火星来たる(3)2016年07月03日 07時18分00秒

故郷の火星を飛び出して、宇宙空間を放浪し、地球に捕捉されて落ちてくるまで。
隕石が語り出せば、長い思い出話をしてくれることでしょう。

それにくらべれば、ずっとささやかですが、隕石が商品として流通する過程にも、いろいろ有為転変のエピソードがあるものです。


この品は、フランスの隕石ディーラーから買いました。
これは1997年に、12,000個作られたうちの1つで、通販専門チャンネルのQVCで売られたものだそうです(発売当時は、「Mars Owner’s Manual(火星オーナーの手引き)」というパンフが付属していましたが、手元の品にはありません)。

こう聞いただけでも、実に商魂たくましい、人間臭い背景がうかがえると思います。

1997年にこれを売り出したのは、Darryl Pittという人で、私はピット氏のことは何も知りませんでしたが、ネット上を徘徊しているうちに、次のような興味深い記事を見つけました。1997年11月18日付けの、ニューヨークタイムズの記事です(意味の取れない箇所が複数あったので、以下、かなり適当訳)。

Where Prices Are Out of This World (途方もない値段がつくところ)
  http://www.nytimes.com/1997/11/18/us/where-prices-are-out-of-this-world.html

 アリゾナ州ペイソン。マーヴィン・キルゴアは、探鉱者たち――金の粒を求めてアメリカ南西部中をくまなく探し回った武骨な男たちの流れを汲む者だ。
 
 「俺は言葉を覚えるよりも早く、金を探していたよ。」あたりにメスキートやチョヤサボテンが繁る、フェニックス近郊の、ここシエラ・アンチェス沙漠を歩きながら、キルゴア氏は言った。彼は片手につるはし、もう片方の手には金属探知機を持ち、汚れたテンガロンハットが、その顔に影を落としている。「俺の脳味噌はいつも石のことでいっぱいさ。」

 このところ、キルゴア氏(42歳)の心は浮き立っている。金のせいではない。隕石のせいだ。彼は金鉱探しをやめて、地球大気を通って焼けつくような旅を経験した、この貴重な天体に鞍替えしたのだ。

 その美しさと希少な成分を賞される標本の中には、1グラム――1オンスのわずか28分の1――当たり500ドル以上の値を付けるものもある。さらに火星からやって来た隕石(回収された隕石のうち、それはわずか12個に過ぎない)ともなれば、その値段は1グラム当たり1,000ドル以上に跳ね上がる。キルゴア氏は最近チリの沙漠まで旅したが、そこで隕石から得た収入は、1日あたり2,000ドルだった。

 「こいつは薄汚れた黒い石ころに見えるかもしれない。でも、どんな金ぴかの奴よりも、こいつの方がいいのさ。」と彼は言う。

 去年の夏、マーズ・パスファインダーが火星に着陸したことや、火星の隕石から原始的生命の痕跡が発見されたこと、さらに宇宙の塵(cosmic detritus)の価格が天文学的上昇を見せていることにより、アメリカ人は、今や熱い隕石ブームに巻き込まれつつある。1836年にナミビアで発見された鉄隕石――高さ16インチで並外れた曲線美を持っている――は、3年前に2,000ドルで売却されたが、去年オークションに出た際は4万ドルの値を付けた。

 惑星間を漂う物質の商いは、今や天井知らずである。ロレン・ヴェガは、通販専門チャンネル「QVC」で売られた火星隕石を、1個90ドル支払って買った4,000人の視聴者のうちの1人だ。彼が買ったのは、ナイジェリアで見つかったザガミ隕石の細粒入りの赤いキャップの小壜が、アクリルキューブ中に浮かんでいる品である。


 ニュージャージー州フランクリン・パークのレントゲン技師、ヴェガ氏(39歳)は語る。「テレビ番組で火星の写真を見ながら、『もしあの惑星の小石1個でも手にできたら、どんなに嬉しいだろう』と、私はひそかにつぶやいたんです。」

 まだキューブが届く前から、ヴェガ氏は書斎の棚にそれを置くための専用スペースを用意した。アラスカで手に入れた、毛の生えたマンモスの牙の化石と、ニューヨーク訪問中に買い入れた古代シュメールの石板のかけらの中間だ。

 マンハッタンのアッパーウエストサイドにある博物系ショップ「マキシラ&マンディブル(Maxilla & Mandible)」では、隕石のかけらを、ペンダントに加工した並品59ドルから、ウエハース大の火星隕石の切片2,000ドルまで販売している。

 「別の世界からやってきた品を所有するという考えに、人々は憑り付かれつつあるんです。」と、ショップオーナーのヘンリー・ガリアノは言う。「隕石は干し首の隣に置きたくなるような品なのでしょう。」

 ガリアノ氏は、総額3万ドルの隕石を昨年販売したが、買い手の中には、株よりも有利な投資先を探している者もいるという。「そういう人に、私は隕石を勧めるんです。絶対に大損はしませんからと。」

 しかし、最後には重力がものをいって、その価格も地に落ちるのではないかと懸念する業者もいる。「正直言って、そのうちバブルがはじけるんじゃないかと心配です。」と語るのは、コロラドの隕石蒐集家で、販売も行っているブレーン・リードである。「マーケットはいささか制御不能に陥っているように思います。」

 このブームは誰からも歓迎されているわけではない。青天井の価格上昇によって、趣味をあきらめざるを得ないコレクターもいるし、多くの科学者は標本マーケットに価格破壊をもたらした業者を呪っている。

 「こうした貴重な素材がスライスされ、イヤリングやアクセサリーに加工されるなんて、まったく恥ずべきことですよ。」と、テネシー大学地質学教授で、1,000人の会員を擁する隕石学会前会長のハリー・マクスウィーンは言う。「我々が隕石から学ぶべきことは、まだまだ多いのです。しかし、今のような状況では、博物館や科学者が真に重要なものを買うことはできません。我々はこの手の競争に不慣れなのです。」

 ニューヨークで音楽会社を経営するダリル・ピット(42歳)は、個人としては世界最大の隕石コレクションの1つを所有しており、彼こそ隕石マーケットをその頂点にまで持って行った人物かもしれない。

 2年前、ピット氏とそのパートナーは、1962年にナイジェリアで発見されたザガミ火星隕石(元の重さは40ポンド)から取った、握りこぶし大(400グラム)の石板を入手した。ピット氏は数か月かけて、その大きな塊を、販売に適した粒状にする方法を発見した。マンハッタンに製剤用具を備えた診療室を構え、最初は隕石の一部を粉状にしてしまったせいで、何千ドルも損をしたが、最後にはそのプロセスをマスターし、彼は2.5インチ角のアクリルキューブに入った微粒子を売り出した。


 このコレクター向けキューブの中身が、“車道の砂利”のように見えることはピット氏も認めるが、彼はこの“宇宙のパン粉”の販売こそ、消費者平等主義を促進する行いだと雄弁に語る。「金持ちだけが自分専用の火星のかけらを所有できるなんて、そんなことがあっていいのでしょうか?」と彼は言う。

 恐竜の化石とは異なり、多くの隕石は科学的価値や金銭的価値を減ずることなく分割できると、ピット氏は主張する。しかし、彼は多くの科学者の非難を浴びている。

 「隕石は複合的な物体であり、全体として研究されるのがいちばんです。」と、ヘイデン・プラネタリウムの学芸員であるマーティン・プリンツは言う。「端っこならちょっと削ってもいい、とはいかないんですよ。」

 とはいえ、隕石採集の経済的誘因が強まることは、もしそうでなかったら見過ごされたであろう隕石が見つかる可能性を高めると考える研究者もいる。「私はこの手の隕石屋が大っ嫌いなんですが、でも石を求めて何か月もサハラ砂漠をふるいにかけて歩こうなんていう人間は、結局あの連中ぐらいのもんでしょう。」と、匿名を条件に語ってくれた有名な某地質学者は言う。「せいぜい望みうるのは、彼らが見つけたものの一部と、あなたが余分に持っているものとを、彼らが交換してくれることでしょうね。」

 ニューヨーク在住の、フィリップス・インターナショナル・オークショナー社のオークション担当者で、評価鑑定人でもあるクローディア・フロリアンは、蒐集対象として隕石に対する関心が高まっていることに気づいた最初の一人である。2年前、彼女はフィリップス社として最初の隕石オークションを手がけ、30万ドルの売り上げを記録し、さらに2回目のオークションでは、売り上げは70万ドルに達した。

 「すべての標本が驚くようなストーリーを秘めています。」と彼女は言う。

 実際、魅力的なストーリーを秘めていればいるほど、その石の価値も高まる。5年前、ニューヨーク州ピークスキルで1台のシボレー・マリブを直撃したソフトボール大の隕石は、その組成に特に変わった点はなかったにもかかわらず、後に3万9,000ドルで売れた。

 フロリアン氏は、芸術的オブジェとして星間物質を熱狂的に愛しているものの、投資の対象としては推奨しない。「あなたも、たぶん地道に株をやったほうがいいと思われるでしょうね。」

 マーヴィン・キルゴアは隕石で金持ちになるつもりはないと言う。「俺は隕石を探し出して、そいつを眺めるのが大好きなのさ。もっとも、世界中旅を続けようと思ったら、見つけた物のいくつかは売りはらう必要があるがね。」と彼は言う。

 ペイソンにある隕石でいっぱいのリビングルームで、繁盛しているメールオーダービジネスを切り盛りしていないとき、彼と妻のキティは、二人して地球の果てまで新たな物質を求めて歩き回る。

 「何日たっても、何一つ見つからないこともあるよ。」と彼は言う。「だけど、言ってみりゃ金鉱にぶち当たるような時もあるのさ。」

   ★

これを読んで、例のキューブ誕生の詳細や、隕石ブームに沸いた当時の世相を、まざまざと知ることができました。このキューブは、火星の素顔ばかりでなく、当時の熱気を伝える「文化史的資料」でもあったのです。さらに、1990年代はヴンダーカンマー・ブームのはしりでしたが、隕石はその文脈で語られていた節もあることが分かりました。

気になるのは、20年経った現在、隕石マーケットがどうなっているかですが、その辺は事情にうといので、よく知りません。

それにしても、人が隕石に注ぐ視線の何と人間的なことか。
金銭的欲望は言うまでもありません。
そして宇宙への憧れも、それに劣らず人間的な感情だと思います。
おそらく或る高みから望めば、両者にあまり隔たりはないでしょう。



火星来たる(2)2016年07月02日 08時58分24秒

今週はバタバタして、記事が書けませんでした。
そしてバタバタしているうちに、今年も既に半分終わり、何だか気ばかり焦ります。

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さて、火星にちなむものとは何か?
それはタイトルのとおり、火星そのものです。
火星にちなむものとして、これ以上のものはないでしょう。

   ★


窓辺に置かれた、62ミリ角のアクリルキューブ。
その中に小さなガラス壜が封じ込められています。


この壜の中に、0.1カラット(20ミリグラム)の火星の断片が入っている…というのですが、はたしてどんなものでしょうか。

   ★

よく「月の石」というのを、理系グッズの店で見かけます。
近年、南極での発見例が多いですが、地球に落ちてくる隕石のうちのいくつかは、成分分析の結果、月起源と推定されており、それをディーラーが入手して、砕片にしたものが、商品として流通しているわけです。(素性の確かな品も多いでしょうが、中にはかなりアヤシゲなのもあって、一種のジョークグッズとして扱われている気配もあります。)

あれの火星版があって、上の品もその1つです。
火星は何といっても月より遠いですし、その一部が――他の隕石が衝突した衝撃などによって――引力圏外に飛び出すための初速も、月よりずっと大きいので(月の脱出速度は秒速2.4km、火星は5.0km)、いきおい火星隕石は月隕石よりも数が少ないです。

   ★

火星隕石について、NASAのジェット推進研究所のページから引用(青字部分)してみます。

■Mars Meteorites (by Ron Baalke)
 http://www2.jpl.nasa.gov/snc/index.html

これまで地球上で発見された約6万個の隕石のうち、火星起源のものと同定されたのは124個に過ぎない。1996年8月、NASAがこうした火星隕石のうちの1つに、微小化石の痕跡が存在するらしいと発表した際、この希少な隕石群は世界中に波紋を呼んだ。
下表は、同類の隕石をまとめて、ほぼ発見順に並べたものである。

…とあって、表は省略しますが、1815年にフランスで見つかった「シャッシニー隕石」から、2004年にアルジェリアで見つかった「NWA(North West Africa)2626隕石」までが、リストアップされています。

件の小壜の隕石は、1962年にナイジェリアで発見された「ザガミ(Zagami)隕石」というのに該当し、その解説(http://www2.jpl.nasa.gov/snc/zagami.html)をさらに読んでみると、

隕石名: ザガミ
発見地: ナイジェリア、Katsina地方、ザガミ
落下日時: 1962年10月3日
隕石タイプ: シャーゴッタイト(SNC)

1962年10月のある午後、トウモロコシ畑でカラスを追っていた1人の農夫のすぐそば、わずか10フィートのところに、この隕石は落下した。農夫は恐ろしい爆発音を聞き、圧力波に打ちのめされた。ドーンと煙が上がり、隕石は深さ約2フィートの穴にめり込んでいた。ザガミ隕石の重さは約18kg(40ポンド)あり、これまでに発見された単独の火星隕石としては最大のものである。

隕石はKaduna地質調査所に送られ、その後ある博物館に収蔵された。何年か後、隕石ディーラーのRobert Haagが、ザガミ隕石の大部分を入手した。個人コレクターにも手が届くSNC隕石として、ザガミ隕石は最も入手が容易なものである。

…というわけで、このザガミ隕石が人の手から手へと渡り歩くうちに、あたかも土地が徐々に細分化される如く、果てはこんな細かい砂粒となって、私のところに届いたわけです。

   ★

ときに、上の引用中「シャーゴッタイト(SNC)」という言葉が出てきました。
隕石にも「隕鉄」とか「石質隕石」とかいろいろありますが、シャーゴッタイトは、石質隕石のうち「エイコンドライト」と呼ばれるグループに属するもので、主成分は輝石と長石です。

そして、エイコンドライトのうち、共通する特徴を持った、シャーゴッタイト、ナクライト、シャンナイトの3種の隕石を、まとめてSNC(スニック)と呼びます。

SNCが注目されたのは、形成年代の顕著な若さ(2000~3000万年前)と、母天体の火山活動に由来するらしいその成分です。この点から、SNCは最近までマグマ活動をしていた惑星に由来するものと推測され、さらに火星探査の成果として、その希ガスの含有量や同位体比を、火星の岩石と直接比較できるようになったおかげで、これは間違いなく火星由来のものだろう…と、言えるようになったのだそうです。

(上の記述は、F.ハイデ/F.ブロツカ(著)『隕石―宇宙からのタイムカプセル』を参考にしましたが、1996年に出た古い本なので、ひょっとしたら、現在の理解とは違うかもしれません。)

   ★

火星隕石についてざっと事前学習したところで、手元の品の「人間的側面」も含めて、さらに話を続けます。

(この項つづく)

或る夜の事件2016年02月18日 20時45分56秒



部屋のドアを開けたら、


お星さまが立っていた。

…と、タルホの『一千一秒物語』風に書きたいピンバッチ。

高さ2.5cmほどのかわいいサイズですが、ちょうつがいでドアの開け閉めができる仕掛けになっています。

   ★


刻印に見られるJJこと「Jonette Jewelry」は、1935年に創業し、2006年に廃業した米ロードアイランド州のアクセサリー・メーカー。そのカジュアルで多様なデザインから、熱心なコレクターも多いと聞きます(以上、ネット情報の切り張り)。
なお、上のピンバッチは1980年頃の製品だそうです。

天の星、地の星2016年01月06日 06時58分36秒

自然との再会…と言ったそばから何ですが、人間臭いものに引き寄せられる性情は容易に改まらないもので、天上で光を放つ星と同時に、こんな↓星を見れば、やっぱり興味をそそられますし、しばし見入ってしまいます。


1910年頃のフランスの絵葉書。
最初見たときは、何だかさっぱり分かりませんでしたが、絵葉書の左肩には、
 
 CARNAVAL D’AIX (エクスの謝肉祭)
 L'astronomie sur l'étoile filante (流れ星の天文学)

という文字が見えます。

「エクスの謝肉祭」とは、南仏プロヴァンスの町、エクサンプロヴァンス(Aix-en-Provence)で春先に行われるお祭りで、今も賑やかに山車や人形が練り歩くのだそうです。この奇抜な山車も、ほぼ百年前、その出し物の1つとして作られたのでしょう。


めかしこんだ馬が引っぱる星のハリボテをよく見ると、真ん中には流星の女神様がいて、それをトンガリ帽子の天文家たちが、四方から望遠鏡で眺めている…という場面構成。山車の裾を覆う幕も、飛行機に三日月と、空と縁のある柄になっているのが微笑ましいです。

   ★

なんぼ私でも、このハリボテと、遥けき天体が等価だというつもりはないんですが、面白さという点では、なかなか劣らぬものがあります。(ここでさらに、「1枚の絵葉書にも、大空の如き興趣あり」…とか言い出すと、話がちっとも前に進みませんが、まあそれはそれ、これはこれでしょう。)

京都博物行(6)…ラガード研究所にて2015年07月17日 18時35分13秒

コンチキ コンチキ コンチキチン。
祇園祭のことを思うと、いろいろな日々の憂いも、すべて夢のような気がします。
栄華も戦乱も越えて響くお囃子の向うにあるのは、人間の勁(つよ)さでしょう。
人間とは勁いものです。

   ★ 

さて、脳内の暦によれば、今は7月5日。
ウサギノネドコさんで、バス乗り場を教えていただき、京都の町中をバスで移動。
これは京都に限りませんが、バス路線というのは、外来者に非常に分かりにくいので、バス一本で移動できることが分かって、大助かりでした。緑したたる京都御所の北、冷泉家住宅の脇を通って、洛東・北白川にのんびり向います。

ラガードさん訪問は2回目ですが、今回も目指すビルが分からず、その前をウロウロすること数度。外から見えるところに看板がないので、場所は非常に分かりにくいです。秘密基地というか、秘密結社というか、とても「秘密」の似合う店です。

■Lagado研究所 http://lagado.jp/index.html

大体、上のサイトの「ABOUT」のページ(http://lagado.jp/about/index.html)は、アバウトすぎて、全然aboutになってないし…というところからも、このお店(とオーナーの淡嶋さん)の性格はよく分かるのです。

しかし、それこそが魅力で、最近いろいろ屈託している私が、今回ぜひ再訪したかったのも、そういう力の抜けたところに触れたかったからなのでした。まあ、あんまり「癒しの空間」などという表現を安易に使いたくはありませんが、私にとってのラガード研究所はまさにそうした意味合いの場所です。

ちなみに前回の訪問記録は以下。

千年の古都で、博物ヴンダー散歩…ラガード研究所(1)、(2)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/10/27/
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/10/28/

カウンターで淡嶋さんにコーヒーをごちそうになりながら、ふと目の前を見たら、こんな紙片が束になって置かれていました。


ペルセウス座流星群観察会
「おや?」と裏返すと、そこにはササッとこんなお知らせが書かれていました。


この紙片は、来月鴨川で予定されている流星群観察会の告知用DMなのでした。
なんと1枚1枚、すべて淡嶋さんの手書き。

「消しゴムで消せるDMがあっても面白いかと思って…」

むう、常ならぬ発想です。
「手書き風」DMはあっても、本当に手書きする人は少ないでしょう。淡嶋さんは別にウケを狙ったり、パフォーマンスを企てているわけではなくて、真面目にこういうことをするので、だからこそ人を惹きつけるし、私も好きなのです。


研究所で淡嶋さんと交わした個人的な会話はさておき、ラガード土産を見ながら、あの空間を反芻してみます。

(この項つづく)

流星ラジオの流れる夜…カテゴリー縦覧:流星・隕石編2015年03月09日 07時00分06秒

流星モチーフの切手は、ありそうで意外に少ないです。
下は、1957~58年の「国際地球観測年」を記念して、旧ソ連で出た切手。


左側は望遠鏡による太陽観測、右側は流星の電波観測を描いたもの。
夜のしじまを破り、星空を切り裂いて飛ぶ大流星が見事です。
観測者のレシーバーも、さぞ大きなノイズを拾ったことでしょう。

   ★

「地球観測年」は、英語だと「International Geophysical Year」で、普通に訳せば「国際地球物理学年」です。その観測対象は、地上や地下の現象はもちろん、気圏を超えて磁気圏の現象にまで及んでいました。流星の観測は、たぶん高層大気の研究と結びついていたのだと思います。

ちなみに、南極の昭和基地は、この地球観測年に合わせて建設されたそうです。
また、おなじみのヴァン・アレン帯が発見されたのも、地球観測年の成果だということを、先ほどウィキペディアを読んで知りました。


【付記】
標題が毎回「カテゴリー縦覧」で始まるとうっとうしいので、サブタイトルを前に持ってくることにしました。

聖星夜2014年12月24日 06時30分45秒



 夜と昼が交錯する、不思議な明るさをたたえた空。
  ゆるやかな丘陵に、一人立つ樅の木。
   その上を音もなく飛ぶ、流星の白い軌跡。

私の好きな戸田勝久さんの絵葉書です。

氏の絵は、すぐれて具象的な中に、豊かな幻想性を盛った、透明感のある作風を特徴としますが、同時に氏は神戸の人であり、「星を売る店」や「星を造る人」など、足穂を題材にした作品を多く手がけられている点も、心を惹かれます。

上の絵葉書のタイトルは「GENTLE NIGHT」。
ベルリンのメーカーが発行したものです。

   ★

それではよいクリスマスを。

爽やかな星空、爽やかな日食2014年05月30日 06時54分24秒

エライ目にあいました。
メールソフトがうまく動かないなら、データのバックアップを取って、アンインストール→再インストールで楽勝…と思ったのですが、そのための作業がいちいち難渋して、万策尽きました。

しかし、XPからwindows8に乗り換えて以来、とんとご無沙汰だった「システムの復元」にふと思いが至りました。さっそく試みると、その過程でCドライブ上にデータの破損箇所があることが判明。どうやら、不調の根本原因はそれだったようです。その修復もした上で、システムを復元したところ無事復調。杖の一振りで万事もとに戻せる魔法使いになった気分です。

   ★

さて、前々回のつづき。
天文古書に関して、美しい本や愛らしい本はいろいろ思い浮かびますが、「爽やかな本」となると、すぐには出てきません。でも、下の本はまさにそう呼ぶのがふさわしい気がします。


H. J. E.Beth
  Van Zon Maan en Sterren 『太陽・月・星』
  Almero., W.HIlarius Wzn. ca. 1930.
  16mo, 38p.

ちょうど日本の新書版サイズの、表紙からして実に可愛らしい本。


オランダ語なので内容は想像するしかありませんが、この本に爽やかな印象を与えているのは、その明るい色使いです。


かつて、これほど爽やかな日食の光景があったでしょうか。
もちろんこの画工は日食をじかに見たことがなかったはずですが、作者もこの絵にあえて文句を付けなかったところを見ると、この絵が気に入っていたのでしょう。
あくまでも青い空に、白いコロナをまとった黒い太陽。緑は鮮やかに濃く、辺りは光にあふれ、静かで穏やかで…。




星図も、月の満ち欠けも、妙にきっぱりとした色使いで、そこにはおよそ迷いというものが感じられません。


草原の上でパッとはじける火球。


淡い菫色の空を照らしだす、この黄道光の絵も実に爽やかな印象です。

   ★

この本が描くのは一切の苦しみがない世界であり、これは一種の浄土絵なのかもしれません。

八月尽と流星2013年08月31日 13時38分38秒

「八月尽(はちがつじん)」は、八月の終わりを指す俳句の季語。
歳時記では初秋に置かれていますが、気分的にはまさに夏の終わり。

 人気のなくなった砂浜に打ち捨てられた麦わら帽子、
 空っぽの虫かご、
 下葉に黄色いものが交じってきた山の木々、
 キラキラ輝く夏の思い出が、文字通り「思い出」に転ずるとき―。

なんとなく祭りの後の寂しさに通じる哀感を漂わせる語句です。

今年の異常な猛暑で、秋の訪れを心待ちにしていた人も多いと思いますが、それでも猛暑は猛暑なりに、やっぱり一種の高揚感めいたものがあったような気がします。

私はあと何回、夏を迎えることができるのだろう…
そして、あの親しい人たちはいったい…
そんなことも、この頃は気になりだしました。

   ★

歳時記で「八月尽」の句を探しましたが、あまり心に残る句は見つかりませんでした。
でも、1枚ページをめくったら、流星」がやっぱり初秋の季語であるのを発見。
流星と秋…なんとなくつながるような、つながらないような…。

  星のとぶ もの音もなし 芋の上    青畝
  死がちかし 星をくぐりて 星流る    誓子
  流星や 黍〔きび〕に風ある 門畠   立葵

流れ星は四季を通じて飛びますが、そのかすかな涼感に、秋を感じるということでしょうか。

(オリオン座の下をかすめる流星。1930年代のステレオ写真。)

   ★

記事の方は「天体議会」をしばし離れて、製図ペンの話から、さらに製図用具周辺の話題に移る予定です。

天体議会の世界…鉱石倶楽部幻想(1)2013年08月13日 20時35分36秒

最近、毎日のように夜中に目が覚めます。

今朝がたも3時頃にパチッと目が開きました。ご承知の通り、今日はペルセウス座流星群の極大日でしたから、ブラインドを上げ、そのまま床に横になって、窓の外をじっと眺めていました。空は美しく澄み、ほどなく明るい流れ星が1つ、スーッと空を横切りました。しばらくすると、こんどは小さな流れ星がスッと飛びました。でも、それっきり空は沈黙してしまい、私もまたいつの間にか眠りに落ちていました。

ビギナーズラックというのか、どうも最初は調子よく事が運ぶのに、後が続かないことってありますよね。今回もそれに近かったですが、でも、そのせいで、いっそう最初の流星の美しさが印象に残ったともいえます。

   ★

さて、「天体議会」のつづきです。

「八時前か。ひとまず朝食をとるっていうのが理想だな。どうせきみは抜いてきたろう。」
「いつもどおりさ。」
「ぢゃあ、きまりだ。」
水蓮は、銅貨の肩に軽く腕をまわして歩きだした。(p.20)

こうして二人は、ある場所へと向かいます。

彼らの行くところといえば、ただひとつ〔原文3字傍点〕にきまっていた。放課後、必ずといってよいほど足を向ける鉱石倶楽部のことだ。(pp.20-21)

(理科教具の老舗、前川合名会社()の昭和13(1938)のカタログより)

鉱石倶楽部―。
この第1章の章題にもなっている場所こそ、この小説において、理科趣味濃度が最も高い場所です。そこがどんな所かは、これまで何度も引用した記憶がありますが、これは何度繰り返しても良いので、また掲げます。


 名前のとおり、鉱石や岩石の標本、結晶、化石、貝類や昆虫の標本、貝殻、理化硝子などを売る店で品揃えは驚くほど雑多で豊富だった。この倶楽部で一日じゅう暇をつぶす蒐集家のため、麺麭〔パン〕や飲みものを注文できる店台〔カウンター〕もあった。

 鉱石は少年たちの小遣いで買える程度のものもあれば、羨望のまなざしを注ぐだけの高価なものまである。彼らは主に、比較的手に入れやすい鉱物の結晶を集めていた。方解石、クジャク石、ホタル石などの結晶は掌にのせて眺めるのも、光を透して屈折させてみるのも面白く、銅貨も水蓮も毎月、小遣いのほとんどをこの倶楽部で費やしている。(p.21)


弱冠13歳にして「行きつけの店」があるというのは、生意気ですが、羨ましい。
まあ、それはともかくとして、鉱石倶楽部は鉱物をはじめとする理科アイテムを揃えたショップなのですが、そこは決して明るく整然とした店ではありません。むしろ暗くて雑然としています。ただ、そのたたずまいには、作者・長野氏の美意識が凝縮されていると感じられるので、以下も何度目かの引用になりますが、店内の様子を見てみます。


 天井は伽藍のように高く、よく磨かれた太い柱で支えられている。柱は濃い朱色をしており、見たところでは石材か木製か判別しにくいが、手を触れてみれば芯まで冷たく、石でできていることがわかる。

 回廊をめぐらした二階があり、欄干は浮彫りの唐花〔とうか〕模様を施した重々しい構造で、花崗岩〔みかげ〕の床や天窓のある建物に、妙に合っていた。中央に、これも欄干に合わせて木製の階段が迫りあがるように急な勾配で二階までのび、昇りきったところに、幾何学模様の重厚な布が吊るしてある。或る種、博物館のような黴〔かび〕くさい雰囲気と、ガラン、とした広さが同時にあった。硝子戸棚や陳列台は互いに重なり合うように並んでいる。

 標本やレプリカ、さまざまな模型やホルマリン漬けの甲殻類などが、硝子戸棚に詰めこまれている。扉を開けた途端、荷崩れしそうな具合で、机の脚の下や階段の下には未整理のまま、荷箱に入れてあるだけの鉱石や貝殻が、数えきれないほど放置してあった。(p.24)


この古びた重厚なムード。現実世界でいうと、たぶん戦前の博物商や理科器具商が最もイメージ的に近い存在でしょう。あるいは昔の学校の博物標本室とか。


(同じく前川のカタログ口絵より。店舗全景と陳列場の一部)

ここで、話をそちらに持って行ってもいいのですが、先週の出張の合間に、鉱石倶楽部の姿を追って、あるお店と博物館を訪ねたので、そのことを書きます。

(この項つづく)


【※自分自身のための瑣末な注
 伝統ある同社は、その後「前川科学」へ、さらに「マリス」へと社名変更した後、ひっそりと店を閉じた…と思っていたのですが、下のページによれば、現在の「(株)リテン」と、どうやら系譜的につながっているようです。

午後の理科室:理科「教材・教具」関連会社
 http://www.eonet.ne.jp/~sugicon/gogo/01kyoto/company.html