昔の買い物から…星のフェーヴ2018年05月19日 16時43分10秒

昨夜の雨が上がり、今日は爽やかな一日になりました。
透明な光の粒が感じ取れるほど日差しは明るいのに、冷涼な風が絶えず吹いて、木々の葉擦れの音がしきりに聞こえます。

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「最近の買い物から」という書き出しは、わりと筆が走りやすいです。
買った時の感興が、まだ鮮明に残っているからです。でも、そればかりだとお蔵入りのモノが堆積してしまうので、ちょっと意識して昔の品も登場させることにします。


たとえば、本棚の隅にこんなものが載っているのを見つけました。

(裏面)

2001年にフランスで売り出された、フェーヴガレット・デ・ロワのページにリンク)のセットです。

ごく他愛ない品ですけれど、フェーヴというモノの性質上、こういうのはあまり整っていては面白くなくて、昔のグリコのおまけ的な、駄菓子っぽい「雑な華麗さ」こそが身上でしょう。濃紺の空に、金色の星がやけにまぶしく光っています。


ともあれ、甘いパイ菓子の中から、こんなのがひょっこり顔を出したら、子どもならずとも嬉しいし、かりそめの王様役を演じるのでも、まさに天界の王になったような気分では。

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上でリンクしたガレット・デ・ロワの解説によれば、このお菓子にまつわる慣習は、古代ローマのサトゥルヌス神のお祭りにルーツがある由。サトゥルヌス神は、すなわち英語のサターンですから、この土星のフェーヴなんかは、まさに筋目正しい神への捧げものです。


なお、このセットのうち彗星のフェーヴは、前にも登場したことがあります。

タルホの匣…第8夜、彗星と土星



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▼閑語(ブログ内ブログ)

成立年不詳の史書、『続増鏡』 より。

 「さるほどに彼の者の驕慢いよいよまさりて、果ては其の威を借る数なき者ども、「天皇はサヨク」「天皇はハンニチ」などと雑言をおめき叫ぶに至れば、あまりのことに主上も今はとて位を皇子にゆづらせたまひ、身を世より隠させたまふ。されど彼の者の暴虐猶もやまず、世の乱るることかぎりもなければ、心ある人みなみな紅涙を流し、誠を尽くして訴へければ、主上もげにもとや思はれけむ、つひに平家追討の院宣を下させたまひぬ…」

平家ではないですが、「彼の者」は平家みたいなものです。
ただし、平家ほどの革新性はありません。
尊王の士を以て自ら任じる者ならば、まことに堪えがたい惨状だと思うのですが、今の世に尊王は流行らないみたいで、そういう声はついぞ聞こえません。

まあ、こんなふうに安易に権威にたよったり、水戸黄門的解決を期待したりする心根は、結局「彼の者」を喝采する輩と同根なので、よっぽど用心しなければなりません。
が、それにしても、今の世に高山彦九郎はおらぬもの哉。

中世がやってきた(3)2018年04月29日 15時54分00秒

(今日は2連投です)

尚古趣味とか、好古家というのは、古代ローマ時代から存在したそうですが、特に「中世」という時代に注目が集まり、もてはやされた時期があります。それは、18世紀後半から19世紀にかけてのことです。

図式的に言えば、前代のグレコ・ローマンに範をとった<古典主義>に対抗するものとして、中世を称揚する<ロマン主義>が勃興するのと軌を一にする現象で、一口にロマン主義と言っても、その実態は国によって様々でしょうが、現象面でとらえれば、中世趣味が最も先鋭的に表現されたのは、イギリスだったようです。それは産業革命の進展と、とめどない社会の世俗化に対する精神的反動でもあったのでしょう。

その動きはジョージ王朝末期に、まずはゴシック・リヴァイバルという「擬古建築」の形で幕を開け、続くヴィクトリア朝を通じて、文化のあらゆる側面に波及し、絵画ではラファエル前派を、そして工芸分野ではウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を生み出しました。中世の写本蒐集熱が高まったのもこの時期です。

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そうした中で、古い中世ガラスやルネサンス・ガラスを求める人も現れました。
たとえば、サー・ウィリアム・ジャーニンガム(Sir William Jerningham、1736-1809)という人がいます(以下、引用はヴァージニア・チエッフォ・ラガン著、『世界ステンドグラス文化図鑑』、東洋書林、2005より。改行は引用者)。

 「彼は自宅のテューダー様式マナー・ハウスの近くにゴシック・リヴァイヴァルの礼拝堂を造り、その窓に嵌めこむ中世ガラスの収集を始めた。〔…〕パネルの少なからぬものがジョン・クリストファ・ハンプを通して購入されたらしい。

ハンプはノリッジの毛織物商人で低地地方のアントウェルペン、ブリュージュ、フランスのパリ、アミアン、ルーアン、ドイツのケルン、アーヘン、ニュールンベルクを訪れた。ハンプはナポレオン征服後の世俗化時代に、解散した修道院から大量の中世ガラスを入手し、イギリスのかなりの教会へ売った。

〔…〕84パネルを数えるジャーニンガム・グラスは、サー・ウィリアムの死亡した年、1809年までに完全に設置されたようである。」(上掲書 pp.171-172)

当時、高まる中世熱に応えて、古いガラス片をヨーロッパから買い集めて、大英帝国で売りさばく専門の商人までいたようです。その顧客は、由緒付けを求める教会であったり(イギリスの教会は16世紀の宗教改革と国内動乱によって、かなり荒廃した時期があります)、広大なマナーハウスを抱えた新興貴族だったり、様々でした。

それがどんな風に使われたかは、ヨークの聖マイケル教会(現在はレストランに改装されています)の内部を見ると、およそ想像がつきます(以下、画像出典はhttp://www.docbrown.info/docspics/yorkscenes/yspage04b.htm)。


こんな風に、部分的に絵柄のつながった隙間を、似た色模様のガラスで補ったものもあれば、


全くランダムにピースをはめ込んだパネルもあるという具合。

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こうして再び安住の場を得たステンドグラスですが、オーナーである貴族が没落すれば(ダウントン・アビーの世界ですね)、再び売りに出され、最終的には博物館に収まることになります。サー・ウィリアム・ジャーニンガムの場合もまた然り。

 「一回目の売却は1885年、その中には領地の建物のパネルが多く含まれ、二度目は1918年、礼拝堂の建物が解体されたときで、それによりすばらしい作品の多くがロンドン、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館やニューヨーク、メトロポリタン美術館など公共のコレクションで展示される道が開けた。」(ラガン上掲書、p.172)

ジャーニンガムのものではありませんが、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館のサイトを見たら、似たような感じのものとして、こんなステンドグラスのパネルが紹介されていました。


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わが家のステンドグラスの素性も、上のような事実に照らせば、だいたい想像がつきます。これも19世紀の<中世熱>の中で見出され、マーケットに流出した品なのでしょう。

詳細な出所・伝来は不明ですが、直近の持ち主は(売り手曰く)彫刻・ガラス工芸作家にして、南コネティカット州立大学で美術を教えた、ピーター・ペレッティエリ氏(Peter Pellettieri、1997年に58歳で没)だそうで、まず確かな品と言っていいでしょう。

ペレッティエリ氏は、ヨーロッパの古美術コレクターとしても知られた人で、このステンドグラスも、美術的な見地と作品制作の資料という二重の意味合いで、氏が手元に置いていたものだと思います。

中世がやってきた(2)2018年04月29日 15時46分50秒

わが家にやってきた、ささやかな「中世」。
それは、窓際に置かれたステンドグラスの残欠です。


その姿はブラインドの角度を変えると現れるのですが、ご覧のように書斎の窓は隣家の窓と差し向かいなので、気後れして、腰を落ち着けて眺めることができないのは残念です。




でも、思い切ってブラインドを上げると、こんなふうにアクリルフレーム越しに「中世の光と色」が部屋に差し込みます(隣家の壁と窓は、ゴシックの森か何かに、脳内で置き換えて味わってください)。


目にパッと飛び込む星模様に…


華麗な甲冑姿の騎士。



何百年も色褪せない、鮮やかな赤、青、緑、黄のガラス絵。

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その技法から、おそらく1500年代にドイツ語圏(スイスかもしれません)で作られたものらしく、ちょっと「中世」と呼ぶには苦しいですが、近代以前の作であることは間違いありません。それに、ステンドグラスの制作は、16世紀後半~18世紀にひどく衰退し、19世紀になって俄然復活したので、その断絶以前の「中世ステンドグラスの掉尾を彩る作例」と呼ぶことは、許されるんじゃないでしょうか。

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ところで、上の写真で明らかなように、このステンドグラスは絵柄がバラバラです。
これは古いガラス片を寄せ集めて、再度ステンドグラスのパネルを拵えたためです。

誰が何のためにそんなことを…というのを考えるために、ここで記事を割って書き継ぎます。


中世がやってきた(1)2018年04月28日 07時46分15秒

理系アンティークショップ、すなわち天文や博物趣味にかかわる古物を扱うお店は、往々にしてその手の品とともに、宗教アンティーク(ここでは主にキリスト教の)も扱っていることが多いようです。

科学と宗教はしばしば対立するものとされるので、これは一見不思議な光景です。
でも、両者は等しく「目に見える世界の背後を説くもの」であり、いわば「異世界を覗き見る窓」ですから、この二つの世界に共に惹かれる人がいても、不思議ではありません。かく言う私も、理科趣味を標榜する一方で、妙に抹香臭いものを好む面があります。

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「中世趣味」もその延長線上にあります。

中世というのは、日本でも西洋でも、戦乱と疫病に苦しんだ暗く冷たい時代で、そこにお伽チックなメルヘンとか、深い精神性とか、侘び寂びの幽玄世界を重ねて、むやみに有り難がるのは、現代人の勝手な思い込みに過ぎないというのも事実でしょう。

(日本の中世文学史家である、田中貴子氏『中世幻妖』(幻戯書房、2010)は、「近代人が憧れた時代」の副題を持ち、帯には「小林秀雄、白洲正子、吉本隆明らがつくった<中世>幻想はわたしたちのイメージを無言の拘束力をもって縛りつづける」とあって、その辺の事情をよくうがっています。西洋でも事情は似たようなものでしょう。)

…と、予防線を張ったところで、やっぱり中世って、どこか心惹かれるところがあるんですよね。これは子供時代からの刷り込みもあるので、ちょっとどうしようもないです。

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そんな中世趣味の発露が、見慣れた光景の向こうに潜んでいます。
わりと最近わが家にやってきたもので、理科趣味とも天文趣味とも縁遠い品ですが、一種のヴンダー趣味ではあるし、これまた前から欲しいと思っていたモノなので、この辺で登場させることにします。

(この項つづく)

手のひらのオルロイ2018年04月25日 05時42分20秒

オルロイへのこだわりから、こんなプラハ土産も買いました。


台座からてっぺんの十字架まで、全高約12cmのミニ・オルロイ。
もちろん今出来の品で、現地に行けば、今でも売ってるかもしれません。
素材はオール金属のダイカスト・モデルです。

(文字盤の直径は約2cm)

オルロイの中で一番目立つ、アストロラーベ風のカラフルな文字盤は、金属印刷で再現。その下の12か月の農事と星座を描いた「暦表」と呼ばれる部分は、小さな時計に置き換わっています。

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土産物というのは、それを買った時の愉しい思い出とか、届けてくれた人の心遣いなどと結びついて、初めて意味を持つものでしょう。ですから、こんなふうに見知らぬ人からお土産だけ譲ってもらっても…という思いもあります。でも、当面プラハに行く機会もありませんし、土産物というのは現地にはあふれていても、それ以外の土地では意外と手に入らないものですから、オルロイ好きとして、つい食指が動きました。


机上でカチコチ時を刻む、まだ見ぬオルロイの似姿。
これは過去の思い出ではなく、未来の夢と結びついた、一風変わった土産物と言えるかもしれません。

(クルッと後を向けたところ。背部や底部に「MADE IN CHINA」のシールがこっそり貼られている…というのも、ありがちなオチですが、原産国表示はどこにもありませんでした。)

エジプトの星(2)…エジプトとメソポタミア2018年03月17日 16時53分42秒

あまりにも醜悪な政権にプロテストして断筆…というわけではなく、もろもろの事情の然らしむるところにより、やむなく断筆っぽい状態にありました。

そもそも、私が断筆しても、世間的には何の意味もありませんし、プロテストしたところで、後から後からプロテストしたいことがどんどん出て来るので、自分がいったい何にプロテストしていたのか、それすら失念しかねない状況です。まったくマトモな相手ではありません。

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さて、記事のほうは「エジプトの星」と題して、次のようなつぶやきとともに終わっていました。

 「でも、エジプトだって古代天文学が発達した土地で、独自の星座を使っていたわけだよね。それはいったいどうなったの?プトレマイオス朝になって、忽然と消えちゃったの?それに、そもそもメソポタミアって、エジプトのすぐ隣じゃない。ギリシャ経由で黄道12星座のアイデアが入ってくる前に、直接メソポタミアから伝わらなかったの?」

上のように呟いたときは、すぐに答えられそうな気がしたのですが、これはなかなかどうして簡単な問いではありませんでした。つまり事は星座に限らないわけで、エジプトとメソポタミアという、近接した地域で発展した古代文明相互の、文化の影響-被影響関係の実相は…という点にまで遡らないと、この問いには答えられないのでした。

そこで、積ん読本の山から『世界の歴史―古代のオリエント』というのを引っ張り出してきて読んだのですが、この一冊の入門書で、私の歴史感覚がかくも大きく変わるとは、予想だにしなかったことです。

古代オリエントの歴史の一端に触れれば、栄光の古代ギリシャといえど、オリエントの歴史絵巻の終わりの方に、ちょろっと出てくるローカルな話題に過ぎないと感じられるし、カール大帝以降のヨーロッパの歴史などは、まるで「現代史」のようです。

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以下は、素人が1冊の入門書から読み取ったことなので、間違っているかもしれませんが、とりあえずのメモとして書き付けます。

まず、一口に「古代エジプト」と言い、また「古代メソポタミア」と言いますが、両者の実態は大きく異なります。

エジプトの地では、長い年月のうちに多くの王朝の興亡がありましたが、それを担ったのは「エジプト人」という1つの民族であり、エジプトの社会は、多年にわたって相対的に純一な社会でした。

対するメソポタミアは、まさに民族の十字路といってよく、人種的にも言語的にも多様な民族が四方から流入しては、前王朝を滅ぼし、支配し、やはては滅び…ということを、100世代以上にわたって繰り返してきました。したがって「古代メソポタミア」という言葉の内実は、何かひとつの色に染まった世界では全くありません。

ただし、文化という点では、メソポタミアの地にも一定の連続性があった…という点で、やはり、「古代メソポタミア」という言葉は意味を持つのです。メソポタミア文明の創始者である、シュメール人が歴史の表舞台から消え、アッカド帝国が興り、バビロン王朝が栄え、アッシリアが巨大な帝国を築いても、新たな支配者たちは、いずれもシュメール人が生んだ文化を連綿と受け継ぎ、発展させました。

そして、多くの異民族がそこに関わったからこそ、メソポタミアの文化は普遍性を獲得し、文化的支配力・伝播力という点では、エジプトを大きく凌駕するものがありました。エジプトのヒエログリフの影響が、地理的に限定されているのに対し、楔形文字が言語系統の差を超えて、古代オリエント諸国で広く用いられたのは、その一例です。

(古代オリエントの歴史舞台。“イラク”と“クウェート”の文字の間に広がる灰褐色のパッチがメソポタミア。点々と続く疎緑地と耕地によって灰褐色に見えています。)

さらにまた、歴史を俯瞰して強調されねばならないのは、古代オリエント世界を彩ったのは、何もエジプトとメソポタミアだけではないことです。それに匹敵する古代文明のセンターだった「アナトリア」、すなわち今のトルコ地方や、それらの各文明を摂取し、それを地中海世界へと伝える上で重要な役割を果たした「レヴァント」、すなわち今のシリア・パレスチナ地方の諸王国の興亡が、古代オリエントの歴史絵巻を、華麗に、そして血なまぐさく織り上げているのです。(メソポタミアの天文知識がギリシャに伝わったのも、アナトリアやレヴァントという媒介者があったからです。)

そうした中で、エジプトとメソポタミアの両文明は、当然古くから直接・間接に接触を続けてきたのですが、エジプトの側からすると、他国の文化を自国に採り入れるモチベーションが甚だ低かった――これが、メソポタミア由来の黄道12星座が、エジプトでは長いこと用いられなかった根本的な理由ではないでしょうか。古代エジプトは、純一な社会であったがゆえに、強固な自国中心主義、一種の「エジプト中華思想」をはぐくんでいたように思います。

エジプトのこうした自国中心主義は、あのデンデラ天文図が作成された、古代エジプトの最末期、プトレマイオス朝時代にあっても健在で、あの図にはメソポタミア由来の星座以外に、カバや牛の前脚など、エジプト固有の星座も数多く描かれています。(そして、エジプト中心主義の崩壊とともに、エジプトの星座は消えていったのです。)

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ときに、メソポタミア時代の星空を偲んで、こんな品を見つけました。

(背景は近藤二郎氏の『星座神話の起源―古代メソポタミアの星座』)

紀元前700~800年頃、アッシリア帝国時代の円筒印章の印影レプリカ。
円筒形の印章に陰刻された図柄を、粘土板上で転がして転写したものです。


中央は古代メソポタミアで愛と豊饒の神として崇敬された女神イシュタル
彼女は金星によってシンボライズされる存在で、後のヴィーナスのルーツでもあります。その冠の頂部で金星が光を放ち、その身の周囲を多くの星が取り囲んでいます。

そして、イシュタルと向き合う人物の頭上に浮かぶ六連星は、プレアデス
さらにその右手には、奇怪な「さそり男」の姿が見えます。彼は太陽神シャマシュが出入りする、昼と夜の境の門を開閉する役目を負っており、その頭上に浮かぶのが「有翼の太陽」です。


古代エジプトでは、野生の動物を神として崇める動物崇拝が盛んでした。
一方メソポタミアでは、天空の星を神々と崇め、エジプト人よりも一層熱心に夜空を観察しました。メソポタミアで天文学と占星術が生まれたのは、その意味では必然だったのでしょう。


(あまり話が深まりませんでしたが、この項一応おわり)

ネットの穴を覗く2018年02月18日 12時31分55秒

インターネットには実に多くの情報が堆積しています。

でも、仮にその情報量が無限だとしても、「すべての」情報がそこに乗っかるわけではありません。ちょうど無限にあるはずの有理数だけでは、数直線は埋まらず、漏れ落ちる情報も、また無限であるようなものです。(これは先日コメントをいただいたzam20さんの「ミクロ・マクロ・時々風景」で拝読し、思わず膝を打った比喩。)

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先日、飛行機乗りのための星座早見盤の話題を書きました。
それを受けて、今度は船乗りのための星図を探しました。探してみると、実際そういう航海用星図はたくさんあって、船乗りは海図片手に水平線を眺めるばかりでなく、星空にも親しんでいることが、改めてよく分かりました。

船乗りが眺めた星空の件は、また別に記事にしたいと思いますが、その手の星図を買ったら、売り手の人がオマケとして、マップ・ディバイダを付けてくれました。


マップ・ディバイダは、2本の脚を開閉して、地図上の任意の2点間の距離を拾い上げる器具です。コンパスタイプの品もありますが、これは上部の丸い部分を握ると脚が開くタイプ。これだと片手で操作できるので、すこぶる作業効率が良いです。


本命の星図は1947年刊行だったので、このディバイダも同年代のものかなと思いますが、最後まで分からなかったのは、その素性です。


ディバイダの最上部、両足の回転軸を留めるビスには、「W & HC」というメーカーの記載があります。また裏側には「BRITISH MADE」の刻印もありました。検索すると、この「W & HC」ブランドのディバイダは、新品・中古を含めて大量に売られており、時代も1930年代と称する品から、ごく最近の物にまで及びます。まあ、おまけに付けてくれるぐらいですから、品物の価値は最初から知れており、そう古いものでないことは確かですが、それでも、この「W & HC」とは何のイニシャルなのか、それだけでも知りたいと思いました。

で、早速調べたのですが、これだけ流通している「W & HC」の正体が杳として知れないのです。「まさか、そんなはずはない」と思って、いろいろ検索したのですが、まったく分かりませんでした(唯一このイニシャルで見つかったのは、Wallsend & Hebburn Coal Company という、50年前に廃業したスコットランドの石炭商だけした)。

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ディバイダの正体はさておき、ことほど左様に、ネット情報には意外な穴がポコポコ開いています。裏返せば、ユニークな情報は意外と身近なところにゴロゴロしていて、今日も誰かに発見されるのをひそかに待っているのでしょう。


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▼閑語(ブログ内ブログ)

昨日の記事を書いた後で、古武道の士にして、フリーランスの記者でもある瀬沼翠雨氏のブログ、「新・流れ武芸者のつぶやき」を拝読しました。その2月16日の記事、「メメント・モリ」に接し、深く歎息するとともに、大いに頷いたことがあります。

昨日の私は、ジャーナリズム退潮の背後に、権力者が使嗾(しそう)する後ろ暗い力の存在を憂慮しましたが、実はそこにはもっと即物的で、もっと暴力的な力が作用していたのです。

それはお金です。

今は活字商売がひどく左前だ…ということは承知していましたが、これほどの窮状にあるとは、瀬沼氏の文章を読むまで、実感していませんでした。かくて、その影響は業界の隅々にまで及び、今や老舗出版社であれ、大新聞社であれ、とにかく金になる仕事が先だ…というわけで、きわめて良識的な出版社であったはずの某社ですら、最近は“ネトウヨ本”に手を染めたりしているわけです。

もちろん、それが媒体の変化だけのことで、知性と人間主義に基づく言論空間が、新たにネット上に形作られているのならば、これほどの不安感は覚えないでしょうが、それもすこぶる怪しい気がしています。


【閑語のおまけ】
 ときに昨日の「閑語」の末尾。唄を忘れたカナリアが棄てられるのは「後の山」でしたね。そして「裏の畑」で鳴くのはポチです。威勢よくジャーナリズム批判を展開したわりには、どうも知性と教養に欠ける記述でした。

星見の塔を訪ねる2018年02月13日 22時16分00秒

この機会に、韓国慶州の瞻星台(せんせいだい)に会いたいと思いました。


でも、そうすぐに会いに行くこともできないので、レジン製の模型を買いました。


これさえあれば、塔をそっと見下ろして、古の天文学者が忙しく立ち働く姿を想像することもできるし、


塔を間近で見上げて、いつでも彼の声なき声に耳を澄ますことができます。
さらに、こんなふうに↓グリニッジの大ドームと並べて、東西天文遺産のツーショットをお願いすることだって簡単です。


うむ、なかなか麗しい眺めですね。


【おまけ】

ただし、屋上部がこの模型の通りだとすると、塔内から屋上に上がることができないので、観測には甚だ不便です。これは模型作者の勘違いで、実際には、昨日リンクした和田の調査報告書に「頭部の一半は開放しありて、井桁を透して天空を窺ふべし」とあるように、頂部には屋上に出る開口部があります。
ユネスコの天文遺産の紹介ページに掲載されている平面図を見ると、その様が明瞭です。

炎をあげる黒猫2018年01月14日 14時55分12秒

ここらで、足穂氏には黒猫のシガレットで一服つけていただくことにしましょう。
英国タバコの「ブラックキャット」は、足穂氏の分身であるクシー君も愛用していて、そのことは以前書きました。

■タルホ的なるもの…黒猫の煙草


今回は黒猫のタバコに火をともす、黒猫のマッチも見つけたので、一緒に並べて冥界の足穂氏への貢ぎ物とします。ここまで氏に配慮すれば、明日あたり『一千一秒物語』に黒猫の新作が二つ三つ増えていないとも限りません。


黒猫だから当然黒いんですが、そこはデザインの妙で、何となく上のは赤い黒猫に、下のは青い黒猫に見えます。赤はベルギーで、青いのはポーランドのマッチと聞きました。

マッチをくわえた「月の男」(その3)2017年11月07日 21時09分12秒

銅の月、銀の月とくれば、次は金の月の出番です。
もちろん本当のゴールドではなく、金色に光る真鍮に過ぎませんが…


今度の月は、丸まるとした満月。


これまた頭部がふたになっていて、そこにマッチ擦り用のギザギザがあります。

ときに、1枚目の画像と見比べていただきたいですが、最初の写真ではにこやかに笑っていた月が、こうしてうつむくと、何だか悲し気な表情に見えます。

これは能面もそうで、能の世界では、こうした所作を、「面(おもて)を曇らす」と呼ぶようです(逆に仰向け気味にする所作は、「面を照らす」)。無表情の代名詞の能面ですが、こんな風にちょっと角度を変えるだけで、そこに千変万化の表情が生まれます。

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さらにまた、この月のヴェスタは、いっそう劇的な変化も見せます。
こちらはまるで文楽や京劇の早変わりのようです。


上の月をくるっと裏返したところ。
昨日の銀の月と同様、この月も裏と表で、Happy face と Sad face がくるくる入れ替わります。

ひょっとしてですが、昨日の「笑顔の三日月」と「泣き顔の有明月」から類推するに、笑顔が満月で、泣き顔が新月なのかも。でも、上り調子はむしろ新月で、これから下りに向かうのが満月だから、裏表逆かもしれんぞ…とか、つい月に人生を重ねて見てしまいます。

泣く月と、


笑う月。


まあ、事の真偽は、月たち自身に話し合いで決めてもらいましょう。

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実に表情豊かな月のヴェスタ・ケース。
すでに実用性を失った品だけに、いっそうそこには雅味が感じられます。

月光派としては、常に懐中に忍ばせ、月無き夜にはそっと空にかざして心を慰め、一人でグラスを傾ける折には、そっとカウンターに置いて、気の利いた話し相手を務めてもらうのがいいかもしれませんね。