プラハ、百塔の都(後編)2025年09月16日 05時49分34秒

ステレオ写真が生み出す驚くべきリアリティについては、これまで何度か書いた気がします。今なら3DのVR技術で同様の経験ができるのかもしれませんが、古めかしい、いかにも観光絵葉書然とした写真が、突如奥行きをそなえた「一個の世界」へと変貌する瞬間は、やはり感動的です。しかも、その世界はステレオ写真というタイムマシンがなければ、決してたどり着けない「ロストワールド」なのです。


私の場合、たとえ壮麗な宮殿や教会であっても、ふつうの写真なら、そんなに時間をかけて眺めることはしません。「ほお」とか「ふーん」で大抵は終わりです。でもステレオ写真だと、印象がまるで違います。

高い天井に反響する、くぐもった声までも聞こえてくるような臨場感に包まれて、華麗な天井画を見上げたり、バロックのデコラティブな意匠の細部に目をこらしながら、かなり長い時を費やすことになります。

高い場所から撮ったパノラマ風景は、これまた圧巻です。
手前の木々の茂りの向こうに広々とした空間が広がり、遠近の塔がそれぞれの存在を主張する「大プラハ」の光景が鮮やかに眺められます。

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ちょっとした小路や街頭の風景も捨てがたいです。


たとえば、これは日曜画家なのか、イーゼルを立て風景をスケッチしている男性を捉えた写真です。そのすべてが3次元的によみがえったとき、人はそこに何を見るか。まあ何を見るかといえば、現にこの写真に写っている以上のものは何もないのですが、それが「一個の世界」となる感覚は、なかなか言葉では説明が難しいです。


「世界の美しい図書館」という類の写真集には必ず出てくる、クレメンティヌム図書館。美しいカラー画像でいくたびも目にしたその室内ですが、それを3Dで見たときの感動は大きいです。たとえばいちばん手前に写っている金属製の天球儀、これが完全な立体としてよみがえり、薄い金属板を切り抜いて作った星座絵と台座の透かし彫りの向こうに、書棚の本の背表紙がはっきり見える様子は、平面的な写真からはとても想像ができません。


プラハで没したティコ・ブラーエの墓碑
3Dのリアルな光景を目にして、ようやくその墓前に額づくことができた気分です。




プラハ旧市街の中心に立つ天文時計「オルロイ」と周囲の景観。
このブログではおなじみのオルロイですが、どれも1945年の戦闘行為で被害を受ける前の姿であることが貴重です。

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こんな調子で、プラハ脳内観光は容易に終わりそうにありません。

歴史ある百塔の都。
お伽の国めいた古い建物が並ぶ通りを行き交う人々の姿。

そこには何の不安もないように見えます。
しかし、そもそもなぜ本書がドイツ語で書かれ、ミュンヘンで発行されたのか?

それは1943年当時、プラハはナチス・ドイツの占領下にあったからです(1938年、独軍侵攻)。そして本書を発行したラウムビルド社は、ステレオ写真集の版元としても有名ですが、同時にナチスのプロパガンダに協力した会社としても有名です。

本書は一見するとナチスの宣伝とは縁遠い、単なる名所旧跡案内のように見えます。
しかし、プラハの表面的静穏は、ナチスの苛烈な支配と抱き合わせのものであり、のんびり街角をスケッチする男性のそのまた向こうには、列をなしてテレジンやアウシュビッツの強制収容所に向かうユダヤ人の群れと、命がけで抵抗運動に挺身したチェコ人がいました。

本書に写っていないものにまで目を向けると、これらの立体写真に、さらに第4、第5の次元が備わり、まさに「歴史そのもの」が立ち現れてくるような気がします。

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