1896年、アマースト大学日食観測隊の思い出(5)…ホノルルから横浜へ ― 2025年07月13日 10時33分34秒
4月25日にサンフランシスコを出たコロネット号。
東から吹く貿易風に乗れば船足も速いのでしょうが、なかなか風をつかまえられず、速力が上がりません。隊の中でもゲリッシュと隊長のトッド教授は特に船酔いがひどくて、当初は食事も喉を通らない有様でした。
しかし、それも徐々に収まり、一行は船内のサロンで朗読会をしたり、手づくりのチェス盤でチェスを楽しんだり、甲板で「鳥釣り」(豚肉を餌にして、海鳥のくちばしに針をひっかけて捕まえる)に興じたり、時間をつぶしながら、ハワイを目指します。
ようやくホノルルに着いたのは5月11日、2週間余りの船の旅でした。
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ハワイは一行にとってまさに「楽園」で、『コロネット号航海録』を書いたハリエット・ジェイムズも、『コロナとコロネット』の著者メイベル・トッドも、その美しい景観を手放しで称賛しています(もっとも、より鋭い観察者であるメイベルは。ハワイを揺り動かした「不安定な政治的要素」にも言及していますが)。
一行はここに2週間滞在し、ハワイ観光やピクニック、歓迎パーティーに時間を費やし、十分骨休めをしてから、さらに西を目指すことになります。
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ゲリッシュもハワイに上陸早々、5月11日付けでホノルルの「パシフィック・クラブ」(1851年創設の会員制クラブ)の臨時会員証を発行してもらっています。
(パシフィック・クラブの封筒)
(封筒の表書きと30日間有効の臨時会員証)
ホノルルでの一行は、三々五々、それぞれに羽を伸ばしたようですが、ゲリッシュはピクニックよりもクラブでのんびり派だったのかもしれませんね。
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こうして、ハワイで愉しいひと時を過ごした後、コロネット号は再び帆を上げて、5月25日早朝にホノルル港を出発。隊員たちの首には、見送りの人々から贈られた、たくさんのレイがかかっていました。
船は南太平洋を横切り、日本に近づくとともに黒潮に乗って北上し、6月21日に伊豆七島の御蔵島(みくらじま)の島影を視認、さらに夕暮れ時には富士山を望むところまでやってきました。そのまま東京湾に入り、横浜沖で停泊。横浜港に錨を下したのは、翌6月22日のことです。
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横浜上陸後の印象を、ハリエットはこう書いています。
「上陸すると、すべてが新しく、奇妙で、何もかもが面白く、愉快だった。私たちはすぐに人力車の男たちに囲まれた。彼らは青いジーンズのコートと短いズボンをはき、茶色のむき出しの脚をしていた。その脚は、昔ながらの乳母車を思わせる奇妙な小型車両で走り回っていたため、筋肉質になっていた。頭には、青や白の綿で覆われた、逆さまの籠かキノコの頭のような、幅広の丸い帽子をかぶっていた。しばらくの間、私たちは9人一列に並んで通りを走り回り、まるで行列を作っていた。」
ゲリッシュ資料には人力車夫のビジネスカードが含まれています。
このカードが横浜上陸時のものかどうかは分かりません。そもそも人力車は横浜や東京の市内移動には不可欠でしたから、その後も乗る機会は多かったでしょう。でも、彼がこのカードを保管したのは、それだけ深い印象を受けたからだと思うし、最初に人力車に乗ったとき貰ったものじゃないか…という想像を、ついしたくなります。
(裏面は白紙)
ゲリッシュが乗った俥の車夫は「水島」という男で、外国人が呼びやすいよう、愛称として「シマ」を名乗っていました。「90」とあるのは、車番ないし営業許可番号でしょう。「ジンリキシャマン」が、こういう英語のビジネスカードを携行していたのが、いかにも横浜という感じです。
(この項つづく。以下、さらに横浜モノが登場します)



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