こちらウラヌス2020年09月22日 06時37分50秒

4連休なので、部屋の掃除をしていました。


いつもの雑然とした光景。
あまりにも見慣れ過ぎて、最近は機械的にホコリを払うだけの日が続いていました。


しかし何せ4連休ですから、いつもよりのんびりホコリを払っていて、気が付いたのです。


あ、光っている!

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この小さな科学衛星「ウラヌス」が我が家に到達したのは、10年前のことです。


■翔べ!ウラヌス

彼はそれから休むことなくミッション――緑色光によるメッセージの送信――をこなし、それは今も続いていたのです。

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同じ年に打ち上げられた人工天体の仲間に、「あかつき」があります。
彼は2010年5月に種子島を飛び立ち、金星に向かいましたが、途中でメインエンジンの故障という決定的なトラブルに見舞われました。しかし、先輩「はやぶさ」のように、人々の智慧と才覚によって、みごと金星周回軌道に乗り、観測ミッションを成功させ、そして今もデータの収集を続けています。実に鮮やかです。

徐々に酸化被膜で覆われつつある、我らが「ウラヌス」の奮闘も、「あかつき」に決して劣るものではありません。にもかかわらず、そのことを忘れ、貴重な信号を受信し損ねていた私の責任は重大です。遅ればせながら、これからは緑色光のチェックを怠らないので、「ウラヌス」よ、どうか最後の日まで共にあらんことを。

黄金のウラニア2020年07月08日 06時58分37秒

さて、これも残欠といえば残欠ですが、可愛いウラニアの像を見つけました。

(ペンは大きさの比較用。全体の高さは約11.5cm)

独立した像ではなくて、元は建物の「釘隠し(cache clou)」に使われていたものです。時代は19世紀初頭、仏・トゥールーズから届きました。

建築材に打ち付けた釘の頭を無粋と見て、その上を覆い隠す飾り金具が「釘隠し」で、日本でも、伝統建築にいろいろ面白い意匠の釘隠しが取り付けられていますが、フランスでも事情は同じらしく、「cache clou」で検索すると、いろいろ面白いデザインのものが見つかります。


右手に持ったデバイダ、左手でもたれかかった天球儀が、天文学のミューズであるウラニアのシンボル。


頭上に星の冠をいただき、その視線ははるかな天に向かいます。(鼻がちょっとつぶれてしまったのが惜しまれます。)


裏面はこんな感じで、型を使った薄肉の鋳物仕上げ。真鍮色をしていますが、素材は青銅のようです(真鍮は銅と亜鉛、青銅(ブロンズ)は銅と錫の合金で、鋳造に向くのは後者)。

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それにしても、このウラニア像で飾られた部屋は、どんな部屋だったんでしょうね。
そこには、何かしらの寓意と機智が働いていた気がします。

天文家や占星術師がこもって沈思した小部屋でしょうか。
それとも、ウラニアのみならず、音楽や詩を司る他のミューズたちがずらり居並ぶ、華麗なライブラリーでしょうか。

そんな風に想像のふくらむところが、残欠趣味の楽しさです。


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【余滴】

雨続く。九州から中部にかけて広く警戒を要すとの報あり―。

熊本では、頑丈な鉄橋までも流されるニュース映像を見て、衝撃を受けました。そこから、子どもの頃に読んでもらった「大工と鬼六」の話を思い出し、あの話の背景を知りたいと思いました。

検索したら、あれはもともと岩手県の民話だという説もありましたが、それと同時に、「いや、あれは大正時代に、ある童話作家が、北欧民話を翻案して発表したのが元だ」という説明を目にして、本当に驚きました。そして、どうやらそっちの方が本当らしいです。この件は、わりと有名らしくて、ネット上でも言及する人が大勢いますが、管見の範囲では、以下の論文がもっとも詳細に跡付けていました。

■桜井美紀、「大工と鬼六」の出自をめぐって
 「口承文芸研究」第11号(1988)掲載

青空のかけら2020年07月05日 16時46分40秒

空から降り注ぐ雨。
それを集めて流れる川。

その自然の営みが、ある一点を超えると、大地の形状を変えるほどの巨大な力を発揮します。それもまた自然の営みだと言えば、そうかもしれませんが、でもその自然は、いつも目にする穏やかな自然とは別人という意味で、やっぱり異常で恐ろしいものと感じられます。

犠牲となった方を悼み、被災地の方々が早く日常を取り戻されることを祈ります。

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陶片趣味といえば、比喩でなしに、本物の陶片が手元にあります。

(タイルの最も長い辺は約11.5cm)

鉱物標本のように、箱の中に鎮座しているのは、ニューヨークの業者から購入した古タイルのかけらです。13世紀セルジューク朝のものというのが業者の言い分。

彼の言葉が本当なら、イスラム世界を広く支配した「大セルジューク朝」は、12世紀半ばに自壊し、13世紀には、その地方政権だった「ルーム・セルジューク朝」が細々と続くのみでしたから、出土地は、その版図だったトルコ地方ということになりますが、詳細は不明。


この三角形は、当初から人為的に成形されたもので、イスラム独特の幾何文様の一部を構成していたはずです。頂角40度というのが、元の模様を解くヒントだと思いますが、これまた不勉強で詳細は不明。でも、何か星型文様の一部だったら素敵ですね。

(イランのシャー・ネマトラ・ヴァリ霊廟(15世紀)。Wikipediaより)

そして、こんな風に空の青と競い合って立つ壮麗な建物の一部だったら…。


美しく澄んだ青。その貫入に沿って生じた金色が、人為的なものなのか、それとも釉薬成分の自然な変化によるものかは不明ですが、この青金は、まさに天然のターコイズ(トルコ石)を切り出して作ったかのようです。

遠い中世イスラム世界―。
この場所こそ、古代世界に続く、天文学の第二のゆりかごであり、そして黄漠の地に白い宮殿がそびえ、透明な新月が浮かぶ、タルホの王国でもあるのです。

(釉薬の質感↑と裏面の表情↓)

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とはいえ、この小さな島国の水と緑こそ、個人的にはいっそう慕わしく感じられます。
願わくは、そこに青空と入道雲が、早く戻ってきますように。

雨と月2020年06月14日 12時12分14秒

雨がやんで、少し空が明るくなりました。
それでも、空は依然として湿った灰色をしています。

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今は官許の旧暦がないので、何を以て正しい日付とするか、そこに確かな答があるわけではありません。それでも日めくりを見れば、旧暦の日付が載っています。

旧暦は、新暦のだいたいひと月遅れですから、梅雨の今頃は、例年だと旧暦5月に入って幾日か過ぎた時分にあたります。ただし、今年は4月と5月の間に「閏(うるう)月」がはさまったせいで、来週の今日(21日)から、ようやく旧暦5月が始まるんだそうです(今日はまだ閏4月の23日です)。

例年でいえば、旧暦5月はたいてい梅雨の盛りなので、5月には「雨月(うげつ)」の異称があります。そして「雨月」は「雨夜の月」も意味し、雨雲に隠れた月を偲ぶ語でもあります(俳句の世界だと、お月見の晩に限って言うので、秋の季語です)。さらにまた、上田秋成は「雨が上がり、おぼろな月が顔をのぞかせた晩に編纂したから…」という理由で、自らの怪談集を『雨月物語』と命名しました。

雨と月の関係性もいろいろです。
両者は人々の心の中で、反発し合いながらも睦み合うところがあって、文学上の扱いが、なかなかこまやかです。

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野口雨情の「雨降りお月さん」は、意味のよく分からない、不可解な歌ですが、私はずっと寂し気な「月の花嫁」が、雨の降る晩、天馬に揺られて空の旅路を行く場面を想像していました。そして、月に帰ったかぐや姫のことを思ったりしました。

たぶん、これは作者の意図とはずいぶん違ったイメージでしょうが、「雨情」と名乗るぐらいですから、彼が雨に思い入れがあって、月の横顔に麗人の姿を重ねて愛していたことは確かだという気がします。

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明月もよく、おぼろ月もよく、そして雨月もまたよいのです。

(月と流水紋。京都十松屋製の舞扇。いっとき月にちなむ「和」の品にこだわった時期があって、今もその思いは伏流水のように潺湲(センカン)と続いています。)

星座スタンプ2020年06月13日 08時34分36秒



星座にちなむ小物というと、こんなものを見つけました。
黄道12星座をデザインした、天球儀風の印刷ブロックです。


小物といっても、たてよこ8cm近くあって、印刷ブロックとしては結構大きいです。
おそらく1920~30年代の品。売ってくれたペンシルベニアの業者さんは、廃業した印刷屋の在庫をごそっと買い取ったらしく、他にもインクまみれの古い印刷ブロックを、たくさん売りに出していました。


刷り上がりのイメージ(左右とネガポジを反転)。

気になるのは、これを「何」に使ったかです。
もちろん印刷するために使ったわけですが、その刷ったものの用途は、はたして何であったか? まあ、普通に本の挿絵かもしれないんですが、ひょっとしたら、星占い用のシートを印刷するのに使ったのかな?…という想像もしています。


以前登場した、ホロスコープ用印刷ブロック【元記事】と似た感じを受けるからです。
(右側に写っているのがそれ。以前、記事を書いたときは、占星術師が手元でポンポンと捺して使うのだと考えましたが、これも町の印刷屋さんに一気に刷ってもらった方が便利そうです。)

上の想像の当否はしばし脇に置いて、なかなか素朴で愛らしい品です。

ヤーキス天文台の聖骸布2020年02月17日 06時37分26秒

(昨日のつづき)

シカゴ郊外に聳え立つシカゴ大学・ヤーキス天文台


史上最大の屈折望遠鏡を備えた巨大な建物は、まさに近代を制覇したアメリカ帝国が、ウラニア女神にささげた壮麗な宮殿の趣があります。小さい天文台に憧れると言ったそばから何ですが、茶室の美を良しとする人が、同時に姫路城に感嘆してもいいわけで、ヤーキス天文台の偉容は、文句なしにすごいです。

しかし、この宮殿も老いは免れがたく、近年は閉鎖と存続の間を絶えず揺れ動き、それに関連したニュースを耳にすることが多いです。結局のところ、現在どうなっているのか、英語版Wikipediaをざっと見たんですが、やっぱりよく分かりませんでした。所有者であるシカゴ大学と、創設時に大枚を出資したヤーキス家、そしてヤーキス未来財団とが、存続に向けてややこしい交渉を今も続けているようです。

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1897年に献堂式を執り行ってから、ちょうど100年後―。
1997年の夏に、同天文台の大規模な改修が行われ、外壁のテラコッタ製タイルの交換が行われました。その際、古タイルの大半は捨てられてしまいましたが、完品のまま取り外された一部のタイルは、修理費用を寄付した人に、記念品として贈られました。(日本の大寺院の修復でも、似たようなことをやりますね。)

手元のタイルはその時のもので、これを譲ってくれたのは、同天文台のスタッフである Richard Dreiser 氏です(と言って、別に氏とは知り合いでも何でもなくて、氏がたまたまeBayに出品していたのです)。


タイルの長辺は20cm、短辺は14.5cmほどあります。肉厚の煉瓦質のタイルです。


上の写真だと、金属製ドームの直下にぐるっと手すりを巡らせ、壁に3つの正方形の窓が見えます。このタイルが取り付けられていたのは、この窓の上部、ちょうどドームと接する部分だ…というのが、ドレイサー氏の説明です。


裏面と側面には、製造時に押された数字と記号がくっきりと残っています。


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2018年、これがひょっとしたら、ヤーキス天文台を見学する最後のツアーになるのでは?…と、急ぎ記録されたのが以下のページです(実際、今もツアー中止状態が続いています)。ここでツアーの案内役をつとめているのが、ドレイサー氏本人。

■Yerkes Observatory in William’s Bay-Our Last Tour

ヤーキス天文台に行ったことはありませんが、リンク先の動画を見ると、まるでその場にいるような気分になります(ドームで音声が反響して、エコーがかかっているのがリアルに感じられます)。いえ、気分だけじゃありません。何せ「本物のヤーキス天文台」(の一部)が、今こうして手元にあるのですから、これはもう行かずして行ったようなものです。

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巨人望遠鏡は天文台をしろしめす聖なる主であり、建物はそれを包む布。
まあ、この場合、聖骸布の一部を無意味に有難がるよりも、巨人望遠鏡とその住居が、これからも長く地上に聳え続けることの方が大事なので、ぜひ交渉が円満にまとまってほしいです。

アルカーナ2019年08月24日 18時10分51秒

家の改修やら何やらゴタゴタしているので、ブログの方はしばらく開店休業です。
そうしている間にも、いろいろコメントをいただき、嬉しく楽しく読ませていただいています。どうもありがとうございます。

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しかし、身辺に限らず、世間はどうもゴタついていますね。

私が尊敬する人たちは、人間に決して絶望することがありませんでした。
これは別に、偉人伝中のエライ人だからそうというわけではなくて、どんなに醜悪な世の中にも善き人はいるし、どんなに醜悪な人間の中にも善き部分はある…という、至極当たり前のことを常に忘れなかったからでしょう。(その逆に、どんなに善い世の中、どんなに善い人であっても、醜悪な部分は必ずあると思います。)

私も先人のあとを慕って、絶望はしません。
まあ、絶望はしませんが、でもゲンナリすることはあります。
醜悪なものを、こう立て続けに見せられては、それもやむなしです。
それに、このごろは<悪>の深みもなく、単に醜にして愚という振る舞いも多いので…とか何とか言っていると、徐々に言行不一致になってくるので、この辺で沈黙せねば。

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本棚の隅にいる一人の「賢者」。
彼が本当に賢者なのか、あるいは狂者なのかは分かりません。突き詰めるとあまり差がないとも言えます。今のような時代は、こういう人の横顔を眺めて、いろいろ沈思することが大切ではないか…と思います。

その人は、医師にして化学者、錬金術師でもあったパラケルスス(1493-1541)

写真に写っているのは、オーストリアのフィラッハ市が1941年、パラケルススの没後400年を記念して鋳造した、小さな金属製プラーク(銘鈑)です。フィラッハは、パラケルススが少年時代を過ごした町であり、郷土の偉人をたたえる目的で制作したのでしょう。

上の写真は、プラークを先に見つけて、あとからちょうどいいサイズの額に入れました。どうです、なかなか好いでしょう。

(プラークの裏面。購入時の商品写真の流用)

(仰ぎ見るパラケルスス)

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本棚ではたまたまユングの本と並んでいますが、ユングにはずばり『パラケルスス論』という著作があります。

(榎木真吉・訳、『パラケルスス論』、みすず書房、1992)

原著は1942年に出ており、内容は前年の1941年、すなわち手元のプラークが制作されたのと同年に、やっぱりパラケルススの没後400年を記念して、ユングがスイスで行った2つの講演(「医師としてのパラケルスス」と「精神現象としてのパラケルスス」)を元に書き下ろしたものです。

しかし、本書を通読しても、ユングの言っていることは寸毫も分かりません。
したがって、パラケルススその人のこともさっぱりです。

 「パラケルススは、〈アーレス〉に、≪メルジーネ的≫(melosinicum)という属性を与えています。ということは、このメルジーネは疑いもなく、水の領域に、≪ニンフたちの世界≫(nymphididica natura)に、属しているわけですから、≪メルジーネ的≫という属性に伴って、それ自体が精神的な概念である〈アーレス〉には、水の性格が持ち込まれたことになります。このことが示唆しているのは、その場合、〈アーレス〉とは、下界の密度の高い領域に属するものであり、何らかの形で、身体ときわめて密接な関係にあるということです。その結果として、かかる〈アーレス〉は、〈アクアステル〉と近接させられ、概念の上では、もはや両者は、ほとんど見分けがつかなくなってしまうのです。」
(上掲書 p.132)

私が蒙昧なのは認めるにしても、全編こんな調子では、分れという方が無理でしょう。
しかし、こうして謎めいた言葉の森を経めぐることそれ自体が、濁り多き俗世の解毒剤となるのです。そして、私が安易に世界に対して閉塞感を感じたとしても、実際の世界はそんなに簡単に閉塞するほどちっぽけなものではないことを、過去の賢者は教えてくれるのです。

ガラスの雪2019年08月13日 06時26分37秒

一昨日の写真の端っこに写っていたモノについて。

以前――だいぶ以前です――雪のペーパーウェイトを集めようと思い立ったことがあります。でも、あっさり断念しました。珍重に値する古い品は少ないし、新しいものまで含めると、今度はキリがなくなるからです。それに、ペーパー「ウェイト」の名の通り、重くてかさばるのも、挫折した理由です。


でも、こうして改めて見ると、なんだか懐かしいです。
何せ、あれからもう10年以上も経つのですから。

右側の大きいのはエイボン社の製品。
エイボンというのは、あの化粧品のエイボンのことですが、同社は化粧品ばかりでなく、家庭用品も手掛けているので、これもそうした品のひとつです。eBayで雪のペーパーウェイトを探すと、たぶん真っ先に表示されるのがこれで、今でも大量に流通しているせいで、あまり「有難み」はないんですが、雪のペーパーウェイト好きなら、避けては通れない品。

エイボンの雪模様が型押しなのに対し、あとの二つはエッチング彫刻です。

下のお饅頭型は、石川県加賀市の「中谷宇吉郎 雪の科学館」で購入したもの。このブログでは、わりと頻繁に画面に映りこんでいます(本のページを開いておくのに便利だからです)。でも、記事を書くため、同科学館に確認したところ、この品はもう取り扱ってない由。

そして、左上の薄い円柱型の品は、大阪のガラス工房に発注したものですが、こちらはすでにお店そのものが営業されていないようです。


購入した日の記憶はこんなにも鮮明なのに、すべては雪のようにはかないです。
まあ、こうやってはかながっている私だって、遠からず全ての記憶とともに、はかなくなるわけですが。

指先にともす彗星2019年03月10日 11時20分37秒



彗星マッチの中でちょっと異彩を放つのが、このミニマッチ。
まりの・るうにい装画の小さな小さなマッチ箱。
昨日登場したマッチラベルとくらべると、どれだけ小さいかお分かりになるでしょう。


作品名は「マッチの彗星」


これぞタルホ趣味の最たるもの。
マッチの炎が暗夜を走り、それがいつしか彗星と化している…この小さな箱が物語るのは、そんな状景です。

この品は以前、Librairie6(シス書店)さんのオンラインストアで見つけました(現在も販売中。「LIBRAIRIE6オリジナル」のカテゴリーをご覧ください)。

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今日3月10日は、昭和20年(1945)に恐るべき東京大空襲があった日です。
10万を超える死者が出た惨劇の夜。

その業火を想像し、手元のマッチを眺めていると、炎の向こうにいろいろな想念が浮かんできます。結句、炎というのは、指先にともしたり、燗酒をつけたりするぐらいが丁度良くて、憎悪をこめて街を焼き尽くすなどというのは論外です。

でも、その論外の所業がしれっと出来てしまう人間の心は、紅蓮の炎より一層恐るべきもので、こうなるとやっぱり足穂氏と差し向かいで、語り明かさねばなりません。

続・インド占星術の世界2019年01月30日 20時17分34秒



昨日も載せたインドの占星スクロールは、1844年のものだと売り手は述べていました。
文字がまったく読めないので、この辺は額面通り受け取るしかありませんが、でも紙質を見る限り、相応に古いモノでしょう。

これが時代を下ると、下のようにツルツルの現代的な製紙になってきます。

(全長約5メートルの大作。ちなみに1844年のスクロールの方は約2メートル)

これまた年代不詳ですが、たぶん20世紀半ばぐらいでしょう。でも、書かれているのは、やっぱり昔ながらのホロスコープ図で、このスクロールは、とりわけその図像表現がグラフィカルで、むしろサイエンティフィックな感じすらしたので、面白いと思って購入しました。
 
 

どうです、なんだか分からないけれどもスゴイでしょう。

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まあ、これだけ見ている分には、「ふーん、面白いね」で終わってしまい、特にインド占星術の体温を感じるには至りません。でも、次の品を見たとき、私は一瞬でその体温を ―― 占星術師の節くれだった指や、長いひげを蓄えた哲人めいた風貌を、想起しました。

 (「Old Antique Original Iron Astrological Horoscope Geometrical Tool」と称して、北インドのジョードプルのアンティーク業者が売りに出していたもの)

上のような幾何学的なホロスコープを描くには、当然それ用の道具が要るわけで、私はこれを見て再び「ああ、そういうことだったのか…」と思ったのでした。
 

鉄製の粗削りなコンパスと…


直線を引くための烏口(からすぐち)。

この品は戦前にさかのぼるものだそうですが、おそらくもっと遠い昔の占星術師たちが手にしていたのも、これと大差なかったでしょう。あるいは貴人に仕えた占星術師なら、もっと贅沢な道具を使ったのかもしれませんが、民間で門戸を張った術師は、やっぱりこういう無骨な道具で、せっせと円を描いたり、線を引いたりしてたんじゃないでしょうか。


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前回も引用した、矢野氏の『占星術師のインド』には、「500年前から代々続く占星術師の家」とか、「16世紀以来、さる藩王の宮廷占星術師を務めた一家の末裔」とか、歴史を誇る占星術師がいろいろ登場します。あるいは、これはインドではなくネパールですが、古い四分儀や暦書を家に持ち伝え、父と子は常にインドの古典語たるサンスクリット語で会話する一家とか。
 
やっぱり、インドでは占星術が文字通り「生きて」いるのです。
そして、それは「神秘の国・インド」として矮小化されるべき事柄ではなくて、古代から連綿と続く文化の豊かさの証であり、その鮮烈な具体例なのだと思います。

…そんなことを考えながら、この製図道具を手に取り、その重みを感じていると、だんだん心が膨らんでくるのを感じます。