アルカーナ2019年08月24日 18時10分51秒

家の改修やら何やらゴタゴタしているので、ブログの方はしばらく開店休業です。
そうしている間にも、いろいろコメントをいただき、嬉しく楽しく読ませていただいています。どうもありがとうございます。

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しかし、身辺に限らず、世間はどうもゴタついていますね。

私が尊敬する人たちは、人間に決して絶望することがありませんでした。
これは別に、偉人伝中のエライ人だからそうというわけではなくて、どんなに醜悪な世の中にも善き人はいるし、どんなに醜悪な人間の中にも善き部分はある…という、至極当たり前のことを常に忘れなかったからでしょう。(その逆に、どんなに善い世の中、どんなに善い人であっても、醜悪な部分は必ずあると思います。)

私も先人のあとを慕って、絶望はしません。
まあ、絶望はしませんが、でもゲンナリすることはあります。
醜悪なものを、こう立て続けに見せられては、それもやむなしです。
それに、このごろは<悪>の深みもなく、単に醜にして愚という振る舞いも多いので…とか何とか言っていると、徐々に言行不一致になってくるので、この辺で沈黙せねば。

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本棚の隅にいる一人の「賢者」。
彼が本当に賢者なのか、あるいは狂者なのかは分かりません。突き詰めるとあまり差がないとも言えます。今のような時代は、こういう人の横顔を眺めて、いろいろ沈思することが大切ではないか…と思います。

その人は、医師にして化学者、錬金術師でもあったパラケルスス(1493-1541)

写真に写っているのは、オーストリアのフィラッハ市が1941年、パラケルススの没後400年を記念して鋳造した、小さな金属製プラーク(銘鈑)です。フィラッハは、パラケルススが少年時代を過ごした町であり、郷土の偉人をたたえる目的で制作したのでしょう。

上の写真は、プラークを先に見つけて、あとからちょうどいいサイズの額に入れました。どうです、なかなか好いでしょう。

(プラークの裏面。購入時の商品写真の流用)

(仰ぎ見るパラケルスス)

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本棚ではたまたまユングの本と並んでいますが、ユングにはずばり『パラケルスス論』という著作があります。

(榎木真吉・訳、『パラケルスス論』、みすず書房、1992)

原著は1942年に出ており、内容は前年の1941年、すなわち手元のプラークが制作されたのと同年に、やっぱりパラケルススの没後400年を記念して、ユングがスイスで行った2つの講演(「医師としてのパラケルスス」と「精神現象としてのパラケルスス」)を元に書き下ろしたものです。

しかし、本書を通読しても、ユングの言っていることは寸毫も分かりません。
したがって、パラケルススその人のこともさっぱりです。

 「パラケルススは、〈アーレス〉に、≪メルジーネ的≫(melosinicum)という属性を与えています。といことは、このメルジーネは疑いもなく、水の領域に、≪ニンフたちの世界≫(nymphididica natura)に、属しているわけですから、≪メルジーネ的≫という属性に伴って、それ自体が精神的な概念である〈アーレス〉には、水の性格が持ち込まれたことになります。このことが示唆しているのは、その場合、〈アーレス〉とは、下界の密度の高い領域に属するものであり、何らかの形で、身体ときわめて密接な関係にあるということです。その結果として、かかる〈アーレス〉は、〈アクアステル〉と近接させられ、概念の上では、もはや両者は、ほとんど見分けがつかなくなってしまうのです。」
(上掲書 p.132)

私が蒙昧なのは認めるにしても、全編こんな調子では、分れという方が無理でしょう。
しかし、こうして謎めいた言葉の森を経めぐることそれ自体が、濁り多き俗世の解毒剤となるのです。そして、私が安易に世界に対して閉塞感を感じたとしても、実際の世界はそんなに簡単に閉塞するほどちっぽけなものではないことを、過去の賢者は教えてくれるのです。

ガラスの雪2019年08月13日 06時26分37秒

一昨日の写真の端っこに写っていたモノについて。

以前――だいぶ以前です――雪のペーパーウェイトを集めようと思い立ったことがあります。でも、あっさり断念しました。珍重に値する古い品は少ないし、新しいものまで含めると、今度はキリがなくなるからです。それに、ペーパー「ウェイト」の名の通り、重くてかさばるのも、挫折した理由です。


でも、こうして改めて見ると、なんだか懐かしいです。
何せ、あれからもう10年以上も経つのですから。

右側の大きいのはエイボン社の製品。
エイボンというのは、あの化粧品のエイボンのことですが、同社は化粧品ばかりでなく、家庭用品も手掛けているので、これもそうした品のひとつです。eBayで雪のペーパーウェイトを探すと、たぶん真っ先に表示されるのがこれで、今でも大量に流通しているせいで、あまり「有難み」はないんですが、雪のペーパーウェイト好きなら、避けては通れない品。

エイボンの雪模様が型押しなのに対し、あとの二つはエッチング彫刻です。

下のお饅頭型は、石川県加賀市の「中谷宇吉郎 雪の科学館」で購入したもの。このブログでは、わりと頻繁に画面に映りこんでいます(本のページを開いておくのに便利だからです)。でも、記事を書くため、同科学館に確認したところ、この品はもう取り扱ってない由。

そして、左上の薄い円柱型の品は、大阪のガラス工房に発注したものですが、こちらはすでにお店そのものが営業されていないようです。


購入した日の記憶はこんなにも鮮明なのに、すべては雪のようにはかないです。
まあ、こうやってはかながっている私だって、遠からず全ての記憶とともに、はかなくなるわけですが。

銀色の天空時計2019年06月11日 07時09分47秒

我が家に豪華な金の時計はありませんが、ちょっと素敵な銀の時計ならあります。


銀といっても素材はピューターです。それと天文時計としての機能はないので、仮に「天空時計」と呼んでみました。東西冷戦下の西ドイツ製で、1970年代頃のもののようです。

さして古くもないし、もちろん2,000万円もしませんが(2,000円よりは高かったですが、2万円よりは安かったです)、白銀に輝くこの時計は、その美しいデザインに心惹かれるものがあります。


銀の空には銀の月輪と地輪が巡って時を告げ、


日輪はといえば、背面で銀の炎をあげて燃え盛り、

(正面向って左にオリオン、右におおぐま・こぐま)

側面には銀の星が浮かび、星座を形づくり、


そして、その下を銀の鳥が一心に飛び続けています。
どうです、なかなか素敵でしょう?

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以下、余談。

その鳥の列なりが天空を一周して、彼らは永遠に空を飛び続けているのだ…と気づいたとき、私は言葉にならぬ思いにとらわれました。その言葉にならぬ思いをあえて言葉にすれば、「いのちの哀しさ」といったようなことです。

おそらく、これは時計のデザイナーの意図から外れた、個人的感傷に過ぎないのでしょうけれど、そのときの私に、ズシンとくるイメージを喚起しました。

理由も目的もないまま、ひたむきに時間と空間の中で循環を続ける生命―。
自分もその片鱗に過ぎないとはいえ、なんだか無性に切ない気がします。
ひょっとして、手塚治虫が『火の鳥』で描きたかったのは、こういう思いだったのかもしれません(違うかもしれません)。

指先にともす彗星2019年03月10日 11時20分37秒



彗星マッチの中でちょっと異彩を放つのが、このミニマッチ。
まりの・るうにい装画の小さな小さなマッチ箱。
昨日登場したマッチラベルとくらべると、どれだけ小さいかお分かりになるでしょう。


作品名は「マッチの彗星」


これぞタルホ趣味の最たるもの。
マッチの炎が暗夜を走り、それがいつしか彗星と化している…この小さな箱が物語るのは、そんな状景です。

この品は以前、Librairie6(シス書店)さんのオンラインストアで見つけました(現在も販売中。「LIBRAIRIE6オリジナル」のカテゴリーをご覧ください)。

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今日3月10日は、昭和20年(1945)に恐るべき東京大空襲があった日です。
10万を超える死者が出た惨劇の夜。

その業火を想像し、手元のマッチを眺めていると、炎の向こうにいろいろな想念が浮かんできます。結句、炎というのは、指先にともしたり、燗酒をつけたりするぐらいが丁度良くて、憎悪をこめて街を焼き尽くすなどというのは論外です。

でも、その論外の所業がしれっと出来てしまう人間の心は、紅蓮の炎より一層恐るべきもので、こうなるとやっぱり足穂氏と差し向かいで、語り明かさねばなりません。

続・インド占星術の世界2019年01月30日 20時17分34秒



昨日も載せたインドの占星スクロールは、1844年のものだと売り手は述べていました。
文字がまったく読めないので、この辺は額面通り受け取るしかありませんが、でも紙質を見る限り、相応に古いモノでしょう。

これが時代を下ると、下のようにツルツルの現代的な製紙になってきます。

(全長約5メートルの大作。ちなみに1844年のスクロールの方は約2メートル)

これまた年代不詳ですが、たぶん20世紀半ばぐらいでしょう。でも、書かれているのは、やっぱり昔ながらのホロスコープ図で、このスクロールは、とりわけその図像表現がグラフィカルで、むしろサイエンティフィックな感じすらしたので、面白いと思って購入しました。
 
 

どうです、なんだか分からないけれどもスゴイでしょう。

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まあ、これだけ見ている分には、「ふーん、面白いね」で終わってしまい、特にインド占星術の体温を感じるには至りません。でも、次の品を見たとき、私は一瞬でその体温を ―― 占星術師の節くれだった指や、長いひげを蓄えた哲人めいた風貌を、想起しました。

 (「Old Antique Original Iron Astrological Horoscope Geometrical Tool」と称して、北インドのジョードプルのアンティーク業者が売りに出していたもの)

上のような幾何学的なホロスコープを描くには、当然それ用の道具が要るわけで、私はこれを見て再び「ああ、そういうことだったのか…」と思ったのでした。
 

鉄製の粗削りなコンパスと…


直線を引くための烏口(からすぐち)。

この品は戦前にさかのぼるものだそうですが、おそらくもっと遠い昔の占星術師たちが手にしていたのも、これと大差なかったでしょう。あるいは貴人に仕えた占星術師なら、もっと贅沢な道具を使ったのかもしれませんが、民間で門戸を張った術師は、やっぱりこういう無骨な道具で、せっせと円を描いたり、線を引いたりしてたんじゃないでしょうか。


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前回も引用した、矢野氏の『占星術師のインド』には、「500年前から代々続く占星術師の家」とか、「16世紀以来、さる藩王の宮廷占星術師を務めた一家の末裔」とか、歴史を誇る占星術師がいろいろ登場します。あるいは、これはインドではなくネパールですが、古い四分儀や暦書を家に持ち伝え、父と子は常にインドの古典語たるサンスクリット語で会話する一家とか。
 
やっぱり、インドでは占星術が文字通り「生きて」いるのです。
そして、それは「神秘の国・インド」として矮小化されるべき事柄ではなくて、古代から連綿と続く文化の豊かさの証であり、その鮮烈な具体例なのだと思います。

…そんなことを考えながら、この製図道具を手に取り、その重みを感じていると、だんだん心が膨らんでくるのを感じます。



鬱屈者は元旦に黄金の実を拾う2018年12月31日 08時59分19秒

今年もいよいよ終わりです。
1年を振り返って、今年いちばんの出来事は、12年間続いたブログについに終止符を打ったことです。じゃあ、今書いているこの文章は何かと言えば、中有にさまよう死者のつぶやきのようなものです。四十九日もとっくに過ぎたのに、未だ成仏できずにいるとは、よほど業が深いのでしょう。

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戯れ言はさておき、趣味の方面の話ですが、今年の買い物日記を読み返すと、自分は元旦から早速買い物をしていて、それがこれです。


金色のインク壺。
胡桃や団栗を模したインク壺は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ中で流行ったらしく、今でもオークションにたくさん出ています。素材は真鍮やブロンズ製のこともあるし、木製のこともあります。デザインも至極リアルなものから、デフォルメの利いた民芸調までいろいろ。これはイギリスの人から買いましたが、産地はフランスかもしれません。大雑把に言って、こうしたデザインは、アール・ヌーヴォーの余波でしょう。


この品、パカッと殻が割れるようになっていて、中はうつろになっています。
ここに直接インクを入れたわけではなくて、ここにピッタリはまるガラスのインク瓶が本来あったはずですが、今は失われています。(なお、この品は見た目は真鍮ですが、地金は銀白色で、スズと鉛ないし銅の合金ではないかと思います。)


付けペンを使う習慣のない自分が、なぜこれを買ったのか、当時の心持は何となく覚えています。その時の私は、机辺に何か野の香りのするもの、ホッとできるものが欲しかったのです。身辺の瑣事に、一種煮詰まった気分だったのでしょう。

この気分はブログの休止まで尾を引いており、その直前に「ヘンリ・ライクロフトの植物記」という記事を書いたのも、やっぱりその辺に原因があります。(その時ははっきり意識していませんでしたが、今思うと確かにそうです。)

硬質な星の世界も勿論いいですが、植物には柔らかさと同時に優しが、そして生の実感が伴っており、それに頼りたくなる気分のときがあるものです。

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で、このインク壺が今も机辺にあって、私を慰めてくれていればいいのですが、残念ながら物陰に追いやられて、今はまったく目に触れることがありません。というのも、届いた実物は最初画像で見た印象よりも一回り大きくて(差し渡しは約15cm)、机に置くと、他の作業に差支えるからです。

(手前は野生のオニグルミの実。こうして見ると、全然大きさが違いますね。)

何事も形から入ると、得てしてこういう企画倒れになりがちです。でも、それを責めずにいてくれるのが、植物の優しさなのかも。まあ、それに甘える自分もどうかと思いますが…。

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今年の霊界通信は、これで語り納めです。
それでは地上の皆さま、良いお年を!

昔の買い物から…星のフェーヴ2018年05月19日 16時43分10秒

昨夜の雨が上がり、今日は爽やかな一日になりました。
透明な光の粒が感じ取れるほど日差しは明るいのに、冷涼な風が絶えず吹いて、木々の葉擦れの音がしきりに聞こえます。

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「最近の買い物から」という書き出しは、わりと筆が走りやすいです。
買った時の感興が、まだ鮮明に残っているからです。でも、そればかりだとお蔵入りのモノが堆積してしまうので、ちょっと意識して昔の品も登場させることにします。


たとえば、本棚の隅にこんなものが載っているのを見つけました。

(裏面)

2001年にフランスで売り出された、フェーヴガレット・デ・ロワのページにリンク)のセットです。

ごく他愛ない品ですけれど、フェーヴというモノの性質上、こういうのはあまり整っていては面白くなくて、昔のグリコのおまけ的な、駄菓子っぽい「雑な華麗さ」こそが身上でしょう。濃紺の空に、金色の星がやけにまぶしく光っています。


ともあれ、甘いパイ菓子の中から、こんなのがひょっこり顔を出したら、子どもならずとも嬉しいし、かりそめの王様役を演じるのでも、まさに天界の王になったような気分では。

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上でリンクしたガレット・デ・ロワの解説によれば、このお菓子にまつわる慣習は、古代ローマのサトゥルヌス神のお祭りにルーツがある由。サトゥルヌス神は、すなわち英語のサターンですから、この土星のフェーヴなんかは、まさに筋目正しい神への捧げものです。


なお、このセットのうち彗星のフェーヴは、前にも登場したことがあります。

タルホの匣…第8夜、彗星と土星



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▼閑語(ブログ内ブログ)

成立年不詳の史書、『続増鏡』 より。

 「さるほどに彼の者の驕慢いよいよまさりて、果ては其の威を借る数なき者ども、「天皇はサヨク」「天皇はハンニチ」などと雑言をおめき叫ぶに至れば、あまりのことに主上も今はとて位を皇子にゆづらせたまひ、身を世より隠させたまふ。されど彼の者の暴虐猶もやまず、世の乱るることかぎりもなければ、心ある人みなみな紅涙を流し、誠を尽くして訴へければ、主上もげにもとや思はれけむ、つひに平家追討の院宣を下させたまひぬ…」

平家ではないですが、「彼の者」は平家みたいなものです。
ただし、平家ほどの革新性はありません。
尊王の士を以て自ら任じる者ならば、まことに堪えがたい惨状だと思うのですが、今の世に尊王は流行らないみたいで、そういう声はついぞ聞こえません。

まあ、こんなふうに安易に権威にたよったり、水戸黄門的解決を期待したりする心根は、結局「彼の者」を喝采する輩と同根なので、よっぽど用心しなければなりません。
が、それにしても、今の世に高山彦九郎はおらぬもの哉。

中世がやってきた(3)2018年04月29日 15時54分00秒

(今日は2連投です)

尚古趣味とか、好古家というのは、古代ローマ時代から存在したそうですが、特に「中世」という時代に注目が集まり、もてはやされた時期があります。それは、18世紀後半から19世紀にかけてのことです。

図式的に言えば、前代のグレコ・ローマンに範をとった<古典主義>に対抗するものとして、中世を称揚する<ロマン主義>が勃興するのと軌を一にする現象で、一口にロマン主義と言っても、その実態は国によって様々でしょうが、現象面でとらえれば、中世趣味が最も先鋭的に表現されたのは、イギリスだったようです。それは産業革命の進展と、とめどない社会の世俗化に対する精神的反動でもあったのでしょう。

その動きはジョージ王朝末期に、まずはゴシック・リヴァイバルという「擬古建築」の形で幕を開け、続くヴィクトリア朝を通じて、文化のあらゆる側面に波及し、絵画ではラファエル前派を、そして工芸分野ではウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を生み出しました。中世の写本蒐集熱が高まったのもこの時期です。

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そうした中で、古い中世ガラスやルネサンス・ガラスを求める人も現れました。
たとえば、サー・ウィリアム・ジャーニンガム(Sir William Jerningham、1736-1809)という人がいます(以下、引用はヴァージニア・チエッフォ・ラガン著、『世界ステンドグラス文化図鑑』、東洋書林、2005より。改行は引用者)。

 「彼は自宅のテューダー様式マナー・ハウスの近くにゴシック・リヴァイヴァルの礼拝堂を造り、その窓に嵌めこむ中世ガラスの収集を始めた。〔…〕パネルの少なからぬものがジョン・クリストファ・ハンプを通して購入されたらしい。

ハンプはノリッジの毛織物商人で低地地方のアントウェルペン、ブリュージュ、フランスのパリ、アミアン、ルーアン、ドイツのケルン、アーヘン、ニュールンベルクを訪れた。ハンプはナポレオン征服後の世俗化時代に、解散した修道院から大量の中世ガラスを入手し、イギリスのかなりの教会へ売った。

〔…〕84パネルを数えるジャーニンガム・グラスは、サー・ウィリアムの死亡した年、1809年までに完全に設置されたようである。」(上掲書 pp.171-172)

当時、高まる中世熱に応えて、古いガラス片をヨーロッパから買い集めて、大英帝国で売りさばく専門の商人までいたようです。その顧客は、由緒付けを求める教会であったり(イギリスの教会は16世紀の宗教改革と国内動乱によって、かなり荒廃した時期があります)、広大なマナーハウスを抱えた新興貴族だったり、様々でした。

それがどんな風に使われたかは、ヨークの聖マイケル教会(現在はレストランに改装されています)の内部を見ると、およそ想像がつきます(以下、画像出典はhttp://www.docbrown.info/docspics/yorkscenes/yspage04b.htm)。


こんな風に、部分的に絵柄のつながった隙間を、似た色模様のガラスで補ったものもあれば、


全くランダムにピースをはめ込んだパネルもあるという具合。

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こうして再び安住の場を得たステンドグラスですが、オーナーである貴族が没落すれば(ダウントン・アビーの世界ですね)、再び売りに出され、最終的には博物館に収まることになります。サー・ウィリアム・ジャーニンガムの場合もまた然り。

 「一回目の売却は1885年、その中には領地の建物のパネルが多く含まれ、二度目は1918年、礼拝堂の建物が解体されたときで、それによりすばらしい作品の多くがロンドン、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館やニューヨーク、メトロポリタン美術館など公共のコレクションで展示される道が開けた。」(ラガン上掲書、p.172)

ジャーニンガムのものではありませんが、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館のサイトを見たら、似たような感じのものとして、こんなステンドグラスのパネルが紹介されていました。


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わが家のステンドグラスの素性も、上のような事実に照らせば、だいたい想像がつきます。これも19世紀の<中世熱>の中で見出され、マーケットに流出した品なのでしょう。

詳細な出所・伝来は不明ですが、直近の持ち主は(売り手曰く)彫刻・ガラス工芸作家にして、南コネティカット州立大学で美術を教えた、ピーター・ペレッティエリ氏(Peter Pellettieri、1997年に58歳で没)だそうで、まず確かな品と言っていいでしょう。

ペレッティエリ氏は、ヨーロッパの古美術コレクターとしても知られた人で、このステンドグラスも、美術的な見地と作品制作の資料という二重の意味合いで、氏が手元に置いていたものだと思います。

中世がやってきた(2)2018年04月29日 15時46分50秒

わが家にやってきた、ささやかな「中世」。
それは、窓際に置かれたステンドグラスの残欠です。


その姿はブラインドの角度を変えると現れるのですが、ご覧のように書斎の窓は隣家の窓と差し向かいなので、気後れして、腰を落ち着けて眺めることができないのは残念です。




でも、思い切ってブラインドを上げると、こんなふうにアクリルフレーム越しに「中世の光と色」が部屋に差し込みます(隣家の壁と窓は、ゴシックの森か何かに、脳内で置き換えて味わってください)。


目にパッと飛び込む星模様に…


華麗な甲冑姿の騎士。



何百年も色褪せない、鮮やかな赤、青、緑、黄のガラス絵。

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その技法から、おそらく1500年代にドイツ語圏(スイスかもしれません)で作られたものらしく、ちょっと「中世」と呼ぶには苦しいですが、近代以前の作であることは間違いありません。それに、ステンドグラスの制作は、16世紀後半~18世紀にひどく衰退し、19世紀になって俄然復活したので、その断絶以前の「中世ステンドグラスの掉尾を彩る作例」と呼ぶことは、許されるんじゃないでしょうか。

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ところで、上の写真で明らかなように、このステンドグラスは絵柄がバラバラです。
これは古いガラス片を寄せ集めて、再度ステンドグラスのパネルを拵えたためです。

誰が何のためにそんなことを…というのを考えるために、ここで記事を割って書き継ぎます。


中世がやってきた(1)2018年04月28日 07時46分15秒

理系アンティークショップ、すなわち天文や博物趣味にかかわる古物を扱うお店は、往々にしてその手の品とともに、宗教アンティーク(ここでは主にキリスト教の)も扱っていることが多いようです。

科学と宗教はしばしば対立するものとされるので、これは一見不思議な光景です。
でも、両者は等しく「目に見える世界の背後を説くもの」であり、いわば「異世界を覗き見る窓」ですから、この二つの世界に共に惹かれる人がいても、不思議ではありません。かく言う私も、理科趣味を標榜する一方で、妙に抹香臭いものを好む面があります。

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「中世趣味」もその延長線上にあります。

中世というのは、日本でも西洋でも、戦乱と疫病に苦しんだ暗く冷たい時代で、そこにお伽チックなメルヘンとか、深い精神性とか、侘び寂びの幽玄世界を重ねて、むやみに有り難がるのは、現代人の勝手な思い込みに過ぎないというのも事実でしょう。

(日本の中世文学史家である、田中貴子氏『中世幻妖』(幻戯書房、2010)は、「近代人が憧れた時代」の副題を持ち、帯には「小林秀雄、白洲正子、吉本隆明らがつくった<中世>幻想はわたしたちのイメージを無言の拘束力をもって縛りつづける」とあって、その辺の事情をよくうがっています。西洋でも事情は似たようなものでしょう。)

…と、予防線を張ったところで、やっぱり中世って、どこか心惹かれるところがあるんですよね。これは子供時代からの刷り込みもあるので、ちょっとどうしようもないです。

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そんな中世趣味の発露が、見慣れた光景の向こうに潜んでいます。
わりと最近わが家にやってきたもので、理科趣味とも天文趣味とも縁遠い品ですが、一種のヴンダー趣味ではあるし、これまた前から欲しいと思っていたモノなので、この辺で登場させることにします。

(この項つづく)