さあ、みんなでハーシェルの天体を見よう ― 2012年01月14日 21時27分15秒
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【1月22日付記: トップ表示の期間が満了したので、本来の位置に戻します。】
今日は天文古玩には珍しく、リアル天文趣味の話題です。
【1月22日付記: トップ表示の期間が満了したので、本来の位置に戻します。】
今日は天文古玩には珍しく、リアル天文趣味の話題です。
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古来、人類の歴史を変えた天文家が幾人かいます。
プトレマイオス、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ。あるいは天文家ではないですが、宇宙の理解を飛躍的に高めたニュートンやアインシュタインなど。
イギリスで活動したウィリアム・ハーシェル(1738-1822)も、間違いなくその一人です。

(Sir Frederick William Herschel, 1738-1822)
新惑星・天王星を発見し、赤外線の存在を実証し、太陽系が恒星宇宙の中を疾駆している事実を見出し、銀河系の形状を観測データから明らかにし、膨大な星雲星団の目録を超人的な努力でまとめた人。40歳を過ぎて天文家に転身する前は、優秀なプロの音楽家だったという、その経歴からして、とびきり異色の存在です。
そうした個々の業績も驚くべきものですが、その最大の功績は、この大宇宙(太陽系を超えた遥かな世界)の真の姿について、人類は単なる思弁のみならず、具体的な観測によってもアプローチできることを、身をもって実証したことでしょう。後続の学者たちは皆、このハーシェルがこじ開けた扉を目にしたことで、果敢な挑戦に打って出ようという勇気を与えられたのです。
これは人類の精神史における、一種の革命だと言ってよいのではありますまいか。それまで庇護されるばかりの存在だった幼児が、ある日ふと「自分もやればできるんだ!」と気づいた瞬間…とでも言えばいいでしょうか。
この偉大な天文家を慕う人々は今も多く、イギリスにはウィリアム・ハーシェル協会があり、日本にも日本ハーシェル協会があって、活動を続けています。
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さて、ハーシェルについて熱く語りましたが、私も会員である日本ハーシェル協会では、本年「ハーシェルの天体を見よう2012」というイベントを開催します。会員であってもなくても、世界のどこからでも参加自由という、気軽な催しです。
内容は、今年1年かけて、ハーシェルにちなむ天体を5つ見ようというものです。(そう、たった5つです。これならば、ものぐさな人や、ライトな天文ファンでも十分チャレンジできそうですね。)
そのラインナップは以下のとおり。
1.天王星
2.ハーシェル天体H VII-2(いっかくじゅう座 散開星団 NGC2244)
3.ハーシェル天体H V-24(かみのけ座 銀河 NGC4565)
4.ハーシェルのガーネットスター(ケフェウス座μ星)
5.ハーシェル天体H V-1(ちょうこくしつ座 銀河 NGC253)
街中でも小型望遠鏡があれば十分チャレンジできるものをセレクトしました(一部は双眼鏡でも観測可)。昔、天体望遠鏡を買って、土星の輪っかや木星の縞模様は見たけれど、天王星はまだ見たことがない…という方も多いでしょう。この機会にぜひ挑戦してみてください。
個々の天体に関する情報や、イベントの詳細は、以下の特設ページをご覧ください。

■ハーシェルの天体を見よう 2012
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/hsjsub/herschelwatch2012/
このイベント、参加費や事前エントリーはもちろん不要ですが、「見えた!」「残念、ダメだった」, etc. …のレポートを、日本ハーシェル協会の掲示板にお書き込みいただければ有難いです。偉大なる天文家の追体験を、多くの方といっしょに楽しめればと思います。
なお、この情報について、個人サイト;Twitter;口コミ等で拡散していただければ、これまたありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
遠い世界へ ― 2011年03月31日 22時42分23秒
(↑1950年代にアメリカで頒布された天体写真セット)
地震と原発で頭がへろへろになっているうちに、3月も終わりです。
デジカメもまだ買いに行けません。
そんなわけで、今月はあまり記事を書けませんでした。
まあ、それも当然だと思います。
原発があの状態では、「理科趣味」などと呑気なことを言っている場合ではないと、自分で言うのも変ですが、そう思いました。
★
その一方で、星は人々にとってやはり大きな慰めだなあ…という思いも深いです。
空を見上げさえすれば、そこには無限とも思える遠い世界が広がっています。
昔、『ビクトリア時代のアマチュア天文家』を読んでいて、「どんなに苦しい環境でも、貧しいアマチュア天文家は星を見るのをやめなかった。いや、苦しいからこそ、彼らはそれを忘れるために、一層熱心に星を見たのだ」という趣旨のことが書かれていて、大いにうなずいた覚えがあります。
人間の気高さも、愚かさも、悲劇も、喜劇も、すべてが無に感じられるほど、はるかな高みで光を放つ星の姿を見るとき、人は言葉にならない思い、言葉にするには深遠すぎる思いに包まれることも少なくない。
「天文古玩」は、近ごろ人事寄りの話題が多かった気もしますが、「はるかな世界への憧れ」こそ、自らの拠って立つ足場ではなかろうかと、省みて思いました。
地震と原発で頭がへろへろになっているうちに、3月も終わりです。
デジカメもまだ買いに行けません。
そんなわけで、今月はあまり記事を書けませんでした。
まあ、それも当然だと思います。
原発があの状態では、「理科趣味」などと呑気なことを言っている場合ではないと、自分で言うのも変ですが、そう思いました。
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その一方で、星は人々にとってやはり大きな慰めだなあ…という思いも深いです。
空を見上げさえすれば、そこには無限とも思える遠い世界が広がっています。
昔、『ビクトリア時代のアマチュア天文家』を読んでいて、「どんなに苦しい環境でも、貧しいアマチュア天文家は星を見るのをやめなかった。いや、苦しいからこそ、彼らはそれを忘れるために、一層熱心に星を見たのだ」という趣旨のことが書かれていて、大いにうなずいた覚えがあります。
人間の気高さも、愚かさも、悲劇も、喜劇も、すべてが無に感じられるほど、はるかな高みで光を放つ星の姿を見るとき、人は言葉にならない思い、言葉にするには深遠すぎる思いに包まれることも少なくない。
「天文古玩」は、近ごろ人事寄りの話題が多かった気もしますが、「はるかな世界への憧れ」こそ、自らの拠って立つ足場ではなかろうかと、省みて思いました。
ジョバンニが見た世界…銀河のガラス模型(5) ― 2010年06月12日 09時43分26秒
明日はいよいよ「はやぶさデー」ですね。
何となく落ち着きませんが、あわてず騒がず記事の方を続けます。
何となく落ち着きませんが、あわてず騒がず記事の方を続けます。
★
この「ジョバンニが見た世界」という企画は、「現実に存在するアイテムで銀河鉄道の世界を再現する」ことが目的なので、創作めいたことは御法度です。しかし、この銀河のガラス模型については、現実世界に見出すことが望み薄なので、数寄心から(←大げさ)試作してみました。
最初は、透明硬化樹脂と銀ラメを使って、小林氏のモデルのようなものを作ろうと思ったのですが、技術がないし、費用もかかりそうだったので断念。既存のものを組み合わせて、何とかそれらしくできないかと思って注目したのが、昨日の松田氏のモデルなのです。
松田氏のモデルの良い点は、両凸レンズを使わなくも済むところ。大きな両凸レンズで、しかも曲率が大きいもの(=分厚く盛り上がったもの)は、あまり使い道がないせいか、探してもなかなか見つかりません。しかし、松田氏のモデルならば、とりあえず片面だけ凸ならばOKなので、ジャンク品でそれっぽいものが手に入りそうです。
実際に私が買ったのは、片面凹、片面凸のレンズで、元は照明機器に使われていたものだろうと思います。直径は大きければ大きいほど良かったのですが、とりあえず16センチ径で満足することにしました(それでも相当重いです)。
木枠は、東急ハンズで買った、24cm径の円形と八角形の板に穴開け加工をしてもらい、両者を接着して、適当に塗装しました。2枚の板を貼り合わせたのは、単にレンズの厚みに合わせるためですが、結果的に装飾性が増した感じです。
銀の粒はどうしようもないので、レンズの下に星の写真を敷いて、雰囲気だけ味わうことにします。探してみたら、アメリカで1950年代に市販されていた天体写真の中に、ヘルクレス座の球状星団(M13)を写したものがあって、サイズ的にぴったりでした。シートサイズはA3よりもさらに大きい、大判の写真セットです。当時のSky & Telescope 誌の広告を見ると、パロマー山天文台などで撮影された、この手の写真が盛んに売られており、これもその1枚でしょう。
以上の素材を組み合わせると、こんな感じ。
木枠からのレンズの盛り上がりもたっぷりとしています。
そっと覗けば、ガラスの海の底に、漆黒の空と一面の星!
★
たぶん、これは賢治がイメージしたものとはだいぶ違うでしょう。
ですから、これはあくまでも「参考出品」という位置づけです。
ジョバンニが見た世界…銀河のガラス模型(2) ― 2010年06月09日 19時38分48秒
(昨日のつづき)
賢治は明治29年(1896)の生まれ。大正元年(1912)のときには16歳で、昭和をちょうど30歳で迎え(1926)、昭和8年(1933)に37歳で没しました。彼が生きたのは、ちょうど宇宙構造論が劇的に変化した時代に当ります。
下は賢治の没後、昭和11年に出た『少年天文読本』(『子供の科学』誌別冊付録)から取った「銀河系及び大宇宙の構造」の図。銀河系の直径は20万光年、太陽系は、いて座方向にある中心部から5万光年ほど寄った位置にあることが描かれています。
「銀河までを大体の限りとして、普通の星のある範囲は大体円盤
のやうな形をしてゐることを前に述べました。そして、その円盤型の
宇宙の内には数十億の恒星やガス星雲、散開星団等が含まれ、
球状星団がその周囲にちらばってゐることは前述のとほりです。
〔…〕そこで私共はこの銀河や球状星団までを限りとするこの円盤
状の宇宙を銀河系と呼んで、これを一つの宇宙と考へ、渦状星雲は
それら一つ一つが一つの宇宙であると考へます。そういふ意味で、
銀河系のことを我宇宙なぞと呼ぶこともありますし、逆にこの銀河系
も他から見れば一つの渦状星雲に外ならないだらうとも考へます。」
細部の数値の異同はともかく、現在の標準的な銀河系モデルとほぼ同じですね。特に奇異な点はありません。しかし、その20年前にはまた違ったモデルが存在しました。
既出の井田誠夫氏の論考(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/03/3449422)には、大正4年(1915)の『天文月報』から取った以下の文章が引用されています。
「太陽は銀河の中心より幾何か白鳥座の方向に偏よって居ると
思はれます。銀河の距離の如きは 勿論正確には分って居りませぬが
沢山の学者の研究によれば 五千光年位まで拡がつて居るやうに
思はれます。結局吾々の見て居る星の世界は 短軸が六千光年で
長軸が一万光年位のレンズ形と見倣すことが出来ませう。而して
吾々の見て居る星、星団及び星雲等は皆此星の世界の中に位して
居るものでありませう。この吾々の星の世界の外には果たして何者が
存在するでありませうか、この間に対しては 現今の吾々の知識では
何も分らぬ、と答へるより外に致し方がないと思ひます。」
(小倉伸吉「星の距離(三)」、『天文月報』7巻12号、大正4年3月)
大正4年は、ちょうど賢治が盛岡高等農林に入学した年で、同校図書館は『天文月報』を購読していたので、賢治自身この文を目にした可能性があります。銀河系のサイズがずいぶん小さいのと、我が銀河系だけがこの世に存在する唯一の恒星集団だとする点で、これはいかにも古風な学説ですが、賢治の学校時代には、まだそうした説が力を持っていたのです。(なお、この文章だけだと、小倉のいう「レンズ形」が、饅頭のような扁球なのか、ラグビーボールのような長球なのか、はたまた「平べったい楕円形」なのか、はっきりしません。)
この辺の事情は、以前にも「渦巻き論争と宇宙イメージ」として、過去に3回にわたって記事にしました。
○http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/04/29/3413622
○http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/04/30/3423803
○http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/03/3449422
★
ちょっと話題がずれたかもしれません。
ここで問題にしたかったのは、「島宇宙説」の発展云々よりも、賢治が銀河系の形象として、どんな形を思い浮かべていたろうかということです。
賢治の天文知識の重要な供給源とされる、吉田源治郎の『肉眼に見える星の研究』(大正11年)には、「ハーシェルは其形状を大きな磨(うす)に擬(なぞ)らへました」云々と書かれていますが、レンズの比喩は出てきません(ハーシェルが使った「うす」の原語は未詳)。
ただし、「アンドロメダ座螺旋状大星雲」の解説では、下のようなお馴染みの写真と共に、「之等は皆、我々の宇宙―『天の河』宇宙域外に散在する所の、それぞれ各自に独立した一個の宇宙であらうと想像されて居ります」という説明があって、我が銀河系の形状も、こうした写真から類推される部分が大きかったろうと思います(上の『少年天文読本』の図は、まさにそうですね)。
で、ちょっと気になるのは、このアンドロメダ銀河の写真は、もちろん円盤状のものを斜めから見ているので楕円に見えているわけですが、当時一般の人は、画面の奥行を無視して、正しく楕円形をしたものという風に受け止ったかもしれないなあ、ということです。
大正12年に出た古川龍城の『天体の美観 星夜の巡礼』には、「天の川は我が宇宙の外辺にあたり〔…〕その直径は約二十万光年にも及び、厚さは割合に小さく其の五分の一ぐらゐと評価されてゐる。そして全形はあだかも凸レンズの恰好をしてゐる」とあります。「厚さは割合に小さく」とありますが、それでもかなりの厚さ。
さらに下った昭和8(1933)の『天文学辞典』(山本一清・村上忠敬著)でも、「銀河宇宙」の項で「天の河を周縁とする宇宙は 我が太陽系の存する宇宙であって 両凸レンズ形を成し その直径が凡そ二十万光年程度で その厚さは五万光年内外である」と書かれていて、厚みは一層増しています。
凸レンズの比喩はいいにしても、上のような説明だと、写真に写ったアンドロメダ銀河さながらの、かなり分厚いレンズ形を思い浮かべることになります。もちろん「銀河系」の指示対象にもよるのですが、恒星が分布するディスクと中央のふくらみ(バルジ)だけを取り出すと、現代の我々がイメージする銀河系は、もっと平べったいので、賢治の時代はその点がちょっと違ったかもしれません。
★
昨日はウィキペディアから適当に画像を貼り付けましたが、M104のイメージは賢治の頃にも流通していて、これも分厚い凸レンズのイメージに益したことでしょう。
↑野尻抱影の『星座巡礼』(第7版・昭和6年;初版は大正14年)より。
ジョバンニが見た世界…銀河のガラス模型(1) ― 2010年06月08日 20時44分22秒
(M104、ソンブレロ銀河。Wikipediaより。画像ソースはNASA)
さて、寄り道から本道に戻り、『銀河鉄道の夜』に登場する天文アイテムの話題を半年ぶりに再開します。
★
これまで取り上げたのは、作品の冒頭に登場する<天文掛図>と<銀河の雑誌と大きな本>の話題でしたが、今回は話の順番に沿って「銀河のガラス模型」がテーマです。
■ □
先生はまた云いました。
「〔…〕この模型をごらんなさい。」
先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面
の凸レンズを指しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの
光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで
光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ
中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。
みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を
見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄い
のでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでしょう。
こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち
星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるという
これがつまり今日の銀河の説なのです。〔…〕」
■ □
この美しい銀河模型。銀砂子の散った凸レンズ型のオブジェというのは、何だか本当にありそうな気がします。そして私自身、これまでずいぶん気にかけて探してきましたが、まだお目にかかったことはありません。
残念ながら、これは現実の天文教具としては存在せず、純粋に賢治の創作なのだと思います。(もちろん私が見たことがないから、即「ない」とは言えませんが、仮に存在するにしても、非常に希少なものでしょう。)
★
このガラス模型をめぐって、これから考察をしていくのですが、その前に銀河系を「凸レンズ」にたとえた例を見ておくことにします。
(冗漫ながら、この項つづく)
さて、寄り道から本道に戻り、『銀河鉄道の夜』に登場する天文アイテムの話題を半年ぶりに再開します。
★
これまで取り上げたのは、作品の冒頭に登場する<天文掛図>と<銀河の雑誌と大きな本>の話題でしたが、今回は話の順番に沿って「銀河のガラス模型」がテーマです。
■ □
先生はまた云いました。
「〔…〕この模型をごらんなさい。」
先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面
の凸レンズを指しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの
光るつぶがみんな私どもの太陽と同じようにじぶんで
光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ
中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。
みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を
見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄い
のでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでしょう。
こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち
星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるという
これがつまり今日の銀河の説なのです。〔…〕」
■ □
この美しい銀河模型。銀砂子の散った凸レンズ型のオブジェというのは、何だか本当にありそうな気がします。そして私自身、これまでずいぶん気にかけて探してきましたが、まだお目にかかったことはありません。
残念ながら、これは現実の天文教具としては存在せず、純粋に賢治の創作なのだと思います。(もちろん私が見たことがないから、即「ない」とは言えませんが、仮に存在するにしても、非常に希少なものでしょう。)
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このガラス模型をめぐって、これから考察をしていくのですが、その前に銀河系を「凸レンズ」にたとえた例を見ておくことにします。
(冗漫ながら、この項つづく)
魚の口はどこにある ― 2010年06月07日 20時23分35秒
(寄り道のおまけ。昨日の続きです。)
「魚の口」の由来を知りたいと思いました。
ロッキャーの本では典拠なしに、「前からそう呼ばれている」みたいな書き方になっていましたが、同時代の本に何冊か当っても、あまり出てきません。須藤氏がロッキャーと共に参照したというサイモン・ニューカムの本にも出てこないようです。
もちろん、これは一種の愛称で、学問的に正式な呼び方ではないのでしょうが、愛称にしてもあまり普及しているとは言い難い。アマチュア向けの観測ガイドの古典とされる、トーマス・ウェッブの『普通の望遠鏡向きの天体 Celestial Objects for Common Telescope」(1859)や、C.E.バーンズの『宇宙の驚異1001個 1001 Celestial Wonders』(1929)にも出てこない呼称です。
で、今のところ私が目にした唯一の例は、ウィリアム・ヘンリー・スミスが1844年に出した『天体の回転A Cycle of Celestial Objects』です。これは趣味の天体観測ガイド本の元祖とされ、特に、観測目標一覧をまとめた下巻は「ベッドフォードカタログ」と通称され、この部分だけ現在でもリプリント版が流通しています。
その「ベッドフォードカタログ」の「オリオン座θ1」の項目に、「オリオンの剣のさやの中央にある、巨大な星雲から成る“魚の口”(the “Fish’s mouth” of the vast nebula in the middle of Orion’s sword-scabbard)」という表現があり、その後の方で「魚の口と呼ばれる部分、及び有名なトラペジウムは、前図のように大まかにスケッチすることができる」として、下のような図を掲げています。
現在では「翼を広げた形」に見なされるオリオン星雲ですが、スミスは両翼の間の凹部を「口」に見立てたわけですね。
★
スミスも本の中で書いていますが、オリオン星雲の形が本格的かつ徹底的に調査されたのはさして古いことではなく、スミスの友人でもあるジョン・ハーシェル(ウィリアム・ハーシェルの息子。以下ジョン)が、南アフリカで1830年代に行った業績が、その口切のようです。ジョンは1834年から38年までケープに滞在し、南天研究に取り組みましたが、オリオン星雲もその対象の1つ。南アフリカは故国イギリスよりもはるかに観測条件が良かったので、オリオン星雲の形状に何か目に見える変化が生じているのかどうかというテーマに取り組むにはうってつけだったのです。
ジョンは1833年に『天文学要論 A Treatise on Astronomy』という、天文学の啓蒙書を出しましたが、ケープから帰国後にこれを増補して『天文学概論 Outlines of Astronomy』(1849)として新たに出版しました。
下に掲げる図のうち、上の図は『要論』の挿絵で、イギリスでのスケッチに基づくものです(ただし後の1845年版から取りました)。そして下の図は『概論』のもので、南アフリカでの成果が存分に生かされています。
ジョンは『概論』の中で、オリオン星雲についてこう書いています(『要論』にはない記述)。
「形状の点で、その最も明るい部位は、鼻口部から突出した一種の吻(ふん)を伴った、何か怪物めいた動物の頭部および大口を開けた顎との類似を思わせる。(In form, the brightest portion offers a resemblance to the head and yawning jaws of some monstrous animal, with a sort of proboscis running out from the snout.)」
なんだかオドロオドロしいですね。
ジョンは観測成果を随時、王立天文学会等で報文発表していたので、この表現ももっと早くから使っていたかもしれません。仮にそうだとすると、スミスの「魚の口」のルーツは、ジョンの「怪物の口」じゃないでしょうか。「お魚の可愛いおちょぼ口」というよりも、グワッと喰らいつくようなイメージです。
魚の口から泡ひとつ…フィッシュマウスネビュラの話 ― 2010年06月06日 17時09分51秒
現在、「ジョバンニが見た世界」の再開準備中ですが、その関係で調べ物をしていて、今日気付いた事実があるので、ちょっと寄り道します。
★
草下英明氏に「賢治の読んだ天文書」という論考があります(『宮澤賢治と星』、学芸書林、1975所収)。その冒頭に次の一節があります。
「昭和26年5月、花巻を訪れて〔実弟の〕清六氏にお会い
した折、話のついでに「賢治さんが読まれた天文の本は
どんなものだったんでしょうか。貴方に何かお心当りはあり
ませんか」とお尋ねしてみたが「サア、どうも覚えがあり
ませんですね。多分貧弱なものだったと思いますが」という
ご返事で…」
した折、話のついでに「賢治さんが読まれた天文の本は
どんなものだったんでしょうか。貴方に何かお心当りはあり
ませんか」とお尋ねしてみたが「サア、どうも覚えがあり
ませんですね。多分貧弱なものだったと思いますが」という
ご返事で…」
草下氏の一連の論考は、「星の詩人」宮澤賢治の天文知識が、意外に脆弱であったことを明らかにしています。たとえば「銀河鉄道の夜」に出てくる「プレシオス」という謎の天体名。これは草下氏以降、プレアデスの勘違いだったことが定説となっています。こんな風に、賢治作品で考証が難航した天体名は、大体において彼の誤解・誤記によるものらしい。
もちろん、それによって彼の文学的価値が減ずるわけではありませんが、後世の読者として気にはなります。
★
さて、「魚口星雲(フィッシュマウスネビュラ)」というのも、読者を悩ませる存在の1つ。
草下氏は、「賢治の読んだ天文書」の末尾で、これを以下のように解説しています。
「吉田〔源治郎〕氏の著書には現われない言葉で、しかも
賢治の造語とは到底考えられない用語も発見される。
その一例として、『シグナルとシグナレス』や『土神と狐』の
中で環状星雲のことを魚口星雲(フィッシュマウスネビュラ)
と呼んでいることである。別に『星めぐりの歌』では「アンド
ロメダの雲は魚の口のかたち」とも詩っている。環状星雲
というのは指環のようなリング状のガス星雲で、これを魚
の口を真正面から見た形として魚口星雲と呼んだのは、
なかなか穿っていて面白いが、寡聞にして私は環状星雲
やアンドロメダ星雲のそういう別名を未だ書物で読んだこと
はない。もちろん吉田氏の本にも書かれていないのである
が、ただ環状星雲の写真は載っているから、それを見た直観
からの賢治の造語と解釈しても差支えはないが、どうも私は
別の書物から得た知識と考える方が妥当だと思っている。」
(↑吉田源治郎、『肉眼に見える星の研究』、警世社、1922より)
そして、『宮澤賢治と星』の巻末(166-67頁)では、「野尻〔抱影〕先生に依ると、古い天文書でオリオンの星雲を魚の形に見立てて書いてあるものがあるそうだ。賢治には何か拠り所はあるのであろうが、ちょっと疑問である」とも付記されています。
★
で、今回気付いたのは、野尻氏の解釈どおり魚口星雲とはオリオン星雲(の一部)を指す言葉に他ならず、賢治はその名称を、意識してかどうかは分かりませんが、環状星雲やアンドロメダ星雲に「応用」したのだということです。
明治時代の後半、天文学の啓蒙書として非常に愛読されたものに、以下の本があります。
■須藤傳次郎(著)『星学』(帝国百科全書第60編)
明治33年(1900)、博分館
(私が直接参照したのは、1910年の第9版)
ここには、以下の記述があります。
「ヲライオン」星宿の大火星雲〔この本ではnebulaを‘火星雲’
と訳しています。惑星の火星とは無関係〕は、多重星「テータ」
の近傍に在りて青白色を帯ふ 而して其形状及び光輝部の
常に変動することは毫も疑を容るべからず 強度の望遠鏡を
以て之を観測するときは其形状恰も魚口に類するを以て魚口
火星雲の称あり
(↑須藤傳治郎、『星学』より)
本書序文で著者は、執筆にあたって「ロッキャー氏及びニューカム氏の星学初歩等」を参考にしたと書いています。そこで更に、J. Norman Lockyer の「Elements of Astronomy」(Appleton版、1878)を見ると、不規則星雲の項に、果たしてこう書かれています(p.50)。
「One part of it 〔=オリオン星雲〕 appears, in a powerful
telescope, startlingly like the head of a fish. On this account
it has been termed the Fish-mouth Nebula.」
賢治が須藤氏のこの本を読んだ確証はありませんが、かなり売れた本らしいので、読んだ可能性は大いにあると思います。
賢治の母校・盛岡高等農林の図書館蔵書目録によれば(こちらを参照)、同館には須藤氏の『星学』こそないものの、ロッキャーの上掲書を訳した『洛氏天文学』(明治12年刊)は所蔵されていました。
私は同書を見たことがありませんが、賢治には同図書館の本をすべて読んだという「伝説」があって、後者によってロッキャーの記述に直接触れた可能性も少なからずあります。(興味深いことに、ロッキャーの原著では、フィッシュマウスネビュラのすぐ下に環状星雲、そして隣にアンドロメダ星雲の挿絵が来ています。賢治がこの本を読んだとしたら、その絵柄と魚の口の形とが自ずと結びついても不思議ではありません。アンドロメダも、ちょうど口の形に見えますね。)
(↑Lockyer 上掲書より。左・こと座の環状星雲、右上・アンドロメダ星雲)
★
以上、大雑把ですが、「フィッシュマウスネビュラ」という語が直接指すのはオリオン星雲のことであり、賢治はこれをロッキャー由来の天文書で読んで脳裏に刻んだものの、いつの間にか環状星雲やアンドロメダ星雲と脳内でまじり合ってしまい、その誤解が解けぬまま文章を綴った…というのが、私の現時点での推測です。(このことは、もうどなたか書かれているかもしれませんが、私にとっては新知見なので書いておきます。)
ジョバンニが見た世界…銀河の雑誌と大きな本(6) ― 2009年12月20日 10時59分25秒
日常、妖怪にはなかなかお目にかかれませんが、奇怪な偶然には時おり出くわします。今それで頭がクラクラしているので、そのことを書きたいのですが、まずは本題の「雑誌」の話から。
★
以前も引用した(※)井田誠夫氏の「宮沢賢治と銀河・宇宙」(西田良子編『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』‐創元社‐所収)は、この「雑誌」の件にも触れています。
(※)http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/03/3449422)
井田氏の立場は、ここで私が書いているような「もし、あの作品世界に現実世界のモノが登場するとしたら、どんなものが相応しいか?」という外野的な興味ではなしに、賢治自身が実際に影響を受けたであろうものを論考するというものです。
井田氏は、賢治の天文知識のソースである、盛岡高等農林の図書館蔵書目録を調べて、そこに「天文月報」(日本天文学会発行)があったことを報じています。同校の生徒は新着雑誌を自由に読むことができたので、賢治は在学中から(あるいは卒業後も)同誌から天文学の動向について最新の知識を得ていたのではないか…と、井田氏は推測しています。
井田氏が「天文月報」と並んで注目しているのが、「子供の科学」誌です。
「大正十三年十月創刊の『子供の科学』は少年少女向き科学雑誌
である。〔…〕『子供の科学』はその後も、天文関係の記事や写真
をとりあげ、賢治が亡くなる昭和八年の九月号(第十八巻第三号)
は天文特集で「大宇宙の構造」図がついている。」(上掲書235頁)
「銀河の説明を雑誌で読んだとくり返し書く賢治自身も『天文月
報』や、〔…〕『子供の科学』等の雑誌から新しい天文情報を得たの
ではないだろうか。」(同233頁)
確証はないまでも、常識で考えれば、例の「雑誌」の一語に、賢治自身の読書体験が反映されているのは、ほぼ確実でしょう。その有力候補が「天文月報」であり、「子供の科学」等である、というわけです。
で、私の興味は、欧米における子供向け科学雑誌の歴史にと向くのですが、もし「子供の科学」に外国雑誌の影響があれば、その筋から調べが付かないかと、創刊時の事情を知ろうと思って、写真↑の本を手に取りました。
(「奇怪な偶然」の話も含め、この項続く)
★
以前も引用した(※)井田誠夫氏の「宮沢賢治と銀河・宇宙」(西田良子編『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む』‐創元社‐所収)は、この「雑誌」の件にも触れています。
(※)http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/03/3449422)
井田氏の立場は、ここで私が書いているような「もし、あの作品世界に現実世界のモノが登場するとしたら、どんなものが相応しいか?」という外野的な興味ではなしに、賢治自身が実際に影響を受けたであろうものを論考するというものです。
井田氏は、賢治の天文知識のソースである、盛岡高等農林の図書館蔵書目録を調べて、そこに「天文月報」(日本天文学会発行)があったことを報じています。同校の生徒は新着雑誌を自由に読むことができたので、賢治は在学中から(あるいは卒業後も)同誌から天文学の動向について最新の知識を得ていたのではないか…と、井田氏は推測しています。
井田氏が「天文月報」と並んで注目しているのが、「子供の科学」誌です。
「大正十三年十月創刊の『子供の科学』は少年少女向き科学雑誌
である。〔…〕『子供の科学』はその後も、天文関係の記事や写真
をとりあげ、賢治が亡くなる昭和八年の九月号(第十八巻第三号)
は天文特集で「大宇宙の構造」図がついている。」(上掲書235頁)
「銀河の説明を雑誌で読んだとくり返し書く賢治自身も『天文月
報』や、〔…〕『子供の科学』等の雑誌から新しい天文情報を得たの
ではないだろうか。」(同233頁)
確証はないまでも、常識で考えれば、例の「雑誌」の一語に、賢治自身の読書体験が反映されているのは、ほぼ確実でしょう。その有力候補が「天文月報」であり、「子供の科学」等である、というわけです。
で、私の興味は、欧米における子供向け科学雑誌の歴史にと向くのですが、もし「子供の科学」に外国雑誌の影響があれば、その筋から調べが付かないかと、創刊時の事情を知ろうと思って、写真↑の本を手に取りました。
(「奇怪な偶然」の話も含め、この項続く)
ハーシェル天体ウォッチング ― 2009年07月31日 22時17分19秒
今週は食べるための仕事がなかなか忙しく、記事が間遠になりました。
今日もそんなわけで、山本一清博士のことは先に延ばし、軽くつぶやきの記事です。
というか、宣伝です。
★
天網恢恢疎にして漏らさず。
かすてんさんに早々とコメントをいただきましたが、つい先日、ハーシェル絡みの本が出ました。
■ジェームズ・マラニー 著、『ハーシェル天体ウォッチング』
地人書館、2009年
(http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN978-4-8052-0813-7.htm)
実観測の体験もほとんどないのに、こういうディープな本を訳すというのは、厚顔無恥も甚だしいのですが、これもハーシェルの名前を少しでもポピュラーにしようという、涙ぐましい努力のなせるわざです。
ハーシェル天体というのは、あまり聞き慣れない言葉ですが、シャルル・メシエ(1730‐1817)が目録化した星雲・星団の総称である「メシエ天体」のように、ウィリアム・ハーシェル(1739-1822)が目録化した「ハーシェル天体」という、一連の星雲・星団の類があるのです。
メシエ天体は、M78のように、頭に「M」を付けて呼ばれますが、同様にハーシェル天体の方は頭に「H」が付きます。メシエ天体は全部で110個ですが、ハーシェル天体はざっと2500個余り。要するに、ハーシェル天体は、メシエ天体よりもずっと暗い天体まで含んでいるわけで(ただし、両者はごく一部の例外を除き、天体の重複はありません)、メシエ天体を一通り愛機で眺めた天文マニアに、新たな星見の目標を提示しようというのが、本書の書かれた第一の目的です。
そしてもう一つの目的というのが、このデジタル優勢の時代に、徹底的に眼視にこだわってみようという、実に渋いものなのです。以下、「訳者あとがき」より。
☆ ★ ☆
天文ファンの中には、かつて初めて深宇宙天体に望遠鏡を向けたとき、期待したような「渦巻く大銀河」は影も形もなくて、がっかりした経験をお持ちの方も少なくないと思う。しかし、天体の姿を、たとえかすかな光のしみとしてであれ、自分の目で見ることの意義をマラニー氏は力説してやまない。
近年のアマチュア天文界は、自動導入、デジタル撮像、そして高度な画像処理等、デジタル化の進展が著しい。確かにそうした技術によって、「渦巻く大銀河」が手軽に楽しめるようになったのは、深宇宙ファンにとって大きな福音であることは間違いない。そうしたデジタル技術のメリットも熟知した上で、著者があえて眼視にこだわったのは、1つにはウィリアム・ハーシェルという、現代天文学の偉大な父を追体験する喜びを、そしてまた光子〔フォトン〕を介して何千万光年も離れた遠くの天体と、(比喩的な意味ではなく)じかに触れ合うことの素晴らしさを人々に伝えたいという、「天界の使徒」としての熱い思いからである。全身で宇宙と向き合う喜びを思い起こして、多くの天文ファンに、ぜひ今一度眼視に挑戦していただければと思う。何しろ、見ようと思えば「かすかな光のしみ」以上のものを見ることができる大型機材も、今や十分身近な存在なのだから。
☆ ★ ☆
…とまあ、何か偉そうに書いていますが、そんなこんなで本の帯には「眼視派に贈る、新たな夜空のロードマップ」という文字が躍っています。
これぞディープなディープスカイの本。
ご購読いただければ幸いです。
今日もそんなわけで、山本一清博士のことは先に延ばし、軽くつぶやきの記事です。
というか、宣伝です。
★
天網恢恢疎にして漏らさず。
かすてんさんに早々とコメントをいただきましたが、つい先日、ハーシェル絡みの本が出ました。
■ジェームズ・マラニー 著、『ハーシェル天体ウォッチング』
地人書館、2009年
(http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN978-4-8052-0813-7.htm)
実観測の体験もほとんどないのに、こういうディープな本を訳すというのは、厚顔無恥も甚だしいのですが、これもハーシェルの名前を少しでもポピュラーにしようという、涙ぐましい努力のなせるわざです。
ハーシェル天体というのは、あまり聞き慣れない言葉ですが、シャルル・メシエ(1730‐1817)が目録化した星雲・星団の総称である「メシエ天体」のように、ウィリアム・ハーシェル(1739-1822)が目録化した「ハーシェル天体」という、一連の星雲・星団の類があるのです。
メシエ天体は、M78のように、頭に「M」を付けて呼ばれますが、同様にハーシェル天体の方は頭に「H」が付きます。メシエ天体は全部で110個ですが、ハーシェル天体はざっと2500個余り。要するに、ハーシェル天体は、メシエ天体よりもずっと暗い天体まで含んでいるわけで(ただし、両者はごく一部の例外を除き、天体の重複はありません)、メシエ天体を一通り愛機で眺めた天文マニアに、新たな星見の目標を提示しようというのが、本書の書かれた第一の目的です。
そしてもう一つの目的というのが、このデジタル優勢の時代に、徹底的に眼視にこだわってみようという、実に渋いものなのです。以下、「訳者あとがき」より。
☆ ★ ☆
天文ファンの中には、かつて初めて深宇宙天体に望遠鏡を向けたとき、期待したような「渦巻く大銀河」は影も形もなくて、がっかりした経験をお持ちの方も少なくないと思う。しかし、天体の姿を、たとえかすかな光のしみとしてであれ、自分の目で見ることの意義をマラニー氏は力説してやまない。
近年のアマチュア天文界は、自動導入、デジタル撮像、そして高度な画像処理等、デジタル化の進展が著しい。確かにそうした技術によって、「渦巻く大銀河」が手軽に楽しめるようになったのは、深宇宙ファンにとって大きな福音であることは間違いない。そうしたデジタル技術のメリットも熟知した上で、著者があえて眼視にこだわったのは、1つにはウィリアム・ハーシェルという、現代天文学の偉大な父を追体験する喜びを、そしてまた光子〔フォトン〕を介して何千万光年も離れた遠くの天体と、(比喩的な意味ではなく)じかに触れ合うことの素晴らしさを人々に伝えたいという、「天界の使徒」としての熱い思いからである。全身で宇宙と向き合う喜びを思い起こして、多くの天文ファンに、ぜひ今一度眼視に挑戦していただければと思う。何しろ、見ようと思えば「かすかな光のしみ」以上のものを見ることができる大型機材も、今や十分身近な存在なのだから。
☆ ★ ☆
…とまあ、何か偉そうに書いていますが、そんなこんなで本の帯には「眼視派に贈る、新たな夜空のロードマップ」という文字が躍っています。
これぞディープなディープスカイの本。
ご購読いただければ幸いです。

















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