暑さ寒さも…2024年09月21日 05時37分36秒

あれ?と思ったことがあります。

   ★

「立秋」が、8月の暑い盛りに来ることへの違和感を述べた以下の記事。

(今や立秋は大本営発表か? 元記事はこちら【LINK】

そのコメント欄で、常連コメンテーターのS.Uさんが、「立秋とは夏至と秋分の真ん中の日」とシンプルに説明すればよい…という提案をされました。つまり、「風の音にぞおどろかれぬる」とか、そこに何か季節感を求めるから話がおかしくなるので、純粋に天文学的事実のみに基づいて立秋を説明したほうが、大方の理解が得られ易いだろうというご指摘です。

それに対して、私は「いっそのこと春分・夏至・秋分・冬至を季節の区切りにしたほうが、現代の皮膚感覚や言語感覚に合うのでは?」とお答えし、「まあ、言っても詮無いことですが」と付け加えました。

   ★

今回「あれ?」と思ったのは、それは詮無いことでも何でもなくて、そもそも西洋では「春夏秋冬」をそのように定義していると知ったからです。

この事実は、例によって天文学史のメーリングリスト(HASTRO-L)で教えてもらったのですが、当該投稿は以下の記事にリンクを張っていました。Glenn A. Walsh氏による今年の9月20日付けの記事で、「秋は秋分の日曜朝に始まる」と題されています。

■SpaceWatchtower:Fall Begins at Equinox Sunday Morning

その冒頭に載っているのが、二至二分における地球と太陽の位置関係を示した下の図です。

( ©1999, Eric G. Canali. Permission granted for non-profit use only, with credit to author.)

このことは私の知識の盲点だったので、本当に「へええ」と思いました。

まあ「西洋」と一口に言っても、時代も国もさまざまなので、また別の定義や理解もあるとは思いますが(実際、上の記事でもいろいろ説明があります)、日本でも今後は「秋が立つのは秋分の日だぞ!それまでは立派な夏だぞ!」…というのが常識化する日が来ないとも限りません。いや、今年みたいな異常な暑さが続けば、早晩必ずそうなってしまうでしょう。

そうならないことを切に願います。

コメント

_ S.U ― 2024年09月21日 08時48分48秒

>Fall Begins at Equinox Sunday Morning
 これは存じませんでした。この記事によると1990年代の地球温暖化以前からの定義のようですね。「ハロウィーン」が「立冬」に対応すると述べているのも面白いです。実際には1週間ずれているので、古い時代の暦学上の問題があるのかと枝葉末節が気になります。3月21日を春分の日と定義したこととの関係まで遡るのかもしれません。
 この流儀の四季の境界は、いつ、どこで始まった定義なのでしょうか。ヨーロッパの気候変動と照らしての検討ができれば面白いと思います。

 こちら関東平野の中ほどでは、昨日までは連日暑かったですが、今朝からはずっと涼しくなるそうです。まさに、今年の夏は「暑さ寒さも・・・」の通りでした。昨年のような「彼岸過ぎの残暑」はちょっと困りますね。

_ 玉青 ― 2024年09月23日 10時39分08秒

おお、これは興味深いですね。

昔、まだ暦の知識もなかった先史時代、たぶん中緯度地域では汎世界的に、冷たい季節を意味する「冬」と、暑い季節を意味する「夏」を表す語彙がまずできて、次いでその移行期である「春」と「秋」を示す語彙ができたのだろうと想像します(summer やwinterが印欧祖語にさかのぼる非常に古い語であるのに対し、季節名としてのspringやfall,、autumnはそうではないという事実からの想像です)。

その後、太陽の精密観測から暦が生まれ、春夏秋冬の概念が二至二分から再定義されるようになり、二至二分自体をマーカーにしたり、東アジアのようにそれぞれの中間点で区切ったり、その方法は様々ですが、いずれにしても人工的な季節の区切りを人々は強いられるようになりました。しかし肌感覚から生まれたものを人工的に切り分けるのは、相当無理があるわけで(そもそも1年を4等分することになじまない土地も多いでしょう)、今の日本人が「ちっとも涼しくないのに立秋だって?!」とブウブウ文句を言うようなことは、きっと古今東西あちこちであったんじゃないでしょうか。

それでも肌感覚と暦を整合させるための試行錯誤はいろいろあったはずで、春夏秋冬を区切るシステムの変遷と、当該文化圏の気候風土との対応関係は、大いに興味をそそられます。

_ S.U ― 2024年09月24日 06時11分36秒

現在、日本では、旧暦→新暦の変更にあいまって、一部の季節感覚はさらに早くなって、秋の季語であるべき天の川のまつりの七夕は梅雨中、菊をめでる重陽の節句などまだ暑くて菊の種類も限られ、切り花も腐る・・・と無理が出てきたように思います。そもそも、季節を先取りするのが、日本の流行のハイセンスでしたからいいのかもしれませんが。ヨーロッパでは、季節の先取りというのはないようでしょうか。

それから、私の説の引用ありがとうございました。

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