世は麻の如し2017年02月04日 09時33分01秒

前回の記事の末尾で書いたように、最近は戦争のような日々を送っていますが、報道に接すると、本当に戦争でも起きかねない世のありさまです。

世界は本当にどうなってしまうのか?
どなたかが、「森を育てるのは大変だが、壊すのは一瞬だ」と呟いてらっしゃるのを見て、本当にそうだなと、深く頷きました。

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ルービックキューブのふるさと、ハンガリー生まれの「地球儀ルービック」。
冷戦期、1980年代の品と聞きました。

面白半分でガチャガチャ回しているうちに、完全に復元できなくなってしまいましたが、今の世界も高所から見れば、こんな状況かもしれません。


この国も、果たしてどこに向かおうとしているのか。


ルービックキューブを解くコツは、各面の中央にある不動の「センターキューブ」に注目することだそうで、この地球儀キューブでは、北極や南極がそれに当たります。

「混迷せるときは、まず不動のものに目を向けよ」とか言うと、妙に説教臭くなりますが、まあ、ご高説を垂れるのはパズルを解いてからにしてくれ給え…と言われるのが、この場合オチでしょう。

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一国の宰相を、いやらしいほどアメリカにすり寄らせる。
国民の間に、微妙な空気が流れたところで、彼の最側近が、突如公然と叛旗をひるがえす。それに呼応して、クリーンなイメージの若手が弁舌爽やかに登場し、新たな御輿に担がれ、アメリカ従属脱却と日本再軍備を高らかに宣言し、大喝采を浴びる…。

最近の動きを見ていると、そんな裏シナリオもありはせぬかと、ちょっと疑念に駆られます。

(記事の方は引き続き間欠的に続きます)

京都へ(1)…同志社大学にて2016年05月18日 06時37分14秒

5月の京都へ行ってきました。
同志社大学で、6月25日まで開催されている新島襄の見た宇宙」展を見学し、併せて記念講演会を聞きに出かけるためです。このイベントについては、先日もご紹介しましたが、会場は同大学のクラーク記念館です。


この瀟洒な明治建築の中の静かなチャペルで、日本の天文学史の意外なエピソードに耳を傾けたのでした。


元洛東高校教諭の西村昌能氏による講演は、同志社の創設者・新島襄と、「少年よ大志を抱け」でおなじみのクラーク博士の、天文学を介した結びつきを解き明かす内容で、それだけでも興味深いものですが、さらに両者の接点が「隕石」だったと聞けば、これは大いに好奇心をそそられます。

なぜ隕石か。
クラーク博士は札幌農学校の礎を作り、マサチューセッツ農科大学の学長も務めた人ですから、専門は農学と思いきや、そもそもドイツで学位を取った際の研究は、隕石の化学分析であり、新島襄に対しても、日本で発見された隕石の資料提供を求める手紙を書き送っていた…というのが、講演会のひとつの聞きどころでした。

地球外生命探査というと、何となく最先端の研究テーマのように聞こえますが、地球外生命の存在は、これまで肯定と否定の歴史を繰り返しており、クラーク博士の頃は、肯定的意見が強い時期で、博士の研究も、隕石中の有機物を定量分析することに主眼があったそうです(クラーク博士の場合、生命の遍在に対する信念は、キリスト教的背景があったのかもしれません)。

さらに西村氏の講演は、新島襄の天文学の研鑚の跡をたどり、アメリカ留学時代のエピソードを紹介し、隕石学の歴史へと説き及び、明治天文学の多様な側面が、そこでは語られました。

(チャペルの天井)

西村氏に続き、講演会の後半は、元同志社大学教授の宮島一彦氏による、新島襄旧蔵の天球儀の話題を中心とした、東西の天球儀に関する講演でした。

新島の天球儀というのは、元禄14年(1701)、おそらく渋川春海の星図を元にして作られたもので、元の作者は不明ですが、新島が岡山の骨董店で見つけて買い入れたという由緒を持つ品です。

日本製天球儀といっても、当時の星座名は、中国のそれをそっくり踏襲しており、赤・黒・金に塗り分けられた星々の間を、金箔散らしの銀河が流れ、その現物は講演会後に実見しましたが、作行きも保存状態も良い、実に美しい紙張子製の品です。

ここで「赤・黒・金」というのは、中国星座には古来三系統あることに対応するもので、それぞれ魏の石申、斉の甘徳、殷(商)の巫咸が設定したものとされます。
渋川春海は、そうした伝統的な中国星座に加えて、オリジナルの星座も設定しており、通常それは「青」で図示されるのですが、この天球儀にはそれが表現されていないことから、この天球儀の成立事情がうかがえる…ようなのですが、詳細は今もって不明のようでした。

新島がこの天球儀を、いつ、何の目的で購入したかも、今となっては不明ですが、彼が西洋の天文学だけでなく、東洋天文学にも関心を向けていたことは、大いに注目されます。

なお、新島の天球儀は固く撮影禁止で、ネット上でも画像が見当たりません。
唯一、同志社大学図書館のトップページ(↓)にその部分図が、今日現在載っていますが、これは定期的に差し替えられているかもしれないので、詳細を知るには現物を見るしかありません。お近くの方はぜひ。(繰り返しますが、展示は6月25日までです。)
http://library.doshisha.ac.jp/img/index/main.jpg

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上記の天球儀を含め、「新島襄の見た宇宙」展の会場は、クラーク記念館の隣のハリス理化学館です。


同志社では創立当初から天文学の講義が行われ、この明治23年(1890)竣工の建物にも屋上に天文台が設置されていた…というのは、たいへん興味深い点で、これは新島が学んだアメリカ流リベラルアーツの伝統を継ぐもの、すなわち「教養」として、天文の知識を重視したことを示すものでしょう。

(ハリス理化学館同志社ギャラリーのリーフレットより。創建当時のハリス理化学校。屋上の八角形の構造物が天文台)

日本の天文学史というと、東大があって、京大があって、官製の天文台があって…というところに記述が集中しがちですが、それとは別に、こういう流れもあったことは、特筆すべきことと思います。

ただし、たいへん残念なことに、この同志社の天文台は、明治24年(1891)に起きた濃尾地震によってその安全性を危惧され、早くも明治26年(1893)に撤去されてしまいました。今は天文台へと通じる、らせん階段がのこされているのみです。

(この上は屋根裏部屋に通じ、今は物置のようになっているそうです)

(外から見た階段室)

こうした教育が日本でも根付いていたら、その後の歴史はどうなっていたろう…と思いますが、でも当時の諸条件を考えると、やっぱり難しかったのかなあ…とも思います。

(ハリス理化学館正面。1889の年号と「SCIENCE」の文字。)


(「タルホ的なるもの」は小休止して、京都の話題を続けます。次回は再びLagado研究所へ)

何だか分からないけどスゴイ天球儀2016年03月05日 08時48分42秒

現在進行中のオークションに干渉することは、極力避けているのですが、しかし、即落価格が設定されているのに、依然どなたも落札される気配がないので、これはご紹介しても良いでしょう。

eBayで、ある天球儀を見かけました。

何だか分からないけどスゴイ(Not sure what it is for sure. It looks great.)
…と、売り手自身が書いているので、見ているほうも何だか分からないのですが、確かに珍とするに足る品です。

(以下、画像寸借)

カボチャの天球儀。
小さなパンプキン(直径約5センチ)の表皮に星座をカービングして、そのまま乾燥させたもののようです。


しかし、そもそも、なぜこんなものが作られたのか?

採れたカボチャが、あまりにも真ん丸だったので、作り手は何か丸いものを作ろうと思った。そして、彼(彼女)はカボチャと同時に星を愛していたので、ふと両者を合体させようと思った。…そんな想像も浮かびます。

アメリカの西の端、ワシントン州に住む売り手は、いろいろな古物を雑然と商っている方のようです。このカボチャも、おそらく他の古物と一緒に、無造作に彼のもとに持ち込まれたのでしょう。いずれにしても、経緯・来歴は一切不明で、何だか分からないけどスゴイとしか言いようがないものです。

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昔、カボチャで天球儀を作る専門の職人がいた…とは思えませんが、昔、カボチャと星を愛する人は確かにいました。そのことを偲ぶよすがとして、この天球儀は存在する価値があります。

70ドル出して、カボチャと星を愛した人の形見を手に入れたいと思われた方は、どうぞ以下のページへ(値引き交渉も可能です)。



名月を取ってくれろと泣かれたら2016年02月27日 13時01分58秒

月は良いものですね。


釣りはヘラ(ヘラブナ)に始まり、ヘラに終わる。
天文趣味は月に始まり、月に終わる。
月はやっぱり人類にとって永遠の友であり、憧れでしょう。

でも、今ではこんな↓月球儀が現れて、いつでも憧れの存在を身近に置いて、しげしげ眺めることができるようになりました(もちろん上の画像も本物の月ではなくて、同じ月球儀をそれっぽく写したものです)。


中央にぽつんと見えるのは、クレーター「コペルニクス」。
その左上に広がる領域は、餅つきをするウサギのお腹に当る「雨の海」。
その周囲を囲む「虹の入江」(左手の凹部)からアペニン山脈、カルパチア山脈に至る地形がリアルに見て取れます。

(改めて自然光で写したところ)

この月球儀は、3Dカラープリンターを使って、イギリスの人が製作したのを購入しました。直径は90ミリ。元データはNASAから引っ張ってきたものだそうですが、地形を把握しやすくするために、高低(鉛直)方向を拡大強調しているとのこと。

(「海」部拡大)

(左下に大きく口を開けたクレーターは「クラビウス」)

こうして接写すると、成型時にできる細かな横筋が、余分なテクスチャーとなっているのが分かりますが、それでもこれだけリアルなものを、一切の継ぎ目なしに作れるのですから、3Dプリンターは大したものです。おそらく将来はさらにプリンターの解像度が上がって、より精緻な製品が出ることでしょう。

(中央は月の裏側に穿たれた「モスクワの海」)

もちろん「古玩」もいいのですが、最新の技術が生んだ「新玩」にも、なかなか味のある品がありますね。

(渡辺教具製の「ブルーテラ」と仲良く並んだところ)

泣く子にもこれを与えれば、即座に泣き止むことでしょう。

地上の銀河…カテゴリー縦覧:銀河編2015年04月01日 22時19分02秒

いよいよ4月。今年も既に4分の1が終わりました。
そして今月の末には、「もう3分の1が終わった!」と驚くことになります。

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手元に明治7年(1874)に売り出された、古い地球儀があります。


それを見ていたら、この地球上に銀河が流れているのを見つけました。


「リオデラプラタ 銀河」。
今でいうところの「ラプラタ川」を、かつての日本では「銀河」と訳していました。

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遠い昔、ジパングは黄金の島と呼ばれ、ヨーロッパ人の想像力を掻き立てました。
その後、大航海時代の訪れとともに、今度は南米アマゾンの奥地に「エル・ドラード(黄金郷)」があるという噂が立ち、スペイン人による探検(という名の侵攻)を加速しました。

同じ頃、それと対を成すかのように、南米の内陸部には「白い王」が支配する、シエラ・デ・ラプラタ(銀の山々)」があるのだ…という噂もありました。もともと現地にその種の言い伝えがあったところに、いろいろ尾ひれが付いて肥大化した噂のようです。

そして、そこからアルゼンチンの国名が起こり(ラテン語の「argentum(銀)」に由来)、またラプラタ川(スペイン語でRio de la Plata、英語に直訳すれば River of Silver)の称も生まれたということです。ちなみに命名者は、イタリア系イギリス人にして、ユダヤの民、そしてスペイン王に召し抱えられて南米を探査したという、ややこしい経歴のセバスチャン・カボット(c.1474-1557)。

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…というわけで、地上の銀河には、少なからず欲が絡んでいます。
その点、天上の銀河は純なものですね。
でも、人間の欲には限りがないので、未来永劫そうかどうかは分かりません。

カテゴリー縦覧…天球儀・地球儀編:汚れた地球儀との対話2015年02月18日 19時25分27秒

先日から始まった、ブログ・カテゴリーに沿って記事を書くという試み。
「天文古書」、「天文台」、「星図」…ときて、今日は「天球儀・地球儀」編です。
(そして、このあとは「プラネタリウム」、「天文機器」、「星座早見」…と続く予定です。)

とにもかくにも、こういう風に機械的にテーマを設定されない限り、きっとこの場に登場しなかっただろうというモノがあります。たとえば下の地球儀。


本体は30センチ径、総高は60センチ近くありますから、かなり大きなものです。

一見して「汚い地球儀だなあ」と思われるのではないでしょうか。
私もやっぱり「汚い地球儀だなあ」と思います。


今では表面のニスが黄変して、下の地図が見えにくくなってるし、しかも、ところどころ擦れ落ちて、白くまだらになっています。全体に傷みが激しくて、大きいだけに処置に困りますが、それでもあえて購入したのは、当時は(これを買ったのは9年前です)、今ほど古い地球儀が流通しておらず、結構珍しかったからです。


メーカーは大阪の奥村越山堂。
創業は不明ですが、戦前から戦後まで一貫して地球儀を製造していた会社です。
右側の凡例欄に「委任統治」の文字が見えるのが、その時代を物語っています。


この地球儀は、第1次大戦後に、ドイツの植民地だった南洋諸島が日本の委任統治領になり(1922)、大陸に満州が成立(1932)する前、ちょうど大正から昭和へと時代が移り替わる頃に作られました。

中国では清王朝が滅亡し(1912)、中華民国の時代です。

後発の「列強」たる日本は、明治の後半から膨張主義政策を加速し、台湾割譲(1895)、さらに朝鮮併合(1910)と領土拡張を図った結果、地球儀に赤塗りの部分が増えたことが歴然としています。その上さらに欧州大戦によって焼け太りして、南洋進出を果たした格好ですが、その果てに何があったかはご存知の通り。

かじ取りの難しい時代だったことは確かでしょう。
そして、これも人類がこれまで数限りなく繰り返してきた、興亡の歴史の1ページに過ぎない…と、言ってしまえば、そのとおりです。
ただ、国家という装置が、その構成員の意志を超えて自律性を獲得したとき、いかなる結果をもたらすかという教訓は、この煤けた地球儀からも読み取れます。

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…と感慨にふけりつつ、やっぱりもうちょっと状態のいいものが欲しかったなあと思います。

そして、「地球儀はどうもせせこましくていけない、眺めるなら天球儀がいいね」と思って、天球儀を見たら、やっぱりそこにもせせこましく星座境界線が書き込まれていて、人間はどうも境界をはっきりさせないと落ち着けない生き物であることを再認識しました。

まあ、脳の視覚野には、対象の輪郭線を自動的に抽出する仕組みが備わっているそうですから、外界を認識するとは、半ば境界を認識することであり、ヒトが在りもしない境界線を引いてまで境界にこだわるのも、生物として然らしむるところなのかもしれません。

天文学史のイベント2題(その1)2015年02月04日 19時35分30秒

ちょっと小耳にはさんだ話題。
天文学の歴史を振り返るきっかけとなるイベントが、東西で開かれます。

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1つ目はまもなく東京でスタートする「ルーヴル美術館展 / 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」です。


○公式サイトhttp://www.ntv.co.jp/louvre2015/
○会期: 2015年2月21日(土)~6月1日(月) 10:00~18:00
  ※5月5日、26日を除く毎週 火曜日 休館
  ※毎週金曜日、5月23-24日(土、日)、5月30-31日(土、日)は20:00まで開館。
  ※4月25日(土)は22:00まで開館
○会場: 国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)
  ※MAP → http://www.nact.jp/information/access.html
○巡回展: 6月16日~9月27日まで京都市美術館にて。

なぜ風俗画の展覧会と、天文学史が関係するかといえば、フェルメールの《天文学者》が展示されるからです。今回が日本初公開。
画像ではおなじみのあの傑作を、身近で見られる得難い機会です。

(ヨハネス・フェルメール作 《天文学者》、1668年)

同美術館の広報ページから、そのまま転載すると(http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/louvre2015/index.html

 《天文学者》はユダヤ系の銀行家一族、ロートシルド家に旧蔵され、第二次世界大戦中にヒトラー率いるナチス・ドイツに略奪されるという数奇な運命を経たのち、1983年にルーヴル美術館に収められました。同館に所蔵されるフェルメール作品は、2009年に来日を果たした《レースを編む女》と、《天文学者》の2 点のみです。そのため、常設展示に欠かせない《天文学者》は、ルーヴルを離れることがきわめて稀な作品のひとつでした。

…という背景を持った作品です。

展覧会の構成は、プロローグⅠ「風俗画の起源」に始まり、1章「労働と日々―商人、働く人々、農民」、2章「日常生活の寓意―風俗描写を超えて」…6章「アトリエの芸術家」と続きますが、《天文学者》は第2章の目玉になります。

再び、国立新美術館のページから。

 寓意を担う風俗画のなかできわめて独自な位置を占めるのが、フェルメールの《天文学者》です。この作品は、シュテーデル美術館に所蔵される《地理学者》と対をなし、天と地を象徴するものと解釈されます。とはいえ、この作品をなにより際立たせているのは、風俗描写も寓意的次元も超越するかのような光の表現の美しさ、ひとつの小宇宙のような詩情をたたえる静謐さでしょう。

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この絵については、以前このブログでも、ちょっと変わった角度から取り上げました。

フェルメールの「天文学者」に見える謎の図
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/11/16/

絵の構成からすれば、後景の脇役に過ぎない、下の「画中画」の正体を考えるというものでした。そして、その答は依然出ていません。まあ、実物を見ても答が出るわけではありませんが、しかし改めて頭をひねる良いきっかけです。


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会期中、関連イベントとして、以下のような不思議な催しもあります。

対談 「天文学者×占星術師 フェルメール《天文学者》をめぐって」
 ○対談者: 渡部潤一(国立天文台副台長)、鏡リュウジ(占星術研究家)
 ○日時: 4月18日(土)14:00-15:30
 ○会場: 国立新美術館 3階 講堂
 ○備考: 定員260名、要事前申込み

Astronomer と Astrologer が分離して以来、両者の間には激しい角逐がありました。
当代きっての天文啓発家・渡部氏と、占星術研究家・鏡氏との対談が、いったいどんな塩梅で進むのか、ぜひ拝聴したい気がします。
(でも聞くところによれば、渡部氏と鏡氏は以前も対談されているそうで、21世紀の天文家と占星術家は、昔と違って、意外に和気藹々とやっているのかもしれません。)


(ちょっと長くなったので、「西」の展覧会は次回に回します。この項つづく)

天文雑誌に見る1950年代(5)2014年10月24日 07時02分45秒

最近、心が弱くなっている自覚があって、古い「天文と気象」を読むのも用心が必要です。本当に一寸したことで落涙したりするものですから。



「天文と気象」の1949年3月・4月合併号の表紙と目次です。
表紙上部に“「天気と気候」改題”とあります。気象学がメインだった「天気と気候」誌は、1948年12月号でいったん終結し、1949年1月号からは、新たに「天文と気象」を名乗って、天文に力を入れるようになりました。


1949年10月号の「読者だより」欄。天文ファンと気象ファンの角逐が興味深い。

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3・4月号の巻頭口絵(以下2枚も同)。
「ぞくぞく誕生するアマチュアー自作の反射望遠鏡」


 
                     

うーむ、いったい何という顔ぶれでしょう。
佐久間精一氏小山ひさ子氏大谷豊和氏…いずれも、古参の天文ファンにはなじみの名前でしょうが、みな日本のアマチュア天文界を牽引してこられた、偉大な先達です。大家の風格の元国立科学博物館の村山定男氏や、星座史研究の原恵氏も、この頃はまだ20代の「青二才」だったのですから、本当に時代を感じます。

みながみな若かった。日本のアマチュア天文界は、若い息吹にあふれていました。
その若さが、今の私には眩しく感じられます。そして、ただそれだけのことで、もう涙腺がゆるみます。


その村山氏と原氏が、この号から望遠鏡の自作記事の連載を始めています。


思わぬところで、あの「あやめ池工業所」のガラス製天球儀(http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/07/07/7382014)と再会。

(1949年9月号 巻末広告)

まこと風雅の極みですが、それにしても、こういうメーカーは、その後どうなったんでしょうね。何となくロストワールドを覗き見るような気もします。

(1949年8月号 裏表紙。社名がちょっと前途に危うさを感じさせます。)

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肝心の記事の方も充実していて、読みふけっていると、本当にキリがありません。
「天文と気象」は、今後も資料として随時言及する予定なので、ちょっと尻切れトンボですが、ここでひとまずペンディングにします。
(※今日は題名に相違して、全部40年代の話題でした。)

ゆっくり回れオーラリー2014年10月05日 11時39分40秒

アメリカの「カリスマ主婦」、マーサ・スチュアートが、各分野の生活の達人と対談するコーナーが、彼女のサイトにあります。

その中に、たぶんインテリア関係&コレクターという位置づけだと思いますが、天文アンティークを商う、ニューヨークのジョージ・グレイザー氏が登場する回があって、その“天球儀・地球儀編”は、既にこのブログでも登場済みです。

■骨董天文店を夢想する
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/12/30/6674685

【付記】 元記事では、▼のページにリンクを張ったつもりだったのですが、今見たら、◆のページに張り替えられていました。登場するのはいずれもグレイザー氏です。両方見ると一層興味深いので、併せてご覧ください。
Antique Celestial And Terrestrial Globes
  http://www.marthastewart.com/919911/antique-celestial-and-terrestrial-globes#919911


以下は、それとは別に撮った“オーラリー編”。


■Rare Astronomy Teaching Devices (動画 6分21秒)
 http://www.marthastewart.com/913598/rare-astronomy-teaching-devices#913598

グレイザー氏は、オーラリー(太陽系儀)やテルリアン(三球儀)の現物を手に取って、両者の違いや、その機能を説明しつつ、最後にその価格についてもコメントしています。そのお値段はとても呑気とは言えませんが、こういうのをクルクル回して「まあ、面白い!」と言ってる分には、間違いなく呑気でしょうし、かかる呑気さこそあらまほしいものです。

羽のあるウラニア2014年09月24日 06時56分13秒



売り手の言によれば、フランツ・クライン(Franz Cleyn、1582頃-1658)による、1645年の連作「Die sieben freien Künste(自由七科)」のうちの1枚。

「自由七科」とは、中世ヨーロッパにおける基礎教養科目で、文法学・修辞学・論理学・算術・幾何・天文学・音楽の7科目を指します。この版画はそのうちの天文学を擬人化して表現した図(印面サイズは12.5×10.5cm)。

羽のある天使という、かなりキリスト教化された姿で描かれていますが、これもまたウラニアのバリエーションと見てよいのでしょう。ディバイダを手にして、天球儀と隣り合う姿はお約束です。


右側の僧体の老人は、天文学の女神に教え導かれる天文学者でしょうか。


足もとに見えるのは、日時計、アーミラリー、四分儀のようです。


妙に愛らしい星座絵。
デフォルメがきついですが、それでも元の星座が何となく分かります。ちなみに、左下に見えるキリンのような、ラクダのような、妙な生き物は「くじら座」。


ちょっとマンガチックな表情の鷲。
図像学的に鷲は多義的な存在ですが、ここでは単純に「天空」の象徴だろうと思います。

(この項さらにつづく)