コレクションの生と死2026年01月21日 21時32分58秒

仕事のプレッシャーで心身がだいぶすり減りました。
しかしそれもようやく終わり、ホッとしています。
足踏みしていた天文古玩をめぐる旅も徐々に再開です。
といっても、すぐに再開するパワーがないので、以下余談。

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先週の週末、お世話になった方の遺品整理のようなことをしてきました。
といっても、ご遺族の方がすでにある程度整理されたものを運び出して、処分するものと保存するものに分けるだけで、本当に大変な部分を担ったわけではありません。

作業をしながら、自分の場合だったら…という点に自ずと思いが至り、一瞬、空しさと寂しさを感じました。

私にとって収集行為は一種の自己表現であり、私の身辺に集まったモノたちは、私の分身に他なりません。でも、だからこそ我が身が滅び、屍骨が四方に散じるのと同様、分身の方も解体されて世の中に散らばり、ふたたび新たな循環サイクルに乗ることは、決して悪いことではなかろうと思い直しました。それは喜怒哀楽を超えた、自然の在り様そのものだからです。

(滋賀県・佛道寺蔵『九相詩絵巻』より。出典:山本聡美・西山美香(編)『九相図資料集成―死体の美術と文学』、岩田書院、2009)

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とはいえ、中には死してなお四方に散じない例もあります。
先日出たばかりの『別冊太陽 東洋文庫』を見ていて、うーむスゴイなあ…と思いました。


東洋文庫は、東洋学関連の貴重書を集めた一大アーカイブです。
三菱財閥の莫大な財力と三代当主・岩崎久彌の熱意によって成立し、和漢の古典籍を集めた「岩崎文庫」、東アジアに関する欧文文献を主体とする「モリソン文庫」を核とし、さらに前間恭作、永田安吉、井上準之助、小田切萬壽之助…等々、多くの蔵書家・碩学の個人コレクションが加わり成り立っています。


故人のコレクションを屍にたとえるなら、東洋文庫に収まっているのは、死してなお形を保っているミイラということになるのですが、たとえミイラでも、コレクションとしてはその方が幸福なのかなあ…と思ったりもします。


(東洋文庫には天文関係の貴重な古星図、古典籍も含まれています)

まあ、東洋文庫の場合は、死せるミイラというよりも、持ち主の死後も人々に利用され続けている生きた資料であり、そこが素晴らしいところです。そうでなければコレクションとして残す意味は薄いでしょう。

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