彗星ビール2022年10月22日 19時15分37秒

昨日の話題から「彗星ビール」のラベルを話題にしたことを思い出しました。


左はフランスの「ラ・コメット」、右はスペインの「コメット」です(それぞれ過去記事にリンクしました)。

で、紙物の整理帳を開いたら、上の2枚と同じところに、オランダの彗星ビールのラベルも綴じ込んであったので、そちらも登場させます。


左のラベルは、アムステルダムから40kmばかり東にあるアメルスフォールトの町で営業していた、クラーファー社の「コメット印のライトラガービール」、右は「コメット・ラガービール」とあるだけで、メーカー名は書かれていませんが、やはりクラーファー社のものかもしれません。時代ははっきりしませんが、いずれも石版刷りで、1930~50年代のものと思います。

この絵柄を見ると、いずれも彗星から白く伸びた尾が、ビールの泡立ちと重なるイメージで捉えられていたのかなあ…と想像します。彗星は頭部からサーッと尾を曳くし、ビール壜の口からは見事な泡が「It’s Sparkling」というわけです。


こうしてみると、コメットブランドのビールって、結構あちこちにありますね。
ひょっとして日本にもあるんじゃないか?と思って検索すると、果たして「赤い彗星」という発泡酒が、わりと最近売り出されたのを知りましたが、これはもちろんガンダムファン向けの品のようです。

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以下余談。
エールとビールって何が違うんだろう?とよく思います。
思うたびに調べて、そのつど分かった気になるのですが、しばらくするとまた「エールとビールって何が違うんだろう?」と思います。やっぱり分かってないのでしょう。ネット情報のつまみ食いで恐縮ですが、今回は記憶の定着のために、ここに書いておきます。

改めて分かったのは、「エールとビールって何が違うんだろう?」というのは、そもそも変な質問であり、エールは紛れもなくビールの一種だということです。つまりビールの下位区分に「エール」と「ラガー」の2種があり、本当は「エールとラガーは何が違うんだろう?」と問わないといけないのでした。でも、今では「ビール」イコール「ラガー」と思っている人が、英語圏の人にも多いらしく、英語サイトにも「エールとビールは何が違うのか?」というページがたくさんあります。たぶん、両者を「エールビール」と「ラガービール」と言い分けると、その辺の誤解は少なくなるのでしょう。

では、エールとラガーの違い何かといえば、それはずばり製法の違いです。
エールは上面発酵で醸造期間が短く、ラガーは下面発酵で醸造期間が長いという違いがあり、それが自ずと風味の差を生み、芳醇なエールに対し、軽くのど越しのよいラガーという違いがあるのだ…というのが、話の結論です。

(昨日の記事を書く一助に、「English style ale」を謳う缶ビールを買ってきましたが、肌寒くて飲まずにおきました。今日は日中汗ばむほどだったので、芳醇なエールが美味しかったです。)

彗星亭のマッチラベル2022年10月21日 07時34分49秒

冷たい雨にも負けず、コオロギがリーリーと強く鳴き、金木犀の香りが鼻をうつ夜。そして雨が上がれば、歩道で落ち葉が風に吹かれてカサコソと音を立てる朝。

このところ、季節の歩みをしみじみ感じています。
私が使っている手帳は、日々の欄に数字が印刷されていて、今日は「294-71」。
今年が始まってから294日が経過し、残りは71日という意味です。なんとも気ぜわしいですね。

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さて、最近届いた1枚のマッチラベル。


私は自称・彗星マッチラベルのコレクターということになっているんですが(LINK)、久々に見つけた新しい品です。イギリスのシュルーズベリーにある「THE COMET」、すなわち「彗星亭」というパブのマッチです。


シュルーズベリーはイングランド中西部にある人口7万人の町。今も多くの歴史的建造物が残り、あのチャールズ・ダーウィンが生まれ育った場所だとか。

ネットは便利なもので、検索したら彗星亭の正体もすぐに知れました。

Reviews of The Coach
■The History of The Coach Public House, Shrewsbury

彗星亭は、この町の中心近くに立つ古いパブです。最近屋号が変わって、今は「The Coach」の看板を掲げています。もとは「Comet Inn」を名乗った宿屋兼業の居酒屋でした。


マッチラベルで店名の下にある「リアル・エール」というのは、下のページによれば、「樽(カスク)の中で二次発酵をさせるタイプのビール」のことだそうですが、細かい定義はさておき、ニュアンスとしては「昔ながらの製法による、本格派のエール」という点を強調した言い方なのでしょう。日本酒ならば「純米大吟醸」とか「寒造り木桶仕込み」とかの語感に近いのかも。言葉としてはわりと新しく、1971年に生まれたとも記事には書かれています。

■ジャパン・ビア・タイムズ:What is Real Ale?

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ラベルのデザインとしては、黒一色に白い彗星がさっと描かれているだけで、素っ気ないことこの上ないですが、見方によっては、そのかそけき風情に深い詩情も感じられます。


このラベル自体は1970~80年代のものと思いますが、彗星亭の歴史は古く、19世紀にさかのぼります。その屋号は、定期運行の馬車便を、彗星になぞらえたことによるようですが、こういう屋号が登場したこと自体、そのころ彗星が“凶兆”から「カッコいい」存在に変化したことを物語るものでしょう。ちょうど1835年にハレー彗星が回帰したとき、彗星をデザインしたジュエリーがもてはやされたのと、軌を一にするものと思います。


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100円のものが150円になったら、率にして1.5倍ですから、たいそうな値上がりですが、金額にすれば50円の追加出費なので、まだ何とか持ちこたえられます(10万円のものが15万円になったら、それこそお手上げですが)。こうしたささやかな紙ものこそ、円安時代の強い味方であり、たとえ1枚のマッチラベルでも、いろいろ考証する楽しみは尽きません。

落日のドイツ帝国にハレー彗星来る2022年09月13日 21時10分33秒

円安がますます進んで、買えるものもだんだん限られてきました。
そんな中でも紙物は強い味方で、まあ紙物といってもピンキリですが、せいぜい値ごろで魅力的なものを探そうと思います。

…と考えつつ、こんなものを見つけました。


何だかひどく装飾的なハレー彗星のリーフフレット。
1910年のハレー彗星接近を前に、ドイツのニュルンベルクで発行されたものです。
「星空におけるハレー彗星/特別図1枚及び補助図2枚付き」と書かれた下に、K. G. Stellerという版元の名が見えますが、どうやら私家版らしく、詳細は不明。大きさは23.5×15cmで、A5サイズよりもちょっと縦長です。


天の北極を中心とする円形星図を囲んで、ドーリア式の円柱とアーチがそびえ、そこに円花文様(ロゼット)や唐草文様がびっしり描かれています。いずれも古代オリエント~ギリシャの伝統文様。そして、てっぺんには天文界の四偉人、コペルニクス、ケプラー、ニュートン、ラプラスの名が…。ひょっとしたら、このデザイン全体が、彼らを称える霊廟なのかもしれません。

いかにも大時代というか、当時の歴史主義建築の影響が、片々たる紙物のデザインにまで及んだのでしょうが、第一次大戦の直前、ヴィルヘルム2世治下のドイツ帝国では、これが「時代の気分」だったのかなあ…と思いながら眺めています。

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さて、肝心の中身ですが、リーフレットは二つ折りになっていて、中を開くとこんな感じです。


「1910年3月、4月、5月のハレー彗星の径路」と題して、彗星が徐々に天球上での位置を変える様子を図示しています。

(赤線で示されているのが彗星の位置変化)

このとき彗星はうお座の方向に見えていました。そのプロットは、左下の1月25日から始まり、2月、3月、4月と、時間経過とともに徐々に右(西)に向かって進み、4月24日すぎにクルッと方向転換して、今度は反対に左(東)へと進んでいく様子が描かれています。

赤線の下の太線は黄道で、その上に描かれた小円は太陽の位置です。
上の画像だと右下の3月13日から始まって、左上の4月22日まで、太陽が天球上を動いていくのが分かります。

この2つの情報から、宇宙のドラマを3次元的に脳内再生できますか?
太陽の位置変化は、地球自身の公転による見かけ上のもので、彗星の位置変化は、彗星自身の動きプラス地球の公転の合成です。私にはとても再生不能ですが、それでも何となく彗星がクルッと方向転換するあたりで、太陽をぐるっと回り込んだんだろうなあ…というのが想像できます。彗星の尾は太陽風によって、常に太陽と反対方向になびきますから、その尾の動きも併せて想像すると、よりリアルな感じです。

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図の下に書かれた説明に目をこらすと、例によってドイツ語なのであれですが、かなり本格的なことが書かれている気配です。たとえば、本図はクロメリンとその協力者スマート〔文中ではSinartとミスプリ〕の計算に基づくものであり、「彗星は4月20日に近日点を通過すると予測されている」こと、そして「そのとき彗星の速度は秒速54kmに達し、太陽との距離は約8,700万kmである。一方、太陽から最も遠い遠日点では、太陽から約5,000km〔これは5,000ミリオンkm、すなわち50億kmの間違い〕のところにあり、速度は〔秒速〕1km未満に過ぎない」…云々。この印刷物が、ある真剣な意図をもって作られものであり、少なくとも「近日点」「遠日点」という言葉にたじろがないだけの知識を持った人を対象にしていることを窺わせます。

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ちなみに裏面にはもう1つガイド星図が載っていて、ハレー彗星が位置するうお座(とおひつじ座・おうし座)の見つけ方を指南しており、まことに遺漏がないです。


ごくささやかな品とはいえ、旧時代の空気を漂わせ、なかなか堂々たるものです。

夢のプラネタリウムにようこそ2022年04月06日 06時00分51秒

東京渋谷にあった五島プラネタリウム
同館は1957年4月にオープンし、2001年3月に閉館しました。
人になぞらえれば、享年45(数え年)。

五島プラネタリウムは、運営に関わった人も多いし、熱心なファンはそれ以上に多いので、軽々に何かものを言うのは憚られますが、ただ懐かしさという点では、私も一票を投じる資格があります。私が人の子として生まれたときも、その後、人の親となったときも、あの半球ドームは常に街を見下ろし、1970年代には私自身そこに親しく通ったのですから。

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今は亡きドームから届いた1枚のチケット。


「御一名 一回限り有効」


3つの願いを聞いてくれる魔法のランプのように、このチケットも「1回限り」なら永遠に有効のような気がします。これを持って渋谷に行けば、どこかにひっそりと入口があって、あのドームへと通じているんじゃないか…?

そんな夢想をするのは、ドームは消えても、招待した人の気持ちだけは、この世にずっととどまっていて、その招待に応えない限り、思いが中有(ちゅうう)に迷って成仏できないような気がしたからです。

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でも、そんな心配は無用でした。


裏面にはしっかりスタンプが押され、昭和36年(1961)7月いっぱいで、チケットの有効期限は切れていることを告げています。招待者の念はとっくの昔に消滅しており、その思いが迷って出る…なんていう心配はないのでした。

「ああ良かった」と思うと同時に、五島再訪の夢も消えて残念です(※)

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このチケットは、おそらく五島プラネタリウムと誠文堂新光社がタイアップして、両者の集客と宣伝を図るために配ったのでしょう。最初は「天文ガイド」誌の読者プレゼント、あるいは投稿掲載者への謝礼代わりに配ったのかな?と思いましたが、改めて確認したら、同誌の創刊は1965年7月で、まだ「天ガ」もない時代の品でした。それを思うと、いかにも昔という気がします。

それにしても61年間、文字通り「ただの紙切れ」がよく残ったものです。これなんかはさしずめ、紙物蒐集家が云うところの「エフェメラ(消えもの)」の代表格でしょう。

なお、チケットのデザインが、1066年のハレー彗星を描いた中世の「バイユー・タペストリー」になっているのは、野尻抱影らがそこに関わって、歴史色の濃い番組作りが行われていた同館――その正式名称は「天文博物館五島プラネタリウム」です――の特色を示しているようで、興味深く思いました。

(彗星(右上)と、それを見上げざわめく人々)


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(※)そんなに五島が恋しければ、その流れを汲む「コスモプラネタリウム渋谷」に行けば?という声もあるでしょうが、でもやっぱり五島は無二の存在です。

コメタリウムがやってきた2022年03月31日 21時26分19秒

今を去る8年前、1台のコメタリウムを紹介しました。

■コメタリウム続報

その優美な動きは、今も変わらず動画で見ることができます。


惑星の動きを再現するのがプラネタリウムなら、彗星の動きを再現するのがコメタリウムです。

彗星は近日点近くでは素早く、遠日点付近ではゆっくりと、楕円軌道を描いて進みます。いわゆるケプラーの第2法則というやつです。コメタリウムはそのスピードの変化を、歯車によって近似的に再現する装置です。

もちろん子細に見れば、地球だって、他の惑星だって、みんなケプラーの第2法則にしたがって動いているわけですが、軌道がまん丸に近いと、遅速の変化はあまり目立ちません。それに対してメジャーな周期彗星は、たいてい顕著な楕円軌道を描いているせいで、遅速の変化も劇的です。「これは見せ甲斐があるぞ…」というわけで、特に彗星の名を冠したコメタリウムという装置が作られたのでしょう。

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動画に登場したコメタリウムは、18世紀のオリジナルをほぼ正確に再現しています。

(コメタリウムの内部機構。上記動画より)

外観はもちろん、彗星の動きをシミュレートする心臓部が2枚の楕円歯車の組み合わせで出来ている点も、オリジナルと同じです。

(19世紀の絵入り百科事典に掲載されたコメタリウム)

(同上。部分拡大)

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このコメタリウムを製作されたのは、金属加工・金型成型がご本業の安達清志さんで、8年前の記事では、HN「Sii Taa」さんとお呼びしていました(なじみのあるお名前なので、以下もそうお呼びします)。このコメタリウムは、その技術力を生かして、部品からすべてSii Taaさんが手作りされた逸品です。

当時、この品を手元に置きたいと、どれ程願ったことでしょう。
でも、Sii Taaさんにとってのコメタリウムは、一種の技術的デモンストレーション、いわば余技であり、売り買いの対象ではなかったので、その思いが叶うことはありませんでした。

しかし、8年の歳月は自ずと世界に変化を生じさせます。
先日、Sii Taaさんから「死蔵しているよりは…」と、突如進呈のお話があったのでした。そのときの気持ちを何といえばよいか。単に嬉しい驚きと言っただけでは足りません。その後ろに!!!…と、ビックリマークを10個ぐらい付けたい感じです。ブログを続けていて本当によかった…と、その折も思いました。

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こうしてコメタリウムが我が家にやってきたのです。



うーむ、なんと端正な表情でしょう。


そして、このクランクを回すと…


彗星を示す真鍮の小球が、滑るように動き始めるのです。
その動きを、今一度上の動画でご確認いただければと思いますが、単に眺めるのと違って、自分の手の運動感覚がそこに加わると、一瞬自分が彗星になって、虚空を飛んでいるような気になります。

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求めよ、さらば与えられん。
人生、辛いことも多いですが、ときにはこういうこともあります。
Sii Taaさんのご厚意に、改めて深く感謝いたします。

食卓の星2021年03月10日 22時02分11秒

天文モチーフの品はどこにでも登場します。


テーブルの隅に、いつの間にかこんな彗星と土星が乗ってたらどうでしょう?


クロームメッキの輝きを放つ32ミリ角のキューブ。
これが何かといえば、パッパッと塩と胡椒を振るためのソルト&ペッパー・シェイカーのセットです。言ってみればどうということのない雑器ですが、意外に時代は古くて、1930年代にさかのぼる品。


銀色の外身を外すと、中身はベークライト製らしい容れ物になっています。

(底面のロゴマーク)

メーカーのチェイス社(Chase Brass & Copper Co.)は、1876年にコネチカットで創業。1930年代に、当時の一流デザイナーを起用したクローム製家庭用品をいろいろ売り出して、当時の製品は現在コレクターズアイテムになっているのだそうです。もちろん、この小さな容器もその一部。


このスマートな造形感覚は、1930年代における「モダン」がどんなものであったかを、問わず語りに教えてくれます。真っ白いお皿に載せたハムエッグに、こういう容器から塩胡椒を振りまいて、ぱくぱく食べるという生活スタイルが「モダン」に感じられた時代―。その輝きは、ポップアップトースターのそれと同質のものであり、クロームメッキの輝きが真鍮の輝きに置き換わったとき、我々の生活は「モダン」の波に呑み込まれたのかな…という気がします。

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さて、明日はいよいよ3.11。

小さな町に彗星が降る2020年07月30日 07時17分54秒

もうじき7月も終わり。
今月はネオワイズ彗星の話題で、星好きの人たちは盛り上がっていましたが、いかんせん曇天続きですし、町中から鮮やかに見えるほどではなかったので、私は結局目にすることができませんでした。その代わり、小さな画面にその姿を偲んでみます。


家並みの上に広がる漆黒の空。そこを音もなく飛ぶ彗星。
指輪をする習慣はありませんが、その静かな光景に魅かれるものがありました。


オニキスに人造オパールを象嵌したもので、ナバホ族の人の「インディアン・ジュエリー」から派生した現代の作品と聞きました。したがって、モチーフとなっているのも、アメリカ南西部の伝統集落(プエブロ)らしいのですが、そこまで限定することなく、どこか「心の中にある小さな町」と見ておきたいです。


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それにしても、疫病と長雨続きの中、昔の人なら彗星を凶兆として大いに恐れたでしょう。そこはやっぱり世の中が開けたのかな…と思います。願わくは、そうした難事に処するための方策の方も、十分賢にして明なものであってほしいです。

ハレー彗星来たる(その4)2020年02月09日 10時41分43秒

1835年のパリと1910年のパリ―。

どっちにしたって「昔のパリ」だから、そんなに違わないんじゃないか?…と、私なんかは思ってしまいますが、その場にいた人に言わせると、「いや、全然違う」ということになるようです。

そもそもフランスの近代史は、非常に錯綜しています。
年表を見ると、1835年の直前に「復古王政」から自由主義的な「七月王政」が誕生し、そこからまた革命を経て「第二共和政」に転じ、その反動で「第二帝政」となり、その揺り戻しで「第三共和政」へ…というふうに、政体が目まぐるしく変わっています。そして1910年当時は、この第三共和政の世の中です。

でも、ボン・マルシェの彗星カードを見ると、そんな歴史の荒波は脇に置いて、1910年のパリ人は、ひたすら物質面の繁栄を誇り、彗星にもっぱらそのことをアピールする姿勢が目に付きます。


「(No.2)パリの都は愛らしい彗星に、機関車や自動車や自転車、電信と電話、首都のありさまを、急ぎ足でお目にかけます。いずれも彗星が前回訪れた1835年にはなかったものばかりです。」


「(No.3)パリの都はゴンドラに乗って、アレクサンドル橋とトロカデロ広場、そしてエッフェル塔を望む、花盛りのセーヌ川のほとりへと愛らしい彗星を案内します。これらの偉観は75年前には存在しませんでした。」

こんな風に、カードはやたらと「75年前にはなかった」ものを強調し、そうした新機軸を全肯定するのです。あたかも、当時の大衆の脳裏には、「この75年間で失われたもの」への懐古や郷愁など、全く存在しないかのようです。(実際はそんなこともないのでしょうが、歴史好きのフランス人にしても、当時の目覚ましい技術革新に、大いに幻惑されたのでしょう。)


「(No.4)パリの都は愛らしいハレー彗星に、美しいフランスの兵士たちとともに、飛行艦隊と最新の航空機を誇らしげに紹介します。これまた75年前にはなかったものです。」


「(No.5)パリの都は、75年前にはなかった壮麗なオペラ座が誇らしく、愛らしいハレー彗星に敬意を表して祝賀演奏会を催します。」

オペラ座はパリの華やぎの象徴です。そして、ボン・マルシェ百貨店自体が、オペラ座の建物をモデルに改装を行ったので(1887年)、この文化の殿堂には一目置いていたのでしょう。(同時代の日本にも、「今日は帝劇、明日は三越」のコピーがあったことを思い出します。余談ながら、小説『オペラ座の怪人』が新聞連載されたのが1909年で、単行本化されたのが1910年だそうです。)

それと、空飛ぶ彗星に対して、人間側も航空機の発明を自慢する…というのも、時代の気分をよく表しています。ですから次のカードでは…


こんなふうに、彗星を無理やり飛行機に乗せて、遊覧飛行までしてしまうのです。
向かう先は、もちろん我らがボン・マルシェ。

「(No.6)愛らしい彗星はこの75年間のことを何も知らないので、パリの都は彼女を驚かせようと、急いでボン・マルシェ百貨店に案内します。」


最後のNo.7はスペシャルカードで、30.8×23センチと、他よりも一回り大きいサイズになっています。カードの裏面の説明を読むと、このカードシリーズは、1910年5月1日から18日(彗星の尾が地球に達すると言われた日)までの期間限定で買い物客に配布され、このNo.7はたぶん最終日に配ったのでしょう。

 「いよいよ運命の5月18日。街を覆う赤い夕闇は、地球が炎に焼かれる最後の災いを意味するのでしょうか?いえ、これこそ1910年の彗星がもたらす輝かしい栄光のしるしなのです!」

ちょっとキャプションの文意がとりにくいですが、たぶんこんなことが書いてあるようです。彗星の尾の中には、さらに有翼の車輪に乗った彗星の女神がいて、彼女がもたらす豊かな恵みに、農民たちが歓呼の声を上げている…そんな場面を描いて、1910年の彗星騒動は、大団円を迎えたのでした。

何だか能天気な気もしますが、これが1910年の世の中でした。

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お次は、私自身も体験した1986年ということになるのですが、このころになると彗星の意味が拡散しすぎて、天文ファンを除けば、世間一般の関心は、今一つだった印象があります(その見え方もたいそう貧弱でした)。

でも、1986年に「松明のように燃えている大きな星」が空から落ちてきて、人々を大いにおののかせたのは事実です。ただし、その名は「ハレー」ではなく、ウクライナ語で「苦よもぎ」を意味する「チェルノブイリ」でした。春先のハレー接近の報など、4月のチェルノブイリ事故によって、すっかり世間の記憶や関心から吹っ飛んだ…というのが、個人的実感です。

 「第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は『苦よもぎ』といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。」 (聖書「ヨハネの黙示録」第8章第10-11節)

1910年のあと、人類は2度の世界大戦を経て、さらに巨大技術が引き起こした惨禍を目の当たりにしました。だからこそ、ボン・マルシェのカードが、いっそう能天気っぽく思えるのですが、反面そこにまぶしさと羨ましさも感じます。でも、我々はもう後戻りはできないですね。

ハレー彗星来たる(その3)2020年02月08日 18時20分04秒

1758年のハレー彗星は、科学ニュースとなりました。
1835年のハレー彗星は、科学ニュースであると同時にファッションとなりました。
では、1910年のハレー彗星はどうなったか?

それは科学ニュースであり、ファッションであり、さらに「コミックとカリカチュア」になったのです。1910年のハレー彗星をネタにした漫画は、文字通り無数にあって、枚挙にいとまがありません。世の中は市民社会から、さらに大衆社会となり、享楽的な気分が漂っていたことの反映でしょう。

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ここで、ハレー彗星をネタにした、一寸変わった品を見てみます。
大衆社会は消費社会でもあって、その申し子である百貨店が作った宣伝用カードです。

パリの有名なボン・マルシェ百貨店は、1852年の創業。

(下に紹介する品の裏面に刷られたボン・マルシェの威容)

消費社会では宣伝戦略がものを言いますから、同社も余念なく広告に力を入れ、19世紀から20世紀にかけて、同社は広告文化の一翼を担う存在でした。

1910年のハレー彗星は、格好の時事ネタをボン・マルシェに提供しました。
同社は、これを7枚シリーズの大判の色刷りカード(24.5×18センチ、オフセット印刷)に仕立てました。たぶん、買い物のオマケとして配ったのでしょう。

その内容はまさに時代の鏡です。これを見ると、1910年のパリ人が、1835年の父祖と我が身を比べて、どのように自己規定していたかが如実に分かります。

以下、順々に内容を見ていきます。まずはシリーズの第1番。


「75年ぶりに現れた愛らしいハレー彗星がしずしずと歩み寄り、パリの都がお出迎えです。」

左側の青いドレスの貴婦人はパリの擬人化、そして長い裳裾を引く右のピンクの麗人がハレー彗星です。美しい両人が75年ぶりに出会った場面を、ドラマチックに描いているのですが、まあこんな甘いお菓子のような表現は、フランス以外では生まれようがないでしょう。

この後、パリの都がハレー彗星を、あちこち案内するという体でストーリーが展開しますが、長くなるので以下次回。

(この項つづく)

ハレー彗星来たる(その2)2020年02月02日 11時18分29秒

17世紀は「科学革命の時代」と持ち上げられますが、その一方で魔女狩りもあり、ペスト禍もあり、地球規模で寒冷な時期だったせいで、人々は素寒貧だったし、ヨーロッパの王様は戦争ばかりやってたし、まるで中世の再来のように暗い面がありました。

ハレー彗星は17世紀に2回来ています。すなわち1607年と1682年です。
それが人々の心にどんなさざ波を立てたのか、詳らかには知りませんが、1607年の彗星は間違いなく超自然的な凶兆だったでしょうし、1682年のときだって、程度の差こそあれ、人々を不安にしたことは間違いありません。

それが1758年になると、さすがは啓蒙主義の時代、ハレー彗星も「単なる科学ニュース」になっていた…というのが、前回書いたことでした。

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さて、その次は1835年です。
この間に、ハレー彗星のイメージはどう変わったのか?

1835年も、ハレー彗星は立派な科学ニュースでした。その点はたぶん同じです。
でも、それだけではありません。

このとき、彗星は新たに「ファッション」になったのです。
言い換えると、ここにきて彗星はにわかに「カッコいいもの」になったのです。これこそが、19世紀の新潮流でした。

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ブローチのデザインの一種に、「彗星ブローチ」というのがあります。

ジュエリー関係の人は、しばしば1835年のハレー彗星こそ、そのきっかけになったと語ります(これは主にeBay業者の言い分ですが、ハレー彗星コレクターであるスチュアート・シュナイダー氏も、自身のサイト「ハレー彗星は1835年に、彗星を記念する新しいジュエリースタイルによって歓迎された」と書いているので、おそらくそうなのでしょう。)

手元にあるアメシストのブローチも、1835年当時のイギリス製と聞きました。


イギリスではヴィクトリア女王が即位(1837)をする直前で、「ヴィクトリアン様式」のひとつ前、「ジョージアン様式」に分類される古風な品です。

この形は、一見どっちが頭(コマ)で、どっちが尾っぽか分かりませんが、いろいろ見比べてみると、どうも大きい方が頭のようです。我々は、写真に納まった“長大な尾を引く彗星”のイメージに慣れすぎていますが、たいていの彗星は、尻尾よりも頭の方が明らかに目立ちますから、素直に造形すれば、確かにこうなるわけです。

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その後も彗星ブローチは作られ続けました。


特に意識して集めているわけではありませんが、しばしば目に付くものですから、小抽斗の中には、新古取り混ぜて彗星ブローチがいろいろたまっています。そのデザインは千差万別で、人間の想像力の豊かさを感じさせますが、これは実際に彗星の形が多様ということの反映でもあります。

天空を翔び、胸元を飾るそのフォルムに注目した「彗星誌(Cometography)」を、いつか書きたいと思っているので、彗星ブローチの件はしばらく寝かせておきます。

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話を元に戻して、19世紀に入って、彗星がなぜ「カッコいい」存在になったかですが、その理由はしごく単純で、19世紀の幕開けとともに、一般のホビーとして「天文趣味」が成立し、それがファッショナブルになったからじゃないかなあ…と思います。

市民社会の成立は、多くのホビーを生み出しましたが、その中でも科学的装備をこらして、遥か天界の奥を窺う天文趣味は、何となく高尚で「カッコいい」行為となり、暗夜にきらめく星空はロマンの尽きせぬ源泉となりました(その流れは今も続いていると思います)。

中でも変化と動きに富む彗星は、まさに夜空のヒーローであり、その天空ショーがまた新たな天文趣味人を生むという好循環によって、19世紀は天文趣味が大いに興起した100年となったのです。


(次の回帰は1910年、ハレー彗星はいよいよ時代の人気者となっていきます。この項つづく)