彗星酒場に夜はふけて2017年07月21日 21時00分41秒

うん、こいつはいけるね。キリッと冷えてて…第一飲み口がいいよ。

ノドにもガツンと来るしな。

狭い了見かもしれないけど、こういうのを飲むと、やっぱり枝豆に合うビールこそビールだなあ…としみじみ思うね。でも、バルセロナにも枝豆はあるのかしら?

ふん、なければ輸出するまでさ。まあ枝豆も悪かないが、そろそろグラスの中身を替えないか?

いいね。

お前さん、ウィスキーはいける口だっけ?

うん、好きだよ。

よし、それならこれでいこう。


おや、これは?

「コメット・ウィスキー」。本場ケンタッキーのバーボンさ。しかも、こいつはただのバーボンじゃないぜ。

何だか気を持たせるね。

こないだ、こんな本を買ったのさ。

(Martin Beech, 『The Wayward Comet: A Descriptive History of Cometary Orbits, Kepler's Problem and the Cometarium (気まぐれな彗星 ― 彗星軌道・ケプラー問題・コメタリウム全史)』、2016)

へえ、なんか面白そうじゃない。

そのイントロダクションに、このウィスキーのことが出てくる。

え、じゃあ、これって何か現実の彗星と関係してるの?


そうらしい。そもそも、この「バーンハイム・ブラザース」っていうのは、1889年から1919年までバーボンを作ってたんだが、その後、禁酒法の時代になっても、医療用として特別にアルコール製造を認められていた数少ないメーカーの1つでね。そこらへんも、ちょっと一筋縄でいかない感じだろう?

へえ。

で、この1889年から1919年という年代で彗星といえば…

あ、1910年のハレー彗星か。

その通り。で、1910年のハレーといえば、例の彗星騒動で「世界最後の日」に便乗した悪乗り商品がいろいろ出た時期でね。最期の時を陽気に過ごそうと、呑み助は酒場に集って、「俺はハレー・ハイボール」、「僕は青酸フリップ」、「こっちはコメット・ウィスキーを頼む」と、大いに気炎を上げたのさ。


なるほどなあ、末期の酒ってわけか…。まあ、連中は理由を見つけちゃ呑むからね。

ははは、お前さんも他人のことは言えないよ。

確かに。じゃ、僕たちも大いに気炎を上げようか。でも、何に対して?

世界の復活のために―でいいさ。

よし、じゃあ世界の復活のために、乾杯!

乾杯。

   ★

こうして上の2人は勝手なことをしゃべりながら、バーボンを痛飲し、翌日は再びお酢ドリンクの世話になるのですが、まあ酔っぱらいは放っといて、ちょっと補足します。

文中に出てきたマーティン・ビーチの本は、コメット・ウィスキーを検索していたら、たまたまヒットしました(「The Wayward Comet」で検索すれば、Google ブックスでも読めます)。

上の青い人は多少話を盛っていますが、コメット・ウィスキーが彗星騒動の渦中で愛飲されたことは、たしかに事実らしいです。ただ、メーカーがそれを当て込んで、わざわざコメット・ウィスキーを売り出したのか、たまたまこのブランド名が同時代の酒徒に受けたのかは、イントロダクションを読んだだけでは、よく分かりませんでした。

なお、メーカーのバーンハイム・ブラザースについては、創業者「Isaac Wolfe Bernheim」の名前が、英語版Wikipediaの項目になっています。何でも、有名な「I. W. ハーパー」を作ったのも元は同じ人で、「I. W.」とは、バーンハイムのイニシャルから採ったのだそうです。(参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Isaac_Wolfe_Bernheim

彗星酒場2017年07月20日 07時07分56秒

世間を見回すと、彗星を名乗るお酒はそこここにあるらしく、それだけで酒舗が開けそうです。手元にもそれらしいラベルがあるので、昨日からの勢いで話を続けます。

(右に並べたのはスコレス沸石)

今回はスペイン・バルセロナ生まれの「コメット」です。

醸造元のS.A. Damm (Sociedad Anónima Damm)は、1876年創業の老舗。
最近では「Estrella Damm (エストレージャ・ダム)」という銘柄で知られ、エストレージャとはスペイン語で「星」の意味ですから、昔も今も星とは縁のある蔵元です。


多色石版刷りの愛らしい「小芸術」。
時代的には、1900年前後のものと思います。

尾を曳く金色の星は、通俗的な彗星イメージですが、尾の表現はなかなか繊細でリアル。それによく見ると、背景の夜空の色が、下から上にかけて深みを増しており、この青のグラデーションだけでも、大いに賞賛に値します。

   ★

さて、気になる彗星ビールの味わいは?
ラベルの「PILS」は、ピルスナー(ラガービールの一種)のことで、さらに「DOBLE」とありますから、ホップとモルトを増量し、度数も高めに仕上げた「ガツンと来る」タイプのビールなんじゃないかと思います。

   ★

…と、知ったかぶりして書いていますが、上に記したことは、すべてネット情報を切り貼りした俄か仕込みの知識なので、明日になればビールの泡のごとく、記憶から消えてしまうでしょう。

でも、それを言い出したら、思い出も、人生も、全てうたかたのようなものですし、うたかただからこそ良いことだって、たくさんあるわけです。ここはひとつ、梅雨明け空を翔ぶ彗星のまぼろしを思い浮かべて、うたかたをガツンと干そうじゃありませんか。
(すみませーん、これと同じ奴をもう一杯、いや、二杯ください。)

彗星に乾杯2017年07月19日 06時59分40秒

一昨日の記事の結びは、自戒を込めて書きました。
しかし、いかに健康に気を遣っても、毎日お酢ドリンクだけ飲んで過ごすわけにもいきませんし(ええ、いかないんですよ)、時にはゴクリとジョッキを干したいのが人情。

…というわけで、今日は彗星のビールです。
下はパリの東方、マルヌ県シャロン・アン・シャンパーニュの町にあった、コメット酒造の「ラ・コメット」のラベル(1920年代か)。


コメット酒造については、ちょっと前に「スラヴィア」という銘柄のビールを取り上げたことがあります。

彗星酒造の青い灰皿

上のラベルは、単に「La Comète」とあるだけで、「スラヴィア」のような特定の銘柄を記していませんが、この場合は、会社名が即ち銘柄でもあるのでしょう。いわば「キリンビール」と「一番搾り」の関係みたいなものです(…と思うのですが、違うかもしれません)。

コメット酒造の創業は1882年。
シャンパン作りのシャトーだった建物を買い取り、そこに近代的な工場を建て増ししてビール製造に乗り出し、第1次大戦後のビール需要の伸びを追い風に(産業化が進むと、労働者が渇を癒やすためにビールが大いに売れるわけです)、一時はずいぶん栄えたものだそうですが、その後、より大資本のビールメーカーに押され、結局1980年代に入って商売をたたんだことは、以前の記事でも触れました(注)。


ビール党を導く、頼もしい女神。
これはもちろん、尾を曳いて飛ぶ彗星の形を、長い髪をなびかせた女性の姿になぞらえたものでしょう。

コメット酒造はなくなっても、麦酒信徒はまだまだ健在です。
さあ、今宵も女神の下に集って、乾杯!乾杯!

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(注) その在りし日の工場の様子は、以下のページで見ることができます。
■CHÂLONS-sur-MARNE - Brasserie de la Comète

彗星とぶどう2017年07月17日 11時22分07秒

昨日の記事を読み直していて、ふと気づきましたが、1811年に「ラ・コメット」という芝居が上演されたのは偶然ではなく、これはいわゆる「1811年の大彗星 (Great Comet of 1811; C/1811 F1)」の出現に触発されたものに違いありません。

(左側中央に見えるのが、1811年の大彗星のスケッチ。
William Peck(著)『A Popular Handbook and Atlas of Astronomy』(1890)より)

1811年の大彗星は、肉眼でも約260日間にわたって見え続けた明るい彗星で、最初は高度が低く見づらかったのですが、秋口からは高度も上がり、芝居が上演された10月には恰好の天体ショーとして、人々の口の端に上ったことでしょう。
(英語版Wikipedia、「Great Comet of 1811」の項参照。)

   ★

ときに、この大彗星の出現は、ワイン市場にも影響を及ぼしました。
何でも1811年産のワインはことのほか出来が良く、まったくの偶然でしょうが、その後も1826年、1839年、1845年…と、大きな彗星が飛来した年はワインの出来が良かったせいで、後の人はこれを「コメット・ヴィンテージ」と称して、大いに珍重したものだそうです。

その話を聞きつけて、手にしたのが下の紙片。


彗星とブドウの絵柄、それに「VIN(ワイン)」の文字に注目し、これぞ「コメット・ヴィンテージ」のボトルラベルに違いない…と思ったのですが、でも改めて辞書を引いたら、これは彗星ブランドの「お酢(vinaigre)」のラベルでした。

「そうか、ヴィネガーというのはワイン(vin)から作るから、その名があるのか…」と遅まきながら気づいた次第です。

日本でも、お酒の醸造に失敗すると、酢酸ができて酸っぱくなってしまうので、同じ醸造業でも、昔の造り酒屋は酢屋を敵視したものだ…という話を聞いたことがあります。

洋の東西を問わず、お酢はお酒の弟分。
まあ、この兄は弟をいささか敬遠気味かもしれませんが、お酢の方が健康にはよろしく、真夏の宵など、酒臭い息を吐いて蚊にあちこち刺されるより、一杯のお酢ドリンクでしゃっきりする方が、なんぼ良いかしれません。

彗星酒造の青い灰皿2017年05月17日 07時08分54秒

昨日の夕空は、朱と紫が入り交じった、ちょっと凄みのある夕焼けでした。
ここしばらく地味な画像が続いたので、少し色のあるモノを載せます。

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フランスといえばワイン…という連想が働きますが、19世紀のフランスでは、パリでも地方でもビールが大層人気で、人々は店先で黄金色の液体をグイとあおって、大いに渇を癒やしたものらしいです。しかし、地元の醸造所が流行ったのはせいぜい戦前までで、フランスもご多聞に漏れず、その後はハイネケンなんかに席巻されてしまいます。

そんなフランスの地元メーカーのひとつに、19世紀から続く「コメット酒造(Brasserie de la Comète)」という、素敵な名前の会社がありました。ここは戦後もずいぶん頑張っていたそうですが、結局、他社と統廃合の末、1980年代に歴史の彼方に消えていきました。

そのコメット酒造の代表的なビールの銘柄が、「スラヴィア(Slavia)」です。


上は「スラヴィア」ビールの販促用、あるいは店舗用に作られた灰皿。
彗星の尾に「グルメのビール、スラヴィア」の文字が浮かんでいます。

どうです、この色、このデザイン。カッコイイでしょう。


材質はプレスガラス、発色はコバルトだと思います。
この色は、カメラだと青味が強く出て、目で見たままの色を再現するのが難しいですが、上は画像を調整して、見た目に近づけました。ご覧のように紫色を帯びた美しい青です。


青紫のガラスの夜を翔ぶ金色の彗星。
これは足穂氏にぜひ見せたかった…


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▼閑語(ブログ内ブログ)

土産物屋で見かける「親父の小言」グッズ。
あれはなかなか含蓄に富んでいて、「人には馬鹿にされていろ」なんていうのも、つまらないことに腹を立てがちな自分としては、座右の銘にしたいぐらいです。

しかし、「馬鹿に馬鹿にされるいわれはない!」と、さすがの親父の小言も役に立たないことが最近多くて、いくら親父に「人には腹を立てるな」と言われても、やっぱり腹を立ててしまいます。

よその家のお嬢さんが婚約されて、まあお目出度いことだねと思いますが、それを現下の状況下で「スクープ」して、目くらましを図ろうとするNHKの心根たるや―。
ことが慶事だけに、それを利用しようとするのは、この上なく下品で下劣だと思います。

彗星の記事帖(4)2017年05月15日 19時04分09秒

記事の中身を見る前に、ちょっと考えてみたいのですが、彗星と地上の災異の間には、何か関係がありうるでしょうか?

そりゃ昔からそう言われているなら、何かそれなりの根拠があるんだろうよ」と、素朴に考える人もいるかもしれません。「彗星なんて毎年出現するし、天災だって毎年起こる。そこに何か関係があるように思うのは、迷信以外の何物でもないよ」と思う人もいるでしょう。

そもそも、遠い天体が地上のことに影響するなんて非科学的だ」と思う人もいれば、「いや、太陽活動と地球の気象変動に関係があるのは事実だ。彗星が地球上の現象に影響を及ぼさないと、ろくに調べもせずに即断する方が、よっぽど非科学的だ」と思う人もきっといるはずです。

   ★

こうした論点は、編集子も十分承知していました。
編集子の出発点も、まずは予断を持たずに過去の記録を調べてみよう、そこから何か見えてくるものがあるかもしれない…というところでした。

これはアプローチとしては穏当なものでしょう。

(連載第7回、文徳~清和天皇の間の記述)

ただ、編集子がしくじったのは、彼はまず過去の記録を調べた上で、一定の見通しを持って記事を書くべきだったのに、フライングで連載をスタートさせてしまったことです。そのため、記述が平安朝の初期まで進んだところで、手に余るものを感じ始め、連載第9回の冒頭は、少なからず言い訳めいた文章になっています。


 「本篇は最初、歴代の順序により彗星出現の年に起りし事変は細大となく、其略を列挙する考へなりしも、右は余りに繁雑なるを以て、其幾分は節減する方針を取れり。而も尚ほ普通の予定にては数十回を要するにより、茲(ここ)に大斧鉞(ふえつ)を加へて、大抵の類は皆な之を除去し、単に古今有数の出来事のみを採り、夫(それ)に多少の説明を加へて其完結をはやめんことを期せり」

「こりゃ勝手が違ったなあ」という、編集子の当惑ぶりがよく分かります。
最初にあらましを決めずに、勢いで書き始めると、得てしてこうなりがちです。
このブログでもちょくちょくあることで、100年前の編集子に大いに共感できます(大新聞の記事としては、ちょっとどうなの…と思わなくもありませんが)。

   ★

このあと編集子は記述を大幅にはしょり、それでも相当苦労しつつ、平安、鎌倉、室町、戦国を経て、ついに幕末の孝明天皇の代まで、延々と記事を書き続けます。

(連載第16回冒頭。室町時代の後花園~後土御門天皇の間の記述)

その労は多とせねばなりませんが、この間の叙述は正直かなり退屈なものです。
ここは私も大いに斧鉞を加え、連載最終回の結論部だけ挙げておきます。



 「▲余論 本篇は以上にて尽きたれば、茲に筆を擱(おか)んとするに当り、尚ほ一言す可き要件あり。幵(そ)は彗星の出現と災異とは必ず一致す可きものなりや否やの問題なり。」

あれ? そもそもそれが目的じゃなかったの?…と思いますが、手段と目的を取り違えるほど、編集子も混乱していたのでしょう。

 「今、古来の実例に徴するに、其多くの場合は何等かの災異相伴ふと雖も、然らざる例も亦数多(あまた)あり。殊に悲惨の大を極めたる分のみを採れば、或は彗星出現の歳以外に生ぜし分多きやも知れず。故に古来の迷信は素より成立せずと雖(いえど)も、若し統計外に観察を下せば、略々(ほぼ)記述の如くなるを以て、世俗の信念を高むるは恠(あやし)むに足らず。

 吾人は敢て旧来の俗説に雷同するにあらざれども、有史以来数千歳の間、未だ二者の対照を試みたる人なきを遺憾として、遂に本篇を草せり。読者幸ひに之を以て無益の談となすこと勿れ。」

「彗星が災異を伴うというのは迷信だけれど、実際、伴う場合もあるので、人々が迷信にとらわれるのも無理はない。ともかく、これまでこういう試みをした人はいないのだから、それだけでも価値を認めてほしい」…というのは、確かにその通りで、「無益の談」とは決して思わないのですが、何となく「労多くして…」の感が濃いです。

   ★

さて、いちばん気になるのは、この連載に対する大友翁の感想です。

ただ、残念ながら冒頭部(と表紙)を除けば、このスクラップ帖に大友翁の書き込みは一切ありません。それでも、毎回記事を丁寧に切り抜き、それをこうして一冊のスクラップ帖にまとめたということは、大友翁自身そうすることに、少なからず意味を感じていたはずです。

遠い過去に現れた彗星と、往時の世の混乱。
特に、連載の末尾に登場する、嘉永6年(1853)、安政5年(1858)、文久2年(1862)の彗星は、翁の少年期に出現したもので、そこに書かれた相次ぐ大火、地震、コレラの発生なども、身近に感じられたことでしょう。

そして、一連の記事を読んで、「うむ、確かに迷信には違いなかろうさ。じゃがのう…」と、翁は何か言葉にならぬ思いを抱いて、黙って夜空をふり仰いだ…かもしれません。

私だって、混迷せる現今の世相を背景に、大彗星を空に目撃したら、古人の迷信に大いにシンパシーを感じたと思います。

まあ、人間長く生きていると、ふと「天命」というようなことを感じたりするものです。


(この項おわり)

彗星の記事帖(3)2017年05月14日 16時36分18秒



ハレー彗星の記事の次に来るのは、20回に及ぶ連載記事「彗星と災異」の第一回。
その冒頭部を読んでみます。

「彗星爛たり、水漫々たりと云ふ古語はあるまじきも、本年は大彗星出現して、仏蘭西の巴黎〔パリー〕、日本の関東、東北、東海とに大洪水汎濫し、山を崩し、都卑を浸し、人畜を害し、資材を流せしこと其幾千万と云ふ数を知らず。」

ネットを拾い読みすると、1910年1月下旬のパリは、前年からの多雨によって河川の水量が増して、ついに1月28日には、通常より8.6メートルも水位が上昇し、市内各所が冠水した由。

日本でも、1910年は大洪水の年でした。

ウィキペディアには、「明治43年の大水害」というのが項目立てされていて、
「各地で堤防が決壊、関東地方における被害は、死者769人、行方不明78人、家屋全壊2,121戸、家屋流出2,796戸に及んだ。〔…〕群馬県など利根川左岸や下流域のほか、天明3年(1783年)の浅間山大噴火後徹底強化した右岸側においても、治水の要、中条堤が決壊したため、氾濫流は埼玉県を縦断、東京府にまで達し、関東平野一面が文字通り水浸しになった。」
…と書かれています。「濫流は埼玉県を縦断」というのが、何ともすさまじいです。

ただし、この関東の大洪水が起きたのは同年8月のことです。
したがって、この彗星の記事が新聞に載ったのは、当初想像したような「5月」ではなくて、1つ前の「ハリー彗星」の切り抜きから3か月ほど経過した、8月以降のことになります。

ちょっと悠長すぎる気がしなくもないですが、きっと洪水の大惨害を前にして、忘れかけていたハレー彗星の記憶がふと甦り、記事執筆者(以下、編集子)の好奇心をいたく刺激したのでしょう。そして、その記事がまた大友翁の興味を刺激することになります。

「故に一方に於ては、学者の説として、彗星の出現と天災地変とは何等の関係なしと云ふ証言あるにも拘〔かか〕はらず、天下の万衆は尚ほ其間に幾分の影響あらざるやを疑ふの念慮を絶つこと能はず、殊に仏蘭西の某天文学者は已〔すで〕に右の大関係ある由を吹聴せしにより、一層旧来の迷信を高めたる観あり…」

ここに言う「仏蘭西の某天文学者」とは、フラマリオンのことではなく、当時ムードン天文台の台長だった、アンリ・デランドル(Deslandres Henri 1853-1948)という人らしいです。

(参照) 1910年のハレー彗星騒動―1910年3月3日
   ★

(「彗星と災害」連載第3回・部分)

こうして新聞連載は、第2回目以降、彗星をめぐる古来の説を振り返り、さらに遠い飛鳥・白鳳の昔から説き起こし、歴代の彗星観測の記録と天変地妖の記事を突き合わせて、両者の関係の有無を考究していきます。

(この項つづく。次回あっさり完結)

彗星の記事帖(2)2017年05月13日 14時31分25秒

明治の彗星ファン、大友荘助翁のスクラップ帖は、5月7日の「○ハリー彗星 △見頃は本月十九日」という記事で始まっています。


そして、スクラップ記事の前にこう書き付けています。

 「彗星(すゐせい) 箒星(ほうきほし)之事 
 明治四十三年五月七日/東京日日新聞所載
 明治四十三年一月始メヨリ〔同年五六月?〕頃マデ
 毎夜午後六時頃ヨリ西鳥治山の北の方ニ彗星(ホーキホシ)現ル
 十九日頃ハ見頃デ有た」

翁は新聞記事に目を通すだけではなく、自ら彗星を実見していました。
そして「見頃であった」と過去形で書いていることから、このスクラップ帖は、前から切り溜めておいた記事を、後から整理して貼り込んだものなのでしょう。

ただし、上の書きぶりからすると、翁は明治43年1月に見た彗星と、同年5月19日に見頃を迎えた彗星(=ハレー彗星)を同じものと考えたようですが、両者は別物です。そもそも1月の段階では、ハレー彗星はまだ8等級未満ですから、肉眼では見えません。翁が目にしたのは、ハレー彗星に先立って出現した、きわめて明るい彗星、「Great Daylight Comet」(C/1910 A1)だったと思われます。(地名の「鳥治山」は未詳)


以下、「見頃は本月十九日」と傍点で強調された記事の冒頭。(引用に当って句読点を補いました)

 「快晴の朝三時半頃東方の空を眺ると、明の明星の稍北方に位して、光輝燦然たる彗星が見える。尾は数千条の直線で上方に向ひ、其長さは約七百哩〔マイル〕ある。是れこそ近頃世を騒して居るハリー彗星である。ハリー彗星の出現に就ては、古昔から種々な荒誕無稽の臆説が行はれて、科学の最も発達した今日でも、尚一種の迷信に駆られ、或は不祥の象徴たるかの如く疑惑を抱いてゐる者が少くない。ハリー彗星が果して恐怖の眼を以て観るべきものであるか、東京天文台員は曰く…」

明治の末は、さすがに20世紀の世の中ですから、科学万能がうたわれ、彗星に絡む不吉の観念は、「迷信」の2文字で片付けられています。そして彗星の尾に含まれる毒ガス云々という、科学的体裁をとった奇説も、東京天文台員氏によって、記事の末尾で軽くいなされています。


 「▲人類は有毒瓦斯に倒れず 彗星が地球に最も接近する十九日頃には、地球は多少彗星の尾に包まれる様になる。処が此尾にある有毒瓦斯は、地球の空気を侵害して人類の呼吸を妨ぐると或学者は警告して居るが、此有毒瓦斯は人類の棲息せる地点迄では迚(とて)も及ぶまいとの推測がつくから、先づ安心して可なりであらう。」

   ★

思えば、大友翁が若いころ、周りの人はみなちょん髷を結っていました。
そして、村でも町でも、狐や狸が普通に人を化かしていましたし、むしろ「お化けや幽霊なんて迷信だ、あれはみんな狐や狸の仕業だ」と、怪異を狐狸の仕業と見なすことが合理的で、「開明的」な態度だったのです。

そんな時代から出立して明治の世を逐一眺め、今や老境に至った大友翁。
その道のりを考えただけで、私は頭がクラクラしてきます。
でも、常に理性的な大友翁は、新聞を丹念に読み、人の話を聞き、さらに自分の目で観察して、彗星の正体をよく理解し、そして彗星の尾に含まれる毒ガスの説にも惑わされることなく、きっと泰然としていたのではあるまいか…。

スクラップ帖一冊から、ずいぶん想像をたくましくするんだね…と嗤われそうですが、私はどうもそんな気がします。

(この項つづく)

彗星の記事帖(1)2017年05月11日 07時11分45秒

かつて「東京日日新聞」というのがありました。
系譜的には、今の毎日新聞につながる新聞です。

創刊は明治5年(1872)と相当に早く、その創設者が日本画家・鏑木清方のお父さんに当る条野採菊(じょうのさいぎく)と、血みどろ絵で名をはせた浮世絵師の歌川芳幾だ…というのも一寸変わっています。

時代は下って、昭和13年(1938)にオープンした、東京で最初のプラネタリウム「東日天文館」の「東日」とは、この東京日日新聞に由来するので、天文ファンとの縁も浅からぬものがあります。


   ★

さて、その東京日日新聞の古いスクラップ帖が手元にあります。
和紙を綴じた手製の帳面に、明治43年(1910)5月に連載された記事をまとめて貼り込んだものです。

(横綴じの帳面のサイズは、約14×38 cm)

「彗星と災異 二十回 / 彗星と天災事変との関係 六回」
「彗星 箒星之事」

と、几帳面な楷書でタイトルが書かれています。
ハレー彗星接近にちなみ、海の向うでコミカルな絵葉書が作られていた頃、日本の新聞社は、彗星と災害の関係を過去にさかのぼって検証する記事を連載していました。


それをまた丁寧に切り抜いて一覧できるようにしたのは、大友荘助翁、65歳
当時の65歳は今の80代にも当るでしょう。逆算すれば弘化2年(1845)の生れです。

まったく無名の、市井の一老人とはいえ、その年齢を感じさせぬしっかりした運筆は、翁の旺盛な知識欲と相まって、非常に頼もしい感じを抱かせます。

   ★

記事の内容も興味深く、明治の新聞というエフェメラルな存在も興味深く、そしてまた明治時代の老人の彗星に寄せる関心の程も興味深い。

(ネガポジ反転)

この珍品の中身を覗いてみます。

(この項つづく)

5月10日、ハレー彗星迫る2017年05月10日 07時14分55秒

フランスの大統領選が終わり、ルペン候補は辛くもしりぞけられました。
別にルペン氏に個人的な恨みはないですが、極右と排外主義のドミノが食い止められたのは良かったと思っています。

   ★

そういえば、今から100年ちょっと前の5月も、フランスの人々は落ち着かない気持ちで、日々を過ごしていました。


言わずと知れた、1910年のハレー彗星騒動です。
上は「1910年5月19日の思い出。世界の終わり」と題して、それを風刺的に描いた絵葉書。


「ルシュール教授講演会。間近に見るハレー彗星」と銘打った路上観望会。
望遠鏡を覗く男の驚愕の表情と、筒先に迫る彗星。
さらにその脇には、「今日は最後の10日」という札が掲げられています。

絵葉書のタイトルにもあるように、この年のハレー彗星は、5月19日に太陽面を通過したのですが、その際、彗星の尾に含まれる毒ガスが地球を包み込み、人類は死滅する…という怪説が事前に流れて、人々を不安と恐怖に陥れたのでした。

そして、運命の19日を控え、ひょっとしたら人類にとって「最後の10日」となるかもしれない5月10日の光景を描いたのが、この絵葉書というわけでしょう。

まあ、「不安と恐怖」といっても、それを面白がる気持ちが多分に交じっていたのは、こういうコミカルな絵葉書が作られたこと自体が物語っています。何せ高名な学者たちは、「そんなことは決してない」と太鼓判を押していたので、人々は「人類最後の日」については懐疑的でしたが、「でも、ひょっとしたら…」という思いも捨てきれずにいたのでしょう。

要は、そういう流言が広がりやすい、不安な時代だったのだと思います。
そして、その不安の正しさは、4年後の第一次世界大戦勃発によって証明されました。

   ★


地球脱出をもくろむ人々と、それを商売のタネにする人。

「救命浮き輪。比類なき上昇力。1個60スイスフラン。
お支払いは使用済み自動車タイヤでも可!」

日本では戦後の1947年に、この彗星騒動に取材した『空気のなくなる日』という小説が出て、その中で、人々が窒息死を免れようと、当時自転車の空気チューブがバカ売れした…という挿話が描かれました。それがさらに映画やアニメを通じて伝播するうちに、今やすっかり「事実認定」された観があります。

その事の真偽を私は知りませんが、ひょっとしたら、こんな絵葉書が元になって、それに尾ひれがついて、小説のネタになったのではあるまいか…という想像も浮かびます。

(なお、文中に「スイスフラン」とあるので、この絵葉書はフランスではなく、スイス向けに出されたもののようですが、売り手はロレーヌの人でしたから、フランスでも流通したのでしょう。)

【5月11日付記】 …と、偉そうに書いたものの、この「スイスフラン」は全くの誤解で、これは普通に「フラン」である由、コメント欄でご教示いただいたので、ここに訂正します。


風船に遺書をくくり付ける人。
そして「全部失くしちまった。これで災厄が来なかったら、いったいどうするんだ?!」とうなだれる男。

   ★

100年後のどこかの国でも、私欲のために人々の不安を煽るだけ煽って、しれっとしている人がいますが、ああいうのは本当に罪深いと思います。