夜空の大三角…抱影、賢治、足穂(1)2013年02月21日 22時10分37秒

星座図の話題に関しては、新たに発注をかけたものがあるので、それが届くまでちょっと寝かせておくことにして、先日、石田五郎氏をめぐる記事に頂戴したコメントに触発されたことがあるので、それを先に書きます。

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野尻抱影(1885-1977)、宮沢賢治(1896-1933)、稲垣足穂(1900-1977)。

私はあまり県民性というものを信用していませんが、この3人の作家については、それぞれ関東、東北、関西のローカリティが色濃く表れているような気がしてなりません。

カラコロと着流しで雑踏を往く抱影。
後ろ手を組んで、うつむき加減に野を歩く賢治。
彼らを東京や岩手の景観と切り離して考えることは難しいでしょう。

足穂の場合はちょっと複雑ですが、モダンボーイとして神戸トアロードを闊歩した頃も、宇治の里に住まいし、怪僧じみた風貌で世を諷した晩年も、東京の文化人とは明らかに手触りの異なるオーラを放っていました。

そんな三者三様の「星の文学者」たちですが、彼らは、互いのことをどう思っていたのか?

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このうち、直接顔を合わせたことがあるのは、抱影と足穂だけで、そのことは先日、石田五郎氏の記事でもちらっと書きましたが、改めてちゃんと書いておきます。

抱影と足穂が出会ったのは昭和24年(1949)3月13日、場所は世田谷の抱影宅でのことです。両者を引き合わせたのは、科学ジャーナリストの草下英明氏で、その折の記録としていちばん詳しいのは、同氏の「人間の水はみんなみ、星は北に拱(たんだ)くの…」(初出:『遊』1977年12月臨時増刊号/単行本『星の文学と美術』(れんが書房新社、1982)所収)でしょう。

二人の共通の知人であった草下氏は、対面前の両者の発言として、「野尻先生は「変った人らしいね。ああいう飛躍にはとてもついてゆけない」と言い、イナガキさんは「背中をまっすぐのばした、こわい人のようだ」とお互いを評していた」ことを書き留めています。

3月13日の対面当日、足穂(その頃彼は東京住まいでした)は、草下氏の誘いに応じて気軽に立ち上がったものの、内心は相当緊張していたようです。彼は抱影宅に向かう道中、やたらにおしっこをして、あまつさえ抱影宅の垣根の陰にも放った形跡があった…と、草下氏は余計なことまで書いていますが、五十の声を聞こうという足穂にも、そんなウブな一面があったのかと驚かされます。

(昭和25年ごろの足穂。出典:『稲垣足穂の世界―タルホスコープ』(平凡社)より、一部トリミング)

以下、長文にわたりますが、その対面の状況を活写した草下氏の文章。

 「野尻先生の前に出たイナガキさんは、意外にも、全くおずおずと、まるで校長先生の前に立った小学生のようにぎこちなく一言「イ、イナガキです」ぺこりとおじぎをしただけだった。

 さて、それからがまことに奇妙な対面だった。どうにもうまく歯車が噛み合わないという感じ、会話がなんとなく素直に先方に届いてゆかないのである。イナガキさんは、座敷に坐りこむや否や、床の間の「南宋淳佑天文碑」の拓本や、壁にかかった大きな星座早見、ロング・トムと銘打った十センチの屈折望遠鏡に目を止めて、「うーむ、流石に先生のお宅は、上見りゃ星、下見りゃ星、あれ星、これ星、みんな星ですな」と言い、何が気に入ってしまったのか、お雛祭りの飾り付けが置いてある中に、ひし餅のお供えを見つけて、「わ、ひし餅、これにお目にかかるのは二十年ぶりだ。こんな嬉しいことはない。感激!!」といって、胸に手を当てひし餅を指さして少女のように喜び、ウスススと独特の笑いをする。さしもの野尻先生も狐につままれたような顔で「そんなにお気に入ったのなら、ひとつ差上げましょう」というのだが、イナガキさんは手を振って「いやいや、見ただけで結構」とお断りになる。どういう積りなのか、イナガキさんは、野尻先生がしゃべっている間、手に持っていたマッチ箱を二度三度、ネズミのように手の中から飛び出させ、私の方をチロッと見て、ウスススとまた笑う。野尻先生がけげんな顔をしてにらんでいるのを見て、さすがにあわてて止めてしまった。なんとなく両者の呼吸がずれているな、まっすぐぶつかっていないな、という印象は最後まで拭えなかった。」

こういう面白からぬ時間を過ごした後、ようやく酒が出て、緊張をほぐすためか、二人とも盛んにメートルを上げ、抱影は得意げにマヤ文明の話をしたり、秘蔵のパイプや、白玉の杯を取り出してみせたりして、表面上はなかなか満悦の体でした。

(昭和30年、自宅の縁側でくつろぐ抱影。出典:石田五郎著『野尻抱影―聞書星の文人伝』(リブロポート)より、一部トリミング)

 「最後に、だいぶアルコールがまわった野尻先生が、ついに謡曲「天鼓」の一節「人間の水はみんなみ、星は北に拱(たんだ)くの…」と捻りはじめた。先生の、口に少し何か含んだような声に張りがついて、なかなかの見事な謡いぶりだった。おしまいには「先生と私イナガキタルホが組めば、天下にこわいものはありません。ひとつこれからおおいにやろうではないですか」てなことになって、夕方近く、イナガキさんは野尻家を辞した。イナガキさんは帰途「ああ、今日はいいことが二つあった。一つはひし餅、もう一つは白玉の椀ですよ。嬉しかった」となんべんも繰り返し、上機嫌だった。私は、イナガキさんが妙なことをしたり、言ったりして、会合をぶちこわすのではないかと、はらはらし通しだったから、それ所ではなかった。

 後日、野尻先生にイナガキさんの印象をうかがうと「さあ、あの人はパルナシアン(高踏派)だな」と一言。これをイナガキさんに伝えると「え、先生はそんなことを言ったのですか?せめてダンディズムといって欲しかった」とひどく不満げであった。」

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珍妙といえば珍妙なやりとりですが、生身の作家の出会いというのは、得てしてこんなものかもしれません。まあ、足穂にしろ、抱影にしろ、狷介…というと言いすぎですが、人づきあいに関しては、かなり選り好みするほうでしたから、初対面から洒々脱々に腹を割って話すなんてことは、到底望みがたいことだったと思います。

ともあれ、足穂と抱影の関係は、足穂の抱影に対する一方的讃嘆の念ばかりが目立ち、抱影にとっての足穂は、ついに不可解な存在にとどまったように思えます。

(次回は賢治に焦点を当て、この項つづく)

コメント

_ S.U ― 2013年02月22日 07時27分18秒

>パルナシアン~ダンディズム
 草下氏の本を最初に読んだ時は、パルナシアンでもダンディズムでもそんなことどちらでもいいじゃないかと思いましたが、今これを読むと、ダンディズムと呼ばれることを望んだ足穂はやはり彼なりの人生の苦労をしたんだなと感じます。

_ 玉青 ― 2013年02月22日 22時19分10秒

足穂にとっては不満の残る「パルナシアン」の評語。しかし、これは足穂が感じたほど悪い言い方ではないように思います。抱影は自分の気に入らぬ人物には、非常に辛辣な、頭から否定してかかるような言い方をしたようですが、この「パルナシアン」には、むしろ相手をポジティブに評価するニュアンスが感じられます。
自分の理解の埒外にあるものとして、足穂を敬して遠ざけつつも、彼がしっかり確立された世界観の持ち主であることを、抱影は直覚したのではないでしょうか。
士を認める者は士であり、何となく孔子と老子の出会いの場面も連想します。

_ S.U ― 2013年02月23日 07時20分35秒

孔子と老子にも似たような話がありましたか。興味深いです。
私は、交流の長さはまったく違いますが、剛立と梅園を思い浮かべました。

「パルナシアン」・・・悪くないですよね。これで不満だったのは片思いの足穂に抱影に甘えや我が儘があったのかもしれません。ちょっとかわいいです。
 それから、足穂の小説(「弥勒」あたりでしょうかね)をどれどれと読み始めたはよいものの、早々に挫折して放り出した抱影の姿を思い浮かべるとこちらもかわいいです。二大巨星をまとめてかわいいで片付けては大いに問題ありですけれども。

_ 玉青 ― 2013年02月23日 11時09分49秒

孔子と老子の出会いは多分に伝説めいていますが、史記列伝には、老子と言葉を交わした孔子が弟子に向かって、「相手が鳥獣魚であれば、その動きを理解できるし、捕えることもできる。しかし龍に至ってはお手上げだ」としたうえで、「吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と嘆息したことが記されているそうです。
「パルナシアン」の一語は、抱影翁もまた足穂に一匹の「龍」を認めて、白旗を掲げたということかもしれません。
(ときに梅園、剛立両先生の場合はどうだったのでしょうか?)

>かわいい

あははは。ええ、外見はともかく、その心根はかわいいですね。(^J^)

_ S.U ― 2013年02月23日 13時22分36秒

3巨星のリーグ戦はおもろいですなぁ。これだけの勝負はめったに見られません。

 昔、井上靖氏のぶ厚い『孔子』という作品を読んだのですが、心がけが悪いせいできれいに忘れました。

 さて、梅園と剛立は、一生に一度だけ会ったというわけではなく、梅園にとって剛立父子二代とのつきあいでしたので、学問交流に限らず、お互いにあれこれと世話になっていたはずです。

 学問上では、表面上は梅園が剛立への片思いであったと見るのが大勢です。梅園は、剛立はとても偉い学者で彼の唱える天体運動論を正しいと考えており、それが自分の宇宙哲学を支持してくれることを強く望んでいました。でも、梅園は実地の理論家だったので、仮に剛立の説が自説と合わなくてもそれは受け入れただろうと思います。

 一方の剛立は、梅園哲学を理解しませんでしたし、梅園の期待するほど宇宙のことが理解できているとは思っていませんでした。それで一見冷淡な扱いで、梅園の説にコメント出来ていない場合が多いです。それでも、剛立は、梅園という優れた思索家がいることを精神的支柱として、惑星の法則や軌道の変動の理論についての考察に乗り出し、計算だけの暦算家から現代でいうところの天文学者への一歩を踏み出したと言えると私は考えています。

_ 玉青 ― 2013年02月24日 08時42分35秒

剛立と梅園の交流につき、ご教示ありがとうございました。
学問上の示教以上に、精神的支柱という意味合いが互いに大きかったようですね。
剛立と梅園という二人の偉人が、よくもまあ、あれほど接近した時代と場所に生まれ合わせたものだと思いますが、でもだからこそ二人はそろって「偉人」になれたのかもしれず、仕事をする上で人に恵まれるというのは―それだけで決まるものではないにしろ―本当に大きな要素ですね。思えば、剛立はずいぶんと人(友人や弟子)に恵まれた人のように感じます。

ときに3巨星のリーグ戦もいよいよ終盤に入ります。

_ S.U ― 2013年02月24日 17時32分21秒

>精神的支柱
 人間と人間なら、たとえ議論がかみ合わなくても、お互いに実質的に得るところがある、というのはすばらしいです。人間と機械ならこうはいかないです。

 抱影も、何を言い出すかわからないパルナシアンのファンの存在が、人間の文化を深く追っていく上で少しなりとも心の支えになることがあったかもしれない、と思います。

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