「彼」のこと2015年12月28日 21時03分55秒

今日が仕事納めだった方も多いことでしょう。
お互いやれやれですが、まあ何はともあれ一年間お疲れさまでした…と、ご同輩にねぎらいの言葉を贈りたいと思います。

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私も何だかぐったりと疲れました。
こういうときは音楽を聞きながら、いつもの部屋で、いつもの彼と一杯やると。


見かけはあどけない子供ですが、実年齢からすれば、彼もだいぶ人生に疲労を覚えてきた頃でしょう。はたからは箱入り息子のように思われながら、人知れぬ苦労も随分重ねてきたはずです。

いつも何かにじっと耐えながら、瞳に万感の思いを込めて立っている彼は、つい弱音を吐く私よりも、たしかにずっと大人です。ああ、私も彼のようになりたい…とは思わないですが、こういうときに愚痴を聞いてくれる相手がいるのは、とても心強いことです。


悔悟と迷いと不安と―。
長い冬の夜、彼と話すべきことは山のようにあります。

島津、理科の王国(4)2015年11月01日 12時04分45秒

あっという間に11月。今年も残りふた月を切りました。
まことに呆然としますが、これは年中行事で、大体毎年この時期は呆然とするのが常です。

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島津標本部の見学を続けましょう。まずは倉庫の方へ。


ここは石の保管庫です。あちこちの産地から、箱単位で納入されたものでしょう。
大小さまざまな箱が見えますが、当然一つの箱に入っているのは、同じ種類の岩石のはずです(手前の箱には「磁鉄(鉱?)」とチョークで書かれています)。
右側の大箱には、大きな石が山盛り。販売にあたっては、これをさらに適当な大きさに整形(トリミング)して用いたのでしょう。


こちらは液浸標本の倉庫。まことに壮観といえば壮観。
でも、やっぱり生理的にどうも…という方も多いでしょう。
辛うじて「学問・教育のため」という大義名分があるので、何とか認容されているものの、生あるものを殺し、切り刻み、眺める…なんていうのは、やっぱり悪趣味だし、罪作りな行為だと感じます。

「いったい生命の尊厳を何だと思っているのです。」
「いや、これこそが生命の尊厳を何よりも雄弁に物語る証拠なのです。」
「この死体の山がですか?」
「あなたは誤解されています。死体とは腐朽への道程にある肉塊の謂いです。しかし彼らは違う。彼らはすべて生きていたときのままの姿を、永遠に保ちうるのです。もしお望みなら、あなただって…」

―というような会話を、小川洋子さんなら作中人物に語らせるかもしれません。
まあ、いろんなことを考えさせられる光景であることは確かです。
製作者の意図がどうであれ、昔の子どもたちも、こうした標本から神経系の構造や比較解剖学なんかを学ぶより、哲学的・文学的な何かを一層感じ取っていたんじゃないでしょうか。

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倉庫を出て別室に入ると、そこは「陳列室」、すなわち商品展示場です。
倉庫よりは明るく、整然とした雰囲気があります。




上は鳥類と哺乳類の剥製が並ぶ一角。
哺乳類の棚には、ワラビーやチンパンジーと並んで最上段には双頭の牛が置かれ、元祖ヴンダーカンマー的な空気が濃厚に漂っています。



上は骨格標本、下は「魚類剥製と植物生理器械」のコーナーです。
魚類剥製は、剥製として決してマイナーな存在ではありませんが、理科室では見た記憶がありません。なぜか?というのは興味深い点ですが、答は分かりません。



こちらには標本ではなくて、動・植物の模型が並んでいます。
人体模型同様、素材は主に紙塑ですが、一部は石膏や蝋(ワックス)によるものもあったと思います。

ひときわ目立つカタツムリの解剖模型は、2013年にインターメディアテクで開催された「驚異の部屋―京都大学ヴァージョン」展でも、類似の品が出品されていました。その折の説明によれば全長は62cmと、かなり大きなものです。

(「驚異の部屋―京都大学ヴァージョン」展図録より)

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当時の理科標本・理科模型のあらましが分かったところで、骸骨と人体模型に見送られながら、そろそろ標本部を離れることにしましょう。
次は島津の中核ともいえる、物理・化学系の機器類を見に行きます。


(この項さらにつづく)

島津、理科の王国(3)2015年10月31日 08時32分34秒

さあ、いよいよ明治の理科模型が生み出される現場を見学します。

(この写真は以前も載せましたが、より鮮明な写真がアルバムに収録されていたので、もう一度貼っておきます)

大小さまざまな人体模型が、室内ににょきにょき立っています。
ここは「模型工場成型部」で、次の彩色部に引き継ぐ前の作業工程です。

これが演出でなく実景だとすると、人体模型の製作は各工程を分業化せず、一人が一体の模型を最後まで仕上げていたのでしょう。右端の女性は、どうやら眼球模型専業のようです。

各自お尻の下に座布団を重ね、これなら椅子とテーブルで作業をした方がはかどりそうな気もしますが、明治の人はどっかと坐った方が気合が入ったのかもしれません。

具体的な作業内容は、この写真だけだと判然としませんが、ここに並ぶのは全て紙塑製模型ですから、紙粘土を型で粗成型した後(後方に見える黒い人体模型は、その木型の1つかもしれません)、手で細部の形を仕上げ、下地の胡粉塗りをしてから彩色部に引き継いだのでしょう。


こちらが「彩色部」の様子です。
頭上には半製品が干されていて、かなり奇怪な光景ですが、職人さんにとってはこれが日常なので、当然のことながらまったく気にする様子はありません。それよりも、エアブラシなんてない頃ですから、すべて筆一本の勝負で、左手前の人の表情など、真剣そのものです。

左赤身、右赤身、総赤身、半骨格、大きいの、小さいの…
こうして見ると、本当に人体模型もさまざまですね。
島津ではそれらを同時並行で製作しており、典型的な多品種少量生産の世界です。


さて、いったん模型工場を出て、隣の建物に入ると、そこは「剥製工場」です。
哺乳類の剥製も見えますが、やはり数が多いのは鳥類で、特にキジの仲間は見栄えがして人気があったせいか、いくつも並んでいます。

写真は出来上がった剥製を台座に取り付ける最終工程で、本当は別室でもっと生々しい作業が行われていたはずですが、さすがにそれはアルバムには載せ難かったのでしょう。


こちらは「顕微鏡室」。
詳しい説明がありませんが、おそらくプレパラート標本や、顕微鏡関連の視覚教材を作った部屋でしょう。背後の棚には、標本の固定や染色に使うらしい薬品類が並び、手前の卓上には完成したプレパラートが置かれています。

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ここで組織的なことを補足しておくと、島津の場合、生物系の商品は、他の理化学機器とは別に「標本部」が所掌しており、標本部主任の下、製造から営業販売まで独立した体制をとっていました。

標本部の中には、上記の模型工場、剥製工場、顕微鏡室から成る「作業部」があり、また鉱物係、植物係、動物係、地歴係から成る「商品部」がありました。そして、これに事務部、販売部を加えた4部から標本部は構成されており、まさに「社内社」ともいうべき存在でした。


このすごい部屋が何だかお分かりですか?
標本陳列室…ではなくて、これが標本部の応接室なのです。
ぜひ、こんな部屋で応接されたいですね。

(おまけ。標本部事務室

もうこの辺でお腹いっぱいかもしれませんが、まあせっかく来たのですから、完成した標本の倉庫・陳列室も見に行きましょう。

(この項つづく)

島津、理科の王国(2)2015年10月29日 21時33分06秒



島津の明治時代のアルバムの中身を見てみます。


開巻、真っ先に出てくるのが、当時の島津の鳥瞰図。

(上の説明図。図では右側が北に描かれています。)

いちばん手前の建物群は、当時の本店で、今も創業記念資料館として往時の建物が残されています。左肩にある創業当時の島津製作所(明治八年)」というのは、初代・島津源蔵が最初に店を構えた、図中7番の長屋の左端。今は長屋も取り払われて庭の一部となり、創業記念碑が立っています。また、右下の「明治二十一年の島津製作所」というのは、同年に新築された、隣の2番の建物のことで、さらに大きな3番の建物が完成したのは、明治27年(1894)のことでした。

(明治の島津本店)

そして、河原町通りをはさんで、その奥に展開する建物群が、明治36年(1903)に新設された河原町工場です。その後、昭和2年(1927)には、図中の18番、16番の建物の位置に新社屋が建ちました(このレトロな建物は、現在「Fortune Garden Kyoto」という商業施設に転用されています)。

さらに、この図からははみ出しますが、島津は大正6年(1917)に、河原町工場から西に4キロ寄った西大寺御池の地に、1万坪の土地を買収し、三条工場を新設。今はそこに本社機能も置いています。

現代の地図↓に位置を落としておくと、Aが島津創業記念資料館、Bが河原町の旧本社、Cが三条の現本社の位置です。ちなみにDは、初代源蔵が足しげく出入りし、お雇い外国人ワグネルに教えを受けた「京都舎密(せいみ)局」の位置です。


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では、手始めに河原町工場の隅に立つ「模型工場」を訪ねてみましょう。


よく見ると…


女工さんはニコニコと微笑み、


人体模型や骨格模型も歓迎してくれているようです。
何となく鬼気迫る感じですが、果たしてこの中には、どんな光景が展開しているのでしょう?

(と、間を持たせながらこの項つづく)

飛び出す解剖絵本2015年05月17日 12時02分55秒

さて、急ぎの仕事も一段落したので、落ち着かぬ気分の中でも、強いて呑気な記事を続けます。

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前回登場した、クロムリンクの解剖図集の中身を一瞥します。


図版は砂目石版で、銅版の鮮明さはありません。判型もB5 判よりちょっと大きいぐらいの、図譜としては小ぶりなものです。解剖図としては廉価版に属するものでしょう。


解剖図集というぐらいですから、こういう当たり前の図も載っているのですが、この本の特徴は、いろいろギミックがあって、仕掛け絵本になっていることです。


たとえば、この頭蓋と脊椎の絵は、


めくり上げると中から脳脊髄が出てきて、


さらに脳髄を二つに断ち割ることができます。


眼球の仕組みも、平面的な図ばかりでなく、


こういうのが


こうなったりして、その構造の理解をたすけてくれます。

こういうポップアップ式の人体絵本は今もありますし、20世紀の初頭には教育目的でずいぶんたくさん作られましたが、1841年という比較的古い年代にも、そうした例があることを知って、軽い驚きがありました。

そもそも仕掛け絵本の歴史はずいぶんと古く、中世にも先例があるそうです。
ことに書籍が大衆化した19世紀には、児童書を中心に大いに流行し、そうした嗜好が解剖図集にも波及していたことを、この本は教えてくれます。



この本には、他にもたとえば腸を持ち上げて腸間膜を観察する頁があったり、


大口を開けた顔が上下するにつれて、食道が伸びたり縮んだりするという、何だかよく分からない仕掛けもあります。

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解剖古書は熱心なコレクターも多く、私も比較解剖学の話題などは、大いに興味をそそられるのですが、個人的に人体解剖の話題はどうも苦手です。知らず知らずのうちに、対象に感情移入してしまうからでしょう。(そのわりに人体模型が好きなのは、彼らにはカラッと陽気な感じがあるからですが、この辺はちょっと説明が難しいです。)

19世紀の人体工場…カテゴリー縦覧:解剖編2015年05月13日 07時09分57秒



C. Crommelinck,
  Atlas du Nouveau Manuel d’Anatomie Descriptive et Raisonné.
   『新版詳説解剖図譜』
  Delevingne et Callewaert (Bruxelles), 1841.

解剖の話題ということで、ベルギーで出た古い解剖図集を開いたら、のっけからこんな図でした(しばらくぶりに開いたので、その存在を忘れていました)。


私が子供のころ、人体を工場にたとえた説明図が、よく科学読み物とかに載っていましたが、その濫觴はかなり古そうですね。


解説ページにも、この第1図については「29ページを見よ」とあるだけで、何の説明もありません。29ページというのは第1図そのもののことですから、まあ一目瞭然、説明不要ということでしょう。

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最初から毒気を抜かれましたが、これだけだとあんまりですから、他のページも見てみます。

(この項つづく)

無常の風きたりぬれば2014年06月20日 00時46分21秒



比較骨格学標本。
左からヒト、ゴリラ、チンパンジー、オランウータン、ギボン(テナガザル)。
シカゴ自然史博物館の展示絵葉書。(1950年代?)


ヒトはこんなにもはかない姿で、こんなにもわずかなものしか持たないのに、それでも宇宙に果敢に挑んでいる。なんて健気なんだろう…と思います。

いずれすべては空無に帰ることを知りながら、なぜ彼・彼女は悩み、微笑み、そして考えることをやめないのでしょう。それをしも業といえば業なのでしょうが、やっぱり「健気」という言葉がいちばん似合うような気がします。

螺旋蒐集(6)…音響螺旋体2014年01月03日 09時50分33秒

多様な生物が螺旋を愛し、螺旋をその身にまとっている。ならばヒトだって…
と、身の内をしげしげ眺めたら、果たして1対の巻貝が頭蓋内に生息しているのを見出しました。


その生息地は耳の奥。


洞窟のような耳道をたどり、鼓膜も越えたさらにその奥に巻貝は眠っています。



蝸牛(かぎゅう)。訓読みすればカタツムリ。
前庭や三半規管とともに内耳を構成する器官です。

ここから先はニューロンの世界。空気の物理的振動が「聴覚体験」へと変容する入口。この貝殻の奥で物質と精神がせめぎ合い、文字通りGHOST IN THE SHELLが跳梁するわけです。


この耳の解剖模型は中村理科工業(現ナリカ)製。おそらく1960年代の品。
(台座の「寄43-4」の文字は、昭和43年(1968)4月寄贈の意味でしょう。)

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 私の耳は貝のから
 海の響をなつかしむ―

博物趣味の欠片…ウサギの骨とドクトル・オゾー2013年12月12日 21時43分02秒

まずはウサギの頭骨標本から。
頭蓋を正中から半切して板に貼り付けてあります。


ご覧のように、下顎が大きく欠損しており、表面の損耗も著しいので、標本としての価値はあまりないと思うのですが、ヴンダーな退廃美が、そこはかとなく漂っている感じがしなくもない。ただ、この標本を買う気になったのは、審美的な要素よりも、むしろラベルに書かれたオゾーの名前に興味を持ったからです。


オゾーのことは、紙塑(パピエ・マッシュ)製人体模型の創始者として、このブログでも何回か触れました。しかし、彼が動物の、しかも「生身」の標本も扱っていたことは知りませんでした。というか、改めて考えたら、オゾーその人について、自分はほとんど何も知らないことに気づいたので、この機会に改めてオゾーについてメモ書きしておきます。

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(Louis Thomas Jérôme Auzoux。wikipediaより)

まずはオーソドックスにウィキペディアの記述から。現在、日本語版には項目がないので、英語版↓から訳出してみます
http://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Thomas_J%C3%A9r%C3%B4me_Auzoux

「ルイ・トーマ・ジェローム・オゾー(Louis Thomas Jérôme Auzoux 1797–1880)はフランスの解剖学者、ナチュラリスト。ルイ・オゾーは1818年に医学の学位を取得し、ギョーム・デュピュイトランと共に、オテル・デュー〔=病院名〕の外科部門に採用された。彼は1820年にフランソワ・アムリーヌの紙塑工房を訪れ、後に(1827年)生まれ故郷であるノルマンディーのサン=トーバン=デクロスヴィルに、きわめて正確な人体および獣医学用解剖模型を製作する工場を設立し、オゾー商会(Maison Auzoux)の名で販売を行った。オゾーはまた動物学・植物学の教育用拡大模型の製作も行った。一連の模型は、構造全体を示すために分解することができたため、「分解解剖模型 anatomy clastique」(ギリシャ語のklastos「ばらばらの」に由来)と呼ばれた。同社はまたそれ以外の博物学関連商品も販売した。」

以上が全文です。これだけだとやや簡にすぎるので、フランス語版ウィキペディア(http://fr.wikipedia.org/wiki/Louis_Auzoux)から、オゾーの商売がその後どうなったかを補足します(Googleによる英訳は一部意味がとれないので適当訳です)。

「1833年、彼はパリのパオン街8番地に、地方や海外への販売拠点ともなる店を構えた。彼が亡くなった後には、世界的に認められた一群の分解解剖模型と、繁栄を続ける工場が残された。だが解剖学の学習手段の増加(写真、ビデオ、インターネット、プラスティネーション…)と、それらとの競争激化により、1980年代に入ると、オゾーの工場はより安価なレジン製モデルの製造に鞍替えし、2000年代初頭にはついに工場をたたんだ。」

…というわけで、オゾーの創業した会社は、彼の死後も長く商売を続けたらしいのですが、例のウサギの頭骨標本ラベルに書かれた「エコール・ド・メディシヌ街9番地」という住所が解せません。上記「パオン街8番地」の店とはどんな関係なのか?それに、「ドクトル・オゾー創業社(Etablissement Du Dr Auzoux)」という屋号も、正体が今ひとつはっきりしません。

いろいろ検索するうちに、以下のページにその辺のことが一寸書かれていました。

La collection de cires anatomiques de l'École du Service de Santé des Armées de Lyon (PDF 4.4MB)

それによると、エコール・ド・メディシヌ街9番地には、19世紀半ばから「トラモン商会 Maison Tramond」という、これまた有名な解剖模型商があったのだそうですが、1929年にオゾー創業社に買収され、同社が同じ場所で解剖模型や博物模型の販売を続けた…とあります()。そしてオゾー創業社は、たしかにあのオゾーが設立した会社に間違いなく、結局「パオン街8番地」と「エコール・ド・メディシヌ街9番地」の店は同じもので、1929年に後者に移転してきたのではないでしょうか。

驚いたことに、上の文章によれば、同社は現在も同じ場所に存続していると書かれています。タウン情報↓を見ると、なるほどたしかにそのようです。
http://www.123pages.fr/en/erp?q=Auzoux&url=http%3A%2F%2Fwww.tuugo.fr%2FCompanies%2Fauzoux-ets-du-docteur%2F012000777290

工場はつぶれても、オゾーの名を受け継ぐ会社が、いまだパリにある―。これはちょっと嬉しい事実。そこで、さっそくストリートビューで現地を訪問してみたのですが、あにはからんや、それらしき看板はどこにも見えず、9番地には喫茶店が鎮座するばかりです。あるいは建物の2階あたりで、ひっそりと営業しているのかもしれませんが、博物学の全盛時代とオゾーの盛名を思うと、なんぼパリでも、やっぱり博物趣味というのはマイナーな過去の遺物なのかなあ…と、一転してわびしい気分になります。

まあ、今でも好事家はいるでしょうし、だからこそデロールも商売を続けられるのでしょうが、博物学の社会的意味合いなり「威信」なりが、当時と全く異なっていることは否定のしようがありません。

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朽ちかけたウサギの骨を眺めながら、思いは過去へ…。
あまり考えが後ろ向きになるのも良くありませんが、要はこの辺が古玩趣味と呼ばれる由縁なのでしょう。

)したがってこのウサギの頭骨標本は、1929年以降に作られたものということになります。

A black hen lays a white egg.2013年07月14日 16時25分55秒

ザッと一雨きて、暑さが幾分やわらぎました。
遠くでは蝉が静かに鳴いています。

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タイトルは「黒い雌鶏が白い卵を産む」。
英語のことわざで、「人は見かけによらない」「外見は当てにならない」という意味らしいです。けだし名言。かと言って、「白い雌鶏が黒い卵を産む」わけでもないので、結局ヒトも、トリも、「見かけは様々でも、中身や行動はそう変わらない」という、一大真理を読み取るべきなのでしょう。

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下は我が家に住む黒い雌鶏。



つぶらな瞳がなかなか可愛いトリですが、でも、彼女はただのトリではありません。


くるっと反対を向けば、身体の構造を惜しげもなく見せてくれる、非常に教育的なトリなのです。


台座のラベルによれば、旧東ドイツ製。


人体解剖模型と同じように、内臓の一部を取り外して、より詳細な構造を調べることもできます。


トリは脳が小さいとよく揶揄されますが、むしろこれだけあれば、生きていくには十分であり、ヒトの方が無駄に大きいのだと思います。

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今日の画像は、HDの隅から見つけた、ずいぶん前に撮った写真です。
涼を誘う…かどうかは分かりませんが、盛夏の時期に、ちょっとヴンダー味を添えてみました。