1896年、アマースト大学日食観測隊の思い出(10)…日食が終わって2025年07月20日 07時33分00秒

泰山鳴動…というと、観測隊の面々にとって甚だ失礼な言い方になるし、そもそも日食が見られなかったのは彼らの責任ではなく、すべては運です。それでも、あれほど入念な準備をして、万里の波涛を越えて来た人々にとっては、悔しい肩透かし以外の何物でもなかったでしょう。しかも翌日は雲一つない上天気だったというのですから、その無念たるや、察するに余りあります。

しかし、その思いをすべて胸の内に秘めて一行は撤収作業を進め、並行して地元のセレモニーに出席しました。日食の2日後、8月11日には、枝幸小学校の落成式があり、トッド、デランドル、寺尾の米・仏・日の日食観測隊長が来賓として招かれました。

 「続いてアメリカの天文学者が呼ばれ、子供たちは立ち上がってお辞儀をし、彼が話し終えるまで立ち続けました。彼は他にも様々なことをしました。中でも、有名なトルーヴェロの絵の一つである1878年のコロナの美しい額入りの絵を学校に贈呈し、英語を学ぶよう促し、手持ちの本を枝幸に数冊贈呈し、後日、東京から送ることを約束しました。このスピーチは、才気あふれる大島氏によって、一文一文丁寧に翻訳されました。その後、デランドル教授がフランス語で短いスピーチを行い、数年前にパリ大学で学んだ寺尾教授が通訳しました。」(『コロナとコロネット』より)

(トルーヴェロが描いた日食図(リトグラフ)、1882年刊。Wikipediaより)

落成式典のことは当然来日前は知らなかったはずですが、それでも現地で何か贈呈の折があるかもしれないと考え、トルーヴェロの絵を額入りで持参したのは、アマースト隊の準備がいかに入念であったかを示すエピソードです。

   ★

ゲリッシュはこの落成式には参加していませんが、同日夕刻から催された送別会には参加しており、ゲリッシュ資料には前日受け取った招待状(※1)が含まれています。

(封筒の表書き。「ガーシュ」とは不思議な音写ですが、アメリカ風に巻き舌でGerrishと繰り返し言っていると、確かに「ガーシュ」に聞こえます)

(封筒裏。「発起人惣代 白坂庫太」は、当時の枝幸郡四か村を束ねた「戸長」を務めた人物)


「拝啓 陳者當枝幸小学校新築
校舎落成式之際 不斗當郡へ日食
観測ノ為メ来着相成居 千歳
ノ一遇 御苦労萬分一ヲ奉慰 併テ
送別之宴會相催候間 明十一日午後
四時御光来被成下度 奉待上候也
 但略服御着用之事
  発起人惣代
    白坂庫太
明治二十九年八月十日
ガーシュ殿」

ざっと口語に直せば、以下のような内容でしょう。

「拝啓 さて当枝幸小学校の新築校舎落成式に際し、偶然にも当郡へ日食観測のためお越しになられたことはまさに千載一遇、そのご苦労の万分の一でもお慰めしたく、また併せて送別の宴会を開催いたしますので、明日11日午後4時にお出でいただきたく、お待ち申し上げております。ただし平服着用のこと。発起人代表 白坂庫太」

メイベル・トッドは、このときの宴に深い感銘を受けました。

 「その後、日没近く、近くに新しく建てられた広々とした茶室で、アメリカ人を偲ぶ晩餐会が開かれた。入り口には星条旗と赤い日の丸が飾られ、海と街の反対側に大きく開かれた二階の大きな部屋で宴は開かれた。〔…〕料理は極めて上品で、料理の盛り付けも完璧だった。侍女たちは、青や淡い緑の絹の縮緬の美しい衣装に、豪華な錦織りの帯を締め、精巧に滑らかな髪を結い、まるで絵画のようだった。的外れかもしれないが、このオホーツク海岸よりはるかにアクセスしやすいメイン州北部の荒野にある「居酒屋」や、ノバスコシア州の漁村では、どんなウェイトレスに出会うのだろうか、という疑問が湧いてくる。」(『コロナとコロネット』)

メイベルは上品な料理と、絵のような女性をほめそやしていますが、当時枝幸で取材した北海道毎日新聞記者、朝永彜三(ともながつねぞう?)の回想によれば、地元の人にも言うに言われぬ苦労があったようです。

 「後で聞いたことだが、外人学者が大勢来ると言ふので、枝幸村民は随分緊張もし、接待法については頭を悩ましたらしい。立小便なんぞしちゃ「日本の風俗はどうも下品だ」と言はれるに違ひない。それでは国辱になると真剣に考へた戸長以下役場の吏員は、早速、「立小便する可からず」の立札を要所々々に立て村民の自重を促した。」(『枝幸町史・上巻』p.697)

それでも、同じ時間と空間と経験を共有した村人と観測隊員は心の距離を縮め、料亭岩見で開かれた送別の宴では、

 「西洋人たちははじめは窮屈そうに坐っていたが、やがて胡坐をかき、食事も日本人とおなじく箸をつかって日本料理を食べた。興に乗った若い米国人のトムソンは、口笛を吹きながら陽気にダンスをやって見せたりした。」(『枝幸町史・上巻』、p.693)

という具合だったそうです。

   ★

こうした温かい交流の先に、トッド教授による書籍贈呈、それも一回こっきりではなく多年に及ぶ約1000冊の贈呈によって、枝幸に立派な図書館ができ(残念ながら1940年の枝幸大火で書籍と共に焼失)、枝幸の人々が長く博士の徳を慕ったことは、アマースト隊余話として欠かせぬところですが、ゲリッシュの足取りとは直接関係がないので、ここでは割愛します(※2)

(この項つづく。次回完結予定)


---------------------------------------
(※1)以下の文献によれば、イエール大学図書館にはトッド博士の関係文書が保管されており、白坂庫太がトッド博士に宛てたほぼ同文の招待状が含まれています(吉宮氏が撮影した写真が掲載されています)。

■吉宮仁美
 「日食観測で来村したトッド博士の人生と枝幸村民との永遠の友情
 ~米国アマースト、イエール大学図書館などの調査から~」
 枝幸研究 16(2025)pp.37-56.


(※2)枝幸の図書館については、(※1)に挙げた文献のほか、以下の資料で引用された「枝幸に過ぎた洋書図書館」という一文も参照(筆者はトッドの同時代人・中澤毅一)。

■中桐正夫(国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室)
 「明治29年日食組立式観測所写真に隠れた日米親善」
 アーカイブ室新聞2011年5月8日 第480号