壮麗な天体写真2019年05月31日 05時52分30秒



実は昨日の写真↑には「仲間はずれ」が混じっています。一番下に写っているのがそれです。

(No.11 Neb. about η Argus, 3/3/92)

ラベルに書かれた「アルゴ座イータ星周辺の星雲」とは、すなわち今の「イータカリーナ星雲」のことで、昔のアルゴ座の一部に当たる「りゅうこつ座」のイータ星を取り巻くように広がる巨大な星雲です。撮影日は1892年3月3日。

これもグリッドを重ね焼きした天体写真ですが、こちらの撮影者はデイビッド・ギル(Sir David Gill、1843-1914)。彼はアマチュアではなく、れっきとしたプロの天文学者です。1879年から南アフリカの喜望峰で南天観測を続け、その成果を『ケープ写真掃天星表』(1896-1900)にまとめました。上の1枚も、当然その元になった写真でしょう。

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上の写真、壮麗の一語に尽きます。
しかし、現代の我々がこれを見て感じる感じ方と、同時代の人が感じた感じ方は、かなり違うでしょう。ズバリ言ってしまうと、我々の目には、もはやこの壮麗な写真も、“ありふれたイメージ”に過ぎないと思います(「ああ、テレビや雑誌やネットでよく見るアレね」…というわけです)。

しかし、19世紀人の心の内に分け入ってみたらどうか?

恒星宇宙を見つめる巨大なガラスの瞳(望遠鏡)は既に存在したものの、受光手段の方は、血の通った肉眼しかない…という時代が、19世紀に入っても長く続きました。機材は大型化しても、結局目で見えるものが全てだったのです。

その後、19世紀も第4四半期に入ってようやく、乾板式の「ガラスの網膜」と、対象を長時間追尾できる「金属の眼筋」が発展し、人類は初めて無数の星と星間ガスが一面にうねる宇宙像に接することができるようになりました。そのドラマチックな画面が、どれほど当時の人々を興奮させたか。写真術は天文学に革命をもたらすと同時に、世間の宇宙イメージにも革命的変化をもたらしたのです。

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…と、見てきたように書いていますが、この辺は同時代の証言を少し拾ってみる必要があります。たぶん当時の一般向け天文書を通覧すれば、いろいろ興味深い証言が得られることでしょう(例によって竜頭蛇尾)。

フランクリン=アダムズの天体写真2019年05月30日 06時29分33秒



前回登場した、フランクリン=アダムズ撮影の天体写真。
手元には、王立天文協会(R.A.S.)が作成した同様の幻灯スライドが、他にも何枚かあるので、ついでに見ておきます。

(No.265 Nubecula Major.)

「大マゼラン雲」

(No.269 Region of Ophiuchi.)

「へびつかい座領域」

(No.272 Nebula h 3501)

中央の二裂した丸っこいのが「h3501」。これはジョン・ハーシェルによるカタログ番号で、一般的なNGC番号でいえば「NGC5128」。強力な電波を放っている系外銀河で、「電波銀河ケンタウルスA」の名で知られます。

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これらの写真は、星図の基礎資料として撮影されたものですから、その美景を愛でることが主目的ではなかったはずですが、当のフランクリン=アダムズにしろ、他の同時代の天文家にしろ、これを「美」という観点から眺めなかったことは、ちょっと考えにくいです。それぐらい見事な写真です。

頭抜けて豊富な財産があったにせよ、これを撮影したのが、中年の手習いで天文趣味に染まった一人のアマチュアであり、撮影されたのは100年以上前であるという事実が、見る者を驚かせます。


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【余録】

凄惨な事件が心に重いものを投げかけます。

今回の件とは直接関係ないですが、ニュースで、「通り魔事件」という言い方をよく耳にします。私自身、特に何の疑問も持たず使ってきましたが、民俗学者の宮田登氏によれば、本来の「通り魔」――江戸の人は「通り悪魔」と呼びました――は、ああいう事件の犯人ではなく、犯人にとり憑いた一種の邪鬼を指したものらしいです。つまり「通り魔」は、往来にふと現れる妖魔であり、そばにいる人がそれに憑依されると、突如狂気を発して、恐ろしい凶行に及ぶというのです(『妖怪の民俗学』)。

語の成り立ちからしても、用例からしても、確かにそれが古来の観念なのでしょう。と同時に、これは行為者と行為の責任とを切り分ける考え方ですから、そこが妙に現代的にも感じられます。

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なかなか呑み込み難い事件です。
それだけに、いろいろな観点から見ていくことが一層大事だと思います。

銀河の教会2019年02月13日 20時24分16秒

最近、こんな絵葉書を目にして驚きました。


巨大な渦巻銀河をモチーフにしたステンドグラスです。
上の絵葉書は絵柄が鮮やかに浮かび上がるよう、黒白のコントラストが強調されていますが、実際の光景はこんな感じだそうです。


(究極のソース不明ながら、Flickrで見かけた画像)

このステンドグラスは、イングランド南西部のドーセット州に立つセント・ニコラス教会を飾る作品。当然、古い時代のものではなくて、1984年に設置されたもので、作者は、詩人にしてガラス彫刻家のローレンス・ウィスラー(Sir Laurence Whistler、1912-2000)

(St Nicholas' Church。英語版Wikipediaより[ LINK ])

同教会は、大戦中に甚大な空襲被害を受け、戦後修復・再建されました。
その目玉ともいえるのが、1955年以降、順次設置された一連のウィスラー作品で、この銀河のステンドグラスは、その掉尾を飾るものです(もう一点、ウィスラーの死後に設置された曰くつきの作品がありますが、ここでは割愛)。

教会のステンドグラスというと、光と色の洪水でむせ返るような作品が多いですが、これらは透明なガラスを、ルーターやサンドブラストで加工したもので、むしろキリッとさわやかな印象。でも、壮麗な<光の芸術>であることにかけては、色鮮やかなステンドグラスに劣らず魅力的です。

銀河の造形は、伝統的な教会建築として一寸異質な感じもしますが、おそらく広大な宇宙を描くことで、宇宙を統(す)べる神の御稜威(みいつ)を高らかに示そうという意図があるのでしょう。

この教会で、重厚なパイプオルガンの音や、美しい聖歌を耳にしたら、なかなか気分が高揚するでしょうね。と同時に、暗黒卿や、男勝りの姫君が登場する、スペースオペラの一場面を連想するかもしれません。


“A long time ago in a galaxy far far away…”

ミクロの銀河2017年08月06日 17時51分00秒

「視点の置き所によっては、巨大な銀河もちっぽけな点に過ぎないし、反対に、針の先ほどの物体の中にも、実は広大な宇宙が蔵されているのだ。」

子供はよく、そんなことを夢想します。

まあ、大人になってからも、そんなことを考えていると、一種の現実逃避と嗤われたりしますが、でも「現実」なんて薄皮一枚のもので、そんなに大したものじゃないよ…というのも真実でしょう。(むしろ、薄皮一枚の破れやすいものだから、大切に扱わないといけないのです。)

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宇宙を揺曳する賢治さんや足穂の面影を追って、今日はアンドロメダ銀河を覗いてみました。
ただし、望遠鏡ではなしに顕微鏡で。


これは19世紀に流行った「マイクロフォトグラフ」の復刻品で、他の天文モチーフのスライドとセットになっていました。


カバーグラスの下に見える、米粒の断面よりも小さな四角い感光面。
その黒は宇宙の闇を表わし、中央に白くにじむように見えるのが、直径20万光年を超えるアンドロメダ銀河です。


レンズの向うに見える、遥かな遠い世界。
その光芒は、1兆個の星が放つ光の集合体であることを、我々は知っています。

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望遠鏡を通した像をカメラで撮影し、それを縮小して焼付け、それを再度拡大して覗く。―― リアルな現実からは幾重にも隔てられた、人工的な経験に過ぎないとは言え、いろいろ空想を誘う品であることは確かで、しかも空想力さえ働かせれば、ここから世界の真実を、いかようにでも掴み出すことができるのではないでしょうか。


【参考】

上のスライドと同じセットに含まれていた、満月のマイクロフォトグラフと、マイクロフォトグラフの歴史については、以下の記事で取り上げました。

■驚異の名月(上)(下)
■極微の写真のものがたり

天文古書に時は流れる(3)…天体写真と宇宙のイメージ2016年09月18日 15時14分00秒

何だか、ひさしぶりの休みのような気がします。

記事の方も、こう間延びすると何を書こうとしていたのか忘れてしまいがちです。
予定では、印刷技術の面から、1883年版に続いて、1900年版と1923年版の特徴を挙げようと思ったのですが、あまり上手く書けそうにないので、要点だけメモ書きしておきます。

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1883年版には石版の月写真が登場しました(前回の記事参照)。
それに続く印刷技術の大きな変革がハーフトーン(網点)の出現です。1900年版に載っている、この↑月面写真もハーフトーン印刷ですが、これによって天文古書は、我々が見慣れた表情にぐっと近づいてきます。


そして、1923年版↑となれば、天体写真の技術も大いに進歩し、星団や星雲など被写体にも事欠かず、印刷メディアを通して、宇宙の名所は多くの人にとって身近な存在になる…という変化をたどります。

このような天体写真の一般化と、印刷による複製技術の進歩は、我々の「宇宙」イメージを前代とは大いに異なるものとし、『銀河鉄道の夜』に出てくる次の一節も、そうした背景の中で生まれたのだ…ということは、以前も書きました。

 「けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。」

このジョバンニの経験は、ある程度まで宮沢賢治(1896-1933)自身の経験でもあるのでしょう。彼が、もし「まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい」銀河の写真を、多感な時期に目にしなければ、あの作品は生まれなかったかもしれません。

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印刷技術という点で言うと、1900年版と1923年版には同じ原版に拠った、りょうけん座の子持ち銀河(M51)の写真が、共通して載っています。

(1900年版)

(1923年版)

しかし、両者を見比べると、1900年版のホワイトノイズが乗ったような、ザラザラした灰色っぽい写真に比べて、1923年版では漆黒といってよい宇宙空間が表現されており、印刷術の進歩による表現力の向上を、そこにはっきり見て取ることができます。

(この項、竜頭蛇尾気味に一応終わり)

孤愁の人2016年08月18日 16時38分45秒


(背景ははくちょう座の網状星雲(NGC6992)。1901年10月5日、シカゴのヤーキス天文台撮影)

星の世界をひとり歩む天文学者。
足下には微かに輝くガス星雲が、一本の道のように続いています。

(つま先から帽子のてっぺんまでは約75ミリ)

とんがり帽子、長いマント、星の縫取り模様…
19世紀にイメージされた「昔の天文学者」の姿を、そのままなぞって作られた、当時のブローチです。


光にかざすと、マントの部分は、あずき色の半透明の素材を使っていることが分かります。一見プラスチックのようですが、これは貝殻を削ったもので、そこに銀製パーツを留めてあります。


背後のピンが欠損しているため、このまますぐにブローチとして使うことはできませんが、アメリカの売り手は、ペンダントトップにすることを勧めていました。

この品、天文学者をかたどったブローチというだけでも珍しいのですが、それが愁いを帯びた後姿である点に、言い知れぬ魅力を感じました。

銀河は回る2015年10月10日 10時01分45秒



先日の「子持ち銀河」とセットで買った絵葉書。
デザインからして、もともと同じシリーズに属する2枚でしょう。発行元は、表裏どこにも記載がなく不明。


“キリン星座渦状星雲〔新ドレ―ヤー二四〇三番〕の内部運動(陰画写真)”
…と説明文にあります。

きりん座は天の北極近く、カシオペヤの隣にある星座です。
「新ドレーヤー○○番」というのは、ジョン・ドレーヤーが編纂したカタログに基づく、いわゆるNGCコードのことで、メシエ番号と並んで使われる、各銀河固有の番号。
「NGC2403」について、ウィキペディアには、「この銀河は1788年にウィリアム・ハーシェルによって発見された。M81銀河団の一員であり、地球からの距離は約800万光年」 云々とあります。


図中の矢印は、数年という時間間隔をおいて同じ銀河を撮影し、その構成要素たる星の位置変化、すなわち固有運動を検出し、その方向と運動量を矢印の形で書き込んだもの。すなわち、渦巻銀河を構成する星が、まさに渦を巻くように回転運動していることを証明したとする写真です。

確認はしていませんが、おそらくこの写真のオリジナルは、オランダ出身の天文学者、ファン・マーネン(Adriaan van Maanen、1884-1946)によるもので、1920年前後の「アストロフィジカル・ジャーナル」誌で発表されたものだと思います。

上記のとおり、絵葉書の発行者は不明ですが、おそらく日本天文学会あたりでしょう。
それにしてもこの絵葉書、いったい誰が誰に送ることを想定しているんでしょうか?
渋い、余りにも渋すぎる絵葉書です。

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そして、これは渋いばかりでなく、かなり重要な時代の証人です。

ちょっとひねって言うと、この写真は「正しくて間違っている」写真です。
「正しい」というのは、渦巻銀河はたしかに回転していることが確認されており、この写真もそのように主張しているからです。一方「間違っている」というのは、当時のファン・マーネンの方法では、これほど明瞭に回転が検出できないことが分かっているからです。

当時、銀河の回転は、天文学上の大問題でした。
渦巻銀河の回転が易々と検出可能ならば、対象までの距離は相対的に小さいはずで、系外銀河(古風な言い方をすれば「島宇宙」)の存在に対する強力な反証となるからです。

実際、ファン・マーネンの一連の研究はそのようなものと受け取られ、1920年代前半、「島宇宙説」は、かなり旗色が悪かったです。当時の「大宇宙」は、我々の銀河系とその周辺部だけから成る、非常にコンパクトなものと一般に理解されていました。

周知のとおり、その後1930年代に入ると、エドウィン・ハッブルの才気が宇宙論にビッグバンを引き起こし、系外銀河の存在が常識になると同時に、我々の銀河系は大宇宙の中でごく微小な存在へと転化していったのです。

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ファン・マーネンの過誤の原因が何であったかは、いろいろ検討されましたが、最も大きいのは心理的要因だと言われます。火星の運河論争もそうでしたが、知覚の限界付近で観測するとき、人はつい自分の見たいものを見てしまう…これは訓練を受けた科学者でも同じことです。

そこに教訓を読み取ることは簡単ですが、人間の本性に根ざすものだけに、同じような過ちはたぶん将来も繰り返されることでしょう。(得るべきものは教訓ではなく、人間に対する「洞察」かもしれません。)

救世主は2000万光年のかなたより2015年10月08日 07時03分41秒



メシア五十一番」と聞くと、何だか讃美歌の一曲みたいですが、その実体は夜空に優美な渦を描く星の雲です。

(1920年代と思われる古絵葉書)

北斗のひしゃくの柄(え)の脇に浮かぶのが猟犬座で、その隅っこでグルグル渦を巻いているのがM51、通称「子持ち銀河」。

「M51」は、フランスの天文家、シャルル・メシエ(Charles Messier、1730-1817)の頭文字にちなみ、「メシエ目録51番天体」の意味ですが、戦前の『天文学辞典』を見ても、メシエはやっぱりメシエなので、これを「メシア」と書くのは、当時としても一般的でなかったのではないでしょうか。(ちなみに救世主の方は「Messiah」)

(山本一清・村上忠敬(著)『天文学辞典』、恒星社、昭和8(1933)より)

「子持ち銀河」の名の由来は、もちろん傍らにお伴の銀河(NGC5195)を引き連れているからで、これを「主従」と見なすと息苦しいですが、仲の良い親子と見なせば、なかなかほほえましい光景です。

(仲良く手をつなぐ親子。二つの銀河は見かけだけでなく、距離的にも近接し、物理的相互作用を及ぼしていることが知られています。現実の親子と同じく、この宇宙の親子も、近くで見ればいろいろ葛藤があるのでしょう。)

M51は、天文学史上はじめて渦状構造が観測された銀河として知られ、それを成し遂げたのは、アイルランドのロス伯爵の有名な巨人望遠鏡でした。時代は19世紀半ばのことです。ロス伯爵によるスケッチ(の版画)は、以下の記事の真ん中ぐらいに出てきます。(→ http://mononoke.asablo.jp/blog/2015/02/13/7571445 )

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国が自壊しつつあるとき、地に救世主はありやなしや。
それとも救世主を期待する心が、そもそも危険をはらんでいるのか…

宇宙を眺める…カテゴリー縦覧:星雲・星団・系外銀河編2015年04月03日 21時29分17秒



黒い化粧箱に収まったガラスブロック。


ブロック本体は 6.5×8.5×6.5 cm の直方体で、豆腐半丁ぐらいの大きさです。
透明なガラスの中に見える、白い綿くずのようなものは、レーザー加工による造形で、拡大すれば、微小な点の集合体から成ることが分かります。


1つ1つの点が、独立した銀河系、昔風にいえば島宇宙。
このガラス塊が表現しているのは、差し渡しが1億パーセク=3億2,600万光年という巨大な空間です。宇宙全体から見れば、ごく局所的な領域に過ぎないとはいえ、それでもこれだけカメラを引けば、宇宙の大規模構造が見えてきます。


ひときわ銀河系が密集した「おとめ座銀河団」。


そこから紐状に銀河が連なり(我々の銀河系もそこに含まれます)、周辺の銀河群・銀河団と結びつき、1つ上位の階層である「おとめ座銀河団」を形成しています。
このガラスブロックが表現しているのは、この「おとめ座超銀河団」が、お隣の超銀河団と境を接する辺りぐらいまでの宇宙の有様です。

(そして、さらにカメラを引けば、おとめ座超銀河団は、他の超銀河団と共に面状に分布して、グレートウォール(銀河フィラメント)を構成し、それが広大な虚無の空間(ボイド)を包み込んで、泡状の構造体を作っているのが見えてくる…と考えられています。これが宇宙の大規模構造で、我々が知り得る宇宙は、そうした泡の集合体でできていると、天文学者は語っています。)

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…と、ここまでは何となく分かります。

「大きな望遠鏡で宇宙をよっく調べると宇宙は大体何でせう?」
ジョバンニの担任の先生なら、子供たちにそんな問いかけをしたでしょうが、実際に大きな望遠鏡で無数の銀河系を観測して、その位置をプロットしたら、こんなふうに並んでいることが分かった…というだけならば、「まあ、そういうものなんだね」で話は終わりです。

「では、その成因は?」となると、一段も二段も難しい話になりますが、それでも学者はいろいろな説を立てて、それを理解しようと、今も懸命に努力を続けていることでしょう。

いっそう基本的なことで、私がよく分からないのは、こうしたモデルに「時間」がどう織り込まれているかです。つまり、こういうものをパッと見せられると、私なんかは「今の宇宙」の空間構造を、神の視点から眺めたものと、ついつい思ってしまうんですが、でも本当は、そこには空間のみならず、「時間構造」も織り込まれているはずです。

このガラス模型で「今の宇宙」と言えるのは、我々の銀河系が位置するキューブの中心付近のみで、そこから遠ざかれば遠ざかるほど「昔の宇宙」になり、キューブの端っこにあるのは、1億5千万年とか2億年前の姿です。さらに大規模な構造については、当然もっと時間尺度は大きくなります。「今この瞬間」に、何億光年か先の宇宙がどうなっているかは、それこそ神のみぞ知るです。

そういう重層的な時間から成る観測結果をもとに組み立てた宇宙モデルとは、結局のところ何を表わしているのか? 宇宙スケールでものを考えるには、「今」という概念の方を変えないといけないのかもしれませんが、私はその辺で、すぐに頭がごちゃごちゃになってしまいます。

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話を地上に戻して、製品情報について。

この宇宙モデルは、カリフォルニアのBathsheba Sculpture の製品です。
同社は以前から「モノのかたち」にこだわっていて、数学的、科学的、あるいは純粋に審美的見地から、興味深い作品の数々を生み出してきました。

Bathsheba Sculpture https://www.bathsheba.com/

この超銀河団のガラス模型は、今から8年前に購入したものですが、先ほど確認したら、現在は廃番のようです。何といっても進歩の速い学問分野ですから、元データがすでに古くなってしまったせいかもしれません。となると、ここには早くも歴史的価値が備わっていると言えなくもなく、21世紀もなかなか時間構造に富んできたなあ…と感慨深いものがあります。


カテゴリー縦覧…天文古書編:ニコル著『宇宙の構造』(2)2015年02月13日 06時06分53秒

このニコルの本は、いろいろな意味で過渡期の産物です。

1つには、この時期、写真術は既に産声を上げていましたが、それが天文学に応用されるには、まだ間がありました。

(David H. Davison, Impressions of an Irish Countess, 1989より。上は1862年、下は1858年頃、いずれもロス伯爵夫人撮影)

そのことに関して象徴的なのは、前回も登場したロス伯爵夫人は、当時の物差しからすると、きわめて科学的な女性で、写真術を趣味にしていたことです。
彼女は、夫であるロス伯爵の建造した、鏡径1.8メートルの巨大望遠鏡(1847年運用開始)の姿を、鮮明な写真に収めていますが、しかし望遠鏡で見たものを、乾板上に結像させることはできませんでした(そもそもロス伯爵の望遠鏡は、星を追尾できないので、長時間露光できません)。

したがって、ニコルの本の挿絵は、すべて肉眼と手によるスケッチに基づくものです。

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2つめは、写真術と並んで天文学に革命をもたらした「分光学」も、まだ誕生前夜だったことです(それが呱々の声を上げたのは1860年代のことです)。

そして、この2つの時代的制約から、ニコルは星雲の性質について、ある予断を持って臨むことになりました。それは、星雲はすべて星の大集団であり、望遠鏡の性能がさらに向上すれば、それは疑問の余地なく立証されると考えたことです。

これはロス伯爵の大望遠鏡によって、それまで個々の星像に分離不能だった星雲・星団のいくつかが、実際に分離できたことに幻惑された結果です。そしてまた、分光学がガス星雲の正体を明らかにする以前だったので、ニコルがそう思いこんだのも、無理からぬことです。

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そして3つめは、写真術の製版術への応用も、まだまだ先の出来事だったことです。

ニコルの本の挿絵は当然すべて版画です。しかも、流行の石版画(リトグラフ)を使わず、技法的にはすべて鋼版画(steel engraving)に拠っています。

今回、このニコルの本を取り上げた最大の理由は、その驚くべき図版の表現力です。
鋼版画は主にイギリスで好まれた技法で、銅版画に比べ、ややもすると微妙なニュアンスに欠けると言われますが、ニコルの本を見ると、決してそんなことはありません。というよりも、本書の図版は、鋼版の表現力を最高度に引き出した例だと思います。

そして、上で述べたように、そこに描かれているのは、人間の目と手が捉えた像であり、客観性を重んじつつも、必然的に人の想像力が影響しているので、画面に一種の幻想味が漂っており、えもいわれぬ魅力を放っています。

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前置きが長くなりましたが、ニコルの本の挿絵を見てみます。


ロス伯爵が、その形状からかに星雲と命名した、おうし座のM1
今では超新星残骸と分かっていますが、ロス伯爵は、これを星の大集団と考えました。


図の拡大。天の川のように点綴する微光星のイメージが、挿絵にも影響しています。
当時の人は、ここに宇宙の深淵にひそむ、不気味な怪物めいた存在を感じ取ったことでしょう。
それにしても、このぼうっと煙るような星雲の表現のなんと繊細なことか。


りょうけん座の子持ち銀河、M51
これもロス伯爵の代表的業績である、星雲の渦状構造の発見を伝える図です。
見開きいっぱいに描かれた天界の驚異。
当時の人の驚きが、そのまま画面に固定された感があります。


Hollow nebula(空洞星雲)とは、うつろな球殻状の星雲ということで、現在で言うところの惑星状星雲です(もっとも、歴史的には惑星状星雲の方が昔からある呼び方で、ニコルは、対象の性質をより正しく表現するものとして、空洞星雲の名をあえて使っています)。




個々の星雲が何を指しているかは、本文中にも説明がないので不明ですが、不思議な生き物めいた画像が、人々の宇宙への好奇心を激しく掻きたてたことでしょう。


これぞ極め付けに繊細な図。表題は「天の川の一部のスケッチ
文句なしに美しい絵です。そして星空のロマンにあふれています。
そもそも、どうやってスケッチしたのか、そして、それをどうやって版に起こしたのか、人間の手わざの凄味を改めて感じる図です。

ニコルの本には、こうした珠玉の挿絵が、全部で22葉収められています。

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天体写真が、人々の宇宙イメージの形成にどれだけ寄与したかは、想像以上のものがありますが、19世紀の第2四半期には、すでにこうした一連の図像表現によって、新たな宇宙イメージが、人々の脳裏に萌していたことは、指摘しておいてよいと思います。