静と動2022年11月04日 05時34分53秒

「表面がギザギザしてて、見る角度によって違った絵柄が見えるやつ」と言って、何のことか分かっていただけるでしょうか?昔はよくシール状のものが、お菓子のおまけに入っていました。子供心に実に不思議で、表面のギザギザをボンナイフで削って、その謎を解こうと試みた思い出があります。

あれの正式名称は「レンチキュラー」というそうです。
表面の透明ギザギザシートの下には、すだれ状に細切りにした複数の画像が交互に並べてあって、ギザギザを通して見ると、光の屈折の加減で、見る角度によって特定の絵柄が浮かび上がる仕組みだとか。


上はロサンゼルスにあるJ.ポール・ゲッティ・ミュージアムのお土産にもらったブックマーク(しおり)。



牛、鹿、犬(?)の疾走する姿が、レンチキュラーでアニメーションのように見えるという、まあ他愛ないといえば他愛ない品なんですが、シンプルなものほど見飽きないもので、つい見入ってしまいます。

(しおりの裏側)

オリジナルの作者は、エドワード・マイブリッジ(Edweard J. Muybridge、1830-1904)。彼は、当時としては画期的なハイスピード撮影法を編み出し、走っている馬の脚の動きを捉えたことで知られますが、上のも同工の作品で、彼の写真帳 『The Attitudes of Animals in Motion (移動時の動物の姿勢)』(1878-81)から採った写真が、3枚組み合わさっています。

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こういうのを見ていると、「運動の本質」とか、「時間の最小単位」とか、「眼に映る変化はすべて虚妄であり、我々の生は連続する静止画に過ぎない」とか、見方によっては“中二病”的な考えがむくむくと湧いてくるんですが、これは決して軽んずべき問題ではなくて、少なくとも一度は真剣に考えないといけないものばかりだと思います。

太陽王の観測塔2022年10月03日 06時12分00秒

ずるずる続けているわりに、あまり話も深まらないので、パリ天文台の話題は今日でひとまず終了にします。

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歴史を再びさかのぼって、その草創期へ。
パリ天文台が創設されたのは1667年。日本では寛文7年、4代将軍家綱の時代です。

フランスでは太陽王ルイ14世が王位についてすでに30年目ですが、この王様は1715年まで実に72年間も君臨したので、この1667年はまだその半ば。フランスの国力も、王の権威も上り坂にあった時期です。

ルイ14世は、フランスの海洋進出による国力伸長を望み、パリ天文台創設はその基盤整備の一環でした。天体観測と位置推算にもとづく信頼できるデータが、当時の航海には必要だったからです。


ルイ14世の横顔を鋳込んだ同時代の銅メダル。


そして裏面には完成したばかりのパリ天文台の雄姿。
二重基壇の上に建っていることや、屋上の超巨大な望遠鏡はもちろんデフォルメで、その権威と機能を視覚化したら、こういうデザインになったということでしょう。

周囲にはラテン語で「TURRIS SIDERUM SPECULATORIA(星々を観測する塔)」の文字と、ローマ数字で「1667」の年号が鋳込まれています。

メダルの作者は、ジャン・モージェ(Jean Mauger、1648-1712)という人で、1677年にパリに出て、1685年から亡くなるまでフランス造幣局に勤務し、多くのメダル製作に関わりました。…というと、「あれ?」と思われるかもしれません。私も「あれ?何だか年代が合わないぞ」と思いました。 

でも、よくよく話を聞いてみると(LINK)、このメダルはたしかにルイ14世の治下に鋳造されたものには違いないのですが、発行年は1702年で、1667年に本当のリアルタイムで作られたものではありませんでした。
何でも1702年、ルイ14世の偉業をたたえるために、全部で286枚から成るシリーズ物のメダルが作られ、これはそのうちの1枚なのだそうです(モージェはそのうちの250枚を手がけました)。

私は最初、1667年に鋳造されたものと素朴に思っていたので、ちょっぴり残念ですが、それにしたって、若き日のパリ天文台の面影を伝える貴重な品には違いないので、先日のアダム・ペレルの版画と共に、昔をしのぶよすがとしたいと思います。

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パリ天文台の歩んだ355年間。
話が深まらなかったとはいえ、とにもかくにもその歴史の厚みを、今回一瞥しました。

Iron Insects2022年09月02日 09時00分58秒

机辺に置かれた鋳鉄製の虫。


手元の買物帳には、「1996 11/25 インド鉄工芸品 虫3種 800×3 LOFT」とあるので、もう26年もの付き合いになります。

もっとも、彼らは26年間ずっと机辺に棲んでいたわけではありません。
ご覧の通り至極他愛ない品なので、長いこと引き出しにしまいっぱなしでした。でも、このあいだ久しぶりに見つけて、手にしたときの重みがいいなと思って、こうして復活させました。


こちらはバッタの類で、


こっちはタマムシ類のイメージでしょうか。いずれも、ごく素朴な造形です。

こういう品を買った個人的動機としては、当時何となく自然を感じさせるものが欲しかった…というのがあります。この点は以前の記事でも省察しました。ちょうど下の記事に出てくる魚やクワガタの工芸品と同じ時期、同じ動機に基づいて、この鉄の虫たちも買ったのだと思います。(当時のエスニックブームも影響していたかもしれません。)

■虫と魚

ちなみに、買物帳には「3種」とあるのに、2種類しかないのは、もう1種がヘビトンボLINK】のような姿をしていたからです。最初はそうでもなかったんですが、だんだんヘビトンボそっくりに見えてきて、私はヘビトンボがひどく苦手なので(咬まれたことがあります)、結局処分してしまいました。かわいそうな気もしますが、見るたびにネガティブな連想が働くものを、手元に置くことは忍び難かったです。

MOON & BATS2022年08月30日 19時05分20秒

今日もマッチつながりの品です。


「月に蝙蝠」の絵柄のヴェスタケース
ヴェスタケースは、マッチを入れて携行するための用具で、これまたマッチの良き友です。時代的には19世紀末ぐらいのものでしょうか。

蝙蝠は世界中にいますから、「月に蝙蝠」の図柄も、洋の東西を問わずあると思いますが、この品に関しては、ジャポニスムの匂いをそこはかとなく感じます。ちなみに売ってくれたのはイギリスの人。

(月のヴェスタケース。全3回の記事の第1回はこちら。上の画像出典はこちら

以前も月にちなむヴェスタケースを3つばかり紹介しましたが、これもその流れで見つけたもの。


ライター式の蓋を開けると、中はがらんどうで、ここにマッチを入れます。


マッチを擦るときは、この底部のくぼみのギザギザでシュッ!
まあ、これは今の「赤燐マッチ」には無理な芸当で、こすっただけで簡単に発火する、昔の「黄燐マッチ」なればこその技です。

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夜の街角でこんな品をポケットから出して、シュッと一瞬の焔を生み出し、一呼吸おいてからフーッと煙を吐き出す黒い影。煙が立ちのぼる先に目をやれば、銀の三日月と蝙蝠が一羽、二羽…。

今やタバコの評判がすこぶる悪くて、なかなか共感が得られにくいですが、やっぱり悪くないシーンだと思います。


スプートニクは時を超えて2022年08月29日 06時01分24秒

(昨日のつづき)

昨日のマッチ箱ホルダーには、実は「兄弟」がいます。


写真の右に写っているのがそれで、表面のデザインはまったく同じ。ただ、サイズは二回りほど大きく、約10×7.5cmあります。材質はやっぱりアルミで、そこにメッキをしているのですが、金色が昨日の品よりも派手で、金きらした感じです。
この2つは、別の機会に、別の人から購入しました。


中央の黒いポッチを押すと…


こんなふうに、パカッと二つに開きます。
こちらはマッチではなく「タバコの友」。すなわち、紙巻きたばこを入れておくための「シガレット・ケース」です。マッチと煙草の関係を考えれば、両者はまさに兄弟分。

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…と、ここまではうるわしい兄弟愛の物語で、めでたしめでたしなのですが、私が気になったのは、このシガレットケースがひどく新しく見えたことです。


傷もないし、メッキも剥げてないし、全体にピカピカしています。
「うーん、これは当時のデッドストック品なのかなあ…」とも思いましたが、ふと気づいたのはゴム紐です。一般にゴム製品は劣化が激しいので、ミッドセンチュリーのゴム紐がそのまま残っているはずはありません。それなのにこのゴム紐は、いまだ十分な弾力を保っているのです。

結局、これは「ご当時もの」ではなくて、その後の復刻品なのでしょう。
中国だと、毛沢東グッズをはじめとする「プロパガンダ・アート」が、今でも土産物として製造・販売されていますが、たぶんロシアも事情は同じで、共産主義時代を懐古するレトロな商品として、あるいは物好きな外国人向けに、こういう品が今も流通しているのだと思います。

まあ、デザインさえ良ければ復刻品でも構わないよという人もいるでしょうが、オリジナルの「ご当時もの」を探すならば、その辺をちょっと注意したほうがいいと、老婆心ながら申し上げます。


【付記】

昨日、今日と続けざまに登場した謎のロケット。
実際に打ち上げに使ったロケットと全然形が違うじゃないか…と不審に思いましたが、S.Uさんから頂戴したコメントによって、疑問が氷解しました。

謎を解くかぎは、ソ連製ロケットの姿は、高度な機密に属したという事実です。
人工衛星の姿はメディアで喧伝しても、ロケットの方は軍事技術と一体でしたし、アメリカとはげしい宇宙開発競争を繰り広げていた手前、ソ連としては「手の内は決して見せないぞ」という姿勢で臨んでいたのです。結局、一般の国民にとっても、それは厚いベールの向こうの存在で、絵を描こうにも想像で描くしかなかった…というのが真相でしょう。

その意味でも、昨日のマッチ箱ホルダーは、当時の世相を映す鏡となっています。
(今や北朝鮮でも、ミサイル発射場面をことさら放映して、それがメディア戦略にもなっていることを思うと、隔世の感があります。まあ、今でも最先端の軍事研究となれば、どこの国でも秘密裡にやっているはずなので、そこは相変わらずです。)

マッチ箱の友(後編)2022年08月28日 07時26分20秒

さて、マッチ箱の話のつづき。でも、今回とり上げるのは、マッチ箱そのものではなくて、あくまでも「マッチ箱の友」です。

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先日言及した家庭用の「並型マッチ」は、今でも地味に売られていると思いますが、あれをそのままポケットに入れると、つぶれてクチャクチャになりやすので、それを避けるために「マッチボックス・ホルダー」というものが使われました。

(大きさは52×38mm)

その実例がこれです。


金属の側(がわ)でマッチ箱を保護して、つぶれないようにしようというわけです。


マッチ箱を入れるときは、この穴のあいた面に、焦げ茶色の擦り紙(側薬)が来るようにして、ここでマッチをシュッと擦ります。

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改めて表面を見ると、細かい擦り傷がいっぱいあって、いかにも時代を感じます。素材はアルミ、そこに金色のメッキをほどこしたもののようです。


右下のロシア語をGoogleにラテン文字化してもらうと、「Sovetskiye sputniki zemli」となり、意味は「ソビエト地球衛星」だそうです。


宇宙開発競争を背景とした「旧ソ連モノ」の1つで、ロケットの脇を飛ぶ、まん丸の人工衛星はスプートニク1号、その先を行くだるま型のは、おそらくスプートニク2号。いずれも1957年の打ち上げなので、このホルダーもその頃のものかな…と思います。

ただ、中央でいちばん目立っているロケットは正体不明。
スプートニク1号も2号も、打ち上げには8K71PSというのを使ったそうで、ここに描かれたロケットとはずいぶん形が違います。


そもそも、こういう大きな固定翼を持った宇宙ロケットって、昔の漫画や映画にはよく登場しましたが、実際に存在したことってあるんでしょうか?大気圏内を飛ぶミサイルならまだしも、真空を飛ぶ宇宙ロケットが翼を持つ意味とは?
まあ、旧ソ連の同志たちは、その辺はあまりこだわらず、この勇壮な姿こそ祖国の栄光を称えるのにふさわしい…と思ったのかもしれません。

(この品から発展して、ちょっと気になることがあるので、次回はそのことを書きます)

マッチ箱の友(前編)2022年08月25日 06時11分42秒

今年の夏はどこにも出かけませんでした。その分、先日から机まわりの旅をしています。ここで「マッチ箱」の話をしようと思うのですが、まずは前置きです。

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「マッチ箱」と聞いて、どんなものを思い浮かべるでしょうか?
世代によっては、「そもそも何も思い浮かばない」という方もいらっしゃるでしょう。

今もコレクターが多いのは、「広告用マッチ」です。
昔、客商売の店で、宣伝として薄べったい小箱入りのマッチをよく配っていました。キャバレーのマッチが、旦那さんの背広の内ポケットから出てきて、奥さんが角を生やす…なんていうシーンが、昔の漫画にはよくあったものです。

また同じ用途のものとして、「ブックマッチ」というのもありました。
これは「箱」ではなくて、二つ折りの厚紙の間に、同じく厚紙の軸をもったマッチ棒がはさまっていて、それを1本ずつちぎり取って使うというものです。

(三好一(著)『マッチラベル 明治 大正』(紫紅社、2010)口絵より)

それとは別に、店頭で日用品として売られていたマッチがあって、台所で使う大箱の「徳用マッチ」とか、ポケットサイズの「並型マッチ」とかがありました。並型マッチのラベルにも無数のデザインがあって、コレクターは多いです。(ちなみに、冒頭で述べた広告用マッチは「平型」とも呼ばれ、厚さが「並型」の半分になっています。)

(三好一上掲書・表紙)

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…というふうに、マッチ箱の話をするにも、いろいろ前置きが必要なこと自体、マッチが現代生活からいかに遠くなったかを示すものです。

でも考えてみれば、マッチというのは、「摩擦熱を利用して人工的に燃焼反応を引き起こす」という、旧石器時代時代にまでさかのぼる人類のお家芸の正しい後継者ですから、仇(あだ)やおろそかにはできません。

(今日は前置きだけで、本題は次回)

七宝十二星座2022年08月08日 11時34分19秒

あまり話の流れに必然性がありませんが、暇にあかせて、日ごろ登場する機会のない品を載せます。

(直径20センチ)

いつもは物陰に隠れている七宝(エナメル)の絵皿です。
5年前にふと見つけたもので、売ってくれたのはカナダのバンクーバー島の人ですから、まあ「北の海」つながりではあるかもしれません。


織部調というか、九谷調というか、緑を中心としたその美しい色合いに惹かれたのですが、いまだに「きれい」という以上の使い道はなくて、そもそもが「飾り皿」なので、飾る以外の用途は、最初から無いのかもしれません。

(皿は全体が金属製で、飾るためのフックが付いています。)

売り手は「エスニック」とか「ミッドセンチュリー」をキーワードにしていました。このフォークアートっぽい感じは、私の記憶にも触れるものがあって、あるいは1960~70年代ぐらいのものかもしれません。


周囲のうろこ模様は、内側から白・緑・黄で塗り分ける予定だったのでしょう。でも、途中から釉薬が塗られず空白のままになっています。よく見ると、星座の絵柄もところどころそうなっていて、途中で面倒臭くなったのか、色彩に変化を出したかったのか、正確な理由は不明ですが、そのいかにも気まぐれな感じが、ものぐさな私の共感を呼びます。


ガラスの底の宇宙2022年02月04日 18時14分19秒

大自然の猛威を前に、人々はなすすべもなく立ち尽くしていた…。
今回のコロナ騒動を眺めていると、そんなステロタイプな言い回しが自ずと心に浮かんできます。確かにcovid-19も自然の一部には違いありません。

でも、それを言うなら、我々だって自然の一部です。
人は自然を何となく自分の外にあるものと思って、「ヒト 対 自然」の構図で物事を考えがちですが、covid-19の場合、外にあると思っていた自然が、実は自らの肉体の内部にまで広がっていることを痛感させてくれました。人とウイルスの主戦場は、ワクチン接種会場や医療機関などではなくて、我々自身の肉体の内部です。ウイルスにとっては、我々の肉体そのものが広大な「環境」であり、我々は宇宙の階層構造にしっかり組み込まれているのでした。

オミクロンに振り回されて、この間まったくブログも放置状態でしたが、ようやく第6波もピークが近い兆しがあります。何とかこのまま終息し、我々を取り巻くささやかな宇宙に早く平穏が戻ってきてほしいです。

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そんなこんなで、久しぶりに自ブログを開いたら、新しいコメントを頂戴しているのに気づきました(尚桃さま、ありがとうございました)。それは実に16年前の記事へのコメントで、内容は星座早見盤を組み込んだペーパーウェイトの紹介記事です。


■銀河鉄道の地図

読み返すまでもなく、記事を書いたことも、記事を書いたときの気分もはっきり覚えています。と同時に、しみじみ懐かしさを感じました。文章もそうだし、書き手である私も、今よりずっと素朴な感じがします。


この16年間、何が変わって、何が変わらないのか?
変ったものは、何といってもモノの量です。まあ、16年間も天文古玩周りの品を探し続けていれば、いい加減モノも増えます。それにまつわる知識の方は、必ずしもモノの量に比例しないので、増え方は緩やかですが、これもまあちょっとは増えました。


一方、変わらないもの。それはやっぱり「星ごころ」であり、賢治や足穂を慕う思いです。だから例のペーパーウェイトを前にすれば、昔と同じようにいいなあ…と思うし、銀河を旅する少年たちの面影をそこに感じるのです。その気持ちがある間は、まだまだ天文古玩をめぐる旅は続くでしょう。


部屋の窓から見上げれば、そこには宇宙がどこまでも広がっています。
そして机上のガラス塊を覗き込めば、その底にも漆黒の宇宙があり、銀河が悠然と流れているのが見えます。そのとき銀河は私の瞳や心の中をも同時に流れ、そこを旅する少年たちの声が、すぐ耳元で聞こえるのです。

虚空の花…かに星雲2021年09月25日 13時57分20秒


(パロマーの巨人望遠鏡が捉えた、今ではちょっと懐かしい「かに星雲」のイメージ。

メシエ目録の栄えある1番、M1星雲である「かに星雲」。
「かに星雲」といえば『明月記』…そう刷り込まれていたので、私はずいぶん長いこと『明月記』の作者、藤原定家(1162-1241)が超新星爆発を夜空に見て、それを自分の日記に記したのだと思っていました。

もちろんそれは間違いで、「かに星雲」の元となった超新星の出現は1054年のことですから、定家とは時代が全然ちがいます。定家はたしかに空に新天体を見ましたが、彼が見たのは彗星で、それを日記に書く際、参考として約180年前の古記録を併せて記したのでした(1230年のことです)。

しかも以下の論考によると、『明月記』の該当箇所は定家の自筆ではなくて、「客星」(普段の空には見られない星)について、陰陽寮の安倍泰俊(晴明七代の裔)に問い合わせた折に、先方から受け取った返書を、そのまま日記に綴じ込んだものらしく、そうなると定家と「かに星雲」の関係は、さらに間接的なものということになります。

■白井 正 氏(京都学園大学)
 京都の天文学(4) 藤原定家は、なぜ超新星の記録を残したか
 星空ネットワーク会報「あすとろん」第5号(2009年1月1日)

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1054年は和暦でいうと天喜2年で、後冷泉天皇の御宇にあたります。
この帝の乳母をつとめたのが、紫式部の娘、大弐三位(だいにのさんみ)だと聞けば、いかにも平安の代にふさわしい、「王朝」の薫香をそこに感じます。
その王朝の空に光を放ち、その後千年かけて宇宙にほころんだ花、それが「かに星雲」です。

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その花をガラスに閉じ込めて、好きな角度から眺められるようにした品があります。



以前、土星や銀河の模型を紹介した、イギリスのCrystal Nebulae自社サイト)の今年の新作です。現在はEtsyにもショップを出しているので、購入もいっそう簡単になりました。

(LEDステージに載せたところ)

6センチ四方のガラスキューブに、レーザーで「かに星雲」が造形されています。
3Dモデルというと、今では3Dプリンターが幅を利かせていますが、こんなフラジャイルな構造はとてもプリント不可能でしょうし(そもそも不連続で離散的な表現はできません)、透明なガラスならではの魅力というのも、やはりあるわけです。


7200光年先に浮かぶ星雲の背後に回って、その後姿を眺める…なんてことも、これなら簡単。人間、神様にはなれないしにしろ、神様の気分を味わうことはできます。


差し渡し10光年の光塊を、手のひらに載せてクルクル回す喜び。
1000年前には公卿・公達でも味わえなかった愉悦でしょう。

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7200光年先の爆発を、1000年前の人が目撃した…ということは、超新星爆発が起こったのは今から8200年前で、ようやく1000年前に、その光が地球人の目に飛び込んだわけです。そして、今我々が見ているのは、当然7200年前の星雲の姿です。

以下のサイトで、1950年から2100年までの150年間におよぶ膨張変化を、GIFアニメで見ることができます。「現在のかに星雲」、すなわち「7200年後に我々が目にするであろう、かに星雲」は、この調子でさらに大輪の花を咲かせていることでしょうね。