ジョドレルバンクの話2025年08月17日 17時35分49秒

ブラック博士の本の話(8月10日付)の最後で、イギリスのジョドレルバンクの電波望遠鏡のことがチラッと出ました。そこから話を続けます。

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ときに、ジョドレルバンクの知名度って、どれぐらいあるんでしょう?
もちろんその筋の人は知っているんでしょうが、たとえば私の家族に聞いても(まだ聞いてませんが)、「何それ?」となることは容易に予想できます。

ジョドレルバンクは、巨大な電波望遠鏡の立つ場所であり、望遠鏡自体の代名詞でもあります。2019年には世界遺産に登録され、日本はともかく、地元イギリスでは非常に有名な存在だと聞きます。

私が最初にジョドレルバンクに興味を覚えたのは、『ビクトリア時代のアマチュア天文家』(産業図書)の末尾に、ジョドレルバンクが登場したからです。それによると、ジョドレルバンクが完成した1957年は、後にBBCの長寿人気番組となったパトリック・ムーアの「The Sky at Night」の放送開始年であり、アラン・ローラン彗星が話題になった年です。こうした出来事を追い風に、イギリスのアマチュア天文活動は、戦前にもまさる勢いで復活し、発展を遂げたのです(日本製の廉価な天体望遠鏡がその発展に寄与したという記述も、私には他人事と思えませんでした)。

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ジョドレルバンクはとにかく巨大です。アンテナの直径は76メートル、片や日本を代表する野辺山の45mm波電波望遠鏡は直径45メートルですから、並ぶと大体下の写真ぐらい違うはずです(あくまでもイメージです。正確な比較画像ではありません)。

(左:ジョドレルバンク、右:野辺山)

(ジョドレルバンクの場所)

ジョドレルバンクの歴史は、同観測基地のサイトに簡潔に述べられています。


そして上のページと同名の本が、かつて出版されたことがあります。


■Bernard Lovell
 『The Story of Jodrell Bank』
 Oxford University Press, 1968.

著者のバーナード・ラヴェルは、正式な名乗りをサー・アルフレッド・チャールズ・バーナード・ラヴェル(Sir Alfred Charles Bernard Lovell、1913-2012)といい、ジョドレルバンクを一から作り上げた電波天文学者です。したがってジョドレルバンクの電波望遠鏡も、彼の名をとって「ラヴェル望遠鏡」というのが、その正式な名称です。

(上掲書より。左はラヴェル、右はソ連の天文学者アラ・マセヴィッチ、1960年)

(手元の本には著者の献辞が入っています。「To Dr Keller, on the occasion of his visit to Jodrell Bank 14 November 1970 Barnard Lovell」。ラヴェルはかなり奔放な字を書く人ですね。なおケラー博士は未詳)

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例によって、私はラヴェルのこの本も買っただけで満足して、積ん読のままになっていました。それをこの機会にパラパラしてみたわけですが、そこで強烈な印象を受けたのは、この本にしょっちゅう「お金の話」が出てくることです。

章題だけ見ても「最初の財政的危機」に始まり、「25万ポンドの負債」とか、「財務省と公会計委員会」とか、「財務問題解決に向けて」とかいった具合。私は勘違いしていたのですが、ジョドレルバンクは国費を投入した事業ではなく、ラヴェルの熱誠に支えられえた、文字通り徒手空拳のプロジェクトで、一部の熱心なサポーターがいたおかげで、ようやく日の目を見た存在だったのです。

(上掲書より。Papas画、ガーディアン紙掲載の一コマ漫画)

しかし、イギリスの人々はラヴェルの壮挙を支持しました。上の絵はラヴェルを皮肉るものではなく、むしろ三軍には気前よく予算を配分するのに、ジョドレルバンクは放置している政府を批判する趣旨の絵です。

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瀕死のジョドレルバンクが突如息を吹き返したのは、当時の宇宙開発競争のおかげです。ジョドレルバンクの電波望遠鏡を使えば、人工天体の位置を正確に観測追尾できることが証明され、途端に「有用の長物」となったからです。そして上記のような大衆の支持もあり、ついにジョドレルバンクはイギリスの誇りとされるまでになったのでした。

まあ、人工天体の件はジョドレルバンク建設の本来の目的では全然なかったので、偶然の賜物といえばそうですが、「天は自ら助くる者を助く」で、ここはラヴェルの熱意が天に通じたのだと考えたいです。

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(上掲書見返しより)

Jodrell Bank、すなわち「ジョドレルの丘」とは、エドワード黒太子とともに百年戦争を戦った弓兵、William Jauderellの名に由来し、かつてその所領だった場所だそうです。ラヴェル望遠鏡は、古の弓の射手よろしく、今後もその地で天空をにらみ、パラボラの弧を構え続けることでしょう。

コメント

_ S.U ― 2025年08月18日 08時44分22秒

>ジョドレルバンクの知名度
これは、多少面白い問題かもしれません。私の個人的体験ですが、ジョドレルバンクの名は中高生時代に知っていたように思います。単に、新聞(一般紙)か科学雑誌(科学朝日、天文ガイド)、天文年鑑あたりの手に触れやすいもので繰り返し見たのだと思います。何の記事だったかはぜんぜんわかりません。

・パルサーの観測
・米国宇宙船との交信
・他国の人工天体の確認(ソ連のベネラ?日本の人工衛星も?)

などが考えられます。当時の記事を探す価値はあると思いますが、インターネット普及よりだいぶ以前だというのが苦しいです。逆にいうと、私が成長して以降に聞いた覚えはありません。

_ 玉青 ― 2025年08月20日 18時38分47秒

振り返ると、天文界のスーパーアイドルはいろいろ変遷がありますね。
古くはハーシェルの40フィート望遠鏡やロス伯の巨人望遠鏡に始まり、ヤーキス天文台の40インチ屈折望遠鏡、パロマー山の200インチ反射、そしてジョドレルバンクを経て、すばる望遠鏡、ハッブル宇宙望遠鏡、ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡に至るまで。

それぞれ「旬」をすぎると、あまり世間の話題にならなくなるのは、アイドルの宿命でしょうが、それでもレジェンドとして人々の記憶にしっかり残っているのは、彼らが凡百のアイドルではなく、まさに「スーパーアイドル」たる証なのでしょう。

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