ドラゴンヘッドとドラゴンテール2024年01月24日 05時05分29秒

さらに前回のおまけで話を続けます。
数年前に、アメリカの人からこんなハットピン(ラペルピン)を買いました。

(ピンを含む全長は約8cm)

口を開けて、今まさにアメシストの珠を呑まんとするドラゴン。

(照明の加減で色が鈍いですが、実際にはもうちょっと真鍮光沢があります)

これを買った当時、ドラゴンヘッドとドラゴンテールの話は聞いたことがあるような無いような、あやふやな状態でしたけれど、それでも直感的に「これって何か日食と関係あるモチーフかな?」と思った記憶があります(だからこそ買う気になったわけです)。

今あらためて見ると、アメシストの対蹠点にドラゴンの丸まった尻尾が造形されているのも意味ありげだし、仮にそれが作り手の意図を超えた、私の過剰解釈だとしても、もっともらしい顔つきでそんなふうに説明すれば、たぶん大抵の人は「へえ」とか「ふーん」とか言ってくれるでしょう。

(裏面にもメーカー名や刻印は特にありません)

ここは言ったもん勝ちで、以後、そういう説で押し通すことにします。
そうなれば、この小さなハットピンの向こうには、突如日食とドラゴンをめぐる壮大な歴史と天空のドラマが渦巻くことになるし、私が話を盛らずとも、それは元から渦巻いていた可能性だってもちろんあるわけです。


【付記】

竜(ドラゴン)と日食の件。昨日の記事の末尾で、「識者のご教示を…」とお願いしたら、早速S.Uさんからご教示をいただきました。そして、S.Uさんが引用された、m-toroia氏による下記サイトが、まさにこの問題を論じ切っていたので、関心のある方はぜひご一読ください。


私自身、まだすべてを読み切れてませんが、時代を超え、地域を超えて垣間見られる「天空の竜」の諸相が、豊富な資料に基づき論じられています。

コメント

_ S.U ― 2024年01月24日 08時42分39秒

これまた、素晴らしいお品ですね。宝石は太陽(即ち日食)、尻尾は月(即ち月食、天文学では地球の影)を象徴したものと信じたくなります。

 なお、ドラゴンのヘッドとテールは、それぞれ、日食と月食ではなく、白道の黄道に対する昇交点、降交点として定義されていると考えていいのでしょうか。そうだとすると、その定義は、「日食は月によって起こる。ドラゴンの実体は月の軌道の黄道の南側部分にある」という知識の反映だとなると思います。また、日食は降交点でも起こるので、ドラゴンは、随時尻尾でも太陽を食うことになると今発見しました。

_ 玉青 ― 2024年01月28日 08時28分25秒

>ドラゴンのヘッドとテールは、それぞれ、日食と月食ではなく、白道の黄道に対する昇交点、降交点として定義されている

例のm-toroia氏の記事↓を読むと、
https://toroia.hatenadiary.jp/entry/20161026/1477419379
後段でまさにそのことを指摘されていますね。

西洋占星術では交点(ノード)を指すのに、ドラゴンヘッド/テールの語を使うが、かといって「竜が日月を喰らうことで食が起きる」という神話があったかといえば、ギリシア・ローマ神話にも、聖書にも、ウガリット神話にも、ヒッタイト神話にも、メソポタミア神話にも、北欧神話にも、ケルト神話にも存在しない。では、いったいなぜ竜が登場するのか?…というところから、氏の探求は始まっています(竜の尾と頭を追跡する1)。

そして文献を博捜する中で、「西アジアのシリア語文献では7世紀から数世紀のあいだ、食を起こす竜についての微妙にずれたいくつかの観念が語られていたようである。しかし9世紀以降になると、それ以前はシリア語が影響を与えていたアラビア占星術の影響が逆に強くなっていき、結局名称だけが残った」(同上6)という推測に行きついておられます。さらに同時期のゾロアスター教の神話文献にも、竜と食を結びつける観念が語られていたことを指摘され(同上8)、インドのラーフとケートゥの検討に入られたところで、連載は中断しています。(当初はそこからさらにヨーロッパへと論が進むはずでした)。

結局、天空の竜と食が結びついたのは、時代と地域でいえば、紀元後千年紀半ばの西アジアであり、そう古い時代のことではなさそうです。もちろん、月と竜にかかわる物語や、食を引き起こす怪物の説話などは、それ以前からあったでしょうが、ドラゴン・ヘッド/テールに直接結びつく話はそのころ誕生した…ということのようです。

>尻尾でも太陽を食う

あはは、理屈で押すとそうなりますね。
その意味では、前の記事で使わせていただいたドラゴンの図は割といい線を行ってて、双頭の竜とか、2頭の絡み合う竜を空に重ねるといいかもしれませんね。

ときに1つ前の記事にいただいたコメントで、富永仲基の「加上説」の話が出てきましたが、中国の龍神話についても、まさに同じことが言えそうです。ただ、仏説に関しては「お釈迦様が本当に語ったこと」という探求すべき核がありましたけれど、龍観念の方は種のないラッキョウみたいなもので、外皮を向いていくと何も残らないところが違いますね。皮をむく前の総体が龍観念だとみなすほかない気がします。

_ S.U ― 2024年01月28日 11時23分40秒

m-toroia氏の記事の要約ありがとうございます。おかげさまで、かなりすっきり理解できたように思います。理解できたのは、よくわからない難しい問題だ、何が問題かすらはっきりしないような問題だ、ということですが、そういうことは、かなりすっきりわかったように思います。ノンフィクションの史学は、歴史の登場人物や筆記者の気持ちになることによって、駄目ながらもついていく努力ができるのですが、神話の歴史は発想自体が論理が跳んでいて、私にはほとんどお手上げです。

 以下は、私が自分で調べたことを書かれていただきます。

 日月食が起こる天空点=ドラゴンヘッド・テール=羅睺星・計都星の天文理論がいつ成立したかについては、天文学史におけるサロス周期の発見が、理論考察と観測の両面からほぼ同時に行われたとみられることから、サロス周期の発見がそれに当たると考えます。観測と理論の精密化が同時に行われたと考え、それは、新アッシリア~新バビロニア~ミレトスのタレスの時代とすれば、紀元前9~7世紀の比較的狭い期間に集約されます。なお、サロス周期について、私がかつて同好会誌に書いたものを上のURLに引用しておきます。

 これに対して、お釈迦さんが自分の子どもで弟子である人に「ラーフラ(羅睺羅)」と名前をつけていることがひっかかります。ウィキペディア「羅睺羅」等によると、この命名の第一義的な意味は、「(お釈迦さんの人生の)障碍」あるいは「(子どもの生誕時の)月食」という意味からつけられたらしく、この時代(ラーフラの誕生は、紀元前606年頃とみられる)にすでに、羅睺が星名で「障碍」となって食を起こすという理論が確立していたとみられることです。また、ウィキペディアでは、同時に「ラーフ」に「龍(ナーガ)の頭」の意味があった(説4)としています。時代的に物事の進み方が早すぎるように思います。
 おそらく、「ラーフ(ラ)」が星名や「龍の頭」になったのはもっと後代で、ウィキペディアの多くの説は仏教の伝承の「加上」なのでしょう。でも、それにしても、王族の跡継ぎの大事な子どもが「ラーフラ」と命名されたことは事実でしょうから、それがラーフラが生まれたより後の世に(まさに王族にふさわしい)天上の星や龍頭を意味する名前になったというのは、偶然が過ぎるように思います。(「ラーフラ」という名前自体が加上ならわかりますが)

_ 玉青 ― 2024年01月29日 20時40分30秒

むう…サロス周期とラーフラですか。これはだいぶ話が煮えてきましたねえ。
どうもこのままいくと、いくぶん新春大放談の気味合いが生じてきますから、一月尽とともに、この辺でいったん語り収めとしましょう。(まあ立春とともに新たな放談が始まるかもしれませんが・笑)

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