水晶山を越えた先に ― 2019年06月08日 15時16分50秒
ここ一週間は、石の話題が続きました。
最初は時計荘さんのイベントの話題からで、その際、メキシコの巨大水晶の洞窟と小さな水晶の群晶の写真を並べました。
あの洞窟をゆく探検家に、小さな水晶山に分け入ってもらうと、こんな感じになります。
私はこういう空想をするのがわりと好きで、写真の切り貼りこそしませんが、心の中ではしょっちゅうそういう像を思い浮かべます。そして、そこからボンヤリと、それに続く物語を展開させたりします。
(Water Droplet. (C) fir0002 flagstaffotos [at] gmail.com)
あるいは一滴の水玉のうちに、宇宙の生成消滅を思い浮かべてみたり。
何だか幼い気もしますけれど、そういう空想をする人は、わりと多いでしょうし、これは間違いなく人間の自由さの表れでもあります。人間は――少なくともその精神は――空間と時間の枠を超えて、同時に複数の場所に存在できるし、複数の経験をすることができるのです。
…というようなことを、余命が乏しくなってくると、しきりに考えます。
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