One Hundred and One Year Stories2024年07月02日 19時33分20秒



いよいよ7月、夏本番。
足穂好みの「六月の夜の都会の空」は幻のごとく飛び去りましたが、消夏にうってつけのタルホ関係のイベントを2件ご案内いただきました。

昨年は『一千一秒物語』刊行100周年で、関連するイベントがいろいろありました。
今年はさらに101周年で、「1001」にはむしろ「101」の方がお似合いです。
それに101は素数ですから、100のような卑俗な数よりも顔つきが上等だし、なんなら合成数である1001(7×11×13)よりも一層エライかもしれません。そんなわけで101周年は大いに祝う価値があるのです。

   ★


■kk life work 古多仁昴志 ライフワーク展
 変容する(メタモルフォーゼ) 遊縁遊戯

○参加出品者(敬称略)
 小橋慶三、戸田勝久、パラモデル中野裕介、福本タダシ、溝渕眞一郎、
 山下克彦 & 古多仁昴志
○会期: 2024年6月27日(木)~7月21日(日) 〔月火水は休廊〕
 13:30~17:00
○会場: 喜多ギャラリー
 奈良県大和郡山市額田部南町413 TEL:0743-56-0327
○MAP
 ※JR大和小泉駅からタクシー8分/近鉄平瑞駅から徒歩18分

   ★


■稲垣足穂 オマージュ展2024 一千一秒奇譚

○参加出品者(敬称略)
 erico、川島朗、戸田勝久、中川ユウヰチ、中野奈々恵、福本タダシ、
 星野時環、百瀬靖子、山本佳世、よこやまぺん、よりそう
○会期: 2024年7月21日(日)~8月4日(日) 〔7/25, 29, 8/1休廊〕
 14:00~20:00〔最終日は18:00まで〕
○会場: 月光百貨店(http://moon-shines.net
 兵庫県芦屋市茶屋之町12-2 TEL:070-5433-6961
○MAP
 ※JR芦屋駅南出口から8分/阪神芦屋駅から6分

   ★

明石に生まれ、神戸で才を磨き、京都で亡くなった足穂。
関西はまさに足穂のホームグランドです。彼の後姿を思い浮かべながら、奈良と兵庫の両会場に足を運ぶだけでも、私のような他郷の人間には興の深いことと感じられます。

昨年の京都でのイベント、そしてそこでお会いした方々のお顔と声を思い出しながら、これは単なる懐旧ではない、これぞ宇宙的郷愁と呼ぶべきものだ…と思ったりもします。

白と金 vs. 青と黒2024年07月05日 05時44分28秒

星座早見盤の収集ガイド本【詳細はこちら】の著者、ピーター・グリムウッド氏は、本の冒頭、「イントロダクション」の中で、“こういう画像中心の本を編む場合、印刷の色チェックがきわめて大事である”と力説しつつ、自身の苦い体験を述べています。曰く、「私は2017年にeBayでマング社〔独〕の青い星座早見盤を購入したが、実物を見たら、それはほとんど黒に近いものだった!」

(問題の早見盤。左がたぶん購入時の商品写真でしょう)

ああ、これはがっかりしたろうなあ…と、その気持ちは本当によく分かります。

   ★

色覚に限らず、ヒトの目と脳は往々にして騙されがちで、そこに見る者の予期・予断が作用すればなおさらです。

今日のタイトルは、以前ネットで話題になった下の画像から採っていますが、この服の色は<白と金>の縞か、<青と黒>の縞か、当時(2015年)もはげしい論争があったし、今でも見る人の目を大いに惑わせることでしょう。


この論争で面白かったのは、<白と金>を主張する人は<青と黒>を絶対に認めず、逆もまた然り、互いに自説を曲げず、そこに妥協の余地がなかったことです。これは両者が無駄に我を張っているわけではなく、実際当人の目にはそうとしか見えないのですから、仕方がありません。議論によって歩み寄れない問題というのも、世の中にはたしかにあります。

   ★

最近、半年前に購入した1枚の星図を取り出す機会があり、グリムウッド氏の嘆きを思い出しました。この星図のことは、配送の途中で歌手のマドンナのポスターと取り違えがあって、すこぶる困惑した…という形で話題にしましたが【LINK】、その現物(商品写真)が以下です。



この美しい色合いはどうでしょう。古風な星座絵のバックに広がる澄んだ碧瑠璃。現代の星図としては出色の出来と思って、ネットで見るなり即座に注文したのでした。

しかし、届いたものはちょっと印象が違い、正直がっかりしました。
そこには商品写真に見られた繊細な碧瑠璃はなく、ひどく単純な青色があるばかりだったからです。


ただ、急いで付け加えると、自分で撮った上の画像も実物の色とは違います。商品写真よりは実物に近いですが、色味をどう調整しても実物の色は出せませんでした。ですから、売り手の人を一方的に責めることもできないんですが、それでも当てが外れたというか、見合い写真と本人の落差に驚いたというか、とにかくこの星図には、2度びっくりさせられました。

   ★

色の世界は奥が深いです。

酷暑と克暑2024年07月06日 12時26分10秒

猛暑到来。やるせないほど暑いですね。

夏の酷暑を英語で「Dog days」と呼び、これはおおいぬ座のシリウスが「ヘリアカル・ライジング」、つまり日の出前のタイミングで東の空にのぼることに由来し、遠く古代ローマ、ギリシャ、さらにエジプトにまでさかのぼる観念の由。

(1832年出版の星座カード『Urania’s Mirror』複製版より、おおいぬ座ほか)

夜空にシリウスが回帰することは、エジプト人にとってはナイルの氾濫と豊作のサインでしたが、人間や動物にとってはいかにも苛酷な時期ですから、Dog days には退嬰と不祥と節制のイメージが伴います。

(同上拡大)

   ★

ただし、そこはよくしたもので、今は地球が太陽から最も遠い時期に当たります。
今年、地球が太陽から最遠の「遠日点」に達したのは、ちょうど昨日でした。昨日、地球は太陽から1.017天文単位〔au〕(1auは、地球と太陽の平均距離)まで遠ざかり、これから楕円軌道に沿って徐々に太陽に近づき、来年1月4日に0.983au の「近日点」に至ることになります。

(Willam Peck『Handbook and Atlas of Astronomy』(1890)より、水星~火星の軌道図)

ごくわずかな違いのようですが、太陽に対する垂直面で考えると、遠日点にあるときは近日点にあるときよりも、受け取るエネルギーは約7%も少ない計算で、これは結構な違いです。これぞ神の恩寵、天の配剤と呼ぶべきかもしれません。

それを思うと、近日点と夏が重なる南半球の人はさぞ大変だろうなあ…と同情しますが、そのわりに暑さの最高記録が北半球に偏っているのは、あちらは海洋面積が北半球よりも圧倒的に広く、水が大量に存在するためでしょう。これまた天の配剤かもしれません。

【おまけ】

星座早見をくるくるやって、シリウスのヘリアカル・ライジングを探してみます。


秘蔵の<紀元2世紀のアレクサンドリア用星座早見盤>で試してみると、シリウスの出現は、7月上旬で午前5時頃。そしてアレクサンドリアの日の出もちょうどその前後ですから(今日の日の出は5:02)、今がヘリアカル・ライジングの時期ということになります。

でも、これは緯度によっても大きく変わります。


試みに戦前の三省堂星座早見をくるくるすると、シリウスが東の地平線上にのぼるのは、今の時期だと午前7時すぎで、当然肉眼では見えません。あとひと月半もすると、午前4時半ぐらいになるので、日本でもようやくヘリアカル・ライジングを迎えることになります。

風流高楊枝2024年07月07日 06時38分27秒

七夕ということで、風雅を気取って掛軸をかけました。


なんとなくモヤモヤとして、遠目には何が描かれているのか、さっぱりわかりません。


ここまで近づいて、はじめて文机に梶の葉、その脇に秋草と燭台が描かれていることが分かります。七夕の景物をさらっと淡彩で描いているのですが、今回しげしげと眺めて、「うーむ、これは…」と思いました。

どうも文机の足の描き方が変だし、燭台の柱も曲がっている上、台座との関係も不自然です。要するにデッサンが狂っている。それにこれは屋外ではなく、縁側の光景のはずなのに、秋草が床から直接生えているのが、いかにも奇妙。


箱書きには「八十一翁 文翠書之」とあって、谷文晁門下の榊原文翠(文政8-明治42/1824-1909)が、明治37年(1904)に描いたことになっているのですが、職業画家がこんな下手な絵を描くはずはないので、要は粗悪な偽物でしょう。

榊原文翠といっても、今ではその名を知る人も少ないでしょうから、「そんな無名の人の偽物を作って、何かメリットはあるの?」と思われるかもしれませんが、当時にあってはそれなりの画家でしたから、やっぱり贋作を作る意味と旨味はあったわけです。

   ★

そんなわけで、風流の道もなかなか険しいです。
でも贋物でもなんでも、今宵は七夕の二星に捧げものをすることこそ肝要。風流の真似とて書画を飾らば即ち風流なり、これはこれで良しとしましょう。


 天の川 初秋風の 通ふらん
  雲井の庭の 星合の影

「雲井(雲居)の庭」は、かしこき宮中の庭の意。ステロタイプな凡歌にすぎませんが、宮中の庭から牽牛・織女の星を見上げ、天の川のほとりには、今頃初秋の風が吹いているだろう…と想像するのは、たしかに涼しげではあります。

なお、詠み手の「よしため」は未詳。ひょっとしたら、これもでっちあげで、そもそもそんな人はいないのかもしれません。まこと、すべては夏の夜の夢のごとし。

【閑語】緑と黒2024年07月07日 17時36分57秒



小池百合子さんを表現するのにぴったりの言葉って何かなあ…と歩きながら考えていて、最初は「邪悪」かと思いましたが、何かもっとぴったりの言葉があるような気がして、「虚栄」とか、「我欲」とか、「専制」とか、いろいろ考えているうちに、「陰険」という言葉が自分的にはいちばんしっくりくるなと思いました。次点は「腹黒」ですかね。

まあ、小池さんの悪口を感情的に言い募るだけでは何の意味もないんですが、でも私が都民だったら、あの人を首長にいただくのは耐え難い気がします。陰険な人は本当に困ります。そして陰険な上に邪悪で腹黒で、虚栄と我欲にまみれた専制を敷かれたら、本当に救いがないです。

私の地元である名古屋市長の河村たかしさんも大概な人で、首長としてはまったく支持できないんですが、河村さんには後ろ暗い醜聞や疑惑がついて回らないのは特筆すべき点で、その点では小池さんと同日の談ではありません。

買える博物館2024年07月08日 05時57分56秒

炎暑の七夕。
それだけに空は快晴で、南東の空に織姫と彦星が明るく眺められました。南を向けば天のさそりが雄大に身をくねらせ、これぞ夏空という感じです。新暦の7月7日はたいてい雨にたたられますから、こんな風にスカッと二星を拝めたのは久しぶりじゃないでしょうか。でも東京の空はどうだったのか、願いが叶わなかったのは残念です。ちゃんと短冊に書いておけばよかった…。

   ★

昨日、名古屋駅まで行く用事があり、ついでに「地球研究室」「男の書斎」を久しぶりに覗いてきました。いずれも、東急ハンズ名古屋店(JR名古屋タカシマヤと同居しています)の10階にあるお店で、「地球研究室」は博物系グッズのショップ、「男の書斎」は書斎の机辺において楽しみたい渋めのセレクト雑貨を並べたお店です。

(「買える博物館」とは言い得て妙。https://ny-select.com/chiken/

(両店舗のコンセプト。https://nagoya.hands.net/floor/selectcorner.html

かつて名古屋には、栄地区に「東急ハンズANNEX店」というのもあって、そこにも理化学用品や博物系商品のコーナーがあり、一時はなかなか賑わっていたのですが、だんだん規模が縮小されて、ついにはANNEX店そのものがつぶれてしまいました(その後できた松坂屋店のことはひとまず脇におきます)。

東京では、池袋三省堂が鳴り物入りでオープンした「ナチュラルヒストリエ」が、事業撤退するという悲しい出来事もありましたし、博物系の常設店舗にとって今は冬の時代か…と思っていたので、「地球研究室」と「男の書斎」のその後の様子が気になりましたが、あにはからんや、いずれも老若男女のお客で大賑わいで、ほっと胸をなでおろしました(インバウンドのお客さんも多かったです)。

両店舗は一部コンセプトがかぶって感じられる部分もありますが、いずれもバイヤーの気合の入った良店舗で、商品構成によってはまだまだ博物系もいけるな…と思いました。まあ、別に私が経営者目線になる必要もないですが、一消費者としても、博物系のお店が元気で頑張っていることは、うれしく頼もしいことです。

   ★

ささやかながら、「地球研究室」で購入したものがあります。
自分がそれを購入する気になったこと自体、嬉しい驚きでもあったので、そのことを書きます。

(この項つづく)

虫を捕る少年へ2024年07月09日 05時47分02秒

(昨日のつづき)

地球研究室で購入したのは、吸虫管(きゅうちゅうかん)です。


昆虫採集用具のひとつで、ごく小さな虫を手でつぶさないよう、ガラス管で虫体を吸い込んで捕らえるというものです。


単純な構造ですから、身近な品で簡単に自作することもできるんですが、それでもお金を出して買ったのは、私にとって吸虫管は多分にシンボリックな品であり、実用品ではないからです。

(虫を誤って吸い込まないよう、吸い口側には目の細かい金網が付いています)

   ★

吸虫管にロマンを感じる人が世間にどれぐらいいるでしょうか?
でも、私がそこに見るのは紛れもなくロマンであり、子ども時代の憧れです。

昆虫採集に夢中だった私は、ごま塩の瓶と金魚のエアポンプ用のビニール管で吸虫管を自作し、インスタントコーヒー瓶を毒つぼ代わりに、あり合わせの発泡スチロールで展足した標本を、お菓子の平たい缶に並べて悦に入っていました。

その一方で、私はそれ専用の道具がこの世に存在し、専門店で売られていることも、本を通じて知っていました。子供でも行けるところにそうした店があれば…、そしてそれを買うお金さえあれば…。でも、私にはそうした店にアクセスする手段もお金もなかったし、親もあえてそれを買ってやろうとは言わなかったのです。

そんなことを恨めしく思うのは馬鹿らしいと思いますが、でも裕福な友達が市販の立派な道具や標本箱を持ち、夏休みに家族で採集旅行に出かけるのを横眼で見ていた、当時の自分の気持ちを考えると、何となくいじらしい気がします。

要するに、この吸虫管は、子ども時代の自分へのプレゼントなのです。
そして自分が吸虫管を買う気になったことがうれしかったのは、そればかりでなく、自分の中の昆虫少年がまだ健在だったことを確認できたからです。インナーチャイルドは吸虫管を買ってもらって喜んでいるし、インナーチャイルドが今でも元気でいることを知って、それを買い与えた大人の私もまたうれしかったのです。


旅のあとさき2024年07月11日 06時05分48秒

前回の文章を読み返すと、我ながらいくぶん屈折したものを感じます。

私の家は赤貧洗うが如き…とまでは言わないにしろ、あまり豊かな家ではなかったので、こうした「貧」のテーマと、自己憐憫の情は、自分の中に澱のように潜在していて、このブログがやたらとモノにこだわるのは、そうした欠落感を埋めるための試みに他ならない…といえば、まあ8割がた当たっているかもしれません。

「銀河鉄道の夜」を読んで、ジョバンニに肩入れしたくなるのも、そういう個人史が影響していると思います。

   ★

連想で話を続けると、ジョバンニのカムパネルラに対する思いも、なかなか複雑なものがあったんじゃないでしょうか。

そこにあったのは、おそらく単純な友情だけではないでしょう。
カムパネルラを独占したいという気持ちも当然あったし、彼に対する微妙な嫉視とねたみもまたあったろうという気がします。

ですから意地悪な見方をすると、カムパネルラが死んだとき、ジョバンニの心のどこかに、それを喜ぶ心がわずかに混じっていた、そして「僕ががカムパネルラの死を望んだから、カムパネルラは死んだんだ」という罪悪感にジョバンニは苦しめられた…なんてことは「銀河鉄道の夜」のどこにも書いてありませんけれど、きっと山岸凉子さんあたりが「銀河鉄道の夜」を作品化したら、その辺が大きなテーマになるのかもしれません。

「銀河鉄道の夜」を勝手に深読みするといえば、昔、「銀河鉄道の夜」のアフターストーリーを考えたことがあります。


■その後のジョバンニ

2010年の記事ですから、ずいぶん昔に書いた文章ですけれど、読み返してみて、なかなかいいことが書いてあるなあと自画自賛しました。

「銀河鉄道の夜」は、物語としてはああいう形で決着していますが、物語内の世界線はさらに「可能な未来」に向かって伸びているわけで、登場人物たちのその後の人生には、必然的に「カムパネルラ溺死事件」が、暗く重い影を落とし続けたはず…と想像したものです。

   ★

考えてみると、風の又三郎にしろ、グスコーブドリにしろ、旅立った者と残された者、それぞれに「その後」があり、それを想像すると物語にまた違った味わいが生まれてきますね。(物語の読み方としては、いくぶん邪道かもしれませんが。)

我らが星図作者、逝く2024年07月12日 18時52分03秒

現代を代表する星図作者ウィル・ティリオン氏が、先週7月5日に亡くなられたというニュースを目にしました。享年81。例によってメーリングリストで教えられたのですが、その投稿はさらに「スカイ・アンド・テレスコープ」の以下の記事にリンクを張っていました。

■WIL TIRION, 1943–2024
 By Govert Schilling (2024年7月9日付)

(Wil Tirion(1943-2024)、Alex P. Kok撮影。Wikimedia Commonsより)

「オランダの星図作者ウィル・ティリオンは、我々の時代における最も美しい星図を生み出した人として記憶されるだろう」という書き出しの記事を読み、私は初めてティリオン氏の個人的な事柄を知りました(そもそも、彼がオランダ人だということも、恥ずかしながら知りませんでした)。



ベストセラー『スカイアトラス 2000.0』(第2版、1998)の表紙には、その名がはっきりと記されています。でも、「WIL TIRION」という文字列が、私にとっては無機的な記号列のように感じられ、そこに生きた作者の存在を想像することがなかったなあ…と、今反省をこめて思います。


現代の星図は、膨大な星のデータを計算機が読み込んで、自動的に出力されるようなイメージが何となくあります。実際、機械の助けなしに現代の星図が成り立たないのも事実でしょう。しかし「美しくて見やすい星図」は、やはり人の目と手による繰り返しの調整作業の賜物に違いありません(星図制作の現場を知りませんが、おそらくは)。


この美しい星図を生み出したティリオン氏の略歴を、上記の記事をつまみ食いして述べてみます。

   ★

ティリオン氏は、アマチュア天文家だった12歳の頃から星図づくりに魅了されていました。しかし、その作品が初めて公になったのは30代半ば、1979年にコリン・ロナンの「天文学百科事典」に5枚の星図が掲載された時のことです。

その星図の質の高さが知られるにつれて、星図作成の依頼が寄せられるようになり、彼の初期の代表作『スカイアトラス 2000.0』の初版は1981年に出ています。当時はまだコンピュータ導入前なので、そこに含まれる43,000の星はすべて手描きです。

当時のティリオン氏は、グラフィックデザイナー兼イラストレーターが本業で、星図制作はあくまでも「余技」だったのですが、次々に寄せられる依頼に応えるため、1984年に本業を辞め、星図づくりに専念するようになります。

その後は、大著『ウラノメトリア 2000.0』(1987-8)をはじめ、数々の傑作星図を生み出し、コンピュータによる作図に力点を移したあとも、そのエレガントな芸術的感覚を生かした星図づくりで確固たる地位を築いたのでした。

「魅力的で非常に気さくな人柄だったウィル・ティリオンは、彼が愛してやまない夜空の最新星図に取り組んだわずか数週間後に、短いが致命的な病気を発症して亡くなった。「小惑星4648ティリオン」は、彼の名前にちなみ、1993年に命名されたものである。ご遺族として奥様のコッキー、二人のお子様マーティンとナーラがあとに残された。その死はまことに惜しまれる。」…と記事は結ばれています。

   ★

長い歴史をもつ星図制作史の1頁が、今まさに閉じられた瞬間に我々は居合わせたことになります。ティリオン氏のご冥福をお祈りします。

【閑語】責任と無責任2024年07月12日 19時07分38秒

「職責を果たすことが私の責任の取り方」みたいな言い回しがありますけど、「職責を果たす」のはデフォルトで当たり前のことであって、何ら特別なことではありません。ですから、「どう責任をとるのか?」と問われて、こう答える人は、結局「責任をとるために、私は特別なことは何もしません」と言ってるに等しいです。

(東京都につづき、他所の首長のことではありますが、例の兵庫県知事の件でも、相当カチンと来ています。)