些話はじめ2024年01月01日 15時22分38秒

新年明けましておめでとうございます。
本日は快晴。昨日の雨に洗われたおかげで、空の色も周囲の光景もさっぱりして見えます。


卯から辰へ、恒例の干支の引き継ぎをするのに、龍の役はやっぱり恐竜かなあ…と思いましたが、考えてみると龍は水に縁があるものですから、ここは海の王者・モササウルスにその役をお願いしました。

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龍といい、ドラゴンといい、その姿は足があったりなかったり、羽があったりなかったり、いずれも変異が大きいですが、荒俣宏氏の『世界大博物図鑑3 両生・爬虫類』の龍・ドラゴンの項をひもとくと、少なくとも東洋の龍は、同じ種類でも成長にしたがって姿と名前が変わるんだそうです。


すなわち中国の『述異記』の述べるところ、「水虺(すいき)は500年にして蛟(こう)と化し、蛟は1000年にして龍と化し、龍は500年にして角龍と化し、角龍は500年にして応龍と化す」のだとか。

荒俣さんの解説には、「水虺は水にすむマムシ、要するに海蛇のことだろう。これが500年たつと蛟(みずち)に化ける。蛟は龍のなかまだが、眉が交叉するので蛟といい、よく魚を引き連れて飛ぶ。次の龍は角を持たず、角を生じると角龍になり格上げとなる。最後が有翼の応龍で…」云々とあります。なんだか出世魚やシン・ゴジラみたいですね。

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荒俣さんの上掲書には、「ドラゴンの歯」は幸運と健康を約束するお守りだとも書かれていました。

皆さまのご多幸を祈りつつ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

元旦地震2024年01月02日 12時09分59秒

御屠蘇気分で呑気なことを書いたら、そのすぐ後に地震が襲ってきました。
時の経過とともに被害の様子が明らかとなり、大変な年明けとなりました。
まずもって被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。

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ことわざに「一年の計は元旦にあり」と言いますが、それはもっぱら人間のふるまいについて言うことであって、地震は人間の都合なぞ顧みることなく、まさに時知らず…と書きかけて、「ちょっと待てよ」と思いました。何か以前、それについて話題にした気がしたからです。

過去記事をさかのぼると、それは2017年のことでした。


■海洋気象台、地震に立ち向かう(その3)

上の過去記事は、1923年の関東大震災の際、神戸海洋気象台のスタッフが実地踏査も踏まえてまとめた以下の報文について、前後3回にわたって紹介したものです。


■K. Suda:  On the Great Japansese Earthquake of September 1st, 1923.
 (須田皖次、『1923年9月1日の日本大震災について』)

拙文を引くと、記事中以下の文章が出てきます。

「著者の須田は、さらに地震の成因論についても筆を進め、それを主要な(principal)要因と、副次的・偶発的な(occasional)要因に分けて論じています。

前者については、地下での歪みの段階的蓄積と、それが相対的に弱い部位で解放されるという、地震の基礎的な理解に関わるもので、最初に掲げた地質図を議論の足掛かりとしています。

後者は、地震の直接的な「引き金」となる要因に関する所論で、地磁気や他の天体の影響、あるいは潮位や気圧の変化に言及していますが、いかにも気象台らしく、特に最後の2つ、すなわち潮位変化と気圧変化については、データを元に詳しい検討を加えています。(天体の影響が気になりますが、それについては、同時代の寺田寅彦が太陽活動と地震の関係について論じている事実に触れている程度です。)」

ここに季節や暦のことは出てきませんが、気圧という気象条件の変化が、地震の引き金になりうるのでは…という当時(大正時代)の考えが顔をのぞかせています。これは一種の検証仮説で、一つの地震のデータから何か結論めいたことが言えるわけではないでしょうが、こうした仮説がその後どうなったかが気になりました。

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手元で検索すると、すぐに以下の論文が見つかりました。

■岡田 正実
 日本付近の大地震発生の季節変動と地域性
 地震(第2輯)35 巻(1982)1 号、pp.53-64.

岡田氏は当時気象庁海洋課勤務で、のちに同庁地磁気観測所長を務められた方です。これとても40年以上前に発表されたものですから、現在の地震学のスタンダードに照らしてどうなのか、門外漢には不明ですが、プレートテクトニクス理論に基づく新しい地震学を背景にした比較的近時の論として、その知見に耳を傾けてみます。

それによると、過去の地震のデータから、地震には確かに季節変動性が認められる…というのが、岡田氏の結論です。ただし、その様相は単純ではありません。そこには明瞭な地域差があって、内陸部では春~夏に多く、太平洋側では北海道~三陸沖の親潮域では春に、そして宮城県沖~南海道の黒潮域では秋~冬に多い傾向が認められるといいます。

そうした変動の原因として、内陸部では、降水や融雪による地下水の増加が、断層部の摩擦力低下を生み、それが地震発生の引き金として作用している可能性があり、また海底で発生する地震に関しては、大陸プレートと海洋プレートの荷重変動がその主因であり、そこに最も影響するものとして、潮位低下や陸水減少による大陸プレートへの荷重減少を岡田氏は推測しています(この場合も摩擦力の減少――ここではプレート間の摩擦力の減少――が、地震の直接の引き金となるわけです)。

後段のメカニズムに関する部分は、もちろん推測の域を出ないにしろ、前段の季節的変動の存在の指摘は、過去のデータが物語る事実ですから、地震は決して「時知らず」ではなく、時を心得ていることになるのでしょう。

なお、岡田論文では、能登半島周辺、あるいはさらに広く日本海側の地震については、データが少ないことから分析・言及の対象にしていません。能登半島はもともと地震の少ない土地と思われていた気配がありますが、1993年の能登半島沖地震以降、大きな地震が立て続けに襲ったことで、地震好発地のイメージに転じた感があります。

 能登半島沖地震 1993年2月7日
 能登半島地震 2007年3月25日
 令和5年奥能登地震 2023年5月5日
 令和6年能登半島地震 2024年1月1日

こうしてみると同地域の最近の地震は、なんとなく冬~春に多いように見えますが、そこに何か理由があるのかどうか、素人がウロンな妄説を唱えるのはよろしくないので、ここは専門家の考証を待ちたいと思います。

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地震ありし 海のしきりに 稲妻す  原田杉花

ガリレオの木星盤2024年01月06日 17時05分16秒

明日の日曜日から月曜日にかけて、能登は雪ないし氷雨の予報です。
高齢の方も多い地域です。寒さがどうか御身体に障りませんように。

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ジョヴィラーベ(Jovilabe)という天文器具があります。
かなりマイナーな装置なので定訳もありませんが、語義から「木星盤」と訳すのが良いように思います。


上はフィレンツェのガリレオ博物館(Museo Galileo)が所蔵するジョヴィラーベのレプリカです。ポータブルな器具とはいえ、約39×19cmと結構大きいので、手に持つとズシッときます。


ジョヴィラーベとは、木星の四大衛星(ガリレオ衛星)の動きを知るためのアナログ計算機です。

ジョヴィラーベの動作原理を図示した、ガリレオの手稿が残されているので、これが彼の発明になることは確かです。ただし、彼がこのような真鍮製の完品を製作した記録はありません。ガリレオ博物館に残されているのは、メディチ家の一族であるレオポルド・デ・メディチ(1617-1675)の旧蔵品で、ガリレオの死後に作られたものだそうです。


ジョヴィラーベは、大円盤と小円盤という主に2つのパーツから成ります。

上部の大きな円盤の中央にあるピボットは木星を表し、その周囲に描かれた4つの円は各衛星(内側からイオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト)の軌道です

地球からは、ガリレオ衛星の各軌道をほぼ真横から見る形になるので、衛星は線分上を往復運動する4つの光点として観測され、ガリレオも最初はこれが木星の衛星とは気付きませんでした。それでも、光点の位置を連続して記録しているうちに、これが衛星であることを確信し、その公転周期を割り出すこともできました。

光点(衛星)と木星の距離を測定する際、ガリレオは木星の視半径を単位にそれを記録しました。大円盤に刻まれた平行線スケールがそれで、線の間隔は木星の視半径と等しくなっています。(ですから中央のピボットは単なる金具ではなく、木星のリアルな模式図にもなっています。要するに大円盤は木星近傍を上から見たチャート図です。)


各軌道とスケールの交点に書かれた小さな数字は、衛星が軌道上のその位置に来たとき、木星から何ユニット(1ユニット=木星の視半径)離れて見えるかを示しています。

逆に言うと、地球から観測したとき、木星と衛星が何ユニット離れているか分かれば、衛星の軌道上での位置が求められます。(ただし、1本の目盛り線は軌道円と2箇所で交わるので、衛星が今どちらの交点にいるのか、1回の観測では決定不能です。でも連続的に観測していれば、木星との距離が現在拡大中か縮小中かはすぐわかるので、その位置は容易に決定できます。)


そして、ある時点における衛星の軌道上の位置が分かれば、それぞれの公転周期から、1時間後、2時間後…、さらに1日後、2日後…の位置もただちに求められます。それを知るためのツールが、ジョヴィラーベの下部に用意された数表です。

たとえば上の画像は、ガリレオが「第3衛星(Medij Motus Tertiae)」と呼んだガニメデの運動量を表にしたものです。「in Diebus」すなわち日数を単位にすると、1日後(24時間後)には軌道上を50度14分18秒、2日後には100度28分36秒移動していることを示し、隣の「in Horis」は同じく時間を単位にして、1時間後には2度5分36秒、2時間後には4度11分12秒移動することを表しています。

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ただし、上記のことには保留が必要です。

例えばガニメデは上記のような具合で、軌道を1周するのに約7日間かかります。さらに外側を回るカリストだと、公転周期は16日半にもなります。この間、地球と木星の位置関係が不変なら問題ないのですが、カリストが軌道上をグルッと1周して元の位置に戻ってきても、その間に地球の方も動いている(公転運動)ため、カリストの見かけの位置は違って見えます。

これは衛星が木星面を横切ったり、その背後に隠されたりする現象(掩蔽)の予測にも影響するので重大です。(そもそも、ガリレオが四大衛星の動きにこだわったのは、それを地球上の特定地点の経度決定に必要な「ユニバーサル時計」として使えないかと考えたからです。)


それを補正する工夫が、ジョヴィラーベの下部にある小円盤であり、それと大円盤をつなぐクランク機構です。小円盤の中心は太陽で、円周は地球の公転軌道、円周上にあるツマミが地球の位置を表します。

地球の公転軌道はガリレオ衛星の公転軌道よりもずっと大きいので、大円盤と小円盤は同一スケールにはなっていませんが、重要なのは、装置の上で<太陽―地球>の距離と、<太陽―木星>の距離が同一スケールで表現されていることです(木星の軌道長半径は地球のそれの5倍強です)。

(Aはプラス、Sはマイナス補正を意味します)

そのため、クランクを回すと太陽・地球・木星の位置関係に応じた視線方向の変化が分かり、装置最上部の目盛りでその変化量(-12度~+12度)を読み取ることで、衛星の見かけの位置を補正して、軌道上での「真の位置」(※)を知ることができるわけです。

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なんだか分かったようなことを書きましたが、どうも一知半解の感がぬぐえないのと、説明がいかにも拙いので、より正確な情報を下に挙げておきます。


■Jovilabe 
 ※ガリレオ博物館が制作した解説動画

■Guido Dresti and Rosario Mosello
 Rethinking and Rebuilding Galileo’s Jovilabe
 Bulletin of the Scientific Instrument Society No. 139 (2018) pp.12-16
 ※以下からフリーダウンロード可能


(※)【1月7日付記】 ここでいう「真の位置」の基準は、天球ではなく、太陽と木星を結ぶラインです。したがって、ガリレオがいう木星の衛星の公転周期は「恒星月」ではなく、「(木星から見た)朔望月」です。また小円盤上を地球が1周するのに要する時間も、地球の1年ではなく、地球と木星の会合周期=約399日になります。

アストロラーベで天意を読み解く2024年01月07日 09時33分15秒

昨日登場したジョヴィラーベは、これまで何度か紹介したウクライナのブセボロードさん(屋号はMasterTerebrusの製品です。ああいう渋い品を一般向けに供給してくれるブセボロードさんのような存在は本当に貴重です。

しかし、ウクライナの状況はご承知のとおり。
いろいろな出来事が立て続けに起きる中、メディアを通じて入ってくるウクライナ関連の情報も一時より薄くなっている気がしますが、情勢は緊迫したまま推移しており、東部諸州はもちろん、首都キーウへのロケット攻撃もやんではいません。ブセボロードさんが、制作活動に専心できる世の中が一日も早く訪れてほしいと願うばかりです。

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先日、ブセボロードさんから新年のあいさつと共に、能登半島地震へのお見舞いの言葉をいただきました。自身が大変な中、他者を気遣えることは、彼の豊かな人間性を物語るものです。

メッセージの中でブセボロードさんは、MasterTerebrusが昨年1年間に稼いだお金の大半がウクライナ軍支援のために使われたと述べています。ヘルメット、発電機、チェーンソー、ストーブ…そうした多くの備品を、各部隊に寄贈するためです。

ウクライナでは、そうしたボランタリーな支援に感謝の意を表するために、当該部隊のバッジ(徽章)を贈るというインフォーマルな習慣があるそうで、ブセボロードさんは「どうです、これはなかなか高価なコレクションなのですよ…」と書き添えて、その写真を送ってくれました(それだけの費用がかかっているという意味でしょう)。


ということは、私がMasterTerebrusの製品を購入したことは、回りまわってウクライナ軍の支援にもなったわけです。私は平生、平和主義を唱えていますが、それと同じ重みで大国の膨張主義には反対しているので、これはあえて義挙として、自ら誇りたいと思います。

MasterTerebrusは、典型的な多品種少量生産のお店なので、いちどきに注文が重なると、かえってブセボロードさんの負担が増えてしまうかもしれませんが、その点を念頭におきつつ、アストロラーベや天文機器がお好きな方は、ぜひショップ【LINK】を覗いてみてください。(ジョヴィラーベも今ちょうど一点在庫があるようです。)

【おまけ】


緑したたる美しい路地。キーウの街の何気ない日常―。

Google ストリートビューが見せてくれるその世界は、しかし2015年当時のものです。仮に多くの建物がそのままだとしても、そののんびりした空気感はとうに失われてしまったことでしょう。痛ましいというほかありませんが、前年の2014年にはロシアのクリミア併合があり、現在へと至る種は、すでにまかれていたのかもしれません。

地上の星、天上の星2024年01月08日 13時22分44秒

先日、年末に注文した品が届きました。今年の初荷です。
それは現代の技術と感覚で作られた、1枚の美しい星図…のはずでした。
でも、輸送用チューブの中から出てきたのはマドンナのセクシーポスターで、「げげ!」と思いました。


このポスターは彼女のアルバム「Bedtime Stories」のリリース(1994)に合わせて作られたものらしく、まあマドンナもスターには違いないでしょうが、私が求めたのは別の星です。

もちろん売り手の方にはすぐ連絡を取りました。
その結果判明したのは、これは売り手ではなく、eBayインターナショナル・サービスセンターのミスだということです。eBayで買い物をされた方はご承知でしょうが、eBayの海外発送はかなり複雑で、途中いくつも業者が介在して荷物の受け渡しを行うのですが、その過程でラベルの貼り間違いが生じた…というのが、今回の出来事の原因でした。聞いてみれば「なるほどそんなこともあるのか…」と思いますが、これまでにない経験だったのでビックリしました。(ただし、その後のeBayの対応は早かったです。クレームを入れると、すぐに返金処理をしてくれました。この点は先日のPayPalと違うところです。)

それにしても、三者間の取り違えでない限り、私の星図はマドンナの到来を待ち望む人の元に届いたはずで、その人もずいぶん驚いたことでしょう。

大事小事、この正月は驚くことが多いです。

再生のとき2024年01月13日 12時10分37秒

なんだか駄目ですね。その後の地震報道の影響もあるのか、何となく心が弱っている感じがします。こういう時は何をやってもうまくいきません。もちろん、それは誰のせいでもなく、私自身の心のありようのせいです。

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以前、「Dawn(夜明け)」と題した絵葉書を載せました。


最近、それとよく似た構図の絵葉書を見つけました。


Der junge Dag ―― 英語にすれば「The young day」。

ここには、朝焼け、新月、明けの明星そして幼児といった「若さ」や「ものごとの始まり」のシンボルが満ち満ちています。母なる海を離れ、今砂浜に第一歩をしるした幼児は、人生の歩みを始めたところなのでしょう。


しかし、幼な子にふさわしからぬ巨大な鎌を担いでいる姿は、異様でもあります。
この鎌は新月のシンボルかもしれませんが、同時に命を刈り取る死神の鎌をも意味しているのでしょうか。彼(彼女)が脇に抱える砂時計は、明らかに「有限の生」の象徴です。

始まりがあれば終わりがある―。
幼児は自らが有限な存在だと知りつつも、それが人としての矜持であるかのように、決してその歩みを止めない…そんな強さを画家は描きたかったのかもしれません。

そして、終わりがあればまた始まりもあるのです。
たとえ幼児が、この先病に倒れ、老いに疲れ、死に至ろうと、新たな生が彼(彼女)のあとを追って歩みを続けることでしょう。


この鳥の素性は不明ですが、その姿は雛鳥であり、赤い鳥には「再生、変革、新しいサイクルの始まり」といった寓意があるそうなので、他のオブジェとともに、ひとつながりのシンボルを構成しているように読めます。


なお、この絵葉書はドイツ語のタイトルを持ちますが、発行はロンドンの「J. Harrap & Son」社で、先の「Dawn」と同じです。画工もおそらく同じでしょう(彼はこの主題にひどく執着していたようです)。

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この先、被災地の物理的な復興はもちろん、人々の心の復興がなしとげられることを強く願います。

天文古玩の書斎を形にする2024年01月14日 05時56分57秒

天文アンティーク趣味というのは、いにしえの星ごころや、現代では失われた美的感覚を古いモノの中に探し求めるという、なかなか床しい趣味なわけですが、そんな苦労をしなくても、最近はAIがなんでも形にしてくれるので、趣味の在りようも今後は変わっていくのかもしれません(目を愉しませるだけなら、AIの画像を見てればよろしい…となりかねないからです)。

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生成AIの進歩は目をみはるばかりです。
描画用のそれにしても、ちょっと前まで指示の与え方が結構面倒くさかった記憶がありますが、今や誰でも簡単にお絵描きできるようになりました。

たとえば「天文古玩の書斎、ブリューゲル風」と指定したら、こんな絵を描いてくれました。


なかなか楽しげな絵ですね。そこがブリューゲル風なのか、小さな奇妙なフィギュアがたくさん机上に載っていますが、これはたぶんAIが「古玩」を「古いおもちゃ」と解釈したからで、「尾形光琳風」と指定しても、やっぱり下のような感じで返してきます。


それなら…と、こんどは「天文アンティークのコレクターの書斎」を光琳風に描いてもらったら、とたんに壮大な光景に転じて、なんだか極端だなあと思いますが、それにしてもAIというのは賢いものだと感心することしきりです。


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でも、最初は面白くても、やっているうちにだんだん飽きてくるのも事実。
それは一連の画像にどこか「AI臭さ」があって、一見多様なようでいながら、描法が単調だからだと思います(これは「アニメ風に」とか「劇画風に」とか、いろいろ指示を変えても、どこまでも付きまとうものです)。

じゃあ、と気を取り直して、「とてもAIが描いたとは思えない画風で」と指定したらどうか?


やってみると、「えー、ぜんぜん普通じゃん…」という結果でした。
それならば、『いかにもAIが描いたような絵で』と命じたらそれっぽく描けるのか?と、しつこく試したところ、


「おんなしやないか!」と、思わず関西弁で声が出ました。
どうも現状はこの辺にまだ課題を残しているようです。

天文学者のライブラリ2024年01月16日 05時40分19秒

忘れないうちにメモ。
一昨日の記事を書いてから、思い立って天文古玩のリアルな書斎のイメージを探しているときに、以下の本が目に留まりました。


■Karen Masters 
 The Astronomers’ Library:The Books that Unlocked the Mysteries
  of the Universe.
 Ivy Press (The Quarto Group)、2024(4月予定)、272p.

書物を通して天文学史を俯瞰したヴィジュアル本…というと、先年開催された「天文学と印刷」展過去記事にLINK】の図録を思い出しますが、こちらは時代も国もさらに広く採り上げているようです。

版元の説明によれば、

「過去800年にわたる最高の天文学書のコレクションを存分にお楽しみください。『天文学者のライブラリ』は、ヨーロッパ全土にまたがる天文学(および占星術) の書籍発行に関する充実した歴史書です。本書はドイツ、フランス、イタリア、オランダ、スペイン、英国など、ヨーロッパ大陸中の出版物を厳選して収め、また当然のことながら、占星術の本家本元である中東にも焦点を当て、ペルシャの本を複数採り上げています。」

…とのことで、これは相当期待が持てます。

構成は、「星図(Star Atlas)」、「異世界の地図を作る(Mapping other Worlds)」、「天文学と文化(Astronomy and Culture)」、「宇宙モデルの発展(Developping our Model of the Universe)」、「天文学の大衆化(Astronomy for Everyone)」、「現代の天文学(Modern Astronomy)」の全6章。

来たる4月刊行予定なので、まだしばらくはお預けですが、眺めるだけでも楽しそうだし、今後の購書の参考になる部分もきっとあるでしょう。アメリカのAmazonではすでに予約受付が始まっていましたが、日本のAmazonではまだデータベースに未登録なので、もう少し待ってから発注する予定です。なお、電子書籍も用意されていますが(こちらもリリース前です)、個人的には当然紙の本で眺めたいところ。

今ふたたびのグスコーブドリ2024年01月17日 05時21分16秒

心を落ち着かせるために、1冊の本を購入しました。


■宮澤賢治(原作)、司修(文・絵)
 グスコーブドリの伝記
 ポプラ社、2012

この作品は賢治の原文のままではなく、司修氏の再話により文章は大幅に切り詰めてあります。それを補うものが氏の描く青い絵です。本書は文章を読むのと同じぐらい、あるいはそれ以上に「絵を読む」ことが大切な本かもしれません。


本書が出版されたのは2012年です。
作者がその制作を思い立ったのが、前年の東日本大震災の経験によるのかどうかは分かりませんが、私の中ではそれが直感的に結びついています。


思えば東日本大震災の折も、私はブドリを読んでいました【LINK】。
あのときは地震と津波に加えて原発事故もあったので、今回の能登半島地震よりもさらに焦燥感が強かったかもしれません。そして、祈るような気持ちで事態の収束を願い、命の危険を顧みず活躍するおおぜいの人に向けて、無言の声援を精いっぱい送っていました。



【閑語】

ここからはブドリと直接関係ない話なので、記事から切り離します。

たしかに今の我々は、当時と同様のシチュエーションを目にしています。
でも、何かが違う。そう思うのは、被害規模の違いだけにとどまらない、何か質的な違いを世間の空気に感じるからです。

いったいこの13年間で、何が変わったのでしょう?
あまり奥歯にものの挟まった言い方をせず、はっきり言わせてもらえば、この間に安倍という人物が日本を破壊しつくしたことが、その最大要因だと私は考えています。

以前も書きましたが、安倍氏の「負の功績」の最たるものは、社会の建て前を破壊したことだと、私は思います。社会正義とか文化的価値は言わずもがな、「一国の総理が嘘をついてはいけない」とか「人を愚弄してはいけない」とか、そんな当たり前のことを、彼はあえて分かろうとしなかった。彼が拝跪したのは、あけすけな「力」であり、新自由主義であり、自己責任論であり、それに迎合する者にはたっぷり飴を与え、異を唱える者は進んで排除しました。しかも、それを陰でこっそりやるのではなく、公然と人々に見せつけました。そして棄民政策とポピュリズムの奇妙な混合物をこしらえ、「パンなきサーカス」を延々と繰り広げて、人々の愚民化を推し進めたのです。

その結果、人々は彼の望み通り「愚民」となり、世の中から「尊い怒り」が消えて、愚かな怒りと冷笑があふれかえるようになりました。あるいは恐るべき無関心が―。今回の被災地支援をめぐって感じる違和感の正体は、たぶんそれだろうと、これを書きながら思いました。

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なんでそんなことになってしまったのか?

ひとつには「貧すれば鈍す」で、社会の中間層がごっそり削り取られ、人々がおしなべて貧しくなったことがあります。もうひとつは安倍氏の振る舞いを見て、「へえ、こんなんでいいんだ」と、子どもも大人も誤学習してしまったこと。

でも、病根はそれだけではありません。
それだけなら話はむしろ単純なのです。
私が心配しているのは、もう何年にもわたって、人々は国を挙げての「学習性無力感の獲得実験」の被験者にされてしまったのではないか…という点です。

何をしても自分の力では事態を好転させることができない…そんな経験を延々と重ねれば、人は必然的に無気力と無感動を身に付けざるを得ません。苛酷な虐待経験もまた同様です。その被害者は、ときに意識を切り離す術を身に付け、傷つけられる自分をあたかも他人であるかのように眺めることで、辛うじて自らを守ることすらあります。いわゆる解離の現象です。

ここで大きな問題は、ネガティブな環境から逃れても、その影響が長く続くことです。我々もまた「安倍的なるもの」の被害者にしてサバイバーであり、安倍氏亡き後もその影響に苦しみ続けていると、私には感じられます。もちろんその影響は、私自身にも及んでいます。

しかし、たとえ苛酷な虐待の経験者でも、その経験に圧倒されっぱなしではなく――長い苦闘の末ではあれ――ついに「他の誰でもない、自分こそが自分自身のあるじなのだ!」という主体性の感覚を取り戻す人はいます。そこに適切な支援があれば、おそらく多くの人がそうでしょう。

その意味で、この国の人々が―そして私自身が―ふたたび自信と主体性を取り戻すことはできると信じたいです。そう、「粉々に砕かれた鏡の上にも、新しい景色は映される」のです。



天上のチェス2024年01月19日 17時34分04秒

この前、「天文古玩の書斎」の絵をAIに描かせたら、「古玩」を「古いおもちゃ」と解釈して云々…ということを書きました。それは確かにAIの認識不足なんですが――「古玩」という言葉は「骨董」とほぼ同義です――私は天文モチーフの玩具やゲームにも強く惹かれているので、これはまあ悪くない誤解です。

ここで「天文モチーフの玩具やゲーム」といい、あえて「天文玩具」「天文ゲーム」と言わないのは、そうした品の中には、内容的に天文と全然関係のない、単にデザイン上の工夫として天文モチーフを取り入れているだけの品が結構多いからです。しかし、たとえ後者であっても、ときに目を見張るような効果を挙げている例もあって、見ればやっぱり食指が動きます。

以下は、以前も触れた【LINK】サリダキスさんによる8年前のツイートですが、これを見たときの衝撃は大きかったです。


画像はメトロポリタン美術館(MET)からの引用なので、オリジナルページにもリンクを張っておきます。


この極美のチェスセットは、ドイツの彫刻家/メダル製作者であるマックス・エッサー(Max Esser、1885-1945)がデザインし、チェス駒をリヒャルト・バルト(Richard Barth)が、盤のエナメル細工をフリーダ・バスタニア(Frieda Bastanier)が手掛けた逸品です(あとの二人は経歴未詳ですが、たぶん専門の工匠でしょう)。

サリダキスさんにならって、私もMETの画像をお借りして貼っておきます。



うーむ、すごいですね。



上で述べたように、チェスという遊びは別に天文とは関係ないはずですが、こうして天文モチーフで仕上げると、とたんに「天上の神々の戦い」みたいになって、壮大なドラマをそこに感じます。



駒はあきれるほどカッコいいし、この盤の造形もすさまじいです。
私はチェスのルールをまったく知らないので、仮にこれが手元にあっても眺めることしかできませんが、もしこのレプリカが売り出されたら、万難を排して入手に努めるかもしれません。これこそ「天文古玩の書斎」にはぜひあって欲しい品です。

…と書きながら、ぼんやり思案をめぐらせていることがあるので、それについてはまた後日書ければと思います。