スクリプトール・エクス・マキナ ― 2025年11月26日 19時49分26秒
『手触りの宇宙』: 古き星図に宿るロマンティシズム
古来より、天体というものは、我々人間の手の届かぬ、遥か彼方の出来事として認識されてきました。しかし、かの無限の奥行きを持つ宇宙を、僅か一尺にも満たぬ「紙」という有限の物質に封じ込めんとしたのが、我々が愛してやまぬ「古星図」の類であります。
蒐集家たる者の喜びは、単に稀少な図柄を眼にすることにあらず。それは、時を経て鈍く変色した和紙の肌理、あるいは獣皮紙の微かなざらつきを指先に感じ取る刹那にこそ、凝縮されるのではないでしょうか。
現代のデジタルな星図が、秒単位でMv(実視等級)を変動させ、瞬時に銀河のカタログを表示しえたとしても、それには重さがありません。物質としての「質」がない。古星図の醍醐味は、むしろその不均一性に宿ります。
・経年変化の色調: わずかに酸性化した紙の縁が放つ、黄昏時の空のようなセピアのグラデーション。
・インクの定着: 銅版画の深い線から染み出し、紙の繊維に食い込む墨色の漆黒。触れれば、インクの盛り上がりが微かに指紋を弾く感触。
・版の印圧: 力強くプレスされた痕が紙の裏面に微かに浮き上がり、それが時の堆積を物語る「印圧の痕跡」。
この一枚の紙には、描かれた時代の大気が、製作者の吐息が、そして星を測った望遠鏡の振動までもが閉じ込められているように感じられるのです。
星の配置は、今や少々の狂いがあるかもしれません。しかし、その狂いこそがまた、「人の手」が介在した愛すべき証拠ではないでしょうか。
それはもはや、純粋なF=ma(運動方程式)で語られる理科の世界を超越し、古き理科趣味を愛する者だけが嗅ぎ分けられる、リリカルなロマンティシズムの芳香なのであります。
あるいは、皆様の棚に眠る「古玩」の中にも、現代のテクノロジーでは捉えきれない、人の熱意と誤謬が刻まれた理科趣味の逸品があることと拝察いたします。いかがでしょうか、この時代だからこそ語るべき、モノへの拘りを、お示しいただけませんか。
(『手触りの宇宙』: 古き星図に宿るロマンティシズム…というお題でGoogle Whiskが生成した画像)
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この半年間で、世界の変化を如実に感じたことがあります。
別に政治向きの話ではありません。何かといえばAIの更なる進化と応用です。
YouTubeを覗いても、ここ最近AIの助けを借りた動画が急速に勢力を広げ、目を見張るばかりの完成度を誇る作品も少なくありません。ハリウッドが何百万ドルかけなくても、個人であれだけのものが作れるようになったのは、それをアシストするAIの進化以外の何物でも無く、ごく近い将来には人間がほんの簡単な指示をするだけで、いくらでもAIが新たな「世界」を創出することになるのでしょう(既にそうなりつつあります)。
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Googleが提供するGeminiに、「あなたは「天文古玩」の文体、テーマを使って、何か記事を作成することはできますか?」と尋ねたら快諾してくれました。それが冒頭の一文です。「それは大変光栄です!ブログ「天文古玩」の玉青様の雅致に富んだ文体と、モノにこだわる博物学的なテーマを拝借し、一篇の記事を作成してみましょう。今回は、「古き良き星図」、特にその紙とインクが織りなす「手触りの宇宙」に焦点を当てて執筆いたします。」とのことでした。
ご覧の通り、まだまだのところはあります。
しかし、これは無料で使えるAIが即席にこしらえたものですから割り引いて考えるべきで、もっと「天文古玩」の文体をしっかり学習させたら、本当に私自身が書いたのと区別できない文章を作ることは、現時点でも十分可能でしょう。
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問題は、それが「誰得」なのかということです。
このブログは1円も収益化していませんから、私自身に金銭面でのメリットはありません。しかしAIの書いた文章を読んで、私にしても他の人にしても、ときに興味深く思ったり、新たな気付きを得たりすることはあるかもしれません。それが意外な好評を博し、それを私が書いたことにすれば、私のささやかな虚栄心も満たされるでしょう。でも、それこそ文字通りの虚栄ですよね。
いろいろ考えて思ったのは、AIがこのブログを書き継いでくれれば、私の死後もブログが続くことになり、それは他ならぬ「ブログ自身」にとって、いちばんメリットが大きいだろうということです。
作者と作品の関係に関連して、作品が作者の思惑を超えて動き出すというエピソードがしばしば語られます。作者としてはこういう展開にしたいんだけれども、作品のほうがどうしてもそうさせてくれない…といったことが、実際しばしば起こるらしいです。ブログは純粋な創作活動とは違いますが、それでも20年も書き続けていると、だんだんブログ自身が自律性を獲得してくる気配もなくはないです。いったんそうなれば、もはや書き手が誰であろうと、ブログ自身は問題にしないでしょう。
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AIによって侵されがたい、このブログの最後の牙城といえるのは、「モノにこだわる」という点ですが、それにしたって、AIが感覚器官を備え、リアルな世界と直接やりとりするようになったら―すなわちAIがリングの貞子よろしく画面の向こうからはみ出して来たら―もろくも崩れ去るんじゃないかと思います。
(同上。「手触り」を強調しているようです)


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