣で(前編) ― 2019年05月05日 14時17分51秒
冬の幽霊 ― 2017年01月09日 15時44分43秒
雪の降り積もった丘を越え、白い衣に身を包んだ「彼ら」は無言でやってくる。
西洋の、それも北の国のお化けは、夏よりも冬が似合うような気がします。
『Photographic Atlas of Auroral Forms』
A.W. Brøggers Boktrykkeri(Oslo)、1951
見開きの左側が解説、薄紙をはさんで右側が図版になっています。
天からの手紙に貼る切手 ― 2017年01月07日 13時36分57秒
以前に登場したものもありますが、最近はこうやって律儀にストックブックに入れてあるので、「一望する」喜びが増しました。
上のスキッと澄んだ切手は、それを紀念してフィンランドで発行されたものです。
【閑語】(ブログ内ブログ)
これまで通らなかったのは、それだけの理由があるわけで、その理由自体は昔とまったく変わらないのに、法案だけがどんどん通るというのは、国会が、そして世の中一般が変ってしまったからです。それも確実に悪い方向に。
「御輿に担ぐには、操りやすい人間の方が良い。
だが愚か過ぎては、担ぎ甲斐がない。
さらに自分が御輿であることを忘れて、勝手なことを始めるのは何より良くない。」
というところかと思います(単なる想像です)。
いずれにしても、傀儡体制が続く限り、仮に首がすげ替っても、それで事態が収束するわけでないことは、しっかり頭に入れておきたいです。
南極の海をゆく(3) ― 2016年08月09日 20時46分41秒
でも、一昨日はツクツクボウシを聞き、ゆうべはコオロギの声を聞きました。
晩夏へ、そして初秋へと、季節は舵を切りつつあります。
この間の情報はゼロなので、羅針盤だけが頼りですが、ひたすら南進すれば南極に至ることは確実なので、この辺は大胆に行きましょう。
とりあえず、この真夏の最中、南極の端っこを望見できただけでも、今回は良しとしましょう。
南極の海をゆく(2) ― 2016年08月07日 17時45分09秒
本書にしたがえば、東岸北端にあるバックルス(Buckles)湾や、南端にあるルスティアニア(Lustiania)湾、あるいは島の北端にあるハッセルバラ(Hasselborough)湾が、その適地だと教えてくれます。
マッコーリー島の北端には、瘤状に突きだした半島状の地形があり、ワイヤレス・ヒル(Wireless Hill)と命名されています。
上の記述は、最も細かい部類で、さらには上記の「緑塗小舎」が、かつてのアザラシ猟者の小屋であり、「一部破壊せるも、其の内の罐〔ボイラー〕は好目標たり」という点にまで説き及んでいます。そして、ここまで来れば、「普通の天候時には上陸容易なり。最好上陸所は海藻纏布せる岩線の内側、最北の海豹小舎直下の浜岸なり」。
【付記】 これを書いている今は、あくまでも1940年の気分なので、安易にネットを覗き見るのはご法度ですが、ウィキペディアに載っているマッコーリー島はこんな場所でした。海岸に群れているのはペンギンたちです。
南極の海をゆく(1) ― 2016年08月06日 14時39分50秒
氷に対して特に設計したる木造船は、氷に挟まれ、又は閉塞せらるる危険ある場合と雖も、強圧する群氷内に故障なく進入し得べく、斯かる場合、鋼船は氷との接著に対する防護あるものと雖も、甚しき損害を蒙るべし。」 (p.31)
そして南極の氷といえば、美しく且つ恐ろしい氷山。
その恐ろしさの理由の1つは、海上において氷山は群氷と異なる振舞いを見せ、しばしば我々の予想を裏切るからです。
こうして予備学習が済んだところで、いよいよ実地の海に乗り出します。
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