今ふたたびのグスコーブドリ2024年01月17日 05時21分16秒

心を落ち着かせるために、1冊の本を購入しました。


■宮澤賢治(原作)、司修(文・絵)
 グスコーブドリの伝記
 ポプラ社、2012

この作品は賢治の原文のままではなく、司修氏の再話により文章は大幅に切り詰めてあります。それを補うものが氏の描く青い絵です。本書は文章を読むのと同じぐらい、あるいはそれ以上に「絵を読む」ことが大切な本かもしれません。


本書が出版されたのは2012年です。
作者がその制作を思い立ったのが、前年の東日本大震災の経験によるのかどうかは分かりませんが、私の中ではそれが直感的に結びついています。


思えば東日本大震災の折も、私はブドリを読んでいました【LINK】。
あのときは地震と津波に加えて原発事故もあったので、今回の能登半島地震よりもさらに焦燥感が強かったかもしれません。そして、祈るような気持ちで事態の収束を願い、命の危険を顧みず活躍するおおぜいの人に向けて、無言の声援を精いっぱい送っていました。



【閑語】

ここからはブドリと直接関係ない話なので、記事から切り離します。

たしかに今の我々は、当時と同様のシチュエーションを目にしています。
でも、何かが違う。そう思うのは、被害規模の違いだけにとどまらない、何か質的な違いを世間の空気に感じるからです。

いったいこの13年間で、何が変わったのでしょう?
あまり奥歯にものの挟まった言い方をせず、はっきり言わせてもらえば、この間に安倍という人物が日本を破壊しつくしたことが、その最大要因だと私は考えています。

以前も書きましたが、安倍氏の「負の功績」の最たるものは、社会の建て前を破壊したことだと、私は思います。社会正義とか文化的価値は言わずもがな、「一国の総理が嘘をついてはいけない」とか「人を愚弄してはいけない」とか、そんな当たり前のことを、彼はあえて分かろうとしなかった。彼が拝跪したのは、あけすけな「力」であり、新自由主義であり、自己責任論であり、それに迎合する者にはたっぷり飴を与え、異を唱える者は進んで排除しました。しかも、それを陰でこっそりやるのではなく、公然と人々に見せつけました。そして棄民政策とポピュリズムの奇妙な混合物をこしらえ、「パンなきサーカス」を延々と繰り広げて、人々の愚民化を推し進めたのです。

その結果、人々は彼の望み通り「愚民」となり、世の中から「尊い怒り」が消えて、愚かな怒りと冷笑があふれかえるようになりました。あるいは恐るべき無関心が―。今回の被災地支援をめぐって感じる違和感の正体は、たぶんそれだろうと、これを書きながら思いました。

   ★

なんでそんなことになってしまったのか?

ひとつには「貧すれば鈍す」で、社会の中間層がごっそり削り取られ、人々がおしなべて貧しくなったことがあります。もうひとつは安倍氏の振る舞いを見て、「へえ、こんなんでいいんだ」と、子どもも大人も誤学習してしまったこと。

でも、病根はそれだけではありません。
それだけなら話はむしろ単純なのです。
私が心配しているのは、もう何年にもわたって、人々は国を挙げての「学習性無力感の獲得実験」の被験者にされてしまったのではないか…という点です。

何をしても自分の力では事態を好転させることができない…そんな経験を延々と重ねれば、人は必然的に無気力と無感動を身に付けざるを得ません。苛酷な虐待経験もまた同様です。その被害者は、ときに意識を切り離す術を身に付け、傷つけられる自分をあたかも他人であるかのように眺めることで、辛うじて自らを守ることすらあります。いわゆる解離の現象です。

ここで大きな問題は、ネガティブな環境から逃れても、その影響が長く続くことです。我々もまた「安倍的なるもの」の被害者にしてサバイバーであり、安倍氏亡き後もその影響に苦しみ続けていると、私には感じられます。もちろんその影響は、私自身にも及んでいます。

しかし、たとえ苛酷な虐待の経験者でも、その経験に圧倒されっぱなしではなく――長い苦闘の末ではあれ――ついに「他の誰でもない、自分こそが自分自身のあるじなのだ!」という主体性の感覚を取り戻す人はいます。そこに適切な支援があれば、おそらく多くの人がそうでしょう。

その意味で、この国の人々が―そして私自身が―ふたたび自信と主体性を取り戻すことはできると信じたいです。そう、「粉々に砕かれた鏡の上にも、新しい景色は映される」のです。



彗星と赤い目をした象(前編)2023年11月11日 09時53分15秒

ギリシャ神話だと、天空はアトラス神によって支えられています。
一方、インドでは古来、巨大な象や亀が世界を支えていることになっています。


最近、こんな版画を見つけました。「USMC/地球を支える象の版画/作者サイン入り/86年ハレー彗星」と題して、eBayに出品されていたものです。


版面サイズは108 ×137mmと 、ほぼ葉書サイズの小さな木版画です。
まずは売り手の言葉に耳を傾けてみます。

「この品の歴史は不明です。これはニューヨーク市近郊で何十年も希少本の専門家として働いてきた私の母の遺品です。この上質の手漉き紙に刷られた絵の下には、以下のような文言が書かれています。

「SIC SEMPER TYRANNIS(羅:暴君は常にかくの如く=専制的な指導者は必然的に打倒される)」、「A Felicitious New Year to you and yours (ご一同様が良き新年を迎えられますように)」「ALAN C. NAIMAN 86」(この読み方は間違っているかもしれません)」

絵柄は地球を支えている象で、彼は亀に乗っているように見えます。また彼は鐘を引きずっていて、その鐘にも何か文字が書かれているようですが、私の老眼には定かでありません。スターダストの浮かぶ空には彗星が飛んでいます。ハレー彗星が最後にやってきたのが 1986 年ですから、それと関係があるかもしれません。でも、はっきりしたことは分かりません。いずれにしても興味深い品です。〔以下略〕」

タイトルにあるUSMCとは、United States Marine Corps(アメリカ海兵隊)のことで、象のお尻のところにこの文字が縦書きされています。

これが1986年に回帰したハレー彗星をモチーフにしているのでは?という、売り手の意見に私も賛成です。1986年を祝うかのように、遠い宇宙から飛来した客人を、作者はぜひ描きたかったのでしょう。

さらに私なりの推理を加えてみると、この年はイラン・イラク戦争の最中であり、アメリカのレーガン政権が、そこに直接的な軍事介入を画策した時期に当たります。買い手の方は首をひねっていましたが、象の足にくくりつけられた鐘は、そのひびの入り方から見て、アメリカ独立の象徴である「自由の鐘」とみていいでしょう。


(自由の鐘)

すなわち、この白象はアメリカの正義をかかげて進むアメリカ海兵隊の分身であり、彼らこそ世界を支える存在だ…という、かなり愛国的なメッセージを、そこに読み取ることができます。結局、この作品は、ある経歴不詳の版画家が(その腕前から見て、彼はプロないしセミプロでしょう)、派兵を前にした海兵隊の友人と、その同僚や家族を鼓舞するために、これを刷って贈ったのではないかと想像します。

   ★

一応、この作品のコンテクストは、そんなふうに読み解けます。
でも、私の目にはまた別の意味を帯びて感じられます。もちろん、これは作者の意図を離れて、私が勝手に読み取ったものに過ぎません。

私が連想したのは、賢治の童話『オツベルと象』です。
このお話に出てくる象は、本当に気のいい奴で、狡猾なオツベルの言葉に何の疑問も持たず、頼まれごとは何でも引き受けます。でも、いいように酷使されているうちに、やがて憔悴しきったその顔に「赤い竜の目」が光るようになります。


この版画に描かれた「自由の鐘」は、自由どころか、この象にとっては「くびき」そのものであり、またアメリカの正義なるものが、まったく恣意的で信の置けないものであることは、今回のイスラエルの横暴に対するアメリカの態度を見ても分かります。そしてこの象も、今や赤い目をして、重そうにアメリカの大義を引きずり、世界はその鼻先で危ういバランスをとっているのです。

そんな目でこの絵を眺め、今の世界を顧みるとき、いかにも複雑で苦いものが感じられるのではないでしょうか。

   ★

…と、ここまで書いて、いい気持ちになっていましたが、文章を書き上げた後で、この版画の作者が突如わかったので、後編ではそのことを書きます。

(この項つづく)

賢治先生、よい旅を!2023年09月27日 18時49分24秒

――賢治先生!

おや、あなたは?

――はじめまして。先生がボクのことをご存知ないのは当然です。ボクは先生没後のファンなんです。

ああ、そうなんですね。

――このたびは没後90周年、おめでとうございます。

ありがとう…というのも妙な気分ですが、もうそんなになりますか。

――ええ。何せ先生が亡くなられた後に生まれたボクの父が、先年老衰で亡くなったぐらいですから。

なるほど。でもそんなに長い間、私のことを覚えていてくれる人がいて嬉しいです。

――ボクだけじゃありません。本当に多くの人が先生のことを思ってるんです。

それをうかがうと、私がなかなか彼岸に出立する決心が付かなかったのも道理ですね。

――先生のお袖を引いたみたいで申し訳ありません。でもお会いできてよかった。そういえば、お彼岸の時期には間に合いませんでしたが、先生の旅のお供にと思って、こんなものを見つけました。


おや、これは?

――盛岡高等農林特製のクールミルク…先生はこの品をご記憶じゃありませんか?ぜひ母校の味を味わっていただければと思ったんですが。

これはありがとう。懐かしいですね。ただ、これは私の在学中の品じゃありません。もう少し後に出たものでしょう。

――それはちょっぴり残念です。でも、お口にされたことは?

ええ、飲んだことがあるのは確かです。でも味の記憶がちょっと曖昧で…。

――何だか微妙な感じですね。

(旧・盛岡高等農林学校 門番所。ウィキペディアより)

そもそも、あなたはこれをどんな飲み物だと思われますか?

――なんでしょう、コンデンスミルクみたいなものですか?

見た目はたしかにそんな感じですが、でも味はもっと酸っぱいです。大正8年…というと1919年ですが、私が高等農林を卒業して、そのまま研究生として学校に残っていた時分に、例のカルピスが発売されて、盛岡でもかなり評判になりました。それから8年後、昭和2年には森永から「コーラス」という類似品まで出て、これまた結構売れたんです。ちょうどその頃でしょう、カルピスやコーラスの人気にあやかって、盛岡高等農林の畜産実験室がその「まがい物」を商品化したのは。

――3倍に薄めて飲むというのは、なるほどカルピスっぽいですね。

当時としては、教育機関がこんな商売に手を染めるのは異例のことですから、卒業生の間でも相当話題になって、私のところにもひと瓶送ってきました。だから私も確かに口にしたはずなんですが、味の方はカルピスの記憶とごっちゃになってしまって…。まあ、印象に残らないほどの味だった、ということかもしれませんね(笑)。

――すみません、どうも旅のお供には、ふさわしくなかったようで。

いやいや、そんなことはありません。味にしたって別に不味かった記憶もないんですから、ふつうに美味しかったにはちがいないんです。それに懐かしさという点では、カルピスなんかよりも数倍上ですから、この世の思い出として、彼岸への道中でのどを潤すには恰好の品です。本当にありがとう。

――そう言っていただき、ホッとしました。では、どうぞ道中お気をつけて。

ええ、また気が向けばこちらにお邪魔することもあるでしょう。それまであなたもどうぞお元気で。この手向けの品はありがたく頂戴します。では!

――賢治先生、よい旅を!



【注】 上記のことは、1枚のラベルから想像をふくらませて書いたので、事実とまったく異なるかもしれません。そもそも、これがカルピスの「パチモン」として作られたというのは私の憶測にすぎません。でも何となくそんな気がしています。

銀河忌2023年09月21日 18時13分52秒

先日も書いた通り、今日9月21日は宮澤賢治の命日です。
そして、今年は彼が亡くなってから90年目の節目の年です。


思うに1933年の世相と2023年のそれは、不思議とよく似ています。
どちらも重苦しい不景気が世を覆い、貧しい者は飢えに泣き、排外的で好戦的な世論が活気づく一方、学問は世情に膝を屈し、マスコミの筆鋒はきわめて鈍いです。

くしくも前年の1932年には犬養首相が、そして2022年には安倍首相が暗殺されました。両者の背景は大いに異なりますけれど、一国の宰相が公然と凶弾に斃れるというのは、まことに不穏な話で、このままいくと1936年の「226事件」に続き、2026年に新たなクーデターが起こっても、私は決して驚きません。
付記: すみません、安倍氏は「元首相」であり、「元宰相」でしたね。訂正します。】

もし賢治が今の世を見たら、何を思うでしょう?
顔をしかめるか、苦笑いするか、それとも静かに慰めの言葉をかけてくれるか?
いずれにしても、彼は「人の本当の幸せ」を追い求める物語を再び綴り始め、それを止めることは決してないでしょう。

(賢治が愛読した島地大等著『漢和対照 妙法蓮華經』より「見宝塔品(けんほうとうほん)」の冒頭)

   ★

今年は賢治の霊前にぜひ何かお供えを…と思って、新たに見つけた品があるので、それが届いたらまた記事にしようと思います。

インドラの網のその彼方へ2023年09月17日 10時09分34秒

Etsyに出品している方に、こんなものを作ってもらいました。

(木製フレームの外寸は25cm角)

ブルガリア在住のその方は、時刻と場所を指定すると、その時・その場で見える星空を正確に計算して、こんなふうに宝石を散りばめた星図として作ってくれるのでした。主に大切な人への誕生日のプレゼント用のようです。しかし、私が今回あつらえたのは誕生日ではなく、ある人とのお別れの日を記念するためです。


SEPT 21. 1933/HANAMAKI, IWATE/39°23′N 141°7′E

   ★

90年前の9月21日、宮澤賢治は37歳で息を引き取りました。
上のキャプションには年月日までしか書かれていませんが、時刻は13:30、賢治の臨終のときに合わせてあります。

 「九月十七日から鳥谷ヶ先神社祭礼。連日、店先へ下りて人の流れや鹿踊り、神輿を観る。二十日、容態が変る。急性肺炎。しかし夜七時頃肥料相談に来た農民には衣服を改め一時間ばかり正座して応対した。夜、並んで寝んだ清六に原稿を託す。翌二十一日午前十一時半、喀血。国訳法華経一千部の印刷配布を遺言し、自ら全身を、オキシフルに浸した綿で拭ったのち息絶え、魂はとび去った。午後一時三十分だったという。」 (天沢退二郎(編集・評伝)、『新潮日本文学アルバム12 宮沢賢治』より)

(出典:同上)

   ★

その作品を通して、空を色とりどりの宝石で満たした賢治。


 「いつの間にかすっかり夜になってそらはまるですきとおっていました。素敵に灼きをかけられてよく研かれた鋼鉄製の天の野原に銀河の水は音なく流れ、鋼玉の小砂利も光り岸の砂も一つぶずつ数えられたのです。
 またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。」

心象風景を美しい散文詩で描き出した『インドラの網』の一節です。


「『ごらん、そら、インドラの網を。』
 私は空を見ました。いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互いに交錯し光って顫えて燃えました。」

全天を覆う赤経・赤緯線とそこに散りばめられた星座たち。
現代の星図は、まさに「インドラの網」さながらに感じられます。


昼日中のこととて、人々の目には見えませんでしたが、賢治の旅立ちを見送った(あるいは迎え入れた)星たちは、たしかにこんな顔触れだったのです。

(この星図には、太陽・月・諸惑星の位置もきちんと表示されています)

思うことは多々ありますが、今は贅言を慎んで、間もなく訪れる90年目の忌日を静かに迎えたいと思います。

銀河鉄道の道しるべ2023年06月29日 06時09分25秒



昨日の黒い帽子の下には、この黒いビニール製のフォルダーが写っていました。


中身はこんな黒々とした星図です。
素材はプラスチックで、大きさは24.5×38.7cm。
表現されているのは、明るく目立つ星だけなので、何となくおもちゃめいた感じもします。


でも、それだけに星の並びが鮮明で、右下の北十字(はくちょう座)からさそり座を経由して左上の南十字に至る「銀河鉄道」のルートが一目瞭然です。


付属の透明グリッド板を重ねれば、星の方位や距離を読み取ることもできるし…


惑星の位置を書き込めるよう、レモンイエローの油性鉛筆(chinagraph pencil)まで付属していることを考えると、この星図はおもちゃどころか、相当渋い品です。

(星図裏面に書かれた惑星の記入要領)

   ★


改めてこの星図が何かといえば、英国空軍省(Air Ministry)が発行した天文航法用星図――すなわち、飛行機乗りが星を頼りに方位を見定めるためのツールです。

英国空軍省は、第一次世界大戦末期の1918年に創設され、1964年に海軍本部および戦争省とともに、現在の国防省に統合された…という主旨の記述がウィキペディアにあります。本体がプラスチック製ということを考えると、これは戦後の1950~60年頃に作られたもののようです。

賢治と軍隊というと。いかにも縁遠い気がしますが、これはずばり「空を飛ぶための星図」ですから、銀河鉄道の旅にはいっそふさわしいかもしれません。

黒い帽子をかぶった人の思い出2023年06月28日 07時51分02秒

足穂イベントの余話。

   ★

あの日の午後、まだ会場を訪ねるには時間が早かったので、私は近くでゆっくりコーヒーを飲んでいました。そこはアンティークショップに併設されたカフェで、とても落ち着ける場所でしたが、店内を見回しているうちに、何となく見たことのある人が立っているのに気づきました。

あれ?と思いましたが、それはやっぱり賢治さんでした。
私は賢治さんに声をかけ、自分のテーブルに招じると、今日のイベントのことやら何やらいろいろ話しかけました。賢治さんは静かにそれを聞いていましたが、私が「どう、賢治さんも一緒に行かない?」と尋ねると、「ええ、喜んで」と即答したので、私は賢治さんと連れ立って店を出ました。

   ★

…というのは、もちろん私の脳内のお話です。
件のアンティークショップは、主にレストアした古い家具を商うお店のようでしたが、それ以外にも古物が店内のあちこちに置かれていて、そこで古いボーラーハットを見つけたというのが、現実世界で起きた出来事です。


でもそれを見た瞬間、私が賢治さんのことを思い出し、賢治さんと連れ立って出かけるつもりで、それを買い求めたことは事実です。何せ場所は京都、時は六月、そして足穂に会いに行く直前ですから、気分の高揚ついでに、そんな酔狂な真似をするのもむべなるかな…といったところです。


その帽子は、今こうして部屋の隅に置かれています。
ボーラーハットは別に賢治さんの専売特許ではありませんが、私にとってこれは賢治さん以外のものではありえません。

私が実際にこれをかぶって町を歩いたり、下の畑を見に行ったりするかは不明ですが(照れ臭いのでたぶんしないでしょう)、これを見る度に、一緒に足穂に会いに行った懐かしい(そう、それはすでに懐かしさのうちにあります)思い出がよみがえることでしょう。

再び小さな月の工芸品…「月と薄」2023年01月05日 18時33分21秒

話にはずみがついたので、もう一回話を続けます。


これまた小さな月の工芸品。左右は3.9cmほどで、人差し指の先にちょこんと乗るぐらいのサイズです。


月に薄の図で、三日月とススキの穂に金箔を置いたのが、渋い中にも華やかさを感じさせます。よく見るとススキの葉に小さな露が玉になっていて、こういうところが細工士の腕の見せ所。

これは「目貫(めぬき)」、つまり日本刀の柄(つか)を飾った金具で、昔の侍というのは、威張っているばかりでなく、なかなか風雅な面がありました。

月に薄の取り合わせは、お月見でもお馴染みですし、ふつうに秋の景色を描いたものとして、特段異とするには足りないんですが、実はこの目貫は2個1対で、もう一つはこういう図柄のものでした。


こちらは烏帽子に薄です。「これはいったい何だろう?」と、最初は首をひねりました。昨日の記事で「文化的約束事」ということを述べましたが、こういうのは要は判じ物で、分かる人にはパッと分かるけれども、分からない人にはさっぱりです。私もさっぱりの口だったんですが、ネットの力を借りて、ようやく腑に落ちました。

   ★

まず、ここに描かれているのは烏帽子ではなくて、「冠」だそうです。


正式には巻纓冠(けんえいかん)と呼ばれるもので、特に両耳のところに扇形に開いた馬の毛の飾り(老懸・おいかけ)が付いているのは、武官専用の冠であることを示しています。

そして、この冠の主は下の人物だと思います。

(在原業平像 狩野探幽筆『三十六歌仙額』)

在原業平(825-880)は歌人として有名なので、文人のイメージがありますが、その官職は右近衛権中将で、れっきとした武官です。したがって狩野探幽が業平を武官姿で描いたのは正確な描写で、彼は古来「在五中将(在原氏の五男で中将を務めた人)」の呼び名でも知られます。

そして業平といえば、『伊勢物語』です。中でもとりわけ有名な「東下り」と武蔵国でのエピソードが、この「薄と冠」の背景にはあります。したがって「月と薄」の方も、単なるお月見からの連想というよりは、和歌で名高い「武蔵野の月」(※)をモチーフにしたものであり、ここに共通するテーマは「武蔵野」です。

(「武蔵野図屏風」江戸時代、根津美術館蔵)

(※)たとえば源通方が詠んだ、「武蔵野は月の入るべき峯もなし 尾花が末にかかる白雲」(続古今和歌集所収)など。

   ★

何だかしち面倒くさい気もしますが、文芸的伝統の本質とは、幾重にも重層的な「本歌取り」の連続にほかならず、そうした伝統の末に、次のような表現も生まれたような気がします。

「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」
 そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえを吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしました」
 (宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より「六、銀河ステーション」の一節)

賢治と土星と天王星2022年12月17日 11時24分30秒

先日話題にした、賢治の詩に出てくる「輪っかのあるサファイア風の惑星」

(詩の全文。元記事 http://mononoke.asablo.jp/blog/2022/12/13/9547757

コメント欄で、件の惑星は、やっぱり天王星という可能性はないだろうか?という問題提起が、S.Uさんからありました。これは想像力をいたく刺激する説ですが、結論から言うと、その可能性はやっぱりないんじゃないかなあと思います。

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1970年代後半に、恒星の掩蔽観測から発見された天王星の環ですが、そのはるか昔、18世紀の末にも天王星の環を見たという人がいました。他でもない、天王星の発見者であるウィリアム・ハーシェル(1738-1822)その人で、彼は天王星本体のほかに、天王星の衛星と環を発見したという追加報告を行っています(※)

しかし、他にこの環は見たという人は誰もいないので、まあハーシェルの見間違いなんだろう…ということで、その後無視され続けていました(父を尊敬していた息子のジョン・ハーシェルでさえも、自著『天文学概論』(1849)で、「天王星に関して我々の目に映るものは、小さな丸く一様に輝く円盤だけである。そこには環も、帯も、知覚可能な斑文もない」と、にべもない調子で述べています)。

当然、明治以降に日本で発行された天文書で、それに言及するものは皆無です。
この点も含めて、取り急ぎ手元にある天文書から、関係する天王星と土星の記述(色とか、「まん円」かどうかとか、衛星の数とか)を抜き出してみたので、参考としてご覧ください。


   ★

それともうひとつ気になったのは、これもS.Uさんご指摘の「7個の衛星」の謎です。
土星の衛星は17世紀に5個(タイタン、テティス、ディオーネ、レア、ヤペタス)、18世紀に2個(ミマス、エンケラドス)、19世紀に2個(ヒペリオン/1848、フェーベ/1899)発見されており、その後1966年にヤヌスが発見されて、都合10個になりました。賢治の時代ならば9個が正解です。

ただし、19世紀には上に挙げた以外にも、キロンやテミスというのが報告されており、後に誤認と判明しましたが、同時代の本はそれを勘定に入れている場合があるので、土星の衛星の数は、書物によって微妙に違います(上の表を参照)。
いずれにしても、サファイア風の惑星が土星であり、その衛星が7個だとすれば、それは19世紀前半以前の知識ということになります。

賢治の詩に出てくる

 ところがあいつはまん円なもんで
 リングもあれば月も七っつもってゐる
 第一あんなもの生きてもゐないし
 まあ行って見ろごそごそだぞ

というのは、夜明けにサファイア風の惑星に見入っている主人公ではなくて、脇からそれに茶々を入れている「草刈」のセリフです。粗野な草刈り男だから、その振り回す知識も古風なんだ…と考えれば一応話の辻褄は合いますが、はたして賢治がそこまで考えていたかどうか。賢治の単純な勘違いかもしれませんし、何かさらに深い意味があるのかもしれませんが、今のところ不明というほかありません。


(※)ハーシェルは彼の論文「ジョージの星〔天王星〕の4個の新たな衛星の発見について」(On the Discovery of four additional Satellites of the Georgium Sidus, Philosophical Transaction, 1798, pp.47-79.)の中で、以下の図7、8のようなスケッチとともに、1787年3月に天王星の環を見たという観測記録を提示しています。



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【閑語】

岸田さんという人は、もともとハト派で、どちらかというと「沈香も焚かず屁もひらず」的な人だと思っていました。でも、途中からどんどん印象が悪くなって、尾籠な言い方で恐縮ですが、どうも屁ばかりひっているし、最近は動物園のゴリラのように、それ以上のものを国民に投げつけてくるので、本当に辟易しています。

まあ岸田さんの影にはもっとよこしまな人が大勢いて、岸田さんを盛んに揺さぶっているのでしょうが、でも宰相たるもの、そんな簡単に揺すられ放題ではどうしようもありません。

それにしても、今回の国民的増税の話を聞くと、ここ数年、政府がマイナンバーカードの普及に血道を上げていた理由もよく分かるし、大盤振る舞いをもくろんでいる防衛費が、めぐりめぐって誰の懐に入るのか、雑巾や油粕のように搾り取られる側としては、大層気になります。

青く澄んだ土星(後編)2022年12月14日 05時26分44秒

(昨日のつづき)

特にもったいぶるまでもなく、サファイヤと土星で検索すると、現在大量にヒットするのは「サファイアは土星を支配する石だ」という占星術的解釈です。私は今回初めて知ったのですが、これだけヒットするということは、占星術やパワーストーンの話題に強い方には周知のことかもしれません。

これは確かに気になる結びつきで、偶然以上のものがそこにはあるような気がします。
でも、果たして本当にそっち方面に結びつけてよいかどうか?これは賢治の読書圏内に、そうした知識を説いた本があったかどうか?という問いに関わってくることです。

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宝石と占星術のかかわりは中世、さらにさかのぼれば古代に根っこを持つらしいですが、ヨーロッパ世界には、主にアラビア語文献から翻訳された「ラピダリオ(宝石の書)」の諸書を通じて、その知識が入ってきました。特に13世紀のカスティリヤ王、アルフォンソ10世が翻訳させた「ラピダリオ」は有名です。(参考リンク:スペイン語版wikipedia 「Lapidario」の項

(アルフォンソ10世の『ラピダリオ』写本。1881年に石版で再現された複製本より)

ただ、そこでは宝石と星座の結びつきこそ詳細に説かれるものの、宝石と惑星の結びつきは顧みられなかったとおぼしく、サファイアと土星の件も、近代(19世紀)のオカルト復興の流れで、インド占星術の知識として紹介されたものが核になっているようです(この辺はネットを徘徊してそう思っただけで、しっかりした文献を読んだわけでありません)。

たとえば、これはオカルト文献ではありませんが、Googleの書籍検索で見つけた、William Crookeという人の『北インドの民間信仰と民話入門(An Introduction to the Popular Religion and Folklore of Northern India)』(1894)という本【LINK】で、次のような記述を目にしました。前後の文脈が不明ですが、取りあえず関係箇所を適当訳してみます。

 「宝石類も同様の働きをする。「ナウラタナ(9つの宝石)」として知られる、ある特別な9種類の組み合わせは、殊のほか効果がある。すなわち太陽に捧げるルビー、月の真珠、火星の珊瑚、水星のエメラルド、木星のトパーズ、金星のダイヤモンド、土星のサファイア、ラーフ〔羅睺/らごう〕のアメジスト、ケートゥ〔計都/けいと〕のキャッツアイの9種類である。〔…〕

 また、「サニ」(土星)に捧げるサファイアの指輪は、状況次第で幸運または不運のいずれももたらすとされる。そのため、それを身に着ける人は、3日間、すなわち土曜日(土星に捧げられた日)から火曜日まで指にはめ続けるようにし、もしこの間に災難がなければ、土星の影響力が良からぬ期間もそのままはめ続けるが、3日間のうちに災難があった場合、その指輪はバラモンに与える。」 (pp195-196)

   ★

問題は、こうした知識が賢治の目に触れた可能性があるかどうか。
サファイアと土星――これはどう考えても天文書には出てきそうもありません。
出てくるとすれば、宝石学の本に含まれる「宝石の俗信と伝承」的な章節(※)か、「インドの説話と民間伝承」といった類の本じゃないかと想像します。

賢治は宝石にもインド説話にも関心が深かったので、そうした可能性は十分あると思います。ただ、ここから先は、賢治の同時代文献に広く当たる必要があるので(日本語文献だけでは終わらないかもしれません)、とりあえず作業仮説のままペンディングにしておきます。結局、肝心の点はブラックボックスで、完全に竜頭蛇尾なんですが、作業仮説としては、まあこんなものでしょう。

(※)たとえば大正5年(1916)に出た鈴木敏(編)『宝石誌』には、「第十六章 宝石と迷信」の章があって、サファイアと土星のことは皆無にしろ、「宝石と迷信/二十有余種の宝石の威徳/誕生石/同上に慣用せる十二種の宝石」の各節が設けられています。

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そういえば、今回の記事の直前で、アルビレオ出版を話題にしました。
はくちょう座のアルビレオは、青と黄の美しい二重星で、『銀河鉄道の夜』に出てくる「アルビレオの観測所」では、サファイアとトパーズの透明な玉がくるくる回っています。

“アルビレオ―サファイア―賢治”と、なんだか三題噺のようですが、ここでさらに現実の黄色い土星と、幻の青い土星を二重写しに眺めた賢治の心象なり、色彩感覚なりを想像するのも一興かもしれません。(個人的にはふとウクライナの国旗を思い出しました。)


【2022.12.15付記】
その後、久米武夫(著)『通俗宝石学』(1927)を見たら、鋼玉石の解説中「第六節 迷信」の項(pp.357-359)に、「サファイヤは其の歴史が極めて古い結果、古来この石に対して種々の迷信並に象徴等が行はれたのであった。〔…〕この石は宗教的にも多く用ひられ天体の金星(ヴィーナス)及び木星(ヂュピター)を代表し、又天体の牡牛宮を象って」云々の記述を見つけました。

ここでは土星と木星が入れ替わっているし(単純誤記?)、発行年も賢治の詩が詠まれた翌年なので、両者に直接の関係はないはずですが、惑星とサファイアの関係を説いた同時代資料として、参考までに挙げておきます。