虚空の花…かに星雲2021年09月25日 13時57分20秒


(パロマーの巨人望遠鏡が捉えた、今ではちょっと懐かしい「かに星雲」のイメージ。

メシエ目録の栄えある1番、M1星雲である「かに星雲」。
「かに星雲」といえば『明月記』…そう刷り込まれていたので、私はずいぶん長いこと『明月記』の作者、藤原定家(1162-1241)が超新星爆発を夜空に見て、それを自分の日記に記したのだと思っていました。

もちろんそれは間違いで、「かに星雲」の元となった超新星の出現は1054年のことですから、定家とは時代が全然ちがいます。定家はたしかに空に新天体を見ましたが、彼が見たのは彗星で、それを日記に書く際、参考として約180年前の古記録を併せて記したのでした(1230年のことです)。

しかも以下の論考によると、『明月記』の該当箇所は定家の自筆ではなくて、「客星」(普段の空には見られない星)について、陰陽寮の安倍泰俊(晴明七代の裔)に問い合わせた折に、先方から受け取った返書を、そのまま日記に綴じ込んだものらしく、そうなると定家と「かに星雲」の関係は、さらに間接的なものということになります。

■白井 正 氏(京都学園大学)
 京都の天文学(4) 藤原定家は、なぜ超新星の記録を残したか
 星空ネットワーク会報「あすとろん」第5号(2009年1月1日)

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1054年は和暦でいうと天喜2年で、後冷泉天皇の御宇にあたります。
この帝の乳母をつとめたのが、紫式部の娘、大弐三位(だいにのさんみ)だと聞けば、いかにも平安の代にふさわしい、「王朝」の薫香をそこに感じます。
その王朝の空に光を放ち、その後千年かけて宇宙にほころんだ花、それが「かに星雲」です。

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その花をガラスに閉じ込めて、好きな角度から眺められるようにした品があります。



以前、土星や銀河の模型を紹介した、イギリスのCrystal Nebulae自社サイト)の今年の新作です。現在はEtsyにもショップを出しているので、購入もいっそう簡単になりました。

(LEDステージに載せたところ)

6センチ四方のガラスキューブに、レーザーで「かに星雲」が造形されています。
3Dモデルというと、今では3Dプリンターが幅を利かせていますが、こんなフラジャイルな構造はとてもプリント不可能でしょうし(そもそも不連続で離散的な表現はできません)、透明なガラスならではの魅力というのも、やはりあるわけです。


7200光年先に浮かぶ星雲の背後に回って、その後姿を眺める…なんてことも、これなら簡単。人間、神様にはなれないしにしろ、神様の気分を味わうことはできます。


差し渡し10光年の光塊を、手のひらに載せてクルクル回す喜び。
1000年前には公卿・公達でも味わえなかった愉悦でしょう。

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7200光年先の爆発を、1000年前の人が目撃した…ということは、超新星爆発が起こったのは今から8200年前で、ようやく1000年前に、その光が地球人の目に飛び込んだわけです。そして、今我々が見ているのは、当然7200年前の星雲の姿です。

以下のサイトで、1950年から2100年までの150年間におよぶ膨張変化を、GIFアニメで見ることができます。「現在のかに星雲」、すなわち「7200年後に我々が目にするであろう、かに星雲」は、この調子でさらに大輪の花を咲かせていることでしょうね。

友情は太陽のごとく不動なり2021年03月14日 07時16分07秒

キリストや聖人たちの遺骸、あるいはゆかりの品である「聖遺物」(relics)

聖地巡礼が盛んになると、巡礼の証として、ありがたい聖遺物の授与を求める善男善女が増えて、それが少なからず教会経済を潤したので、各地の教会では、ゆかりの聖人の遺物を積極的に授与するようになりました。もちろんそこで下付されるのは、聖杯や聖槍のような伝説の世界に属する品ではなしに、もっと庶民的な品です。いわば西洋版の「御朱印」や「御守り札」のような存在。

主に18世紀以降の品と思いますが、そうした聖遺物を収めた聖遺物箱(reliquary)が、現在はアンティークショップの店頭で売り買いされています。(フランス語読みして「ルリケール」とも呼ばれます。)


私にとっては縁遠い品ですが、わけあって1つ入手しました。
直径38mmのペンダントサイズの金属容器に納められた、麦粒ほどの聖遺物。表面はガラス蓋で覆われています。

これはエスコラピオス修道会を創設した、聖ヨセフ・カラサンス(Joseph Calasanz、1557 –1648)の聖遺物です。といっても遺骨などではなくて、陶質の何か、たぶん彼が普段使いした食器か、墓石のかけらではないかと思います。

(聖ヨセフ・カラサンス、英語版Wikipediaより)


裏面は正真正銘であることを意味するのか、蝋で封じられています。
オランダの業者曰く、ベルギーの修道院に由来するもの…という説明でした。この紋章を手がかりに調べれば、その出所が分かるのかもしれませんが、現時点では詳細不明です。

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カラサンスは実に偉い人です。
スペイン生まれの聖職者として、ローマで救貧活動に取り組み、さらに孤児や貧しい子供たちのために無料の学校を建て、教育者として無私の奉仕を続けました。

そしてカラサンスは、ガリレオ・ガリレイの無二の親友でもありました。
カラサンスは科学教育を重視し、ガリレオの不遇な時代にも彼を擁護し、援助を惜しみませんでした。もちろん、それはカトリックの指導層の意に反することでしたから、カラサンス自身も1642年、異端審問にかけられたのです。

彼の名誉が回復されたのは、その死後のことで、没後100年の1748年にカトリックの福者となり、さらに1767年に聖人として列聖されました。したがって、上の聖遺物もそれ以降のものということになります。おそらく1800年前後に、信者に授与されたものではないでしょうか。


太陽の輝きに包まれたカラサンスの「何か」。
その「何か」ははっきりしませんけれど、もしガリレオが自分の肖像とカラサンスにちなむ品が並んでいるのを目にしたら、きっと嬉しい気分になるでしょうし、その冷たいむくろに、いっとき温かいものが通うように思うことでしょう。



(…と、知ったかぶりして書きましたが、もちろん私はカラサンスに詳しいわけではありません。でも、その偉さはwikipediaの斜め読みからも分かる気がします。)

ガリレオ・メダルに見る星霜200年2021年03月13日 12時39分15秒

200年という歳月を、どう感じるでしょうか?
もちろん地球や宇宙のスケールでいえば一瞬ですが、普通の生活の中で考えると、200年という時間の長さは、どれぐらい重みを持つものなのか?

200年前の1821年は、日本でいうと文政4年。幕末の動乱はまだだいぶ先です。
小林一茶や相撲取りの雷電が存命中で、勝海舟や西郷隆盛は生まれてもいませんでした。

私と父方の曽祖父はほぼ100歳違いになります。これは私ばかりでなく、平均的な年代差でしょう。つまり200年前といえば、ひいお爺さんのひいお爺さんが、今の私と同じ年格好だった時分です。やっぱりずいぶん昔ですが、かといって遥かな遠い過去とも思えません。その頃の文物は、村のお堂とか、路傍のお地蔵さんとか、まだ身近にたくさん残っています。

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唐突にそんなことを思ったのは、以下のメダルを目にしたからです。

(直径は4cm)

ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)の肖像を鋳込んだ記念メダルで、鋳造されたのは1818年、今から約200年前です。

(メダルの裏面)

200年前の人が、そのまた200年前の人であるガリレオを偲んで作ったメダル。
微妙に遠く、微妙に近い200年前を中間点とすることで、ガリレオの体温が何となく伝わってくるような気がします。まあ、これは私だけの特殊な感じ方かもしれませんが、ガリレオは私の「ひいお爺さんの、ひいお爺さんの、ひいお爺さんの、ひいお爺さん」の世代の人であり、たしかにほぼ400歳年上だなあ…というのは、新たな気づきでした。

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このメダルは、検索するとオックスフォードの科学史博物館にも収蔵されていて、これは一寸した自慢です。そのモノとしての素性について、参考として以下のページから書き抜いておきます。

Medals of the Series Numismatica Universalis Virorum Illustrium

このメダルは、「世界の著名人シリーズ」の1つとして、フランスで発行されたもので、発行を手掛けたのはアメデ・デュラン(Amedee Durand、1789-1873)。彼は彫刻家として、自らメダル彫刻を手掛けた人ですが、それだけでなく他の彫刻家も起用して、メダルの発行を手広く行いました。ガリレオ・メダルの場合、原型を制作したのはレイモンド・ゲイヤード(Raymond Gayrard、1777-1858)(※)です。

「世界の著名人シリーズ」は1817年からスタートして、ほぼ1820年代いっぱい発行が続きましたが、一部は1840年代にかかっています。その間、メダルの発行権をフランスの国家造幣局が独占したため、デュランが鋳型を造幣局に預けて委託発行していた時期もあり(ガリレオ・メダルがそうです)、鋳型を取り返してミュンヘンで発行した時期もあり、再度フランスでの委託発行となった時期もあり…と、結構メダルの製造史も込み入っているようです。


(※)…とネットには出てきますが、「レイモン・ゲイヤール」の方がより正確かも。ちなみにこのゲイヤードは父親の方で、彫刻家としては、同名の息子の方が有名らしいです。

月にただよう煙2021年03月12日 12時20分22秒

10年目の3.11から1日が経過しました。
今日は一転して肌寒い雨の日。昼には遠雷の音。

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いつの間にか生活の場から消えたものってありますよね。
ブラウン管TVとか、ハエ叩きとか。
灰皿というのも、いつの間に消えたもののひとつです。わが家の場合、来客用の灰皿が今でもたぶん物置の隅にあると思うんですが、もはや誰も使わなくなりました。

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にもかかわらず、新しく灰皿を買いました。多分永遠に使わないであろう灰皿を。


真鍮でできたムーン・マンの表情に惹かれたのと、まさに二度と使われない運命という点に哀惜の情を感じたからです。時代不詳ですが、20世紀半ばぐらいのものでしょうか。売ってくれたのはイギリスの人です。


昔はどこでも紫煙がただよっていました。当時を思い出すと、ここにシガレットの吸いさしを置いた、その指先の表情までもありありと想像されます。おそらくその中指には大きなペンだこが出来ていて、そこに煙草のヤニがうっすらと染みていたことでしょう。(これは私の祖父の思い出と重なっています。)


こういう品は、裏面の表情にも不思議な味わいがあります。
いわば月男が隠し持つ「裏の顔」ですね。


左は以前登場した(LINK)、フランスのビールメーカーが作った彗星灰皿です。
こうして並ぶと好一対。

まあ、灰皿としては使わないにしても、ペン皿やクリップ入れ、あるいはコイントレーとして使うと、ちょっと気が利いているかもしれません。

食卓の星2021年03月10日 22時02分11秒

天文モチーフの品はどこにでも登場します。


テーブルの隅に、いつの間にかこんな彗星と土星が乗ってたらどうでしょう?


クロームメッキの輝きを放つ32ミリ角のキューブ。
これが何かといえば、パッパッと塩と胡椒を振るためのソルト&ペッパー・シェイカーのセットです。言ってみればどうということのない雑器ですが、意外に時代は古くて、1930年代にさかのぼる品。


銀色の外身を外すと、中身はベークライト製らしい容れ物になっています。

(底面のロゴマーク)

メーカーのチェイス社(Chase Brass & Copper Co.)は、1876年にコネチカットで創業。1930年代に、当時の一流デザイナーを起用したクローム製家庭用品をいろいろ売り出して、当時の製品は現在コレクターズアイテムになっているのだそうです。もちろん、この小さな容器もその一部。


このスマートな造形感覚は、1930年代における「モダン」がどんなものであったかを、問わず語りに教えてくれます。真っ白いお皿に載せたハムエッグに、こういう容器から塩胡椒を振りまいて、ぱくぱく食べるという生活スタイルが「モダン」に感じられた時代―。その輝きは、ポップアップトースターのそれと同質のものであり、クロームメッキの輝きが真鍮の輝きに置き換わったとき、我々の生活は「モダン」の波に呑み込まれたのかな…という気がします。

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さて、明日はいよいよ3.11。

アトラスは時を背負う2021年02月02日 06時22分32秒

さて、今日も時計の話題です。
時計と天文の結びつきを気にしている最中に、ひとつ新しい発見がありました。


それは天球を背負った真鍮製のアトラス像をめぐる話題で、この像は既に過去記事で取り上げました。



記事中、「この像は元々独立した彫像として制作されたのではなしに、何か別の用途(建物や細工物のデコレーション)に使われていたのを取り外して、後からこんな風に一本立ちさせたのではないでしょうか」と推測しましたが、この推測は確かに当たっていて、この像はかつて時計のてっぺんを飾っていたことを、今回知りました。

そのことは、高円寺のアンティークショップ「LECURIO」さんのツイート(LINK)に、よく似た像が紹介されていたので気づきました。

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さっそく「Atlas clock」で検索すると、問題の「時計のてっぺんに乗ったアトラス像」はもちろん、アトラスが(地球や天球ではなく)時計そのものを支えている品も続々と見つかり、天空を支えるアトラス神と、時計との強固な結びつきが、ここにはっきりしたのでした。

(Googleの画像検索画面)

それら時計に乗ったアトラス像は、みなよく似ていますが、似ていながらも微妙に違っています。どうやら同一メーカーでも、新しい製品を作るたびに、新たに型を起こしていたようです。それらを見て回るうちに、手元のアトラス像に酷似したものを見つけました。


上記は米ウィスコンシン州のアンティークショップ、The Harp Galleryさんの商品ページで、その説明によると、この時計は2017年を去ること約60年前、すなわち1950年代末頃に作られたもので、オランダのWarmink社が、WUBAのブランドで製造販売していたものの由。手元のアトラス像も、同社由来と見てほぼ間違いないでしょう。

(同上掲載画像の部分拡大)

まあ酷似とはいっても、仔細に見ると微妙に違うので、手元の品のオリジンを完全に特定できたわけではありません。でも、Warmink社は1929年の創業だそうですから(参照リンク)、手元の像もそれ以降の品であることは確実で、少なくとも過去記事で書いたような「19世紀」は誇大です。

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ただ、Warmink社の時計自体は、20世紀生まれだとしても、そこにはさらに古いモデルがあります。


例えば、上もWUBAブランドの壁掛け時計ですが、これは下のような時計をお手本にしたものでしょう。


後者は以前クリスティーズのオークションに出たもので、クリスティーズの説明によれば、1700年頃のオランダ製だそうです。(ちなみに上のWUBAは80ユーロ、クリスティーズの方は4,000ユーロで落札されました。)

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手元のアトラスは、時代が思ったよりも若かったし、いささか高い買い物だったかな…という思いもありますが、それ以上に、今回その正体が分かってホッとしました。謎解きの突破口を与えていただいたLECURIOさんに、改めて感謝いたします。

A Ticket to the Crescent Station2020年10月04日 18時42分21秒

アルバムの隅に、こんな切符がはさまっていました。
「三日月駅」の入場券です。


銀色に光る三日月にはポツンと駅舎が立っていて、この切符があれば、いつでもそこに行けるんだ…。いくぶん幼い夢想ですけれど、そう悪くないイメージです。

それに、夢想といっても、現実に「三日月駅」は存在するのです。
そして、三日月駅を訪れ、この古風な硬券入場券をかつて手にした人がいるのです。

もし夢想の要素があるとすれば、「発売当日限り1回有効」の券を、いつでも使えると思ったことことぐらいでしょう。

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三日月駅は、兵庫県にあります。
姫路と岡山県の新見を結ぶ「姫新線」(きしんせん)に乗り、列車が岡山との県境に近づくと、その手前が佐用(さよう)の町で、その町域に三日月駅は立っています。

江戸時代には、代々森家が治めた「三日月藩」1万5千石の土地ですが、ご多分に漏れず過疎化が著しく、現在は無人駅です。1日平均の乗車人員は140人だと、ウィキペディアには書かれていました。

(グーグルマップより)

とはいえ、駅舎の風情はなかなか素敵ですね。
この駅がある限り、夢のような「三日月への旅」が、いつでも可能なのですから、ぜひ今後も末永く存続してほしいです。

(左下は三日月駅への始発駅…のような風情を見せる、今はなきアポロ劇場(デュッセルドルフ)の建物)

こちらウラヌス2020年09月22日 06時37分50秒

4連休なので、部屋の掃除をしていました。


いつもの雑然とした光景。
あまりにも見慣れ過ぎて、最近は機械的にホコリを払うだけの日が続いていました。


しかし何せ4連休ですから、いつもよりのんびりホコリを払っていて、気が付いたのです。


あ、光っている!

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この小さな科学衛星「ウラヌス」が我が家に到達したのは、10年前のことです。


■翔べ!ウラヌス

彼はそれから休むことなくミッション――緑色光によるメッセージの送信――をこなし、それは今も続いていたのです。

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同じ年に打ち上げられた人工天体の仲間に、「あかつき」があります。
彼は2010年5月に種子島を飛び立ち、金星に向かいましたが、途中でメインエンジンの故障という決定的なトラブルに見舞われました。しかし、先輩「はやぶさ」のように、人々の智慧と才覚によって、みごと金星周回軌道に乗り、観測ミッションを成功させ、そして今もデータの収集を続けています。実に鮮やかです。

徐々に酸化被膜で覆われつつある、我らが「ウラヌス」の奮闘も、「あかつき」に決して劣るものではありません。にもかかわらず、そのことを忘れ、貴重な信号を受信し損ねていた私の責任は重大です。遅ればせながら、これからは緑色光のチェックを怠らないので、「ウラヌス」よ、どうか最後の日まで共にあらんことを。

黄金のウラニア2020年07月08日 06時58分37秒

さて、これも残欠といえば残欠ですが、可愛いウラニアの像を見つけました。

(ペンは大きさの比較用。全体の高さは約11.5cm)

独立した像ではなくて、元は建物の「釘隠し(cache clou)」に使われていたものです。時代は19世紀初頭、仏・トゥールーズから届きました。

建築材に打ち付けた釘の頭を無粋と見て、その上を覆い隠す飾り金具が「釘隠し」で、日本でも、伝統建築にいろいろ面白い意匠の釘隠しが取り付けられていますが、フランスでも事情は同じらしく、「cache clou」で検索すると、いろいろ面白いデザインのものが見つかります。


右手に持ったデバイダ、左手でもたれかかった天球儀が、天文学のミューズであるウラニアのシンボル。


頭上に星の冠をいただき、その視線ははるかな天に向かいます。(鼻がちょっとつぶれてしまったのが惜しまれます。)


裏面はこんな感じで、型を使った薄肉の鋳物仕上げ。真鍮色をしていますが、素材は青銅のようです(真鍮は銅と亜鉛、青銅(ブロンズ)は銅と錫の合金で、鋳造に向くのは後者)。

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それにしても、このウラニア像で飾られた部屋は、どんな部屋だったんでしょうね。
そこには、何かしらの寓意と機智が働いていた気がします。

天文家や占星術師がこもって沈思した小部屋でしょうか。
それとも、ウラニアのみならず、音楽や詩を司る他のミューズたちがずらり居並ぶ、華麗なライブラリーでしょうか。

そんな風に想像のふくらむところが、残欠趣味の楽しさです。


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【余滴】

雨続く。九州から中部にかけて広く警戒を要すとの報あり―。

熊本では、頑丈な鉄橋までも流されるニュース映像を見て、衝撃を受けました。そこから、子どもの頃に読んでもらった「大工と鬼六」の話を思い出し、あの話の背景を知りたいと思いました。

検索したら、あれはもともと岩手県の民話だという説もありましたが、それと同時に、「いや、あれは大正時代に、ある童話作家が、北欧民話を翻案して発表したのが元だ」という説明を目にして、本当に驚きました。そして、どうやらそっちの方が本当らしいです。この件は、わりと有名らしくて、ネット上でも言及する人が大勢いますが、管見の範囲では、以下の論文がもっとも詳細に跡付けていました。

■桜井美紀、「大工と鬼六」の出自をめぐって
 「口承文芸研究」第11号(1988)掲載

青空のかけら2020年07月05日 16時46分40秒

空から降り注ぐ雨。
それを集めて流れる川。

その自然の営みが、ある一点を超えると、大地の形状を変えるほどの巨大な力を発揮します。それもまた自然の営みだと言えば、そうかもしれませんが、でもその自然は、いつも目にする穏やかな自然とは別人という意味で、やっぱり異常で恐ろしいものと感じられます。

犠牲となった方を悼み、被災地の方々が早く日常を取り戻されることを祈ります。

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陶片趣味といえば、比喩でなしに、本物の陶片が手元にあります。

(タイルの最も長い辺は約11.5cm)

鉱物標本のように、箱の中に鎮座しているのは、ニューヨークの業者から購入した古タイルのかけらです。13世紀セルジューク朝のものというのが業者の言い分。

彼の言葉が本当なら、イスラム世界を広く支配した「大セルジューク朝」は、12世紀半ばに自壊し、13世紀には、その地方政権だった「ルーム・セルジューク朝」が細々と続くのみでしたから、出土地は、その版図だったトルコ地方ということになりますが、詳細は不明。


この三角形は、当初から人為的に成形されたもので、イスラム独特の幾何文様の一部を構成していたはずです。頂角40度というのが、元の模様を解くヒントだと思いますが、これまた不勉強で詳細は不明。でも、何か星型文様の一部だったら素敵ですね。

(イランのシャー・ネマトラ・ヴァリ霊廟(15世紀)。Wikipediaより)

そして、こんな風に空の青と競い合って立つ壮麗な建物の一部だったら…。


美しく澄んだ青。その貫入に沿って生じた金色が、人為的なものなのか、それとも釉薬成分の自然な変化によるものかは不明ですが、この青金は、まさに天然のターコイズ(トルコ石)を切り出して作ったかのようです。

遠い中世イスラム世界―。
この場所こそ、古代世界に続く、天文学の第二のゆりかごであり、そして黄漠の地に白い宮殿がそびえ、透明な新月が浮かぶ、タルホの王国でもあるのです。

(釉薬の質感↑と裏面の表情↓)

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とはいえ、この小さな島国の水と緑こそ、個人的にはいっそう慕わしく感じられます。
願わくは、そこに青空と入道雲が、早く戻ってきますように。