胸元のブループラネット ― 2022年11月10日 19時11分42秒
「青い惑星」といえば地球。
そして、この前多くの人が目撃した天王星もまた青い惑星です。
地球の濃い青は海の色であり、豊かな生命の色です。
一方、天王星の澄んだ青は、凍てつく水素とメタンが織りなす文字通りの氷青色(icy blue)で、どこまでも冷え寂びた美しさをたたえています。
(ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した天王星。原画像をトリミングして回転。原画像:NASA, ESA, Mark Showalter (SETI Institute), Amy Simon (NASA-GSFC), Michael H. Wong (UC Berkeley), Andrew I. Hsu (UC Berkeley))
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以前、土星のアクセサリーを探していて、こんなブローチを見つけました。
見た瞬間、「あ、天王星」と思いました。
アメリカの売り手は天王星とは言ってなかったし、普通に考えれば土星をデザインしたものだと思うんですが、自分的には、これはもう天王星以外にありえない気がしています。
(裏側から見たところ)
飾り石はブルーカルセドニー(青玉髄)のようです。
『宮澤賢治 宝石の図誌』(板谷栄城氏著/平凡社)を開くと、「青玉髄」の項に、賢治の次のような詩の一節が引かれていました。
ひときれそらにうかぶ暁のモティーフ
電線と恐ろしい玉髄(キャルセドニ)の雲のきれ
電線と恐ろしい玉髄(キャルセドニ)の雲のきれ
(「風景とオルゴール」より)
賢治の詩心は、明け方の蒼鉛の雲に青玉髄の色を見ました。
そこは天上の神ウラヌスの住処でもあります。
だとすれば、はるかな天王星をかたどるのに、これほどふさわしい石はないのでは…と、いささか強引ですが、そんなことを思いました。
月を着る ― 2021年09月28日 19時18分54秒
昨日に続いて、メタルピクチャー・ボタンです。
三日月と星と彗星(ないし流れ星)を描いたボタン。直径は25ミリ。
こちらは19世紀後半、ヴィクトリア時代の品と聞きました。
(裏面)
ボタンの丸いベースに、別に作った三日月を爪で留めて、それ以外の星たちは一つひとつ手で彫り込んであります。(焼付け塗装を彫ることで、地金の金色が見えています。)
三日月の顔のまわりがもやッとしていますが、これも錆や曇りではなく、月がぼうっと光っている様を、細かい毛彫りで表現したもので、非常に凝った細工です。
三日月の表現としては、それこそ「月並み」な感じがなくもないですが、肝心なのはこれがブローチとかではなくて、あくまでもボタンだということ。19世紀には確かにこんなボタンの付いた服があり、それを着ていた人がいるのです。洒落てるなあ…と思うし、その星ごころは心憎いばかりです。
それにしても、一体どんな服に付いてたんでしょうね?
そしてどんな人が着ていたのでしょう?
月と舟 ― 2021年09月27日 20時24分04秒
真鍮製の、いわゆるメタルピクチャー・ボタン。
直径は38ミリで、ボタンとしては大型です。時代ははっきりしませんが、あてずっぽうで言うと、20世紀前半ぐらいでしょうか。原産国も不明ですが、売ってくれたのはアリゾナの人です。
夜空には月と星、その下の波立つ川面を金色のゴンドラが進んでいきます。
表現が稚拙な分、いかにも童画チックなかわいらしさがあります。
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「月夜のゴンドラ」が人の心を捉えるのは、もちろんそれがベネチアの風俗と相まって、ロマンチックな連想を呼ぶからでしょうが、さらにまた「月と舟」のシンボリズムが、そこに通奏低音のように響いているから…というのもあるかもしれません。すなわち、月は天上をゆく舟であり、舟は水に浮かぶ月である、というイメージです。
手元の『イメージシンボル事典』(大修館書店)を開くと、三日月は「眠りの小舟」だとあります。またキリスト教の異端、グノーシス派の説くところによれば、月は肉体を離れた魂を運ぶ天上の船だとも書かれています。いずれも出典が書かれてないので、どこまで普遍化できるかは分かりませんが、何といっても日本には、柿本人麻呂の秀歌があるので、月と舟の連想は、ごく自然なものに感じられます。
天の海に雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ
まあ、あまり難しく考えなくても、三日月とゴンドラは、単純にその形状から似合いのペアですから、空と水に仲良く浮かんでいるのを見るだけで、気分が良いものです。
(Ida Rentoul Outhwaite (1888 - 1960) 作 "The Moonboat Fairy" 1926頃)
月の流れ星 ― 2020年12月27日 09時59分00秒
差し渡し2.5cmほどの小さな月のピンバッジ。
不思議なデザインです。月が尾を曳いて翔ぶなんて。
まあ、デザインした人はあまり深く考えず、漠然と夜空をイメージして、月と流星を合体させただけかもしれません。
でも、次のような絵を見ると、またちょっと見方が変わります。
(ジャン=ピエール・ヴェルデ(著)『天文不思議集』(創元社、1992)より)
邦訳の巻末注によると、「天空現象の眺め。ヘナン・コレクション。パリ国立図書館」とあって、たぶん16世紀頃の本の挿絵だと思います。
キャプションには、「月が火星の前を通過することがあるが、この現象を昔の人が見て解釈すると上の絵のようになる。火星は赤い星で戦争の神である。月は炎を吹き出し、炎の先にはするどい槍が出ている。」とあります。
月の横顔と炎の位置関係は逆ですが、このピンバッジにも立派な「槍」が生えていますし、何だか剣呑ですね。
【12月28日付記】
この「炎に包まれた槍」を、火星のシンボライズと見たのは、本の著者の勘違いらしく、その正体は、流れ星の親玉である火球であり、それを目撃したのはあのノストラダムスだ…という事実を、コメント欄で「パリの暇人」さんにお教えいただきました。ここに訂正をしておきます。詳細はコメント欄をご覧ください。
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月による火星の掩蔽(火星食)は、割と頻繁に起こっていて、国立天文台の惑星食のページ【LINK】から最近の火星食を抜き出すと、以下の通りです。
2019年07月04日 火星食 白昼の現象 関東以西で見える
2021年12月03日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2022年07月22日 火星食 日の入り後 本州の一部で見える
2024年05月05日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2025年02月10日 火星食 日の出の頃 北海道、日本海側の一部で見える
2030年06月01日 火星食 白昼の現象 南西諸島の一部を除く全国で見える
2021年12月03日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2022年07月22日 火星食 日の入り後 本州の一部で見える
2024年05月05日 火星食 白昼の現象 全国で見える
2025年02月10日 火星食 日の出の頃 北海道、日本海側の一部で見える
2030年06月01日 火星食 白昼の現象 南西諸島の一部を除く全国で見える
“頻繁”とはいえ、昼間だとそもそも火星は目に見えませんから、月がその前をよぎったことも分かりません。好条件で観測できるのはやっぱり相当稀な現象で、古人の目を引いたのでしょう。
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【閑語】
幕末の日本ではコレラが大流行して、大勢の人が亡くなりました。
庶人これを「コロリ」と称し、時代が明治となってからも、コロリはたびたび猛威を振るい、それらを「一コロリ」とか「三コロリ」と唱えたものだそうです。
今の世も一コロナ、二コロナ、三コロナと、新型コロナは三度の流行を繰り返し、人々の心に暗い影を落としています。
大地震があり、流行り病があり、攘夷を叫ぶ輩が横行し、士道退廃が極まり…本当に今は幕末の世を見る心地がします。これでスカイツリーのてっぺんから伊勢の御札が降ってきたら、ええじゃないかの狂騒が始まるのでは…と思ったりしますが、昔と今とで違うのは、暗い時代になっても宗教的なものが流行らないことです。その代わりに陰謀論が大流行りで、多分それが宗教の代替物になっているのでしょう。
小さな町に彗星が降る ― 2020年07月30日 07時17分54秒
もうじき7月も終わり。
今月はネオワイズ彗星の話題で、星好きの人たちは盛り上がっていましたが、いかんせん曇天続きですし、町中から鮮やかに見えるほどではなかったので、私は結局目にすることができませんでした。その代わり、小さな画面にその姿を偲んでみます。
家並みの上に広がる漆黒の空。そこを音もなく飛ぶ彗星。
指輪をする習慣はありませんが、その静かな光景に魅かれるものがありました。
オニキスに人造オパールを象嵌したもので、ナバホ族の人の「インディアン・ジュエリー」から派生した現代の作品と聞きました。したがって、モチーフとなっているのも、アメリカ南西部の伝統集落(プエブロ)らしいのですが、そこまで限定することなく、どこか「心の中にある小さな町」と見ておきたいです。
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それにしても、疫病と長雨続きの中、昔の人なら彗星を凶兆として大いに恐れたでしょう。そこはやっぱり世の中が開けたのかな…と思います。願わくは、そうした難事に処するための方策の方も、十分賢にして明なものであってほしいです。
星座ボタン ― 2020年06月12日 20時41分46秒
星座の範囲がカクカク定まって、科学がずんずん先に進んでも、人々の星座観は旧来のイメージを引きずっていて、その辺は今でもあまり変わりがなさそうです。(そもそも星座という存在が古代の残滓なので、古めかしくて当然です。)
上の写真に写っているのは、星座絵のガラスボタンです(直径2㎝)。
売ってくれたのはカリフォルニアの人ですが、ガラスボタンといえばチェコなので、元はチェコ製かもしれません。黒いプレスガラスに手彩色で仕上げてあります。
(ボタンの背面)
時代はよく分かりません。1930年代かもしれないし、1950年代と言われれば、そんな気もします。20世紀前半~半ばのものと言えば、大体当たっているでしょう。
それにしてもこのボタン、遠くから見たら何だかよく分からないし、近くから見てもやっぱり分かりません。至近距離でじっと見つめて、初めて星座の絵柄が分かるので、こうなると江戸小紋の美学みたいなものです。西洋の人も、こういうのを「粋」と思うんですかね。
ハレー彗星来たる(その2) ― 2020年02月02日 11時18分29秒
17世紀は「科学革命の時代」と持ち上げられますが、その一方で魔女狩りもあり、ペスト禍もあり、地球規模で寒冷な時期だったせいで、人々は素寒貧だったし、ヨーロッパの王様は戦争ばかりやってたし、まるで中世の再来のように暗い面がありました。
ハレー彗星は17世紀に2回来ています。すなわち1607年と1682年です。
それが人々の心にどんなさざ波を立てたのか、詳らかには知りませんが、1607年の彗星は間違いなく超自然的な凶兆だったでしょうし、1682年のときだって、程度の差こそあれ、人々を不安にしたことは間違いありません。
それが1758年になると、さすがは啓蒙主義の時代、ハレー彗星も「単なる科学ニュース」になっていた…というのが、前回書いたことでした。
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さて、その次は1835年です。
この間に、ハレー彗星のイメージはどう変わったのか?
1835年も、ハレー彗星は立派な科学ニュースでした。その点はたぶん同じです。
でも、それだけではありません。
このとき、彗星は新たに「ファッション」になったのです。
言い換えると、ここにきて彗星はにわかに「カッコいいもの」になったのです。これこそが、19世紀の新潮流でした。
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ブローチのデザインの一種に、「彗星ブローチ」というのがあります。
ジュエリー関係の人は、しばしば1835年のハレー彗星こそ、そのきっかけになったと語ります(これは主にeBay業者の言い分ですが、ハレー彗星コレクターであるスチュアート・シュナイダー氏も、自身のサイトで「ハレー彗星は1835年に、彗星を記念する新しいジュエリースタイルによって歓迎された」と書いているので、おそらくそうなのでしょう。)
手元にあるアメシストのブローチも、1835年当時のイギリス製と聞きました。
イギリスではヴィクトリア女王が即位(1837)をする直前で、「ヴィクトリアン様式」のひとつ前、「ジョージアン様式」に分類される古風な品です。
この形は、一見どっちが頭(コマ)で、どっちが尾っぽか分かりませんが、いろいろ見比べてみると、どうも大きい方が頭のようです。我々は、写真に納まった“長大な尾を引く彗星”のイメージに慣れすぎていますが、たいていの彗星は、尻尾よりも頭の方が明らかに目立ちますから、素直に造形すれば、確かにこうなるわけです。
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その後も彗星ブローチは作られ続けました。
特に意識して集めているわけではありませんが、しばしば目に付くものですから、小抽斗の中には、新古取り混ぜて彗星ブローチがいろいろたまっています。そのデザインは千差万別で、人間の想像力の豊かさを感じさせますが、これは実際に彗星の形が多様ということの反映でもあります。
天空を翔び、胸元を飾るそのフォルムに注目した「彗星誌(Cometography)」を、いつか書きたいと思っているので、彗星ブローチの件はしばらく寝かせておきます。
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話を元に戻して、19世紀に入って、彗星がなぜ「カッコいい」存在になったかですが、その理由はしごく単純で、19世紀の幕開けとともに、一般のホビーとして「天文趣味」が成立し、それがファッショナブルになったからじゃないかなあ…と思います。
市民社会の成立は、多くのホビーを生み出しましたが、その中でも科学的装備をこらして、遥か天界の奥を窺う天文趣味は、何となく高尚で「カッコいい」行為となり、暗夜にきらめく星空はロマンの尽きせぬ源泉となりました(その流れは今も続いていると思います)。
中でも変化と動きに富む彗星は、まさに夜空のヒーローであり、その天空ショーがまた新たな天文趣味人を生むという好循環によって、19世紀は天文趣味が大いに興起した100年となったのです。
(次の回帰は1910年、ハレー彗星はいよいよ時代の人気者となっていきます。この項つづく)
聖ドミニコの奇跡 ― 2019年05月13日 13時22分16秒
今日の主役はペガススではなくて、その下に見えるペン先ほどのメダイ。
ちょっと毛色の変わったものはないかな?と棚を見ていて、昔買った小さなメダイを見つけました。メダイというのは、言葉としては「メダル」と同じものです。カトリックの信徒は一種のお守り感覚で、こういうのをロザリオなんかに付けて、そういうのを日本では「メダイ」と呼び分けるんだそうです。
畑違いのメダイを買ったのは、そこに鋳込まれた人物がちょっと天文と関係するからです。
このお坊さんは、ドミニコ会を作った聖ドミニコ(1170-1221)。
彼は相当偉いお坊さんですが、なぜか天文家(astronomer)の守護聖人ともされており、天文趣味人として、ちょっとあやかろうと思ったわけです。
彼が天文家の守護聖人となった理由は、これを買った8年前には、ネットで調べても分かりませんでした。もちろん、当時も複数の人が話題にしていましたが、結論として「分からない」ということになっていたのです。
でも、さっき調べたら、海の向こうの「知恵袋」みたいなサイトに、その答を書き込んでいる人がいました(→リンク)。2017年7月の回答なので、やっぱりその後ネットに上がった情報なのでしょう。
(質問) なぜ聖ドミニコは天文家の守護聖人なの?
(回答) ドミニコが洗礼を受けたとき、彼の母親が霊夢(vision)を見て、1つの星が彼の胸に輝くのを見たらしいと言われています。
(回答) ドミニコが洗礼を受けたとき、彼の母親が霊夢(vision)を見て、1つの星が彼の胸に輝くのを見たらしいと言われています。
まあ、この回答もどこまで本当かは分かりませんが、そもそも守護聖人というのは、日本の様々な「守護神」と同様、その由来が曖昧なことも少なくないので、今はそういうことにしておきましょう。
「astronomer」を「天文学者」と訳すと、専門家だけのことになってしまいますが、これは広くアマチュアも含む「天文家」の意味ですから、星好きの人は、等しく聖ドミニコのたもとにすがってよろしい(はず)。
ちなみにメダイの反対側には、20世紀の奇跡「ファティマの聖母」が鋳込まれています。
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…という所で、記事を終えても良かったのですが、何か色を添えようと思って、上の「ファティマの聖母」の記事をしげしげ見ていたら、ファティマの町(ポルトガル)の3人の子供の前に聖母マリアが顕現した日こそ、他でもない5月13日でした。
もちろん、これは狙ったわけではなくて、単なる偶然です。
でも、偶然にも「意味のある偶然」というのがありますから、こういうことを経験すると、キリスト教信仰とは無縁の私にしても、何かギクッとするような、妙な心持ちがします。
銀の雪 ― 2019年02月11日 10時36分53秒
今日も広く雪模様。
でも、私の町では雪はさっぱりで、薄雲を通して日の光さえ射しています。
今は結露した窓越しに見る、白くぼんやりした景色に、わずかに雪を思うのみです。
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人は明るい雪景色を「一面の銀世界」と呼び、「白銀が招くよ」とつぶやきながら、いそいそと山に向かったりします。
「銀雪」というのは、もちろん中国生まれの言葉でしょうが、9世紀に編まれた空海の詩文集『性霊集』(しょうりょうしゅう)にも、「銀雪地に敷き、金華枝に発す。池鏡私無し」云々の句があって、日本でもこの語はずいぶん古くから用いられているようです。(大地を覆う純白の雪、日光に煌めく樹上の氷、すべての景色を無心に映して静まりかえる池の面…。こういう芯から澄み切った冬景色を好ましく思うのは、平安時代の高僧も、21世紀の俗人も変わりません。)
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ふと、ほんものの「銀の雪」が欲しいと思いました。
実際探してみると、もちろんスノーフレークをモチーフにした銀製アクセサリーはいろいろあるのですが、結晶の表現がマンガチックというか、ちょっとリアリティに欠けるものが多いようです。
そんな中、この差し渡し2センチほどの小さな結晶たちは、なかなかよくできていると思いました。
1831年、ロードアイランドで創業したアメリカの老舗銀器メーカー、ゴーハム社(Gorham Manufacturing Company)。この銀のチャームは、同社が1970年代にシリーズで発売したもので、手元の品はそれらをチェーンでつないで、ブレスレットに仕立ててあります。
結晶の片面には1970から1976まで、各結晶の制作年が鋳込まれています。
7年間の歳月をかけて、この世界に降り積もった雪のかけら。
磨いてやれば、すぐに元の輝きを取り戻すはずですが、当分はこのくすんだ銀色に時の流れを重ねて愛でることにします。
銀は金と並んで柔らかい金属なので、チャーム同士が触れ合う時も、なんとなく優しい音がします。
日食を愛でる ― 2019年01月07日 21時55分37秒
昨日は部分日食でしたが、私は最後の寝正月を優先したので、頭上の天体ショーを楽しむことなく、寝床でグーグー寝ていました。
何はともあれ、震えるような寒さの中でも、一陽来復の春の到来。
寒期の今だからこそ、お日様を見上げて、巨大な恒星が生み出す膨大な光と熱を想像しつつ、その確かな片鱗が、いま自分の身体に降り注いでいるのだ…と、しみじみ実感することができます(夏場は、とてもそんな余裕は持てないでしょう)。
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日食といえば、最近、こんな素敵な品を見つけました。
真鍮、ピューター、銅、三色の金属素材を組み合わせて作られた「日食ブローチ」(左右の幅は6.8cm)。
ブローチにはこんな説明書も同梱されており、これが見てくれだけでなく、正確に食現象を再現したアクセサリーであることが分かります。天文絡みのイベントに赴く際、こんなのをさりげなく身に着けたら、ちょっと気が利いているかもしれませんね。いわば胸元を飾る天体ショーです。
(綾なす半影と本影、皆既食と部分食)
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