本邦解剖授業史(補遺2)2017年06月21日 07時13分08秒

今年は空梅雨の気配がありましたが、今朝は窓を叩く雨の音に起こされました。

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しつこいようですが、最後にもう1回だけカエルのことを書きます。
この連載の第2回で、「理科教育関係者は、ぜひカエル供養やフナ供養をせねばならんところです」…と書きました。

ところが、その後、荒俣宏さんの『世界大博物図鑑3(両生・爬虫類)』(平凡社、1990)を見たら、ちゃんと「蛙の供養塚」というものがあることを知りました。

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蛙の供養塚」

カエルは生物学、とくに発生、生理、遺伝の分野には欠かすことのできない教材や実験動物となっている。日本でも明治以降の近代科学の発達にともなって、多くのカエルが犠牲になった。そこで各地の大学や研究所で、供養のための慰霊祭が行なわれた。

鹿児島に残る蟇塚(がまづか)は、旧制第七高等学校の池田作太郎が創建した供養塔である。ヒキガエルだけを特別に祀り、犠牲1000匹ごとに供養が行なわれた。1910年(明治43)の第7回目の供養以来、3~4年に1度は供養されたことが記録に残る。なお、この供養塔は戦時中の空襲のために上半分が欠けている。

また慶応大学の生理学教室では、神経生理学の研究にガマを使用したので、1937年(昭和12)新宿塩町禅宗笹寺に蟇塚を建立した。

また東邦大学にも戦前は正門脇に高さ40cmほどの小さな蛙塚があったが、戦後の混乱で所在が行方不明になってしまったという。
 (上掲書p.58、改行は引用者)
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さすがに、小中学校でそういう例はないのかもしれませんが、やっぱり気持ちの上では手を合わせてほしいです。

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なお荒俣氏といえば、以前、氏がカエルの解剖について、下のような発言をされたのが気になっています。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 目眩く愛書家の世界

荒俣   このカエルの解剖図も、ものすごい。なにしろ「ピン」まで描かれている。ここまでのものは、なかなか出ない。〔…〕しかも、この「カエルの解剖図」はキリストの磔を寓意してもいるんです。「科学の犠牲となった聖なるカエル様」、そのような意味が含まれている。」

上の発言は、ドイツのレーゼル・フォン・ローゼンホフという人が書いた、『Historia Natvralis Ranarvm Nostrativm(カエルの自然誌)』という、18世紀半ばの博物学書について触れたものです。(リンク先には、問題の図も掲載されています。)

カエルが大の字になってる解剖図が、キリスト磔刑図の寓意になっている…というのですが、これは何か典拠(ウラ)のあることなのかどうか?あるいはカイヨワあたりの引用なのか、それとも荒俣氏の創見なのか?いずれにしても、一匹のカエルといえど、こうなると、なかなか大したことになってきます。

その辺に含みを持たせつつ、そろそろ話題が解剖授業から遠くなってきたので、宴たけなわではありますが、この辺でいったんお開きにしましょう。


(この項終わり)

本邦解剖授業史(補遺)2017年06月19日 21時50分56秒

解剖授業の盛衰について、その輪郭を絶対年代に位置づけることができたので、今回はとりあえず良しとし、新事実が分かればまた付け加えることにします。

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ところで、日本では上のような次第として、海外ではどうなんでしょう?
海外と言っても広いですが、たとえばアメリカ。

アメリカでは日本以上に動物愛護の声が強いのかな…と思ったら、どうもアメリカの人の慈悲も、カエルにまでは届かないのか、今でもカエルの解剖は、全米の中学校でバンバン行われていることを、下の記事で知りました。


■Dissecting A Frog: A Middle School Rite Of Passage
 (カエルの解剖―中学校における通過儀礼)

そう長い記事でもないので、全文を訳出してみます(意味が通らないところがあるので、例によって適当訳です)。

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「カエルの解剖―中学校における通過儀礼」

<前書: このシリーズでは、私たちが小・中学校時代に―たとえごく短期間にせよ―慣れ親しんだ象徴的なツール、例えば計算尺と分度器とか、全国体力テストとか、積み木等について、集中的に取り上げる。>

<以下、本文>

ロブ・グロットフェルティの生物実験室には、ブンゼンバーナーやシャーレと並んで、奇妙なパッケージが積まれている。中身は死んだカエルだ。真空包装され、5個積みになっている。

袋を破ると、ヒョウガエル〔=トノサマガエルの近縁種〕からは、すぐに刺激的な臭いが漂いだし、もう死んでいるはずなのに、やけにヌルヌルしている。

ボルチモアにある、パターソン・パーク・パブリック・チャーター・スクールの7年生〔=中学1年生〕の中に、ゲンナリしている生徒がいる理由はそれだ。

「死んでる動物のお腹を切り割くなんて!」と、テイラー・スミス。彼女は黒いスモックにすっぽり身を包み、プラスチック製のゴーグルとゴム手袋を装着している。「こんなもの放り出したいわ」。

多くのクラスメートと同様、テイラーも、このホルマリン漬けのカエルに触るのは嫌だし、ましてやそれを解剖して、黒っぽいねばねばした内臓を取り出すなんて、真っ平ごめんだと思っている。

グロットフェルティ先生の目的は、生徒たちに嫌悪感を乗りこえさせることだ。

「でも、僕たちが真に関心を持っているのは、カエルの身体の仕組みなのかな?」と、先生はクラスのみんなに問いかける。「僕たちはカエルについて学んできたのだろうか?いや、違うよね。じゃあ、僕たちは何を学んできたんだろう?」

答は「人間について」だ。

カエルはそのためのステップに過ぎない。最初、クラスの生徒たちは、ミミズを解剖した。次はニワトリの羽だ。ハイスクールになれば、扱う動物はもっと大きくなる。ネズミ、ネコ、ブタの胎児。いずれも我々自身の身体の仕組みについて教えてくれる。

「リアルな対象には、腹にずしんと来るような、大切な何かがありますよ。」と、全米理科教師連盟の常任理事、デイビッド・エヴァンスは語る。「この特定の器官の手触りは?どれぐらい硬いのかな?押せばへこむかな?とか。」

好むと好まざるとにかかわらず、こうした仕組みを学ぶには、以前は死んだ動物を使うことが、生徒たちにとって唯一の選択肢だった。しかし、1987年に状況が変わった。この年、カリフォルニアのビクターヴィルに住む15歳のジェニファー・グレアムが、生物の授業でカエルの解剖をすることを、断固拒否したのだ。

グレアムの話題は、当時大きなニュースになった。彼女はそれを法廷に訴え、最終的に「生徒には生身の生物以外の選択肢も与えるべし」という州法が成立した。現在までに、少なくとも他に9つの州で、同様の州法が制定されている。

それ以来、コンピュータによるモデルが教室に進出を続けている。全米理科教師連盟は、教育手段としての解剖の重要性を依然として主張しているものの、現在では教員に対して、生徒に選択の機会を与えることを求めている。

グロットフェルティは、両方を併用している。彼によれば、コンピュータ・モデルは、生徒が解剖学の理論を理解するのに役立ついっぽう、実際の解剖は、めったにないやり方で生徒を引き付ける。

「生徒たちは解剖の授業をずっと楽しみにしてきたんですよ。これこそ生徒たちがやってみたいことなんです。」とグロットフェルティは言う。

たしかに、気の弱い生徒ですら、今や解剖トレイの周りでそわそわしながら、事が始まるのを待ち望んでいるようだ。

理科は好きじゃないと言っていたテイラーはどうだろう。彼女は今まさに小さなはさみを使って、カエルの鎖骨を切断しようとしている。

「もうちょっと力を入れて」とグロットフェルティが声をかける。「何かはじける音や割れる音が聞こえないかい。」

テイラーと彼女の班は、一つずつ、内臓をラミネートされた紙の上に並べていく。

「私はもう弱虫なんかじゃないわ」と、テイラーは言う。「解剖って面白い。」

解剖は、一部の人にとっては依然として議論のある実習だが、グロットフェルティ曰く、テイラーの豹変こそ、解剖が持つ力の例証なのだ。すなわち、いつもなら理科嫌いの生徒ですら、カエルの消化管には、大いに夢中になれるのだ。

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アメリカの解剖授業は、基本的に生体ではなく、死体の解剖のようです。
作業手順は似ていても、結局のところ死体は「もの」に過ぎませんから、その抵抗感において両者には大きな違いがあります。
そして、科学の名において生物を殺すことの倫理的問題(あるいは、素朴に命に手をかけることの怖さ)も、後者は生じにくいでしょう。

また、少なくとも一部の州で、リアルとバーチャルの2種類の解剖授業を選べるのは、なかなか良い工夫だと思います。でも、その主眼は、生命倫理の問題よりも、授業方法をめぐる生徒の自己決定権をどう保障するか…という点にあるようです。

本当に理想的な授業はどうあるべきなのか?
教育学畑の人や、現場の先生なら、ここで理科授業論を活発に展開できるでしょうし、そうでない人も、解剖授業を素材にした日米比較文化論には興味を持たれるかもしれません。

私自身、特に結論を持ち合わせているわけではありませんが、でも、素朴な感想として、アメリカのやり方は巧妙であり、対する日本は直にしてナイーブな感じがします。(もちろん直でナイーブだからダメと言うことはできません。)

本邦解剖授業史(7)2017年06月18日 09時18分04秒

(今日は長文2連投です)

上の読売の記事から更に10年余りが経過した、平成16年(2004)の状況を伝えるのが、以下の記事。

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朝日新聞(2004年10月3日 東京版朝刊)
減り続ける解剖実験 「毎年実施」6% 小学校、子どもの抵抗強く

 魚やカエルの解剖実験をする学校が減っている。小学校での実施率は約2割という調査結果が今年8月の日本理科教育学会で報告された。今の小中学生の親たちが学んだころに比べ、生命尊重の考えが広がり、教科書の扱いも小さい。流れは変わらない様子だが、本物の命にふれる絶好の機会になる、と新しい視点で解剖授業に取り組む教師もいる。(高橋庄太郎)

 小学生は6年の理科で、人や他の動物の体について学ぶ。解剖実験はその一環で、主に魚の内臓を見て、体のつくり、働きを確かめる。

 昨年末、鳩貝太郎・国立教育政策研究所総括研究官らのグループが全国の実態を調査し、理科教育学会で発表した。

 計575校の理科主任の回答によれば、過去3年間に「毎年解剖実験をした」学校は6%で、「したりしなかったり」と合わせても22%だった。解剖実験をしなかった理由で一番多いのは「教科書で扱っていないから」。「視聴覚教材で代替できる」「生命尊重の教育に反する」が続く

 魚の解剖は、1958年、学習指導要領の「指導書」に盛り込まれたのをきっかけに、教科書が詳しく記し、学校でも取り組み始めた。解剖の仕方を教師に伝える講習会が盛んに開かれた

 その後、指導要領の改訂が重なる中で、解剖の位置づけは低くなり、現行要領の「解説」(以前の指導書に相当)は「(体内観察には)魚の解剖や標本などの活用が考えられる」という表現になっている

 理科教科書は6社から出ているが、3社はフナなどの解剖を取り上げ、ハサミの使い方、解剖した状態の写真、図を載せている。しかし、他の3社は魚の消化管を図解しているものの、解剖にはふれていない。

 解剖実験は学習内容として最もインパクトが強いといわれるが、準備、後始末に手間がかかるなど教師の負担が大きい。「生きた魚を殺すのはかわいそう」「気持ち悪い」「こわい」など、子どもの抵抗感が強い。

○「命の授業」で取り組み

 最近は命の大切さを教えることが学校の重要課題になっている。現行の指導要領の「解説」でも、動物などの体の学習のねらいとして、「生命を尊重する態度を育てる」とうたっている。

 教科書会社の理科担当者は「教科書に解剖の仕方を載せても、やる必要はないと判断する学校が多いと思う。生きたフナ、コイを入手することも難しくなった」と話す。

 全国調査をした鳩貝・総括研究官は(1)60年代から70年代をピークに解剖実験は減り続けてきた(2)新採用教員の多くは自ら経験していないのでさらに減ると予測し、次のように言う。

 「動物の生命を実感し、その大切さを知る解剖実験は、生物愛護、生命尊重の態度を育てる理科の目標にかなう。ただし、解剖理由を十分説明するなど入念な準備や謙虚な姿勢が欠かせない」
 
 学校の中にも解剖実験の役割を評価する声はある。岐阜県飛騨市立古川西小の重山源隆先生は前任校で生きたコイを解剖させた際、子どもの気持ちを調べた。

 事前アンケートでは不快、恐怖、同情からの抵抗感が強かったが、終わった後、道徳の時間に話し合わせたら「命を奪うのは残酷だが、命の大切さがわかるような気がする」などの意見が目立つようになった。

 「生き物の死を真剣に受け止め、理性で考えるようになった。動物は死んでも生き返る、と信じる子がいる時代に、やりっ放しにしないなど教師側がしっかり取り組めば、解剖実験で得られるものは大きい」と重山先生は指摘する。

○中学校でも傾向は同じ

 中学校では60年代、人の体のつくりに近いカエルの解剖が理科に組み込まれた。学習指導要領で明記したのがきっかけだ。しかし、小学校の魚と同様、指導要領の扱いが小さくなった

 5種類ある現行の教科書を見ると、カエルはその呼吸法を見るなど観察の対象とされている。カエルにふれていない教科書もある。各教科書が解剖写真を載せていたのとは様変わりだ。

◆小学校での魚の解剖実験は必要?
 必要性は感じない  64.0%
 必要          28.3
 してはならない     1.6
 わからない          6.1
 (理科主任約570人の回答)

 【写真〔省略〕説明】
 東京都杉並区では、多くの区立小学校が設備のそろった区立科学館でコイの解剖をしている=杉並区立若杉小提供
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ここには興味深いデータがいろいろ紹介されています。

まず、わりと最近でも(といっても10年前ですが)、6%の小学校が、毎年解剖の授業を行っており、「したりしなかったり」という学校を含めると、2割強の学校で解剖が行われていたという事実―。これは結構多いような気もしますが、でも、これは家庭科で魚の下ろし方を習うのと兼用…という学校も含んでの数字でしょうから、やっぱり少ないは少ないです。

そして、この記事で知った重要な新事実。

それは、魚の解剖が普及したきっかけは、1958年(昭和33)の小学校の『学習指導要領』に付属する「指導書」に、該当事項が盛り込まれたことであり、同じくカエルの方も、同時期の(記事は正確な年代を挙げていませんが1960年代)中学校の『学習指導要領』に明記されたことが普及の原因となった…ということです。

したがって、この連載の第1回で、「これまで文科省が公式に「解剖をしろ」とも「するな」とも通達した形跡はなく、ある年を境として、全国一斉にパッと切り替わったわけではありません。」と書いたのは不正確で、廃止の方はともかく、その普及については、制度的な裏付けがあったことになります。(当時、先生を対象にした解剖講習会が盛んに開かれたというのも、興味深いです。)

こうして、国立教育政策研究所(当時)の鳩貝氏が総括したように、戦後の解剖授業のピークは1960年代~70年代(昭和35年~55年)であり、その後は減少傾向に歯止めがかからずに推移…という概況をたどったわけです。

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ところで、上で引用した2つの記事の中間、平成10年(1998)には、以下のような珍妙な「事件」も報じられています。

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毎日新聞(1998年12月17日 大阪版夕刊)
東大阪市の男性教諭、児童の目の前でネコの死体解剖

 東大阪市立小学校3年担任の男性教諭(47)が理科の授業で、ネコの死体を解剖して見せ、児童が泣き出したり、気分が悪くなるなどのショックを受けていたことが17日、分かった。同校は「あってはならないこと」として教諭に注意。教諭も「軽率だった」と反省しているという。

 同校や市教委によると、11月12日、学校近くの通学路で車にひかれたとみられるネコの死体が見つかり、市の環境事業所が引き取りに来るまで、この教諭が保管することになった。

 教諭は翌日午前、動物の体のしくみを教える授業の一環として、理科室でカッターナイフでネコを解剖し、内臓を取り出して児童に見せたという。保護者の抗議で学校側が知った。

 教諭は生物を得意としており、「授業に役立てようと考えた」と話しているという。校長は「子供たちは残酷に感じたと思う。教諭を厳しく指導した」と言い、市教委指導室は「同様のことがないよう研修などで徹底したい」としている。
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この教諭は、別に猟奇な先生ではなく、むしろ地元の教育研究発表会なんかには率先して参加するタイプの先生だったんじゃないでしょうか。そして、1998年という年を考えると、当時好評を博していた、「ゲッチョ先生」こと盛口満氏の一連の著作に触発されて、「子どもたちに生物のリアルな姿を伝えたい」と考え、こういう挙に出た可能性もあります。

私は何となく憎めないものを感じますが、さすがに小学3年生の児童を相手に、ネコの解剖は、無理がありました。まあ、事の是非はさておき、解剖授業衰退期に起きた奇妙なエピソードとして、ここに紹介しておきます。


(次回、この話題をめぐる落穂拾いをして、この項完結予定)

本邦解剖授業史(6)2017年06月18日 09時11分50秒

こうして、大正の後半ぐらいから、戦争をはさんで昭和の後半にいたるまで、日本中の学校で解剖の授業が行われたように想像します。ただし、その実態が何となくボンヤリしています。

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生のデータを求めて、この連載の最初に返って、串間努氏『まぼろし小学校』(小学館)に採録された、解剖体験記を引用させていただきます。カッコ内は、アンケート回答者の生年と学校時代の居住地です。

●ミミズ、フナ、カエル、メダカ。カエルは解剖後、アルコールランプで調理し、いただきました。美味しかった。 (昭和35年生 東京都文京区)
●カエル、コイ(コイは後で煮て食べました。その匂いが廊下まで漂ってきて、いい匂いだったこと!) (昭和38年生 長野県飯田市)
●「解剖は可哀想」ということで、やらなかった。 (昭和37年生 石川県羽咋郡)
●たぶん、イワシ。 (昭和41年生 熊本市)
●カエル、フナ、メダカ。 (昭和45年生 岐阜県各務原市)
●金魚(250円の出目金)。 (昭和46年生 東京都足立区)
●解剖は残酷だと新聞で話題になり始めた頃なので、したことがありません。 (昭和46年生 奈良市)
●解剖は、教師がやって生徒は見てるだけでした。 (昭和47年生 岐阜県関市)
●何も殺しませんでした。一寸損したな、と思ってます。 (昭和48年生 群馬県勢多郡)
●解剖は、カエルを殺すならネコを殺すも同じだとされ、禁止されていました。 (昭和51年生 千葉県松戸市)

ごく少数の例ですが、どうやら昭和45年生まれの人が、小学校高学年から中学1~2年生を過ごしたあたり、すなわり昭和50年代後半に、解剖授業の有無の境目があるらしい…ということを、この連載の1回目で述べました。

ここでもうちょっと底堅い事実を求めて、過去の新聞記事に当ったら、いくつか興味深い記事を見出したので、該当記事を引用してみます。(以下、青字は引用者による強調)

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まず、今から四半世紀前、平成5年(1993)の記事です。

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読売新聞(1993.11.13 大阪版朝刊)
カエルの解剖 残酷さなく感動も 生命の尊さ学ぼう 大教大付属平野中が公開


 珍しくなったカエルの解剖が十二日、大阪教育大付属平野中学校(大阪市平野区)で開かれた教育研究発表会で、関西の公立中学教諭ら約五十人に初めて公開された。かつては、どこでも見られた授業風景だが、野生ガエルの激減による入手難に加え、残酷との声が出て多くの教室から姿を消している

 中二理科の授業で、田中啓夫教諭(45)が「生き物に触れて、直接、体の仕組みを学ぶだけでなく、生命の神秘や思いやりを知ってほしい」と十五年前から取り入れている。この日は、四十一人の生徒が、十一班に分かれ、業者から購入した体長約二十センチのウシガエルを各班一匹ずつ、解剖用のハサミとピンセットを使って真剣なまなざしで挑戦。「せき髄と脳」「消化器官のつくり」などテーマは生徒が決めた。
 
 麻酔はかけたものの、血が出て、時々動くカエルにたじろぐ女子生徒もいて、最初は気味悪がっていた様子だったが、「最後まで心臓が動いていた。生命力の強さに感動した」「かわいそうだったけど、命の大切さがよくわかった」など感想を話していた。

 カエルなどの解剖は、中学校理科の教師向け指導書の中にあるが、扱っていない教科書が多い。授業では話だけで終わり、取り入れている学校でも、実験用の十センチほどのアフリカツメガエルを教師だけが解剖したり、死んだ魚やビデオで代用したりしている

 見学した公立中の教諭は「十年以上前からやっていませんが、素晴らしい取り組みだと思う」などと評価。京都府大宮町立大宮中の古橋克彦教諭(39)は「女子生徒が嫌がらず、目を輝かせていたのが印象に残った。興味本位ではなく、解剖を通して何を学ぶかの意識付けが大切。そうでないと、残酷な実験に終わるだけ。授業で実施したいと思います」と話していた。
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当時、すでに解剖授業が珍しい存在だったことがよく分かります。

また、その要因として、「野生ガエルの激減による入手難」、「残酷との声」、そして「該当記述の教科書からの消退」が挙げられています。見学した先生の「10年以上前からやっていませんが…」という声から察するに、1980年代の初め、すなわち昭和50年代後半に解剖授業が行われなくなったとおぼしく、これは上の推測とよく符合します。


(引用が長文に及ぶので、ここで記事を割ります)

本邦解剖授業史(5)2017年06月17日 11時56分44秒

さて、余儀なく授業が中断していましたが、この辺で再開します。

いよいよカエルの身体にメスが入ります。
でも、いきなりお腹にブスリ…ということはしません。
内臓を観察するだけなら、それでも良いのですが、カエルの身体構造をつぶさに観察するには、まず後肢から手術を始めます。


後肢では、主に筋肉と骨格、それに神経を観察します。
あまり文字に書き起こすのもどうか…と思いますが、その描写がかなり具体的なので、記してみます。


 「蛙を蛙板に腹位に固定し、薬品にて麻酔せしめたる後、次の手術をする左手にピンセット、右に鋏を持ち、蛙の右後肢の大腿の中央部の皮膚をピンセットで撮〔つま〕み上げ、右の鋏でパチンと縦に切る。切れ目に鋏をいれて腿から足の尖端へ向って縦に長く皮膚を切る。膝関節のところでは皮膚が下の組織とくっついてゐるから少し注意して鋏で切るがよい。」(p.55)

そして、胴体に収まった内臓諸器官の観察。


これもまた描写がなかなか細かいです。

 「蛙を今度は仰臥位(背位)に固定する。
 胸を指で撫ると胸骨にふれる。骨に沿ふて下ると、その終り剣状突起に触れる。〔…〕で、これより少し下と思ふ所の皮膚をピンセットで摘みあげて、鋏でその下の筋肉も諸共に切断して、腹壁に小さい穴を開ける。茲〔ここ〕に鋏をいれて、腹壁を左と右の両側に切り開き、両側に達したら側腹を真直ぐ下方へ切り進んで、股まで行って止める。」
(p.101)

もちろん解剖の実技はこれにとどまるものではなく、他のページには、いっそう刺激的な記述が並んでいますが、それらは割愛します。

そもそも解剖はひとつの手段であって、その先にある目的は、生体構造を観察し、その働きを実験的に確かめることです。当然、この本でもその部分に多くのページを割いて、筋肉の疲労実験、神経の電気刺激実験、心拍動の実験、消化実験…等を紹介しています。

(本書口絵。「蛙心臓迷走神経並に後肢諸筋」。右側に見えるのは、先端にプラスマイナスの電極を仕込んだ「白金電導子」)

いずれにしても、先に紹介した小野田伊久馬(著)『小学校六箇年 理科教材解説』(明治40年=1907)の解説にあった、「蛙を解剖せんには〔…〕腹部の中央より、縦に切開すべし。」というような、単純素朴なものではないことは確かで、解剖実習をしっかり行うことは、相当の知識と経験を要することですから、そうしたものを小学校の先生が身に着けるようになった――少なくとも身に着けられる環境が整った――のは、やはり大正時代以降なのだと思います。


(そして時代は戦後へ。この項さらにつづく)

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▼閑語(ブログ内ブログ)

昨日の記事は、いささか感傷的に過ぎたようです。
国会が死んだままで良いはずはないので、おーいおーい!と声を限りに魂呼ばいし、それでも蘇生が叶わなければ、反魂の術を用いてでも…。

でも、原子の炎で焼かれた広島や長崎に緑が甦り、人々の暮らしが甦ったように、そこにまともな人がいて、まともな声を挙げ続ける限り、特に暗黒の秘術に頼らなくても、国会は自ずと甦るのではないかという気もします。

まずはまともな声を絶やさぬこと、それが大切だと思います。

本邦解剖授業史(4)2017年06月13日 21時09分38秒

前回に続き、宮崎三郎(著)『蛙を教材としたる人体生理解剖実験室』(1923)の中身を見てみます。

(本書口絵。「蛙と人の脳の比較」および「蛙血液循環」の説明図)

当然の話ですが、その説明は相当具体的です。

まずは、「第二章 実験動物」の項にあるように、「等しく蛙といっても種類が多い」ので、解剖の対象とするカエルの種類を決めねばなりません。

 「私たちの実験に都合のよいものは、形のなるたけ大きなものである。〔…〕この目的に叶ってゐるものは、まづ蝦蟇〔ひきがえる、がま〕が一等だ。」(p.12)

とあって、「あれ?ウシガエル(食用ガエル)は?」と思いますが、ウシガエルがアメリカから試験的に輸入されたのは1918年(大正7年)のことで、本書執筆の段階では、まだ全国に広まっていなかったのでしょう。

しかし、著者はいったん候補に挙げたヒキガエルをすぐに退けます。

 「蝦蟇といふ奴はどうも私たち人間には気味の悪い動物である。両棲類や爬虫類の跋扈した前世紀、私たちの祖先がこの動物のため随分と苦しめられたので、その頃の恐怖感が今尚私たちのうちに潜在意識として存するからだそうな。芝居の天竺徳兵衛、児雷也、さては蝦蟇仙など、大きな奴の背に乗って現れる。のそりのそりと動き出し、口から火焔を吐いたりするのを見ては、子供の頃に恐ろしがったものだ。蝦蟇は悪気を吐くとか、背の疣にじゃ毒物があるとか(尤もこれは噂だけでなく、事実がま毒なるアルカロイドがあるそうだ。)兎に角よくない評判を立てられてゐる。」(同上)

アルカロイドを除けば、およそ科学の徒らしからぬ理由づけです。
別に天竺徳兵衛や児雷也を持ち出さんでも…とは思いますが、まあこれも時代でしょう。それに「子供たちを怖がらせてはいけない」という、一種の教育的配慮が働いているのかもしれません。

こうして、著者はトノサマガエルを第一候補に挙げ、「以下特に断り書きのなちところでは、蛙といへば常に殿さま蛙のことゝ思って頂きたい。」と宣言します(p.13)。

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さて、ここからいよいよ解剖の実技に入っていきます。

解剖作業の最初は、カエルの固定です。
「実験動物の生きたまゝに手術を施さうといふのだから、荒れくるふのは想像に難くない。で手術を容易にするため、之を一定の板上に固定するのである。」(p.15)


…というわけで、カエルの四肢を上のような「蛙板」に糸で縛り付けるか、あるいはコルク板に直接ピンで打ち付けてしまうという、かなり荒っぽいことも可としています。

なお、著者は、「実験に差し支へを来さない限りは、動物を麻酔せしめて、然る後に手術を施すべきである」(p.29)という意見なので、麻酔をかけてから蛙板に固定するか、あるいは先に固定してから、鼻先にエーテルを嗅がせて麻酔することを勧めています。ただし、これは作業の便というよりも、もっぱら人道的な理由によるものです。

 「私たち人間は他を殺さないでは生きて行かれない様に運命づけられてゐる、悲しき神の摂理である。私は故に、学問のためとか、人類の幸福のためとか、所謂「大の虫」を担ぎ出すことは避け難い。逃れ難きある宿命によって私たちは動物を殺すのである。決してよい事ではない。で、その際に当って、切〔ママ〕めても私たちの心の慰めは、その動物が割合に苦痛なく死んでくれることである。」(pp.28-29)

「だから麻酔が必要なのだ」…というのですが、この辺は現代の目で見ると、手前勝手な人間中心主義として退けられるべきところでしょう。でも、これが当時の意識でした。


(何だか書き出すと長くなりますね。この項、もう少しだけつづく)

本邦解剖授業史(3)2017年06月11日 12時39分26秒

大正時代、特に第1次大戦後は、「児童実験」が盛んに言われた時期です。
すなわち、明治時代のように、単に絵図を見せたり、あるいは教卓上で先生が実験して見せたりするだけではなく、生徒自らが実験することの重要性が叫ばれた時代。

これが理科室の基本構造にも影響を及ぼし、4~5人で1つの机を囲み、グループ単位で先生の説明を聞きながら実験するという、現代に通じる理科室風景が誕生したのも大正時代のことです。

カエルの解剖が一般化したのも、やっぱりルーツは大正期だと思います。
この連載の1回目で、串間努氏の『まぼろし小学校』を引いて、大正4年(1915)に、「博物用解剖器」が実用新案として出願されたと書きましたが、それも1つの傍証になります。

もちろん、解剖実習はそれ以前から方々で行われていましたから、解剖器が大正4年に突如登場したわけではないでしょうけれど、「博物用」と銘打って、小・中学校用の教材として商品化されたのが、この前後だろうと思います(この「博物」は「物理・化学」と対になる語で、動・植・鉱物について学ぶ科目を指します)。

下は昭和に入ってからの例ですが、島津と並ぶ代表的理科教材メーカー、前川合名会社(後に「前川科学」→「マリス」と社名変更)が出した、昭和13年(1938)のカタログの一ページ。これを見ると、当時、さまざまなタイプの解剖器が作られ、学校に売り込みが図られていたことが分かります。まさに“需要のあるところに供給あり”というわけでしょう。

(昭和13(1938)、前川合名会社発行『理化学器械 博物学標本目録』より。5点セット・レザーサック入りの80銭から、17点セット木箱入りの最高級品20円まで、多様なラインナップ)

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さらに、いっそう直接的な証拠としては、大正時代の後半になって、ずばりカエルの解剖をテーマにした理科教育書が出版されていることを挙げることができます。


■宮崎三郎(著)
 『蛙を教材としたる人体生理解剖実験室』
 中文館書店、大正12年(1923)

この本は、序文に説くように、「小学並に中学に於ける人体生理解剖学教授上の一参考」として書かれたものです。そして、この本を書くに至った著者の思いが、序に続く「緒言」(pp.4-10)に、こう記されています(引用にあたって、一部読点を補いました)。

 「世界大戦争の勃発後は、四囲の情況に影響されて、我国にては在来余り顧みらるゝこと少かった理科教育が、盛に奨励さるゝに至った。かゝる機運に促されて、中学、小学に於ける物理、化学の設備は其面目を一新し、実験といふことが大に重ぜらるゝ様になった。然しながら、之を動植物学の方面に見るに、如何なる状態であらうか。更に之を医学(人体生理、解剖、衛生)の方面に見るに如何?尚従来の教科書と掛図による説明の域を脱しないではないか。」

著者である宮崎の見る所、理科における「児童実験」ブームは、物理・化学に限られ、生物分野には依然として及んでいなかったというのです。「これではいかん」というのが、宮崎の問題意識であり、その主な原因は「その教材を得ること難きと、之が実験方法の困難なるべしと思惟さるゝ為」だというのが、彼の意見でした。

たとえば心臓の動きについて学ぶのでも、「生体解剖を人体に行ふわけにも行くまい」し、「模型といふものはどんなに上手に出来てゐてもやはり『模型』だ」。そこで、比較解剖学や比較生理学の考えを援用して、「私は蛙及蝦蟇〔がま〕を採らるゝことを御奨めしたいのである」と、宮崎は主張します。

 「蛙ならば材料を得るにも容易である。田舎ならば裏の泥田に鳴いてゐる。都会ならば実験用の蛙を売る商人がゐて、頼めば幾十匹でも揃へる。
 更に蛙は小さい故に、他試験動物に比してその取扱ひ極て簡単であり、〔…〕所謂生体解剖をやったとて、流血の惨を見ること少く、蛙ならば惨酷なといふ感じも起すこと少いであらう。」

当時でも、「惨(残)酷」という観点を、まったく顧慮しなかったわけではありませんが、相対的に罪が軽いと思われたようです。さらに続けて、宮崎は下のように書くのですが、これも当時の意識のありようを伺わせる内容で、興味深いです。

 「動物愛護の声の高い英国では、学者の研究室での実験にも、試験動物は必ず麻酔をかけることに規定されてゐる。時々其筋の役人が見廻りに来るとの事である。その英国ですら蛙の実験には麻酔を用ひないでよいことになってゐる。これは蛙は大脳の発達幼稚にして、疼痛を感じないからとの理由であるそうな。」

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カエルの解剖は、その終焉がぼやけているのと同様、その始まりの時期も一寸はっきりしないところがあります。少なくとも、ある年を境に、全国でパッと行われるようになったわけではなく、大正時代いっぱいを通じて、各地の理科教師が研鑚を重ねる中、徐々に普及していったのが実態だろうと思います。


(次回、宮崎の本の中身をもう少し見てみます。この項つづく)

本邦解剖授業史(2)2017年06月10日 12時35分51秒

今もあるかもしれませんが、昔の理科室には、よく内臓全開のカエルやハツカネズミがホルマリン漬けになっていました。

あれはもちろん、脊椎動物のからだの構造を生徒に教えるための教材ですが、ふつうの感覚からすれば、いかにも陰惨な印象を伴うもので、人体模型とともに、昔の理科室に独特の陰影を与えていました。

まあ、グロテスクといえばグロテスクなのですが、ああやって1匹が犠牲になることで、毎年多くのカエルが解剖台の上で絶命することを免れるならば、その方がより「道徳的」だ…という、考え方もあったと思います。少なくとも、そうした意見が免罪符となって、理科室の標本は徐々に増えていったのでしょう。

とはいえ、標本を眺めるだけではなく、自らの手で生物を解剖し、生きた内臓を観察することの方が、いっそう理科の授業らしいと考えられたため(と想像します)、立派な壜詰め標本の前で、やっぱり毎年多くのカエルやフナが犠牲となっていました。

理科教育関係者は、ぜひカエル供養やフナ供養をせねばならんところですが、そもそもカエルやフナの解剖は、いつから初等教育で行われるようになったのか?

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とりあえずフナは脇に置いて、カエルに話をしぼります。
カエルの解剖は、比較解剖学の授業の一環として、高等教育ではおなじみのもので、たぶん今でもそうでしょう。




上の画像は、おそらく大学における動物学実習のために準備された講義ノートの一部で、明治30年代のものです(この美しい彩色手稿については、描き手のことも含めて、いずれじっくり書きます)。

ただし、そうした知識と技術が小学校の現場に下りてくるには、高等教育を受けた人が中等教育を担い、中等教育を受けた人が初等教育を担うようになるまでの時間差が、そこになければなりません。


尋常小学校で、カエルを解剖するというアイデアが、一部の先進的教師の脳裏にきざしたのは、おそらく明治も末のことで、明治40年(1907)に出た小野田伊久馬『小学校六箇年 理科教材解説』には、簡単な説明図とともに、蛙の解剖について解説されています。


蛙の解剖  蛙を解剖せんには、なるべく大形のものを捕へ、これを瓶に入れて、コロロホルム数滴を点下し、暫時蓋をなして、全く麻酔するを待ち、取り出して、腹部の中央より、縦に切開すべし。」

まあ、これだけの簡便な説明でカエルに挑んだとしたら、挑まれたカエルもいい迷惑で、相当無益な殺生を重ねないと、人に教えるだけの解剖術は身に着かなかったでしょう。何しろ解剖は手技を伴うものですから、実地に習うことがどうしても必要です。

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いずれにしても、小学校の解剖授業に関していえば、明治時代はまだ萌芽期で、それが多いに進んだのは、次の大正時代のことだと思います。


(この項つづく)

本邦解剖授業史(1)2017年06月09日 21時50分16秒

医学史の古典、富士川游(著)『日本医学史綱要』(1933)によれば、宝暦4年(1754)、山脇東洋が京都西郊で刑死した屍を解剖し、『蔵志』を著したのが、我が国における解剖図譜の嚆矢であり、下って明和8年(1771)には、例の杉田玄白が、江戸小塚原の刑場で、女性刑死者の腑分けを行ない、『解体新書』の翻訳を志すきっかけとなったことが書かれています。

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その後、100年の時を経て、近代教育制度がスタートすると、本邦の子供たちは、みな罪人の腑分けを経験し、以て人体生理の精妙さを学ぶようになった…なんてことはありませんが、その代わりに、理科室の隅っこには人体模型がぽつねんと立ち、死罪人の代わりに、カエルやフナがその身を犠牲にして、理科教育の進歩向上を図る時代が、けっこう長く続きました。

とはいえ、いかに「教育のため」という大義名分があっても、カエルにしろ、フナにしろ、生きながら解剖するのは残酷だし、一方で口を酸っぱくして命の大切さを説きながら、あっさり授業で生き物を殺しては話の筋が通らないじゃないか…という批判も強く、昭和が終わりを迎える頃には、理科の授業における解剖実習は、すっかり影をひそめたのでした。

(かつて初等教育で使われた解剖器セット)

小学校の懐かしい思い出を集めた、串間努氏の『まぼろし小学校』(小学館、1997)を参照すると、昭和45~6年生まれの人が、解剖経験のクリティカルポイントで、それよりも上の世代はカエルやフナの解剖を経験した世代、それよりも下の世代は未経験世代になるようです。

ただし、これまで文科省が公式に「解剖をしろ」とも「するな」とも通達した形跡はなく、ある年を境として、全国一斉にパッと切り替わったわけではありません。
解剖の取りやめは、あくまでも世間の声に配慮した、各学校個別の判断であり、一般的傾向としては、上記のようなことが言えそうだ…ということです。

実際、今でもカエルの解剖を“強行”している学校も少数ながらありますし、先生たちも授業の仕方を工夫して、食用魚の解剖と調理を、家庭科の授業を兼ねて行っているところも多いような話を聞きます(要は魚の下ろし方の勉強ですね。昔と違って食べる行為とセットになっているのがポイントです)。

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医学教育における人体解剖実習をめぐっては、いろいろ都市伝説が生まれていますが、ここでは「そっち方面」の話は脇に置いて、理科の授業における解剖の話題を少し振り返ります。

(あやしいメスの輝き。なお、串間氏上掲書によれば、大正4年(1915)に、「博物用解剖器」というのが、実用新案として出願されている由。この手の学校用解剖セットは、少なくとも大正初期までさかのぼれるようです。)

(この項つづく)

「彼」のこと2015年12月28日 21時03分55秒

今日が仕事納めだった方も多いことでしょう。
お互いやれやれですが、まあ何はともあれ一年間お疲れさまでした…と、ご同輩にねぎらいの言葉を贈りたいと思います。

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私も何だかぐったりと疲れました。
こういうときは音楽を聞きながら、いつもの部屋で、いつもの彼と一杯やると。


見かけはあどけない子供ですが、実年齢からすれば、彼もだいぶ人生に疲労を覚えてきた頃でしょう。はたからは箱入り息子のように思われながら、人知れぬ苦労も随分重ねてきたはずです。

いつも何かにじっと耐えながら、瞳に万感の思いを込めて立っている彼は、つい弱音を吐く私よりも、たしかにずっと大人です。ああ、私も彼のようになりたい…とは思わないですが、こういうときに愚痴を聞いてくれる相手がいるのは、とても心強いことです。


悔悟と迷いと不安と―。
長い冬の夜、彼と話すべきことは山のようにあります。